三月の夢酔

『常識という奴は、絶対に計算違いをしないグレイの服を着た銀行員だ。しかし、彼が数えているのはいつも他人の金なのだ』
−フィリップ・マーロウ『プレイバック』(レイモンド・チャンドラー作)


そう言えば(2002/3/1)
日本アカデミーの受賞中継の番組宣伝を見て、思い出した。家庭内不和で、差し替えたのほったらかしだったので。再録。2/9分を再度読むと良いかも知れない。

ともあれ、一人だけで、一万点ぐらい持っている映画監督もいるので、侮れない。世界のクロサワとか?。私は、フレーム撮りが甘いとか、切り返しが多くて分かり難いとか、構図が悪い。なんて映像表現は、ほとんど気にならない。ただ、脚本の出来、セリフ回しの妙、シナリオの整合性だけが気になるらしいです。だから、監督なんて気になりません。

と言うか、そう構図やらを気にさせたら、監督としては失格なんではないだろうか。そのシーンで魅了しなければならないのに、バックステージとも言える構図やなんかを素人に言われたら、お終いだと思う。画面に引き込まなきゃなぁ。と思うのですわ。

私が、映画や小説を選ぶ基準は勘(笑)。CMなり、立ち読みなり、本屋うろついているとき、ビデオ屋うろついているとき、なぜか目に留まる作品をチョイスする。だから、深夜の映画なんて大変有り難い。時間とチャンネルが整合したと言うだけでも、縁でしょう。

『マッドウーマンの告白』も深夜で見たし。ただ、テレビ局の方のセンスに依存するのでね。大阪の局は、大変にセンスが良くて、お世話になったものですが。シネマチューズデーとかで、モノクロ怪奇映画特集なんて、感涙でしたわ。特撮スカスカだけど、シナリオ、脚本が良くて、モノクロームの映像が、また切なさを助長するの〜。

…広島はネェ、深夜なのにハズレない格落ちした有名作とか、ヤクザモノVシネマとかばっかり…センス無いよ…しくしく(T.T)


左対左(2002/3/2)
野球で定番の戦術なのだが、本当に効果的だろうか?。左バッターは、左投手の球が見えにくい。と言うのだろうが、右対右は、ざらに起きており、と言うかデフォルトスタイルであるから、別に意味はないと思われる。

左ピッチャーは、希少であるから、左バッターはあまり対戦したことが無く、感覚が乱れる。と言うものあるだろうが、それならば、左ピッチャーも、左バッターとあまり対戦したことが無く、感覚が狂うのではないだろうか?。まぁ、打席の右左は、訓練で変更できるので、左ピッチャーは、それなりに対戦したことがあるのだろうけど。

変則スタイルで感覚が乱れるというのは、確かにある。私も柔道をやっていた頃、相手が左で組んでくると、惨敗であった。打撃系格闘技はともかく、組み手系、特に掴む場所が限定されている柔道で、左でやるのはとても意味がある。しかし、野球に関して、変則というのなら、利き腕の左右だけではなく、投球フォームの上下もあるわけで、野球経験がないので何とも言えないが、私なんかは、右左がどうこうよりも、ピッチングフォームの変則投手の方が打ちづらいと思うのだが。

野球黎明期の頃ならいざ知らず、これほどセオリーと技術が進化した現代日本野球で、左対左はピッチャー優位。と言うか、ピッチャーが抑えて当たり前。と言うのは、通用しないのではないか、とオープン戦の解説、実況を見て思ったりした。


不思議発見?(2002/3/3)
熱病にやられたかの様に、各番組でハリポタの次は、ロードオブリング特集…つーか、これは映画用タイトルで、原題は「ロードオブリングス」で、統べる指輪、つまり「指輪達の王」の意味。だと思う。版権絡みで、複数形を取ることは良くあるのだわ。

ともあれ、世界不思議発見も番組的には危機に陥っているらしく、老舗らしからぬ客のご機嫌を伺う姿勢が気に入らない。私が高校生の頃からやっているのだから、はや十年以上、大したもんではあるが、なんか昔に比べて情報価値は無くなり、表面だけの知識になっちゃったなぁ。昔は、黒柳さんなんて、メモ取りながら、番組に参加していたぐらい、古代史の知識に満ちていたのだが…アドバイザーやディレクターが変わったせいだろうか。

ともあれ、指輪の起源を石の輪(原始人のお金みたいなの)に、求めてた。それには、別段意義はないんだけど、石の輪の起源が、輪に不思議な力があるとか、太陽の力を閉じこめる。と言っていた気がする。それも、間違いではないだろうけど、あくまで素材を石にこだわったと言うことと、その石の輪の女性がくぐると、子宝に恵まれる。と言う効能から、間違いなく産道の模倣魔術であろうな。

古来より、遺跡が洞窟に作られるのは、洞窟が産道であり、その先の空間が子宮を示している。つまり、誕生を遡り、再度、子宮から誕生することを模倣しているのである。死者を弔うときは、再度の復活を願い、宗教儀礼(イニシエーション等)を行うときは、一度死に二度目の生を受け、生まれ変わったことを意味しているのである。

それ故、石で輪を作ることをに固執したのなら、産道。つまり生まれでるエネルギーの出口の象徴であろう。似ているモノを持つことによって、その力を得ることが出来るとする模倣魔術である。太陽の力を閉じこめるなら、石よりも、木(ケルトなら特に樫)を利用するはずである。

余談であるが、チーズ転がし祭りであるが、転がしたチーズを掴むと幸運が訪れる。との事から、チーズと一緒に男達も、斜面を転がり落ちるのだが、その姿は「諏訪大社のご神木祭り」を連想させる。あちらも木の先頭に座り続けたままでいる事が尊ばれる。どちらも、人柱と言うか、人身御供の名残を感じさせる儀式である。


指輪(2002/3/4)
そう言えば、結婚指輪を左手の薬指にはめる理由をご存じだろうか。
古代ギリシアでは、左手の薬指は心臓とつながっていると考えられていた。西洋では、心すなわち魂は胸、つまり心臓にあると考えられていた。アステカなどでも、そうだろう。心臓を捧げると言うことは、魂を捧げると言うことだろう。西洋のファンタジーで、「何とかの心臓」と言うアイテムが多く出るのも、そう言うこと。

シグルスもファフニールの心臓をなめたことで、鳥の言葉を理解する様になったし、ジークフリートも血を浴びて不死身になった。血の根元は心臓であるから。

話はそれたが、心臓を象徴している左の薬指に、指輪をはめる。と言うことは、心臓に輪をはめられると言うこと。それはすなわち、魂に首輪をはめるようなもの。と言うことです、そのために、指輪の内側に相手の名前を彫るのですね。

そのため、指輪物語でも、魔王の作った一つの指輪、統べる指輪を付けていると、魂が悪に染まって行くわけです。

ちなみに、日本人は「魂は腹にある」と考えていますので、結婚指輪の魔法も効かないのかも知れません。腹黒いとか、腹を決めるとか、色々と言葉がありますから。中でも、切腹は「俺の腹は、こんなにキレイだ。無実なんだ。見せてやろう」と言う事を体現しているわけです。


森村泰昌(2002/3/5)
美術家なんだけど、NHKのスタジオパークで、ゲストだったのだが、その中で超・美術鑑賞法「脳の初期化」と言うのを言っておられた。

解説や著者名などの事前情報を消し、絵だけを見る。と言うものである。その説明で「解説文なんかを見て、納得、理解するのは脳であり、心は分かってない」と言う意図を言っておられた。「分かったつもり、何となく分かった気がするのは、頭だけで理解しているからで、心は理解、納得していない」とも言っておられた。

それを聞いて、ああ、なるほど。と思ってしまった。脳を感動させるのではなく、心を感動させるのだなぁ。


断末魔(2002/3/5)
現実世界の悪党の断末魔。と言うか、崩壊の幕開けとなるモノに気が付いた。「証拠を出せッ」である。渦中の人、鈴木宗男もこの発言を最後しているし、埼玉だっけ、保険金殺人の主犯も「証拠がないでしょ」とか言っていたような気がする。

証拠を出せ。これを分析するに「俺の仕事(陰謀術)は、完璧なはずだ。俺の仲間も俺を裏切るはずがない。俺の痕跡をこの馬鹿どもが掴めるはずがない」と、必死に自分に言い聞かせているのだろう。冤罪ならば、証拠など元々あるわけが無く、要求しようが無い。故に証拠を出せ。とは言えないし、発想もしないのである…と思う。

ともあれ、自称知能犯達は、証拠がなければ、罪は確定しない。法治国家ならば、罪が確定しなければ無罪である。と言う点に頼ろうとして「証拠を出せ」と言っているりだろうナ。


傾向(2002/3/6)
このサイトの傾向であるが、なぜか土日、休日になるとアクセス数が減る。と言う事実に気が付いた。みな、仕事中とか、昼休みにとかに、会社や、学校からアクセスしているのだろうか?。素朴な疑問。

などと気を抜いていたら、平日のアクセス数も減ってきました。昨日今日と6人。そう言えば、フリーシナリオとか、進めてないしなぁ…売りのクセに、品数少ない(しかも程度が良くない)という体たらく。頑張りますので、気長に見守っていて下さい。


フマクト(2002/3/7)
フジTVの時代劇の新作「盤嶽の一生」なのだが…どうも、イマイチ。今の世知辛い世の中に、純真かつ純朴で、どうにも熱い主人公の浪人盤嶽の生き様を描く。と言うもので、監督が市川昆だったかな?。

確かに、カメラワークとか、演出とかは上手いんだけど、シナリオがなぁ…騙されて、また騙されて、それでも人を信じる盤嶽。と言うパターンで行こうと思っているのだろうけど、純真、純朴で誠実な生き様を描いているわりに、物語に清涼感がない。爽快感はある。殺陣は見事だし、斬九郎の旦那にも勝るとも、劣るまい。

しかし、清涼感と言うか、清々しさが無いのである。言い様のない、後味の悪さだけが残るのは、なぜなんだろう…斬九郎がやるせない結末を迎えながらも、なぜか清涼感のあるエンディングとなるのは、なぜなんだろう。盤嶽は、一見全てが円満に事を終えたように見せかけながらも、実は何も解決していない。そんな見せかけだけの決着が、後味の悪さの原因だろうか…

表題のフマクトは、ルーンクエストの神の一人。一生嘘を付かない。と言う誓いを立てる代わりに、任意の武具の硬度を1.5倍にしてくれる加護がある。盤嶽は、剣のAPが1.5倍なんだろうな(笑)。


マキコとムネオ(2002/3/8)
この結末は、小泉内閣を瓦解寸前にまで追い込み、田中真紀子を葬った、対して、ケツに火がついていた(色々と内偵が始まろうとしていた矢先らしい)鈴木宗男を切るだけですんだ橋本派の戦略的勝利だと思っていたのだけど、ちと評価が入れ替わるかも知れない。

田中真紀子が、ココのまでの余波を計算の上で、あの争乱を、断固相殺を起こしたのならば、外務省の腐った部分だけではなく、旧体制の主力、橋本派すら崩壊させることに成功したと言える。実は、やり手なのか…田中真紀子!!。

なワケないな(笑)。予想以上に、鈴木宗男のやり方が雑すぎたし、それに依存しすぎている橋本派、と言うか自民党の腐敗ぶりが、タイルの端が剥がれただけで、床が抜けるような組織だと言うことか、自民党。本当に、政治屋すらいなくなってきたなぁ…頑張れ、ヒロムちゃん。


戦斧(2002/3/10)
ファンタジー物で、大抵、無骨な大男が振り回す戦斧であるが、日本で想定されているサイズは、巨大すぎるのではないだろうか?。戦闘用から、民間に落ちたと言うよりも、木こりや水夫たちが、手近にあるものを武器として使ったのが、始まりだろう。

打撃点となる刃の部分を巨大にし、先端に重心を集めているため、より少ない力で、より大きなダメージを出せるように設定しているのが斧であろう。柄の部分を長くして、遠心力を高めるより、柄は少し短めにして回転速度を上げた方が、ダメージは大きく、目的の場所に命中させやすいハズだ。

木こりもまた、目的の場所に命中させなければ、木の商品価値を下げるだけでなく、切るのに時間がかかり、また樹木の倒壊方向を想定するのも、難しくなる。考えられている以上に、斧の命中率は、高くないといけないのだ。

故に、長剣と呼ばれるモノの長さが、1メートル程度であることを考えると、戦斧の長さは、せいぜい60センチが関の山であろう。1メートルと言うと実に短く感じるが、実際に一メートルの棒を持ってみると、意外と長い。学生の方ならば、数学教師がたまに持っている、1メートル物差しの長さを思い出して欲しい。

ちなみに、江戸期の日本刀の刃渡りが80〜90センチ。柄を含めても、1.2メートルが精々だろう。と言うことからも、1メートルの意外ほどのリーチを感じて貰えると思う。量販店の園芸か、作業工具のコーナーに行って、大きめの手斧が意外に大きいコトも、工事用のハンマーが巨大に見えて、実寸は1メートルも無い…ハズだ。計ってないし、目算に自信が無いので、計った人がいたら、教えて下さい。

ロードオブリングを見た知人から、ギムリのは戦斧では無くて、手斧だ。と言う感想を貰ったので、ちと夢想してみた。


人体発火(2002/3/13)
火の気もないのに、人の身体が火に包まれる。と言うものであるが、事件、事故とでは、雲泥の差がある。本当の人体発火は、手首や、足首だけが燃え残るコトが多い。燃え残ると言うよりも、焦げてもいないコトが多い。加えて、裾や袖口、靴なんかも残っている。人体よりも発火点の低いそれらが、焦げもせずに残っているのだ。

さらには、イスやソファ、布団と言うかベッドが少し焦げた程度で残っている。人体を焼くには、2000度近い温度が必要で、当然部屋の方が先に燃える。火葬場でも、少なくとも1時間以上の時間をかける。それほど、人体と言うものは、焼けにくいのだ。だから、アウシュビッツで、人間を焼いていたというのは、情報操作だろうな。焼却に使うほど、潤沢に重油があるなら、燃料切れで、戦車を大量に放棄するはずがない。

話がそれたが、そんなわけで、どんなに人為的でも火を使っていれば、外側からゆっくりローストしていくので、検死で分かる。消し炭になった身体部位が残ることはあっても、肌の色を留めたまま残ることはないし、部屋や地面に焦げ跡が付く。

一番、有力視されているのが、球電、プラズマボールである。確かに、これの巨大なモノが人体に直撃すれば、手足はピンク色のまま、燃え残るだろう。しかし、屋内ならば、部屋もただでは済まないはずだ。で、逃避先がパイロティクスと言われる発火能力、キングのファイアスターターとか、キャリーとかの力、人間の超能力。と言うことにされている。

魔法と超能力の違いって、ドコにあるんだろう。古代人は、パワーソースに神や自然の力を選んだ。現代人は、パワーソースに自分自身を選んだ。それだけの違いかな?。だとすると、人間って随分と傲慢になったんだなぁ…それとも、自然や神と言うものに頼らなくても、依存しなくても、奇跡ですら自分達でなんとかする。と成長したのだろうか…


立て、若人よ(2002/3/14)
もう、一ヶ月も前になるのか、掲示板でうぃざーどH さんの書き込みに対する自分(管理人)のレスを見て、奇妙な(高揚感に近い)感じを受けていたのだが(うぃざーどHさんは、気分を害したであろうけど)、ようやく、自己分析完了。

私も、希望と理想に熱く燃えていた頃(今は、残り火だ)、大人というモノは、どうして、イチイチ水を差すような事ばかり言うのだろう。どうして、素直に送り出してくれないのだろう。と、大変、煩わしく思ったものです。

自分が、大人と呼ばれる歳になり、ようやく分かりました。理想と希望に燃える若人に、ちゃちゃを入れるのって、とても楽しいのです。そして、若さと信念で、再度、自分の理想と希望に火を付けるのが、見たいのです。ってトコまで、考えているかは微妙ですが(笑)。歳の近い、MicronesiaWondersさんならば、この感覚理解して貰えるかと…まぁ、大人の理屈で言うと、こんな事で消える理想と希望ならば、所詮は、その程度の重要度。簡単に、捨てられる程度の代物と言うことですわな。

負けるな若人。君の理想と夢は、人生に敗北した卑屈な大人もどきの讒言で、消沈、霧散してしまうものなのか。立て若人よ、栄光を掴め。人生の充実感は、何を成したか。だけでは決まらない。自分の信念と理想に、どれだけ殉じたかで、決まる。諦めるな、思い続けろ、シュリーマンは、齢五十を迎えようかという時に、トロイの発掘を始めた。19世紀の50才となれば、現代では70程度だろうか。

夢を捨てず、追い続け、研鑽と努力を怠らなければ、必ず手中に収められる。因果応報、良きも悪きも、自分の行動次第。行け、若人よ、未来へ。諦めたら、終わりなんだ。いくら打ち倒されても、叩き伏せられても、自分が負けたと思わない限り、負けてないんだよ。逆に、相手に負けたと、思わせれば、戦わずして勝つコトもできる。加納治五郎先生の戦わずして勝つ。の真意だ。

とは言え、資質や才能に欠ける分野に、いつまでも、しがみつくのも愚かなこと。この見極めが非常に難しい。5浪とかして医学部を志しても、失敗して自殺してしまう人もいたりする。周りが、やんわりと諭すべきだったのだろうか?。それとも、諦めてしまった彼が愚かなのか。私には、答えが出せない。出せないからこそ、今の中途半端な私が居るのだけれど。

卒業、進学シーズンなので、真面目ぶって書いてみた。サイトの訪問者をネタにするのは、心苦しいけれども。まぁ、ご祝儀と思って下さい。あれから、書き込みがないところを見ると、アパート捜しとか、入学手続きで忙しいのだろう。と言うことを祈ってやまない。


ついでに(2002/3/14)
大変失礼な話だが、MicronesiaWondersと言うハンドル。最初に見たとき「マイクロソフトワード」と認識してしまい、どういう人や。などと考えてしまったコトは、秘密だ(笑)。

加えて、第二段階では…って、最近「加えて」ってよく使うな、私…第二段階では「ミクロネシアワンダラー」と認識してしまい「ミクロネシアの放浪者かぁ…さすがバイク乗り」とか思ってました。ごめんなさい。

ミクロネシアの神秘(不思議?驚き?)だったとは…気が付いたのは、三月に入ってからです、面目次第も御座いません。


北九州監禁事件(2002/3/15)
事態は簡単。少女の方が真実に近い。学校で元気に笑っていようと、一人で外出していようと、押し殺した心は、崩壊寸前だったのだろう。少女にとって、どれほど戻りたくない場所でも、そこに戻っていったのは、そこにしか少女の居場所が無かったのであろうし、戻らざるを得ない呪縛をかけられたのだろう。

PTSDと言う言葉で、簡便に済まそうしている気がするな。少し前は、トラウマで、その前は鬱病だった。流行言葉で誤魔化してはイカンよな。これらの言葉が、出版社がジャンルを設定したように、精神科医が分類し、治療マニュアルを作りやすいように言葉を作ったに過ぎない。心はとても煩雑で、繊細だ。考えているより、遙かに脆いし、思ったよりも強い。少女は一蓮托生の仲間であると思いこむことで、心をつなぎ止めていたのだろうな。そのため、少し事実を歪めている可能性はある。

逮捕された二人は、少女に虚言癖がある。と言っているが、当人たちの方に虚言癖があるのだろう。いくつも偽名を使い、時効となったとは言え詐欺罪で指名手配されている。公判で世間の前で、事実を明らかにする。と言っているが、この手のタイプは、自分を賢いと勘違いしており、喋るとボロボロと嘘が露見するだろう。

容疑者の弁護士の顔を見たが、とても有能とは思えない。口調も横柄で、独善的で、スネに傷が有りそうな弁護士だった。きっと、公判で恥をかくだろう。あまり大規模な刑事事件を扱った経歴はなさそうだしね。

だいたい「いずれ皆さんの前で事実を明らかにします」と言うのを分析すると、「今は上手い言い訳が思いつかないから、時間をくれ」と言うことなんだろうな。鈴木宗男もそうだし。ボロボロ出てますな。そうそう、この鈴木宗男だが、死なばモロともで、自分の罪状を吐露したら…小物だよなぁ。元から、匹夫奸臣だけどね。


戻りハガキ(2002/3/17)
いわゆるアンケートハガキなんだけど、とある作家さんのサイトで「購入者には、大変、好評だが、さっぱり売れないと言う、いつもの状態に…」と言う一文があった。ふと、立ち返って、アンケートハガキにわざわざ切手を貼って投函したり、サイトの掲示板に書き込みすると言う人は、その内容に感銘を受けたか、心酔したかでないと、アンケートハガキ投函したり、書き込みしないと思う。

荒らしとか、余程、頭のわるい連中で無い限り、反論したり、攻撃的なコトを書いたりはしないわな。クソゲーだったり、つまんない小説だったり、可もなく不可もない作品だったら、普通の人は、投函したり、書き込みしたりしないであろうと。

つまり、アンケートハガキは、ファンレター扱いであろう。アンケートハガキで、統計を取れば評価点は高くなるのである。もちろん、プレゼント狙いとか、週間、月刊誌など競作の場合は別だけど。

そんなワケで、アンケートハガキで好評を奏しても無意味であり、ただの組織票でしかないのではないかと思い至った。販売数に対する、アンケートの回収率。それが、評価ポイントなのではなかろうかと。とは言え、私は一般人なので、どの位の率で、荒らしや暴言アンケートが有るのかは知らないので、何とも言えないけれど。

私も、あまりのひどい内容に、アンケートハガキで、ケンカ売ったことあるけども…ちなみに、ペルソナ2罪ね。詳細は、merdreを見て下さい。ニャルラトホテプの名前を出すほどの役回りでもないしね。彼をラスボスに設定すること自体、逃げだ。あと、フェアリーテイルのネクロノミコンにも怒りのハガキ出しました。あれHPLの「インスマスを覆う影」そのまんまなんだもの。まぁ、翻案とか換骨奪胎とか、言うのならば、なんとか我慢…できないなぁ…インスマスに、エロ加えただけ…骨子同じだし…

でもまぁ、戻りハガキ出すだけ、まだマシと言えましょうな。呆れて、怒る気力もなくなる奴あるし。


バキュームエナジー(2002/3/18)
以前(2001/12/4)に書いた真空エネルギーだけど、古い(1993)雑誌を見ていると、すでに紹介されていた。つまり、真空と言う空間は、全くの無の世界ではなく、物質と反物質が生成され、消滅していて、トータルゼロの空間と言うことらしい。

エーテルの定義は「全宇宙にみなぎる神聖な発光性の物質」である。これが意味するモノが、宇宙、つまり真空に未知のエネルギーが満ちている。と言う意味だとすると、真空エネルギーとは、まさしくエーテルと言えないだろうか。

物質と反物質の消滅時に、発光しているのは、NHKで放送していた海外番組で実験映像があった。ドコン族が、白色ワイ星を知っていたりと、古代文明における天文分野の知識は侮れないことが多い。そうした失われた知識の末端から、エーテルの存在を検知したとしたら…話のネタとしては面白いね。

ともあれ、未知のエネルギーで満ちている。所詮科学も視点の一つに過ぎない。世界は、いつの時代も神秘の世界だ。目を開き、耳を澄ませ、大気の振動を肌で感じ取れば、すぐそこに不思議がある。


春来たりなば(2002/3/19)
冬用のグローブをしていると、手がちくちくして、むずがゆかった。もう春なんだなぁ、と感じているライダーも多いでしょう。

私は、グローブが嫌いな方です。指先の感覚にこだわる方なので、グローブをつけると感覚が狂うのですな。安全を考えると、季節を問わずつけておいた方が良いのだけど。指切りグローブ(指の部分がないグローブ)だと、妙に勘違いしている浮かれポンチと思われたくないしなぁ。

と言うよりも、イエローコーンの指切りグローブが、たかだか一ヶ月の野宿ツーリンクで、縫っている糸が切れるというボロさ。縫っている箇所が多い分、ダメージに弱いのかも知れません。

加えて、私は、手のひらも大きく厚く、指も長いので、既製品では滅多にあうグローブがありません。大抵は、指の部分が短くて、詰まった感じがするので、グローブが嫌いなのかも知れません。JRPでイージーオーダーグローブ…作るだけの金がない。

と言うわけで、指の部分がないグローブに選択肢が限られるのですが、イエローコーンの指切りグローブが、たった一ヶ月の野宿ツーリングで、縫い合わせている糸が切れてしまったので、それ以降、買ってません。口の部分が多く、縫う箇所も増えるのでダメージに弱いのかなと。あ、別に転倒してませんよ。普通に運転してて、糸が切れやがったの…イエローコーンが悪いのかなぁ…

とは言え、指切りグローブは、浮かれポンチなデザイン(金属プレートが付いていたり)か、爺くさいグローブ(ゴルフグローブみたい)なのしかなくて、難儀します。なんか良いのはないですかねぇ…


二島先行返還(2002/3/20)
鈴木宗男のアレだが…ドコが悪い?。こういったモノは、まず返還した。と言う事実を作ることが大切だ。一島でも、ロシアが返還すれば、本当は日本の領土でした。と言うことを、暗黙の内に認めたことになり、突破口となる。既成事実というモノは、陰謀劇では大切なのだ。

所詮外交なんざ、きれい事では何一つ解決しない。口八丁の狐と狸の騙しあい。それを露呈する外務省の感覚に疑問を感じる。危機感つーか、外交って、ご近所の挨拶回りだけじゃねぇぞ。菓子折(ODA)持ってまわれば良いってのか?。

と思っていたら、ワイドショーなんかでも、良識のある人からは「鈴木議員を庇うわけではないが、別段問題ない。出す外務省の方が間違っている」と言う声があったので安心。この件で鈴木宗男を揶揄していたら、そいつは愚か者だ。森元総理の第三国で発見したことにしよう発言、田中真紀子の台湾自治領化発言と並ぶ、大失態。それを外務省がやったらなぁ…。

あと、鈴木宗男の場合、二島の地主に会うなどして、二島返還に伴う利権を狙っていた。と言う弁もあるだろうが、過去、失地を回復する際の軍議で、貴族たちが熱心に語り合ったのは、自分の領地を真っ先に取り返したかったからだ。民主主義と言われていても、所詮、世襲制の貴族院である日本の国会、そんなもんだろう。

二世、三世議員、小渕の娘を推挙し当選するような時勢だし、秘書にしたって選挙の地盤を受け継ぐためにヘイコラしているワケで、それって選挙的な養子縁組だしな。派閥と言う家名に集う、一族郎党。

田中真紀子が自民党をけなしながらも、居続けているのは、父親の派閥を分割されたからだと思う。思い通りにならない玩具(小泉)に腹を立てて、騒いでいる我が侭な姫さんだしなぁ。生みの親、私が育てた。とか喧伝したクセに、今の立場は…節操ないよ…まぁ、元々政治信条のない人だから、しかたないか。

辻元議員も終わったね…あれだけがなり立てて、自分が疑惑の渦中になったら、小さくなって…いま国民が過敏になっているから、もうダメだろう。あの程度、誰を叩いてもあのくらいの埃が立つのだけど…桝添も出てこないし、巨泉も辞めたし…巨泉はダメだろうと思ってたけどね。今まで、重役扱いで、チヤホヤされていた人が、そのまま1からヒラからスタートできるワケない。まして巨泉の性格だと。

あんな匹夫なんかどうでも良い、問題は加藤紘一氏だ…相変わらず、純粋で誠実すぎて、バカ見る人だ…政治に理想を見すぎている…けど、本当はああいう人が必要なんだけどね…小泉なんて、最大派閥の森派でヘイコラしていて、構造改革って言っても出来る分けないじゃん?。と思う次第だ。最後の政治家の遺伝子もココで潰えるか?。理想なき、利権争いの魔窟と化すか、国会議事堂?。


盤嶽の最後(2002/3/21)
以前、フマクト(2002/3/7)で書いた盤嶽の一生だけど、なんで後味悪いのか、『緩やかに下降中』の管理人である榊さんとかと、掲示板でまったり話していてつながりました。

バカすぎるんだわ。自己の信念として『たとえ騙され続けても、俺は人と言うものを信じる』と言うスタイルではなく、ただ騙されていることに気が付かないバカなんだわ、盤嶽わ。ま、登場人物全て底抜けにバカだし、ストーリー展開も強引だし。

原作が、どっかの誰かの制作メモみたいなコトが書いてあったので、きっと局か製作会社のオリジナルなんだろう。メモ、つまりアイディアの段階ですでにダメだったのか、メモから上手く昇華させられなかったのか…原作をメモと記載する以上、メモを書いた人は故人なのだろうな。故人に文句言ってもしかないので、脚本やら演出が悪いことにしよう。

テレビの本書きは壊滅状態だぁね。三谷幸喜(だっけ?うろ覚え…王様のレストランとかの人)以外は、ダメなんかなぁ…と言っても、この人も痛くない。なんとか見ていられると言うだけで、ずば抜けて面白いと言うわけでもないけど。

まぁ、ドラマは斬九郎と鬼平と、再放送時代劇しか見ないから良いけど。石坂黄門も、八丁堀の七人だっけ?片岡鶴太郎が出てる奴とかもダメだね。キャラクターを書き切れていると言う点で、佛田八兵衛の方がマシだけど


ジミー大西(2002/3/22)
徹子の部屋に出ていたので、ダラダラと見ていた。やはり、幼少期に自閉症的な症状があったようだ。自閉とか、コミュニケーション能力の欠損と言うのは、もちろん、ただの弊害にしかならない場合もあるけれど、常人とは認識、知覚が異なるために引き起こされる場合が多い。

天才となんとかは紙一重。平たく言うとそう言うこと、アインシュタインも、エジソンも、その分野に進んでいなければ、ただの偏屈で頑固な爺に過ぎない。天才も、鈍才も、一般人から見た評価であり、当人にとっては、普通にしているだけなんだよね。

世に埋もれて行く、天才たちは、険しい山に住むペンギンの様なもので、自分の特殊能力を活かせる空間に出会えていない場合が多い。多分に、自閉的症状を持っているので、外の世界に出ることが少なく、従って、自分の能力分野に出会える率は低い。もしくは、無理解な周囲に矯正させれるかだ。芸能界という異能を良しとされる世界にいたことは、素晴らしい利点だったのだな。

ちなみに、私も一〜二歳まで、喋らないわ、ハイハイしないわ。小学校時代は、本が友達だわ、今はプチ引きこもりだわ。でも、天才児も役に立つ天才と、そうでない者。金になる分野、ならない分野があるので困ったもんだ。

私が自覚したのは、『自閉症児には、一度入ったことのある部屋のモノの配置が、次に入ったときほんの少しでも変わっていると、非常に気にして元に戻そうとする』と本に書かれていたのを読んで。

私、モロこれなんですわ。雑誌の向きが変わっているだけでも、気持ち悪い。まぁ、私の場合は、出ていったときと、戻ってきたときの違いが気になるのだけどね。あと感覚器官の異常発達も少し…

私は「もう少しで天才と言う自閉症のカテゴリーに当てはまる人間」なんですけどね。どうせなら、芸術的才能とか金になる分野が発現して欲しかったぞ。それとも、私は私の海と出会えていないのだろうか?。


大西画伯(2002/3/22)
ちなみに、ジミー大西の絵は、絵としては決して上手くない。だけど、構図と色彩は素晴らしく、それらで魅せるタイプ。オリエンタルで、サイケデリックな色彩は、ヨーロッパ人の考えるアジア観とマッチして、人気が出るのもうなずける。私は好きではないが。インドととか東南アジアテイストの色彩だ。

ジミー大西は、ナチュラルにやっていて、彼の目には、本当にああいう色彩で見えているのだから、なにも文句はないが、あの域にたどり着こうと、意図的に崩している抽象作家、現代芸術は好きではない。作為が見えすぎてダメ。賢しいよ。

現代芸術は、すべからくアートではなくパフォーマンスだ。気取って美術館で展示せず、そこいらの劇場でやってくれ。逆に言うと、ワハハ本舗も美術館でやって良いんじゃネェの。そんなレベルだと思う。ワハハ本舗に失礼な言い方だけど。

ピカソは、上方向に突き抜けたら、キュービズムに到達しただけ。決して崩したワケじゃない。崩したのは、常識人の常識であり、認知を激震させただけ。だから、キュービズムはピカソに始まり、ピカソが完成させ、ピカソで終了しているのではないかと思う。


幻覚もしくは霊感(2002/3/22)
霊視だとか、幽霊とか、私は基本的に幻覚だと思っている。以前に書いたかもしれないけど、人間は、目でモノを見ない。脳で見る。目の前にあるのに、気が付かない。と言うことで分かるように、脳が認識しなければ、見ていないのだ。さらには、脳内で瞬時に編成、加工、修正も出来る。

だから、幽霊とか霊視とか言うのは、脳内の記憶もしくは、記憶から生成された映像が、視覚と脳の間に差し込まれたモノだと考える。全体の9割ぐらいの霊魂を見たとか、霊能力だとかは、そうだ。残り1割は本物だけど。

脳に欠陥フィルターが存在するかも知れない自閉症児には、幻覚、幻視は頻発するのではないだろうか…脳の機能が上手くできていない乳幼児期の子供も、記憶映像と現実映像が混同して、霊を見ているとしか思えない行動を取るのではないだろうか?。

ジミー大西も、小学生の時、病死したハズのクラスメートを教室で見たことがあるとか、言っていたし。

ピーコも良く幽霊とかに出会うそうだが、男女がキスしているクロッキー画の舌が動く。と言うのをテレビで言っていたが、そらただの目の錯覚。ピーコも色弱の気があるのではないだろうか?。私なんか、水墨画の龍をじっと見てると、身体をうねらすし、眼球をこっちに向ける。絵画の写真を見ていると、浮き上がってくる幻覚をよく見る。写真部分が動いたり、うねったりもする。オカルト者にこれを話すと幻視能力者とか言うが、私は一笑する。幻覚だって。


男性脳と女性脳(2002/3/25)
脳のデフォルトは、女性脳だ。男性ホルモンが原型である女性脳を破壊して、男性脳に切り替える。と言うのが主流らしい。性同一性障害は、男性の場合、男性脳が不完全だったのだろうか。女性の場合、男性ホルモンが異常に分泌された結果なのだろうか…

いや、やはり直感力と言うか、感応力と言うか、そう言ったモノは女性に出やすいモノで、男に出るのはスンゲェ稀だよな。と言われたもので…占い師に女性が多いのも、女性の方が直感力に優れているからなんだけど…ま、最近、歳のせいかそう言った感応力とか、弱くなってきました。僥倖です。

自閉症の原因理由の一つにサーガディアンリズム(生体リズム)の異常と言うのがあって、生後十六週までに、自分の肉体リズムと、外界のリズムを同調させるらしい。これが不完全だと、脳の基本的な能力にも影響が出て、これが自閉症の原因では。と言う説らしい。色白の男子がかかりやすい。と言うのも調査結果として出ているようだ。

それらをリンクして考えると、芸術家に同性愛者が結構いたり、そう言ったモノを感じさせる人が、芸術家に多い理由になるのかなぁ…自閉的天才能力と、中性的な脳。詩人のランボーも両刀だったらしいし…

私、色白な上に、一日の生活リズムバラバラなんスけど…やっぱ、オレの脳は女性脳に近い形で残っているのかなぁ…うう、行き着く先は考えたくない…時に、芸術家で晩年、神経を患って狂死。って言う人結構いるけどさ、月岡芳年も晩年、神経を患って、妖怪を幻視、それを絵にしていた。とかね…でも、本当に視た人だったら、そう扱われるよね、やっぱ。市井の人間に、本物の能力が発露したら、そう扱われるよね。


社民党(2002/3/26)
あれ?金曜か土曜(22か23)の会見では、「秘書の通帳に全額振り込まれていた。通帳は古いもので、全く問題ない」と言う中間報告を出したんじゃなかったっけ?。ああ、五万円だけ残して、引き出すのは秘書の勝手ってコトかな?。

党ぐるみの隠蔽と言われても良いような発言だったのに、誰も突っ込まないんだよなぁ。

ともかく、辻元さんが。忍法「死なばもろとも」を発動させたけど、自分の首しめただけだったねぇ…見苦しいにも程があるわ…名義だけの秘書程度の詐欺行為は、ほとんどの議員、と言うか資金の足りない新人時代にみな通過しているだろう。

政治家は、理想だけでは無理だ。清濁あわせ飲むだけの度量が必要だ。そして飲み込んだ濁った水に毒されないだけの信念が必要だ。目的のために糞尿につかる気概。今の人は、その目的が自分自身の為だけ。ってのが問題なんだと思う。個人利益だけに埋没しなけりゃ、政治屋で十分だよ…つーか、政治屋もいやしねぇしな…。


MHC恋愛遺伝子(2002/3/28)
MHCとはウィルスとかを体内に侵入を防ぐらしいのだけど、ブロックできるウィルスの種類は限定されていて、融通の利かない局地戦タイプの遺伝子らしい。

だから、結婚によってMHCの種類を増やそうとするらしい。その為、MHCタイプが全く異なる異性に惹かれ、それが運命の赤い糸。と言うこと結論に向かっていた。フェロモンも、MHCデータをもって、相手に伝えるのが目的らしい。

しかし、それは最終決断時の選択条件であり、考慮項目の一つである。と私は認識する。運命の赤い糸とまで言うからには、異性との遭遇時の演出も手がけなくてはならない。

MHC情報の相違は、いわば本能と遺伝子が求める条件であり、脳が求める外見や性格、社会的なもの、年収とか資産とかと大差ない情報である。より強い子孫を残すため、と言う。しかし、現代では、強い。と言う条件に相違がある。社会的な強さ、精神的強さ、肉体的強さ、現代の都市部で生きるには、どれも必要だ。資産のある人間が、もてはやされるのも、より安全に子孫を残せるからと言えよう。

フェロモンはきっかけであり、MHCは結末でしかない。きっかけと、結末の間にある謎には、なんの答えにもなっていない。科学者とは、かくも愚かなのであろうか…数式は数式である。人は、生物は、乱数発生器である。同じ答えはない。間違いもない。


武道と武術(2002/3/31)
最近のテーマは、コレだ。武術と武道の違いは何か。武道を極めるとは、一射成仏とか、無我とか、無とか、色々在るけれど、私の出した結論は「勝敗の向こう側に在るもの」であり「肉体的、物理的な強さの向こう側に在るもの」が、武道だと信じている。

一射成仏も、無我の境地も、手段であり、状態である。言葉はどうあれ、一種の悟りの境地であり、精神状態を示すものだ。

道は、殉ずる道であり、己の状態を示す言葉ではない。もちろん、その境地を体得する事に殉じている人も居るだろう。しかし、無我の境地も、一射成仏も、武道にとっては副産物でしかない。

なぜ強くなりたいのか、なぜ勝ちたいのか、なぜ鍛錬を続けるのか。どうして強くなければならないのか、なぜ勝たなくてはならないのか、なぜ苦しい鍛錬を続けなければならないのか。なぜ、勝つために小手先の手段や、反則ギリギリの行為を使うと、非難されるのか。

かつて、合気道の開祖、植芝盛平は言った。「武とは、矛を止めると書く。武術とは、いかに戦わない様にするかを学ぶ術だ」と。柔道の始祖、加納治五郎は言った。「戦わずして勝つ」。戦えば必ず、勝者と敗者が生まれる。勝者と敗者は新たな火種となり、新たな戦いを産む。剣豪、宮本武蔵も、大悟(禅での悟り)を認可されて後は、常に丸腰であったと言う。

勝った負けたで、騒いでいる間は、術であり、スポーツである。だからこそ、武道の神髄は「勝敗の向こう側に在る」と私は思う。古武術の大半が他流試合を禁じたのは、そうした意味があったのかも知れぬ。勝敗を競うより、他に成すべき事が在ったのではないかと。故に技は衰え、心が誇大していった。隆盛した武術はスポーツに成り下がり、技が肥大し、心が消えた。

武道は、ドコにあるのだろうか。どこかで、細々と、だが脈々と受け継がれて行っているはずだ。



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