四月の夢酔


 


自論暴論(2010/04/01)
まぁ、私は常に暴論なワケですが。

さすがに、86GTでは、色々とかげりが見えてきたので、PCのパワーアップを図ろうと、当座のつなぎに96GTのSS(グリーンエディション?)でも。と思ったんですが、その値段で、電源買った方が後に続くのではないかと思いまして。

おそらく、グラボのベースラインが、メモリ1Gは当たり前な時代になりそうなので、今から買うなら最低でもメモリ1G。となると、どうあがいても、電源は650〜700W程度のものが必要。私の自論が、消費電力ギリギリの高品質の電源を使うぐらいなら、200W程度の余裕のある安い電源。なワケです。

車やバイクでもそうなんですが、どんな高品質エンジンでも、レッドゾーンに入れぱっなしでは、すぐにダメになる。電源だって、最大出力で延々動いてりゃ早くダメになる。って発想が、いまの電源評価者からすっぽりと抜け落ちてる気がするんですな。呪文のように「安電源は、マザボを道連れにする」って言う人を見るとよくそう思う。価格の口コミでも、大抵こういう事言う人が、勧める別製品は、余所からコピペしたようなラインナップだったりする。

まぁ、根本として、価格のレビューは、信者とアンチのバトルフィールドになっている事が多く、その銃火をかいくぐって必要な情報を集めるのが、真に賢い消費者。ちなみに、私の今の電源は、サイズのコアパワー2で、評価は低くなっているけど、もう二年だか三年だか、何の非もなく動いています。モニターも、LG電子の2242だったかな。これも、カメレオン現象が酷くて、交換して貰ったってレビュワーが二人ぐらいいたんだけど、全然そんな事無い。たしかに、残像がきつかったんだけど、スケーリングとかビデオ関連の設定を、モニターの主導から、グラボの主導に切り替えると、無くなった。おそらく、交換した人は、こうした設定を全くいじってないのではないかという疑念が。

往々にして、声の大きい人ほど、努力をしない人が多く、買ってつなげて動かないと「壊れてる!」とか叫ぶ、悪質クレーマー一歩手前みたいな!。そんな大見得を切って、安電源買ってマザボを道連れにされたら、指さして笑ってくださいませ。でも、実際ね、K社の低価格電源は、凄い高評価で、S社のエントリーモデルは、こき下ろされてるって、感情論だよね…実際、K社の電源ってあんまりいい話聞かないんだ、私の周りだと。まぁ、私が止めさせているって話もあるが。


そして、これはちょっといい話。
ペンタブレットで、絵を描いている人で、上手く線画が描けないって悩んでる人は、ペン先がどうこうではなく、筆圧感知レベルの調整を勧めます。私もそうだったんだけど、なんか偶然筆圧感知のレベル調整したら、ものすっごい描きやすくなってねぇ。まぁ、下手は下手のママなんだけど。タブレットの感知よりも、ソフトの感知をいじった方が良い。ソフトに筆圧レベル調整が無いならしょうがないけど。

だいたい私も、道具よりも人間の腕。と思うタイプなので、だからこそ、道具の調整の大切さが身にしみたというか。ちょっとした調整で、ずいぶん変わる物だと。まぁ、だまされたと思って、筆圧レベルの調整をしてみてください。紙に書いてた頃の感触が取り戻せるかと。


コウモリは所詮、蝙蝠(2010/04/06)
イソップだったっけ?。鳥と獣の戦いで、コウモリは優位な方へ往復を繰り返していたが、結局、どちらからの信頼も失い、仲間はずれにされてしまう。
短期的には、優位な方へ付く事で、上手く立ち回っている様に見えるコウモリの行動こそが、実は最も愚かな行動であると言う。ま、苦しいときの仲間、友人こそ、真の仲間、友人って言う話もあるわけで、苦境に立ったら、はいそれまでよってやってりゃ、そりゃ誰からも信頼されないよね。

と言う訳で、鳩の弟さんも、やっぱりボンボンと。コウモリはやっぱりコウモリで、誰からも信頼されない。信頼されないと、王様にはなれない訳で。どーみても、志あって袂を分かつと言うよりも、沈む船から一目散に逃げ出しているとしか見えないという。与謝野氏もねー。

かといって、穴の空いた船で、穴なんか空いてない、首まで水が来てるのに、溺れてないって、幻覚を見ている山本一太議員もどうかと思う訳ですよ。あの人、まだ小泉丸に乗ってるつもりで居るでしょ?。小泉丸はもうとっくに寧艦したのに、まだ現役と幻覚見てるわびしさ。執行部総入れ替えとか、一つ覚えのように言うけど、小泉総理以降、(選挙用の)顔だけで指導者をえらんで転けた事にまだ気がついてないとしか思えない。ま、小泉派を自負していたけど、小泉純一郎氏はあっさり切り捨てた訳で、政治的にも、信念的にも、そこしか拠り所がないんだろうけど。

執行部も、まだ、顔で選挙をしようとしている訳で、どっちもどっちって言えばそう。原点に返って理念で勝負しないとダメなんじゃないかと。自民党に政治をやらせたいと、国民が思わなきゃダメなんじゃないかと。今の思いつきと、その場しのぎ内閣で、信念のなさに涙しているわけだし。まぁ、国民もね、民主ダメだし、だめ出ししたばかりの自民に戻すと、自分の非を認める事になるから、別の何か…じゃ、次は、みんなの党。ってホントに衆愚つーか、単なる愚か者だよね、国民って。

かといって、理念でなくて、理想だけ見ている今の政権もどうかと…誰も現実を見ていないという…70過ぎた爺さんですら、現実を見てないという…まぁ、国民新党は、現議員がダメになったら、跡を継ぐ人居ないから、消えるけどね…最後ッぺのように郵政かき回して、本懐遂げた気になってるでしょ?。まぁ、個人や党としては本懐かも知れないけど、国として、国家として、それをする事が良い事かどうか…

郵政民営化で、郵政族はグダグダいったけど、サービスが向上したのは間違いないし、職員の愛想も、爆発的に良くなった事も間違いないわけで。
コウモリのように、信無く勢だけ見ても、愛想を尽かされ、かといって、ドン・キホーテのように妄想にとらわれても愛想を尽かされる。まぁ、でも、キホーテは、愛すべき人柄だった事が救いなワケだけども。


悪の秘密結社と自民党(2010/04/12)
って見出しを付けると、自民党が悪の秘密結社のようですが、違います。どちらかというと、民主党の方が、悪の秘密結社だよね。左派による世界征服狙ってるもん。そしてその論がまた、テレビヒーローに挑む悪の秘密結社なみにお粗末というのも似てるし。

本棚から、コーエイから出版された「TVヒーローに挑む悪の秘密結社の謎」と言う本が出てきまして、一時期流行った、???の謎系本。ただし、同人誌に毛が生えたような、って言うか、基本、同人誌だったよね、何とか研究会のような得体の知れない物ではなく、きちんと読める代物になっているのは、さすがコーエイ。

で、その中で「敗れても、敗れても、同じパターンで戦うのはナゼか」と言う章があり、そこでの論じられているのが、「強烈な成功体験によって、ヒーローの出現という状況変化を正しく認識できず組織の方向転換を難しくしている」。コレって、まさに今の自民党だよね。こんな上層部じゃ戦えない。と嘯いている山本議員や桝添議員が、まさに、負けても、負けても、同じパターンで戦い続けている悪の幹部そのもの。

小泉時代の強烈な勝利体験がぬぐいきれず、何とかの一つ覚えのように、犬の卒倒(ワンパターン:昭和中期ギャグ)を繰り返しているという。この二人が言っているように、実際に執行部を極端に若返らせたら、国民の見る目が即変わるかというと、絶対に変わらないし、例え、総裁に桝添議員、幹事長に山本議員ってなったところで、大差はあるまい。それどころか、崩壊が確定したと思う人も少なくないだろう。そしてなにより、桝添議員も山本議員も、執行部に入りたいとは絶対に思ってないはずだ。この二人がやっているのは、詰まるところ階級闘争であり、執行部という支配層に、反旗を翻しています。楯突いています。と言う事で、目先の人気を集めているに過ぎない。

現に、大臣時代の桝添氏…なにやった?。何か信念と、具体案を持っているかというと何もない(と言うか、見えてこない。伝わってこない)。ただ、遠くから吠えているだけだ。この二人、参議院だし、どうも改選区のようで、自己保身の焦りとしか見えない。そして、唯一となった成功体験、しかも、強烈かつ猛烈な成功体験である、小泉方式、選挙の顔方式にしがみついているようにしか見えない。階級闘争をする人間は、突き上げるときは元気なのだが、責任職に就くと急にしょぼんとなっちゃうのが特徴。今の民主がそうだよね。左の思想が世界をダメにする。正直、今一番落選して欲しい議員は、この二人だ。

コーエーの本では、この章をこう結んである「いつまでも、同じようなやり方で頑張っていては、それが状況に順応できなくなった段階で滅ぼされ、新しき物に取って代わられるのが、あらゆる組織の運命なのかも知れない」


線と色(2010/04/18)
wacomの企画「クリエイターのわ」のインタビューの中で、「彼女の線へのこだわりは凄い」とあるのを見て、ふと思い出したのが、太田出版のアストロ球団での巻末解説の車田正美先生のコメント「今のマンガのように「色が付いてますよ」ってカラーではなくで、ある意味、キャラクターの感情までもが色で表現されていた」と言う所。

最近のマンガは変わりましたけど、昔のマンガって、本当に線だけで描写されていた。カケアミとか、効果線?、集中線?とか、まぁ、デジタルツールがないから当然なんだけど、トーンなんてのも、殆ど使って無くて、線で表現されていた。

と言うのを踏まえて、線だけで表現が完成しているとしたならば、それは漫画的手法なのかと。いや、善し悪しとかでなく、方向性としてね。油絵にしろ、水彩にしろ、下絵はあくまで、構図を取るための下書きで、油絵なんかだと確実に消しちゃう。色の濃淡で表現するのが、絵画的手法なのかとか。

とか考えると、例えば、筋肉の隆起を線で表現するのか、色で表現するのか、線が主体なのか、色が主体なのか、それによって方向性は大きく異なるわけで。デジタルツールの進化によって、マンガで言うところの、ペン入れ。と言う作業の意味が変わりつつあるよなぁと。昔の印刷技術では、鉛筆で描かれた物は印刷できなかった。だから、ペン入れって作業が必要だった訳で、今、デジタルツールで、ペンタブレットなんかで、直接描けば、鉛筆の質感を残したまま、印刷は出来てしまうと言う。

と言うと、あえて、鉛筆の質感で描いてますってのも、アリな感じになるわけで。現に、鉛筆下書きのような状態に、水彩画風の色を付けてる人って結構居ますよねぇ?。てな感じで、自分の表現の主体が、線にあるのか色にあるのか、一度考えてみるのも良いんじゃないかなぁと思った訳ですわ。脳内でも、キレイにまとまってないので、なんかわやわや。


句読点とカレー(2010/04/18)
久しぶりに「句読点が多すぎる」と言う人のサイトを見かけまして、確かにその人は、殆ど読点を打っていない。それはもうスンゲェ読みにくいレベルまでに、打ってないという。それはそれで、どうなのかと思ったわけですよ。例えるなら「それはそれでどうなのかと思ったわけですよ」という感じ。私からすると、平仮名が続きすぎて読みにくいだろうなぁというので、打つワケですが。

ま、それはそれとして、句読点の多い少ない……句読点が少ないって文句言う人はほとんど居ない事に気がついた……ってのは、やっぱり、偏執的な、今風に言うと粘着気質なんだなぁと。結局、読みやすい、読みにくいってのは、好き嫌いの話であって、例えば、カレーで「野菜がゴロゴロしているのが好き」いやいや「溶けてペースト状になってる方が良い」っての同レベル。カレー屋に行って、「野菜がゴロゴロしている/していない」と言って、店長呼び出す人は、まず居ないし、居たとしても、病院行けば?って話になる。

それと同じで「お前の文章、句読点が多いんじゃ」とか言うのも、病院行けば?ってレベルだよねぇ、結論として。まぁ、偏執的な人は、多分に想像力が欠如している事が多いので、詮無いのかも知れませんけども。コレの原因めいたモノとして、マンガがあるんじゃないかと。マンガのセリフって、句読点をまず打たない。句読点の多い少ないが、マンガのセリフを基準点にしてしまったからではないかと。漫画家の文章も、多分に句読点が無い傾向があるし。

句読点が多いと余計な物が付いている。と言う、偏執な人からすると許せない状況。いわば、汚れが張り付いているのに等しいとか、そんな感じではないかと。だからこそ、句読点が少ないって文句言う人は居ないのではないかと。そんな訳で、句読点が多いって、大上段に掲げていると、オレって粘着やねんって看板掲げているような物だと思います。最初に帰るけど、読みやすい読みにくいは、詰まるところ、単なる好き嫌いにしか過ぎないのだから。

しかし、なんで、マンガのセリフは句読点打たないのか…まぁ、打つほど長くない。吹き出しのサイズは決まっているので、半ポイントが惜しい。とかそんなレベルかなぁ。セリフ手書きの人も打たないのは不思議なんだけどねぇ。


バカの四月(2010/04/23)
ブルートの「四月馬鹿さ!」と言う回がナゼか忘れられない訳ですが。いや、本当に、四月馬鹿でなくて、馬鹿が動いた四月つーか、馬鹿が露呈した四月つーかね。

ホントに民主党というか、左というか、日教組というか、後付で理由付けるのが上手い…と言いたいけど、すぐにボロが露呈するのでヤッパ馬鹿と。普天間問題で「自公政権では、アメリカ軍のどの部隊が移転するかと言う話がされておらず、ただ移転するとだけ決まっていて…」とか説明していた議員がテレビで居たんですけど…

最初から、そう言うことを話し合っているのならば、自公政権に泥を塗れるチャンスを民主党が逃がす訳もなく、最初から口にしているはず。キャスターも言っていたが「そんな根本から話し合うなら、5月決着って短すぎますよね?」とか言われて、議員ははぐらかしてましたが。てゆーか、アメリカ海兵隊を意味を本当に理解しているのならば「どの部隊が移転するか」とか言わないはず。即応性が売りの、独立軍に近い存在だからして。無いのは海戦能力ぐらいだよねぇ。まぁ、やるとなったら航空機でやるだろうけど。まぁ、番組内ですら、空気冷め切ってたけどね。

てゆーか、徳之島っていうのも、ものすっごい詭弁やん?。確かに、県外だけど、生活圏は確実に沖縄準拠やん?。形だけ県外ですって、それで良いのか?。

存在感が無くなって久しく、旗印が欲しい改革クラブと、何でも良いから手下が欲しい桝添議員との崖っぷち連合が出来上がりましたが、まぁ、消えるでしょうね…新党ですって言いたいがタメの改名のわりに、改名感がないし。何度も繰り返すけど、桝添氏にあるのは、人気ではなく、知名度。コレはイコールではない。それに気がついてない政治家が多い事、多い事。だから、すぐに、愛想尽かされて支持率ダウンってなるわけさ。悪名は無名に勝ると言うけれど、悪名かつ無能で、知名度だけってなぁ。

一番可哀想なのは、谷垣総裁かなぁ。マーフィーの法則のこの言葉で溜飲を下げて貰いたい。
「馬鹿とは議論するな。こっちまで馬鹿に思われるから」

…党首討論見ると、ホントにそう思う。可哀想すぎるよ…自民は、離党者が多いって、周りは騒ぐけど、政権与党として長すぎたので、利権に群がるハイエナが離れていって、ようやくキレイな党が作れるんじゃないかな?。逆に、1から公募して、志ある人を集う方が良いと思うわ。FAで四番買い集めて、巨人はダメになり、一から育てて持ち直した訳で、某民主みたいに、昭和の方法で、有名人を寄せ集めてやるのも、もう限界でしょうなぁ。一から育てるべきかと。



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