2011
一月の夢酔

 


あけおめことよろ(2011/01/04)
この言葉も、定着したのか、飽きられたのか、騒がれなくなりましたな。と言うことで、この八文字。ネット用語などではなく、江戸時代にはすでに使われていたという由緒正しい(?)言葉。せっかちな江戸っ子が「あけましておめでとう今年もよろしく」なんて、長ったらしい口上は煩わしい。と「あけおめー」「ことよろー」で、すましていた。と江戸風俗研究家 故杉浦日向子先生が言っておられました。

ネットで流行ったのは…元々チャッター(ってもう言わないよなぁ)は、キータイプを少なくするために短縮する傾向があったので、単なるシンクロニシティと言うか、発想は江戸も現代も変わらないと言うことなのか。それとも、初期のパソコンネットなんてのは、大都市にしか無く(地方にあったとしてもかなり閑散としていた)。特に、東京を中心とする関東圏がメインで、あったため、江戸語が使われたか。どっちかだと私は推測しております。

さて、新年早々気になったのが、産経の「デジタルネイティヴ」の対談。内容は特になんかある訳じゃないんですが、デジタルネイティヴって言う言葉が…自分で壁を作った(パソコンなんて使えないと決めつけた)年寄りの逃げ口上なんじゃないかと。

何回か言ってますけど、車が普及したのは1920年代。それまでは、馬車とか馬が交通の要だった。車が当たり前になった時代、生まれたときから車がある世代をカーネイティヴと言うか?言わない。テレビが生まれ時からある世代をテレビネイティヴというか?、トーキー映画がある時代に、電話が当たり前にある時代に、飛行機が当たり前の時代に、とか、世界を変えたツールなどが普及した時代を逐一言ったりはしない。

とどめには、書き文字が普及した時代を文字ネイティヴと言うか?。笑うなかれ。文字こそが、上流と一般を分ける道具だった。古代においては、文字を読めるからこそ神官になれ、政治に関与することが出来た。キリスト教の僧侶がラテン語を使い続けたのは、一般大衆が使えない文字だからで、それに反発して現地語訳の聖書を使い出したのかルターだった。言ってしまえば、パソコンだって文字の延長線上にある。

図書館は、記録メディアが紙だった頃の最先端アーカイブ装置であり、蔵書目録カードをめくることと、グーグルなど検索エンジンで検索することに、大差はない。図書館一館だけの検索か、世界中の検索かの違いぐらいモノだ。あーっと、ネットは中身も同時に見れる強みもある。

まぁ、電話やテレビと比べれば、確かにパソコンは煩雑ではあるが、やってやれない訳がない。デジタルネイティブなんてのは、年寄りのやっかみに過ぎない。と私は思う。好奇心と、学ぼうとする意志、知識への闘争心があれば、必ず習得できる。

何かのコラムで読んだのだけど、日本人は闘争心を失っているのではないか。と言う記事があって、考えてみれば、豊かになると言うことは、闘争心を失うと言うことなのかも知れないなぁ。と今思った。口悪く言えば、周りを踏みつけてでものし上がろう。と言うのが闘争心だしねぇ。みんな仲良く、手をつないでゴールインなんて徒競走じゃ、闘争心どころか、成長もないよね。たしかに。

いきなり、「最大の敵は自分自身だ」とか「昨日の自分に負けたくない」とか、悟れる人ならいざ知らず(そんな小学生は怖すぎるけど、てゆうか、大人でもそんな人は聖人クラスだよね。口では言えるけど、実践はなかなかできない)、やはり、身近な人に勝ちたい、負けたくない。と言う気持ちから入るのが普通だろう。勝ちたいから鍛錬する、負けたくないから必死になる。豊かになると言うことは、必死にならなくても良い社会なんだろう。

世界の全てが一度にそうなればいいが、豊かな国とそうでない国はやはり同居する。栄華を極めたカルタゴはローマに滅ぼされ、ローマもまた豊かになった故に滅んだのか。永遠の繁栄を約束された千年王国が神話で夢想されるように、栄え続ける国が人類の永遠の夢であるならば、豊かさと衰退は表裏なのだろうか?。

第二次大戦での荒廃から必死に上り詰めた日本…いや、黒船によって地にたたき付けられた屈辱が、明治、大正の栄華を生み、昭和の敗北を決定づけたのか。江戸の繁栄が、黒船を呼んだのか?。とすれば、この世から闘争を消そうなどという考えに賛同する人間が大量に生まれた時点で、今日の衰退は確約されていたのか。ならば、次の栄華も確約されているのだろうか?。まぁ、その前に決定的な屈辱が、日本人に闘争心を呼び戻すのだろうか?。出口の光は、死神の鎌の向こう側ですか。


久方ぶりの(2011/01/10)
おすすめサイトなど、あげてみようかと。GAMELIFE
PCゲームのレビューサイト。と言うよりも、洋ゲー限定。有名どころなので、今更感はあると思いますが、まぁ、今更感はうちのサイトの売りですし。

このサイトの批評が、実に的確。FPSやTPSは、ゲームシステムよりもレベルデザインが、善し悪しを決めることが多いのですが、レベルデザインに言及しているのは、商業誌でもほとんど無い。まぁ、システムがレベルデザインを殺すこともありますし、レベルデザインがシステムをダメにする事もありますが。ともあれ、FPS、TPSに関してはここを見るのが一番確実。商業誌でさえ、というか、商業誌だからこそ、見た目(グラフィック)ばかり褒めていたりするが、ゲーム性あってこそゲーム。映像演出が優れているよりも、ゲーム性が高いことの方が絶対に良いゲームというモノだ。

私も、コールオブデューティー4をやって、演出過多が鼻についた側の人間。演出するがためのレベルデザイン(時間制限のあるマップは特にそう)がされており、極めつけは、見るだけステージなどもある。ストーリー的な伏線になっているわけでもないし、映画のような表現をしたというただの自己満足にすぎない。

レベルデザインって言うのは、まぁ、おおざっぱに言うと、面構成。どんなマップにして、どんな敵を配置して、どれだけの補給アイテムを置くか、どうすれば次のレベルにいけるか。と言う、日本人デザイナーが、もっとも苦手とするもの。その証拠に、日本製FPSやTPSってほとんど無い。目に付くのは、ガンダム:オペレーショントロイですが、あれのシングルプレイがどんなモノだったかは、言わずもがなでしょう。

TPS、シューターではなく、アクションですが、とにかく雑魚をワラワラと出せば何となくできあがる(メーカー側は考えてると思いますけど)レベルデザインをあまり考慮しなくて良い無双系ぐらいなものですか。まともなのは。と言っても、グラフィックレベルが上がりすぎ、雑魚AIがまともに機能してない気はしますけどね(ぼーっと突っ立っている率が高い)。

実はレベルデザインって言うのは、FPSとかだけではなく、SLGにも必要なモノ。と言うか、FPSがリアルタイムでやるSLGみたいなところあるからね。日本製の戦術SLGがほぼ壊滅状態にあるのも、レベルデザインが下手だからだろう。詰まるところ、敵の配置の妙や、マップ設定の妙など無く、敵のレベルと増援で事が済むSRPGになることが多い。

もっと言ってしまえば、レベルデザインというのはRPGにもある。元々D&Dでは、ダンジョン階層をレベルで表していた。つまり、レベルデザインは、その階に、どれだけの敵とどれだけの宝を配置するか。また、罠の有無などもある。D&Dは、戦闘で得られる経験値は無いに等しく、宝をどうやって持って帰るか。が肝だった。低レベルでは、HPも低いし、魔法の数も少ない、なるべく敵をやり過ごし、宝だけもらって帰るのがベストパターン。

言うなれば、スニーキングゲームだったわけだ。ウィザードリィやウルティマ以降、経験値は戦闘で。と言うスタイルが当たり前になって、RPGからレベルデザインは消えていった。あるのはただの迷路と、ランダムエンカウントだけ。だから、迷路を難しくしようとして、落とし穴やテレポーターだらけのダンジョンを作って、七面倒なだけの退屈なマップになってしまったりする。

D&Dにもふれたけど、TRPGでは不要なダンジョンは作らないし、ダンジョンこそがメインなのでソコにも物語がある。誰が、どうして、なぜソコに住むのか。考えずにダンジョン作る人は少ないんじゃないかなぁ?。それはつまり、そのダンジョンでプレイヤーに何をさせたいか。何を見せたいか。と言うデザインなわけですよ。


そんなわけで(2011/01/11)
GAMELIFEの過去ブログや批評を、だーーーーーっと読んでたわけですが、意見が近いから読んでて心地よいのか、それとも、まっとうなレビュワーなら誰しもたどり着く境地なのか。とかちょっと考え てみたり。

たとえば、Kane & Lynch: Dead Menの批評で「バッドエンドというのはその終わり方に何らかの意味、教訓、あるいは救いがあって始めて価値を持つわけだが、このゲームの場合は主人公が頑張って頑張って頑張ったけど、でも結局他人から唾を吐かれて終わるような展開。なんかこういうのは作家気取りの人間が書いた、意味深だけど中身のないラストとしか感じない。」とありまして、悲劇に対する私の考えと全く同じ。登場人物は救われなくても良いが、見てる側に何かしら救いを感じさせる話でなくては悲劇とは言えない訳ですよ。

これって少数意見なのかなぁ?。それとも、ゲームライターが作家気取りばかりなのか。まぁ、気取りばっかよね。伏線も張れないんだもん。というか、伏線のない話でRPG作ったり出来るのは、天城雪子の「素材の味さえしない無味無臭料理」に近い才能だわな。

GAMELIFEの方は、リアルタイムステトラジーが一番好きみたいなんですが、私は一番苦手。ピンボールもダメだしねぇ。AVGもスイッチ系は私、イマイチですしねえ。話が合うような、ダメなような不思議な感触ですわ。しかし、こう余所様のレビューサイトを見るたびに、私のシナリオへの偏執は異常だ。と実感するが、物語あってのゲームですよ。特にRPGやAVGは。アクションにストーリーは求めませんし。ただ、FPSとか微妙なんですよね。話グダグダでも、シューター部分の出来が良ければ良いゲームと思いますし。

逆に言えば、シナリオ偏重だからこそ、私はエロゲをプレイできるのかも。ゲーム性という点では、ゲームと呼べませんモノね、大抵のエロゲ。

私も、英語が出来れば、洋ゲーもっとやるんだけどなぁ。洋ゲーは、絶対的にPCでmod扱える方が、何百倍も楽しい。それはオブリビオンで思い知った。全く別のゲームをプレイしているような出来の良いmodもたくさんあり(出来の悪いのもあるけど…素人だものしょうがない)、実際、FPSなんかではMODから製品化という、同人誌から映画化みたいなサクセスストーリーもあったりする。困ったことに、日本だとmod=違法改造=チートみたいな短絡する人もまだまだ多い。まぁ確かに無敵modとかもあるわけだけど。でも第一は、ドラクエとかFFとか弄りようないし、隙間ないのが大きい。デッドライジング2PCは、mod出来るかもだけどねぇ。武器modぐらいはありそう。コンストラクションキット公開すればいいのに。

私の英語力は、小学〜中学レベルの英文2-3行なら、ぱっと見で6割ぐらい意味つかめるんだけども。ゲームや映画の字幕みたいに、すいすい流れると、ついて行けなくて脳みそ破裂すると言う。五行超える長文でも破裂します。完全な受験英語だから、読めるけど書けない。聞けるけど話せないと言う(笑)。英語出来る人と話すと、「読めて聞けたら、話せるやろ!」と言うのだけど、日本語を英語に変換する能力が欠損している模様でス。と言うか、英語で発想しないと話せないよね。英単語が沸いてこないのよ、まったく。

まじめな話、ヒアリングと和訳の点はソコソコなんだけど、英作文壊滅的だったしね、学生時代…それでもまぁ、アナログゲーム仲間では、出来る方なんで「ここ訳せ」とか「このカードの効果ナニ?」とか、輸入ボードゲーム好きに便利に使われております。そもそもが、輸入物ルール読むためにじわじわと身に付いたわけですから。

ぶっちゃけ、一般会話に出てこない単語の方がよく分かるという。「clairvoyanceってナニ?」、「千里眼(即答)、ただ日本的な千里眼とは違う時あるから気をつけろ!」大概は遠くが見える能力なんだけど、マレに透視として扱ってるルールがあったりするという。そらぁ、受験には役にたたんわな。

そういえば、GAMELIEFでは、オブリビオンやfalloutの批評が無いんだよねぇ。シーフ(ゲームの方)好きみたいだから、オブリビオンのシーフ再現modとか好きそうなのに。私は元ネタのシーフがナニであるかをGAMELIFEで知りました。


埋伏の計(2011/01/13)
だっけか。敵方に、腹心を送り込むのは。まぁ、この記事。少し前の与謝野氏の「平沼氏も(大連立に)乗り気だった」発言から、おかしいな、この人 、大丈夫かな。とは思っていたんですが…あの発言、誰も得しないし、タイミング的にも最悪だし。案の定、即座に、平沼氏は否定したわけで。で、今回の閣僚起用なんですが…元々、この与謝野氏は虚言というか、鳩山氏以上に発言をころころと変える人。麻生政権時にも定額給付金を「高額所得者はもらうべきじゃない」と言ったハズなのに「くれるものはもらいます」とか、ころころしてた。そんな人を要職にって言う時点で、裏があるに違いないと。それとも、鳩山氏をいただく民主党にしてみれば、アレでも芯がある方なのだろうか。

そもそも、与謝野氏が、たちあがれ日本に参加したのは、「たち日」を民主側に引き込む役を、小沢氏から密命されていたのではないか。もっと言えば、自民党の切り崩し工作として、主義主張が違うが、かつての同級生で話しやすい平沼氏を的に切り崩したのではないか。その見返りに、連立が出来た折には、大臣の椅子が準備してあったのではないか。とか、色々妄想してしまいますな。

どちらにしても、沈む船の役職に就きたいと、離党脱党してまで、民主党にはせ参じるのは…盟友小沢一郎氏を援護するためですか?。与謝野氏が辣腕を振るい、民主党内での地位を確固たるモノにすれば、反小沢派も大人しくなると…なんたる内ゲバ!。火中の主君に、はせ参じる。なんという忠義。涙無しには見れませんな。

やめよう、持って回った皮肉が通じるわけがない。結局、小沢と言うジャイアンの、スネ夫の一人だったわけだ。その上、穴が開いた泥船に勇んで飛び乗る愚か者。小泉という板東武者が切り捨てた妖怪の破片が、思わぬところから出てきますなぁ。民主党にとりついた妖怪は、民主党をとり殺そうとしてますが、まぁ、民主党も、社会党という妖怪だったわけで。時代の変化を見ようとせず、神から零落した訳ですな、妖怪って奴は。

一番の妖怪は、左翼支持者なんですけどね。ブログなどでも、まぁ、よくも焦げ付いた矛楯だらけのドグマと、安田講堂の頃から変わらない、同じ言葉を使い回すこと、使い回すこと。どっちが保守、守旧か分からんね。革新、改革、革命というなら、まずは自分自身、自己組織を現代に合わせて変えて欲しいモノだ。


冬だもの(2011/01/15)
寒い日が続きますなぁ。何かのきっかけで、見てしまうのが、ネットの記事。と言うことで、ゲームの良作名作のwikiなどと言う不可思議なモノに当たりまして、たぶんあるんだろうなぁ。と思ったら、やっぱり有りましたよ、ペルソナ2と3。まぁ、信者も多いからねぇ、アトラス。と言うことで、記事見たんですけど…問題点とか賛否両論な点のところに、シナリオに関することが全く書かれていませんでしたー。

これは、アレですか?、完璧ってことですか?。それとも、触れちゃダメなんですか?。FESの方はシナリオの問題点書いてありましたけどネー。執筆依頼のとこに、アヴァタールチューナーも書いてあったりしたんですが、推薦文がごく短くて、絶対信者だなと。確信させるものでした。

やっぱり、ギレンの野望も世間的には名作らしく、記事も読んだけど、私には「?????」な内容。それのドコが戦略SLGとして良くできているのかと聞きたいほど。と思ったら、問題点のところに「詰まるところ 戦術級(補:訂正前は戦略級って書いてしまいました。肝のとこ間違えるか、俺。ハズカシー)。攻略目標が固定化され…」とあって、ああ、同じ感覚の人がいるのだとちょっと安心。

その反面、キャプテンラブとか纏組とか、ぜんぜん触れられていないという。やっぱり、工作員と信者の演説台ですかのぅ、良かれ悪しかれ。私は余所様のところへ、道場破りに行くほど物好きではありませんし、そもそも、好き嫌いは個々人の感性ですからね。そーかー、アレを名作と思うかぁ…と生暖かくもかわいそうな視線で見るだけです。私もそう見られてるでしょうし。でも、キャプテン信者としては、宣伝したくもあるんだけどねぇ。

まぁ、何より収穫は、思ったよりも、キチンと「伏線が投げっぱなし」「設定が未消化」とか言うのはクソゲー扱いされてたこと………それが分かるなら、何故ペルソナ3は突っ込まれていないのだ?。てゆーか、ペルソナ3って2006年だったのね…そんな新しかったか…ゲーム暗黒時代は2003年で終わったと思いたがっていたようですな、私。まぁ、確かに今でも抜けたとは言い難いですけどねぇ。そう言えば、魔人の新作、正式に中止を発表したとか?。正しい判断ではあるが、男気が足りぬなぁ。

話は飛ぶけど、ライトノベルってまともになったって言うけど、そうかな?。まぁ、手に取ることすらないから、何とも言えないけど、昔はホントに中身の軽い小説だった。たぶん、昔のライトノベルは、今はケータイ小説って言われてるレベルと思う。今のライトノベルは、昔なら本格小説とライトノベルの間に居たようなのから、正味のライトノベルまで、幅広くなってると思うんだ。

たとえば、クラッシャージョーとかダーティーペアって、ラノベ?、本格SF?。スターウォーズは?。キャプテンフューチャーは?レンズマンは?。トリガーマンはラノベと思うのだが、ジョーとかダーティーペアって微妙なラインよね。青の騎士もラノベ?。コナンとかも悩むよね。コナン悩むならパルプマガジンはラノベ疑惑が…とか。エルリックは本格だよねぇ、ザンスは?…やっぱ、カテゴリって無意味だよな。


少しまじめに(2011/01/30)
虫歯が進行中なのか、風邪を引くと歯が痛くなるように。歯というか歯茎あたりが痛いのですけども。風邪も治ったら、また引く。みたいな繰り返しで、なんの祟りかと。歯痛と頭痛でまともに考えられないのですが、まぁ、それでも隙を突いて漫然と沈思黙考…痛みを我慢しているわけではない。

と言うことで、古い話ながら、名作wikiという不可思議なモノの中で、P4を褒めるのに「田舎っぽさを出すのに、小川のせせらぎや、虫の声などを導入」って、あって超絶吹いたわけですが…いや、そんな効果音2000年初頭からやってるよね?…と言うことで、ホントに意味無いwikiと悟った次第です。 一番ダメだと思ったのが、ずっといっしょで「智香がおばさん臭い。それもそのはず、担当声優の年齢が」とあって、アホかと。声優は実年齢関係なくやれるのが売り。先代のしずかちゃんの声優さん、おいくつだったとお思いか?。

比較対象をろくに持たないヤツの感想ってやつですわな。そもそもに置いて、P3、P4は、ローティーン向けゲームで、ライトノベルならぬライトゲームRPG。キャラクターゲームや原作ゲームから背伸びを始める層がターゲット にしているとは思うのですが。

常々言うておりますが、子供向けだからと手を抜くことは許されず、子供向けだからこそ、真摯に作るべき。ウルトラマン制作時に、スタッフから「子供には難しいんじゃないですか、この話は」との問いに、実相寺監督は「今は分からなくても良い。大人になって、アレはああいう意味だったんだと考えてもらえば良いんだ」と答えたという。重いですな。

P3、P4、それとP2罪もなんですが、これらは全て、デウス・エクス・マキナによって解決するという共通点があります。デウス・エクス・マキナって言い方は、大仰すぎて嫌いなんで、「推理小説で犯人が自首してくるようなモノ」と言ってたわけですが、あえて書くのには理由があるけど、言わない。

要するに、にっちもさっちも行かなくなった主人公に、突如神様が降りてきて「汝は許された」と全てを解決するって感じの技法。神様役の人が空から降りてくる舞台装置に引っかけて、デウス・ エクス・マキナ機械仕掛けの神と呼ぶ。ギリシア時代にはすでにあった技法であり、ギリシア時代には非難もされている技法。「主人公は、因果によって物事を解決せねばならない」と。要は、話の流れと必然性を持って解決しないと、ダメって事ですな。

口悪く言えば、安いライターや、三流のファンタジーラノベ作家とか得意げに良くやるわけですが、機械仕掛けの神による脈絡のない解決を。神ではなく、聖剣だったり、ヒロインの潜在能力だったり、本人の潜在能力だったりするわけですがね。解放するなら、潜在能力解放するミッション組まないとダメだろうと思うわけです。

脱線を戻して、P4でも、P3とほぼ同一の展開、演出、電脳神…ちゃう、デウス・エクス・マキナによって解決すると言う共通項が見られます。しかも、イゴールがその役をつとめることも同一。実際のところ、主人公に「立て」と発破をかけるのは、"星"のタロウカードを背負うクマであるべきで、マーガレットが出張る必然性は無い。これは、ディレクターが、原案をだして、それをライターに書かせた。と言う形なんでしょうかね?。

そうでなければ、みっともないぐらい必死すぎるP3フォローをP4に取り込むわけもないでしょうし。マーガレットによる、前作主人公とエリザベスへのフォロー。最終ボスの倒し方は、完全なるリテイク。本当なら、二番煎じも甚だしい。また、同じネタか。と嘲笑されてしかるべき演出です。言ってしまえば、同じトリックで、二本続けて推理小説を出してしまうようなモノ。

サトミタダシ氏もそうでしたが、ペルソナチームは、ゲームを私物化してしまう傾向にあるようですね。P2でのタダシとたまき。P4での自己弁護など。もう少し煮詰めたら、レビューの方に転用しますかの。



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