九月の夢酔

そもそも「ハマッている」「アツくなる」「自己主張する」「自分の意見を言う」ってコトが「かっこ悪く」、冷静に冷めていることが「カッコイイ」という現代の風潮が、オレはヘドが出そうなほど嫌いなんで。
それは「冷静」でも「クール」でも何でもなくて、場合によってはただの「無責任」と同じだし、オレは全然「カッコイイ」と思わないから。

−岡野勇(オカノ通信/続「89年8月9日」)

※無断リンクですんません。問題あったらご一報を


危機の共有(2011/09/01)
あるいは、その共有された危機感は現実となったのか。

何とはなしに、山本弘氏のサイトをぼーっと閲覧していたら「愛なきエセUFOマニアは去れ」と言うコラムがありまして、詰まるところ「最近のオタクは、勉強しねぇ!」と言う結論。そしてこの結論、どっかで見たよなぁ…と思ったら、岡野勇氏の「今そこにあるオタクの危機」。岡野氏のテキストには、もっと良い例があったハズなんだけど「フィギュア作りの為に、医学書買って、筋肉の動きを勉強した奴もいる」とかあったハズなんですが。まぁ、「低いラインでヨシとしている」というのは、自分を高める気がない、勉強する気がない。と言って良いだろうと。

そしてたぶん、オチはGAMELIFEさんの「日本のゲーム長老たちはあなたを年功序列社会へ招待する」なんだと思います。ナニを学んだかとか、どれだけ審美眼を磨いたか、自分のレベルを上げたかではなく、長くその板、スレ、SNSに在籍したかを誇るという。本でも、ゲームでも、映画でも同じで、ただ消費するだけではなんの意味もない。きちんと咀嚼し、考えなければ、なんの価値もない。ただ、1000本の映画を見ても、ゲームをクリアしても、ナニも考えなければ、画面の前に座ってた時間でしかない。

岡野氏のテキストが2004年。山本氏のは日付がないので分かりませんが、「これは2001年の書き込み」とあるし、「改めて読み直してみると」とあるので直近でもないが、何年も空いてるテイではない。
おそらくは、かなり近い時期に、同じような結論にたどり着いたと。お二方とも、相当に「濃い」方で、根っこの思想は近い。二人とも「今日より良い明日を手に入れるための努力」を惜しまない人ですし、スカシ(エセニヒリズム)が大嫌いというのも近いです。

面白いのは、人間関係が苦手な岡野氏が、外へ発信しているのに対して、ネットなんかで、結構な活動をしている山本氏が拒絶を決めたということ。ま、そこのBBSに愛想が尽きただけで、啓蒙活動は続けていらっしゃるのかも知れませんが。しかし、こう書いていると、自分でバイアスかけてね?。結論誘導してね?とか言う気になります。かけてるかなぁ?。

で、岡野さんの「今そこにあるオタクの危機」と「食玩という名のパンドラ」は、一度通読をお勧めします。単なるオタク論とではなく、文化・芸術にどう向き合うべきか。と言う事が語られます。そもそも、オタクってのは、文化のスペシャリストだった。学術に入らない文化の専門家だったですけどねぇ。読みやすいのは山本氏の方なんですが(さすがの小説家)、基本がエセUFOマニア、「ゆーふぉーさん」との決別宣言なので。「ゆーふぉーさん」を適宜、ライトオタクや、自称マニアに置き換えて読める人なら問題ないですが、それが出来るなら、岡野氏のテキストも問題なく読めるはずと言う。

余談だけど「ガンダムマニアじゃなくて、単に現在の設定に詳しいだけ」と言うライトオタクへの一撃は、かなり重い。2004年段階でコレだったんだけど、ちょっと前にも、ウチですら出たしねぇ。ゲームでも名作良作wikiだったか?「ペルソナ4は、小川のせせらぎや、虫の鳴き声という効果音で、田舎を見事に表現」とか、ホントに目眩がしたもの。


岡野氏のテキストから、はや7年。あの警告された危機感は、もはや危機。と言うか、カタストロフィど真ん中って感じですな。未だに世に溢れているしねぇ。私自身、このご時世に、まだ居るとは思ってなかったよ。岡野氏のテキストから引用させて貰うと『「オタク」や「生産的消費者」のように何か考えるのもメンドクサイとか、脊髄反射的に批判する方が楽だとか、あるいは「批判する方が賢い」とかホンキで思っているようなのとか。』と言う人。「ゲームにナニ求めてんだ」とか「たかが映画に」とか「たった200円のガチャフィギュアに」。そんな思考停止し、向上心を亡くしたものほど見苦しいものはなし。

考えてみれば「勉強しなくて良い」なんてのも、エセニヒリズム。「やっても無駄だしィ」「努力なんかかっこ悪いしィ」「理想語るってウザクね」って事だろうしねぇ。反面、そう言いながらも、利益だけは享受したい怠け者。利益、つまり出来の良い作品はほしい。そんなフリーランチはねぇヨ。

どういうものがイイモノなのか、どうやってイイモノを評価すべきなのか、それがなくば、ただ、浪費されるだけ。まぁ、メーカーは嬉しいですよ、手抜きしまくっても、売れるんだもの。再び、岡野氏の言葉を引用させて貰うと『受け手は結局「消費すること」しか出来ないわけだけど、オレは、モノを考えている人間は「生産的な消費」(自分で「価値」を与えた消費)が出来ると思っているし、モノを考えないヤツは「破滅的な消費」(ただ出されたモノを食いつぶすのみ)しか出来ないと思っているから。』

受け手のレベルが上がるからこそ、送り手、作り手も奮起してレベルが上がる。ってのは間違いない。低いレベルしか目にしたことのない人間が、それ以上のものを作れるわけがない。よく言いますよね?、高いレベルの芸術に触れていろと。いま、どう考えてもスパイラルなんですわな。脱しかけていると思いたいんですけど。ろくでもない作劇、整合性のないプロット、いい加減なゲームデザイン。そんな中で育った人間に、イイモノが作るわけがない。食べたことがないものを、再現できるわけがないんですよ。食べても、味分かんない人多いですけどね。合成甘味料という名のキャラ造形が、どばっと入ってて「だだ甘の駄菓子」がイイモノみたいなね。 お菓子として好きならまだ良いけど、それを上質の食事と思っている人とか…

オブリビオンとかGTAとかの黒船、高レベルの作品に触れてようやく目が覚めた人がいる一方。まだまだ「非生産的消費者」は多い。 まず最初に触れるのは国産ゲームだろうし。そこから洋ゲーに手を出すのは、目覚めた人だろうし。まぁ、この10年で増殖したので、駆逐はその何倍も時間がかかると思いますし、完全な駆逐は無理ですし。ここ十年で爆発的に増えましたが、急に発生した訳じゃないし、少数だったわけでもない。ただ、知的活動を阻害するほどの影響力はなかった。ネットというニューロンが、群生体を作り上げたんですかねぇ。

キャプテン岡野は、嫌ってますが、最終的に「好き嫌いは人それぞれ」と私は思います。だからこそ、自分にとって「コレが好き」で「コレがイイモノ」と言う価値基準は出しておきたい。そうして、私基準だけど、コレはイイモノ、コレはダメなもの。ってのは発信しておきたい。少しでも、岡野氏や山本氏の何分の一かでも、考える人を増やしたいから。「ただ甘」の中で、だだ甘しか知らない人よりかは、善し悪しが見れると思うんで。私基準ですけど。

つか、価値評価が、個人の価値感依存ってあたりまえじゃーーーーーーーーーー。人それぞれだからこそ、自分の基準を明言するべきなんじゃ?。自分は、ここからの視点で評価します。が必要なんじゃ?。絶対基準とかあったら、どんな統一された思想の世界よ、それ?。画一化社会?、DARKLAWの世界*1?。シジマ*2?。アンチユートピア*3?「グッドマザー、D-13」*。

*1ストレンジジャーニーのLAWルート他(darkかどうかは疑問だが)
*2真・女神転生3の静寂(シジマ)エンド。世界の一部として生きる、差別もなければ個性もない世界
*3 70-80年代のSFにあった完全管理社会(共産・社会主義者の理想とも)
*末松版エイトマンのネタ(同上というか、全部そう)
誤解されないように解説すると、寒いよね。


ドキドキもの(2011/09/05)
コープスパーティの新作が、全画面調査!謎解き!とか銘打ってて、「え?なに、時代はすでにプレイするAVGに戻ってたの?」「一週遅れの説をブチ上げたの、私?」と思って、ドキドキしつつ体験版DLしてみたら、まぁ、いろいろな感慨はありますが、ひとまず安心。そして落胆。も、完全なる絵付きCDドラマですな。90年後半ぐらいに流行った、移動自由形の調査脱出タイプ。一言で言うなら「ゴア表現がきつくなった慟哭そして…」。 ちなみに、慟哭の私の評価は「劣化した遺作」。画面調査も、ポイントクリックタイプで、正味の話「ファミコン探偵クラブ」とか「さんまの名探偵」のカニカーソルから進歩してねぇ。まさに、目先進化そのもの。ゴア度up、声優度up。牙と上肢だけ進化させたサーベルタイガー。 あ、いやAVGと言うジャンルそのものが剣虎なのかなと。

追記(2011/09/06):冷静になってみれば、ポイント&クリックで、十分ゲーム性はあるよね。必要十分かどうかは別として。 あとは、話が面白いかどうか、なんだけど……購買意欲がイマイチ。 値段的な事も書いておくと、海外では新作フルプライスが60-70$、追加パックやら同エンジンの続編でも30ドル。addonやmodクラスなら10$以下だ。S.T.A.L.K.E.R.: Clear Skyでも10$で買える(DL販売だが。輸入盤でも1500円)。ゲーム機とPCでの開発費の違いもあるけど…ねぇ?。私も、コープスパーティ2000円なら喜んで買うが、フルプライスではねぇ。ネタ割れてるAVGだよ?。

作り的には、いろんな意味で卑怯な作りが目に付く。続編ならキャラ総入れ替えで、同学校の別学年とか、同じメンバーでの第2シーズン?。と思ったら、ストーリー自体が、一作目そのままの使い回し(若干バラドックスネタが入ってきてますが)。モバゲーそのものだった2D見下ろし簡易パズルゲーをビジュアルノベル風にしました。って、そりゃ、リメイクでなくて、単なるシナリオ使い回しだよね?。ギリギリ、ファンディスク?…とは思えないよねぇ。

設定もきわどいライン。日本の(海外産はあまり知らないけど)脱出型のトリックは、理不尽なものが多く、整合性の欠片もないようなものが目に付く。たとえば「慟哭」「火焰聖母」「九龍妖魔学園記」、これらは外からしか鍵がかからない密室の内側に閉じこもっている、と 言える。犯人は、その鍵どうやって締めたの?、どうやって隠したの?、目的考えたら、そこに隠す理由はないよね?。というボロを無視しても、目先だけの仕掛け感、こんな隠し方思いつきました!がたっぷりだった。コープスパーティーでは、「不思議時空なので、何が起こっても不思議はないですから!」という事なんだが、 これを上手い回避方法とみるか、アウトだろと思うかは、人それぞれ。だが、魔法ですから!、SFですから!、超能力ですから!、愛ですから!で済ましていたら、なんの進歩もないし、話のリアリティも生まれないと思うのですけど。

体験版なので、評価を書くつもりはありませんが(映画の予告編で論評する人はアホです)、あまり購買意欲をそそるものではなかったですなぁ。人気作みたいですけど。感情移入させる為か、必要以上というか無駄に日常パートが長い。完全に見るだけの、本当にCDドラマ(微エロなのもそう)。お泊まり会するほど仲が良いと言うことを、延々と流す必然性はドコに? (入浴シーンのためか?)。むしろ、学園祭を長く語るべきであり、裏方に徹しつつ気配りが堪能な子をきちんと見せたり、他のキャラの紹介も兼ねるべき。お尻たーっちで、セクハラを笑って許せる関係とか、まわりが疑ってる感とか、むしろ自然に 人間関係を語ることが出来るハズ。独白セリフで全部語るのは…アレだよ?

選択肢もおざなり。パラドックスネタなので、登場キャラは知ってる(ぼんやり覚えている)けど、プレイヤーは知らない。と言う、傍観スタイルの定番。 ただまぁ、前作やってイベント全部知ってることが前提。ならプレイヤーもパラドックスの中にいると言える訳なんですが…(フルプライスのファンディスクって許容されるのかなぁ…されてるのか)。セリフで設定説明有り難うだし。うーん。当然、選択肢は、キャラの意志決定で、自分(プレイヤー)の意志ではないし。と言うのを逆手にとって、諸悪の根源はプレイヤーでした。選択肢は、テレパシーでキャラの運命を操作してました。と言うメタなオチならちょっと、グッと来るかも知れないが。コバルト文庫のゲーム版なんでしょうねぇ。ちょっと操作できるCDドラマ(絵付き)ですわね。可愛い絵と声優がいればいいのかねぇ。SGGGの頃から進歩ないのか…

謎というか、体験版なので、いくつかの仕掛けスイッチしか触れなかったが、定番の連動スイッチで、解除順番タイプだったり。どっからともなく、床板が伸びたりする不思議時空。便利!。エロゲだけど、遺作は結構考えてあったのよねぇ。まぁ、いくつか突っ込めるけど「ペンキ入りのバケツ持ったままハシゴ登ってたのか?」 とか。仕掛けに「お前らオレをバカにするけど、オレの考えた仕掛けが解けるのかよ。」と言う遺作の意志が感じられたしねー。

シナリオが多少手が入っているとはいえ、使い回し。パラドックスネタにありガチな「発端儀式を必死で止めようとするけど、諦めて参加するアホ」とか、いろんな意味で鉄板。本編で、 儀式に参加しないと運命変化に関与できないとかいう設定になってると良いのだけど。5bpはゲーム界のロジャー・コーマン (特に利益はきちんと出す辺りだからなぁ…エロゲーのコンソール化じゃないよね、コープスパーティ?。

と思ったら、同人からの転向作ですが。なるほど、色々合点がいった。確かに同人としては、いいものかも知れない。海外でもそうなんだけど、Modを買い上げて製品化しても、 ほとんどがmodレベルを脱せないんだよね。やはり、同人、インディーズと製品版の壁は厚い。低くはなったが、厚い。

最後の〆に、この話を贈りましょう。いしいひさいちの藤原ひとみ先生の話ですが。
「どうも最近肩が凝るのよねぇ」
「姿勢が悪いんじゃないですか」
「ワープロ打ってると、前のめりになるから…」
「トリック一つで短編二本書こうとする作家としての姿勢が!」「どつくわよ…」
トリックならまだしも、同じシナリオで二本ゲーム作るのは、ナニが悪いんだろう?もしくは悪くないのか。


哀しき魔王(2011/09/14)
だいぶ流れてたこのネタ。 なぜかラスボス、魔王にされちゃう歴史上の人物って居るわけですが、日本が舞台でラスボスと言えば、このお方。織田信長。

って書くと「第六天魔王じゃん、バッカでぇ」とか言う人が出てくるわけですが、天魔って、まぁ、仏に次ぐ立場の人たち…人じゃないな。やや誤解を含んで言うと、欲望を捨てられない仏が天魔。と言うと誤解ありすぎるなぁ。まぁ、私自身、良く理解できてないからしょうがない。けど、西洋的な魔、すなわち悪魔じゃあない、とは言える。人界より上だが、仏界より下なのが天界よね。仏教だと。

と言う以前に「第六天魔王」と言う字面に引っ張られて、大抵、本物の魔王にしちゃうのよね。魔界の力を手に入れたー。とか、生まれながらにして、魔とか。

人物的にも、短気とか「うつけ」言われているけど、民衆と一緒に土木作業したり、民の背中を拭いてやったりしている。これは、階級社会においては、大うつけとか、頭がオカシイと思われても仕方がない。農民なんざ、人の姿をした牛馬的な発想も無かったわけでもない時代。王子様が民衆の中に入るなど、狂気の沙汰だし。平安時代ぐらいの皇太子が、土木作業の和にはいるのに等しいかと。選挙もないわけで、人気取りでもない、生の性格だろう。

他にも、楽市楽座とか、改革の旗手は、既存勢力からは、頭がオカシイと言われ続けるもの。近いところだと、ようやく、小泉竹中の改革開放路線の正当性が認知されつつある。未だに、改革開放は間違いで、日銀を締め上げれば何とかなる。って人もいるけど。

いくさに関しても、意外にも、自分から条約を破ったことがないと言う信長。焼き討ちとかどうなのよ。と言う話になるけど、僧侶なのに、武器を取って強訴という、恫喝するのは良いのかと。一向一揆にしたって、独立国家たらんとしていたはずで、自国を守ろうと武器を取るならば、兵士であろう。世は戦国であり、何らとがめられる所はないように思うのだが。自治国家を作ろうとして、攻められたら一般人ですって言うのは、あまりに覚悟が無いと思うぞ。

と言うところで、最初に悪の魔王的に扱ったのは、誰なんだろうねぇ?。徳川時代かねぇ?。織田、豊臣が悪でないと、立場悪いから。ま、そう言うイメージのままだったのが、サクラ大戦5の信長。サクラ5をやると、あかほり先生って出来る人だったのね。と思ってしまうのが不思議。なお、サクラ5の信長が「世界を支配するのは、世界が私だけを憎めば、世の中から争いは消える。強大な敵を前に、全てのものは団結し、協力するだろう」的な発想だったら、おおとか思ったんですが。人間くさくしたいのか、性格破綻者にしたいのか、中途半端でした、サクラ5。


で、本題こっち。古代史ネタだと、確実にネタにされるのが、物部守屋。仏教歌にも「守屋は邪険たけくして」とか言うフレーズがあるほど。
しかし、どう考えても、単に仏教派(渡来系)との政権争いに負けただけ。まぁ、あまり人物像とか伝わってませんけど、そんなに過激な思想でも、性格が破綻してたわけでもない。ゲームの中でも、政権争いに負けた怨念で。と言う訳でもないと言う。

だけど、物部氏は悪党にされて、それを追い出した仏教派が善と言うことになっている。九龍妖魔学園記とか、退魔戦記(コスモエンジニアリングのPBM。元はTRPGだけど)とか。退魔戦記は、もっと露骨で「妖魔と手を組んだ物部氏を倒した」って事になってたり。仏教にしてもキリスト教にしても、土着宗教を追い出してる帝国主義な訳で、悪の帝国はどちらですかと。

まぁ、買った方が自分に良いように書くのが歴史なんですけどね。信長も生き残ってりゃ稀代の英雄として神格化されていたかもねぇ。負ければ賊軍なんで。 残虐皇帝ネロも、革命派の捏造だったしねぇ。

ちなみに、ホンマものの魔王なら、崇徳院さまとか、太政威徳天とか。キを崩壊させるぐらいの怨霊になられた方がいるのに、あまり触れられませんな。将門公も。平安時代は、怨霊の宝庫だし、古代史でも、出雲猛とか(ヤマトタケルが英雄扱いなのが未だに信じられない私。女装するわ、奸計ばっかり(出雲猛の時とか読んだらホントにヒドイとしか…)やわ、テロリストよホント)。あ、威徳天はアトラスの魔神転生で出てきましたか。この辺は、扱うとシャレにならないのかも知れません。やっぱり、信長も守屋も、笑って許してくれる心の広い人なのかも。プロレスでも、負けブックを飲むのは、度量が居るし。

世界的には、ヒトラーなんですけど。創作物だと、ある程度知名度がないと、誰?オリキャラ?とか思われる。のも分かりますが、また、魔王信長かよ、しかも、名前だけ信長(ラスボスが信長である必然性が全くない)。とか、もぉいいっす。ちなみに、信長を英雄として扱ったのは、「時の旅人」だったっけ?。そのぐらいしか知らない。まつろわぬ姿勢、改革という破壊。群衆かつ均一主義の日本にとって、確かに破壊をもたらす魔王だったのかもねぇ…


世界の魔王(2011/09/19+2011/09/22)
下書きから三日流れましたか。 前回に引き続き、世界で魔王というと、もはや、この人。アドルフ・ヒトラー。科学とオカルトを同時進行させたと言う史実もあって、ナチスなら何でもあり。と言うというのが、ゲーム界の常識ですな。超能力兵士と悪魔兵が同居してても不思議がないと言う。ある意味、ナチの存在がなかったら、ゲーム界はどうなっていただろうと思うほど 、ありがたくも便利な存在。スターリンや、金総書記、ゾミンでは、こうはならない。crysisの敵は、北朝鮮ですけど、あの北朝鮮が超兵器持ってるのは違和感あるしねぇ。

反面、ナチ残党とか、ブラジルナチス(潜水艦で南米に逃げたと言う説があります)の超科学兵器とか、オカルト兵器とか言われると「ああ、持ってそう」と思える不思議。徳川埋蔵金の世界版とも言えるナチの金塊(これも、uボートに積んでいたと言う説が)とかもあるしねぇ。も、ナチなら、何を企んでも、何とつるんでいても(宇宙人、 地底人、異次元人とか)、不思議がないから、今回の事件は、実はナチスの陰謀だったのだ。と言えば、それなり のインパクトとともに、不思議とまとまるから便利です。

なにより、世界的な悪として認定されているが故に、どれだけ極悪に描いてもクレームが来ないという安全さもたまりません。ナチスなくば、ゲーム界はどんな貧相になっていたことか。まぁ、逆にナチを良く書くとクレームが来るわけですが。 内政面だけ見ると、結構な業績あるんですけどねぇ、ヒトラー。

カエサルとか、アレキサンダー大王とか、ナポレオンとかも、世界覇権を志したと言う点では、魔王候補になっても良いハズなんですけど、この人達は英雄扱い。特にナポレオンは、スペインで組織的なゲリラ活動に悩まされた最初の人ですから、ゲリラへの仕打ちとか、結構残虐なものもあるわけで、魔王候補にはうってつけなんだけどなぁ。意外に短気だったらしいし。この差は、ユダヤ資本を敵に回したかどうかってのも、あながちハズレではない気がする。

まぁ、ちょいちょい書いてますけど、ヒトラーは内政面では20世紀だけに限定しても、かなりの成功者。地下駐車場を作って地上部は緑地公園にすることとか、あの当時にすでに工場へ環境規制を指示していたり、ワーキングプアとイコールだった労働者に休暇(アウトバーンによる旅行)と芸術に触れる機会(観劇や美術館)とか、さすが「国家社会主義労働者党」って政策を実行している(ちなみに、嫌味ですから。ナチ大嫌いな左寄りの人たちが、好きそうな、と言うか理想としている政策運営してたって事で)。

他に魔王候補となるとチェーザレなんか思いつきますが、ちょっと世俗的だしねぇ(神秘性とかカリスマ性が今ひとつ…な気がしません?)。謀略の人ではありますが、イタリア統一未遂じゃねぇ。ま、そんなことを言ったら、信長も日本統一未遂なんですが。 あ、神秘性を裏返せば、魔性につながるわけで、そう言うのもあるのかなぁ。んー、考えてみるとナポレオンって、あんまり数的不利な戦いはあんまやってないのよね。数は不利だとしても、市民軍対正規軍みたいな質的には有利だったりとか。信長の桶狭間は、ホントに奇跡としか言いようがない。SLGとかやると分かるけど、イベント的な処理が入らない天下統一1とかだと、ホントに今川軍を破るのは至難の業。ヒトラーは…伝令兵で将軍じゃなかったしねぇ。神かがり的な勝利は無かったし。やっぱ、政治的な所縁か。

あ、話は飛ぶけど、ゲームだと偵察部隊って、もの凄い過小評価されてるのが気になる。まぁ、ゲームは攻撃部隊が華だからしかたないんだけど、偵察部隊って、敵の勢力圏、支配地域に進入して、情報を収集して、なおかつ生還すると言う、困難な任務をする部隊で、結構なエリート部隊。全てのお膳立てが済んでるところに、出かけていって正面からドンパチする攻撃部隊とは質が違う。偵察、索敵が重要なゲームって、あんまり無いしねぇ。だから、ゲームの偵察ユニットって、足速いだけで役に立たない事が多い。ホントは、偵察で、敵の規模、兵種、練度、土地条件とか調べてからでないと、作戦すら立てられないんだけどねぇ。ゲームでそこまですると、煩雑になるからなぁ。


人肉カプセル(2011/09/23)
中国で売られていたという、人肉カプセル。販売組織を擁護する気はさらさら無いのだが、なんか、こうエセ人道主義臭のするコメントが多くて、背筋が寒くて。仔牛の肉をほおばりながら「アレって許せんよなぁ」的な気味の悪さ?。

そもそも、木乃伊は漢方薬として輸入されていたわけですし(16-17世紀にはミイラハンターがいたそうだし)、江戸時代でも、人肉は薬として重用されていた。首切り役人の儲けは、死体から薬を作ることだったというしね。漢方にも、怪しいものはいくつもある(冬虫夏草なんざ、虫に寄生したキノコよ?)ので、ミイラや人肉が本当に効能があるのかは分からない(しかし、必要栄養素は、同種族が一番持っていると言う説をどこかで見た気がする。猿が別の群れの子猿をむさぼり食ってる映像を見た記憶はしっかりある)。漢方そのものへの疑問になるしね。古代人も、普通に食人行っていたと言う研究結果もあり、ま、考えてみれば、一番手短で、一番利害のある獲物だしねぇ。倒した後、食べない方がおかしい気もするわな、原始時代に。

殺害していたのなら言語道断だが、死産や流産だったなら……まぁ、宗教観みたいなもんなんで、死体の利用法を外からとやかく言うレベルじゃないかなと。習慣の違いを感情レベルで嫌悪することが、差別のはじまりだと私は思うので。眉は潜めるし肯定もしないが、否定もしない。と言うのが、私のスタンスなんだが…まぁ、気持ちのいい話じゃない。

牛の子供や、魚の子供は喜んで喰うのに。命は命だし。他者の命を喰らって生きるのが生物なワケで。だから、食事には感謝の気持ちを忘れちゃダメなワケだし。考えようによっては、生まれいずる事が出来なかったけれど、誰かの血肉になって生き延びることが出来るのは、嬉しいことかも知れない。ほら、よく言うじゃないですか「食べちゃいたいぐらい可愛い」って。なんか、エセ宗教家みたいな、まとめだなぁ(居ないと思うが、本気にしないように…って書かないと、絶対本気に思われるんだなぁ)。

ともあれ、こういう科学と迷信の狭間にあることは、扱いが非常に難しい。「人肉を喰えば、滋養強壮」と「放射能はうつる、浴びると死ぬ。青酸カリと同じ」とかいうのは、同レベルで同根な気がするんですよね。
(補注:青酸カリは、一なめで死ぬ。とか思われている節がありますが、致死量は存外に多く(経口摂取で150ミリグラム(平均最低値)。おおよそ大さじ一杯?)、また、強アルカリなのでなかなか致死量を飲ませるのは難しい毒物。一昔前の推理小説では、毒と言えば青酸カリでしたけど、最近使われなくなったのは、正しい知識が広まったからかも。ちなみに放置しておくと大気で酸化が進み、毒性は無くなっていく)


ふと「民衆は英雄を求める」とよく言われるわけですが、英雄ってのは敵に立ち向かう人。よね?。それはつまり、民衆は敵を求めている。と言うことなんだろうか?。反撃してこない(もしくは反撃できない)敵ならば、なおのこと良い(子供や生命と言う基本原理を盾にすれば、大概は反論できなくなるのだ)。しかし、自然発生的な敵ではなく、意図的に反撃できない敵を作ったならば、単なる「いじめ」でしかない。

私がどうも賛同できないのは、意図的に敵という風潮を作ろうとし、敵というレッテルを貼って、いじめようとしている様にしか見えないからかも知れない。そして民衆は多数意見に乗ることで安心する。それが例え嘘でも、構わない。嘘の責任は負わないで済むのだから。民衆にとっては、少数の真実に賛同して、いじめられる方が大問題なんだから。


ユーザーは成熟するか(2011/09/27)
GAMELIFEさんのブログで、「批評を受け入れられるほど、その文化が(その地域で)成熟しているかどうか」と言うのを上げられており、「自分の好きなものを貶された屈辱感、自分の価値観への否定(別にそんな意図はないのだが)、共感しない相手に対する敵対心」と言うもので、公平な批評を拒絶している的な分析をされているワケですが、これはまぁ、この通り。大なり小なり、レビュー記事をアップした経験のある人ならば「ボクの好きな○○を悪く言うな」と言う、だだっ子パンチを受けたことはあると思う。

10年経っても、全くと言っていいほど、成熟してないのが現状。と言うか、屁理屈だけは成長しているような状況。屁理屈でも、筋が通っていればいいのだけど……ねぇ。分かりやすいので、ついつい使ってしまうけど「文頭の一文字空けてないから、あなたの文には信憑性がない!」とか言われても……

ゲーム界が熟成しない理由は、成熟する人よりも、だだっ子が流入するほうが圧倒的に多いからかなと。ただ遊んでいれば良かった12-13歳の子が、15歳ぐらいになって、なんか反論したいけど、中身がないから、意味不明な論理展開みたいな?。かたや成熟するべき人は「ゲーム?子供のオモチャじゃん?」と(見かけ上は)卒業してしまう。映画や小説なんかでは、見かけ上でも卒業する人はほとんどいない。少しずつでも、堆積していけば土壌は形成されていくからね。実際に、本でもだだっ子はいる。「ハリーポッターブーム」がピークの頃「良くできているが児童書は児童書」とコメントした人に、クレームが出たというしね。私も児童書と思ったが…ラノベで良くある話だしねぇ。

で。見かけ上の卒業ってのは、ホントに成熟したならば、どの分野でも冷静な議論ができると思うのだが、「子供のオモチャ」と離別を告げても、やっていることは少し前まで「やっぱWBCだよ、野球だよ」と言ってたのが「やっぱ、なでしこジャパンだよねー」程度の中身のない会話だったりする。ゲームの場合は、残ったとしても「DQ123がwiiで?復活の呪文も復活?買うしか!」見たいレベルで…マジで、そりゃ単なるROM吸い出しのエミュでしょーが…セガエイジで、ファンタシースターを現代風にリメイクして、オマケに原作もつけたセガを見習えと…。

ホントにゲームは、ホンダワラ帝国(海底人類アンチョビー/安永航一郎)なみの進化速度だから、土壌の堆積がままならない。と言うのもあるんだけど。

もう一つ、成熟しない理由は、きちんとしたオタクに育ってないと言うこと。これは、ゲーム界だけでなく、他のジャンルにも言えるんだけど、岡野勇さんとか、山本弘さんが過去に言っていた「今のオタクは、今現在の設定に詳しいだけで、歴史をちゃんと調べない」(超意訳)と言うのにもつながるんだけど、批評は比較から生まれるわけで、比較対象を持っていないと、真っ当な評価なんか出来ない。ハインラインやアシモフを一冊も読んだことがないのに、SFを語る人はいないし、クロサワやスピルバーグを見ずに映画を語る人はいない。

にもかかわらず、ゲームは「それ」をしてしまう人が大量にいる。ロメロのゾンビを見ないで、ゾンビ映画を語ったりするようなことを。だから「虫の鳴き声や小川のせせらぎを効果音にして、田舎を見事に表現」とか恥ずかしげもなく述べちゃう。まぁ、コレをしちゃう人は、ゲームに限らず、他でもやってると思うけどね。「初代ガンダムは、最初からSFとして鉄板の設定を持っていた」とか言う人いたし…最初期のガンダム馬力表記よ、あーた。

まぁ、コレの原因はゲーム界全体でもあって、過去作のアーカイブが存在しないのね。実物だけでなく、文章媒体でもろくに残ってない。調べたくても、調べられない。って言うのも事実としてある。映画や小説で、ヒット作なら10年ぐらいは、楽々探せる。が、ゲームだと、10年前でもかなり難しくなり、15年で困難を極める。まぁ、今ならネットオークションなんかで、10年くらいなら割と見つけられるけども。PCゲームで15年前ってホント絶望的。あまり人気がないとなると、5年で絶望的に。そう言う意味でも、DL販売はデカイ。steamでは10年ぐらい前のも普通に売ってるしね。

98時代のゲーム資産をちょっと整理していて思ったんだけど、Windows95が発売された時に、生まれた子はもう16歳なんだよね。で、ゲームをきちんと理解するには、低く見ても15歳ぐらいになってないと無理。17-18歳でも無理臭いが。95年ぐらいのゲームをした事がある人って、もう30越してる計算になると言う。ホントに20代には「コマンド入力式」とか「選択式」のAVGって通じない可能性が…AVGっと言えば、ビジュアルノベルしか知らない可能性が…眺めるゲームしかしらない可能性が…そりゃあ「ペルソナ4は、虫の音で田舎を見事に表現」とか書いちゃうわな…そう考えると空恐ろしい。いやホントに、ここ10年ぐらい、まともなゲームは海外産しかないのが現状ですし…ユーザーのレベルが上がらないと、メーカーのレベルも上がらないし。

ユーザーの成熟しないとメーカーは確実に腐る。ユーザーは独力では成熟できない。それが当たり前の世界にいると疑問は持たないものだ。伏線のない話しか知らなければ、伏線がないことに疑問は持たない。独裁社会しか知らなければ、独裁者の支配に疑問は持たないのだ。故に、メーカーには志高くあって欲しいと願うばかりだ。そしてユーザーにも。
「たかが、ゲーム」「たかが映画」「たかが」とか言う奴には、語る資格どころか、趣味に興じる資格すらないのだ。



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