十月の夢酔




 


ムーバー(2011/10/02)
結構古い話になるが、日清のカップヌードルのCMで、片膝を立てていたガンダムが立ち上がる。と言うものがあったが、今はもうやってないのだろうか?。 最近、ホントにテレビ見なくなったので。

で、ガンダムが立ち上がる時に、太ももの装甲板をスライドさせていて「おお、ムーバブルフレームを再現…つか、この時代にはねーよ」と突っ込んだりしたものだが。

ガンダムセンチネルにおけるムーバブルフレームってのは、「装甲を動かす(ずらす)ことで、関節の可動域を確保する」と、おおよそそういう感じだったはず。ExSガンダムの肩のマーキングがずれるのも、ムーバブルフレームによって、肩装甲が動くのでずれる。と言う話のハズ。もちろん、装甲ってのは何かに貼り付けないと 固定出来ないシロモノ。だからフレームがあり、ムーバブル、動かせるフレームなわけですなう。たぶん。で、装甲をずらしたりする事が可能になったから、変形も可能になった。とか言う設定だったと記憶しているのだが。

装甲が ぶつかってから動くのでは行動の阻害しているので、ぶつからないように自律している(自動でスライドする)ハズなんで、ある程度のトルクは持っているけど、関節の代わりになるようなものじゃないハズ。まぁ、もの凄く軽くて、トルク無しと言う可能性もありますが(Iフィールド応用のプラズマ反発利用すればかなり軽く出来るはず)。 って、思ったらターンAが、そんな感じ(フレームだけで動く)だったよねぇ。たしか胴体空っぽなんだよね、ターンA?

ま、普通に考えたら、ガンダムとかガンキャノンとか、ザクもだけど、初代ガンダムのMSって太もも上げられないデザインなんですよね。いろんな絵師がいろんな解釈で足を上げられる様にしてきましたが、よもや、ムーバブルフレームを再現してくるとは。センチネラーか、センチネル系スタッフが絡んでいるのか。ともあれ、イイモノ見せて貰いました。

でも、機体剛性考えたら、非ムーバーの方が、耐久力はあるよねぇ。整備の手間も減るし。自律しているなら、装甲の動くタイミングがずれると、モロに噛むわけだし。ま、ゼータが始まった頃の設定だと、胴体のひねり対策だったと思うんだけどなぁ。普通のフレームだと、胴体ねじれない(いわゆるツイストって状態ね)。だから、ムーバブルフレームでひねれるようにした。だったと思うんだがなぁ。当時の資料が出てこないんで、自信を持って言い切れないという。 特に初代なんて、コアファイター入ってるから、実際にひねるとエライ事になるんだが。作中では、生体金属がごとく伸び縮みしてるけど。

まぁ、ともあれ、日清のCMのアレが、センチネル的ムーバブルフレームってことで…いいよね?。


今度のガンダム(2011/10/03)
世代をまたぐ。と言うことなのだが「幼いころ、正体不明の敵の襲撃によって家族を失った少年は、家に伝わっていた最強のモビルスーツ、ガンダムの制作を進めていた。」とうとうホームメイドロボになりました、ガンダム。ま、初代もVも、結構なホームメイドなんだけどね、ガンダム。親が制作に絡んでいるのは、アムロ(初代)、カミーユ(MK2)、シーブック(F91)、ウッソ(V、V2)、こっそりドモンも。ドモンは厳密にはラスボス機だけど。あ、絡んでないのはOVAばっかりだ、08小隊、0083、0080、νは映画だったか。でも、今度のガンダムは自分で作ってるからハンドメイドか…

この記事から受けた第一印象は「ガンダムで勇者シリーズか」だったんですが、このあらすじを見ると、マジンガーZですな。後半に死んだはずの父がグレートガンダムとか作ってたらどうしよう。回り回って、ロボットマンガの原点に返りましたか。胴体は固定で、手足を取り替えるんだそうで、鋼鉄ジィィィグとか思った人も少なくあるまい。確実に、定番アームばっかりの出番になるんだろうなぁ。使い回せるから(笑)。まぁ、変にリアリティな方向へ走っていたロボットアニメですが、原点回帰は良いことかも知れない。ゴッドバードで照準セェェット。ミラクルゥドリィルもヨシ。少々荒唐無稽な方が、燃えるってもんだ。ロボットもの。リアルとか言ってると、小さくまとまってしまうから。ダンガードAのテレポーテーションパンチとか、好きだぞ。

が、ガンダムという看板は必要なのかと。ガンダムじゃなきゃ見てくれないと言う現実もあるのだろうけど。70年代、80年代みたく、オリジナルで行こうよ。つーか、もう、ガンダムはアニメ界における、ライダーやウルトラマンと割り切るしかないんだろうなぁ…特撮界も、戦隊物とウルトラマンとライダーしかないもんねぇ…宇宙刑事系かえってこーい。

しかし、手前味噌で申し訳ないが、本当にGガンダムで宇宙世紀とミノフスキー理論を粉砕してなかったら、Vでガンダム終わってたかも知れない。宇宙世紀に固執してたら、ここまで展開してなかったろう。本当にGガンダムは解放だったのだなぁと思うわ。しかし、ガンダムそのものにとっては、終わっていた方が幸せだったかも知れないけど…バットマンやスパイダーマンが未だに現役というのとは、なんか違うんだよね…なんというか、こう…ずっと長嶋茂雄に頼りきっていた日本プロ野球界みたいな?(ここ何年かでようやく変わりましたけど)…無理矢理、英雄化して酷使しているって感じがするんですよねぇ…看板商法…ま、アニメに限らず、あらゆるところで看板商法に頼りきるのが日本なんですが。

ドラクエ、ファイナルファンタジー、仮面ライダー、ウルトラマンにガンダムと。看板に頼ると言うのは、殻にこもるのと同じなんで、ブレイクスルーは起こらない。経済学的な言葉で言うと、イノベーション?。長嶋茂雄に頼っていた野球界もそうだけど、全部停滞しているからねぇ…実際、Gガンダムで、殻を破壊した後、Wやら生まれているわけで。そう言えば、DQ10は、今更感たっぷりのオンゲーになるそうですが…ブレイクスルーなのか、レミングス(オンゲー流行ってるから、ウチも追従的な?)なのか…

破壊と再生ってよく言うけど、壊すべきは殻であって、世界じゃないよねぇ。まぁ、ゲームやアニメで殻を壊すと、世界も壊れるんだけど…登場人物が世界を壊すけど、殻は壊れてないんだなぁ、創作界の破壊と再生。ZZで壊しきれなかったのが不運のはじまりか。ZZでガンダム終わってたら…アニメ界は寂しいものになっていた…とは、思えない。むしろ、もっと自由な作品が増えていた気がするなぁ。


なりきりと投影(2011/10/09)
gamelifeさんのコレ。毎度、なるほどなぁと思うわけですが、ワタシとしては、キャラクターが固有名詞を持っている時点で、それはすでに個であり、別個の存在であり、私ではない。と思う。

オブリビオンやFALLOUT3などが、名前はおろか顔もまでも設定でき、誕生の瞬間から「私」として存在するのに対して、ゲームプレイの方向性によって様々な人格のゴードン・フリーマンや、アイザック・クラークが存在するが、それでも、そこにいるのはゴードンであり、アイザックであり、私ではない。あくまで、ゴードンやアイザックの思考を占拠したなにかが私である、と。

そう言う考え方をすると、halflife1は、valveにとっては失敗だったのではないか。との考えが浮かんだ。HALFLIFE2でのやたらめったらなゴードンへの賞賛は、DUKEへの賞賛とイコールだ。と、すれば当初から「なりきり路線」を狙っていたが、1ではそれが出来なかったのではないかと。そうしたら、たまたま没入感の高い舞台設定になってしまったのではないかと。

valveのHALFLIFEへの総括を目にしたことがないので分からないが、意外と「ストーリーへの没入感」が支持・高評価されたのは予想外だったのではないかと思ったりもする。

洋ゲーに多い、ストーリー性のあるアクション(FPS含む)では、なりきりは親和度が高い。操作キャラの成長がない以上、最初から高い能力を持っている理由付けにもなる。個性を特定しておくことで、ドラマも作りやすい。振り返ってみれば、メトロ2033も、アルチョムの体験をトレースするワケだし、stalkerの「印付き」もそうだ。現状では、完全な私の投影が出来るわけもないので、ある程度の仮想人格を持つことは仕方がないとも言える。

ただ「なりきりゲーム」のデッドエンドの一つは、傍観ゲームであると思う。確立された個性とプレイヤーの存在を無視したドラマ展開。プレイヤーはスタントマンのように、危険なシーンだけ操作する。危険なシーン、すなわち戦闘シーン。戦って、イベントを眺めて、また戦う。その繰り返し。 そして見せ場のイベントシーンは二枚目の役者に譲る。まぁ戦闘というゲーム性があればまだ良い方だろう。

確立されすぎて遊離した個(ゲームキャラ)では、経験の共有もしがたい。個の確立は人格の確立であり、選択の固定をもたらす(例えば、北斗の拳のケンが老人や子供を見捨てたらケンでは無くなる様に)ので、一本道ゲームへ陥りやすい。FF13とか、エロゲとかね。特にエロゲAVGは、物理的な選択肢もない完全な紙芝居に陥っているモノさえある。

こうした意味では、日本はやはりゲーム先進国なのかも知れない。特にエロゲでは、プレイヤーを無視した手前味噌などラマ展開が売りで、ユーザーサイドも、もはやコミックを評するように善し悪しを語る(もはやゲームとしての評価はない)。一見すると高いドラマ性を持つ傍観ゲームだが、ゲーム世界との乖離、プレイヤーの 「存在の希薄さ」による喪失感は、その程度のドラマ性では埋められない(と思う。ドラマ、映画好きの人はその延長と見なして満足できる人も少なくないが。詰まるところ、ゲームなのか、TVドラマなのか、どっちを求めているかなのかも知れない)。

デジタル紙芝居が作りたいならそれでも良いが、日本が陥った傍観ゲームの罠に、世界のゲームディベロッパが陥らないように祈るばかりだ。

追記:日本でCoDシリーズがブームになる前は、TPSを持ち上げFPSを貶す人が少なからず居たわけだが、「私」の投影や「なりきり」が苦手ないし出来ない人たちだったのだろうか。だからこそ、自分とは異なる理念を等々と語られても違和感がない、どころか、心地よかったのか。私が居ない日本製の傍観ゲームに安心できたのか。空気に支配される日本人にとって、独自理念は敵を産むもので、他者に迎合する方が安全である。その意識が、ゲームにすら出ているのだろうか。

ただまぁ、近年では「FPS?ダメダメ。TPS一番」なんて人は見かけないので、それこそ空気に迎合しただけなんだろう。とはいえ、なぜ視覚的没入感が高いFPSを、明確な理由なく拒絶したかを考えると、無くはない気もする。

嫌韓と反原発と(2011/10/11)
笛を吹いている人の意図も計らずに、踊っている人が多いなぁと。騒げれば何でも良いんだろうね。結論ありきの暴論ばかり。
テレビ番組ごときでデモってのは、大げさすぎないだろうか。例えるなら「このレストランは韓国料理が多すぎる、メニューから外すことを求める」と店の前でデモをしているのに等しい。

まだ過剰な嫌悪と誤解からデモを行っている反原発の方がマシだ。笛を吹く人の意図も分かる。テレビ番組から、韓国人を排除したいと、笛を吹いている人の意図は何だろう?。ウチのタレントを使ってくれと言うこと?。全国規模の騒ぎを生み出した陶酔感?。それとも、反原発と同じ、過剰な嫌悪感からなのだろうか。どちらも、熱気につられて踊っている人は、冷静になって欲しいものだ…ふと、レストランの例えから考えると、この場合、「メニュー構成を盾にした店への嫌がらせ」ですよねぇ。右派で通ってるフジサンケイへの遠回りな左派の攻撃だったらスゴイなぁ。デモによる抗議ってのがどちらかと言えば左翼的発想だしねぇ(笑)。ま、デモに右左は関係ないですが。

ちなみに私も、韓国ドラマとか嫌い。日本の80年代丸出しの設定とか、口パクを合わせる気がない吹き替えとか、浮いた音質(吹き替えの声だけがやたらクリアなので浮いててヘン)とか、出来が悪くて嫌いです。関係ないけど、原発即時停止は無理だと気がついたせいか、今の流行は「除染」みたいですねぇ。健康のために死ね。見たいな「国家財政が破綻しても除染しろ」みたいな人がいるのが何ともはや。太陽光発電も「逃げ足の孫」を見せてくれましたし。

ともあれ、嫌韓のテレビ局へのデモが、さも普遍的正義みたいな論調のダンシングおバカさん(そして「これだけやっても、まだ改めないのか」とか真面目に言える猛者も多い)が胸を張る現状は、日本もとうとう隣国を憎むことで意思統一を図るようになったのかなぁと、ちょっと不安。それが長期的にどういう結果をもたらすかは、隣の半島と大陸を見れば一目瞭然なのだがなぁ。反日抗日で制御できなくなって来ている現状が。

当然の自己主張をすることと、相手を憎むことは別なハズだ…もしかして、切り分けられる人は少ないのだろうか?。まぁ、確かに利害関係があると相手を憎んでしまうのが普通かも知れないなぁ。


Orcs Must Die!が面白い(2011/10/14)
なんとなーく、体験版を落としたら、出来が良かった。タワーディフェンスっぽいけど、もっとアクション寄りで、ナニも考えずに、思いつくままに罠を設置しまくっても、キャラが強いので、結構捌けたりする。敵の侵攻中にも新たに罠を設置できたりもするし。

sanctamが戦略性重視で、プレイヤーはタワーの補助扱いだとしたら、Orcs Must Dieは、プレイヤーの補助に罠がある感じ。sanctamは「あー、ルートの作り方間違えた!」とか、ブロック設置に穴があって「え、そっちに行く?」となると、お手上げだしねぇ。OMDでは、プレイヤーがかなり強いので、5-6体なら余裕で剣でなぎ払えるし、クロスボウを上手く混ぜれば、トラップなしでも10体ぐらいは楽々。

トラップのコンボや、連続キルなど、スコアアタック的な楽しみかたもできる。後個人的に、タワーに当たるトラップの特性作りが、sanctamより上手いと思う。視覚的にも見ていて面白い。天井にトゲトゲ鉄球とか設置できると良いなぁ(笑)。 あと、自分で設置する以外にも、元々の仕掛けとかもあって、センスが良い。毒なのか、油なのか分からないけど、壁に大釜があって、撃つとばしゃーーんって出来たり。コーナーだったかな、マップ名。

クレカがない身なので、体験版で我慢と思ったら、XBOXLIVEで売ってました。ドル建てより高いけどしかたない…んだけど、絶対に、アナログスティックよりは、マウスの方が、やりやすいんだよねぇ…

あと、ちょっと故あって、トップだけの更新中。すまんす。うふんふ。

Orcs Must Die!とオークが複数形だったので修正。ちょっと追記も。マップコンストラクションキットとか公開すると、盛り上がるんじゃないかなぁ、コレ。タールトラップのみとか。たる爆弾のみとか。



MBSは潰れるべき(2011/10/22)
毎日放送でなくて、エロゲメーカーの方。なぜかは、近々。

と言う枕を置いて、本題。

AMDは終わったか(2011/10/22)
一部のせっかちさんは「i7どころか、1100Tにも負ける8コア。AMDおわた」とか、言っている人もいますが、ちょっと待てと。

新チップは、マルチスレッドに特化した設計で、従来とは設計思想が異なる。それに対して、ベンチマークなどは、旧来のチップに特化した仕様であり、その真価を正しく評価できているか。と言えば、絶対に出来ていない。

かつても、デュアルコアが誕生したおりには、1コアの高クロックのほうが、高いベンチスコアを出した例もあったはずだ。現状では、pを計るのに、インチの物差しを使っているようなものだ。と私は思う。

ただ、エンドユーザーとしては、新機軸だろうか、旧基軸だろうか、快適な操作環境があればいい。と言う一点に尽きる。いかに、新機軸であろうとも、ソフト無きPCはただの箱に過ぎない。AMDのFXのこれからは、ソフトベンダーをどれだけ取り込めるか。に尽きる。

しかし、すでに既存の資産(という名のゲーム)を抱える我々にとっては、選択肢から外れてしまうだろうなぁ。価格、スペックともに1100Tでいいじゃん?と考える人が多いだろう。
コレを打破するためには、ちょっとヤバ目かもだが、PCSX2を正式に取り込んで、FXに最適化するための資金提供とかしたら、けっこう乗り換える人は出てくるかも知らん。そのくらいしないと、intelの牙城には食い込めない気がする。


それってマルチプレイ?(2011/10/26)
かまいたちの夜の新作がvitaででるらしいです。今更感たっぷりの情報ですが。

問題は、記事にある「マルチプレイ」の所。もしこのままでるのだったら、過去の栄光を振りかざす老人の…言い過ぎるから止めておこう。

現段階の情報では、単なる同時参加のタイムアタックに過ぎないと言える。証拠品を奪い合ったりするとか、なんらかのマルチプレイ要素はあると思うのだが…もし何もなければ「マルチとかCOOPとか流行ってるから、いれればいいんじゃない」だったら、非常に寒い事になる。長寿ドラマにありがちな「年配の脚本家や監督が、無理して若者文化を取り入れたけど、意味が分かって無くて浮いている」って言う状態に。

そうならないように祈ってますが。でもなぁ、看板だけに頼ってる臭いが、ぷんぷんするんだよねぇ。「1」の頃は、まだあの密度でも、もの凄く濃い感じだったんだけど、「2」ですでに薄味気味だったしねぇ。「ピンチボトル警部の三重ペチュニア殺人事件 死は黄色い靴下止めを付けている」とかが、面白くてたまらない人には受けるかなぁ。でもそう言う人は、ゲームしない気がする。

システム面では、X3で懲りたのか、ヘンに新奇なシステムは止めたようだけど。選択肢分岐型ゲームと、小説の相性は良いんだけど、上手く変換できるなら。 なんだよね。小説から映画化するように。小説の文法と映画の文法が異なるように、小説の文法とゲームの文法も異なる。上手く翻訳できるとはまるのですけどねぇ。

確か、我孫子氏が監修どまりな「2」が一番売れたのよね?。1はSFCとPS合わせたら、2を抜くのかも知れないけど。メインで執筆したX3は転けたレベルだし。挽回するラストチャンスではあるが……古い看板持ってくる時点で、きな臭いと私は思う。マルチ(モドキ)導入とか、声優導入とか、きな臭いから、焦げ臭い気がしている次第です。 「かまいたちの夜のスタッフが再集結」で看板としては十分だろうと思う次第。

が、根本的には五十歩百歩である。あいもかわらず容疑者の取り合わせに腐心している。十五人の毛色の違った客を前にして、ポッティトン・ポッスルウェイト三世夫人がラクメの鐘の歌の最高音を半音下げて歌った瞬間、何物かの手で純プラチナの短剣によって刺し殺されたのだが、それはいかなる方法によってか、と言うような常人の理解を絶したトリックの考案に夜も日もない。
−レイモンド・チャンドラー(簡単な殺人法/創元推理文庫)

と敬愛するチャンドラーは言ってますが、推理小説、探偵小説は、その奇想天外なトリックを楽しむもの。SFの未来ガジェットを楽しむがごとく…なんですけど、なるほど!みたいなのは、ほとんど無いですよね。ほとんど、「ありえねーーーー」って感じ。お約束を楽しむ二時間サスペンス。つーか、その言うのを原作にしているのが、二時間サスペンスですが。

SFは架空理論や新エネルギーで、虚構を(作品世界での)現実に持ち込めるワケですが、探偵小説は、どうにも逃げ道がないですからね。アフリカ奥地の呪い師の秘薬とかになっちゃう。

初版が1965年で、原語だともっと早い(1934-44の間に書かれたものらしい)。その時代で、「あいもかわらず」とか「やってる事は五十歩百歩」とか言ってるわけで、チャンドラーが現代にタイムスリップできたら…目を回しそうですね。はは、衝動的に拳銃自殺しようとした理由が、タイムスリップだったりしてね。

いろいろダメだなぁ私。一番大切な事忘れてるわ。ちゃんとした作家が参加するので、少なくとも伏線とか、物語性とかの最低限は守られると思うので、そこは安心できそう。満足できるかは別として………ゲームとして、物語として形になっている事で安心できるって…娯楽や趣味で、満足度を別にしたら何が残るのだろうと、ふと思った。…ゲーム、作って欲しいよね…紙芝居でなくてさ


忘れるなMetalは、Meetより良いんだ(2011/10/30)
と、ジョニー・シルヴァーハンドは言っていたけれど、確かにそうでした。
いや、Chromeを今更試してみたんですけど、狐より速いわ、便利だわ。と。一つ前のverまで、なぜかまともに起動すらしなかったのよね、chrome。カスペルスキーかなにかとかち合ってたと思うんだけど、で今回の15だと動いたわけですよ。機械語訳とはいえ、ダイレクトに翻訳してくれるのは、非常に便利だし、読み込みエラーも少ない。

火狐とか探検家だと、なぜか読み込みエラーが起こる。アドレスの読み込みそのものに失敗したり、レイアウトが壊れて表示されたり(リロードすると直る)のが、鋼だと起きないのは良い。

が、問題が一つ。ブックマークを常時、横に表示してないとやりにくいのよね、私。というか、違和感バリバリで気持ち悪くなる。まぁ、慣れなんだろうけど。chromeは、マウスのホイールで、ブックマークがめくれるからまだ良いけど、IEは、延々とスクロール待ってないとダメなのが、完全アウト。IEはもはやダメだろうなぁ。と言っても、OSがほぼwin一択でデフォルトで付いてくる。と言う条件がなければ、滅んでいるだろう。

しかし、この状況をひきづったまま、月が変わってしまいそうだ。

補記:meetは会う。肉はmeatですなぅ。はっずかしぃ(*ノノ)



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