十一月の夢酔

我々は這い児で、その這い児が道理や理屈をこね回すことはいらんことで
−村田静照(真宗高田派念仏僧)


ニコチン(2001/11/1)
ナニをやっても、すっきりしない。ゲームをしても、良いもの喰っても、睡眠取っても(寝付けない場合の方が多いけど)、ダメ。そんなときは、大抵ニコチンが切れている場合が多い。思い出したようにタバコを吸うと、快眠、意識もすっきり、やる気も出るのだ。

とは言え、私は半年に二〜三箱とか、そんなレベルでしか吸わない。こんな私もニコチン中毒なんでしょうか?。禁断症状が出ているわけだし。何スモーカーって言うんでしょうねぇ?。


タバコ(2001/11/1)
ちなみに、紙巻きだとキャメル>ゴロワーズ>ダンヒルの順で好きだ。この中では、キャメルが最も入手しやすいので、一番にしているが、それでも自販機や店頭にない場合が多いので、困りものだ。だが、洋モクは高いので、最近はもっぱら「わかば」を愛飲(とは言っても半年サイクル)している。峰も洋モク並に高いしね。

一番好きなのは、刻み葉巻の「キース」なのだが、タバコの専門店でも無い限り売っていない。注文しても良いが、半年に二箱程度しか吸わないので、タバコ屋さんに悪くて注文できない。葉巻だけあって、キースの賞味期限は半年程度なのだ。

私は、タバコをキース(刻み葉巻)で覚えたので、煙を肺に入れる習慣がなく、全てのタバコを舌の上で味わう癖が付いてしまった。そのため、他人からマイルドセブンを貰ったりすると、フィルターちぎって両切りにして吸ったりする。舌先で味わうには軽すぎるのだわ。

タバコを吸うと落ち着く。とか言う誤った認識があるが、それは、酒を飲むと落ち着くというアルコール中毒と変わらない、ニコチン中毒なだけ、もしくは格好で吸っててナニも分かってないダケだ。元々、血行を阻害し、酩酊、興奮状態に持ち込むのが、タバコの役目。ネイティブアメリカン達が、精霊との交信する為の術具なのだ。日本のお香(インセンス)に等しい。

私は、カフェイン無効の体質なので、眠気覚ましにタバコを浪人時代に吸い始めたのだ。伊達や酔狂、スタイルで吸っているのではない。大学在籍中も、試験前とか当日はバカスカ吸っていた。今も、徹夜仕事なんかだとバカスカ吸う。起きているだけなら吸わなくても大丈夫だが、意識をまともに機能させようとするなら、やはりタバコが必要だ。

旅の時も無理な日程で、意識を保たなくては行けないので良く吸ってた。ちゃんと、携帯灰皿持ってるし、吸うときは風下に移動して、子供、特に乳幼児が居るときは吸わないようにしている。元の率が低いので、微々たるモノだけど、乳幼児突然死症候群の大きな原因の一つなので、気は使っている。両親が喫煙し、産後も吸っていると、両親共に吸わない家庭の7倍近い発症率とか。

ともあれ、私にしては珍しく、効力のある貴重な薬なので、重宝している。命削るけど(笑)


非道い(2001/11/3)
「眠りの森のお姫さま」と言うゲームをプレイしたのだが、非道すぎる。システムから、シナリオ、人物、背景設定など、30年は逆行している代物だ。システムなんて、今は亡きバーディーソフトのCALを彷彿とさせるものだし、脚本も薄ら寒い。キャラクターも、設定も、基本的すぎて痛々しいぐらい。つか、キャラ立ってネェし。

森に入って、ヒロインその2とも言うべき、ドジ魔法使い(と言う設定がすでにベタ過ぎて痛い)と出会い、野宿に入ったところでギブアップ。「どっちが料理作るか、貴方が決めて」と言う、定番すぎるイベント、痛たすぎる。まぁ、たぶん、ロードス世代なんだろうね。ロードス島戦記を中学1年とかで、読んだ世代。逆に、中学生程度の感受性ならば、プレイすると面白がるかも知れないが。

私の初めて作ったシナリオ(つーか、妄想したストーリー)に、よく似てて、痛さ倍増なんだわ。しかし、さすがに思い直したぞ、俺は。

先も見えたしねぇ…魔女の王にかけた呪いっつっても、どうせ次期国王決める試練で、ドジ魔法使いは、魔女の弟子で、女騎士も実は、王族の血を引いてたりするんだろうなぁ。もしかしたら、主人公自体が王族の庶子やも知れぬ。まぁ、当たらずしも遠からず。でしょ。さらなる、どんでん返しがあったら、ムスリムがごとく、一日五回会社方向へ礼拝しますよん。

DQとか、FFで感動できるヤツって、人間として信じられないよ。いい本読んでないに違いない。本読もうぜ、本。ゲームって、演出面もあるから映画やマンガは参考にするけど、小説は阻害されている場合が多い。ゲームって、確かに最近では、どんなゲームでも声優が付いて脚本色が強いけどさ、基本的には、メッセージウインドーで、文を読ませる小説だと思うんだ。

恋姫winが失敗したのって、メッセージウインドウを吹き出しにしたからだと思う。行間を読ませなきゃ、恋姫はね。


ろまんてぃっく(2001/11/3)
実は、第一義は「空想小説的な」だったりする。だから、ラブ・ロマンスとか言うわけ。ちなみに、中国語だと「伝奇」となる。何が言いたいかと言うと、ジャンルなんて言うのは、出版社や本屋が売りやすいように分類しただけで、実際には、ジャンルなんてものは存在しないって事。誰にも、賛同を得ない説なんだけどね。

たとえば、ターミネーター。アレって、SF?、サスペンス?、ホラー?、アクション?、恋愛?。タイムスリップや、タイムパラドックスに付いて触れられているから、SFだよね。迫り来るターミネーターの恐怖は、不死身の殺人鬼と同じで、サスペンスであり、ホラーだよね。派手な銃撃シーンがあったりして、アクションでもあるし、私はターミネーターの主題は、恋愛にあると思ってる。時間を超えた愛ってヤツ。

ほとんどの良質な映画や小説は、ジャンル分けが不可能だと言っても良い。
日本人のいわゆるライトノベルに分類されるものに良作が少ないのは、存在するはずのないジャンル分けと言う壁に自ら閉じこもっているからじゃないかと思う。

つーか、ライトノベルって分類も何よ?。どういう基準よ。
スターウォーズとか、スタートレック、最近では、ダンジョン&ドラゴン。アレって、日本人が著作、制作してたら間違いなく、ライトノベルで発売されてるよね。そもそも、ペリーローダンとかキャプテン・フューチャーなんてのも、ライトノベルだ。まったく、海の向こうから来たものに弱いんだから。ハヤカワのSFシリーズなんて、ライトノベルだよ。分類するならね。

著者が、軽い気持ちで、時代考証や世界設定を適当にやってるから、ライトノベルなんかえ?
そう言った意味では、ゲームやアニメのノベライズなんて、あらゆる意味でライトだな。


スタジオゼウス(2001/11/5)
MSNと提携している占星術師と言うか、占い会社なのですが、結構的中率が高い。んで、今月の特集「天才クンを育てる秘密の方法」なのですが…

用心深く道を踏み外すことがないので、親としては安心して見ていられる子供です。
 乙女座のウィークポイントは実像よりも自己評価が低いこと。「私なんてダメ」「私よりあの子のほうができる」など、人より劣っている面ばかりに目を向けがちで、自分の得意分野を誇ることができません。できるだけほめて自信を持たせるようにするのが乙女座の才能を伸ばすコツです。おけいこごとなど、すべてが完璧にできていなくても、ひとつでもキラリと光るところがあれば、続けるように励ましましょう。

ぐはぁ…当たりすぎだ。私、乙女座なんですわ…「私なんてダメ」「私よりあの子の方ができる」…はい、そう思って生きてます。その作用が逆に働くと「俺が出来るのだから、みんなが出来ないわけがない」「私が知っているのだから、知らないわけがない」とか考えてしまい、煙たがられるのですが。

ただ、私は、けなされて育ったのでねぇ…幼稚園のころ県レベルの絵画展に入賞してるし、柔道で賞状取ってきても褒められず、企業の商品名に私の応募が採用されたときも「なんだ、つまらん」とか言われて育ったからねぇ…普通の子供なら道踏み外すよなぁ…自分に、自信持てなくて、自分が嫌いになってるし。しくしく。


さくりふぁいす(2001/11/6)
同時多発テロ事件。アメリカとムスリムにとっては、頭痛のタネ。日本の政治家にとっては、都合のいい言い訳を提供してくれたようだ。事件以来、全ての理由を同時多発テロによるアメリカの不況。と言っているような気がする。二言目には、テロの影響だ。今なら、何でもテロの影響と言えば、国民が納得するだろうと、思っている節があるよなぁ。今まで、誤魔化してた数字、全部吐露したれ、と言わんばかりだし。


追憶(2001/11/7)
PCゲームの「追憶」のコト。作中で「霊を消滅させちゃダメ、成仏させなきゃダメだよ」と言うのだが、陰陽師なうえ、表の職業、神主ならば成仏は不味いと思うぞ。文字通り、仏に成る。で仏教用語だし。まぁ、冥府観は仏教に間借りしてるから、良い…のかなぁ?。そもそも、陰陽道に、死後観(死んだらどこへ行くとか)は、無いので、陰陽道では、成仏させようがないのだが。葬送儀礼もないしな。

そもそも、霊を消滅させる宗教は存在しない。救うべき魂を滅するなど、もってのほか。ほとんどの宗教は、迷い出た魂を居るべき世界へ送り返すために、儀式や呪文を奏す。除霊、と言う言葉自体、エセ霊能者たちの詐欺の常套といえよう。本物の覚者ならば、取り外すだけでなく、浄め鎮めるはずだから。

ま、陰陽道は宗教ではないので、消滅させても良いのかも知れない(笑)。陰陽道には浄化の術はないし、除霊の術もないのだけどね。お守り(護符)作って、厄が近づかないようにしたり、結界はって祟りをやり過ごしたりしか出来ないのだ。ここでも言うけど、陰陽師は、魔術師でも払魔師でもない。ただの易者。世界の理を読むもの。そして悪質な煽動者。

ただし対人呪殺は得意分野だけどね(笑)…冷静に考えると、コレだけ呪殺にかんしては有名なのに、呪術として体系化も、記録もされていないとなると、実際は毒殺してたんじゃねぇのか?。陰陽師の呪殺って?。道教の直系ならば、丹、西洋で言う錬金術にも精通していたはず。有名な、道長が愛犬に助けられた話も、土器の中に揮発性の毒とか入ってて、犬は嗅ぎ当てたとか。

式神も、実は山人だったのでは。京の人間からすれば、山人なんて化け物同然。なんせ、葛とか土蜘蛛とか、周辺の土着民を化け物呼ばわりする性癖があるぐらいだから、山人だけに、忍びの術は心得ていたろうし。なんか、凄い発見かも(笑)


天晴れ(2001/11/10)
カートゥーンネットワークで「はれ時々ぶた」をやるのだッ。はれぶたのお天気お姉さん、好きなんだわ(笑)。平松晶子、渡辺美佐、松井菜桜子(順不同)は、俺様的ベスト3なのだ…我ながらマイナーどころだな(笑)。ぬぅ、ビデオテープ大量購入せねば。しかし、CSは、プログラム編成がよく分かんないので、同じ話を二度撮りそうで怖い。カートゥーンネットは、キッズステーションよか、マシだけどね。


追憶2(2001/11/10)
主人公は、天満と言う家系なんだけど、確実に菅原道真の血筋だよな、天満だったら。陰陽道の系譜じゃネェよなぁ。三善清行と敵対してたし。土御門(安倍家)とか、勘解由小路(賀茂家)とか使いたくないのは分かるけどねぇ。せめて、幸徳井(賀茂分家)とか。


北部同盟(2001/11/10)
アフガンのあれ。しばらく前に、200メートルの処で対峙しています。と、やたら、扇動的で情報操作ブリバリのFNNだけが興奮していたが、AK74とかM16でさえ、射程距離300メートルはあるんだよね。こら、やる気ないな。と思っていたら、アメリカ軍から止められていたんだろう。北部同盟高官が殺害されてから、動き出したからな。

周りにFNN贔屓がいるせいで、タリバンの優位さが取りざたされていると勘違いしていた、が−FNNは、パキスタンのタリバン派のデモの映像で、明らかにタリバンの人間しか参加していないのに、さも都市全体がデモに参加しているように報道したりしている−タリバン、前評判も低いが、それ以下なのかもしれん。


墜落事故(2001/11/13)
タリバンやアルカイダには、二発目起こす組織的体力は無いって。提携組織の模倣テロの可能性はあるが…再度、逆鱗に触れる根性のある組織はないだろう。あと、ラマダンどうするか、もめてるけど…のんきな戦争だよな。日本と戦争したら、お盆だから攻撃中止?。って言うのと同じダベさ。


肩胛骨(2001/11/13)
今、少しハマっているのが、肩胛骨動かし。肩胛骨を意識的に動かそうとしているのだ。古武術家の様に、翼骨のごとく動かせはしないけれど、まぁ、少しは動かせる様になった。そうすると面白いのが、関節が一つ増えたような感覚になり、リーチが延びたような気分になるのだ。実際、ミリ単位で延びているかも知れないけれど。

発端は、教育テレビか何かで、バスケの部活に、古武術の動きを取り入れて、低身長ながら全国大会の常連校になったと言うドキュメンタリーだった。まぁ、格闘技を極めれば、ほとんどのスポーツには対応できるの当たり前。広角視界(同時に二、三カ所を注意するなんて当たり前だ)、呼吸(相手の隙をさぐる、逆に使えば、連携技術)、間合い、反射速度、行動の同時処理(柔道ならば、投げると同時に、押さえ込むのはセオリー。出来ない人増えたけど)、最小行動(無駄な動きは、隙なのだ)、等々。格闘に必要なエッセンスというのは、他のスポーツでも必要なモノばかりだ。格闘技は、それらを目的に鍛錬をしている事にあり、球技などとは、勝手に身に付く、いわば選手個人のセンスと言って誤魔化される能力だ。

番組の中で、肩胛骨が動かせるようになると、ノーモーション。つまり、大きく振りかぶることなく、速く強いパスを出せる様になった。と言うもの。それで、自分の身体で実験した見たわけだ。考えてみると、ピッチングフォームはなぜ腕を後ろに反らすかというと、肩胛骨を動かす為ではないかと言う結論に至った。腕を伸ばすことなく150キロを超す、ヤクルトの五十嵐投手なんかは、肩胛骨を動かせるのではないかと思う。

逆に、意図せず肩胛骨を動かせるのは、空手やボクシングなどの打撃系選手が多いのは、ノーモーションで、攻撃する必要があるからだろう。腰と膝に加えて、重要部位がまた一つ。私の選手時代、今ひとつ上体で押し負けていたのは、上腕筋にのみ頼っていたからだろうか?。

ともあれ、モーションを盗まれたくないスポーツ。バスケやハンドボール選手は、試してみる価値はあると思う。ただ、肩胛骨辺りの筋肉痛って、スンゴイ気持ち悪いよ(笑)。


鍛錬法(2001/11/14)
壁に手を突いて、壁を押すようにすると、肩胛骨を動かしやすいです。なんでも、そうだけど、鍛錬する箇所に神経と意識を集中すること。目的意識を持つことが重要です。肩胛骨を意識しながら、背中を丸めたりしながら、動かしましょう。最初は、肩胛骨同士を接触させる事から始めると良いでしょう。とは、言っても我流の鍛錬法なので、その辺、ご注意下さい。何かあっても、責任取りませんよ。


リンクの威力(2001/11/14)
『ゲーム攻略への道』に、掲載していただいた。とたんに、カウンターが回り出す。スゲェ威力だ…書けるだけの、攻略記事を書いてやろうかと思ったりもする。でも、本当は検索エンジンだけで、勝負したかったなぁ…相変わらず、よその掲示板への書き込みに、URLは記載しないけれども。


非日常な日常(2001/11/15)
知人から紹介された、とあるプロライターさんのサイトの一文に、「ガンパレードマーチ争乱」に関する記述。つまりガンパレ評があった。
『でも、こういう「仮想世界の非日常な日常」なものが受けるってことは、昔から何度も遭遇しているのに、未だ懲りていない人と、そんな昔を知らない若い人が、それぞれにハマっているからなんだろうな、と思った。』
ちなみに、無断複製、複写禁止とあったが、引用については書いてなかったので、引用した。

「仮想世界の非日常な日常」
……すべての物語、あらゆる分野での物語は、すべからく「仮想世界の非日常な日常」であると私は思う。行く先々で、事件に巻き込まれる探偵も、友達以上恋人未満の関係にもだえ苦しむ少女マンガのヒロインも、虎縞模様のビキニを着た宇宙人に恋慕されるタフガイも、宇宙皇帝を夢見、大艦隊を指揮する常勝の天才も「仮想世界の非日常な日常」に生きている。どんなに、現実を描いたものでも、作家の空想から生まれた仮想世界の住人でしかない。

そもそも、創作活動とは、自分の創りあげた「仮想世界の非日常な日常」に、いかに現実味を持たせるか。体温と空間を感じさせる世界を構築しようと、四苦八苦しているモノではないかと思う。

『でも、こういう「仮想世界の非日常な日常」なものが受けるってことは、昔から何度も遭遇しているのに、未だ懲りていない人と、そんな昔を知らない若い人が、それぞれにハマっているからなんだろうな、と思った。』
この言は、間違いなく、あらゆる創作活動を否定している。

そもそも「仮想世界の非日常な日常」ではない、物語とはいったいどのようなモノなのか?。私小説か?、自照小説か?。
そんなもん、とっくに廃れたわ。頑張っているのは柳美里ぐらいだ。

少なくとも、表現活動であり、創作活動の末席に属するゲームを語る資格はないと思った。それどころか、遊ぶ事も、小説を読むことも許されないと思った。

しかし、プロライターとして糊口を凌いでおり、また、執筆依頼がある以上、かのライターの方が正しいのだろう。また、創作を否定する視点から、創作物を分析する。と言う編集部からの意図なのかも知れない。単純にすべてを拒絶し、全否定する人ではないので。

何を求めて、物語に逃避するのか、何を欲して、ゲームをするのか…私は、ただ、哀れとぞ思う。

だが、このライターさん。頓珍漢なコトを意味ありげに言うのである。一見、感銘のする名文かと思わせるのだが、ふと立ち返ると意味不明。いわゆる言いくるめ。会社とかでも、言い訳上手そう。意味不明な自作の言葉で煙に巻く。山のように反論できるが、無価値なのでしない。啓蒙する価値もない。向こうも素人にされたくないだろうしね。

しかし、他人事ではない。判ったような口を利き、賢しく立ち回る。私自身もまたしかり。持論をまとめ上げられるだけ、件のライターの方が、数倍もマシだ。私は、反応型受け身人間なので、いざ、持論をまとめて見ろ。と言われると尻込みする軟弱モノだ。


(2001/11/15)
『これは、「努力すれば報われる」という感覚が、個人的に苦手ということなので』
と言うことも、上記のライターさんは表明している。哀れである。明日を信じず、どうして生きていけるのか?。

むろん、努力だけで良い結果を残せるわけではない。だが、結果が全てではない。努力したという事実が、己の研鑽につながるではないか?。努力という課程が、自信と活力を生み、その結果から、長所と短所を探り、補い、伸ばし、より高い場所を目指す事。それが、努力が報いてくれる唯一のコトではないのか?。

ただ、現代社会では、結果がすべてだが……しかし、その結果、修正できないほど社会が歪んでいるではないか。

つまり、「努力すれば報われる」コレが信じられないと言うことは、向上心が無いと言うことだ。まぁ、人の生き方は、それぞれで、否定も肯定もしたくない。と言うのが、私の基本だが…コレだけは言える。向上心のない人間に価値はない。

ただし、野心と向上心は別物。向上心は、自分を磨き、高みに登ると言うことであり、野心とは、人を踏みつけて、高いところを目指すと言うこと。同じく上を目指しているが、立っている場所が違う。野心でのみ登るモノは、容易に崩れ落ちるのだ。

つまる処、努力とは自己暗示でもある。「コレだけ、練習したんだから」「あれだけ勉強したんだから」『出来ないはずがない、やれないはずがない』と言うことだ。つまり、どれだけ自分を信用できるか、と言うこと。今は出来ないかも知れないが、明日は判らない。と言うこと。

山田風太郎先生が言うように「人生とは、理想から冷めていく課程である」と言うのも真実だ。だが、本当に山田風太郎先生は、理想を捨てたのか?。断じて否である。理想とは得難きモノであると、認識し、なおかつ追い求めたのである。そうでなければ、あれほどの物語を、人物を描けるわけがない。

理想や夢を無くした人は、ただのホモサピエンスにすぎない。もはや人間ではない。惰性と人生のロスタイムに住まう、哀れな生き物だ


ゲーム雑誌(2001/11/15)
雑誌のライター。結局の処、商品の紹介者であり、販促係であり、誌上の実演販売員であり、テレホンショッピングの白々しく驚くC級芸能人である。決して、評論家たりえず、苦言を呈すことも、正当な批評を下すこともない。

読者もまた、批評も、評価も必要としていない。リポート記事すら欲していない。広告などでは判断の付かない商品データだけを読みとっているにすぎないのだろう。

要するに、今のゲーム雑誌とは、少々の攻略記事のついた、カタログでしかない。と言うことか。
本来、雑誌とはそう言うものかも知れないけれど。

なんでこういうコト書くかというと、件のライターさんを「信頼しているライター」と紹介してくれた知人に、上記二編をまず上梓したのだが「俺はこの人の言葉、一割も理解できていないので、それに対するリプライも理解できない」と返事を貰った…一割も理解できずに、信頼するのか?。それは、信頼してないだろう?。変な宗教とかに、騙されないように切に願う。


ハリーポッター君(2001/11/17)
世界的大ヒット。と言う言葉に異常に弱い日本人丸出しの騒ぎッぷりですが…繰り返すけど、日本人が書いて、日本の出版社が出していたら、間違いなく「ライトノベル」のコーナーで、細々とやっているわな。まぁ、欧米人作家と日本人作家の力量の差。と言われれば、それまでだけど。たしかに、似たようなストーリー(魔法使いに弟子入りしたりする話)日本人(特にテーブルトーク系から作家になった人)は、良く出していたけど、ちっとも売れてないわな。

でも、ハリーポッターの著者が、日本語にスンゴイ堪能で日本在住で、日本語で書き上げて、以前にいくつかのヒット作を出していたとしても、日本の出版社に持ち込んでいたとしても、日本の出版社、編集者は、ライトノベルで一番安い、裏のページが透けて見えるぐらいの紙で出版しているだろう。少なくとも、ハードカバーで出そうなんて、微塵も考えないだろう。なんか、ちゃんと地に足付けた評価して欲しいものだなぁ。日本人じゃないけど、魔法の国ザンスシリーズなんて、とても良くできているのに。うかれポンチが多いからねぇ…世の中…

時に書評系サイトへ行くと、週に四、五冊は読んでいる人がざらにいるけど、圧倒的に日本人作家ばっかり読んでいるんだよなぁ…逆に言うと、私が日本人作家毛嫌いしているのだけど…最後に読んだ日本人作家は…王領寺静(藤本瞳なんて言わんぞ)先生の異次元騎士カズマシリーズかなぁ…高校生の時だよ(笑)。ま、小学生の時から、洋モノ大好きだったのだけどね。Σ(゜U゜;)はッ!、西洋かぶれ?


格闘技(2001/11/17)
格闘技経験のないタレントが、格闘技の真似事していると、腕だけでパンチをし、足だけでキックする。非常に不格好。身体が正面向いたまま、パンチ撃ったりするので、一発で見分けがつく。古いハンナ・バーベラのアニメーションのような動き。と言ったら分かるかな。手と足だけ動いてる状態。

腰を使うと言う感覚は無いのかなぁ?。体重を乗せようとすると、必然的に全身を使うんだけどね。厳密には、踏み込んだ軸足のつま先、足首、膝、股関節、腰、背中、肩、肘と重心と言うか、力が徹(とお)って行くのですね。つま先から腰までは、あらゆるスポーツで共通。

この感覚があるかどうかで、腰が入れられるかどうかが決まる。腰を入れる。つまりは、踏み込んだり、重心の移動に伴う加速度を殺すことなく、使用できるか?。と言うこと。重心の移動を感覚として捕らえられるか、それだけが、運動センスと言えよう。


超人王国(2001/11/18)
独占サンデーの企画で、打撃力をキログラムで表現しようとする企画なんだけど…まぁ、わかりやすい指標ではあるが、実は無意味。モノを飛ばす蹴りと、モノを破壊する蹴り、人体を破壊する蹴りはまったく違う。キログラムで表現できるのは、物体を破壊する力だけなんだわ。と言うことは、必然的に体重が重い方が有利なんだね。

初代タイガーマスクの佐山悟さんも、別番組だけどキログラムを出す企画で「ダメージを与えるのと、こういう記録だすのはまったく違うんだけどね」と言っていたし。こういう筋力偏重主義に反抗していた身としては、苛立たしくもある。私の場合、反抗しすぎて、基礎筋力さえ足りなくなっていたのだけど(笑)。

バットスピードの企画でも同じコトが言え、速ければ名バッターと言うわけではない。長島一茂が上位に行けば行くほど、バットスピードは無価値になるのだが、気がついているのだろうか(笑)。160キロのピッチングマシーンの球より、130キロの人間の球が打ちづらいコトが、その証明。

しかし、これらの単純数値の素養を持っていなければ、決して一流とは呼ばれないのも事実。長島一茂は高い資質があったにもかかわらず、ろくな成績が残せなかったと言うことは、筋力に任せて、ただ振り回すだけの人だったってコト?(笑)。でも、蹴りはバッターだけあって良い腰の回転だったわ。ちと、意外。身体能力と試合勘とか呼吸や間合いの感覚は、別系統なんだねぇ…


星に願いを(2001/11/19)
11/19AM2時ぐらいがピークだった、獅子座流星群。三年ぐらい前から毎年観測出来ていたらしい。三年前は大阪に住んでおり、初物と言うこともあって、友達に誘われて観測に行った。晴れてはいたけど、雲が厚く、ラジオの気象情報に従い、南下して晴れ間を捜していたら、雲も南下してきて、大阪市内の方が見えたと言うラジオ放送にへこみながら帰ったわけですが(笑)。

それ以降、流星群の時期になると、晴れていても雲が厚かったり、爆睡こいていたり、星に縁がなかったのです。星(タロットで言う希望)とは、縁が無いのかのぉ。とか考えたりしていたのですが、今年は見えました。

午前2時ぐらいから、ぼーっと見ていたのですが、二分としないに間にデカイの見てしまい、眠っても良いように、シュラフにくるまりベランダで観測モード突入。快晴で月もなく、観測には最適な気象条件。だったのですが、最ピーク時とも言える午前二時半から三時半まで雲がかかるあたり、やはり、希望とは縁がないのかなぁと、思ったり。それでも、午前二時から二時半の30分で、概算30個は見えたので、かなりの個数が見えたことでしょう。体感で3〜4秒は尾を引いていた巨大低速(角度の問題でしょうけど)なのを見れたので、満足です。

しかし、願い事出来そうなぐらい長い流星がくると「おおっでけぇ」「長ッ」とか、素直に感動して、お願い事なんざ出来ないです。結構、利己的というか、感動とかを捨てられるぐらい、強烈な願望じゃないと無理ですな。つーか、それほど執着していたら、星に願わなくても、自力で達成すると思うぞ(笑)。

久々に、シュラフ使ったので、ツーリンググッズの記事でも書こう。


STAREYES(2001/11/19)
星空で一番印象に残っているのは、四国の剣山は天狗高原(近くに国民宿舎アリ)。十一月と言う条件もあったのだろうけどね。月明かりと星明かりで、夜空が白っぽく、七等星でさえハッキリと観測でき、一等星は眩しすぎるほど。手を伸ばせば掴めそうだった。午前六時から運転を始め、到着したのが25時だったのにも関わらず、飽きることなく見てたなぁ。

古代の夜は、ずっと暗く、外に出るのを控えていた。と、学会や学者達は言うけれど、実際は結構明るかったんじゃないかなぁ。だって、下手な外灯より明るかったし、ヘッドランプもつけなくても、月明かりと星明かりで地図が読めたんだし。今より、ずっと空気は澄んでいて、月も近くにあったはずだし。

何より、キリストのお祝いに駆けつけた三博士は星を頼りに進んでいった。つまり夜の旅だ。夜を怖がっているのは、常に明かりがあることになれてしまった、現代人だけかも知れない。私も、野宿を初めて間もない頃は、夜はとても怖かった。でも、慣れるに従って、テントすら邪魔になり、好んで星空を天蓋とし、地を寝床とした。夜の帳はとても優しく、穏やかで、心地よいもの。

郊外型の妖怪、妖精に気さくなモノ達が多く、都市型の妖怪、妖精に残虐なモノが多いのは、案外、人間性を現しているのかも知れない。


発売日(2001/11/20)
最近、発売日当日にゲームを買うのを止めようと決心した。期待を膨らませて、数ヶ月、下手すると一年近く待ち続けると、遠距離恋愛で過剰に美化してしまったカップルがごとく、なんら遜色無いのに落胆してしまうがごとく、評価は厳しいモノになる。発売から半年が過ぎて、一段落した頃に、そう言えばコレ、興味あったんだよなぁ…と言って買うと、評価は甘くなる。

つまり、発売日を延期すればするほど、話題の新作になればなるほど、評価は下がるということか。ガンパレがあれだけ売れたのも、ノーマークのゲームだったからかも知れない…様な気がする。

雑誌の情報は、映画のCM並に、煽りと詐欺ギリギリのラインでしかない。と最近悟ったので。映画のTVCM見て「あ、面白そう」と思っていったら、CMのシーンは、映画のクライマックスの一番良いトコだったりして、落胆。CMに使ったのが一番良いトコかよ。って、もんでさ。ゲームの情報もそんな感じかなと。

やっぱり、ふらりとゲーム屋、本屋に立ち寄って「私を買って」と訴えかける様な代物を買うのが一番良いね。ハンティングだよ、ハンティング。でも、最近、めっきり減ったよ、そう言う訴えかけるゲーム、本って。


Rez(2001/11/22)
ソニック・ザ・ヘッジホッグや、スペースチャンネル5を制作したチーム(セガの稼ぎ頭)による新作で、DC撤退したセガが初めてPS2に提供するソフトでもあるので、一部で話題となっている。局は忘れたけれど、テレビのドキュメンタリー番組でも取り上げられていた。ゲームとしては、ただの擬似3Dシューティングで、古くは、スペースハリアーから進歩してネェなぁ。とも言える。ロックオンとウィルスの破壊音が、通常の爆発音ではなく、シンセの音で、敵を撃破することで、ストンプ的な音楽を奏でよう。つー事らしい。

テレビのドキュメンタリーでは、設定付けに四苦八苦していたが…サイバーパンク好きならすぐ思いつくがのぉ…と思いながら見てた記憶がある。ウィリアム・ギブスンの描くサイバースペースそのものなんだもん。

まぁ、そんなことはさておいて、テレビで放送、特にドキュメンタリー番組で追跡取材されると「そのゲームは売れない」と言うジンクスがあるので、その辺に興味がある。このRez、構想期間を入れると制作年数5〜6年はゆうに掛かっているらしい…セガ、ダメになるよね、そら。


デクスターズラボ(2001/11/22)
カートゥーンネットワーク(CS)のデクスターズラボと言う洋モノアニメなんだけど、作中でテーブルトークやってるんだわ。明らかにD&D。ETの時と言い、やはりアメリカでは人気No1なのかねぇ…つーか、アメリカではアニメ、コミックで稼ぐようになる様なインドアボーイ達のバイブルなのかもしれん(笑)。

作中で「ゲームマスター」の訳に四苦八苦していたよ。「ゲームの親」「このゲームの支配者」とかね。ちなみに、作中で狩人。と言っていたのはエルフと思われる…で、さらにホビットって言ってたんだけど、版権良いのかなぁ…


オーガ(2001/11/23)
グラップラー刃牙の範馬勇次郎の別称で、その由来は「鬼を見せてやろう」って、背中を見せると背筋とかの筋肉の盛り上がりが、鬼の顔に見える。と言うモノなんだけど、まぁ、マンガの話だし。と思っていたら、ボディビルダーの生活をおったドキュメンタリー番組があったのだけど、その試合シーンで、後背筋をパンクアップさせたときに、見えたんだわ、鬼の顔。

まさに、範馬勇次郎の背中、そのものだった。さすがは板垣先生、その辺は調査済みなのね。

しかし、ボディビルダーの生活って、無宗教の武僧だね。ある種、釈迦以前の苦行に近い。粗食に耐え、限界ギリギリの重量を持ち上げる。筋肉を付ける、と言う行為を練氣を含む拳法修行に置き換えれば、少林寺の武僧そのもの。

でも、ボディビルダーが格闘やると強いかというと、実は弱い。ま、単純筋力はあるんだけどね。体脂肪5%程度ではねぇ。脂肪は備蓄燃料でもあるから一分ぐらいでKOしないと、不味いね。胸筋つけすぎると脇が甘くなって、投げられまくるし。あと、筋肉は鎧で、脂肪って言うのは実はクッションなんだよね。直接ダメージは防げても、衝撃までは止められない。だから意外と打たれ弱いはずだよ。特に、浸透系のダメージを引き出す骨法や相撲にはね。でも、コレは一流格闘家と対峙した場合で、半端な選手とならボディビルダーの圧勝だと思うよ。


禅とオートバイ修理技術(2001/11/25)
と言う本がある。自伝でもあるし、哲学書でもあるし、心理学の本でも、親子関係の本でも、旅(ツーリング)の手引き書でもある。アウトライダー(バイク雑誌)で、しばしば斉藤純によって紹介されていたので、バイク乗りの人はご存じかも知れない。

久々に、読み返した。深くて、重い。

この手の本は、理解しようとして読んではいけない。ただ、読み進め、感じるままを認識すればいい。判らない、理解できないからと言って、読み返したり、脳で反芻する必要はない。その言を今は理解できない。と言うことを認識すればいいだけだ。

良い本。と言うのは、読み返すたびに発見や、以前とは異なった感動を呼び起こすものだと思う。今は理解できなくても、年を経て、理解できる日が必ず来る。理解できなければ、また年を経て読み返す。その繰り返しだ。

この本を読むことに意味はない。この本によって、万物を認識し、考え始めた貴方の精神にこそ意味がある。
そうでしょう?、パイドロス先生?


戦艦派遣(2001/11/26)
ん〜今から補給艦送ってもさ、到着する頃には、終わってるんじゃないの?。無意味だし、邪魔になるだけなんじゃないかなぁ。一番苦しい時期は終わったわけだし、今更、押っ取り刀で来られても、アメリカ軍も扱いに困ると思うわ。ただの小泉内閣の意地だね。日本は平和だ。

しかし、今度は二週間の予定やて。湾岸戦争のときの、掃海艇は単なるお遊びだったのが露見したねぇ。まぁ、ウチの父(海外航路の商船船長:湾岸戦争時、天然ガス取りに紅海へ行っている)も「一ヶ月あれば、往復できる」って言って怒ってたな。しかも、家族が涙で見送ってたよ、掃海艇。うちの親父は、攻撃開始二週間ぐらいで、出航したよ?。自衛隊は平和だね。

今回も泣いてたけど、海を待たない国に船で出掛けたのに、何を泣く?。今回の補給艦より、実弾使う分だけ富士の演習の方が危険度高いと思うぞ。海賊に脅える一般商船の方が遙かに危険だ。馬鹿だ、自衛官の家族。

しかし、佐世保で反戦主義者が暴動起こしていたけど、馬鹿じゃネェの?。
反戦主義者が暴力に訴えるなんざ、本末転倒、矛盾甚だしいも良いところ。てめぇと同じ国民に殴りかかるような馬鹿が居るから戦争は無くならないんだよ。戦争反対って事はなぁ、侵略されても抵抗しません。黙って殺されます。って、覚悟がいるんだぞ。マハトマージを見習って、非暴力、無抵抗を貫けよ。

まったく、馬鹿どもがッ、ただ反対してりゃ良いと思ってやがる。
常々思っていたけれど、やはり、本当に戦争が無くなって困るのは、軍需産業でも、武器ブローカーでもなく、闇雲に反対しているだけの反戦主義者の馬鹿どもでは無いだろうか…


筋肉をつける(2001/11/27)
バーベルや、ダンベルで付けるのが一番速いわけだけど、なにも考えないでトレーニングを行っていると、見せかけだけの筋肉になり、下手をすると身体を壊す原因になる。何より、十代前半までに、無駄な筋肉を付けるのは絶対に止めた方が良い。

アメリカで、5歳児のボディビルダーが話題になったけど、彼は筋肉という拘束具を取り付けられたも同じで、骨の育成が阻害され、将来は、ずんぐりむっくりの背の低い筋肉ダルマになるだろう。小さい頃から筋肉質で、高身長の人を私は知らない。逆に、背の伸びなかった人は何人も知っている。

本来ならば、成長期が終わるまで、不必要な筋肉を付けるべきではないのだ。短期間で、効果の得られる筋力トレーニングは、小学校低学年までに浸透しているが私は反対だ。

ロッキー5(だっけ?ドラコ戦)が公開されるまで、バカにされていたが、筋力トレーニングは、つまるところ、モノを持ち上げる筋肉を付けるトレーニングである。それよりかは、自分の身体を負荷にした方が身体のため。一番良いのは、乱取りや、組み手を数多くこなすことだ。

そうすることで、身体の方が自然に、その競技に必要な筋肉を選択し、強化していく。そうすることで、しなやかで柔軟な筋肉がつき、持久力と瞬発力のバランスも取れる。が、絶大な欠点は、異常なまでに時間が掛かると言うこと。特に、学生スポーツでは、なんら結果を出せずに終わってしまうだろう。

だから、練習試合や乱取り、組稽古で使った筋肉を憶え(せめて認識しておき)そこの筋肉を使うように、ダンベルやらバーベルで補強して行くべきだろう。その場合も、ボディビルダーの様に、筋肉の膨張率を増加させたいわけではないだろうから、限界ギリギリの重さを10回より、まったく負担にならない重さで、数をこなすべきだ。つまり、100キロを10回持ち上げるより、10キロを100回やった方が、一般スポーツには適した筋肉が作れる。特に少年期にはそうすべきだ。


恐怖の種類とその考察(01/11/28)
一番の力作になってしまった。まだまだ、隙は多いけど、見るべきところは数多くあるあると自負しよう。ちまちまと煮詰めますわ。


掃除機(01/11/29)
イライラしているときは、ナニを聞いても腹立たしいものだけど、なかでも一番腹立たしくて、さらに不機嫌にさせるモノは、掃除機の音だと思う。普通の状態でも、掃除機の音を聞くとムカッとするぐらいなので、煮詰まっているときに聞くと、暴れ出したくなる。

排気音も五月蠅いのだが、ヘッド部分がフローリングと擦れる音が一番嫌だ。

なんか脱力してるな(笑)。ミニ論文『恐怖の種類とその考察』のせいか?。ああ、書き上げるのって楽しいなぁ(笑)


CIA(200/11/30)
アメリカ軍特殊部隊から初の死者。と言う報道があったときから、CIAつまり、情報局関係だろうと思っていた。軍の特殊部隊なら、暴動を起こすような隙はまず与えないからだ。亡くなったアメリカ人の父親が、早速、記者会見という演説をしていたが、ベトナムでずいぶん学んだらしい。自軍や民間人への誤爆で、国民の戦意が無くなりかけたところで、父親の涙の記者会見。さすがだ。

しかし、タリバンにしろアルカイダにしろ、アメリカほどの大国が、これほど素早い行動をするとは思ってなかっただろうなぁ…イギリスならさておき、目の前で一発かまされて、言葉で諭そうとするほど、アメリカは老獪ではないし、アングロサンクソンも理知的ではない。

オマル師の「取り返さなければさよなら」発言は、モロにおとり、陽動作戦なの丸見えだよなぁ…都市に攻勢かけているウチに、パキスタン側へ逃げる気だろうけど…バレバレだと思うぞ、そんな小学生なみの作戦。



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