十月の夢酔


おくればせながら(2005/10/3)
たいぞう。この名前は、どうも天然キャラになる宿命らしい。ネプチューンの原田たいぞう氏。吉本新喜劇のたいぞう氏。そして、国会議員のたいぞう氏。

昨今話題の議員のタイゾーですが、まぁ、一般市民が棚ぼたで議員になったら、あーなるよね。と言う典型例というか、バカ正直というか。小泉劇場に、ボケキャラ登場ってところでしょうかね。多くの人は、次ぎはない。と言っていますし、私も現状のままでは、次ぎはないと思いますが、あのキャラクター性を考えると、大物か、バカかのどちらか。の典型の気もします。

それにしても、現状で、新聞なども小泉支持チックな記事を書くと、よっていると思われるのか、無理のある小泉批判をしているモノが多いのは、何とかならないものか?。これも、民主大敗の影響かなぁ。次がないといえば、民主の新代表。次ぎはないっぽい。

いま、菅さんや小沢さんを代表にすると、風当たりが強いので、とりあえずの風よけにもってきたっぽい。いまや、民主党の方が、昭和の政治が色濃くなってる気はするなぁ。


まいどの事ながら(2005/10/6)
毎度の事ながら、日本人の危機管理能力は低いなぁ。阪神電鉄ですけども、38%も占有されて、今から企業買収の対抗策を。と言っても遅すぎ。 目標数のメドがたったから、株式に交換し始めたのだろうし。某生扉社は、見切りが速かったのか、それとも、すっぱ抜かれたのか分からないけど、目標数のメドが立つ前に露呈したからねぇ。

軍事に置き換えても、4割方侵略されて、そこから防衛戦の戦略考えたって手遅れだよねぇ。そこからあるのは、屈辱的な停戦条約だろうなぁ。もの凄いテコ入れがあれば、巻き返せるだろうけど。まぁ、色々提案しているのはパフォーマンスっぽいので、目的達成したら、撤退するのでしょうなぁ。

防衛戦の基本は、水際での阻止。防衛つーのは、保険なわけで、保険というは、万が一のために備えるもの。侵略者に対して、想定してなかったでは、お話になりませぬ。例えが悪いけど、泥棒が入ってきたあとで、警備会社どれにしようか相談初めてもねぇ。


さてさて(2005/10/7)
和歌山の高速道路発砲事件なんですが、第一報を聞いた時に思いだしたのが、何年か前に、ヤクザが、高速道路の看板に試し打ちというか、射撃練習した事件。あれも、和歌山の近畿道だか、西名阪だかだった記憶があったので、またか。と思っていたのですが、改造ガスガンと言うことで、素人かなぁ。と思っていたら、複数の盗難車、それから注射器と言うことで、その筋の方々の色が濃くなりましたな。

国会。有望新人の質問デビューと言うことで、各局やっているので、見る機会があったのですが、やっぱ、民主党ダメだな。いきおい、新人議員への評価ばかりしている各局ですが、民主のダメ解答っぷりを突っ込む人はおらんのかい。散々、小泉総理に「のらりくらり」だの、「答えになってない」だの言っておきながら、いざ、質問を受ける立場になると、のらりくらりですかぁ?。受ける立場になると、てんでダメという、従来の反対大合唱野党から抜け出せていないのが路程しましたな。

それ以前に、対案を出す。って、自民の出す法案に対して、その都度、対案を考えてどうするよ。公社のままで十分だと言っていたのに、民営化するっていったら、そらぁ、ダメダメ君。今回の自民の郵政法案は、前回と大差ないのだからして、民主も大差ない対案でないとおかしく無いかい?。

広島は廿日市の女子高生殺害事件ですが、あれは、高校の同級生と言うより、中学の縁故でしょうな。中学時代まで、さかのぼっているのかしらん?。ってまぁ、素人が言うまでもなくさかのぼっているでしょうけど。速く捕まると良いなぁ。


追加で(2005/10/7)
追加で、コレ。やっぱり、こうなりましたか。ぐずぐす言ってるのは、企業としての体面があるからとはいえ、みっともないねぇ。しかし、この写真、犯罪者か故人の写真みたいだなぁ。私がそう言う目で見ているからかしら?。

関連記事というか社説のコレ。を見て、ジャストシステムが、逆転勝訴していたことを今さら知る。これはまぁ、松下の言いがかりというか、インネンつけてきたようなもので、松下が勝ったらシャレにならん。東京地裁での、判決文をみて、この手の事案、裁判官には無理だなと思いました。素っ頓狂やったもん。

強引な商標登録って点では、もっとも劣悪かつタチが悪いのが、ゲーム業界なんでしょうけども、ゲーム業界はバクリもヒドイからなぁっと。


トホホ(2005/10/10)
相も変わらず、番組内容が一番トホホな、トホホ偉人伝ですが、荒俣先生、もう少し突っ込んだ方が良いのでは。あの人が知らないワケ無いし。

四谷怪談で、鶴屋南北が有名人だからと、お岩の名前を借りたとなっていたとなっていますが、4世鶴屋南北の東海道四谷怪談の初演以前に、すでに四谷怪談は知られていた。

んで、南北の四谷怪談では、お岩は、いわば、家を乗っ取られた悲劇のヒロインであり、乗っ取りを企てた夫とその上司を呪い殺すのも、正当な復讐と言える。

番組説の論拠として、早稲田の教授のコメントも放送されましたが、あれ、もの凄いカット、番組にとって都合の良いところだけ放送しているのでないだろうか。抗議した方が良いんではないだろうか…研究者としての権威にかかわると思うけど…番組で紹介してた粗筋も、鶴屋南北はじめ他の江戸期の文献のモノとは違うんだけどなぁ。

放送時間帯が、変なところにあるせいか、あんまりとがめられないけど、コレマジ?より劣悪番組なので早く終わって欲しい。まだ、少し前は、考察が甘い。とか、現代の常識から見てトホホと言ってたりして、それでもまぁ十分劣悪番組だったんだけど、いまや、リサーチから間違っているし。やらせに近いレベルだと思うぞ、コレ。つーか、何なんだろうなぁ、このトホホ伝。

劣悪と分かっていながら、見てしまう私もアレだが。


怪談(2005/10/12)
秋も深まったのに、怪談も無いような気もしますが、まぁ、なにげに思ったので。三大怪談というと、やはり、四谷怪談、番町皿屋敷、もう一つは、牡丹灯籠、耳なし法一、真景累ヶ淵と言ったところか。

三つ目は選ぶのが難しいなぁ。と言うところから、思いついたのですが、四谷怪談と皿屋敷って、実は復讐の物語なんだよね。四谷怪談も、一番有名な鶴屋南北の東海道四谷怪談で、お岩さんは、婿養子を取って、家名を守ろうとしたが、婿養子と上司の謀略で体良く家から追い出されてしまう。その復讐に婿養子とその後妻と子供を呪い殺すわけだし。

皿屋敷も、捕らえた盗賊の娘を侍女にしていた青山なにがしという火盗改が、妾にしようとしてて拒まれ、そしてそれに嫉妬していた奥方から、いわれのない虐待を受け自害した娘の怨念の復讐と言える訳だし。

そこに見えるのは、町民の武士階級への恨み辛み。武士階級への恨み辛みを、この二人に託したのではないだろうか。生身では果たせぬ恨みを、怨念となって晴らす。だからこそ、演目としても、長らく続けられているのだと思う。

対して、法一や牡丹灯籠は、本当の怪談だし、真景累ヶ淵は、実話らしいのだが、どうにも浄土系宗派のプロパガンダの要素が感じられる。この裏テーマというか、秘められた真意の有無が、その差になっている気がするなぁと。

というか、先日のトホホ伝で、四谷怪談では逆恨みで呪い殺したような言い方をしていたのが気になったもので。本来トホホ伝と言うのは、細かいリサーチをして、突っ込みどころを細かく調べる必要があるのではなかろうか。たとえば、福沢諭吉は身分制度撤廃を訴えた人だが、自分の娘は、士族にしか嫁に出さんと言っていたり。と言うのがトホホ伝ではなかろうか。


字義の変遷(2005/10/14)
エクスプローラーを起動させると、MSNをトップページにしているので、ニュースネタなどMSNに依存する訳ですが、そこで気になったのがコレ。ゲーム脳とかネット脳とかって、当初提示された意味とは随分変わっている気がするのですが。

記事内容も、幼児期に、両親や社会と適切なコミュニケーションを取らないと、社会との対処法が学習できず、幼児的な思考から脱却できない。と言うのが骨。

つまり、家事や仕事をこなすために、一人遊び、自己完結型の遊びをあてがってばかりいると、他者とのコミュニケーションや、意見の相違を受け入れる方法を習得できず、自分の知るものが絶対正義と思いこむようになる。と言うことなんだろう。この際、あてがう一人遊びは、別にゲームやネットに限らず、ビデオやマンガ何でも良いはずだ。

ゲームやネットという新しいモノを敵に設定することも、有識や年寄りが、理解できないモノは敵という反応だろうなぁ。

本にしても、テレビにしても、完全な自己完結に陥るには、かなり閉ざされた環境が必要だ。本来ならば、ゲームでも映画でも、親や両親と、あーだこーだと意見を交換する時間を作ることで、意見を戦わせる時間があるはずなのだ。

そこで、他者の意見との相違との対処法を学ぶ。自分と意見が違う。相手が正しいのか、自分が正しいのか、それとも、両方間違いなのか、両方正しいのか。そもそも、視点が違うだけで、意見は何ら対立していないのではないか。等々。考える時間が必要だ。

最近の子供、大人もかも知れないけど、作品に対する感想を語り合う時間をほとんど持っていない。それが故に、自分の意見が絶対正義と信じて、他者を全て否定する幼児思考とか増えているのではないかと。

コミュニケーション障害と言ってもいい、キレやすい子供は、大抵はインドアキッズで、体力は劣る傾向にあり、面と向かって討論しようものなら拳は愚か、ひとにらみで萎縮してしまうのかも知れない。しかし、ネットならば、危害は加えられない。と言うことで、掲示板等で、攻撃的な書き込みなどをしているのだろうか?。

ゲームも映画も、所詮は娯楽の道具で、それ自体に罪はない。扱う人間が問題なのだ。たしかに、規制は必要だと思う。でも、一番必要なのは、会話の時間なんじゃないかなぁ。映画にしても、ゲームにしても、ただ、見せる、やらせるだけでは、自己完結の一人遊び。

ご両親も一緒に見て、一緒にあそんで、感想を語り合う時間をもつ。それが一番重要なんじゃないかなぁ?。それがないならば、家族旅行に行ったとしても、なんの意味もないと思う、旅行で、アレが良かった。あれは、雑誌が言うほどじゃなかった。等々、語り合うからこそ、意味があるのではないだろうか。それがないならば、黙々とビデオを見ているのと変わらないのではないか?。

つまり、ゲーム脳云々。と言うのは、大人や両親の逃げなのではないだろうか。


更正の機会(2005/10/17)
少年法の厳罰化に際して、自称有識者が唱えるお題目が、「更正の機会を奪ってはならない」なんですけれども、私との根本的なズレとして、更正させることを考えるより、いかに罪を犯させないか。を考えないのが不思議でたまらない。

刑罰はもちろんペナルティなんですけれども、抑止力として考えるべきだとも私は思うワケです。ハインラインは「宇宙の戦士」の中で、「罰というモノは、おぞましいものでなくてはならない。甘受できるモノであってはならない」と言うセリフを入れています。犯罪という一時的な快楽と引き替えに、甘受できる程度の罰ならば、人は何度でも犯罪を繰り返すでしょう。

1つの罪には、10の罰ぐらいでないと抑止力にはならないのかも。良い子ちゃんで育った学者先生には、刑務所の数年は耐えられないかも知れないけど、刑務所の中をぬるま湯と感じる人生の方もいる訳ですし。


枯れた(2005/10/18)
困ったことに、最近めっきり枯れてしまいました。まぁ、元々、批判ばかりしているので、斜めに構えていると言うのは仕方ないのですが、なんかこう興味が薄れてきたというかなんというか。

いえ、ゲームの話です。ソフト売り場をうろうろしていれば、何本か目をひくソフトに出会えたものですが。雑誌等の事前情報などなしで、直感で選んだ方が、自分の趣向にあったものを選べていたりした訳です。これをソフトハンティングなどと呼んでおりました。

が、最近、売り場をウロウロしても、目にとまるのは、かつてプレイして面白かったモノのリメイクというかwinへの移植版というかそう言うモノばかり(デジャとか真説・僚機の檻とか)。本当の意味での新作群は、どれもコレも同じようなモノに見えて、食指が全く動きません。元々、鬼畜、陵辱系嫌いだし。って、エロゲーの話かよ。

非年齢制限のゲームは、パソコンだともはやオンラインゲームしかないと言っても過言ではなく、コンシューマーのゲームだと、ゲームなんだか、映像作品なんだか分からないものが目に付くし。そうそう、スクエアの新作…と言って良いのか悩みますが、FF10かなんかのキャラクターを使用した、映像作品がン十万本はけたとか。

映画だと、般客を相手にする事になるので愚策と気が付いたのは賢いですな。ゲーマーなら、出来の善し悪しはさておいて、コレクター心理で買ってしまうものだし。なにより、ちゃんとしたレビュワー、批評家が存在する映画と違って、ゲームには、いませんからな批評家。私を含めて評価者はゴロゴロいますけども。

ゲームジャンキーなんで、禁断症状は出ているのものの、食指の動くモノがないこの現実。餓えているのに忌避するタイプの餌食しか見つからない時のカイン人の気分ってこんな感じかしら。


存在感(2005/10/19)
小泉劇場と国会が呼ばれるようになって久しいですが、まぁ、ずいぶんと前から、知名度だけはある有名タレントを担ぎ上げたりして、国会の芸能界化は、着々と進んでいた訳ですけども。

高名だろうが、悪名だろうが、名前売ったもの勝ち。みたいな雰囲気になってきていますな。まぁ、たしかに、マスコミ、特にワイドショーに名前を出していないと、消えたと思われるご時世ですから、仕方ないのかも知れません。小泉劇場と揶揄されてますが、国民が国会に目を向けるようになった功績は認めるべきでしょうね。いままで、あまりに野放しだったし。

それはそれとして、タイゾー議員の認知度、知名度はすさまじいですな。よかれあしかれの知名度ですが。そしてなぜか、そこに噛みつくことで、存在感を出そうとしているようにさえ見えてしまう事態が起こってます。まぁ、確かに、棄権という中途半端な行為で、男を下げたと思っているのかも知れませんが、噛みつく先が違うと思うよ、大仁田先生。

新人の、小者の、小童に、キャンキャンと吠える姿は、余計に男を下げると思いますが。指導するにしても、もちっと大人の、先輩の余裕を見せて、お望みの料亭で一杯やりつつ、議員としての志を語り合ってみたいと思います。とか言う方が格好いいと思うのですが。


記者と編集者(2005/10/26)
ずっと思っていたのだけれど、ゲーム雑誌編集者とは言うけれど、ゲーム雑誌記者とはあまり言わない…ような気がする。記事を書く以上記者だと思うのだけど。サンプル版をプレイしての先行レビューなど、十分な取材活動だし。セガガガでも、ゲーム記者ではなく、ゲーム編集者なんだよねぇ。

言い換えれば、記者が編集をもこなすのではなく、編集者が記事書いてますってこと?。そう考えたら、記事を書くうえでの基本的なことが欠如しているのも納得できる…のかな。とは言え、誤字脱字などは、校正ひいては編集の問題で、編集者としても首をかしげてしまう訳ではありますが。

もう、10年近く、立ち読みすらしなくなったので、ゲーム雑誌の現状がどうなのか分からないけど、ちらりちらりと記者、編集者のモラル以前の問題点を聞くのでねぇ。ちゃんとした、視点というか、批評眼をもった記者を作って欲しいものですわ。メーカーに耳当たりのイイ、言葉を繋げるだけの編集ではなく。

まぁ、広告費でやりくりしている以上、本当の批評は出来ないわなぁ。製品の売り上げをキープするために、一定以上のことを書いてはいけない規約もあるし。だからこそ、利害が絡まない、個人サイトのレビューや攻略が繁盛している訳ですけども。

だからといって、発売>即、解析して得意げ。と言うのも歪んでいると思う今日この頃。まぁ、ネットの方は見なきゃ良いんですけどね。本当に行き詰まるまで。解析されるのを前提にしているかのような、難解な条件を付けているゲームも多いし。

何はともあれ、どんな物作り業界でも、ただしい批評でもって監視しないと、良い物は生まれないし、なれ合いで堕落していくモノですわ。ゲームって創作活動のわりに、評論家っていないのよねぇ。もっとひどいのは、アニメ業界だけど。ゲームより古いのに、まだ、まともな批評家が育っていないという。

そう言えば、アニメ雑誌も記者と名乗らず、編集と名乗っている気がするな。



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