一月の夢酔


あけおめことよろ(2006/1/3)
ネット語として定着した、あけおめ。なんですが、実は由緒正しい言葉。せっかちな江戸町民は「あけましておめでとうこざいます。今年もよろしく」などと、ちんたら言ってられネェ。と「あけおめことよろ」と省略していたとか。つまりは、あけおめ。は江戸時代から続く、由緒正しい挨拶と言うこと。

なんで、ネット語になったかと推理すると、初期のネット(音響カプラとかの時代)は関東圏にしか存在していなかったため、江戸弁を無意識に使用していた。また、チャットでは、長い文字を打つのは面倒。短縮された「あけおめ」は、チャット向きの素晴らしい言葉だったと。

まぁ、ネットで流行した理由は私の推測ですが、江戸時代から使われていたと言うのは、江戸風俗研究家の杉浦日向子先生が仰っておられたので、間違いはないでしょう。そう言えば、杉浦先生も亡くなられたのだよなぁ。

正月そうそう、縁起の悪いと思われるかも知れませんが、人間ってのは対比でしか物事を見られない生き物。死を想え、人はタナトス(死)に向かう時、エトス(生)を得るのだ。メメント・モリ。と言う訳ですわ。正義を知るためには悪を知らねばならず、美しいを知るには、観にくいを知らねばならぬ。喜びを知るには、悲しみを知らねばならない。苦しみを知らなければ、そこにある喜びに気がつけないもの。

今ある苦しみが、喜びに変わることを信じていなければ、人は生きていけないのかも知れないけども。

あ、どうでも良いけど、鏡餅って、魂を模したモノなんだよね。だから、鏡餅だけは、全国共通で丸い。魂が、白くて丸いもので、描かれている事が多いと思うけど、それを模したモノ。だから、鏡開きの時、刃物は禁じられている。魂の緒を切っちゃうからね。まぁ、モチを喰うってのは、魂を喰うって事なんだわ。神々の力を取り込むって事かな。


最終兵器(2006/1/4)
もうネタ的に旧くてどうしようかと思っていたら、実写版と言うことで、改めて。最終兵器彼女なんですが、良く出来ているとは思いますが、私的には、イマイチ好きになれません。と言うのも、戦争を舞台として、人間ドラマをメインにしようとした場合の定番シュチュエーションばっかりなので、ドラマ的にイマイチと。まぁ、定番のお涙頂戴には弱いのですが私。高校生前後ぐらいの人ならば、いろいろと感じ入って欲しいものですが。

さて、本題。実は、戦う主人公は皆、最終兵器なんですよ。巨大ロボットやその他のパイロットに選ばれた時点で、すでに最終兵器の一部。つまり、すべからくロボットモノなんかでは、最終兵器であると。ヒーローモノ、子供向けであるがタメに、少々、脳天気に戦ってはいるものの、そのほとんどが、仕方なくや、強制されて、最終兵器に乗り込んでいる。と言うこと。人間ドラマや悲劇にフォーカスを合わせれば、すべからくそう見えてくる。

古くは、ゲッターロボでも、アニメ版では穏やかだけど、原作マンガでは、拉致に近い状況で連れ去り、本人の意思確認無しで、人類の敵ハチュウ人類と戦えと、決戦兵器ゲッターに乗り込まさせれるワケですし。新しくは、エヴァンゲリオンもそうですな、ただの中学生だった碇シンジが、最終兵器たるエヴァに無理から乗せられて、人類の敵と戦う。と。ザンボット3に至っては「お前らがいるから、ガイゾックが来たんだ」と罵られる始末。

戦う男と、支える女。と言う構図を逆転させたのが「サイカノ」と言う訳ですなぁ。構図を逆転させることで、悲劇性を高めたことは、素晴らしいことなんですけども、まぁ、逆転させただけ。とも言える訳で。機械にさせられた人間というのは、結構多くて、古くはサイボーグ009とか、鋼鉄ジーグ、ガオガイガーとかもそうですなぁ。まぁ、ガイや宙はヒーローモノと言うことで、少々脳天気に戦いますが。

でまぁ、何が言いたいかと言いますと、戦争ネタの場合、「戦争ではなく戦闘によって死んでいく心」と「仲間や家族、恋人とのふれあいで心を取り戻す」と言う両方を画かがないと、作品に厚みや深みが出てこないと言うコトです。初代ガンダムにはあった心が削られていく場面(母親と再会する前後)があったのに対して、ゼータ以降、そう言う場面は画かがれなくなっていきます。ダブルゼータに至っては、もう完全にヒーローモノ。

まぁ、最近では、そう言ったものをキッチリ描いた作品は少なかったですから、そう言った意味では、良作なのかもなぁサイカノ。まぁ、やっかみと思ってて下さい、ファンの方々。

サイバーパンク好きで、サイバーパンクのテーブルトークをやったことがある人ならば、サイバーサイコ(要するに、身体が機械になったから、精神まで機械になっていると思いこむ精神病)とせめぎ合うキャラクターを一度はやったことがあると思います。かく言う私も「爆弾が、俺の身体の6割をもぎ取り、軍は、俺の心の6割を削り取った。だが、俺にはまだ、涙を流す右目が残っている」とか言う2020のキャラとか、作ったなぁ。まぁ、中の人がアレなんで、脳天気に喋ってましたけど。

ちなみに、最終兵器として、機械化させられた人間というのは定番ラインなワケですが、その逆もあります。心を持たされた最終兵器。キカイダー(アニメ版)やロボット刑事K(原作マンガ)などがそうです。洋画のAIとアンドリューとかもそうか。最古はピノキオですかな。


親子鷹(2006/1/5)
親がセコンドやキャディ、コーチなどを務めた場合、たいていの場合は上手く行かない。大抵は、親の側に問題がある。師弟の関係に徹しきれず、親という普遍的な地位や権力に頼ってしまうからだ。また、英才教育を施したがために、すでに親が教えられるレベルを遥かに超えているにもかかわらず、親子という感情から、自分(親)の方がまだ上手いと上から見てしまう。

だからこそ、相撲などでは、入門した瞬間から、親子でなく師弟として、親子の縁を絶つ訳だし。

細木数子が、横峰さくら選手に説教しているのを見たが、育てた恩に報いることと、キャディーとして支えて貰うことは全く別問題だ。ちなみに、子年生まれは「裏でこそこそしててセコイ」なんて嘘だ。と言っていたが、「表に出たがらず、地味で、貯蓄が上手い」と言うのも、悪意を持ってみれば、裏でこそこそしててセコイと表現できると思いますがねぇ?。まぁ、あの人は占いと言うより単なる人生相談所だからの。

さて、本題。ナインティナインの番組で、横峰父のキャディぶりを見たが、いつもダブり気味の岡村さんを考慮して、大きめのクラブを渡したところクリーンヒットでグリーンオーバー、そこで行った言葉を今でも覚えている。「いつも、ダフってるくせに、なんであそこですぱーんと撃つかなぁ」

…試合中に、キャディがこんなグダグダ言うて、選手が集中できる訳無いじゃん。試合中に、凹ましてどーすんだ?。まぁ、バラエティ番組だったからかもしれないが、まぁ、技術コーチとしてはともかく、キャディとしての才覚は無さそう。

同じく、ボクシングの亀田三兄弟のお父さんも、長男がアマチュアの時、オリンピックの選考委員だか、なんだかが視察に来た時、試合直前に見に来ていることを言ってしまった。案の定、KO勝ちを狙うあまり大振りして判定負け。だったと思う。そこで父親が言った言葉「お前はハートが弱すぎる」。それが分かっているなら、試合直前に揺らぐような事を言うべきじゃない。

横峰父にも共通していることに、監督、コーチ、セコンドやキャディは、自分の判断ミスを選手に転化していることが上げられる。それは、指導者が、絶対にやってはならないことだ。

やはり、相撲部屋のように親子の縁を絶つ。ぐらいの覚悟が無いと、親子は師弟になれないのだろうな。だからこそ、ほとんどの親は、一歩引いたところにいる。宮里家のお父さんとか。長嶋家、野村家など、一歩引けないとやはり大成は出来てないよなぁ。

逆もまた真なりで、全ての門下生を実子のように扱うアニマル道場は上手く行ってたりしますなぁ。アニマル浜口さんは、誉め殺すタイプの指導者なので、誉め殺すタイプなら大丈夫なのかも。滅多にいないけど。


イグルー(2006/1/8)
知人にMSイグルーのdvdを見させられる。監督が今西監督で、0083の方。ああ、と納得できるのが随所にありました。ただまぁ、フルCGなモンで、どうしてもゲームのムービーかと思ってしまったり。やはり、現状では、表情の硬さが気になりますな、人物は。

特に二話目のモビルタンクなど、ザメルじゃーん。絶対コイツの系譜にザメルがいる。と思いました。唯一残念だったのは、榴弾と言うのは、まぁ、弾を爆発させて、その破片をまき散らして殺傷する兵器。いわゆる面で攻撃する兵器なので、直撃する必要はない。まぁ、高速高温の破片と言っても、所詮は破片。ある程度の装甲があれば、ノーダメージなんですけどね。

モビルスーツ相手だと、関節部分に破片が入り込むか、モノアイ、カメラアイあたりを破壊するぐらいしか期待できないかも。

ヅダは、あれですな。トライアルに負けた理由は高性能すぎたからと見た。ブリティッシュ作戦のためには、偽装する必要があり、MS05はあくまで作業用として表に出す必要があった。ヅダは高性能かつ戦闘用なのがバレバレなので、採用できなかった。と脳内補完。

そして、1話目の大砲は、あのムカデっぽいフォルムから、ナチスドイツの多連薬室砲塔V3号が原型にあると見た。作中では、実体弾なのか、エネルギー弾なのか、ついぞ分かりませんでしたが。リニアキャノンっぽくはありましたなぁ。

10年近く前、もうガンダムは、ザ・コピットのような展開をするしかないのかなぁ。と思った。もしかしたら書いているかも知れませんが、イグルー。臭い的には、ザ・コクピット的な臭いがするような、しないような。


ブラックネーム(2006/1/18)
まぁ、なんと言いますか、まさに想定外の出来事で、歴史に名を残しそうですな。ライブドア。ブラックマンデーとは言わないまでも、経済史には、確実にその名を刻むでしょうな、ライブドアショックとして。何十年かぶりのプロ野球への新規参入。テレビ局の買収と、成功していれば確実に名を残していたであろう事に全て失敗し、悪名の方で名を残すとはのう。

ニッポン放送買収の時に、とくに根幹となる事業はなく、ひたすら企業買収で成長するライブドアを「企業家ではなく、銀行家」と多くの人が評価した訳ですが、その根幹事業がないが故に、一度足踏みするとモロいなぁ。とは言え、風評の流布とかの罰金500万て。安くないですが?。風評の流布によって得た利益の何%かを罰金にすべきではないでしょうかね。

さて、もう一人確実に悪名を残す、小嶋さんですが、いきなり小さくなりましたなぁ。演技で同情を引く作戦かとも思いましたが、細かい演技が出来るほど、賢いとも思えず。想像できるのは、金をばらまいて、政界にパイプを作り「なにかあったら、任せておきたまえ、むははは」と言っていたのに、あっさり切られた。と言うところでしょうか。

安倍官房長官の名前を出すことで、矛先をかわそうとしたモノのあっさりと弾かれ、ダメダメですな。あの弁護士も頭悪いし。オウム事件の横山弁護士以来の気がしますな。弁護士協会も頭痛かろうな。と言うか顧問弁護士だとしたら、詐欺に一枚噛んでいるのではないか。と推察してしまうほどでござります。


数字遊び(2006/1/24)
数字遊びで稼ぐと、得るのも早いけど、失うのも早いなぁ。と思いながら一連の報道を見ております。それでも、時価2000億あるんだねぇ。それで、最大5年の500万ぐらいだっけか。十分許容範囲というか、十分、割に合うどころか、儲けが出ていると思うのですけど。私は、罰というのは、犯罪が割に合わないと思い知らせるためにも、重めで良い。と思っているのですが。

しかし、アレだな。マスコミって持ち上げるのも早いけど、突き落とすのも早いな。まぁ、ダメだなと思ったのは、広報の人が泣きながら訴えていたのを見た時。あの泣き方は、義憤からくる涙と言うより、裏切られた感じの涙というか、なんというか。根拠のない直感ですが。ホントに何もなきゃ笑い飛ばせると思うし。株価下落、下落言うな。と社長がマスコミにキレていたのも、何となく今なら理由が分かるなぁ。

事情聴取から逮捕まで妙に早かったので、さっくり諦めて、べらべら自白している気がしますな。それは潔いのか、それとも悪党の自覚が足りぬのか。それはそれとして、残っている副社長が「事業を続けていくのが大事」って、あんたらメイン事業無いじゃん。

さて、あれだけべた褒めしたいた細木のおばちゃんはどんな顔してるだろうか。養鶏業者への態度も鼻につくし、そろそろ一般視聴者も、仮面の裏側見えてきたんじゃないかなぁと思ったり。金ぴかの占い師、宗教家にロクなのはいないというのは、私の自論です。


同じ轍(2006/1/26)
民主党は、と言うか野党は、同じ轍を踏もうとしている気がします。未納三兄弟と声高に叫んで転けた人。時事ネタを突破口にすると必ず転ける。ような気がする。

堀江氏を推薦した責任をと言うのを、マスコミも野党も追及しているわけだが、もちろん調査が足りなかったと言うのはあるだろうが、政治家が見抜けるような偽装してたら、検察が動くわけねぇわな。

決定打。堀江氏はあくまで推薦。しかし、西村元議員は、議員よ。しかも当選何回?。そんな人物を議員として、党に在籍させた民主党の責任は?。党から追い出したらokで、入党すらして無い人は、しつこく追及するのかね?。まぁ、こんな事を言ってたら、公職選挙法違反で逮捕者が出るたびに、推薦した責任とか、なんとかかんとか、うだうだうだ。となりますよって。

前原さんも、存在感出したくてしょうがないのだろうけど、独り相撲で転けると思うわ。民主党と言いながらも、自民以上に寄り合い所帯だからなぁ。元々、つなぎだろうしね、前原さん。就任した時にも書いたけど。

まぁ、自民党も、急な選挙で、人物調査の日にちが足りなかった。面目ない。と言えば済むのにねー。

日本で会見した例のアメリカ人さん。あの人も、戻ったらもう日の目は見ないだろうなぁ。見たら、日本なめられすぎ。背骨が残っていると言うことを、欧米人に分かりやすく言うなれば、忌避食物が混じっていたようなものだ。つまり、イスラム教徒へ輸出したはずの牛肉に、豚肉が混じっていたようなもの。二重の失態ですな、アメリカよ。

Tボーンステーキつーのがポピュラーなアメリカとの文化のさとも言えるかなぁ。骨付きカルビが普通な韓国も、とくに抵抗無いかも。


問われているもの(2006/1/30)
色々言われているけれど、私が考える、今、問われているものは「人生の成否判定は、死ぬまでに稼いだ金額なのか?」では無いかと思っています。

10年近く前に、人生の師匠にこう言われたことがある。「一般人って、収入でしか人物を計れないのかな?」。そう言えば、年功序列をやめ、成果主義に切り替え始めたのは、10年くらい前だったか。長者番付を全国放送のトップニュースで流し、プロ選手は年俸額を競い合う。特許に関して、雇用主にン億の報酬を求めたりというのもあったっけ。一般市民でも、年収でランク分けがされているような感覚を持っているのではないかと。

世界有数の資産をもち、100部屋以上ある家で、一人寂しく臨終を迎える人生と、狭いながらも孫と子供の笑顔と笑い声に包まれて最後を迎える人生。どちらが、人生の成功者なのだろうか?。慎ましやかな生活をしつつ、後世に残る研究成果を残した学者と、さしたる論文も残さず、テレビコメンテーターとして派手に稼いだ学者。どちらが成功者なのか?。

たぶん、どちらも成功者なのだろう。どちらを取るかは、価値観の問題だ。でも、欧米では、若い頃はあれほど利益を貪った富豪も、年を取ると、ボランティアなどに走る。最後は金じゃないと気がつくのだろうか。

ま、堀江氏の哲学は、底が浅い。人の心も金で買える。って確かに、関心は買える。でも、心じゃない。それは、心のない抜け殻を買ったに過ぎない。心がついていたとすれば、相手も、金しか見ていない。うわべだけの冷たい関係だし。経済というか、金儲けに特化しているモノの、心は成長していない、アダルトチルドレン?。



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