あけおめことよろ(2007/1/2)
新年のネタとして、定番になりそうな、このうんちくなんですが、「あけおめことよろ」ネット語のようですが、実は江戸町民が使っていた伝統的な言葉だったり。
せっかちな江戸っ子が「明けましておめでとう。今年もよろしく」などと、長々しい口上言ってられるか。と言うので、あけおめことよろ。と八文字で済ますようになった。と故杉浦日向子先生が、仰っておりました。まぁ、ネットは、当初(音響カプラの頃)東京近辺でしか、機能していなかったので、江戸弁がネット界では強いのかしら。それとも、ただのシンクロニシティか。
と言うところで、ネット社会の負の部分に踏み込む勇気を見せた毎日新聞のこの記事。朝日とかフジだと、触らぬ神に祟り無し。でスルーしそうなネタに、敢えて踏み込んだ勇気に乾杯。まぁ、踏み込み不足な感じは否めないけど。
そして、関連ブログでの意見をみると、やつぱり声がデカイのは、チャンネラだなぁ。過剰な防御反応というのは、負の部分を感じながらも、見ないようにしてきた事を指摘された痛みなんだろう。そして、自論のループを続ける。独特の論調をどこでもやるのだなぁ。そして、意味がありそうで意味のない論が多いのも特徴か。核心を突くのもポツポツとあるのだけども。
つまるところ、いじめ問題と同根な気はする。事実や正邪は問題ではなく、自分が安全なところにいて、反撃されることなく他者を踏みつけたい。このことは、ネットだけでなく、学校や会社などあらゆるところで起きている、社会問題。かつて、もっとも美しい風土と民と世界に評された日本は、どこに行ってしまったのか。
的中率67%のちょー中途半端ウィザードアイ持ちの無意味で根拠のない直感として、初めて、一応の管理者たる西村氏の顔写真を見たのですが、村上ファンドの村上氏と同系列の顔ですな。外観でなく、思想とか信念とか近いのではないかと。そして、検察、そろそろ動くと思う。村上氏の裁判はちょっと雲行きが怪しいし、ここいらで好感度取り返す為には、丁度良い感じがするので。罪状は、ゴロゴロあるしなぁ。軽いのばっかりだけど。
そんで、どうでも良いけど、義憤ってネットで流行中なん?。やたら使ってる人多いけど。
君臨(2007/1/4)
この問題で、一番の問題は、これまでマスコミが「報道の自由」と言うお題目で、報道被害を無視し続け、攻めまくっていたにもかかわらず、新しいメディアの登場で、新規メディアの報道被害を防ごう。と守勢、つまり権力側の立場に立った事にある。
これまで国民に暴虐の限りを尽くした人物が、突然、国民を守る。と宣言しても、今ひとつ信用出来ない。と言うのは、分からなくもない。しかし、何らかのきっかけで、暴君が、賢王になることも珍しくはない。日本のメディアは、ようやく自省出来たのかも知れない。これから、どれだけ信頼を勝ち取れるか。と言う事になるのだろう。視聴率の為、発行部数の為、ではなく、市民の為に報道する。と言う初心を取り戻せるのか。なのかなぁ?。
そして、ネット養護派の気になるの発言が「お前ら(既存メディア)が、やっている事を、オレたちがやってなぜ行けない」と言う人の多い事。本来ならば、お前らはこうして被害者を産んでいるが、オレたちはやらない。と言うのが筋ではないかと。自分がやられてイヤな事を、他人にやり返す。と言うのは、人としていかがなものかと。極端に言えば「日本は強制連行したんだから、拉致の事に文句言うな」と言う某国と同じだと思うんですけど。
募金問題で一番問題なのは、テレビ報道みて、可哀想で募金して、ネット見てダマされた返せ。と言う一般市民。頭は持ってないのか?。Don't lose your head
ふと、祭りとかブログ炎上っては、ネット社会における一揆や焼き討ちなんだろうか。するとネット社会ってのは、今17世紀ぐらい?。そう言われてみれば、曝す。と言うのは、魔女狩りと似たところがある気もするなぁ。
ともあれ、既存メディアは信用出来ないから、ない方が良い。と言うのは、政府が信用出来ないから無政府状態が良い。と言うようなもの?。そう言えば、アナーキストってどこいったんだろ?。…もしかして、祭りとか誘導しているのは…「募金は物乞いと一緒」と言うのも、近しい感覚のような…
あと、歌舞伎町は近づかなきゃ実害無く、行かなきゃ良いのだけど、ネットリンチは、正義面して向こうから来るからなぁ。多少、思想的に歪んでいても、慎ましく暮らしているのに、突如、見知らぬ人に蹂躙される。これほど怖い事はない。そして、言論の自由を歌いながらも、集団という暴力によって、相手の言論を封殺するのは矛盾している。
常々思うのは、ネット社会とは、仮面を付ける場所なのか、外す場所なのか。ハンドルネームとネット人格によって、人は仮面を外し、本性をむき出しにするか。それとも、仮面を付けて仮想の人格をまとうのか。毎日新聞の企画は、さらに広がりと深度を増していくので、見ておいて損はない。そしてその1の記事に対する反応が、過剰な防御反応だと痛感する。
ダメだコリャ(2007/1/4)
ドリームマッチで、志村けん・三村マサカズペアのコントを見て、正直、志村けん。終わったなと。まぁ、だいじょうぶだぁ。ぐらいから、どの番組でも、同じネタを繰り返していて、ダメだなぁとは思っていたんですけど。
けんちゃんの健康牛乳って…そのままやん。加糖茶さんの変わりに、三村さんおいただけ。そのまんまってのはなぁ。しかも、二人でコント・漫才ってルールなのに、エキストラ要求の時点でルール違反。せめて、エキストラ部分を使わないように、ネタを変更する努力すればいいのに、それすらしようとせず、ルールの方を曲げるとは…
大御所というか、重鎮がこれでええのかなぁ。まぁ、舞台と言っても全員集合のような喜劇スタイルしかやってないと言うハンデはあるけれど、やって欲しかったなぁ、漫才。
正直、他のメンバー、酷いな、コレ。と思っのではないかと。そして、志村けん。終わったなと。来年からは、また審査員の方に戻るんだろうな。
山に住むペンギン(2007/1/5)
かなりに昔に、「山に住むペンギンは、海を捜すべきだ」と言う意図のことを書いた事がある。要は、人には、それぞれ得意な事があり、その得意なところを目指すべきだと。その反論として「進化して、空を飛ぶ翼を持つべきだ」と言うのもいただきました。その時は、たしか、司法試験か、法学部に落ち続けて、自殺したと言う報道に触れてだったかなぁ。
どちらも正しいので、どう考えるかは読み手次第なのですが、東京の遺体切断事件を聞いて、そのことを思い出しました。歯科医になるとの夢を追い続けた彼。歯科医になると言う夢に固執した彼。表現を変えれば、正反対の印象与える出来事。彼は海を目指すべきだったのか、翼を求め続けるべきだったのか。
どちらにしても、ワイドスクランブルの報道はヒドイ。被害者の人権は守られるべきだが、年の瀬の押し迫った時期。受験生がもっともナーバスになる時期。その時期に、被害者のあの発言は無いだろう。もっとも、本当に言ったのかは分からないが。
多分、加害者の彼は、父や兄の行った大学、一本に絞っていたのだろう。と言うのは想像が付く。願書を出していないと言う報道があったが、それも、志望の大学には届きそうもない。けど、ランクは下げられない。と言う葛藤があるのではないか。
浪人した上に、父や兄の大学以下の偏差値のところに行けない。と言う切迫感。妹からの「私の履歴に、出来の悪い兄は必要ない」と言う敵意。そこに勉強してない。夢がない。と言われたら、爆発するわ。歯科医になると言う夢がある。勉強し取るちゅーねん。と。
ただまぁ、三浪目で自暴自棄になって、まったく勉強せずにだらけている兄を見て、発破をかける気持ちで「勉強しろ」と言う気持ちを伝えたのかも知れない。と思いたいが、三年間避けていた。と言うのならば、女性独特の、チクチクじめじめとした嫌味の言葉をかけ続けていたのかも知れない。根っこの部分で信頼出来ているのならば、言葉は手ひどくとも、愛情は感じ取れるハズだから。
私としては、なんの苦労も知らず医者になった人よりも、少しは打ちひしがれた経験を持つ人の方が、人の痛みが分かると思うので、良い医者になる…とは言え、学校、学歴に固執するようでは、出世とゴマすりと野心の白い巨塔の世界になるのか。学校名ではなく、最後は技術と人柄だと思うんだけど…学歴と言うより、学校名が幅をきかす日本社会を何とかせねばなぁ。
受験まえにこんな事を書くとアレなんだけど、就職だけを考えたら、三流大学の昼間に行くよりは、一流大学の夜間の方が、マジで受けは良いかもしれない。
正論だけにムッとする(2007/1/10)
川柳にあるらしいこの言葉。私が知ったのは「パタリロ!」のなかで使われていたのを見て。痛いところを突かれたら、人間誰しも不快感を覚えるものです。それが正論であればなおさら。一番の例は「親に勉強しなさい。と言われて今しようと思ったのに」と言う感覚ですかね。
さて、毎日新聞の企画「ネット君臨」なのですが、この公式ブログに対する読者のコメント。特に某巨大掲示板に関しての反応は、まさにそれであったと。まぁ、毎日のが正論とは思いませんが。
特に目についたのが「こんな記事書く暇あったら、もっと重大な事件や不正がある。そっちをかけ」と言うもの。一見、正統な抗議と思えるのだが、よく考えるとこれほど的はずれな意見はない。極端な例え方をすると「駐禁を取り締まっている婦警さんに、駐禁取り締まってる暇があったら、未解決の強盗殺人を捜査しろ」と言っているようなもの。
交通課は、交通違反の取り締まりが仕事。それと同じく、新聞社にも、社会部だぁ、政治部だぁ、経済部だぁと様々な部署があり、不正なんかは、政治部…でも社会部も担当するかも知れないな。まぁ、少なくとも別の班が動いているはず。
別の例えとをすると、いたずらが見つかった子供が「僕より、あの子の方がもっと悪いコトしてる」と言っているようなものか。駐禁の例えも、駐禁よりもっと悪い犯罪起こしている奴がいる。と言う事だし。これは、防御反応なんだよね。自分でも悪い事してるなぁ。と思うから、こうした反応を取る。と思う。
と言うところで行き着いたのが「正論だけにムッとする」まぁ、毎日の論調が正論とは思わないので、「痛いところを突かれてムッとする」と言う感じでしょうか。
あとは、人間誰しも感じる、自分が好きなモノを貶されたときの不快感。だから、端で見てると見苦しいまでの感情論に出会う事が多いのも、ネットならでは。昔は、抗議しようとすると紙とペンをとって、誤字誤用があっては新聞社や出版社になめられる。と辞書片手に書いていると、冷静になる時間が出来る訳です。
ネットだと、頭に血が上ったまま、勢いと感情だけで書いてしまう。ことも珍しくはない。感情的になっているから、ちょっと反論されると、さらにムキーとなって…と言う、掲示板でのケンカは、昔は良くありましたなぁ。他所でも遭遇したし、ここでも何件かありました。
当たり引かねぇ(2007/1/11)
長らく放置していたエースコンバットゼロ。ザベストで出たので購入。転ぶ。むしろ大失敗。
うーん、5のアドベンドで、3980とかで出てたら良作だったと思うけど。正規版と言うには、ちょっとボリュームなど様々不満。1ルート18ミッション。歴代最短。通例24ミッション前後ぐらいなんだけど。3ルートあるけど18*3ではなく、登場する敵エース部隊が変わるだけで、ミッションそのものに変化はない。
オマケに、空戦に絞ったって言うわりには、対地任務がけっこう多く、正味の空戦任務はほとんど無い。ストーリー全般や、ミッションの立て方も、やっつけ仕事。全ミッションが単調かつ、敵の超機動で持たせている感じ。部隊対部隊と言うには、こっちはウィングマンとの二機編成で、あんまり部隊対決とは言えない。
ACXまでのつなぎ?。と勘ぐるほど。これは、正規版の発売日に新品買った人は怒るだろうな。エースと言えば楽しみの一つが、グッと来る無線なんだけど、今回全くなし。なんか手垢の着いたセリフばかり。
売りのエーススタイルシステムも、あんまり意味がない。せめて、傭兵という立ち位置なんだから、AC3なみに、所属軍を移れると面白かったのだが。どんなに劣勢になっても、ウスティオを裏切らずに戦い続けるとナイトエース。優勢な軍へと移り続けて、ソルジャーエース。常に劣勢の軍へと雇われ(賞金が高いトコを選ぶ)続けてマーシナリーとか。
所属軍で、購入兵器のラインが変わるとかねー。この手のゲームで、ゲームの善し悪しを決めるモノに、登場機体の解放タイミングがある。ゼロでは大失敗と言えよう。報酬が少なく、機体が高い上に、解放タイミングが歪なので、初期機体から、中程度の機体に乗り換えようとすると、もう少し我慢して、上級機体買った方が良くなる。こうなると、中級機体の出番はない。
中級機体の出番が無くなると、ゲームの寿命は極端に短くなるわけで、バンダイのガンダム系ゲームはコレを良くやる。例えば、ガンダム戦記では、ジムスナイパー2と陸戦ガンダムが、普通にやってるとほぼ同時期。となるとジムスナイパー使わない。ナムコバンダイになって感染したのか?。
ちなみに、私の購入履歴は、F−5E(初期)>Su−37。一気にターミネーター。その後X02ワイバーン。もう、中盤機体使う気失せ失せ。正直5の方が出来がよい。お仕着せストーリーがイヤなら、04で。空戦の爽快感は04。ミッションの多彩さなら5。特殊兵器楽しむならX。ゼロは何もない。
ときに、まとめサイトが、ウィキペディアの軍事のトコと、リンクしていたので、准尉とハイヌウェレ型神話を見てみる。うむ、概ね良好。と言うか、准尉の奴は、私のサイトの読者が書いてないかねw。最下級士官と認識される誤用が多い。ってある。その通り、下手すると、特務曹長の上に、准尉置いてたりするゲームあるからな。准尉と特務曹長、ほぼ同じ階級なのに。
ネメシスは踊る!(2007/1/15)
元ネタは「13の恐怖」の「ネメシスは襲う」なのは、よい子のみんななら解るはず。
さて、ちょいとネットを巡っていて、主にまとめwiki系。そこで、なんか目についたのが、ネメシスは復讐の女神ではない。義憤の女神だ。と言うもの。まとめ系はその名の通り、某巨大掲示板の情報のまとめなんで、この義憤説もそこ出自なんだろうか?。
さて、そもそもにおいて、義憤だろうが、私怨だろうが、しかえし。仇討ち。と言うのは、復讐である。と私は思う。義憤説を盛り上げようとしている人は、復讐という言葉に、えらいマイナスイメージを持っているのだろう。復讐という言葉が、マイナスイメージが強いと思うなら、報復の女神と言うのが、モアベターなのではないだろうか。
どっちにしても、言葉遊びレベル。視野狭窄に陥った専門家のお気に入りの女神に対する世間の目に対してムキーとなっただけのシロモノであろう。義憤というのは、不正に対する怒り。まぁ、怒りから報復に出るとも言えるけど。ギリシアの神々は、不義密通やら約束違反やら、やり放題なので、義憤だったら忙しすぎる気がする。
さて、実はコレはマクラで、P3、ACZと外し続けたので、体験版をつまんでみた。体験版は勢いアダルトが多いのがアレだが。で、ちょいと記憶に残ったのが。
聖淫の迷宮。実は悪い意味で記憶に残った。テキストが説明的スギ。要は、設定説明が、場面に馴染んでない。くわえて、知識のひけらかしが鼻につく。柘植久義さんの本とか、本格TRPGの本格ワイルダネスでも読みあさったのか、背嚢に30sの砂詰めての行軍とか、冒険者制度とか。知識の無い人は、この程度で感動するのかなぁ。まぁ、そこまでするなら、水着のような服で森をうろつくな、と。まぁ、言葉と設定が分離しているのでぎこちない。角の尖った氷を噛まずに呑み込むような違和感を感じた私の書いたガンダムRPGソロシナリオの特殊部隊の設定説明並みに、ぎこちない。
ファンタジー世界の旅行とか越冬とかを真面目に楽しく知りたいなら、実は、Drモローの「賽目の繁盛記」がお勧め。あの絵柄と内容なので、読み飛ばすと笑って終わるのだが、実は設定はハード。冬の間は自警団でバイトする農家の三男坊とか、青果商人は、商品が腐らない距離がテリトリーとか、細かく見ると、極シリアスだったりする。
牝畜。こちらは、逆に設定がスッと入ってくるテキストで、心地よかった。とはいえ、犯罪者の増加により、刑務所を民間で経営するようになり、云々。と量自体は少ない。と言うか、聖淫の迷宮が、ダラダラ書きすぎ。ゲーム内容は、まぁ、名は体を表すと。
ぶりーど。なんとかさん最新作とあったけど、原画師には興味がないので。やきもち焼きヒロインがつぼな私にはなかなか心地よいゲームであったが…体験版にしちゃ長すぎる気が〜。まぁ、キャラ萌えなんで、シナリオは…。
みにょ2。カードバトルをやってみたが…じゃんけんやん?。じゃんけんの図柄をカードに書いて、それでじゃんけんしたら、カードバトルなのかと?。まぁ、じゃんけんバトルよりは、格好いいけどね、カードバトルの方が。
空帝戦騎。システムが面白そうだったが、体験版は無かった。双六バトルってやつだけど、キャラ設定が固定なのではまれそうにない。
いろいろと(2007/1/22)
テレビのやらせ…じゃないな、ねつ造でもめている訳ですが…別に弁護するわけじゃないけど、他にもいっぱいやってるよね。今回、国民の人気がたかい健康番組+長寿人気番組ということで、大規模に報道されているけど。
たとえば、ぴーかんバディとか、トホホ偉人伝とか。特にトホホ偉人伝は酷かったし。制作側の「演出」と「やらせ」の境界は、もう曖昧なのだろう。ずっとまえから、言っているけど、例えば旅番組で「今日はどこに来ているか解りますか。あ、舞妓さん、こんにちはー、そう京都です」と言うのも、あきらかに、舞妓さんのタイミングをスタッフが指示しているよね、この演出。
ほかにも「あら、こんなところに変わったお店が、ちょっと入ってみましょう」と言ったら、普段、店頭に立たない責任者が笑顔で待っていたりするのも、ヤラセだよね。別に、偶然の訪問を装う必要なんか無いのにやりたがる。さかには、数年前の某「おもいっきり」も、健康効果でのグラフ表示で、よく見ると、メモリが0.01単位でふってあり、急上昇しているように見せていたり。
まぁ、テレビ報道=真実と短絡する一般市民もアレなのだが。権威に弱いからなぁ。あと、過剰演出と思うのは、関西地方の事件でのナレーションで、セリフが入るときに関西弁。しかも、ウソ関西弁を使うのは腹立つ。
ついで、コレ。意味が分からん。フォローにもなってない気がする。内の顔と外の顔が違う人は多い。外では温厚で人受けする課長も、家に帰れば、DV。なんてのも良く聞く話。家族とケンカして、家出したあげく、ヒモを養うと言うのは、身勝手以外何物でもない気がするのですが。
そもそも、異性の相談相手に、内面を全部出すかを考えると、答えは出る気がする。まぁ、家族だから言えない事もあるのだけど。なによりも、自分自身が目標を見つけられずに漫然とスゴした事があるならば「夢がない。歯科医になるのは人まね」と言うのは、なんと心ない事か。
容姿が一番似ていたという兄妹。もしかしたら、妹は、一番沈んでいた頃の自分を、兄に見てしまったのかも知れないし、押しつけられた夢でなく、自分自身が欲する夢を追え。と言いたかったのかも知れないが、受験が差し迫った年末。夢がない。その夢は人まね。そういわれて、狂乱しない受験生がいるだろうか。
コレの発言主は好意を持っていたとは思うのだが、やはり、わがまま、身勝手という印象はぬぐいきれない。そして、どういう課程でも、この結果は変えられない気がする。自分のミラーイメージを兄に見続けた限りは。
ジャングルで発見された女性。単純に、誘拐監禁されていたのでは無いだろうか。
戦場の絆(2007/1/23)
久々に本屋にいくと、この本が目についたので、手に取ってみた。最初は、ガンダムマンガと思ったんだよね。そしたら、小説でした。パラパラと見ると、9割セリフ進行。うぅわ、アニメと最近のゲーム世代が書いたらさもありなん。と言う感じ。ホントに、台本かと思うぐらい「」書きの連続。説明のしめは、「なのだ」「である」ばっか。
さらに、読み進めると、制圧射撃の意味わかってねぇ。最終戦の肝で「敵が低地にいるので、直線で行く狙撃よりも、重力の影響をうける曲射の方が」と言う行があるのだが、一見すると、おお。と思うのだが、実は意味ない発言。
と言うのも、曲射砲撃というのは、基本的には制圧射撃を行う。制圧射撃というのは、直接打撃よりも、相手の行動を疎外するのが目的。榴弾による砲撃や機関銃の掃射によって、歩兵は否が応でも、身を隠さねばならない。必然的に、攻撃は出来ない。この隙に、味方の歩兵が、敵陣に接近させるのが目的。
ナポレオンの時代はおろか、大航海時代の大砲も、遅発信管の榴弾。あの時代の大砲は、鉄の塊撃ち出していると勘違いしている人も、結構いるのだけども。
対して、狙撃は、ピンポイントで、特定人物を排除するのが目的。主に小隊長や通信兵が狙われる。と言うのも、小隊長がいなくなれば、指揮統率が一時的にダウンするために無力化される(下手をすると永遠に無力化できる)、通信兵(と言うより通信機)を倒す事で、相互連携が取れなくなり、部隊を孤立化できる。
つまり、この小説ガンダム戦場の絆のように、肉迫を目的とするならば、砲撃を。狙撃を切り札にするならば、狙撃範囲に、敵を誘導するという、全く逆の戦術となる。よくよく考えれば、低地にいる方が狙撃しやすい。つーか、普通の射撃だって、重力の影響うけて、いわゆる弾道軌道をとるわけでー、大抵の狙撃は、高いところから狙撃する訳ですよ。無知にも程が。
本来、曲射は、間接射撃に等しく、着弾誘導が必要。機甲界ガリアンの砲撃のように。だから、まぁ、前線の歩兵隊から砲兵隊へ無線連絡などするわけで…目視による曲射って…まぁ、グレネードランチャーとかでやるのだけど…それなら、キャノンタイプいらんやろ。曲射の利点は、射程距離が伸びる事にあるんだよねぇ。
最後のオチもね、バズーカをクイックドロウすんなぁぁぁぁぁぁぁ。つーか、肉迫して、クイックドロウのゼロ距離射撃するなら、シュトゥルムファストがあるじやろがあぁぁぁ。まぁ、ゲームに存在しない兵器なのかも知れないけど。そんわけで、ダメダメ。ワタシ的には、ボロボロになりながらも、敵を狙撃兵の前まで誘導。ロックオンしないでの、目視狙撃だから、いわゆるサイレントキルで、相手は回避出来ず、メインカメラを破壊。その傷口に、隠し持ったシュトゥルムファストで殴りかかる。ぐらいのが面白くないですかぁ?。
真面目な話、俺のカーマインのが面白くね?。まぁ、下の中ななんですけども、私のカーマインも。
後書き見たら、ゲームやテーブルトークのテキスト書きだそうで。そりゃあ、テーブルトークが廃れ、ゲーム脚本の崩壊が(ry。そう言われてみれば、ログアウトか、ドラゴンマガジンで見た事ある気がしなくもない名前だったかも。シナリオ書きでなくて、テキスト書きという当たりに実状が見えてますな。バンダイのガンダムゲームつまらん訳だ。
オチ。この戦場の絆のとなりに「ガンダムさん」だったかがおいてあって、その表紙で、アイロン掛けしているシャアが「とりあえず、ガンダムってタイトル付けときゃ売れるんじゃねぇの?」。もー完璧なオチです。
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