「この奥が寝室。あちらの扉は衣装部屋。」
まだ、この部屋には続きがあるらしい。
他にもエンリックは説明してくれているが、ティアラの耳には素通りしてしまっている。
エンリックがテーブルの上にある、ガラス製の美しい鈴を手に取った。
「これが呼び鈴。用があるときに鳴らしなさい。」
振ると澄んだ綺麗な音が響き渡る。
ほんの少しの間の後に、誰かが扉をノックした。
声が出ないティアラの代わりにエンリックが返事をすると、数人の女性が入ってきた。
王宮の女官なのだろう。
「女官長。ティアラ・サファイアの身支度を手伝ってやってくれないか。」
「はい、陛下。おめでとうございます。」
女官長と呼ばれたリネット・ランドレー夫人がエンリックに一礼する。
四十を過ぎた品のよい婦人である。
「部屋の外で待ってる。庭に散歩に出よう。」
エンリックが笑顔で退室すると、ランドレー夫人は、奥の部屋へと促した。
「さあ、こちらへ。姫様。」
衣裳部屋というだけあって、いくつものチェストや衣装箱が置いてある。
一人の侍女がクローゼットの引戸を開けると、ずらり、ときらびやかな服が並んでいる。
壁の片側すべてに把手が付いているから、その中も同じような状態なのだろうか。
「全部、私のでしょうか?」
ティアラの震えるような声に、ランドレー夫人は微笑みながら答えた。
「はい。陛下が何年も前から作らせていたものです。中には小さくなってしまったものもありますわ。」
毎年、季節ごとに、エンリック自ら布を選んで仕立てさせていたが、さすがにドレスの流行はわからないので、ランドレー夫人は相談役だった。
服だけでなく、小物類、帽子やショールなども揃っている。
ティアラを王宮に迎える時、普段どおりの服装で来させたのは、エンリックが素のままの娘を見たかったためだ。
それで大体どのような生活をしていたかわかる。
エンリックは自分がいない間のティアラの様子を知りたかった。
「どれになさいます?お気に召したものがありますでしょうか。」
ランドレー夫人が尋ねてくれたが
「多すぎてわかりません。こんなにたくさん……」
思わず、ティアラは涙ぐんでいた。
いつ見つかるかわからない自分のために、万全の準備を整えてくれていたエンリックの気持ちが嬉しかった。
これ以上驚くことはないくらいだ。
もしや、ティアラ達親子は、父に捨てられたのではないか、という思いはかすかにあった。
その疑いはどこかへ吹き飛んでしまった。
ティアラが固まったまま動けないので、ランドレー夫人が彼女に似合いそうなドレスを選び出した。
あまり時間をかけてはエンリックに失礼だ。
彼は今、どのようにティアラが着飾ってくるか、楽しみにしているのだから。
一方エンリックはティアラの部屋の前で、廊下を行ったり来たりしている。
別に私室へ戻ろうが、衣裳部屋は別室なのだから、そのまま部屋に残っていても良かったのだが、なんとなく出てしまった。
落ち着きのない様子を悟られたくなかったせいだ。
はたしてティアラは部屋やドレス、その他の品々を気に入ってくれたのか。
長年放っておいたことを物でごまかしていると思われてはいないか。
今までの生活とあまりに違いすぎて、逃げ帰りはしないだろうか。
次々と頭をよぎる不吉な考えを振り払いながら、ひたすら扉が開かれるのを待っていた。