ティアラにとっては記憶するには、遠すぎる年月だろう。
ただ、エンリックにとっては、かけらでも忘れられない大切な時間だ。
極端に制限された生活の中で見つけた生き甲斐。
ティアラとフローリア。彼女達こそエンリックが生きている証だったのだから。
「楽しかったよ。二人がいてくれたから幸せだと思えた。」
フローリア・ガーデン。花の庭を意味する名前そのままに、エンリックの荒地のような心を植え替えた。
不自由な生活の辛さより、懐かしさを思わせる。
そのことを伝えなければならない。
決して忌まわしいだけの過去ではなかった。
「きっと母もそうだったと思います。」
ティアラはフローリアが不幸であったとは感じられなかった。
身の不運を嘆く姿は思い返しても、どこにもない。
そしてティアラ自身も天涯孤独の身を哀れに思わなかった。
修道院という場所も影響したのだろう。
何よりフローリアはティアラに父エンリックの恨みを一つも残さなかった。
心だけは結ばれた二人の子で良かったと思うのに、ティアラは言葉が出てこない。
だが、エンリックは聞き取っていた。無言の娘の声を。
少なくとも、この庭に連れてきたことは無駄ではなかった。
ほんの僅かにでも、エンリックの存在を眠っていた記憶から掘り起こしてくれた。
一番恐れていた言葉を聞かずに済んだことだけでも、感謝しなければならない。
−父親なんていない
−母と自分を捨てた男
−今更顔も見たくない
どんな罵声を浴びさせられるか、一抹の不安はあった。
ましてやフローリアはこの世の人ではなくなっている。
−そんな作り話信じない
そう言われないとも限らない。
もし拒絶されたならと、考えるだけでも平静ではいられない。
しかし、ティアラはこうしてエンリックと向き合ってくれている。
「一緒に暮らそう。ここで。」
「…はい。陛下、いえ、
お父様。」
ティアラは承諾の返事を言い直した。
多分、その一言を、目の前の人間は待っているから。
エンリックは充分すぎるほど、満足した。
ティアラは父と認めてくれたのだ。
少し風が出てきたようだ。
再び、宮殿内へ戻った時、また違う部屋の扉を開ける。
エンリックとティアラの部屋の中間にある。