(早いものだな。)
クラウドは、一人、見納めに宮殿内を隈なく歩き回る。
夕刻近く、庭園から戻ろうとした時、ティアラと出会う。
「出立の準備は整いまして?殿下。」
今頃カイル卿が荷物の点検をしている事を思い浮かべた。
「はい。お名残惜しいです。姫。」
「気に入っていただけましたかしら。ダンラークを。」
「素晴らしい国です。」
本当はティアラにもドルフィシェを見てもらいたい。
クラウドの祖国を。
「今度は殿下の故郷を、私に見せていただけますか。」
一瞬、クラウドはたじろぐ。
まるで頭の中を見透かされたようだ。
これは社交辞令なのか。それとも別の意味なのか。
「是非、知っていただきたい。おいでいただければドルフィシェの良さを必ずわかっていただけるはずです。」
「待っていただけますかしら。」
「待ちます。貴女がいらっしゃるのなら、帰国しても待っています。」
クラウドは必死だ。
ティアラは真っ直ぐにクラウドを見つめた。
目を逸らさない眼差し。
「ご存知だと思いますが、母は身重ですわ。私、せめて新しい弟妹の顔を見てから嫁ぎたいと思います。」
「それは当然の事と思います。」
「もし、帰国して私のことをお忘れでなく、お心変わりがなければ…。」
「絶対にありません!」
クラウドはティアラの言葉を途中で切ってしまった。
ティアラは花のような微笑を向けた。
「その時は、貴方様の国へまいりますわ。」
クラウドはティアラの白い手を取って接吻する。
「お待ちしています。いつまでも。我が姫。」
二人は手を取り合ったまま、立ちすくむ。
傾きかけた陽が差し込んで、ティアラの白い顔が、赤く映えたようになる。
柱の陰に、人影が重なり合った。
ティアラと同じ金色に輝く雲が風に乗って、青い空に広がり、ゆっくりと天を染め上げていくのであった。
ティアラとクラウドがエンリックの居室を訪れたのは、舞踏会の始まる前である。
二人一緒で、クラウドが満面に喜色を表していることで、エンリックは理解した。
ティアラが承諾したのだ。
「本当に良いのだな。ティアラ。」
「はい。お父様。今まで黙っていて申し訳ありません。」
「お前が決めたのなら、謝ることではない。」
存外に驚かないエンリックにティアラも察する。
父は知っていたのだ、と。
素知らぬ風を装っていたのは、考える時間をティアラに与えるためだったのだろう。
クラウドと話があるからと、エンリックはティアラを退室させる。
できれば今夜、婚約を発表したいというクラウドにエンリックは首を横に振る。
「発表は正式に貴国から使者をいただいたときにお願いしたい。ティアラも王女として嫁ぐからには、手順を踏んでいただこう。」
もっともな話だ。
当事者の片方の国は、まだ事実を知らないのだから。
「ところで、国元には御子はおられないのだろうな。」
「いません!」
恋人もいないのに、子がいるわけがない。
ただ、以前に女性の影がまったくなかったかと問われれば、返答にも詰まる。
「別に過去のことは、とやかく言わぬ。私とて二度目の妻もいる。ティアラ・サファイアが生まれたのは、十四の時であったし。」