王宮へ入る前、ティアラの育った修道院へ立ち寄る。
すでに改修が始まりつつある。
王妃の墓所として。
埋葬のやり直しは容易にはできない。
ティアラでさえ反対した。
静かに眠っているフローリアを、そっとしておいてほしいと。
かといって、野ざらしのまま、誰にも知られず放置しておく事はエンリックにはできなかった。
長期計画で修道院自体を保護するようにした。
陽の落ちかかった裏には誰もいない。
フローリアにティアラは心の中で語りかけた。
(お母様。昔の家に帰ってきました。私の大切な場所。もう忘れたりしません。安心して嫁いで行けます。)
王宮では目の前に迫り来る季節に皆が動いている。
春から初夏にかけて、ダンラークは最も美しいとされる。
一斉に国中の花々が咲き揃う頃、ティアラはドルフィシェへと旅立つ。
エンリックと共に暮らし始めたのも、この時季であった。
不安を抱えながらくぐった王宮の門を、今度は出て行く。
エンリックが国境までティアラを送り届ける。
都の外までにと言う者に、絶対譲れない条件だと。
青く澄み切った空が広がる朝、ティアラは王宮を後にする。
マーガレットにサミュエル、ローレンス、カトレア、アシューも馬車に乗り込むまで見送ってくれていた。
「どうぞお健やかに。お幸せに。」
「お母様もお元気でいらっしゃってくださいね。」
幼い弟妹にも一人ずつ声をかける。
末弟のアシューは、きっと姉のことを覚えてはいないだろう。
「サミュエル。皆のことをよろしくね。」
血がつながらないとはいえ、ティアラの最初の弟。
はっきりティアラを記憶していてくれるのは、サミュエルだけのような気がする。
「いつまでもお幸せに。…姉上。」
ティアラがサミュエルを抱きしめる。
マーガレットが涙が溢れそうになるのを堪えている。
「行って参ります。」
最後の挨拶をして、思い出の数多く詰まった場所から、新しい思い出作りをするための地へ旅が始まる。
人々の祝福を受けながら、街道を通り過ぎて行くのであった。
歓喜の声に送られながら、ダンラークの国境へ近付く。
王女の花嫁行列とあって、進み方も通常よりゆっくりだが、それでも日は過ぎる。
天候に恵まれ、予定通りに旅は続く。
さすがにエンリックはダンラークを離れられず、ドルフィシェ側から迎えがやってくる。
クラウドが自分で行きたがったができるわけもなく、王家の縁者のエルデ公爵が出向いている。
街道筋から離れた森の付近で、ティアラは馬車を乗り換える。
「私が手を貸すのも最後かも知れぬな。」
エンリックが自らの手でドルフィシェへ送り出す。
「幸せになりなさい。私の『至宝の姫』。」
彼の手を離れた瞬間、ティアラはダンラーク王女ではなく、ドルフィシェ皇太子妃となる。
「お父様。お母様ときょうだい達といつまでもお健やかに。そしてお幸せに。」
ティアラは決して涙をみせるまいと必死だ。
送り迎えの人々には、笑顔で応えていたい。
特にエンリックの前では。
名残を惜しみつつ、ドルフィシェ側の馬車へと向かう。
「レスター候、ウォレス伯、両名とも頼むぞ。」
ダンラークからはレスター・ウォレス夫妻が介添えと見届け人として随行する。
ティアラを王宮に迎えた二人が送る役目を負う。
正反対の方角へ父と娘は別れる。
ティアラは皇太子妃としての道を行く。
将来は王妃の座に就くために。
エンリックが強固に反対できなかった理由。
フローリアには果たせなかった王妃の地位。
娘であるティアラが王妃の冠を戴くのであれば、と。