エンリックが想い続けた最愛の女性の現在の姿。
陽に透ける金の髪も、春の緑の瞳も、すでに彼の思い出の中だけになってしまった。
在りしの日々が甦る。
あの優しく響く声で、名前を呼んでもらうことは、二度とない。
そのまま顔が上げられない。
−多分、この場に来たら、堪えられまい
予感は当たった。
周囲には、誰もいない。
涙にくれる顔は、地下で眠る者以外、誰の目にも触れられたくなかった。
ティアラは、父の後姿を見たような気がして、追いかけた。
帰り際に、母の墓に詣でる約束だった。
声をかける間もなく、視界から消えてしまったが、ここで見間違いでもないだろう。
大して広くもないし、行き先はわかっている。
ティアラはゆっくり歩いて、近づくつもりだったが、足を止めた。
エンリックがフローリアの十字架に口付けしている。
少し距離があったのと、こちらに気付かないようなので、木の陰に隠れながら、その場を離れた。
(まさか、泣いていらっしゃる?)
ティアラの前では、いつもエンリックは明るく振舞っていた。
娘に優しく語りかけている心の内で、どれほど母のことを悼んでいたか。
人には見せられない悲しみ。
二人だけにしておこう。
ティアラは何も見ていない。
(お母様、お父様の声が聴こえますか?)
振り返るかわりに、天を見上げた。
青空に流れる白い雲見つめる内に、ふとティアラも目頭が熱くなってきた。
足音を立てないように、その場を去った。
ティアラは庭へ廻ると、かつて自分も手入れをした花壇へやってきた。
母フローリアも修道女達と一緒に世話をしていた。
「少しお花をいただいてよろしいですか。」
「ええ。お母様のお墓参りね。」
顔見知りの修道女が快く了解してくれた。
色どりの良い花を数種類選んで手渡してくれる。
「良かったわね、ティア。優しそうなお父様と出会えて。幸せになるのですよ。」
「ありがとうございます。」
祝福の言葉と花の礼を述べ、歩調をそっと進める。
もう、父と母の対話は終わっているだろうか。それとも続いているだろうか。
再び、戻ろうとしたティアラの前にエンリックが迎えに来た。
「待たせてしまったな。」
まるで何事もなかったかのようだ。
ティアラも、そ知らぬ風を装った。
「いいえ、お父様。私が育てた花を手向けてさしあげようと思って、わけていただいていました。」
ティアラは手に抱えている花をエンリックに見せた。
「それは喜ぶだろうな。」
二人並んで、フローリアの墓へ詣でる。
先程、散らばったはずの花束がきちんと供えられている。
その隣へティアラは花を置いた。
(お母様、私はお父様に会えてよかったと思います。)
声に出さず、祈った。
ティアラもエンリックも黙ったまま、その場を離れた。
何か話したら、涙が溢れてきてしまいそうだから。
門の所で、見送りに来てくれた人々に、もう一度挨拶して、馬車に乗り込む。