ティアラの帰国前に、サミュエルは都に戻ってきた。
「あのような麦畑は見たことがありません。」
 サミュエルの感想だ。
 コーティッド公領は肥沃な土地で良質な作物が収穫される。
 殊に穀類の出来は素晴らしい。
 サミュエルは特産品のおかげで一生、食には不自由しないだろう。

 まもなくティアラは出立の準備を始める。
 随分、長い間いたはずだが、あっと言う間に過ぎ去ってしまったかに思えた。
 再度、都の見学に出る。
 見覚えのある街並みもあれば、新しく変わった場所もある。
 賑やかな往来を通り、昔の修道院へと向かう。
 王室の援助で、慈善施設も備えられるようになりつつあった。
 少女時代を暮らした懐かしさが、こみ上げてくる。
 見納めになるかもしれない。
 フローリアの墓の周囲には、色々な花が植えられている。
(お母様。私は今も幸せです。もちろんお父様もお健やかです。安心なさってくださいね。)
 少し長い祈りを捧げた後で、院長に挨拶に行く。
 老院長はティアラの訪問を喜んでくれた。
「すっかり立派になられましたね。」
「院長様にも息災のご様子、嬉しゅうございます。」
 ひとしきり会話が弾んだ後で、
「時々、父君も見えられるのですよ。」
 院長が言った。
 改修の進行確認もあるのだろうが、必ずフローリアの墓前に花を添えていくらしい。
「あの周りはご自分で整えられて。お母様のお好きな花を覚えておられるのですね。」
 院長もフローリアがどのような花を好んだか、覚えているからわかることだ。
 一度エンリックに質問を受けた。
「同時に二人の人間を愛する事は罪でしょうか。」
 フローリアとマーガレット。
 彼にとってかけがえのない「妻達」。
 院長がエンリックの想いの深さに心を打たれた言葉であった。
 ティアラには話さなかったが、帰り際にこう伝えた。
「どのような遠くへ行かれようとお二人の御子であることに誇りをお持ちなさい。」
 
 残り少ない日数をティアラは、ほとんど王宮で過ごした。
 エレンやルイーズ、ソフィアと音楽や散歩を楽しむ。
 ローレンスもカトレアもアシューもせっかく仲良くなれた姉と離れるのは寂しく思う。
 帰国前夜には舞踏会が催された。
 ティアラはクラウドの贈ってくれた宝冠を身に付ける。
 ドルフィシェ皇太子妃として、公式に人前に出るのだ。
 見事な出来栄えは人々の注目を集める。
「陛下の宝冠も素晴らしかったが、こちらもすごいな。」
「比べる事はできませんわ。妃殿下はどちらもお似合いになりますこと。」
 今夜はローレンスが最初だけティアラをエスコートしてくれる。
 エンリックに子供の出る席ではない、とたしなめられたのだが、
「僕は皇太子です。隣国の皇太子妃殿下の、送別の宴に出てもおかしくありません。」
 必死に抗弁して、短時間だけ特別に許可してもらった。
 一曲目のダンスの相手はローレンスが務める。
 どちらがリードされているかわからないが、姉弟の様子は微笑ましく映った。
 転びもせずにローレンスは礼儀正しく、ティアラの前を辞す。
「ごゆっくりお楽しみください。」
 ティアラの右手に口付けまでして。
「誰に教わったんだか。」
 エンリックが会場を見渡す。
「中々上手でしたわ。」
 ティアラが笑いながら、感想を漏らす。