貴族や騎士は平民の一部にすぎない。
多くの人々は必死に生活を支えていくだけで精一杯だ。
ヴィッシュ大臣が、エンリックのお忍びの外出にあまりきつい諫言をしないのは、現状を知るのも大切だと思っての事である。
町の様子を見て遊んでいる場合ではないと自覚してもらえれば成果は倍になる。
ましてティアラとマーガレットが加わった。
貴族の観点からものを見ない二人。
話を聞くだけで参考になるだろう。
エンリックは家族の前で政治の話はしない。その逆はあっても。
彼が負うべき責任を女子供に聞かせるものではない。
マーガレットも、中々忙しい。
エンリックにティアラとサミュエル、三人の相手を一人でしている。
ランドレー夫人は妻、母、侍女の三役を同時にこなしているように見える。
もっともサミュエルの面倒は、エンリックとティアラがみたがった。
なついてくれれば、可愛さも増す。
エンリックにとって、唯一つの不満は「陛下」と呼ばれてしまうことだ。
マーガレットはエンリックと二人きりでないと名前で呼ばない。
「母親がそれでは真似をされる。無理矢理召し出したみたいではないか。」
一度ならず注意した事がある。
ティアラに対してはようやく「姉上」と呼ぶようになったのに。
「やはり一緒にいる時間が少ないせいか。」
深刻に悩むエンリックにティアラが慰める。
「私も最初はとまどいましたもの。大丈夫ですわ、お父様。嫌われているわけではありませんわ。」
サミュエル本人も迷っている事があるらしい。
時々、ためらった挙句「陛下」と声をかけられ、がっかりすることがある。
ただ、馬だの、おもちゃだの、相手をしている時は楽しそうにしてくれている。
さすがに男の子の遊び方にはティアラでも付き合えない。
本当であれば、きちんとした教育係をつけるべきなのだが、一緒にいる(遊ぶ)時間が益々減りそうな気がして決めかねている。
教師はともかく同じ年頃の遊び相手は必要だとは思うのだが。
マーガレットは学校へ通わせてもと言った。
寄宿舎のある、と聞いてエンリックは反対した。
貴族の子弟が寄宿学校で学ぶのは珍しくないが、マーガレットの考えは教育上の発想ではなく、エンリックへの遠慮が先立っている。
それでは引き取った意味がない。
第一、サミュエルが六歳の子供として、どの程度発達しているのかわからない。
エンリックやティアラはどうしても贔屓目で見てしまう。
第三者の目が必要だろう。
折も折、結婚式を終えたストレイン伯が出仕した。
会う人ごとに祝辞と冷やかしを述べられ、すっかり真っ赤になっている。
「休暇はまだ残っているはずではなかったか。」
予定より早いとエンリックは感じた。
ストレイン伯は領地へ往復して、尚余っている日数をどうしようかと考えた末、返上する事にしてしまった。
「休暇中の人間を働かせるほど、忙しくないのだが。」
執務室に現れたストレイン伯に言いながら、別の事を考えた。
ストレイン伯爵家は学者が多い一族で、自身王立学院の秀才だった。
「子供は好きか?」
「は?」
どうせ邸に追い返しても、また出仕するのは目に見えている。
本来の職務に就く代わり、サミュエルの学力を見てもらうことにした。
マーガレットはしきりと申し訳なさそうにしていたが、サミュエルは手間のかかる子供ではなかった。
ほんの数日とはいえ、ティアラの同席するお茶会の特典もある。
その内の一日は新婚の夫人も招かれた。
ストレイン伯にも有意義な休暇の使い道だった。