約束の日、ウォレス伯は職務を早々に切上げて宮廷を退出した。
レスター候は、ウォレス伯が一人で浮かれているようなので、一体どうしたのかとは思ったが、問い質す前に本人が消えた。
その後、ウォレス伯に回るはずの仕事がレスター候へ流れてきた。
(帰るのなら一言断っていってくれ。)
目の前に山積みとなった、未処理の文書。
レスター候の帰宅時間が遅くなるのは、間違いなさそうだ。
ウォレス伯は時間に遅れては先方に失礼だと、国王にだけ許可を得て、オルト家へ向かった。
もちろん用件は言わずに。
親友に恨まれているとも知らず、ウォレス伯はオルト男爵家の門をくぐった。
品のよい客間に通されて、すぐエレンが現れる。
「本当に先日は助かりました。」
「いいえ、こちらこそ本日はお招きにあずかり、恐縮です。」
簡単に挨拶を済ませると、テーブルに着く。
エレンがふと、聞いてきた。
「今日はお子様方は?」
「はい?」
ウォレス伯は、ティーカップを持とうとして、思わず指を放した。
「あの日、ご一緒でしたでしょう。ご兄弟だったのですか。」
ウォレス伯が苦笑する。
「私は独身です。」
確かにティアラやサミュエルのような年頃の子供がいてもおかしくないが。
エレンもウォレス家が伯爵家であることは知っていたらしいが、当主が独り者とは思っていなかったようである。
各貴族の事情に通じていないのは、お互い様といえよう。
間近で見ると、エレンは掛け値なしの美女だ。
亜麻色の髪に、深く澄んだ緑の瞳。
後宮などに召されなければ、社交界の華として、さぞ注目を浴びただろう。
ほんの一時期の出来事が、人生の流れを変えてしまった。
あるいは自分も、そうなったかもしれない。
ウォレス伯は、エレンを通りすがりの貴婦人とは思えなくなってしまった。
知り合いになるきっかけがあったとはいえ、ウォレス伯にエレンを訪ねる用向きが特にあるわけではない。
しかし、忘れ去る事もできず、お茶会の礼状を出すということで、つながりを保つ。
滅多に外出しないエレンと顔を合わすにはどうしたら良いか。
そうなると、自然オルト家周辺の教会へ足が向く。
幸いな事に、ウォレス伯がいてもおかしくない程度の距離だ。
ティアラとサミュエルが出かけた日が慈善バザーであった事を思えば、エレンも奉仕活動に熱心なのかもしれない。が、そういった場は圧倒的に女性が多い。
常に関心を持っていたのであればともかく、ウォレス伯が突然出入りするには目立つ。
ウォレス伯は主君に似て、不信心に近い。(注:最近エンリックは形だけは熱心である。)
偶然を装ってどれだけの効果があるか。
職務に忠実で有能なウォレス伯であっても、好意を持った女性にどう接すれば良いかという知恵は浮かばないのであった。
それでも何度か顔を会わせる機会はできた。
エレンの行動範囲がごく限られていたせいである。
そうとわかると、ウォレス伯も忙しい合間に、見計らって行動する時間を作る。
幸いな事に、口実もできた。
サミュエルの武術指南の時、
「母上と姉上は、毎日何かを作っているから、たくさんたまっていくんです。」
両手を大きく広げて見せた。
表現は大げさだが、増えているのは事実である。
稽古の後、それとなく、ティアラに聞いてみた。
「また、バザーに出品なさいますか。」