随分、長居をして王宮に再度来たのだが、エンリックはまだいなかった。
 あまり待たせるのも失礼になると、ローレンスがマティスを奥の居間へ通し、カトレアも
迎えてくれる。
「そうだ、カトレア。温室でも案内を見せて差し上げたらいかがだろう。」
 ローレンスが何気なく妹に勧めたのは、別にマティスの気持ちを知った上でのことではなく、
自分は先程相手をしたからだ。
 時の運が転がってきたと、マティスは自然と顔が綻んでしまう。
 温室というのは、カトレア誕生と共に、エンリックがカトレアの花を栽培しようと増設したもので、
当のカトレアのお気に入りである。
 ガラス張りの温室の種々様々なカトレアが集められ咲いているのは見事であったが、
マティスの目が追っているのは、花ではない。
「他の花もありますの。」
 ふいに声をかけられて、マティスは小さな植木鉢に気が付いた。
「すみれ、ですか。」
「ええ。私の名前ですもの。」
 カトレア・ヴァイオレット。
 二つで一つの名を持っている。
「私は自分の名前が好きですわ。お姉様にはかないませんけど。」
「そのようなことはないでしょう。姫のためにあるような名です。」
「ありがとうございます。」
 カトレアは嬉しそうな微笑みをマティスに向けた。
 まさに花のような、である。
 一瞬、見惚れてから、言った。
「よくお似合いです。」    
「この色も好きなのです。」
 マティスは名前を褒めたつもりだが、カトレアはドレスと思ったらしい。
 紫ともピンクとも付かぬ色合いに、濃い紫と金の刺繍が入っている。
 周囲の花々と似た感じだ。
 余程、名前に愛着があるのだろう。
「私の国も花の時季は一見に値します。御覧に来ませんか。」
「嬉しいですわ。でも父が許してくださるかしら。」
 カトレアさえ承知してくれるなら、エンリックの説得もできる。
「諸国訪問は殿方のお仕事ですもの。兄や弟になりますわ。」
 カトレアは社交辞令と受け取った。
 マティスは求婚の意味を込めたのだが。
「花嫁になる時は、この花を持って行きたいですわ。」
 マティスは、花嫁、と聞いてどきりとした。
 本当にカトレアは気付いてないのだろうか。
「ご結婚を考えていらっしゃるのですか。」
 考えている人がいるのかとは、さすがに訊けない。
「いずれ私を望んでくださる方の元へいくと思います。…昔、兄や弟と見ていた絵本に載って
いましたの。騎士がただ一人の姫に忠誠を誓っていて…。憧れているのかもしれません。
凛とした騎士の作法に。」
 主君以外の人間に、膝をつく勇気。
 王女に対する礼儀でなく、一人の女性に対する証として。
「姫…。」
 マティスは、その場に膝をつき、頭を下げた。
「これでよろしいですか。」
「殿下…?」
 カトレアは判然としない様子で、立ちすくんでしまった。
「貴女に対して求婚します。剣と誇りと名にかけて。」
 夢ではないか。
 マティスを目の前にカトレアは、言葉を失ってしまったようだ。