婚儀直前までウォレス伯は出仕する気だったが、さすがに花嫁の父だけに、エンリックが休暇を取らせた。
 大臣職に就く者が私用で職務に支障をきたすような真似は避けたい、とウォレス伯は言っていたのだが、家族で過ごす時間も必要だ。
「令嬢が私の息子の妻になるというのは、私用になるのか。」
 エンリックに問われて、ウォレス伯も返す言葉がなかった。
 指折り数えて式の待っているローレンスに、エンリックは
「ウォレス伯を父親に持つのか。彼は国王だろうが皇太子だろうが容赦ないぞ。せいぜい覚悟しておきなさい。」
 パトリシアはウォレス伯に
「陛下や殿下がお優しくても甘えすぎないように。」
注意を受けるのだが、当のローレンスから
「カトレアという強力な味方がいるよ。」
 むしろ言動に気をつけないと困るのはカイザックだ。
 父が司法大臣というだけでも頭を抱えていたのが、さらに妹が皇太子妃では迂闊な振る舞いができない。 
 都から離れた国境警備にでも配属されないかと、少しは本気で考えるのだった。
 
 最終の打ち合わせが済んだ後、ローレンスはパトリシアと中庭に散歩に出た。
 二人きりでなど、久しぶりである。
「やっとだね。随分長くかかったみたいだ。」
 一年以上準備期間がかかったクラウドが聞けば、贅沢だと思うだろう。
 風にゆれる銀の髪と共にパトリシアを抱きしめたローレンスは、
「誓いの口付けは取っておこう。」
 と象牙のような右手に唇を寄せた。


 澄み切った空が見渡せる日、パトリシアは迎えの馬車を待っていた。
 妹の今にも涙ぐみそうな表情を見て、カイザックがことさら快活な声をかけきた。
「パトリシア。ローレンス様が心待ちにしていらっしゃるのだから、ちゃんと笑っていきなさい。」
「お兄様…。」
「遠く離れるわけでもないし、いつでも里帰りできるだろう。」
 近くで聞いていたウォレス伯が、嗜める。
「皇太子妃が頻繁に王宮から実家に戻るわけにはいくまい。」

 パトリシアが嫁ぐ感慨に耽っている頃。
 王宮では朝から賑やかである。
 昨夜目が冴えてしまったローレンスがやっと眠れたと思えば、もう陽が昇る時間で、慌てて飛び起きてきた。
 エンリックは自分の事は棚上げしておいて、
「まったく花婿が何をしてるんだか。落ち着きのない。」
 人事のようにあたふたしているローレンスを眺めている。
 介添役を受け持つサミュエルでさえ、
「普通は寝られないものだと思いますが。」
少々、呆れ顔だ。
 カトレアとアシューにいたっては、兄よりパトリシアの花嫁姿を楽しみにしているようである。

 ローレンスは王宮から、パトリシアは邸から、大聖堂へ向かう。
 馬車の中で、さすがに緊張する。
 お互いが顔を会わせた時、婚儀は始まるのだ。
 街道の賑わいさえ、耳を素通りしていく。
 すでに周囲を気にしている余裕は二人にはない。
 ただ、早く事が運ぶのを願うばかりであった。