再び、カルナスとファーゼがメイティムを私室に訊ねたのは、翌日の午後。
幸い、マリアーナはシャルロットに招かれ、デラリットも貴婦人達とのお茶会で不在なのも
都合が良い。
メイティムは昨夜見つけた資料について息子達が話すのを黙って聞いていた。
「間違っていたら謝罪します。でも…。」
「いや、カルナス。記載にあった名はローネと同一人物だ。まだお前達が生まれる前のことだな。」
メイティムにとって、遅い初恋と言っていい。
「自分の気持ちを受け入れてくれたのだと思い込んでいたのだ。逆らえなかっただけだと
気付かなかった。まさか領主と同じように怯えて断れなかったとは…。」
今度はカルナスとファーゼは、何も言えなくなってしまった。
ローネは両親が亡くなり、納められなかった税のかわりにと領主の館に強制的に召しだされ、
妾どころか、まるで奴隷のような扱いを受けていたらしい。
「怖くて逃げることも死ぬこともできなかったと、泣いていたそうだ。」
ただメイティムが最初にローネを目にした時はそうと知らなかった。
器量が良かったため、何かの折に引き上げられたらしいが、すぐにいなくなってしまったので、
王宮のどこで働いているのか探したのである。
裏庭で一人、水汲みをしていたローネには思わず手を差し伸べたくなるほどの弱々しさがあった。
無理強いする気はなく、身分を伏せたまま声をかけたものの、近くにいてほしいと思い、
自分付きの侍女にしたのは間もなくのことである。
当時の国王だったメイティムの父は、一人や二人側に女性を置いたからと言って、目くじらを
立てることはなかったが、正妃と愛人は別だときつく言い聞かされた。
平民や侍女上がりが珍しくないとはいえ、本人の意思でなくても、罪人とされた男の妾だった
ような娘を、どう取り繕おうと皇太子妃の座には据えてはならぬと。
他に妻を持てと言われても、到底その気になれるはずもなく、現在の王妃デラリットとの婚約は、
その後のことで、ローネと別れるつもりがないことを承知の上、結婚を決意してくれたのだ。
ただデラリットの実家へ手前もあり、一時期ローネは王宮から身を引いた。
いずれ呼び戻すつもりで、養女として温厚な人柄を知る貴族の老夫婦へ預けたのである。
時折、訊ねて行ったのだが、本当の娘のように接してもらったせいか、王宮で見たことのない
和らいだ表情をしており、もしや手の届かない、それこそ他家へ嫁いでしまうのではないかという
不安に駆られつつ、ようやく迎えいれたのが、世継ぎとなるカルナスの誕生後だった。
だが大目に見てくれた父や納得していたデラリットと違って、周囲には疎まれ、素性に感付いた
人間からは、色仕掛けで皇太子を誑かしたと、ひどい陰口も叩かれた。
かなりローネには辛かったらしく、次第に身体も弱くなっていったのである。
一向に打ち解けてくれぬままで、せめて子供がいればと思ったが、こればかりはどうにかなるもの
ではない。
「ではリュオンを預けたのは父上のお考えですか。」
ファーゼの問いかけにメイティムは首を振った。
「確かに誰かを養子にとは思った。だからといってデラリットには到底言えるものではない。
だがリュオンはローネを慕ってくれてな。」
メイティムに連れられるまでもなく、リュオンはよく一人でも遊びに行き、その都度申し訳なさそうに
ローネが部屋へ送ってきた。
「ははうえとおよびしてもよいですか?」
幼いリュオンにこう言われて驚いたのは、当のローネである。
先々のことを考えれば王子が手元にいた方が良いと判断したのだが、ローネは恐縮するばかりで、
マリアーナとエセルが生まれた後も、リュオンが引き続きローネと過ごしたのは、本人の意思であり、
デラリットの落ち込みようはなかった。
年月が経つにつれ、リュオンがローネの子と誤解されるようになるなど、実の母としてどれほど
心を痛めたであろうか。
おそらくリュオンはローネの過去に早くから気付いたに違いない。
もしかしたら
「殿下が母上と呼ばれる筋合いなどございませんでしょう。」
などと、わざわざ耳に入れた者がいたとも考えられる話だ。
「リュオンが知れば、余計に近くにいたいと思うだろう。そういう子だ。」
弱い立場なら、将来は自分が後ろ盾になろう、という騎士道精神も働いたに違いない。