助八は、縁者を頼って自分も商人になる勉強をした。
 しかし、世の中いくら真っ当な商人がいても、影で色々あくどい商売をしている人間が何と多い事か。
 これでは商売仲間も町人も浮かばれない。
 父のしたことのせめてもの償いにと、世直しを決心したものの、考え抜いてやった事といえば、世間を騒がす盗っ人稼業。
 さすがに本名名乗って暮らす事は憚られ、本名太吉、父の弥助を組合して作った名が、弥太郎と助八。
 お天道様が出ている内は、堅気の小間物屋、お月様が顔を見せれば、義賊といえば聞こえはいいが、結局やくざな盗っ人。
 少々疲れる時もあるが、これも世のため、人のため、と弁解がましい重たい大義名分背負って、すったか、たったか、闇にまぎれて駆け回る。
 白装束をまとうのは正体を明かすかわり。
 正々堂々、これこれこういう者です、と名乗れぬかわりに、自分はこういうものだと身をもって表す手段。
 あんな派手ななりをして、よくもまあ、今まで足がつかないものだと、我ながら感心してしまう。
 一生、盗っ人をするつもりもなく、裏取引が金輪際なくなることはあるまいが、多少は悪徳商人がなりを潜めて、しばらくたったら足を洗う気でいるものの、後から後から、沸いて出てくるものだから、当分の間、止められそうもない。
 それに盗っ人といえど、盗んだ金を自分のために使った事はなく、その店に苦しめられた人や困っている人にばらまいて、残りはほとぼりが冷めた頃、奉行所近くに返しておく。
 何月何日、どこどこにて、いくら頂戴いたし候、あしからず、きちんと書付を残しておいたりするのが商人らしい所。
 しかし、これまた役人の反感を買う羽目に。
 返すくらいなら、最初から盗んだりするな、ということである。
 近頃じゃ、盗っ人が一度盗んだ金を返すのはおかしいと、実は公儀隠密ではないか、とか、いやいや誰かが雪影の盗んだ金を横取りして返しているんだ、とか、本人の思惑違いの噂まで飛び交う始末。
 無責任な噂の責任まで背負い込むつもりのない弥太郎にしてみれば、具合が悪い。
 本当に隠密だのお庭番だのが出てきた日には、町方役人相手にするのと大違い。
 まったくの素人とは言わないが、盗っ人一匹、そんな手合いから逃げ切れるものか。
 いくらなんでも、素手で剣術の達人相手に勝てる自信があるわけない。問答無用、切り捨て御免には敵わない。
 それでは、自分が本当にたまらないし、浮かばれないし、あんまりだ…。
 夜は盗っ人でも、昼間はどうってことない小間物屋。
 地道に生活している堅気の面もあるわけで、我が身もかわいいのである。

 取締りが厳しくなり、あちこち網が張られるようになってから、しばらくおとなしくしていた助八は、久方ぶりに雪影弥太郎として、出没した。
 狙いは回船問屋、鳴海屋。
 上手く盗みに入ったはいいが、間が悪かった。
 ちょうど、その晩、抜け荷の品の取引現場とかち合って、おまけに町方が抜け荷の線で目を付けていたらしく、御用だ、御用だと飛び出してくる騒ぎ。
「白狐だ!弥太郎が出たぞ。」
 抜け荷に、当代きってと評判の盗っ人だっていうので、大捕り物だと、同心達は元より岡引連中まで、張り切って十手片手に追ってくる。
 呼子は絶え間なく聞こえるし、以前に増して拍車がかかっている。
 これでは地上にとても下りられん、と、屋根の上を走っていると、
「待てー!白狐。」
 聞き覚えのある声に振り返ると、何と滝川京之進。
 この前、取り逃がした執念か、自分が屋根に上ってきたらしい。
 普段なら、お役目ご苦労様、とねぎらってやりたいだが、自分が追われているとなれば、そうも言っていられない。
 ひたすら、二人とも屋根の上を駆け回る。
 しかし、屋根を伝うのに不慣れな滝川、夜のせいもあってか、思わず、足を踏み外し、危うく真っ逆さまになりそうなのを、必死で屋根の端にぶら下がっている。
 叫び声を聞いた弥太郎、見て見ぬふりもできず、ましてや、落ちそうな相手は、向こうはしらないとはいえ、顔見知りの滝川だ。