■ 砂礫の王国4




 街の奥にある大きな館に入ると、三人の帰還を予測していたように館の主との面会の準備がされていた。アリスはいつも気味が悪いと不満そうに呟いたが、身支度を整える時間が取れると聞かされると、大喜びでイライザと共に湯屋へ消えていく。
 その姿を手を振って見送り、自室へと促す声をやんわりと断った青年は、地下の研究室へ続く扉を潜った。

 扉の開閉音で来客を知ったのか、青年が声を掛ける前に、彼といくらも歳が違わないであろう年若い研究員が部屋の奥から顔を出した。青年の姿を認めると、少し人の悪い笑みを浮かべながら歩み寄って来る。
「や、久し振り。剣の調整を頼みたいんだけど」
「本当にお久し振りです。今回は随分と長かったですね」
「うん。何とか死なずに戻って来れたよ」
 青年がおどけて言うのに、研究員は苦笑する。
「縁起でも無い。貴方が死んだら僕の研究は全部ムダになるんですよ?」
 このご時世で無駄な事をしているなんて耐えられないのでせいぜい長生きして下さい。と、どこまで本気なのか分からない口調で言うと、傍らのケースから一振りの剣を取り出し、青年に差し出す。
「調整が終わるまで、こちらを使ってみていただけますか?」
「あれ、新作?」
「貴方がさっぱり戻って来ないので、先日データを取らせて頂いたもので試作してみました」
 そう言って手渡された『剣』は、他の誰が見てもその用途が分からないに違いない。
 青年が携えている剣は全て、柄こそ付いているものの、鋼の刃は見当たらない。刃に当たる筈の部分には、一見すると鉄屑のような平たく厚みのある金属板が付いているだけだ。
 その表面には管やバルブがいくつも見え、武器というよりは楽器に近いようなものに見えなくもないという、不思議な代物だった。
「ありがとう…どれ……」
 ゆっくりと新しい剣を構えた青年に向かって、研究員は慌てた声で静止する。
「ここで振らないで下さい!どんな効果があるかも分からないのに…また部屋を壊す気で
すか!」
「あ、ごめん」
 へへへ。と悪びれずに笑う青年を、研究員は自分が先程まで居た奥の部屋へと案内す
る。

 通された部屋は縦に細長く奥行きがある作りになっていて、手前には作りかけの剣の部品が転がっている。
「取り扱いには気を付けて下さいね。あまり破壊工作をされると、僕はここを追い出されてしまいますよ」
 言いながら、研究員は出来るだけ壁に被害が出ない部屋の中央辺りにターゲットを設置する。
「追い出しはしないよ。ああ見えて慈悲深くて優しいから」
 万が一まずい事になっても、僕に全部押し付けてしまえば良いよ。と言って、剣の柄にテーピングを巻き付けながらのほほんと笑う。
「……そんな恐れ多い事を言えるのは、貴方とほんの一握りの方だけですよ」
 どこまでもマイペースを貫く青年を見、研究員はため息をついて肩を竦めた。

「じゃ、仕切り直しで……」
 研究員がターゲットから離れたのを確認すると、青年は慎重に剣を構え直した。
 途端、飄々とした雰囲気が一変した。
 剣が小さな唸りを上げ、金属の塊が不可視の刃を纏う。
 小さな気合いと共に彼が手に持った一閃すると、剣の先が陽炎のように三又に分かれ、目標に向かって伸びていく。

 次の瞬間、派手な音を立てて数メートル先のターゲットが粉砕された。

 破砕音に混じって、背後では息を呑む気配がする。
 一呼吸置いて、青年の口からヒューっと軽く口笛の音が漏れた。
「……お〜、これは結構便利かも。少しこっちを使ってみるよ」
 青年が機嫌良さそうに笑って振り向くのに、研究員は対照的な硬い表情を浮かべた。
「三又に……」
 その反応に、青年はきょとんとした顔をした。
「そういうふうに造ってくれたんじゃないの?」
「刃に変化が出るかとは思っていましたが…あなたはいつも予測不可の規格外ですよ」
「この間の剣も便利だったけど、一人じゃないから炎が出るのは危なくて。最近手数が足
りなくて困ってたんだよ」
 満足げな口調で、重さと手触りを確かめるように、幾度か素振りをする青年を硬い表情
で見、研究員が呟く。
「……他の誰が振るっても只の鉄の塊なのに」
「それは、僕用に調整してるからだろう?」
 おっとりと答えた青年の声にもかぶりを振る。
「いいえ。貴方の他には誰ひとり扱えません。精神力を刃に変えるなど、普通の人間には無理なのです」
 研究員の口から漏れた言葉に、青年は僅かに眉を寄せた。
 普段はこんな否定的な事を言わない人間なのに、先程から少しおかしい。
「貴重なサンプルが居たおかげで、武器オタクの本領が発揮出来て良かっただろう」
 軽口を叩いても、彼は硬い表情で首を振るだけだ。
「私は、本当は恐ろしい。貴方も、上級天使様も……」
 神も。と続けようとし、彼は我に返ったように口を閉ざした。

「神は皆恐ろしいよ」
 暫しの沈黙の後、ぽつりと青年が呟く。
「だが、そのお陰でここは歪みに飲み込まれずに済んだんだ。巫女のおかげで」
「戯れ事なのは分かっています」
 言って握り締めた拳は蝋のように白い。

 あの日、落ちて来る瓦礫の隙間から振り仰いだ祭壇で見たものは、天井まで届こうかという程巨大な光の翼。

 それを纏っていた人物は、金色の髪をした……

 ふわり、と何かが自分の中で浮き上がる感覚がした瞬間、ぱちん。と小さいながらも鋭い音で我に返った。
 いつの間にか青年が目の前に来ていた。先程の音は、彼が指を鳴らした音だったようだ。
 かつては至高の宝石と共に高みにあった藍の瞳が真っ直ぐに自分を射抜く。
「それに取り憑かれてはいけない…戻って来れなくなる」
 いつもは見る者を安心させる光を宿す瞳に、今は何故かはっきりと恐怖を感じる。
「……も…申し訳ありません」
 強い視線を直視出来ず、逃れるように研究員は下を向いた。
「あまり、あの時の事を考えないようにした方が良い。体にも障るから」
「はい……」
 やっと返事は返したものの、やはり顔を上げる事も出来ない。
 その様子に、青年は眉を顰める。

 ――― 二ヶ月前はこんな影は無かった筈なのに……引き摺られているのか……

 原因となりそうなものを素早く思い浮かべてみたが、その中でも一番厄介なものが直接の原因なのだろう。

 ――― 結界を、少し強化したほうが良いか。

「全く……」
 不意に、青年の口に酷薄な笑みが浮かんだ。
「自分だけが望んだ夢の中に居るのは、卑怯だと思わないか?」
 それはほんの小さな呟きだったが、他に音の無い空間では思いのほか響く。
「は……?」
 意味を掴み損ねた研究員が伏せていた顔を上げると、青年の顔にはいつもの柔らかい笑みが浮かんでいた。
「いや、何でもない。……剣の調整には僕も居たほうが良いよね」
 急に話題を変えられ、戸惑いながらも頷いた。
「そうして頂ければ手間が省けます」

「面会が終わったらまた寄るよ。剣、ありがとう」






>> back << >> next <<