■ 砂礫の王国5




「戻ったか」
 少女達と合流し、執務室に入ると、正面から美しい紅玉がこちらを見据えていた。
 久方振りに対面した紅と金の繊細な金糸雀の色彩を持つ部屋の主は、常通り秘書を後ろに従え、些かも揺るぎ無いように見える。
 しかし、そこに微妙な違和感を感じ取り、青年は微かに目を眇めた。
「……どうした?報告を」
 口を閉ざしてしまった青年の代わりに、イライザが口を開く。
「やはり、『扉』がありました。そこから異形がこちらに転移していたようです」
 イライザが抑揚の少ない声で淡々と報告していくのを、上級天使も感情を伺わせない能面のような表情で聞いている。
 よどみなく報告を続ける声を聞きながら、違和感の正体を探っていたが、それはすぐに知れる。
 目の前の青年が、最後に見た時より幾分か痩せたように思えるのだ。
 ここ数年無かった事であったし、何より今の彼の体は普通の状態では無い。
 また、誰かを喪ってしまうのだろうかと。ふ、と不安が脳裏をよぎった所で報告の声が途切れた。

「そうか……それでは暫く休むと良い。ご苦労だったな」
「わ、珍しい!休んで良いの?」
 上級天使の言葉に、アリスが驚いた声を上げる。
「……何だそれは」
「だって、今まではこうして帰ってくると『すぐに次の所に行け』って追い出してたじゃない!」
 声音まで上級天使を似せて言うのに、紅い瞳が僅かに吊り上がる。
「それはお前の被害妄想だ」
「嘘ばっかり!僕達の事、キライな癖に」
「アリス、やめなさい」
 やんわりとイライザが割って入る。
「上級天使モ。止めテ下さい」
 後ろに控えていた天導天使も控えめながら口を挟んだ。
 ちらり、と動かした視線の先に苦笑いする青年の姿を捉えると、上級天使は疲れたように深々と息を吐き出した。
「まあ……良い。いつまた出て貰うか分からんからな。休める時に休んでおけ」
「……すると、まだ見つかっていない扉があるという事ですね」
「そうだ」
「ちぇ……やっと一息付けると思ったのに」
 拗ねるアリスを見て、イライザが微かに笑う。
「仕方あるまい。あの扉を封印出来るのはお前達しかいないのだからな。せいぜい働いて貰うとするさ」
「だ……から!その言い方が気に入らないって言ってるんでしょ!キミ!それが人にものを頼む態度なの!」
 上級天使にびしっと指を突きつけて、アリスが啖呵を切った。
 それにも動じず、机に両肘を付いた上に顎を乗せ、上級天使は口元にうっすらと酷薄な笑みを浮かべる。
「勘違いするな。お前達が封印をするというから手を貸してやっているだけだ」
「な……!」
 真っ赤になって全身を震わせるアリスの肩を、イライザがやんわりと抱いた。
「イライザも何か言ってやりなよ!」
 その袖にぎゅっと縋り付いたアリスは、目にうっすらと涙を浮かべてイライザを仰ぎ見る。
「……その件については感謝しています。また何かありましたら呼んで下さい」
「イライザ!」
「わがままは言わないの。さ、行きましょう」
 促され、渋々といった風情だったがアリスは踵を返す。だが、いくらもいかないうちに、今まで自分の横にいた青年の姿が無い事に気が付いた。
「きみは……?」
「少し、話があるから。気にしないでゆっくり休んで」
 手を伸ばして目の端に溜まった涙を拭ってやると、アリスは一瞬だけ頬を染め、イライザと共に扉の向こうに消えた。


「……随分となつかれたものだな」
 彼女達の気配が遠ざかった頃、つまらなさそうに上級天使はぼそりと呟く。
「なつくって……彼女たちは犬猫じゃありませんよ」
「人間でも無いがな」
 にべもなく言い放ち、不機嫌そうに上級天使は椅子に深く腰掛けた。
「上……」
「奴らの真の目的が分からない以上、あまり気を許すな。お前は昔からそうやって失敗しているだろう」
「それは……ひどいですね」
 反論しながらも、心当たりはあるのだろう。青年は困ったような顔をして、それ以上の言葉を紡がなかった。
「お前からは何かあるか?」
「先程のイライザの報告にもありましたが、今回の扉には、守護者と言えるべき者が存在しました」
 言いながら、青年は懐から持ち帰ってきた小さな光球を取り出す。彼が手を離すと、それはまるで生き物のように宙を漂い、上級天使の掌に納まった。
 己の手の中で明滅を繰り返す光球を暫く見つめていたが、やがてその口唇が微かに吊り上がり、歪んだ笑みの形を作る。
「成程……成れの果て……か」
 彼は何の、とは言わない。しかしそれは青年には分かりすぎる程分かっている事だった。
「天導」
「ハイ」
 持っていた光球を側に控える秘書に無造作に手渡す。
「それを分析して、同じ波動を発している地点を探せ。そこに新しい扉がある」
「は……ハイ」
 半ばあっけに取られたような声が仮面の下から聞こえた。事情を理解していない彼女にとっては不可解な命令だろう。
「それが最優先だ。急げ」
 言いながら、上級天使は席を立つ。差し向かいに立つ青年に着いて来るようにと促すと、執務室を後にした。






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