「ミタクエ・オヤシン」
ネイティブ・アメリカン(旧インディアン)のラコタ族の言葉に
「ミタクエ・オヤシン」と言う言葉があります。
直訳すると・・・
「ミ」は「私の」、「タクエ」は「つながり」、「オヤシン」は「すべてのもの」
つまり、「私につながるすべてのものたちよ」とか、「すべてのものは
つながっている」という意味になります。
ラコタ族の人々にとっての「つながり」とは、人間同士だけに限ったこと
ではありません。
ラコタ族の人々は・・・
鳥を「翼を持つひとびと」
動物を「四本足のひとびと」
木を「根っこを持つひとびと」
空気を「風のひとびと」
川を「流れるひとびと」
そして、人間は「二本足のひとびと」と言いいます。
「動物」や「人間」や「自然」という区別をせずに、それが生物で
あろうとなかろうと、あらゆるものを「ひとびと」と呼んでいます。
彼らは地球に存在するすべての「ひとびと」の中にスピリットを
見出し、スピリットを感じています。
そして、そのスピリットはさまざまなレベルで、すべての「ひとびと」
の中を空気のように出たり入ったりして、風のようにすべての生命
の中を流れていて、そうして母なる大地の上で生命の輪をつくり、
同じレベルでつながっていると考えています。
あらゆる「ひとびと」はみな、大地の子供であり、地球という
コミュニティの住人です。
つまりそれは、共に存在していくために同じだけの「権利」と「責任」
があるということです。
権利とは、幸福に生きる権利で、草木の一本一本も、風も、人間も、
同じ「ひとびと」として同じだけ幸福になる権利があるということです。
またその生命の重さも同じで、それゆえに一人ひとりの幸福に生きる
権利と尊厳を大切にし、調和を保つ責任があります。
それが・・・ 「ミタクエ・オヤシン」という考え方です。
わたしたちは少なからずどこかに孤独感を抱いています。
組織や集団があるがゆえに、そこにかかわれない、かかわりきれない
「自分」のことを、孤立していると感じてしまいます。
今ここにいるあるがままの自分が・・・
今ここにあるほかの生命に触れてみたり、聴いてみたり、見てみたり、
感じてみるという感覚的な出会いをどこかに置き去りにしてしまっている
から、目の前の光り輝く生命の存在に気づけない。
人は一人では生きてゆけない。
近くにいて支えてくれる人、動物、植物、鳥、虫、鉱物、山、川、精霊たち
などの多くの生命の中のひとつとして生かされている。
自分は決してひとりではなく、あらゆる存在とつながっています。
自分の周りとのつながりに気づくと、人は少しずつ強くなっていくのかも
しれません。
ミタクエ・オヤシン・・・
大丈夫なんだよ!!!
わたしたちはみんなにつながっているんだから!!!
安心して・・・
自分の花を満開に咲かせてね!!!
ルンルン・・・
ありがとうございます。
PS:ミタクエ・オヤシンの言葉はとてもすばらしい本の中に紹介されています。
「自分を信じて生きる インディアンの方法」 松木 正著 小学館刊
無限の無限の・・・
素直で明るくあたたかく・・・
うれしい・たのしい・しあわせ・だいすき・あいしてる・ついてる・ありがとう
ありがとう ルンルン ありがとう ルンルン ありがとうございます
つながっているみなさまに感謝いたします