メッセージ 345


 「関係の鏡」


  ある本を一読した時・・・
  この本を100回読んでみたいなと思いました。
  その本は・・・
  「迷ったときは運命を信じなさい」
       ディーパック・チョプラ 著  サンマーク出版

  この本の中から・・・
  関係の鏡というところを少しだけみなさまにもおすそ分け
  させてくださいね。
  御興味のない方はすぐに削除してくださいね。

  「関係の鏡」

  ・・・・・・・・・・・
  「わたしは、それである」とは、世界のなかのあらゆるものを
  観察して、自分のもうひとつの姿がそのすべてのなかに映し
  出されていると気づくことなのです。
  あなたとわたしは同じであり、すべてのものが同じです。
  わたしは「それ」であり、あなたも「それ」であり、すべてのもの
  が「それ」なのです。誰もが他者を映し出している鏡です。
  わたしたちは他人のなかに自分の姿が映し出されていること
  に気づかなくてはいけません。
  これを「関係の鏡」と呼びます。
  関係の鏡を利用して、「すべて」である自己を見つけ出すのです。

  人間関係は魂を進化させる手段でもあります。
  この進化の究極の目標は、宇宙との一体感を肌で感じとることです。
  人間はひとり残らずこの宇宙の意識に含まれていますが、日常生活
  のなかで宇宙とのつながりに気づいたときにしか、わたしたちは大き
  く飛躍することができないのです。
  また、人間関係を断たれてしまうと人は生きてはいけません。
  親、子供、恋人、同僚など、自分が築き上げた人間関係の網の目を
  いつも意識しましょう。
  心の奥深くでは人間関係のすべてがスピリチュアルな体験なのです。

  人を愛しているときは、時が止まったように感じるものです。
  その瞬間、あなたは不確実なものとも調和しています。
  あなたは最高の気分を味わいつつも、傷つきやすくなっています。
  親密さを感じつつ、危険にさらされたような気持ちを抱えています。
  この状況のなかで、人は変容していきますが、そのことに不安は
  なく、むしろ驚きの念を抱いています。
  これがスピリチャアルな体験なのです。

  あらゆる人間関係の鏡を通し、わたしたちは自分の知覚が拡大
  されていくのに気づきます。
  あなたが好きな人も、嫌いな人も、同じように自分自身を映す鏡です。
  あなたはどんな人に魅力を感じますか?おそらく自分と似た性格の人
  でしょうが、同じというだけで好きになることはありません。
  その人と仲良くなりたいのは、付き合うことでその人物の特徴を自分
  でももっと表に出したいと潜在意識で思っているからです。

  魅力を感じる人が現われたなら、なぜその人物に心を引かれるのか、
  自分の胸に問いかけてください。魅力を感じたのは、その人の美しさ、
  気品、優雅さ、影響力、権力、知性のいずれでしょうか?
  理由がなんであれ、その人物の性質が、あなたのなかでまだ開花し
  ていないことを確認してください。
  そうすれば、自分のほんとうの姿にもっと近づくことができます。

  もちろん、嫌いな人にも同じことがいえます。
  自分が否定している性格を映し出している人物に対して、人は嫌悪感
  を覚えます。しかし、とことん見つめれば、あなたが嫌いな人物があな
  たと共通する性格をもっていることにきっと気づくはずです。
  ほんとうの自分の姿に近づこうとするとき、あなたは自分自身のいやな
  面に気づき、その面に対処していかなくてはなりません。対立している
  価値が共存しているところに、宇宙の本質的な性質があります。
  心のなかに臆病者がいなければ、あなたは勇敢にはなれません。
  内面にけちな人間が住んでいなければ、太っ腹になることはできません。
  悪の才能がなければ、徳の高い人間にもなれないのです。

  わたしたちはマイナス面がないかのように振る舞い、嫌いな性質をほか
  の人間に投影しています。知らないうちに、「ふさわしくない」人間を自分
  のまわりに引き寄せている人がいないでしょうか?
  なぜ繰り返し、そんなことになってしまうのか、彼らは気づいていません。
  そういった人は嫌いな人を引き寄せているのではなく、自分のなかにも
  彼らと同じ性質があることを認めようとしていないだけなのです。

  不愉快な人間と出会ったなら、対立するものの共存という逆説を受け
  入れ、あなた自身の新しい面を発見する機会として利用してください。
  あなたのスピリチュアリティ、自己はそれで一歩成長します。
  この世で悟りを開いている人は、光と闇の両方がもつ可能性をきちん
  と受け入れています。自分のマイナスの性質に気づき、認めている人
  といっしょにいるとき、あなたは彼らに評価を下されているとはまったく
  感じません。何かを判断しようとするのは、自分とは関係ないと一線を
  引き、善悪、正誤を見きわめようとする心の表れなのです。
  進んで自己の光と闇の部分を認められた瞬間、わたしたちは自分自身、
  そして人間関係のどちらも改善していくことができるのです。他人のなか
  に自分の姿を見いだせることがわかれば、すべての人間関係が自分の
  意識を進化させる手段になります。

  意識が進化すると、知覚が拡大されていきます。
  知覚が拡大された瞬間、「すべて」である領域に到達し、シンクロディス
  ティニを体験できるようになります。

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  どんな人間にも複数の顔、いや、あらゆる顔があります。
  世の中に存在するすべてのものが、あなたの心にも存在しています。
  このような自分のもつさまざまな面を受け入れたとき、宇宙の意識と
  のつながりに気づき、あなたの認識は拡大されていきます。

  関係の鏡が人生に及ぼす大きな影響について説明している、スーフィー
  教の素晴らしい話があります。

  ひとりの男がある村を訪れ、村の古老でスーフィー教の師に会いに
  行きました。訪問者は言いました。
  「この村に引っ越そうかどうか、考えているところです。ここに住む村人
  たちはどんな人か、教えていただけませんか?」
  スーフィー教の師が、「あなたが住んでいた村の人々は、どんな人たち
  でした?」と逆に尋ね返すと、訪問者は「強盗、詐欺師、嘘つきだらけです」
  と答えました。すると、師はこう答えました。
  「いいですか。ここの村人もまったく同じ人間ばかりですよ」
  男は村を去り、二度と戻ってきませんでした。

  三十分後、別の男が村にやってきました。彼もスーフィー教の師を探し、
  こう尋ねました。「わたしはここに引っ越そうかどうか、考えているところです。
  ここに住む村人たちはどんな人か、教えていただけませんか?」
  師は再び、「あなたが住んでいた村の人々は、どんな人たちでしたか?」と
  問い返しました。訪問者は「とても親切で、やさしくて、思いやりがあり、愛情
  深い人々でした。会えなくなると、とてもさびしくなるでしょう」と答えました。
  すると師は答えました。
  「ここに住んでいる村人もまったく同じ人間ばかりですよ」

  この話は、他人のなかにもっともはっきりと見えている特色が、自分のもつ
  いちばん強烈な性格であることを思い出させてくれます。
  関係の鏡を覗き込めるようになると、自分の全貌が見えてきます。
  この鏡を使えるようにするためには、曖昧な状況に置かれても不安にならず、
  自分のもっているすべての面を認めなくてはなりません。
  心の奥深くに否定的な特徴があるからといって、人間失格というわけではな
  いのです。弱点のない人などひとりもいません。自分の短所を認めるのは、
  逆に自分が完璧な人間である証明なのです。

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  この世界は・・・
  例えば・・・
  生まれたときから・・・
  立体3次元スクリーンに映る自分の心の世界を観る映画館のようなものなの
  かもしれませんね。
  あまりにも・・・
  リアルなので・・・
  ついつい・・・
  観ている自分もその世界にのめりこんでしまいますが・・・
  確かに・・・
  わたしの体のなかで・・・
  じっとこの映画を楽しく鑑賞している存在がいます。
  それが・・・
  わたしでありあなたでありすべてである「ひとついのち」なのかもしれませんね。

  全ての存在が・・・
  わたしを映す鏡。
  それぞれが・・・
  違った見方をするように・・・
  さまざまな存在として・・・
  関係の鏡の中で・・・
  わたしを見ている。

  神さまは・・・
  実に・・・
  楽しいことを考えられたものです。

  ルンルン・・・

  ありがとうございます。