「古老と語る」
荒れ果てた山全体を、牛の口と蹄によって、美しく生態系豊かな牧場に 変貌させた斉藤 晶さんという古老とある山奥の牧場で酒を飲み語り あかしてきました。 斉藤さんの牧場は、広大な日本庭園のようで、これまでここで多くの人が 癒され、自分を取り戻して帰っていきました。 斉藤さんは、いろいろなことを語ってくれました。 「石とササだらけの山で開拓農業に行き詰まり、身も心もずたずたの 極限状態になった時、山のてっぺんの木に登って、周りを眺めながら 考えたんですよ。 鳥や虫たちは、いつもゆうゆうと何の文句も言わないで生きている。 人間だってあの仲間と同じような姿勢に立ったら、どうなるんだろうって。 自然に溶け込めば、金は儲からなくても生きてはいけるんじゃないかってね。 それで、やまの自然をそのまま生かす形で牛を飼うことを思いついたんですよ。」 「ノイローゼとか、うつ病とか、化学物質過敏症になった人も、うちの牧場 に来て山菜取ったり散策しているうちに、みんな治っていくんですよ。 人も牛と同様に放牧するといいのかも・・。」 「お釈迦様も、キリストでも、結局は自然の理法を教えたはずだと思って いるですよ。だから、ほんとうに素直に謙虚に自然ってものをとらえる 姿勢さえ自分が持っていればね、お釈迦様やキリストの言ってることにも、 みなつながるはずだってことなんです。」 「社会のシステムなんてのは、みんな人間が作ったものなんです。 ところが、自然ってのは人間が作ったものじゃないんですよ。 だから自然という原点を感性でとらえて、それをよりどころにして生きて いればね、世の中の流れがどうなっていくか、それにどう対応するか、 そのへんも適切な判断ができるってことなんですよ。 だから一喜一憂することないよってことなんです。 どんな逆境になっても。これもひとつの過程だってとらえるわけですよ。 その過程をクリアーしていかなければ、自分の考えてる理想的なところには 行かないよって受け止めて、状況に応じるってことなんです。 前向きの姿勢でそうしたふうにとらえていれば、落ち込むこともなけりゃ、 そうガタガタすることもないよ。 いろんな変化が起きてきた場合は、これも何かに気づけというひとつの試練 だな、というふうにとらえることもできるってことなんですよ。 みんなひとつの勉強の過程になるんです。 だから「災い転じて福となす」なんて諺があるとおり、自分のとらえ方しだ いでそうなるわけですよ。 あらゆることが自分の勉強の過程になるし、マイナスになるものなんてない よってことなんです。条件が悪ければ悪いのをプラスにする方法だって、 工夫すれば、なんぼでもありますよってことなんです。」 「人の考え方を変えていこうなんていうことじゃなくて、自分の方が先に 気が付いたら、変わってしまえってことですよ。自分が生き方を変えて どういう答えが出るか, やってみればいいんです。 それで、一時はもうダメかというようなきわどい所も通っていくだろうけど も、そうならずに切り抜ける方法が見つかってくるんですよ。 もがいてるうちに・・・・・ やっぱりギリギリの極限状態まで行って、固定観念を捨てた人がね、新しい ものを創り出す感じですよ。」 「学校に行くとね、忘れるってことが一番マイナス要素になるけどね、 本当は忘れるってことはとても大事なことなんです。私みたいなのは 自然に忘れるからいいんですよ。恥かいたのも、賞をもらったのも、全部 忘れるんですよ。だから、新しいことに踏み出せるんです。」 「一番大事なのはいのちで、生きることなんです。いつも、いのちの輝き かんじているかい!?」 まだまだ、たくさんのお話をされました。 このじいさん、やはりただものではないみたいです。 興味のある方は、インターネットで「斉藤 晶」を検索してみてください。 たくさんあるみたいですよ。 このじいさんお酒も強くて、おかげでわたしは二日酔いで吐きながら 往診しました。 斉藤 晶さんは仙人なのかもしれませんね・・・・・ 世の中にはいろいろな人がいて、まっことおもしろか〜〜〜!!! 素敵な古老 斉藤 晶さんに感謝いたします。 |