グアテマラ年表 その2

1999.9 この年表は1840年から,1954年アルベンス政権が倒されるまでの間をあつかっています.それ以後,1980年にURNGが結成されるまではグアテマラ年表 その3,さらにその後,現在まではグアテマラ年表 その4をご参照ください.

201012.31 グアテマラ年表の2と3をひとつにまとめました。これまでの4が3になります。「その1」はグアテマラ総督領の時代の年表であり、中米五カ国がすべてふくまれています。このページからは中米五カ国が分裂してからのグアテマラの年表です。

 

カレーラの時代 バリオスの時代 カブレーラの時代 ウビコの時代   アレバロ政権  アルベンスの実権掌握 CIAによるクーデター

イディゴラス政権  第一次FARの時代  第二次FARの時代  闘争再建の時代

 

 

1840年 カレーラの時代

48.5.2 グアテマラ駐在の米領事ヘンリー・サベイジ,ニカラグアはイギリスの膨張政策に対し保護を求めていると警告.

49 自由党の反乱.カレラは過剰な保守主義が反発を買い,一時国外亡命に追込まれるが年内に復帰.

1850年 三年戦争

50.4 クレイトン=バルワー条約締結.米英両国のいずれも地峡運河については独占的な支配権をもたないこと,中米のいかなる部分をもこれ以上占領しないことを決める.

50 制憲議会,グアテマラ新憲法を制定.カレラをふたたび大統領に選出.エルサルバドルのバスコンセロス大統領,中米連合の再建をはかりホンデュラスと連合しグアテマラに侵入するがカレーラにやぶれる.エルサルバドル,ニカラグア,ホンデュラスのあいだに三年戦争はじまる.

52 カレラ,バチカンと関係修復.イエズス会を受入れる.

54 カレーラ,みずからを「最高にして終身の国家指導者」であると宣言.終身大統領に就任.

1856年 ウォーカー戦争

3 ニカラグアを除く中米4カ国の保守党は,ウオーカーを撃ち破るための連合軍を結成,「国民戦争」を宣言する.イギリスはこれに軍事援助を行う.シュレジンジャー大佐の率いるウォーカー軍,コスタリカに侵入.サンタ・ロサの戦闘でコスタリカ軍に敗れる.

11 コスタリカ大統領フアン・ラファエル・モーラが中米連合軍の総司令官となる.トマス・デラ・グアルディアにひきいられた中米連合軍,リバスの決戦でウオーカー軍を撃ち破る.鼓笛兵フアン・サンタマリーアの決死の戦闘行為が有名となる.ウォーカーは,グラナダを焼き打ちしたあと撤退.

57・4 ウオーカー,グアテマラ軍に逮捕される.米海軍,これを救出,ウオーカーは米国に「凱旋」する.

11 ウォーカー,米艦サラトガの支援を受けサンフアン・デルノルテ(一説にホンデュラスのプンタ・アレナス)に上陸,2回目の侵攻を試みるも,2ヵ月後に米国軍に「誤認逮捕」され挫折.

59.1.25 エルサルバドル,連邦再建を断念.最終的に独立を宣言.

59 カレーラ独裁政権,イギリス負担による道路建設とひきかえに,ベリーズの国境線の確定に応じる.

1960年

62 イギリス,「英領ホンデュラス」をジャマイカ総督領に編入

62 ニカラグア,ホンデュラスとエルサルバドルの支持を得て中米連合結成に乗り出すも失敗.

 

バリオスの時代

65 カレーラ,大統領在籍のまま病死.ビセンテ・セルナ将軍,カレラの指名により大統領に就任.各地で自由派の巻き返し起こる.

69 セルナ,大統領に再選.これに反対する自由党軍は各地でゲリラ戦を展開.スペイン生まれでヨーロッパと米国で教育を受けたミゲル・ガルシア・グラナドスが政治指導を,地主で法律家のフスト・ルフィノ・バリオスが軍事面を担当.

1870年

70.9 新政府,十進法にもとづく貨幣単位を導入,銀本位制をとる.

70 太平洋岸にコーヒー積出港サンホセが建設される.

71.6 自由党軍,内乱の末政府軍を打ち破りグアテマラ市を占拠.セルナを追放し保守派支配を打破.バリオスは高地の平定作戦を続行.グラナドスは大統領に就任したあと大司教とイエズス会をふたたび追放し教会財産を没収.法衣の着用や宗教儀式の執行を禁止する一方,すべての宗教に対し信仰の自由を認める.歴史家ロレンソ・モントゥファル,「聖職者は中世の暗黒時代を再現しようとしている」と教会を非難.

72 グラナドス,ホンデュラスの自由党軍支援のため軍をひきい出動.バリオスが大統領を代行.

73 保守党による反乱勃発するがまもなく鎮圧.グラナドス,任期を終えたあとみずからの意志により政界を引退.同志のバリオスが大統領に就任.バリオスは伝統的な自由主義を捨て強権的な政策を実行.同時にコーヒー輸出を中心とする開発政策を推進し,海外資本の積極的導入により富国強兵をはかる.以後,米国の進出増大.メキシコのレフォルマを範として反宗教政策を実行するが,土地の寡占制とインディオの強制労働は温存.

74 士官学校(EscuelaPolitecnica)創設.スペイン軍事使節団が指導に当たる.

75 学校の非宗教化を実行.

76 バリオス大統領,エルサルバドルに第1回目の侵攻.圧力によりアンドレス・バリェ大統領を辞任に追込む.

76 バリオス大統領,73年に続きふたたびホンデュラスに軍事干渉.自由派のマルコ・アウレリオ・ソトを権力の座に据える.中米連合結成を提案するが失敗.

77 グアテマラで永代借地制度廃止.原住民からエヒードが取り上げられ大地主の手に.土地を失った原住民は大農園の農業労働者となる.

78 フランスのレセップスら,パナマ運河の掘削権を獲得.

79 ホセ・マルティの起草になる憲法制定.国家と教会を分離し,教会の土地を没収し聖職者の特権を廃止.土地の多くがコーヒー生産者の手に渡る.ほかに6~14才の児童の義務教育と公衆教育の国家への責任を明文化.

1880年

80 グアテマラの輸出総額の92%をコーヒーが占める.

80 テグシガルパがホンジュラスの首都に確定される.

82 メキシコと国境条約を締結.バリオス,中米はふたたび統合されるべきと宣言.

83 バリオス,ホンジュラス大統領ソトとの意見の相違から,辞任に追い込む.同じ自由派のルイス・ボグラン・バラオナが政権を継承.91年まで自由派の支配が続く.

84 カリブ海岸に積出港としてプエルト・バリオスが建設される.

1885年

2.28 バリオス,中米統合を目指す作戦を開始すると宣言.メキシコのディアス政権は,中米各国にバリオスの野望に対する抵抗をよびかける.

4.02 バリオス大統領,エルサルバドルに侵略する.チュルチュアバ(Chalchuapa)での最初の戦闘で敗れ,みずからも負傷し戦死.

85 グアテマラ,エルサルバドル,ホンデュラスの三国,モンロイ会議で中米同盟の設立に合意.

85 ベルナルド・ソトが、コスタリカ大統領に就任.自由党の統治が続く.

89 コスタリカで,保守派の立憲民主党から立起したホセ・ホアキン・ロドリゲスが,進歩自由党のアセンシオン・エスキベルに勝利.自由派は敗北を認め,ロドリゲスの大統領就任を許す.このあと,コスタリカでは平和的な政権交代が続く.

89 パナマ運河会社が破産.米国のマリタイム運河会社がニカラグア運河の建設権を獲得.現地調査が開始される.

1890年

90 グアテマラとエルサルバドルのあいだにふたたび戦闘状態.

93 日本人グループ132人,ハワイの砂糖キビ農園からグアテマラへ転住.LAへの最初の日本人植民.

93 セラヤ,ニカラグア大統領に就任.中米連合復活を策す.

94 メキシコとの国境条約を否認,チアパス南部国境地帯へ侵入.

94 最初の労働者組織,労働者協会連合結成.労働組合結成へ向けて組織活動開始.

94 英国がモスキート海岸に干渉.その後,モスキートはニカラグア政府軍に敗北.英国の影響力は失われる.

95 英国,ニカラグアのコリント港を封鎖.米国の調停により解決.

95 中米諸国,サルバドル・メンディエタのイニシアチブで,大中米共和国建設について検討開始.ニカラグアとホンデュラスは中米合衆国の創設に同意.

96 コスタリカで,ロドリゲスに続き保守党のラファエル・イグレシアスが大統領に就任.

99 ユナイテッド・フルーツ会社が創設される.

 

カブレーラの時代

98.2 バリオスの甥ホセマリア・レイナ・バリオス大統領,暗殺される.臨時大統領に法律家のマヌエル・エストラーダ・カブレラが就任.当初は道路や鉄道の建設,教育や文化の重視など進歩的政策をうちだす.次第に独裁色を強め,以後22年間にわたり独裁権力をにぎる.自分の母親の誕生日を国祭日とするなど奇行が多く,アストリアスの小説「大統領閣下」のモデル.

99 中米共和国構想,エルサルバドルの反対により失敗.メンディエタはその後,中米統一党を結成し,活動を続ける.

99 マイナー・キース,ボストン・フルーツ社を合併しユナイテッド・フルーツ社を設立.中米5ヵ国の他キューバ,ジャマイカ,コロンビアに土地を所有.カブレラと結託し,グアテマラのバナナ独占に成功.

 

1900

00 ワシントンでヘイ国務長官と,英大使ポウンスフォードのあいだに第1回ヘイ・ポウンスフォード協定.イギリスのカリブ艦隊の引揚げ,米国のカリブ制海権の承認.

00 ニカラグア運河法案,米国下院通過

01 第2回ヘイ・ポウンスフォード協定.中米運河の建設権と防衛権を米国が独占.

01 米議会ウォーカー委員会,運河建設ルートをニカラグアとするよう勧告.

01 グアテマラ政府,UF社に郵便システムの管理を依頼.その後グアテマラに進出したUF社は,カブレラと結託し,数年の内にバナナ産業を独占,鉄道・港湾・通信網を支配する.

02 ニカラグアのコリントにおいて中米平和会議開催.グアテマラをのぞく中米4カ国が参加.紛争調停委員会の設置などを決めたコリント和平・仲裁条約を締結.

03 カブレーラ,憲法改正により再選禁止条項を破棄。

04 カブレーラ,元大統領のマヌエル・リサンドロ・バリリャスを破り再選.

04年 グアテマラの独裁者エストラダ・カブレラ,グアテマラ=プエルト・バリオス間の鉄道建設をUF社に依頼.これと引き換えに,99年間にわたる特権を与える.

06 カブレーラ独裁に反対するバリリャ,エルサルバドルとホンデュラスの支持を受けグアテマラ侵入.カブレーラはエルサルバドルとホンデュラスに宣戦布告.

06 米国とメキシコの仲裁でグアテマラ=エルサルバドル紛争が和解に達する(マーブルヘッド協定).ニカラグア、コスタリカ、エルサルバドル、ホンジュラスは、コリント協定に調印する、

1907年

3 セラヤ,ホンデュラスに侵攻,ボニーヤ保守党政権を打倒.親セラヤのダビラ(ビデラ?)政権成立.セラヤは,ダビラ保護のためテグシカルパを10ヵ月にわたり占領.

8 セラヤ,ホンジュラスからさらにエルサルバドルに侵攻するも失敗.バリリャのグアテマラ侵攻作戦も,結局敗北に終わる.

12 海兵隊,ホンジュラスに上陸.セラヤにホンジュラス撤退を迫る.ワシントン会議開催.これを機に中米仲裁裁判所(サンホセ)を核とする中米平和維持協力機構の設置で合意.

07年 セラヤの侵攻を食い止めたメレンデス家が,その後のエルサルバドルを支配する.

1908年

08 UF社の子会社によりプエルト・バリオスと首都を結ぶ鉄道開通.首都とカリブ海岸が始めて鉄道により結び付けられる.

08 カブレラは敗北後メキシコに亡命していたバリリャを現地で暗殺.大統領府の近衛兵はバリリャ暗殺を怒りカブレラを拉致,一斉射撃を加えるが,カブレラは重傷を負いながら奇跡的に命をとりとめる.カブレラは暗殺参加者を家族・友人を含め粛清.野党指導者もすべて刑務所に送るなど徹底した弾圧で臨む.

08 ユナイテッド・フルーツ社,グアテマラ地峡横断鉄道の建設を完成させる.

10年 ゼムレー,ホンジュラスのクヤメル河流域にバナナ農園5千エーカーを開発.クヤメルフルーツ社はUF社の強力なライバルとなる.ゼムレーはミゲル・ガビラ大統領が特権を与えないのに怒り,マヌエル・ボニージャの率いる反対派に資金を提供.軍事クーデターを起こさせる.

11 ワシントンにおいて中米5カ国会議,ホンデュラスを永世中立とする平和条約を締結.隣国に基地をおく革命勢力の禁止,中米司法裁判所の設置を決める.

11 カブレーラ,大統領再選.

12年 キースのグアテマラ鉄道会社,中米国際鉄道(IRCA)と改称.

17.8 第一次世界大戦勃発.中米諸国は,連合国よりの中立政策をとるが,米国介入後は親独の立場にかわる.

17年 フェデリコ・ティノコ・グラナドス、クーデターによりコスタリカで権力を手に入れる.米国その他の諸国はティノコを承認せず.

18 中米裁判所解散.ホンジュラスのイニシアティブで5つの国家の統合の話し合い.ニカラグアが拒否し流産.

1920年

3.04 国会、中米連合の再結成を提案する決議を採択。

3.11 首都を襲った地震のあと,カブレラに対する非難が高まる.野党不在の下で学生・インテリを組織した中米統一党を中心とする自然発生的なデモが首都で展開.

4.08 議会,大衆の怒りを背景にカブレラを放逐.「精神的な理由で職務を続行できなくなった」と宣言.裁判所はカブレーラを狂人と認定し財産没収の上投獄.カブレーラは4年後に獄死.

4.09 解任に抗議するカブレラ派が軍事行動に出る。米国は戦艦タコマ、ナイアガラをグアテマラ近海に派遣し威嚇。

4.14 グアテマラ駐在米大使、カブレラ派とユニオニストの調停に乗り出す。

4.15 カブレラ派、米大使の調停に応じ降伏。カブレラは大統領を辞任する。

4.17 議会、カルロス・エレーラ副大統領を暫定大統領に選出。エレーラは大地主出身で連邦主義者。

6.25 米国、グアテマラ新政府を承認。

8.29 カルロス・エレーラ、正式に大統領に選出される。

20年 グアテマラのユナイテッド・フルーツ社農園でストライキ.米国は軍を派遣し,2週間にわたる武力衝突の末これを鎮圧.

1921年

1.19 カルロス・エレラ,大統領に就任.グアテマラ,ホンデュラス,エルサルバドル,コスタリカ間に「中米連合国家」同盟条約締結.中央アメリカ連邦の結成を目指す.

9.09 グアテマラ,ホンデュラス,サン・サルバドルの3国,中央アメリカ連合規約に調印.

12.05 カブレーラの路線を引き継ぐホセ・マリア・オレリャナ将軍のクーデター.エレーラ大統領は追放され、三人の将軍からなる軍事評議会が実権を掌握する。

12.08 ラサロ・チャンコが大統領に就任.以後11年間に6人の大統領が交代するが,政治の実権はオレリャーナ将軍が掌握.

21年 ユナイテッド・フルーツはクーデターを利用して利権をさらに拡大.この間にUFとその子会社の中米国際鉄道がグアテマラの経済を支配するようになる.

21年 グアテマラの社会主義労働者連盟,メキシコ共産党に加入.

1922年

2.15 グアテマラ大統領選挙。オレリャーナが無投票で当選。選挙に抗議する民衆に軍の弾圧。エスキントラでは7人が死亡。

4.15 米国、グアテマラ新政府を承認。

22年 中米国家連合はオレリャナの軍事支配下にあるグアテマラの脱退により無力化.

23年 ワシントンで第2回中米会議開催.中米平和友好条約を米国もふくめ締結.クーデターあるいは革命によって樹立される政府を承認しないという原則で一致.司法裁判所の再建を決定.軍部の内政干渉を阻止するため,軍備縮小が議題となる.

1924年

9月 反政府派の反乱。オレリャーナは首謀者12人の処刑で応える。

11月 オレリャナ,米国の支援を受けドルと同等の価値をもつ新通貨ケツァルを発行.

24年 UF社,オレジャーナ大統領との協定により,カリブ海側バナネラに広大なプランテーションを獲得.米資本,国営電気会社エンプレッサ・エレクトリカの買収に成功.米国の直接投資額は20世紀はじめの600万ドルから30年間で10倍に膨れ上がる.

24 コスタリカで保守党支配が続く.リカルド・ヒメネス・オレアムノが大統領に就任.

25 エルサルで,地域労働者連合に対して大規模な弾圧.

25.9 グアテマラで中米社会党創立(コミンテルンにはグアテマラ共産党として登録).エルサルバドルのファラブンド・マルチも参加.エルサルバドル支部はのちの共産党の母体となる.

26 サンカルロス大学で,大学改革運動進む.

26.9 オレリャナ,心臓病で急死.ラサロ・チャコン将軍が後継大統領となる.

27 グ,エ,ホ三国により対外一致政策の協定が確立.

28 コスタリカで,保守党のクレート・ゴンサレス・ビケスが大統領に就任.

1929年

1月 西部諸州で武装蜂起.政府は戒厳令を施行しこれを弾圧.数人が処刑される。

11月 ユナイテッド・フルーツ社,競合関係にあったクヤメル・フルーツ社を合併,ホンデュラスにおける独占的地位を手に入れる.

29 グアテマラとエルサルバドルを結ぶ中米国際鉄道開通.

ウビコの時代

1930年

12.14 チャコン大統領,脳内出血で倒れる.議会はバウティーリョ・パルマを暫定大統領に指名。

12.16 オレリャナの弟マヌエル・オレリャーナ将軍、軍事クーデターを起こしパルマを追放。軍事評議会を設置し議長に納まる。

12.17 米政府、オレリャーナの政権就任を認めないとし、外交関係を断絶。

12.30 中米条約を背景とする米国の圧力によりオレリャナは辞任.議会はホセ・アンドラーデを暫定大統領として指名。

30 ユナイテッド・フルーツ社,グアテマラ政府とのあいだに太平洋岸の港湾建設で合意.これと交換にティキサナに20万ヘクタールの土地を手に入れる.UF社はグアテマラの23万ヘクタールを始めLA各国に139万ヘクタールを所有する世界最大のバナナ会社となる.

30 中米社会党を廃止,各国独自の共産党結成.

1931年

1.08 米国、アンドラーデ政権を承認。来るべき大統領選挙には、オレリャナのライバルである前警察庁長官のホルヘ・ウビコ・イ・カスタニェダ将軍を強力に推す.

2.08 唯一の候補ホルヘ・ウビコが議会の承認を受け大統領に就任.ウビコは自由党支持者の家系をもつ職業軍人で,21年のオレリャナ政権では軍事相,その後進歩党を結成し党首となる.頑迷な保守主義者でムッソリーニとフランコを尊敬するファシスト.自らをナポレオンの生まれ変わりと信じる.

2.14 ウビコ,不況からの脱却を求め強権政治を展開.公務員の給料を4割カット,大量解雇するなど,極端な経済引き締め策を採り,大恐慌からの経済再建に成功.周囲の反発に対しては大統領直属部隊の「国家警察軍」を創設することで備える.ユナイテッド・フルーツ社に鉄道建設と引き換えに事実上の支配権を許すなど売国的政策を推進.

32.4 ウビコ,国民投票による特別措置により独裁権力を掌握,13年にわたる独裁政権となる.彼の作った法律第1816号は大土地所有者が財産を守るため殺人を犯しても罪を免れるとする.

32年 30年ホンジュラス・ストの指導者ウェインライト,亡命先のグアテマラで暗殺される.

33 ウビコ,反対派百名を銃殺.ウビコ独裁の下で共産党壊滅.

33年 リオ・モタグア(Motagua)流域でグアテマラとホンジュラスの国境紛争,特別仲裁裁判所でグアテマラ側に有利な裁定.

34 ウビコ,不正選挙により再選.米国はウビコ再選を支持.ウビコは浮浪者取締法を制定し農民に労働を強制する.

34 アルゼンチンで学び当時ツクマン大学で哲学科教授をつとめていたフアン・ホセ・アレバロ・ベルメホ,帰国し教育省にポストを得る.

1936年

3 UF社の子会社でバナナ輸送を一手に手がける中米国際鉄道(IRCA),太平洋岸の港湾建設計画をつぶす.UF社とのあいだで運賃の5割引き下げで合意.政府もこの合意を受け入れ,港湾建設の中止を認める.

36年 UF社,ウビコと99年間の特恵契約を結び,第二のプランテーションをチキサテに開く.

36 アレバロ,ウビコの不興を買い教育相の職を辞しアルゼンチンに戻る.

36 ウスパンタン南部ネバフの町で原住民の抗議行動.大地主ブロルの要請により軍が出動.指導者7名を銃殺.

36 コスタリカで,民族共和党(PRN)が勝利.レオン・コルテス・カストロが大統領に就任.40年 PRNのラファエル・アンヘル・カルデロン・グアルディアが大統領に.党の急進化を嫌うレオン・コルテス・カストロ前大統領は,保守派の民主党に移る.

37 マイナー・キースの経営する中米国際鉄道(IRCA),UF社と合併.

38 ドイツ,イギリスを抜き,米国に続く中米貿易国となる.グアテマラ,エルサルバドルを中心として各地にドイツ人植民者を中心とするナチ組織結成.

39 士官学校の科学と歴史の教師ハコボ・アルベンス,エルサルバドルの名家の娘マリア・クリスティーナ・ビラノバと結婚.ビラノバはメキシコで左翼思想の洗礼を受け,チリ共産党指導者のビルヒニア・ブラボ,エルサルバドル共産党員のマティルデ・エレナ・ロペスらと親交を結ぶ.アルベンス家における三人の会話は,アルベンスの思想に影響を与える.

39 再選禁止条項を廃したニカラグア新憲法制定.ソモサ再選される.

40 反ウビコの蜂起が鎮圧される。指導者13人が処刑される。

41.12.9 ウビコは大戦が始まるとすぐ参戦.5千人のドイツ人を弾圧.農園を没収し財を築く.

41 ウビコ,士官学校(EscuelaPolitecnica)と軍事技術学校(EscueladeApplicacion)を設立.米国士官を招請し養成に力を注ぐ.

43 ウビコ,3期目の大統領に就任.任期は6年.国立大学を中心に反ウビコ闘争もりあがる.マリオ・メンデス・モンテネグロ,マリオ・エフラインアヘラを中心に国民革新党(PRN)結成.これに人民解放戦線(FPL),社会民主党(PSD)もくわわり,反ウビコのたたかいを展開.

43.12 FBI,グアテマラに関する報告.「ウビコは自分で決定した価格で土地を購入し,この国における最大の個人地主となった.秘密警察はグアテマラのゲシュタポという忌まわしい名称を得た」と報告.

 

アレバロ政権

1944年:ウビコ独裁打倒

6.15 学生の研究会の教師も合流してウビコ打倒の動き.政府は有効な反撃が出来ず,運動は急速に拡大.

6.22 30日の恒例の「教師の日」のパレードを前に,教師が軍事パレードへの参加を拒否.学生・市民の支持を受ける.教師の行動への連帯が,瞬く間に拡大.連日市内で抗議デモが展開される.ウビコ,憲法上の人権を一時停止する措置.

6.24 ウビコ政権下で初めての反政府デモ.弁護士,裁判官ら司法関係者311名,ウビコに対し言論・出版の自由と憲法停止措置解除を求める嘆願書を提出.

6.25 鉄道労働者はゼネストを決行.反ウビコのデモとゼネスト,全土を覆う.

6.29 抗議のデモが最高潮に達する.ウビコは軍を用い鎮圧に出る.教員組合運動の指導者マリア・チンチジャが殺害される.他に200名の死傷者.抗議行動は暴動に発展.学生は刑務所を襲い,政治囚を解放して街頭デモにうつる.

6.30 教師,弁護士,医師,実業家など311名が,ウビコに抗議と要請文を手渡す.米国もウビコの行動を厳しく非難.

1944年7月

7.01 著名人の反対運動参加に衝撃を受けたウビコ,突然の辞任表明.後任を三人の軍人から成る評議会に委ねる.メンバーは議長のフェデリコ・ポンセ・バイデス大佐,エドワルド・ビジャグラン・アリサ,ブエナベントゥーラ・ピネダ.ポンセは40年前のエルサルバドルとの紛争で勇名をはせた軍人.一説によればポンセがウビコの政治生命は終わりと見て辞任を要求したという.

7.02 知識人のなかからアレバロを大統領に推す動きが開始される.8人の代表が国民革命党を結成.「教員の党」を謳う.

7.03 国民革命党,アレバロの帰国と大統領選出馬を要請することを決定.

7.04 ポンセ将軍,議会の承認を得て暫定大統領となる.11月の総選挙を公約し,自らも大統領選に出馬を宣言.政党,労組結成を合法化.

7.04 アルベンス,ポンセの大統領就任に抗議し士官学校教官を辞す.

8.04 自由化後あらたに結成された自由人民戦線(FPL),アレバロを「汚れなき男,経験・技量ともに豊かなアレバロこそ,国民が待ち望んでいた理想像である」とし,大統領選キャンペーンを開始.

9.03 アレバロ帰国.市民の熱狂的歓迎.アレバロの大統領就任を望む声が政党を問わず広がる.アレバロはマルクス主義的全体主義と19世紀的自由主義的個人主義をともに否定し,人間の尊厳と国家の主権,精神の自由を尊重する「精神的社会主義」を唱える.社会主義的な計画経済に反対する一方で資本主義にも反対するという訳の分からない主張.

9.05 アレバロの人気に脅威を感じたポンセは,アレバロを逮捕.ポンセはその後,公約をうらぎり政治弾圧を強化.

1944年10月 アルベンスの反乱

10.01 野党議員で「エル・インパルシアル」紙の編集長アレハンドロ・コルドバ,ポンセが選挙を延期し,独裁をめざしていると暴露.

10.05 警察はコルドバを暗殺.ポンセは野党勢力に対する弾圧を開始.アレバロをペロニスタあるいは共産主義者と非難.活動家が連日暗殺される事態となる.アレバロはメキシコ大使館に亡命.10組合が結集し結成されたばかりの労働総同盟(CGT)を含めた野党勢力は一斉に地下に潜行.

10.20 ハコボ・アルベンス・グスマン大尉ら若手将校,ホルヘ・トリエーリョ・ガリドなど一部旧家,実業家の支援も受けマタモロス基地で決起.上官を殺害し,学生・市民に武器をわたし,自らの率いる「名誉部隊」とともに首都の支配権を確保.ポンセに辞任を迫る(44年革命).反乱に同調する若手将校が次々に決起,ポンセ派の軍や警察を攻撃.

10.21 フランシスコ・ハビエル・アラナ少佐をリーダーとする近衛部隊の戦車隊が反乱に参加.アラナは決行の夜本来の首謀者アルダナ・サンドバルが離反したため反乱部隊指揮官に指名される.

10.22 市街戦で市民百人が死亡したあと,ポンセは辞任に応じる.アラナ,アルベンスにトリエーリョを加え暫定文民軍事評議会を創設,新三頭政治を開始.権力の分散と司法の独立,大統領の再選禁止,軍の中立化,大学自治の尊重,女性の参政権などを宣言.

10.24 辞任後も国内にとどまっていたウビコ,ニューオーリンズに亡命する.

12.17 軍事評議会の監視のもとに大統領選.評議会も支持するホセ・アレバロが85%の得票でアドリアン・レシーノスに圧勝(文盲,女性には選挙権なし).レシーノスはウビコ時代の駐米大使として赴任していた上流階級の人物.

1945年

1 アレバロ就任までのあいだに評議会は秘密警察を廃止し人民抑圧のための諸法を破棄,多くの軍人を国外亡命に追込む.1879憲法の復活を恐れるカトリック教会,「キリスト教社会行動」を発行.アレバロを小ヒットラーと非難.

3.15 アレバロ,大統領に就任.就任式の演説では「グアテマラには農業問題など存在しない」と演説.しかしペオン制度や強制労働を廃止し,労組や専門職に法的保護を与えるという点では間違いなく革新的な政策を遂行.この時点で識字率は3割.2%の大地主が全耕地面積の7割を所有.(1)政治的民主主義の樹立,(2)労働者の保護,(3)農業の多様化と工業化による産業の育成,(4)教育の普及を四つの柱とする政治改革に乗り出す.先住民局を設置しインディオの国民統合を進める.6年間の在任中に28回にのぼるクーデターの試み.

4 新内閣誕生.アラーナが軍司令官に,アルベンスが国防相に就任.自由人民戦線(FPR)と国民革命党(RN)が合併.革命行動党(PAR)を結成.議会の安定過半数を掌握.共産党は非合法化され,組合活動家は国外追放となる.

5月 グアテマラ法曹協会が起草した新憲法草案が,提示される.検閲制の廃止,大統領の直接再選の禁止.法の下の男女平等,人種差別の禁止,高等教育の自由,私的独占の禁止,週40時間労働,労働組合の合法化,などが盛り込まれる.

10 カトリック教会,共産主義者の浸透を警告する司牧教書を発表.政権にはホセ・マヌエル・フォートニー,カルロス・マヌエル・ペレセールなどの共産党活動家が潜入.

45 新憲法公布.アラーナの圧力により軍の最高幹部職の地位と統帥権が明記される.以後軍総司令官はいかなる文民統制もうけず,国防大臣に優先することとなる.英領ホンジュラスはグアテマラの一部であると宣言.

45年 改正選挙法,議会を通過.女性には選挙権なく,文盲の男性は他人の立会いでなければ投票できない不完全なもの.

1946年

10 最初の社会保障法成立.社会保障局設置.

10 バナネラでUF社労働者のスト拡大.現地マスコミも一斉にストライキを支持.アレバロは労働者の生活条件を改善するよう,UF社に要請.UF社は譲歩を迫られる.

46 ウビコ,亡命先のニューオリンズで死亡.

1947年

2 米国のワグナー法を範とする労働憲章成立.強制労働と恣意的な解雇の禁止,最賃制,48時間労働と週1安息日,同一労働同一賃金,母性保護,住宅・医療保障などをもりこみ,労働者の組合結成の自由,ストライキ権を認める.共産党のイニシアチブのもとにつぎつぎに労組が結成.保守勢力はつよい反発.

2月 UF社,労働憲章を「共産主義的」と非難.国を去ることも辞さないと脅迫.

5 農業労働者を対象とする労働法制定.季節労働者を除く500人以上の精機労働者を雇用する農園で働く労働者には,産業労働者と同じ権利が適用されることとなる.UF社は国務省に働きかけ法案成立阻止を図るが失敗.

6 アレバロ政権が共産主義者の影響下にあるといううわさが流れる.米大使エドウィン・カイルは「反アレバロ派大地主たちの仕業」としてうわさを否定.

12 アレバロ大統領と,コスタリカのフィゲレス,ニカラグアのアルグエージョとのあいだで「カリブ協定」を結ぶ.ソモサなど,カリブ地域から独裁政権をなくすため,共同した武装闘争をおこなう密約. 

47 カイルの後任米大使に反共闘士のリチャード・パターソン.労働法成立させたのは政府に救う共産主義者とし,UF社労組にも左翼先鋭分子が潜入と報告.

1948年

7 ユナイテッド・フルーツ社,労働憲章に縛られるものではないと声明.政府との緊張一気に高まる.米大使パターソンは「ユ社に対する迫害を止めない限り,米国は1ドルも1足の靴も援助することは出来ない」とすごむ.

10.1 いったん分解した労働組合の再結集に成功.グアテマラ労働総同盟(CGTG)を結成.世界労連=CTALに結集し階級的労働運動を展開.

48 政府,生産増進局(INFOP)を創設.輸入農作物の自給化,あらたな輸出用作物の開発,新興産業の育成,低家賃住宅の建設などを財政的に支えることを目的とする.

アルベンスの実権掌握

1949年

7.18 保守化した次期大統領の有力候補アラナ大佐,これ以上の改革を望まず.クーデターを企てる.アルベンス国防相の刺客一味は,グアテマラ市郊外を移動中のアラナを誘拐しようとして銃撃戦となり,アラナを射殺.近衛部隊がこれに抗議して決起.

7.19アルベンスはただちに近衛部隊司令官フアン・フランシスコ・オリバを拘束,クーデターを予防する.アラーナの後継者カルロス・カスティージョ・アルマス中佐はマサテナンゴにおり決起の機会を失う.もう一人のアラーナ派幹部ガビーノ・サンティソ中佐に対してはアルベンスが説得に当たり憲法順守を誓わせる.

9.28 グアテマラ共産党,非公然で再建大会を開催,グティエレス,ホセ・マヌエル・フォートニー・アラナ(Furtuny)が指導.公然活動を開始.共産党の影響下に民主学生戦線(FUD)を組織.リカルド・モラレス・デ・レオン(のちのEGP指導者ロランド・モラン)が指導.

12 アレバロ政権に対する軍部保守派の反感強まる.これに対抗するため,アルベンス国防相が自ら立起することとなる.革命行動党,国民革命党(PRN)もアルベンス支持の宣言.議会,パス・テハーダ少佐を総司令官に任命.アルマスらアラーナ派の軍人は退役を迫られる.

49年 クロード・ペパー(フロリダ),アレキサンダー・ワイリー(ウィスコンシン),マイク・マンスフィールド(モンタナ)の各上院議員,UF社の事業に対する保護が不十分として,グアテマラ政府を非難.

1950年

2.20 アルベンス,国防相を辞任.大統領選への立起を宣言.

3 パターソンの度重なる干渉に憤慨したアレバロ,米政府に大使の罷免を要求.ユネイテッド・フルーツ社の労働争議に関連して反政府活動を策したとして国外追放.米国,武器供給をストップ.NYタイムスは「グアテマラ政府指導者は共産主義者のなすがままになっている.米国は侮蔑や差別を黙って受け入れてまで友情を築くことは出来ない」と反グアテマラ感情を煽る.

4 カトリック教会を中心とする保守派,国家救済党のミゲル・イディゴラス・フエンテス将軍を統一候補に決定.イディゴラスはウビコ時代の将軍の一人で駐英公使.

6 無党派のグアテマラ農民全国連合(CNCG),28組合により結成.クーデター直前には千7百組合に成長.

7.24 政府、非常事態を宣言(8月8日まで)。

10月 大統領選挙のキャンペーンが始まる。アルベンスは軍の若手将校,労働運動や農民運動の指導者の支持を背景に革命行動党(PAR)を結成.大統領選ではアレバロ党,人民解放戦線,国民統一党もアルベンスを支持し「国民統一」を結成.

11.05 グアテマラシティーで右翼の反乱。26人が死亡。

11.10 大統領選.アルベンスが63%26万票を獲得し圧勝する.旧ウビコ派の「回復」党から出たミゲル・イディゴラス将軍は18%7万票,中道左派の人民解放戦線(FPL)の分派である人民党のホルヘ・ガルシア・グラナドスが10%を獲得.共産党は労働党の名で1万4千票を獲得し,議員4人を送り出す.共産党系の組合運動家ペレルセルやグティエレスなどが政府部内で影響力を発揮するようになる.

50年 エルサルバドル,オスカル・オソリオが選挙により大統領に就任.

50年 マヤ人を母にもつプライス,英領ホンデュラス独立運動を開始.アルベンス政権は領有権を主張せず,プライスらの独立運動を支持.

1951年

1.23 アレバロ,共産党を非合法化.ホセ・マヌエル・フォートゥニ書記長はこれに対抗して国民民主戦線を結成.人民解放戦線,国民革命党,労働者党及び左翼諸党を結集.

1 アルベンス政権は基盤をさらに強固なものとするため,農民の取込みを図る.土地改革をめざす運動開始.アルベンスの妻マリア・クリスティナ・ビリャノバ・カストロ・デ・アルベンスが先頭に立つ.ビリャノバはエルサルバドルの資産家の娘で,労働党シンパといわれる.この時点で耕地の7割が2%の地主により所有.

3.15 アルベンス,大統領に就任.「農地改革が不可欠」と宣言.ユナイテッド・フルーツ社が独占するプエルト・バリオスに代わる新港のサントマス港開発,中米国際鉄道(IRCA)の独占を打破するためのハイウエイの開発,米企業の電力独占に対抗する国営水力発電の開発,の三大建設プロジェクトを掲げる.さらに初めて累進所得税を導入しようとするが,議会の強い反対の前に挫折.

7.12 グアテマラシティーで反アルベンス右派のデモ,暴動に発展.警察との衝突で4人が死亡。政府は非常事態を宣言。憲法上の保障を1カ月にわたり停止.

10.14 エルサルバドルの招請で中米五ヵ国外相会議開催,「サン・サルバドル憲章」を採択し,中央アメリカ機構(ODECA)結成.

12 アルベンス,共産党の合法化をはかるため第2回議会を召集.米国のマスコミはこれを「ソ連共産党の武器庫」と報じ,アルベンス政権を共産主義と決めつける.

1952年

1.5 アルベンス,右翼のデモ申請を却下.反共勢力との対決姿勢を打ち出す.

1.25 革命的労働者党(PROG)と共産党が合併し,グアテマラ労働党を結成.革命行動党,人民戦線,社会党,民族革新党などがあいついで労働党に合流.

1 CIA,アルベンス政権を「バナナ共和国の外国に対する劣等感を基礎とする激越な民族主義」と規定.グアテマラ政府転覆計画の策定を開始.反乱部隊,テロリスト集団の編成・訓練,武器の持ち込み作戦などの他,政府要人暗殺計画も策定.

2 CIA,「PBフォーチューン作戦」を完成.ニカラグアのソモサの支援という形でアルマス大佐の反乱部隊を育成する計画.トルーマンの承認を受ける.CIAは「軍事作戦中に無力化されるべき共産主義者」の名簿を作成.殺害すべき"A"ランクの58名と逮捕の上国外追放するべき“B”の人物を抽出.

3 米議会有力者,あいつぎグアテマラを共産主義の温床として非難.

6.17 農地改革法(法令900号),議会を通過.アルベンスは第1次土地改革宣言を発表.メキシコにおけるカルデナスの改革計画をほぼ踏襲.さらにすべての国有農場を解放.ティキサテのUF社所有の未耕地も有償接収の対象となる.共産党の農民指導者カルロス・マヌエル・ペリセルは農地改革法の不徹底さを批判.

6.27 農地改革法公布.4万ヘクタールの未耕地の内,約半分を没収すると発表.90ヘクタール(672エーカー)以上の個人所有未開墾地を没収.30ヘクタール未満の農地はそのまま,30~90ヘクタールについては1/3以下しか耕作されていない農地が接収されることになる.保証は時価に基づき行われ,25年償還,年利3%で返済されることになる.接収された土地は42エーカーを超えない広さで,土地なし農民にのみ配布され,5%の賃貸料を徴収する.耕作権の転売は禁止される.

7 政府農業委員会(CAD)の下に,地方農業委員会(CAL)が土地の没収・配分にあたる.その後の18ヶ月間に,2万ヘクタールが10万の土地なし農民に分配.46の農場は協同組合を組織した農民グループに供与される.農地取得のため必要な資金については,あらたに設けられた国立農業銀行が総額1200万ドルを貸与.

8 エルサルのオソリオ大統領,中米機構に対し「中米における国際共産主義の破壊活動」取締法の採択を要請.アルベンスはこれを拒否.

12.11 共産党のフロント組織である労働党(PGT)が合法化される.グアテマラ共産党のグティエレス派に対するモスクワの批判.グティエレスは退陣,ホセ・マヌエル・フォートニイが書記長に就任し指導権をにぎる.他にエルサルバドル人のミゲル・マルモール,ヴィルギリオ・クエルバ・メンデス,クエンカ兄弟,チリのビルヒニア・レテリエル,ホンデュラスのアントニオ・アルドンらが活躍.

12 PGT傘下の労働総同盟(CGTG)はアルベンスとの協調路線をとりながら急速に勢力を拡大.ビクトル・マヌエル・グティエレス書記長の指導の下5百組合,10万人を組織.軍とともにアルベンス政権を支える主柱となる.他に教員組合(STEG),公務員労働組合委員会(CNUS),全国農民連合(CNCG)なども指導下におく.

52年 アラナの腹心だったカルロス・カスティリョ・アルマス大佐を中心とするクーデター計画,未遂に終わる.アルマスは負傷し捕らえられるが,半年後に脱獄に成功.米大使館に逃げ込んだあとホンデュラスへ亡命.

52年 中米地峡経済協力委員会,中米の段階的経済統合と経済発展計画の調整を提案.

CIAによるクーデター

1953年

1.16 アルベンス政権下で初めての国会選挙.アルベンス派は32議席中27議席を獲得。農地改革を推進するPGTは大きく票を伸ばす.

2.24 アルベンス,UF社の土地接収を発表.

2月 トウモロコシの生産高が1割,小麦は2割,米は7割増産となる.土地改革の効果と没収を恐れた大地主の生産増大によるもの.進まない土地改革にいらだつ農民は,不法占拠闘争に入り,取り締まりに当たる警官と衝突.

3.23 反アルベンス派軍人の反乱。政府軍により鎮圧される。

3 ユ社の農地16万ヘクタールに対する接収計画を実施.未耕地20万エーカーが接収され,UF社の簿価に基づき63万ドルの債券が支払われる.

3月 UF社,共産主義者にあやつられたアルベンスが,病虫害のための保留地15万ヘクタールを強奪したと宣伝.米国と大土地所有層の怒りを買う.

3 国務省ブラーデン米州問題担当次官補,「グアテマラから国際共産主義を武力で排除しても内政干渉にはならない」と声明.米政府はアルベンス政権転覆のためCIA幹部のリチャード・ビッセルらを送り込む.ハントもスタッフの一人として参加.

4.07 アルベンス政権,中米機構からの脱退の意思を表明.

5.20 グアテマラ・ニカラグア外交関係断絶.

5.24 米政府,グアテマラ政府に対処するため,ニカラグアとホンジュラスに緊急武器援助武器を開始.

7 米国,UFC資産の収用に抗議。アルベンス政権を共産主義者の集団と非難.

8 CIAの新たな転覆計画「PBサクセス作戦」,アイクの承認を受け270万ドルの予算を獲得.この作戦は心理戦争と政治行動(シャーウッド作戦)にアルマスの武装反乱を組み合わせた大がかりなもの.作戦全体は「共産主義者とその協力者の清掃」作戦をもって完了することになっていた.CIAはこの作戦と並行して独自の作戦「K計画」を進める.この計画はアルベンス本人をふくむ要人暗殺計画.

9 CIA,テグシカルパ亡命中のアルマスに対しクーデターの準備を指示.

9 全国の活動家を集め平和委員会開催.「永続的平和と民族主権維持のために闘う不変の決意」を誓い解散.

9月 米国務省,ユナイテッド・フルーツ社の農地接収に対する補償額が少なすぎるとして,1600万ドルを要求.

10 米国ジョン・ピューリフォイ新大使が赴任.クーデター計画が本格化.

10月 グアテマラ政府,UF社と米国務省の要求を拒否.土地接収を再開.

12.16 アルベンスとピューリフォイ大使が会見.ピューリフォイは「アルベンスは共産主義者ではない」と報告.

53末 アルベンス政権打倒のための工作機関が中心となり国民解放運動(MLN)結成.CIAから資金援助を受け勢力を伸ばす.フランコのファランヘ党をモデルとし,党首のマリオ・サンドバル・アラルコンはみずからファシストを名乗る.

 

1954年

1.29 グアテマラ駐在米大使ピューリフォイ,「グアテマラが国際共産主義の魔手に落ちるのを防ぐなんらかの手段をとる必要がある」と発言.アルベンス大統領,米国と中米反共諸国がニカラグアの基地で軍事侵攻の準備をしていると非難.

2.4 アルベンス,米国に後押しされた反動勢力の策動に対し,全民主勢力が団結して抵抗するよう呼びかける.

2.11 ギジェルモ・トリエリョ外相,ニューヨーク・タイムスのインタビューに応え,グアテマラはソ連に属する地域ではないし,政府は共産主義をめざしていないと強調.

2 米国の報道関係者を国外追放.

2月 グアテマラ政府,あらたにUF社農地の買い上げについて,あらたに50万ドルの補償案を提示.

2 ダレス長官,米州外相会議を前にワシントンで記者会見.「モンロー主義は直接の武力侵略だけでなく,異なった政治制度の移入にも適用される」とし,「グアテマラに対してはリオ条約に基づいて適切な措置がとられることになろう」と発言.

3.01 カラカスで第10回米州会議開催.ダレスは当初グアテマラに対する反共共同行動決議を採択しようとするが,中米3ヶ国とパラグアイの支持しか得られず.米国は「国際共産主義の干渉に対して,米州諸国の政治的保全を維持するための連帯宣言」と題する決議案93号を提出.「米州内のいかなる国にせよ,国際共産主義によって支配されるのは米州の脅威である.共産党による支配があれば,西半球全体の平和への脅威とみなし,リオ条約によって適切な行動がとられるよう」要求する.

3.04 ダレス国務長官,総会で演説.「米州には相異なる政治制度を受け入れる余地はあるが,外国の主人に使えるものどもを容れる場所はない」と声明.

3.07 ギジェルモ・トリエリョ外相,グアテマラは共産党に支配されてはおらず,西半球への脅威ともなっていないと演説.「もし共産党が干渉すれば必要な措置をとる」と言明.

3.09 ドミニカ外相ホアキン・バラゲール,グアテマラへの軍事的対抗措置をとるよう要求.トリエリョ外相はこれに抗議し一時退場.

3.13 米国は,相互不可侵の原則を犯すものだとするアルゼンチン,チリ,メキシコなどの反対にあい「条約に基づく措置は相手国に対する主権の侵害を意味するものではない」との付帯条件をつけ,グアテマラに武力行使をしないことを約束する.

3.28 OAS総会閉幕.米決議案を17対1で採択.反対はグアテマラのみ,メキシコとアルゼンチンは棄権に回る.グアテマラ外相ギジェルモ・トリエヨ,米国を「マッカーシー主義の国際化」と非難,決議は「共産主義とたかかうという口実の下に,米州諸国の内政に干渉する傾向をたどる」として署名を留保.ニカラグアは決議に反対.

OASグアテマラ決議の骨子
「代議制民主主義」こそ,進歩を促進する最善の手段である.米州諸国には「自らの政府形態と経済制度を自由に選ぶ」権利がある.国際共産主義運動による支配は「米州諸国の主権への脅威」であり,「適当な行動をとること」を必要とする.
「外国の専制主義」の干渉に対して「政治的独立を守る」決意を表明し,次の手段に「特別の考慮」を払うことを勧告する.すなわち,共産主義を「撒布」している人物の身元,活動,資金源の「暴露を要求する手段」の立法化と,諸政府間の情報交換がそれである.

4.10 グアテマラのローマカトリック教会の大司教、政府内への共産主義の浸透を非難。

4.20 ダレス国務長官,アルベンスに抗議文を送付.土地接収に関するグアテマラ政府の評価額は,きわめて不公平であると指摘.

4月 ユナイテッド・フルーツの社主サミュエル・ゼムレー,メディア・議会などにおける反アルベンスのキャンペーンを指示.「グアテマラ報告」を出版し,連邦議会議員に配布.アルベンスの農業改革計画はモスクワで作成されたものと宣伝.

4月 ピューリフォイ大使,米議会で証言.「グアテマラは中米にマルクス主義の触手を広げている」と述べる.

54年5月

5.1 米国,グアテマラと断交.アイクはCIAの介入計画を個人的に承認.アルマスを指導者とし,ニカラグアで「亡命グアテマラ人反共戦線」をでっち上げる.CIA幹部デビッド・フィリップスの管理するホンデュラス領内の「解放の声」放送,アルマスの進軍開始を大宣伝.アルベンス支持者はカラカス決議に対抗して民兵団を組織するが,軍は武器の引き渡しを拒否.

5.15 ポーランドを出港したスエーデンの貨物船「アルフェルム」号,民兵団のためのチェコ製武器千9百トンを積んでプエルト・バリオスに入港.武器は軍ではなくアルベンスの独断で購入したものであることが判明.米政府はこれを「西半球の安全を脅かす独裁体制」のための武器であるとし,「共産主義への道がすでに耐えがたい段階に入った」と非難.リオ条約違反と断定.

5.22 外務大臣トリエージョはグアテマラは独立国家であり,何処からでも武器を調達する権利があると声明.

5.25 米政府,MSA協定に基づきODECAに協力要請.「ホンデュラス,エルサルバドル,ニカラグアなどの友邦国」に武器の空輸開始.ユ社がホンデュラスのアルマス部隊への武器の横流しにあたる.謀略放送「労働・パン・祖国」が宣伝を開始.

5.31 グアテマラ政府、反革命分子の一斉摘発に乗り出す。

5.31 アルベンス,ホンジュラス政府に対し不可侵条約の締結を申し入れる.ホンジュラスはこの提案を拒否.

54年6月

6.16 米政府,グアテマラの反革命分子大量逮捕に対し非難.各国に向かってグアテマラへの武器禁輸を「要請」.

6.17 アルマス大佐の指揮する2百名の反革命部隊,アルベンスに辞任を迫りホンデュラスよりサカパに越境進出.「共産主義に対する解放戦争」を呼号する.

6.17 グアテマラ政府はこれをホンデュラスとニカラグアによる侵略であるとして国連安保理と米州会議平和委員会に提訴.同時に市民に武器を配付しようとするが,軍はこれを拒否.

6.18 アルマス軍部隊,チキムラで政府軍へ攻撃開始.首都とプエルト・バリオス間の交通遮断を試みる.サカパの政府軍は無抵抗のまま首都へ撤退.米人パイロットの操縦するP47サンダーボルト戦闘機2機が,軍の空港と宿舎に爆弾攻撃.空軍司令官は任務放棄し国外逃亡.

6.20 国連安保理開催.米国は「西半球に手を出すな」と他国を牽制,審議を米州機構に移すよう提案.ソ連はこれを拒否.

6.21 アルベンス大統領、戒厳令を公布。

6.25 アルマス,サンサルバドルで「反共臨時政府樹立」を正式発表.米国は直ちに新政権を承認.

6.25 CIAの戦闘機,ふたたび首都を爆撃.

6.25 アルベンス,政府・与党・労組の幹部と会談.PGT指導者のフォートニー,ショーノー,軍総司令官で腹心のカルロス・エンリケ・ディアス大佐,妻のマリアらが出席.アルベンスは市民の武装を提案.政党・労組が支持者を集め訓練を開始すべきことを要請.

6.26 数千の支持者が結集するが,軍の抵抗で武器は渡されず.軍部,カルロス・エンリケ・ディアス大佐を首班とする評議会を組織,アルベンス退陣を要求.

6.27 アルベンス,軍部の支持を得られず,アルマスに対する有効な抵抗を組織できないまま大統領を辞任.ディアス大佐に,アルマスとの交渉をいっさい拒否するよう申し送る.アルベンスは辞任にあたり「米国が,共産主義撲滅を口実に,UF社の権益を守るために攻め込んでいる.革命的理念に基づく熟慮の結果,わが国のために大統領を辞任する決意をした.しかしいつの日か,わが国を隷属状態に陥れている暗黒の勢力は敗北するであろう」と演説.その後メキシコ大使館に亡命を求める.

6.28 後任のディアスは共産党の非合法化,進歩的人物の国外追放を公約.PBサクセス作戦の最終段階が発動.およそ千人近くが抹殺されたものと見られる.ディアスと面会したピューリフォイ大使は「抹殺すべき共産主義者」のリストを渡し,実行を迫る.

 

反動化の時代

6.29 エルフェゴ・モンソン大佐による軍内クーデター.共産党員の銃殺対象リストをこばんだディアスは,米国の不興を買い更迭される.

54年7月

7.01 モンソン,J.L.ピュアリフォア米大使の指示を受けアルマスとの交渉に入る.

7.02 モンソン,アルマスとのあいだに和平協定.「共産主義勢力を根絶し,代議制民主主義を実現し,反乱軍を正規軍に編入する」ことで合意.アルマスを含む5人からなる評議委員会を組織.

7.02 米連邦裁,シャーマン反トラスト法およびウィルソン法を侵害した疑いで,UF社に対する法的措置を開始.

7.04 米政府、グアテマラに対する「人道的!」援助を開始。

7.05 評議会,共産主義者2千名を逮捕.CGTGに対し解散命令.すべての労働運動を禁止する.アルベンス政権の下で制定された労働法規をすべて破棄.70%といわれる文盲から投票権を取り上げ,前政権の指導的人物の資産を凍結.

7.08 モンソン派の軍人も軍事評議会から排除,残りのメンバーによりアルマスを暫定大統領に選出.政府,農民から80万エーカーの土地を取り上げUF社に「返還」.

7.13 米政府,グアテマラ新政府を公式承認.米国はアルマス政権に8千万ドルの援助.農民の土地からの追い出しと,プランテーションの再整備に用いられる.

7.19 アルマス政権,対共産主義防衛国家委員会を設置.ただちにかねてからの計画に基づき4千名を逮捕.うち数百名の活動家がただちに殺害される.その後の4ヶ月で全人口の1.5%にあたる4万数千人が「共産主義者」と認定される.

8.02 グアテマラシティーで旧政権支持者による反乱が発生するが,まもなく鎮圧される.政府発表で29人が死亡。

8.19 共産主義取締法成立.同時に破壊活動取締法も改正される.ついで平和時スパイ行為に死刑を認め,時効を撤廃する反スパイ行為法,市民権喪失法も成立.

8.25 評議会は共産党を非合法化.シンパや共産主義者の国外逃亡を助けたものも共産主義者とみなされることになる.

9.01 臨時大統領にカスティリヨが就任.

9.11 アルベンス夫妻,屈辱的な身体検査を受けた後,アウロラ空港からメキシコに向かう.

10.10 欺瞞的な国民投票によりアルマスが大統領に当選.支持率は99.99%.

11.06 アルマスが大統領に就任。農地改革法は破棄され,50万の農民が獲得した土地はただちに没収される.45年憲法は停止されすべての左翼政党が非合法化,読み書きの出来ないものの選挙権も剥奪される.

11.21 対共産主義防衛国家委員会,7万2千人をブラックリストに登録.他に20万人が要注意人物とされる.ダレス国務長官はピューリフォイ大使に,地方に隠れている共産主義者を摘発するよう指示.

12.30 新憲法が制憲議会により承認される。

54年 労働党はフォートニーを更迭しバルナルド・アルバラード・モンソンを書記長とする.外国人幹部はすべて更迭される.

 

1955年 

1.20 アルベンス派による反乱計画発覚.417名が逮捕,首謀者フランシスコ・コセンザ大佐はエルサルバドル大使館に保護を求め,フランシスコ・ベリオス大尉は国内に潜伏.

6.18 米国と軍事援助協定に調印。

12.18 国会議員選挙.アルマスの創設した反共連盟(PUA)のみが立起を許される.のちに国民民主運動(MDN)と改称.

12.31 カルロス・パス・テハダ大佐が反アルマスの反乱。

55 ユナイテッド・フルーツ社の農業労働者がストを決行するが敗北.御用組合がグアテマラ組合評議会(CONSIGUA)結成.国際自由労連=ORITに結集.

1956年

6.26 民族派による反アルマス闘争高揚.アルマス,戒厳令を公布してこれを弾圧.

56 伊藤忠と東洋紡の共同出資でエルサルバドルに紡績織布工場「ユサ」建設.中米一の企業に成長.

1957年

7.26 アルマス,大統領官邸内で警備兵ロメオ・バスケス・サンチェスにより射殺される.兵はその場でただちに自殺.

7.27 ルイス・アルトゥーロ・ゴンサレス・ロペス副大統領が暫定大統領に就任.非常事態を宣言。アルマスの死により抑圧体制弱まる.労働者・学生の反政府デモ高揚.

9月 マリオ・メンデス・モンテネグロ,旧人民解放戦線(FPL)の活動家を結集し中道左派の革命党を創設.大統領選への立起を表明するが,政府により拒否.

57年10月

10.20 大統領選挙.与党(MDN)党首でアルマス政権の内相をつとめた前最高裁長官のミゲル・オルティス・パサレリとイディゴラス将軍との対決となる.マリオ・メンデスも大統領選に立候補.ほとんど選挙運動が出来なかったが27%を獲得.

10.22 オルティスの勝利発表に対し,イディゴラス派は不正を叫び連日の抗議デモ.グアテマラ市内は暴動状態となる.

10.23 政府、30日間の非常事態を宣言。

10.24 グアテマラシティーは暴動状態となる。3人が衝突で死亡。

10.25 オスカー・メンドーサ・アスルディア大佐らによる軍事クーデター。ゴンザレス・ロペス大統領はで追放され、3人の将軍からなる暫定軍事評議会が政権を握る。

10.26 軍事評議会、大統領選挙を無効と宣言。議会はギジェルモ・フロレス・アベンダニョ大佐を暫定大統領に選出.

10.27 米国、アベンダーニョ政権を直ちに承認。

57年 アルマス派の中小組合を中心に独立労働組合連合(FASGUA)結成.60年代にキューバの影響を受け左翼化.

 

イディゴラス政権

1958年

1 イディゴラスは国民和解党(Partido Redencion Nacional - PRN)を組織.議会多数派獲得のためMDNとの併存を認め,抱き込みをはかる.

1月 MDN,イディゴラス支持をめぐり分裂.ホセ・ルイス・クルス・サラザールら多数派はイディゴラス支持に回る.イディゴラスとの連立に反対する極右の少数派はあらたに国民解放運動(MLN)を結成,党首にマリオ・サンドバル・アラルコンが就任.

2.12 議会での再投票の結果40対18票でイディゴラスが勝利.

58年 マリオ・メンデスの右翼化に抗議し,PR左派が分裂.民主革命同盟(URD)を結成.旧革命行動党(PAR)活動家を中心にグアテマラ市内の労働者に影響力を拡大.地方選で大幅に議席を伸ばす.

58年 グアテマラ,エルサルバドルのよびかけで中米連邦立憲会議を開催.関税同盟をめざす「中米の自由貿易および経済統合に関する他国間条約」調印.コスタリカ,ニカラグアは国内批准に失敗.

1959年

1.24 メキシコ,グアテマラと断交.

2 グアテマラ軍用機,メキシコ漁船を撃沈.両国関係は一気に緊張.

12 国会議員選.野党PAR(URD?)が過半数に迫る議席を獲得.

1960年

2.07 エルサルバドル,グアテマラ,ホンデュラスの三国,サンサルバドルで経済連合条約に調印.

3.10 CIA,アイクの了解をえてキューバ人亡命者の軍事訓練を開始.グアテマラに基地提供を依頼する.イディゴラス大統領は国内での訓練を認め,副大統領ロベルト・アレホス・アルスの所有するタラルレウの農場を提供.

4 キューバのラウル・ロア外相,グアテマラがCIAに亡命キューバ人の軍事訓練基地を提供していると声明.グアテマラはこれに抗議しキューバと断交.

7 機関銃で武装した14人のグループが,アルタ・ベラパス州コーバンの基地を襲撃.政府は戒厳令布告.

8 軍事学校の教練教官でアルベンス派のアレハンドロ・レオン中尉(大尉?),クーデターへの参加を密かに組織.対ゲリラ戦の専門家である青年将校たちは,反米思想の下に経済自立,土地改革,腐敗の一掃などを掲げ,軍の約半数を動員することに成功.

10 グアテマラ,エルサルバドル,反共共同戦線結成.

10.26 エルサルバドルでクーデター.レムス大統領を追放.レムスはグアテマラに亡命.

10.30 グアテマラ紙「ラ・オラ」,国内におけるキューバ侵攻部隊の訓練を暴露.

 

第一次FARの時代

1960年11月

11.13 アレハンドロ・レオンの影響を受けた120人の若手将校のうち45人が決起.首都近郊のマタモーロス要塞ではチェレーナの指揮で反乱.兵営に拘留されていたラファエル・セサン・ペレイラ大佐とアルトゥーロ・チュク・デル・シド大尉を解放.

11.13 蜂起失敗のあと東方に転進した反乱部隊は、サカパ基地を奸計により奪取.解放されたペレイラとデルシドが指揮を執る。基地司令官ロマン・ゴンサレス大佐は危機を逃れグアテマラに通報.部隊はさらに大西洋岸に進みプエルト・バリオス基地を占拠.

11.14 グアテマラ,キューバが反乱軍を支援したとOASに提訴.

11.14 米国,グアテマラの蜂起に関し武力干渉を行う方針を決定.グアテマラ空軍,プエルトバリオスとサカパを空爆.

11.15 グアテマラ軍1万3千に総動員.前衛部隊の一部は反乱軍と戦闘状態にはいる.イディゴラスはみずから陣頭にたち,ヘリコプターで戦闘地域にはいる.

11.16 サカパの反乱部隊,政府軍に降服.ペレイラ大佐はプエルト・バリオスに逃れる.プエルト・バリオスは政府軍およびキューバ傭兵部隊と3日間にわたる激戦.政府軍は空爆により基地の燃料タンクと滑走路を破壊,キューバ軍の侵入に備える.イディゴラス,亡命キューバ兵にプエルトバリオス攻撃への参加を要請.

11.17 プエルトバリオス陥落.ペレイラ大佐はイサバル山中に逃げ込んだあとメキシコ亡命.ルイス・トレホ・エスキベル中佐,アレハンドロ・レオン大尉,マルコ・アウレリオ・ヨン・ソサ(中国系)少尉,アウグスト・ビセンテ・ロアルカ中尉らは降伏を拒否し,ラス・ミナス山地にこもり抵抗を続ける.その後エルサルバドル,ホンデュラスに逃れる.

11.17 アイク,グアテマラ,ニカラグアでの共産主義侵略防止努力を支持し,両国の要請で海空軍をカリブへ派遣すると声明.空母を含む軍艦5隻が中米海域に到着.キューバ侵攻に備えグアテマラ沖合いを1カ月にわたり遊弋.

12.13 マナグアで「中米経済統合に関する一般条約」,エルサルバドル,グアテマラ,ホンジュラス,ニカラグアの調印で成立.常設事務局をグアテマラ市に置く.各国での批准に移る.コスタリカは不参加.

1961年

4.20 プラヤヒロンの勝利を祝い,グアテマラ政府の反革命加担を非難するデモ.公安当局の発砲により3人が死亡.

4 パナマの南方軍,特殊部隊4百名をグアテマラに派遣.

5 PGT,中央委員会を開催.武装闘争路線の採用で合意.若手将校グループとの接触をはかる.

6 各国の批准を経て中米経済統合条約発効.中米共同市場発足.ホンデュラスが批准に失敗したため,グアテマラ,エルサルバドル,ニカラグア3ヵ国でのスタート.事務局(SIECA)をグアテマラ市に,中米経済統合銀行(BCIE)をテグシガルパにおく.

7 アレハンドロ・レオン,グアテマラに侵入しゲリラ戦の組織を開始.逮捕され拷問の末処刑.ヨンソサ,トゥルシオス・リマら若手将校とPGTとの会談,イサバル州ラスミナス山地(シエラ・デ・ラス・ミナス)で行われる.ゲリラ闘争の展開と組織の統一で合意.

7 反政府闘争もりあがり,内乱状態となる.イディゴラスは非常事態を宣言しこれを鎮圧.革命党は政権を狙い一気に右転換,イディゴラスに対抗して極右のMLNと協定締結.

12.3 議員の半数が改選となる国会議員選挙.イディゴラス与党が66議席中50議席を獲得。世論調査ではPARの過半数獲得が確実だったが,選管は開票結果を明らかにせず.

61年 中米共同市場(MCCA,英CACM),グアテマラ,エルサルバドル,ニカラグアの3ヶ国で発足する.その後域内の「南北問題」が表面化.

 

1962年:FAR結成

1.24 イディゴラス・フエンテス大統領、30日の非常事態を発令。

1月 ヨン・ソサ,エスキーベル,ロアルカ,チャコン大尉,トゥルシオス・リマ准尉,エバ・サルディバル准尉ら,ゲリラ組織「アレハンドロ・デ・レオン11.13革命運動(MR13)」結成.労働党や農民から選抜された50人あまりの兵士がホンデュラス国境より侵入,ラスミナス山地を中心にゲリラ闘争開始.

62年2月

2.06 MR・13、バナネーラでゲリラとしての最初の活動.軍輸送隊を襲撃.敵兵14名を殺害.その後ユナイテッド・フルーツ社,イサバル州の二つの軍駐屯所の襲撃を実行.

2 イディゴラス政権に反対する大衆抗議行動拡大.グアテマラ市内では警察長官が「処刑」される.アレバロの帰国と大統領再任を望む声がたかまる.

2.26 首都のウニベルサル,インテルナシオナル両放送局が30分にわたりゲリラに占拠される.うち一つは大統領官邸から300メートルの距離.「農民の武装蜂起と労働者のゼネスト」を訴える放送が流される.

62年3月

3.04 選管,国会議員選の結果発表.大方の予想を裏切り与党国民民主党が33議席中30議席を獲得.

3.06 グアテマラ学生連盟,国会議員選の不正に抗議.1時間の授業放棄をおこなったのち市内デモを開始.市民多数が参加.警察の弾圧で負傷者多数.政府は戒厳令を公布し軍を出動させる.

3.12 前国防相カルロス・パス・テハダの率いる部隊がバハ・ベラパスで蜂起。政府軍の作戦で15人の死者を出し壊滅。

3.16 連日のデモ隊,ついに放送局を襲撃.商店街のウィンドウを割り自動車を倒し放火.街頭にバリケードを築き警官隊と対決.警察は実弾射撃を開始.デモ隊の死者は20人以上に達する.学生は無期限ストを宣言しサンカルロス大学にたてこもる.MR・13は都市ゲリラ(マルコ・アントニオ・グティエレス隊)を組織.

3.19 イディゴラス大統領、30日間の非常事態を発令。

3 首都は暴動状態となる.革命党,全国民主運動(MDN),キリ民党,サンカルロス大学教授会,医師会,弁護士会,グアテマラ市議会などがあいついでイディゴラス辞任要求決議.イディゴラスは軍幹部の大量入閣によりデモに対抗.

3 グラナドス地方で準備中のゲリラ基地が官憲により摘発.8人が戦死。ロドリゴ・アストリアスも逮捕される。

ロドリゴ・アストゥーリアス: ノーベル賞作家アストリアスの息子。ゲリラ名「ガスパル・イロム」は父の小説「トウモロコシの人間たち」の登場人物からとられた。多くの仲間はそのまま処刑されたが、アストゥーリアスは父親とミゲル・イディゴラス大統領との関係から釈放され、メキシコに追放された。

62年4月

4.12 デモ弾圧に軍隊が出動.法学生のデモ隊に銃撃.学生4人が死亡.これまでの死傷者は550人に達する.学生指導部はその後合法運動を断念しゲリラ活動に参加,「4月12日革命運動」(MR・12)を結成.労働党の武装部隊「10月20日部隊」(カルロス・パス・テハーダが指導)も山岳部で活動開始.10月20日は44年に民族派が勝利した日.

5 PGT中央委員会,武装闘争路線を正式に採択し革新派将校と接触をはかる.テハーダの部隊,首都近郊コンクア県バハ・ベラパスのコンクアで政府軍と遭遇戦となるが,惨敗を喫する.

6 ホンジュラス,中米一般協定を批准.コスタリカ,中米共同市場への参加を決定,63年に国内批准.

7 コスタリカ,米国の調停を受け中米共同市場に加盟.

9 ヨンソサ,リマ,エスキーベル,キューバを訪問しゲバラと会談.PGTに対する工作をさらに活発化するよう指示を受ける.

11 イディゴラス,未開拓値200万ヘクタールをインディオ2千家族に配分すると発表.

11.25 グアテマラ市近郊のオーロラ空軍基地で、極右派若手将校による反乱.戦闘機が大統領官邸や首都の兵営を銃撃.燃料を使い果たしたあと3時間後に投降.

11 ウェウェテナンゴでゲリラ活動開始.まもなく軍の作戦により壊滅.

12 武装反乱軍(第1次FAR)結成.MR・13,PGT,MR・12の3者が参加.PGTの政治指導を受入れる.総司令官にヨン・ソサ.三つの戦線を形成することとなる.イサバルにトゥルシオス隊とトレホ隊が残り,ヨンソサは西部に転進しあらたに戦線を開くことになる.キューバのゲリラ戦にならい,遊撃ゲリラ戦を主体とし農民の支持獲得を目標とする長期抵抗戦略に方針転換.都市部ではPGTの指導する大衆組織統一抵抗戦線(FUR)が結成.

62年 革命党,グアテマラ市長選に勝利.URDのフランシスコ・ビリャグラン・クラメルは28%を獲得.

62年 キリ民党の指導下にグアテマラキリスト教労働者連合(FECETRAG)とグアテマラ農民連合(FCG)が結成される.

 

1963年

63年3月

3.20 コスタリカで中米5ヶ国大統領とケネディとの会談.キューバ包囲網の形成で一致.ケネディはイディゴラスにアレバロの帰国を認めさせる.

3.22 FAR,ユナイテッド・フルーツ社農場を襲撃.イディゴラスは非常事態を宣言。

3.25 政府は「大掛かりな政府転覆陰謀」を理由に非常事態発令.

3.29 ケネディに後押しされたアレバロ元大統領,帰国.最高裁はアレバロの帰国と大統領選への参加を承認.イディゴラスの後継候補,アレホス副大統領では選挙に勝てないと見た反動層に危機感ひろがる.

3.31 ペンタゴンの指導下にクーデター.軍の代表が大統領を拘留しニカラグアに追放.

4.01 国防相のエンリケ・ペラルタ・アスルディア大佐が首班となり軍事評議会設置.ペラルタはすべての政党活動を禁止.マリオ・サンドバル・アラルコンの指導する極右のMLNは,いちはやく軍事政権支持をうちだし「死の部隊」を結成.マリオ・メンデスの革命党はクーデターを支持.PGTは政権交代にともない合法闘争への復帰を狙い戦闘停止.グアテマラ市長選に向け44年評議会委員のホルヘ・トリエージョ・ガリドを推薦.

5 MR13はPGT評価をめぐり内紛.主流派のヨンソサらはペラルタ政権を認めず,ゲリラ闘争の継続を表明.その後トロツキズムに傾斜していく.

5 軍事政権,強権による平定の方向を打ち出す.反政府指導者12人を死刑.

7 東北部でゲリラによる軍事攻勢開始.MR13,PGT部隊,MR12の3ゲリラ組織,FARのもとに武装闘争を進める共同声明発表.

7.31 英国,英領ホンジュラスに自治権付与の動き.ペラルタは英国がベリーズを不当に占拠していると抗議.1859年条約は無効であるとし,対英断交.軍を国境線沿いに配置.メキシコも,領域の北部を要求.英国は小規模の部隊を送りこれに対抗.

9 蜂起運動最高指導部(CDR?),市民抵抗組織との共同が進んでいると発表.

10.24 ニューヨーク・ワールド・テレグラム・アンド・サン紙,グアテマラ内戦への特殊部隊の参入を暴露.

10.29 トゥルシオス・リマ,MR13から分かれ独自の戦線を組織.イサバル湖畔でエドガル・イバラ戦線の創設を宣言.

12 中米防衛評議会(CONDECA)結成で,米国とコスタリカをのぞく中米4ヶ国のあいだに合意成立.キューバ革命の波及を防ぐため,相互介入しうると合意.グアテマラ市に本部.

63年 中米共同市場,5ヶ国の参加により正式発足.国内市場の拡大より米主導下での地域的市場の拡大を主目標としたことから,国内の貧富の差の拡大と域内不均衡の拡大を深刻化.

63年 アメリカの肝いりでグアテマラ労働者総連合(CONTRAGUA)結成.政治的中立を標榜しFASGUAにかわり急成長.

1964年

2 シェラ・デ・ラスミナスでゲリラ掃討作戦.1ヵ月にわたる攻撃にも拘らず,掃討に失敗.三つのゲリラ部隊のひとつとして,ゲリラ戦中死亡した学生運動指導者の名を受け,東北部にエドガル・イバラ=ゲリラ戦線(FGEI)結成.ヨン・ソサと同期の青年将校トゥルシオス・リマ,指導者となる.ヨンソサとは別行動をとり,都市の闘争と連係をとりながら戦線を拡大.アルベンス時代からの農民活動家エミリオ・ラモン(パスクアル)とともにカクチケル地方の農民ゲリラを組織し戦線を強化.イサパル,サカパの低地地域に闘争拡大.

5 FAR,国民に反独裁闘争への参加をよびかけ.首都の士官学校を攻撃,イサバル県で4市を一時占拠.

6 グラナディリャ,モイセス・キロのゲリラ部隊崩壊.ヨン・ソサFAR総司令官の指導するアレハンドロ・デ・レオン戦線と,ラス・ミナス地方でトゥルシオス・リマの指導するFGEIが地区支配を維持確立(FGEIの確立にともない,ヨンソサの指導するアレハンドロ・レオン戦線がMR13と称されるようになる).

6 ヨン・ソサ,第4インター,ポサダ派の影響を受け直接社会主義革命をめざす.メキシコ,アルゼンチンから多数のトロツキストが流入.機関紙「社会主義革命」第1号に「第1次シェラ・デ・ラスミナス宣言」を発表.人民戦争否定論を展開.PGTとのあいだに激しい内紛.FGEIはキューバの影響を受けながら中間的立場をとる.

6.30 FAR,リオ・オンド基地を攻撃.初の軍事基地攻撃.

7 PGT,国際共産主義運動に関してはソ連共産党と完全に意見が一致と声明.

7 CONDECA第1回特別総会.中米合同部隊の設置を決定.

10 MR13,FARより脱退.第4インターの路線にもとづき,工場・農場の占拠を拡大して解放区を創り,それを中米社会主義共和国連合形成の第一歩とする綱領を採択.反帝・民族解放の路線をとるFAR,FGEIとの間に,主導権をめぐり対立激化.

10 リマはPGTとMR13全国指導部に書簡を送る.PGTの主張する民族ブルジョアジーとの統一戦線を幻想と批判すると同時に,長期人民戦争を否定するトロツキズムに反対しMR13と絶縁.

11 グアテマラ市内の軍,警察にゲリラによる迫撃砲攻撃.

12 ヨン・ソサとトゥルシオス・リマ,アルダナ,ロアリカ,グラナドスの5名が,連名で「第二次シェラ・デ・ミナス宣言」を発表.人民の武装,労農政府の樹立,社会主義革命の旗を掲げる.アルダナとグラナドスはトロツキスト.

64年 ハワイのバナナ会社キャッスル社,スタンダード・フルーツ社を買収し中米進出.

 

第二次FARの時代

1965年

1 MR13,メキシコで機関誌「レボルシオン・ソシアリスタ」を発行,二重権力とソヴェート樹立を基本とする綱領を発表.英国のトロツキスト評論家アドルフォ・ヒーリー,「グアテマラの前線からの便り」を発表。

2.09 米国軍事顧問団長ハロルド・ハウザー大佐、グアテマラ市で射殺される。

3 トゥルシオス・リマのイニシアチブでFAR臨時革命指導センター(CDR)結成.リマ派が主流をにぎり,「ペラルタ政権の反動的な性格があきらかになった」ためゲリラ闘争へ復帰したPGTと,その指導下にあった愛国青年労働同盟(JPT),FGEIその他各ゲリラ戦線の政治的軍事的統一をはかる(第二次FAR).本部指導者にはヨン・ソサに代りPGTからセサル・モンテス政治局員が送りこまれる.トロツキズムを嫌うキューバがリマを抱き込んだのが真相といわれる.MR13はこれを不満としFAR脱退.

5 ゲリラ,国防次官を暗殺.

9.15 新憲法制定。6年から4年に大統領の任期を減らす。

10 ペラルタ,制憲議会を提案.カスティヨ・アルマス大佐に率いられた極右の国民解放運動とマリオ・メンデスの率いる革命党が選挙への参加を表明.左翼勢力は選挙ボイコットを表明.

10.31 マリオ・メンデス,自宅前で暗殺される.警察は自殺と発表.これに代わり弟のフリオ・セサル・メンデス・モンテネグロが立候補.セサル・メンデスはかつてアレバロの秘書を務めた経歴を持ち,前サンカルロス大学法学部教授の肩書き.PGTはブルジョアジーの一部との選挙協力による政権への接近という戦術に転換,「支配階級の内部矛盾を深め,軍事独裁の基盤を弱めるため」メンデスへの支持投票を呼びかける.ゲリラ各派は一斉に反発.

65年 憲法公布.共産主義政党の活動を禁止.

65年 ジョンソン大統領,Bethuel M. Websterを仲裁者に指名.英領ホンジュラス問題の調停に乗り出す.ウェブスターは英領ホンジュラスがグアテマラに引き渡されるべきと結論.地元住民の強烈な抗議を受けた英国は,この調停案を拒否.

1966年

1 三大陸人民会議に出席したトゥルシオス・リマ,ヨンソサのトロツキスト的傾向を激しく非難.

1 民族解放運動(MLN),極右テロ組織「白い手」を創設.活動家,シンパにたいし相次ぐテロを開始.ほかに『目には目を』,反共新組織(NOA),グアテマラ反共評議会(CADEG)などの死の部隊が次々と結成される.

3.05 PGTのビクトル・マヌエル・グティエレス・ガルビン書記長,大統領選を前に亡命先のメキシコより帰国.ただちに逮捕.

3.08 公安当局,左翼勢力に一斉弾圧.PGT地下指導部の28人が捕らえられ,そのまま行方不明となる.行方不明者の捜索を要求した法学部学生も,何人かが行方不明となる.

3 左翼ゲリラ,牧畜業者マヌエル・ラルダを誘拐,身代金25万ドルを獲得.このほか財界有力者の誘拐作戦を次々と実施,総計百万ドル以上の身代金を手に入れるが,グティエレス書記長の奪還には失敗.

5.10 大統領選.与党よりの民主立憲党からは前全国電化協会(INDE)総裁のフアン・デ・ディオス・アギラール・デ・レオン大佐が立起.ペラルタは当初アギラールを支持するが,MLNがより反動的なミゲル・アンヘル・ポンチアノ・サマヨアを立起させるとそちらに乗り換える.ポンチアノは空軍司令官で軍事評議会の議長をつとめる.選挙ではメンデスが20万,アギラールが15万,ポンチアノが11万票を獲得.

6 軍,ゲリラの根拠地となったサカパ,イサバル両県に対し無差別攻撃を開始.ワシントン駐在武官カルロス・マヌエル・アラナ・オソリオ大佐,サカパ県における対ゲリラ作戦の司令官に就任.グアテマラ反共会議(CADEG)の民兵も動員し掃討作戦開始.ラディーノを中心に,68年までの2年間で8千(Jonas 1991)の民衆が殺害される.オソリオは残忍な行動で「サカパの山犬」の異名をとる.

6 ペラルタ軍事政権は,メンデス就任を阻止するため戒厳令を公布.まもなく米国の説得を受け選挙結果の尊重を表明.

7.01 メンデス,大統領に就任.ゲリラとのあいだに一時停戦成立.軍部は政府に強い圧力をかけ,対ゲリラ戦略におけるフリーハンドを確保する.

8 トゥルシオス・リマ,軍のパトロール隊を待ち伏せ襲撃.12名を殺害し,負傷した将校を射殺.軍内のシンパサイザーはこれを機に離反.モンソン書記長,マリオ・シルバ政治局員らPGT主流は合法活動に重点をうつすようになり,トゥルシオスらの戦闘続行派との矛盾激化.中央委員の4割が離党.カミロ・サンチェス,セサル・モンテスらはPGTと決別し,独自の行動を展開.メンデス,ゲリラに対し休戦を提案するが,安全保障しないためゲリラ側は拒否.

10.02 トゥルシオス・リマ,グアテマラ郊外で若い女性を乗せ盗難車で暴走.カーブを曲がりきれず時速200キロで壁に激突し即死.セサル・モンテスが後任司令官となる.

11.02 30日間の非常事態宣言発令.メンデス政権は軍事クーデターの危険を前に,極度に弱体化.

12 鉄道.ゼネストによりマヒ.

 

1967年

5 メンデス,サカパ県ゲリラの防備を破壊したと発表.

5 NOA,7人の労組指導員,二人のジャーナリスト,8人の共産党員,5人の大学教授に対し死刑を宣告.

6 エスキーベル戦死.FAR,大規模なゲリラ掃討作戦によりほぼ壊滅.後継者にセサル・モンテス.残党は,誘拐,テロなどに作戦切換え.

9 MR13,軍の攻撃を受け事実上壊滅.ヨンソサも足に傷を受けメキシコ領内に撤退.セサル・モンテスの率いるサカパ州ラス・ミナス山中のエドガル・イバラ戦線はいぜん抵抗を続ける.勢いに乗るアルレアガ・ボスケ国防相はクーデターを計画するが,米軍特殊部隊の反対により未遂に終わる.

67年 ミゲル・アンヘル・アストリアス,ノーベル文学賞を授賞.独裁者カブレラを描いた代表作「大統領閣下」のほか,三部作からなる小説「強風」「緑の法皇」「死者たちの目」をあらわし,米国資本による収奪を告発する.「法皇」とは中米に絶大な権力をふるうユナイテッド・フルーツ社長のマイナー・キースを形容する言葉.

 

1968年

1.10 労働党,ゲリラ闘争から撤退.PGTの新書記長にゲリラ出身のベルナルド・アルバラド・モンソンが就任.FARのモンテス司令官,闘争の目標は社会主義革命であると言明.共産党と絶縁し,軍事・政治指導機構を一本化.PGT中央委員のホルヘ・イスマエル・ソト・ガルシア(”パブロ・モンサント司令官”)も声明に同調.

1.16 FAR、2人の米国軍事顧問を暗殺。

1 59年度の「ミス・グアテマラ」でFARシンパの女性,民族主義行動組織運動(MANO)の手にかかり毒殺,グアテマラ市郊外の橋の下に全裸で遺棄.

2 MR13,FARと合同.単一FARを結成.トロツキストに対する幻想を捨てたヨンソサが総司令官,共産党と絶縁したモンテスが副司令官となる.25人の創設メンバーのうち20人が死亡し,組織的なゲリラ活動は不可能となり,テロ活動に重点をうつす.まもなくセサル・モンテスは指導者を解任され,FARを離れる.

3 FAR,首都郊外の空軍基地をロケット砲撃.

6.20 政府、非常事態を解除。

7 ヨンソサ,負傷しメキシコに逃れる.作戦への対応をめぐり,ヨンソサはFARを脱退.MR13を再建.

8.18 FARはミス・グアテマラ殺害事件に対する報復行動としてグアテマラ市内で米国大使館勤務のJ.G.メイン陸軍代表部長ら2人を誘拐,抵抗したメインを殺害.

8.19 グアテマラ,内戦状態宣言.軍はサカパ州に空爆を集中し,FAR拠点をたたく.

68年 MLNのテロ部隊「白い手」,大司教を誘拐.大統領は国防相とアラナ・オソリオを更迭.オソリオはニカラグア大使に転出.

 

1969年

12 FAR,西独大使カルル・フォン・シュプレティを誘拐.700,000ドルの身代金,25人の政治犯の釈放を要求.

69年 労働党第4回大会を開催.革命の第一段階を農民による反帝人民革命と規定.

69年 タバコ会社レイノルズ社,デルモンテ社を合併し中米進出開始.

 

闘争再建の時代

1970年

1.30 キリ民党(Partido Democracia Cristiana Guatemalteca:PDCG)の大統領候補ホルヘ・ルーカス・カベジェロスに対する暗殺未遂事件。政府は非常事態を宣言。

1 大統領選に向け極右政党MLNはアラナ・オソリオを候補に指名.副大統領にはサンドバル党首が指名される.

2.26 FAR,アルベルト・フェンテス外相や米大使館員(CIAエージェント,軍事顧問)をあいついで誘拐.

3.01 MLNの大統領候補となったオソリオ大佐,テロの脅しで反対派を抑えこみ43%を獲得.1位となる.サンドバル・アラルコンが副大統領に指名される。革命党のマリオ・フエンテス・ピエルッチーニは36%,キリ民党のホルヘ・ルカス・カバリェロスは21%を獲得.グアテマラ市長選ではURDのコロムが勝利.

3.01 フエンテス外相が解放される。交換にFAR幹部のカルビリョ,ホセ・アギレなど指導部が解放される.

3.31 政府は西独政府の要請にもかかわらず政治囚釈放を拒否し,戒厳令公布.FAR,西独大使を殺害.

4.05 西ドイツ大使が死体で発見される.「白い手」は「活動再開」を宣言.ホルヘ・アレナレス・カタラン内相,レオネル・バッソー・マルティネス国防相,サンドバルMLN党首らは,狂信的な殺人者集団「目には目を」を結成.その後の3年間で「白い手」により野党活動家などすくなくとも3千5百人が暗殺される.

4.6 西ドイツ,大使誘拐に対するグアテマラ政府の態度に抗議し,外交関係を一時凍結.

4 議会で決戦投票.アラナ・オソリオが大統領に選出される.

6 ヨンソサ,メキシコ国境地帯でチアパスの大地主の指揮するメキシコ警官と交戦し射殺される.MR13は彼の死をもって壊滅.モンサントにひきいられたFARは,さらにゲリラ闘争を続ける.

7.01 オソリオ,大統領に就任.キエル・エウヘニオ・ラウヘルード・ガルシア大佐が国防相に,エフライン・リオス・モントが参謀総長に就任する.オソリオは大統領就任にあたり「いまこそ資産家は土地改革と所得の再分配に応じなければならない」と声明.産業振興5ヶ年計画を発表するが,支配層内部に支持基盤を確保できないまま挫折.

11.13 アラナ大統領,ゲリラの連続誘拐作戦に対して戒厳令を公布.72年2月まで続く.

 

1971年

6 都市での地下組織再建と,武装闘争の徹底的重視を主要な戦略ととらえるFAR西部戦線の反対派は分裂し,作戦基地の再建を開始.メキシコからひそかに入国したロドリーゴ・アストリアス・アマド(”ガスパル・イロム”)が指導.

6月 ニューヨーク・タイムス,戒厳令が発せられてから5月までのあいだに少なくとも2千人が殺害されたと報道.大部分の死体には拷問の瘢があり,「目には目を」(Ojo Por Ojo)や「白い手」(Mano Blanca)など政府の指示を受けたテロリスト組織による犯行と推定される.

9 FAR反対派はFARと決別.サンカルロス大学などにゲリラ支援の組織拡大を開始.のちに武装人民革命機構(ORPA)を結成.

12 メキシコとの国境地帯チアパスのイクスカン地方で,FAR残党による第3回総会.ホルヘ・ソト・ガルシアを指導者に選出.エル・ペテン北部に新たな根拠地を創設すると同時に,グアテマラ市での都市ゲリラ活動を活発化する,2正面活動の方針(長期人民戦争路線)を決定.幹部の保全をはかり,作戦を要人誘拐に限定.

71年 メキシコ亡命中のアルベンス元大統領,入浴中に事故死.

 1972年

1.19 旧来のゲリラ基地の放棄に反対するリカルド・ラミレス・ド・レオン(通称ロランド・モラン),マリオ・パイエラスらFARの分派,イクスカンの大地主でヨンソサ殺害の責任者ルイス・アレナス所有の飛行場を占拠.軽飛行機2機を破壊後,グアテマラに侵入.エル・キチュでゲリラ部隊の組織開始.

2 ロランド・モランらにより貧民ゲリラ軍(EGP)結成.北西部ロス・クチュマタネス山脈(エル・キチェ,アルタ・ベラパス,ウェウェテナンゴ,サンマルコス)を中心にゲリラ闘争開始.フォキスモの無批判な導入を批判し,インディオの決起を闘争の中心課題におく.FARは戦線分裂に導くこの方針を批判.

72年 FARを放逐されたセサル・モンテスはEGP内に指導権を獲得しようとして潜入するが,失敗してメキシコに亡命.のちにエルサルバドルのFARNに潜入し最高軍事指導者となるが,発見され放逐.

6.25 第一副大統領オリバー・カスタニェダ・パイス,レストランで食事中を襲われ射殺される.「白い手」の内部の犯行と見られる.

7.13 地方選挙.MLNが70%を獲得し圧勝.MLNに屈伏したPRは15%の得票で惨敗.地方選を機にMLNの内部紛争激化.指導者4人が各地であいついで暗殺される.

12 潜行中のモンソン(ベルナルド・アルバラド)PGT書記長,5人の中央委員とともに逮捕.裁判抜きで射殺される.遺体は太平洋に投げ込まれたという.ミゲル・ロドリゲスが書記長に就任.「現段階でわが国における革命を推進する主要な方法は革命的人民戦争である」とし,ゲリラ闘争に復帰.

72 ユナイテッド・フルーツ社,グアテマラ国内の全資産を2千万ドルでデルモンテ社に売却.

72年 グアテマラ軍部隊,ふたたびベリーセ国境ぞいに展開.英国は航空母艦アークロイヤルと数千の部隊を派遣.

 

1973年

3 エフライン・リオス・モント参謀総長,サンシリサイで農民の土地占拠闘争を弾圧.農民30人が虐殺される.他にも29件の虐殺の指揮が確認.

4 OAS総会,ワシントンで開催.「イデオロギーの多様性を認める」決議を採択.米国離れ強まる.

7 来年の大統領選に臨み.オソリオ大統領はキエル・ラウヘルード・ガルシア国防相を後継候補に指名.リオス・モントはベラスコ型改革を主張したためワシントンに左遷される.

12 キリ民党のレネ・デ・レオン・シュロッターは立候補を辞退.リオス・モント前参謀総長を候補に推薦.リオス・モントは野党国民戦線(FNO)を選挙母体として立起.カトリック行動もリオス・モントを支持.革命党もカルロス・サガストゥメ書記長が辞退し,エルネスト・パイス・ノバレス大佐を推薦したため,民間人不在の軍人同士の対決となる.

1974年

3.03 大統領選実施.MLNのキエル・ラウヘルド・ガルシア大佐(Kjell Eugenio Laugerud Garcia)が41%,リオス・モントは36%,パイスが23%を獲得.各候補とも過半数とれず国会投票に持ちこまれる.サンドバルは3万5千名の武装デモで脅迫.

3.12 モント,パイスの両候補が辞退したためガルシアの当選が確定.リオスモントはスペインに亡命.カトリック行動は農民統一組織(CUC)の設立に動く.

6.09 現状を烈しく告発したノーベル賞作家,ミゲル・アンヘル・アストリアス死す

7.01 ガルシアが大統領に就任.ラウヘルド,当初労働運動などに宥和策をとる.インディオ居住区での共存的発展の方針を発表.国民の高まる不満を背景に教職員ストなどが発生.サンドバル副大統領は,「馬鹿げた共産主義の方針」と非難.

12 ミゲル・ロドリゲスのあとPGT書記長をつとめたウベルト・アルバラド,「白い手」により暗殺される.

 

1975年

4 EGP,ヨンソサ虐殺の責任者ルイス・アレナスを殺害.

4.15 PDC党首に就任したビニシオ・セレソ・アレバロ,PGT書記長暗殺の真相解明を大統領に要求.翌日テロリストに狙撃され負傷.

7 EGP,3年間の準備の後本格的武装行動開始.キチェ県北部のイシル三角地帯を中心に,低地地帯のプランテーションに出稼ぎする農業労働者を組織,農村ゲリラを開始.政府軍はサンフアン・コツァルに基地を建設し,協同組合活動家37人を逮捕.その後農民虐殺をくりかえす.

10 サンドバル「グアテマラ人の命にかけてもベリーズの独立を許さない」と発言.

11.05 グアテマラ,ベリーズ自治領への武力侵入の構え.英国は駐留部隊を大幅増強.RAFとHarriers戦隊を動員体制におく.

11.13 エチェベリア・メキシコ大統領,英・グアテマラ間のベリセ問題調停のためグアテマラ訪問.

11.30 英国とグアテマラのベリーズ問題協議開始.グアテマラはベリーセ確保を事実上断念.

75 ユナイテッド・ブランズ゙社,チキータ・ブランズ・インタナショナルと社名を変更.依然コスタリカ,パナマ,ホンジュラスに267平方マイルの土地,冷凍船42隻,鉄道数百マイルを所有.

75 ロドリゴ・アストリアス,首都北西のマヤ族居住地区でORPAを結成.ゲリラ名のガスパル・イロムは,父アストリアスの小説に出てくるマヤ族抵抗運動の英雄.10名の創立メンバーの一人としてマヤ族のエフラン・バマカ・ベラスケス(エベラルド司令官)も参加する.

 

1976年

1.17 キッシンジャー米国務長官,ベネズエラ・ペルー・ブラジル・コロンビア・コスタリカ・グアテマラ歴訪.

2.4 グアテマラ市中心にマグニチュード7.5の大地震.2万2千人が死亡.市民の40%が家を失う.災害救援活動の中で農民と労働者・学生との結びつきが強化.置き去りにされた農村でふたたびゲリラへの支持高まる.

3 キチェ県イシル地方のネバ村で農民運動に対する軍の介入.多くの運動家が殺害される.

3 FECERAGを中心にFASGUAの生き残り,その他独立系組合が結集し労働組合全国統一委員会(CNUS)を結成.FARの生き残りやPGTの活動家,キリ民党系の労働者全国連合(CNT)左派活動家も参加.地震からの復興をサボる政府に対し抗議.以後各地でストあいつぐ.

11 インディオの共同体建設に力をつくしたビル・ウッズ神父,飛行機事故により「謎の死」をとげる.司教団,反共秘密軍(ESA)や反共国民戦線(FNSC)などテロ組織を非難する声明を発表.

 

1977年

2.24 バンス米国務長官,人権抑圧を理由にアルゼンチン・ウルグアイへの軍事経済援助削減・停止を発表.

3.01 アルゼンチン・ウルグアイ,米国の軍事援助を拒否.その後ブラジル,エルサルバトル,グアテマラもあいついで拒否.

5.19 グアテマラ,パナマと断交.

6 グレナダで第7回OAS総会開催.バンス国務長官,人権が守られない国へは援助を凍結すると演説.グアテマラ,エルサルバドルはこれに反発し,自ら援助を拒否.

7.07 ワシントンでベリーズ問題に関するグアテマラ=英国間の交渉.グアテマラは,英国が一方的に英領ベリセを独立させないと確約したことに満足の意を表明.

7.28 グアテマラと英国,ベリセ独立問題で合意.

9.29 PGTゲリラ,元ゲリラ鎮圧の責任者で国防相のラファエル・アリアガ大佐を暗殺.

12 ロメロ政権,公共秩序法を制定しただちに戒厳令を発動.民族民主組織(ORDEN)や白色戦士連合(UGB)などのテロ活動が活発化.カーター政権は軍事政権への警戒感を強める.

12 EGPに指導されたウェウェテナンゴ県イシュタワカンの原住民鉱山労働者,生活改善を求めるマラソンデモを展開.首都まで9日間のデモで延べ15万人を動員.「イスタウアカン鉱夫の栄光の行進」と呼ばれる.この年労働争議は空前の規模に達する.

1978年

3.01 大統領選.MLNからはリカルド・ペラルタ将軍が立起.キリ民党はペラルタを推す.PRとPIDの推すフェルナンド・ロメオ・ルカス・ガルシア将軍との事実上の一騎うちとなる.ペラルタは元大統領ペラルタの甥で前海軍司令官,震災再建国家委員会議長を勤めた.

3.07 グアテマラ大統領選開票で,右翼グループが選挙管理委員会本部を襲撃.

3.13 第一次投票で,過半数を占める候補者が出ず,議会での決戦投票に持ち込まれる.ルーカス・ガルシア,立法議会の推薦によりグアテマラ大統領に選出される.MLNのマリオ・サンドバル・アラルコンは、選挙違反を主張。

5.01 イエズス会,メルキノール会のはたらきかけにより,インディオが中核となったグアテマラ統一農民委員会(CUC)設立.EGPと結びつきを強める.

5.29 アルタ・ベラパス県パンソス(Panzos)村で統一農民委員会の指導する土地占拠闘争.土地の権利を要求してデモ行進中のカクチ族7百人に対し,地主の雇い兵が襲撃.機銃掃射により114人が死亡し3百人が負傷.

6.09 グアテマラ市でパンソス事件に抗議する6万人のデモ.

7.18 ロメロ・ルーカス・ガルシア将軍が大統領に就任.ガルシアはラウゲルド政権の国防相でCONDECA議長をつとめた人物.内閣にはキリ民党も参加, 軍人3人に対し9人の民間人が入り,民政の装いをとる.人民勢力に対する弾圧は一時軽快.

7.21 運動の高揚を恐れた「白い手」はCALの支援を受けふたたびテロを強化.1週間で60人が虐殺,遺棄される.

8 ガルシア大統領,生活必需品の価格を大幅引き上げ.バス代値上げに反対する闘争が首都圏を中心に高揚.ガルシア大統領,76人の政治的なリーダーを含む5,000人の殺害を命ずる.アムネスティの調査ではこの一月だけで61人の活動家が「死の軍団」により殺害される.

9 数週間にわたる街頭抗議の後,政府は値上げ案を撤回.その直後,全学連書記長オリベイロ・カスタニェーダ・デ・レオン,中央公園で演説中にマシンガンで撃ち殺される.

10.2 テロへの抗議と民主化を要求するデモに軍の発砲.2日間で7人が死亡,50人が負傷.

10.5 CNUS,公務員緊急委員会の共同で抗議のゼネスト開始.グアテマラ市内は内乱状態となり戒厳令公布.ガルシアはさらに弾圧姿勢を強化.これまでの「白い手」や「目には目」などに加え,反共秘密軍と呼ばれる強力なテロ組織が登場し,テロを競い合う.大量殺害が続く.社会民主党(PSD)やキリ民党(PDC)など中道政党の指導者もテロの標的となる.FARはエル・ペテンで武装闘争再開.

10.18 秘密反共軍(ESA),マスコミに抗議運動指導部38名の「暗殺リスト」を発表.3日後に暗殺を開始.

12 ドイツ人神父,反政府活動のでっち上げにより逮捕,国外追放

78年 FAR,組織を再編成しゲリラ闘争を再開.

1979年

1.25 社会民主党のアルベルト・フエンテス・モル元外相(前首相?),極右の武装行動軍によりグアテマラ市内の路上で射殺.79年最初の2ヶ月で一日あたり546人の活動家が殺害され,グアテマラの目ぼしい政治指導者はほぼ根絶.

1 LA司教会議に出席したローマ法皇,グアテマラにおける人権侵害を非難.

3.22 革命統一戦線(FUR)指導者マヌエル・コロム・アルゲタ,待ち伏せに会い殺害される.コロムはURD幹部で70年から74年までグアテマラ市長をつとめた.

3月 反抑圧民主戦線(Frente Democratico ContraラRepresion:FDCR)が結成される。ラファエル・ガルシアが議長に就任。

3 ガルシア,ローマ法王の発言に反発.北部地方でのカトリックの布教活動を禁止.

6.26 織物工場の閉鎖に抗議して労働者20人がメキシコ大使館を占拠.

9.18 ORPA,創立後7年目で武装行動開始.農村ゲリラ基地の確立を最大の目標とする方針を決定.ケサルテナンゴのコーヒー農園を攻撃,占拠.組織の存在をはじめて公にする.指導者ロドリーゴ・アストリアス・アマドは2世紀前にスペインに対する反乱を組織した,インディオ指導者の名をとり”ガスパル・イロム”を名乗る.ほかにホアキン・クリストバルが指導.ドナルド・マッケナ(アイルランド人神父)など多くの外国人聖職者が参加.蜂起がただちに可能とするラウル・ロドリゲス一派は,組織を離れ「我々の運動」を結成する.

9 反乱武装軍(FAR)と貧民ゲリラ軍(EGP),人民武装組織を結成.

9 難民問題をめぐり,チアパス州タパチュラでポルティーヨ=ガルシア会談.

10.20 学生連合議長のオリベリオ・カスタニェダ・デ・レオン,「白い手」により暗殺.国家警察,1月から10月までの間に,1224人の「犯罪者」が死の軍団により殺害.「国家転覆をねらったもの」3252人が反共秘密軍により殺害と発表.

10 エルサルバドルで10月政変.マリオ・サンドバルがソモサ残党やエルサルバドル極右集団の身元引受人となる.グアテマラは右翼陰謀家やフリーランスの殺人者の「一種の免税地帯」となる.

10 テグシカルパで反革命策動を続けていたソモサ残党のパブロ・エミリオ・サラザール大尉,暗殺される.

10 EGP,ホーチミン,チェ・ゲバラ,サンディーノの三つの部隊を編制し,武装闘争を開始.ガルシア家の子息を誘拐.釈放と引き換えに新聞に声明発表.

79年 海外在住のグアテマラ人亡命者組織,ルイス・カルドサ・イ・アラゴンを中心に抑圧反対民主戦線(FDCR)を結成.のちにCGUPに加盟.

 

1980年

1.28 キチェ族とイシル族の原住民がエル・キチェ県ウスパンタン地区の住民9人の誘拐・殺害事件の調査を要求し,グアテマラ市内で抗議行動.CUCとEGP系の学生グループ「ロビン・ガルシア学生革命戦線」FERGがこれを支援.彼らの行動はすべて阻止され,顧問弁護士は警察署の正面で暗殺される.

1.30 ビエル・キチェのインディオ農民,デモのあと,センテ・メンチュウにひきいられ,スペイン大使館を占拠.

1.31 ルーカス・ガルシアとヘルマン・チュピナ・バラオナ警察総監,ドナルド・アルバレス・ルイス内相は協議の末,逮捕強行を決定.警察隊は大使館に放火し,消防隊の活動を禁じ,占拠者と人質の悶え焼け死ぬのを見守る.大使館員をふくめ39名全員が死亡.

2.01 スペイン,グアテマラと国交断絶.

2.01 CUCは虐殺を記念して「1月31日人民戦線」(FP31),「ビセンテ・メンチュウ革命キリスト教徒同盟」を結成.学生らのロビン・ガルシア学生戦線とともにグアテマラ愛国統一委員会(CGUP)の母体となる.

2 南部海岸の農園でCUCとCNUSの指導のもとに,七万五千名の砂糖・綿プランテーション労働者が賃上げスト,グアテマラの砂糖生産ストップ.大幅賃上げに成功.翌月以後,スト指導者の多くが行方不明となる.

2 民間人のフランシスコ・ビジャグラン・ドラメル(Francisco Villagran Kramer)副大統領,右翼の人権侵害に抗議し辞任.

3.22 PGTゲリラ,マキシモ・セペダ元大佐をグアテマラ市内の路上で殺害.セペダは14年前に28人のPGTメンバーを虐殺した指揮官.

3 キチェでさらに複数の僧侶が殺害.司教は管区の閉鎖を指示.

3 共和党のレーガン大統領候補,シカゴで共産主義のドミノを攻撃する演説.「

共産主義ドミノ論: エルサルバドルでは,ハバナとモスクワに支援された全体主義マルクス主義者の革命家たちが民主的政府の発展を妨げている.われわれは,グレナダやニカラグアやエルサルバドルが「あらたなキューバ」となり,ソ連の戦闘旅団の新しい足場となるのを許してよいのだろうか.北のグアテマラに向けて急進し,さらにそこからメキシコに,また南ではコスタリカやパナマに急進するのを座視すべきであろうか。

5 メーデー行進に当局の弾圧.31人が誘拐され,何人かが虐殺死体となって発見される.他の多くは行方不明のまま.