イベリアおよび欧州年表その1

 

これまで「ラテンアメリカおよび世界年表」となっていた表をラテンアメリカ年表と世界年表に分けました.しかし,世界年表はほとんど無限であること,ヨーロッパ近・現代史は一つの表にまとまっていたほうが見やすいこと,社会主義崩壊後の東欧はヨーロッパ史に加えることになるであろうことなどから,独立した年表とすることにしました.この分野に関しては,私よりずっと詳しい年表を作成している方もあるだろうと思います.見つけたらリンク集でご紹介したいと思います.

                                 11 Sep. 1999   


厄介なことになりました.今日作業をしていて,ファイルが100キロを超えたことが分かったからです.初めて知ったのですが,フロントページ・エキスプレスは100キロを超すと,超えた部分を表示しないのです.しかもそのことについて何ら説明しないのです.只なのだからしょうがないのでしょうね.

仕方ないので,とりあえず上下二巻に分けます.勿論,いずれイベリア編と,ヨーロッパ編に分けなければなりませんが,そうなれば情報をどのように振り分けるか,考えただけでも頭の痛いことです.

18 Feb. 2000     


スペイン史が大幅に拡充されました.ポルトガル史も増えています.両者を分けなければならなくなりそうです.とりあえず,ポルトガル史を茶色にしました.

26 Jan. 2002   

 

レコンキスタ  コロンブスのアメリカ発見  カルロス一世の時代  オランダ独立運動の開始  無敵艦隊の敗北  三十年戦争  王位継承戦争

カルロス三世の改革  フランス革命  

 

BC5000頃 イベリア人が北方より入り定住。巨石文化で知られる。

紀元前12世紀 フェニキア人がイベリア半島に進出。カディスの港を建設。紀元前8世紀にはギリシャ人、カルタゴ人が入植。南部のカルタヘナはカルタゴ人の町という意味。

紀元前10世紀 ケルト人が北方より渡来。イベリア人と雑居しスペイン人の原型となったとされる。

前201年、第二次ポエニ戦争が終わる。勝利したローマ人がカルタゴの拠点イベリア半島に侵入。先住民ケルト・イベリア族は激しく抵抗するが、その後ローマ化が急速に進む。

395年 ローマ帝国が東西に分裂し衰退の兆し。ゲルマンの先駆けとなるヴァンダル族とアラン族がイベリアに進出。

409年 ガリシア地方にスエヴィ族が侵入して来る。ブラガを都とするスエヴィ王国が成立する。

410年 南仏ガリア地方の西ゴート族がローマを占領。西ゴート王国を創設する。

419年 スエヴィ族、ヴァンダル族を駆逐。

475年 西ゴートがイベリア半島に進出し半島の大半を制圧する。

585年 フランク王国にガリアを奪われた西ゴート王国がトレドに首都を建設する。スエヴィ王国は西ゴートに併合される。

 

レコンキスタ(イベリア再統一)

711年 シリア(ダマスカス)のウマイア王朝が西ゴート王国の内紛に乗じ、ジブラルタル海峡を越えて進出。グアグレーテの戦いで西ゴート王国を滅ぼす。

717年 ウマイア王朝はコルドバに都を定め、半島のほぼすべてを「アル・アンダルス」として支配する。ルシタニア,ガリシアも滅亡.

718年 北辺のアストリアス山地に追いやられた西ゴート王国生き残りが、ペラヨの下にアストリアス王国を建設。オビエドを首都とする。

722 コバドンガの戦い.ペラヨの率いる北部のキリスト教徒がイスラム軍に勝利し,アストゥリアス王国を守る.

732年 ウマイア軍、南仏に進出するが、トゥール・ポアティエでフランク王国軍の前に敗退。

750年 シリアのウマイア朝はバグダードのアッバース王朝により滅ぼされる。王家の残党はコルドバに逃れる。

756 コルドバに後ウマイア朝成立.アブドゥル・ラフマーン一世が初代カリフとして即位.

778 フランク王カール,イベリアに遠征するも敗退.

801 カール大帝(シャルルマーニュ),イベリアに進攻.バルセロナを占領しスペイン辺境領をおく.

820 バスクで独立したパンブローナ王国を建設.イニゴ・アリスタが即位.

824 ガリシア地方に聖人サンティアゴの墓が「発見」される。

866 アストリアスでアルフォンソ三世が即位.レコンキスタを開始.ドゥエロ川までの地方を獲得.

874 バルセロナ伯ビフレード多毛王が即位.カタルーニャの諸伯領を統合.

880 イブン・ハフスーンの反乱.キリスト教を奉じ、ロンダを拠点にキリスト教諸国と連携。

914 アルフォンソ三世の後継者オルドーンニョ二世,オビエドからレオンに進出しあらたに首都を建設.アストゥリアス王国の後身としてレオン王国成立.ウマイア朝との闘いを続ける.

929 後ウマイア朝,アブドゥル・ラフマーン三世がカリフとなる.コルドバの最盛期を迎える.(一説に912年)

937 ウマイア朝軍、サラゴサに進出するが、シマンカスの闘いでキリスト教国連合軍に敗退。

961 レオン王国内のブルゴス伯領,カスティーリャ王国として独立.フェルナン・ゴンサレスが初代の王となる.

987年 フランク王国のカロリンが朝が断絶。カタルーニャはこれを機にフランク王国より独立。

 

1000年

1000 この頃北西部のキリスト教徒支配区はアストリアス,レオン,ガリシア,カスティリャの4つの伯地に分かれる.(このあたり文献により異同あり)

1012 コルドバの後ウマイア朝が内部分裂により崩壊.これに代わり大小20の太守国が割拠.(一説に1031年)

1035 レオン王国内にナバル、カスティーリャ,アラゴンの三王国(伯領)が成立.

一説によれば、この頃ナバル王国が東西に勢力を拡大し、ガリシア、レオン以外の北西部全域、およびカタロニアまでを版図に収めた。ナバル王の死後、王国はナバラ王国本体、カスティーリャ、アラゴンの三王国に分割相続されたとされる。

1037 カスティーリャ王フェルナンド一世がレオン王位を継承.アラゴンではサンチョ・ラミレスがラミロ一世として即位.

1072 いったん分離したカスティーリャ・レオン王国がふたたび統合.西方十字軍の支援を受けて、レコンキスタ運動を開始する。

1076 アラゴンがナバーラ王国を併合.さらにカタルーニャ地方への進出を目指す.

1084 北アフリカに興ったベルベル人を主体とするアル・ムラービト朝、モロッコを制圧。

1085 レオン・カスティーリャ連合王国アルフォンソ6世,サラセン勢力に攻撃を開始。タホ川(ポルトガルではテージョ川)以北を制圧し、トレドを占領.カスティリャ軍にはブルゴーニュの騎士団が西方十字軍として参戦。

1086 アンダルシアのイスラム諸国は、モロッコのムラビト軍にイベリア半島への進出を要請。ムラビト軍はサラカの戦いでカスティーリャ軍を壊滅させる。

1092 ムラビト軍、セビ−リャとコルドバを支配下に置いた後、リスボアを制圧。半島南部のサラセン社会に支配権を確立。

1092 既存のイスラム太守の抵抗を抑えコルドバ以南のイスラム世界を再統一。ムラビト朝を開く。

1094 英雄エル・シドがバレンシアを占領.

1094 ブルゴーニュ騎士団のアンリ・ド・ブルゴーニュ、アルフォンソ6世の娘テレサと結婚し、ポルトゥカレ伯を名乗る。現ポルトガル北部のポルトゥカレを領地として与えられる。

1096 第一次十字軍開始.エルサレムを占領し,エルサレム王国を建設.

 

1100年

1106 アル・ムラービト朝がバレンシア、サラゴサを占領.

1114 アル・ムラービト朝,バルセロナまで勢力を拡大.その後本拠地のモロッコをアル・ムワヒド朝に奪われ、勢力を減退。

1118 アラゴン王国アルフォンソ一世,イスラムの北方拠点サラゴサを奪取.

1135 レオン・カスティリャ王アルフォンソ7世,レオンのコルテスで皇帝即位を宣言.

1138 アラゴン王国,カタルーニャの中心地バルセロナを併合.カタルーニャ=アラゴン連合王国の成立.さらにバレンシアとバレアレス諸島に進出。

1139 ブルゴーニュ家のアフォンソ・エンリケス(アルフォンソ7世の従弟にあたる),オーリケでイスラム軍と対戦し勝利.カスティリャ王国の臣下としてポルトガル伯を名乗る.

1143 サモラの協約.イスラム教徒から奪取したガリシアの南部一帯が,ガリシアの自治領からレオン・カスティリャ連合王国内の一王国に昇格.ローマ教皇の仲介をえて、アフォンソ・エンリケスがポルトガル国王アフォンソ1世として承認される.当時の領地はポルトゥカレとコインブラ地方で,リスボア以南はイスラム教徒が支配.

1145 ムラービト朝が崩壊。これに代わりモロッコのアル・ムワッヒド朝がイベリアに進出.一説ではムワッヒド朝軍がイベリア半島に侵入し、ムラービト朝を滅ぼしたとされる。

1147 アフォンソ・エンリケス,イスラムの内紛につけ込み軍勢を南下.ポルトに寄港した英国十字軍艦隊の支援を受けタホ(テージョ)河以北を確保し,リスボンも手に入れる.このあとリスボンがポルトガル最大の都市として発展.

1148 カタルーニャ軍,トルトーサを占領.

1165 ジェラルド・ジェラルデスの率いるポルトガル騎士団が,テージョ川を越えて南へ侵入.現ポルトガルの南端に達する.ポルトガルの勢力拡大を恐れるレオン王国のフェルナンド二世は,アルフォンソ・エンリケスを捕らえ,戦線拡大の中止を命じる.

1167 アラゴン王アルフォンソ2世,南仏プロバンス地方に進出.

1188 レオン王国の最初の議会(コルテス),レオン市で開催

1191 アルモハッド帝国,ポルトガルへの反撃を開始.テージョ川まで進出.レオン王国はポルトガルを支援して戦争に介入.ほぼ現在のスペイン・ポルトガル国境線の位置までイスラム側を押し返す.

1193 イギリスとのあいだで交易協定が結ばれる。またポルトガル商館がフランドルのブルッへ(ブリュージュ)に設置される。ワイン・乾果(干し葡萄・干し無花果・アーモンドなど)、蝋・塩・コルクなどが輸出され、各種の繊維製品・武器・装飾品などが輸入されていた。

1195 アラルコスの戦い.ムワッヒド軍がカスティーリャ軍を破る。さらにマドリード、トレドに攻撃を加える。

 

1200年

1200年頃 イスラム教勢力に対する脅威を感じたキリスト教諸国家は、カスティーリャ王国を中心にキリスト教連合軍を結成。ヨーロッパの第4回十字軍結成を期に、その支援を受ける。

1212 スペイン南部ラス・ナーバス・デ・トロサの戦い.「ナバラの剛勇王」サンチョ7世率いるカスティリャ、アラゴン、ポルトガルのキリスト教徒連合軍がムワヒッド軍をうち破る.この後ムワヒッド朝は内部矛盾により急速に衰退。

1214 カタルーニャの最初の議会,レリダで開催.

1216 ドミニコ修道会が公認される.

1230 カスティリャ王国,レオン王国を併合.フェルナンド三世が即位.

1232 グラナダのナスル朝(太守領)がムワヒッド朝より分離創設される。

1236 カスティリャ王国のフェルナンド三世,南進を開始しコルドバを征服.

1238 アラゴン王国,バレンシアを征服.

1246 ムルシア、カルタヘナ、ロルカがあいついで陥落。グラナダのナスル朝(正確には太守領:Emirate)、カスティーリャへの臣従を誓う。

1247 アラゴンの最初の議会,ウエスカで開催.

1248 カスティリャ王国,セビリアを征服.アンダルシア地方の土地は貴族に分配され、ラティフンディオが形成される。

この後カスティーリャ軍は51年にはジブラルタルまで到達し、実質的にはレコンキスタを完成。イスラム勢力はなお250年にわたりグラナダに残る。

1248 サンティアゴ,カラトバ両騎士団がサラセン人を追い、ポルトガル南岸アルガルヴエ地方に達する.最後のイスラーム都市ファロを征服。ほぼ現在の版図を確保.アフォンソ三世がポルトガル王に即位.リスボンを首都と定め,振興を計る.

1260 カスティージャ王国軍、ジブラルタル海峡を渡りモロッコへ侵攻するが、マワヒッド朝に代わるマリーン朝軍の反撃を受ける。

1263 ポルトガルとカスティリャの国境確定.アルガルベ地方がカスティリャに帰属することとなる.ポルトガルはこれと引き替えに完全な独立を承認される.

1265 バルセロナ市で「百人会議」創設.

1267 カスティーリャ、アルガルベへの領有権主張を取り下げる。ポルトガルの領土がほぼ確定。

1273 メスタ(移動牧畜業者組合)の設立.羊毛生産権の独占を認められる.

アンダルシアのような乾燥地帯で羊の放牧をやれば最悪の結果をもたらします。森林が伐採され牧場となることによる環境破壊、さらに羊が草の根まで食いつぶすことによる環境破壊。最後にもたらされるのは砂漠化でしかありません。かつてコルドバだけでも100万といわれる人口を支えた豊かな大地は、いまや見る影もありません。

1284 シチリア島民がフランスの圧制に抗議して蜂起。アラゴン王国がフランスの後退に伴いシチリアを併合.

1288 コインブラにポルトガル最初の大学が創設される.ポルトガル語が公用語に定められる.

1290 ジュノヴァ人ヴィヴァルディ兄弟、アフリカ南端を迂回してインドに航海する計画を立てる。(失敗に終わる)

1293 北欧と取引する商人に対して海上保険制度が作られる。

1295 ポルトガルとカスティリャとのあいだで戦争状態となる.ポルトガルのディニス王はアラゴンと同盟し,カスティリャの反国王派を支援.

1297 カスティリャ内戦終了.反国王派が勝利.カスティリャからふたたびレオン王国が分かれる.ポルトガルは北部に領地を拡大.

 

1300年

1308 コインブラ大学が創立される.

1317 ディニス王、海賊対策のため海軍を創設。ジュノヴァからエマヌエレ・ペサーニョを世襲提督として招く。

1323 アラゴン王国,シチリア島に続きサルディニア島を併合.

1337 百年戦争が始まる.

1340 カスティージャ軍とマリン王朝の支援を受けたサラセン軍がアンダルシアのサラドで戦闘.カスティージャ軍の勝利に終わる.

1347 ヨーロッパで五年にわたるペストの大流行.

1348 イベリア半島をペストが襲う.10月からの三ヶ月で人口の1/3が死亡したといわれる.その後1458年まで数次にわたり,ペストの流行.

1348 黒死病によってポルトガルの人口は3分の1に激減。経済不況は15世紀末まで続く。農民不足となって耕地の放棄が起こり、飢えに苦しむ貧民は食料を求めて都市に集中し、社会不安が醸成される。

1367 フェルナンド1世が即位.69年から82年までのあいだに,三次にわたるカスティリャとの戦争.

1369 カスティーリャのペドロ一世が暗殺される.エンリーケ二世のトラスタマタ朝成立

1373 カスティリャ軍,ポルトガルに侵攻.リスボン城壁外に迫り,略奪を重ねる.ポルトガル艦隊はほぼ壊滅.

1382 戦争で敗れたポルトガルは,カスティリャの事実上の属国となる.

1383 ポルトガル王フェルナンド一世,死亡.レオノール女王がカスティリャ王を後ろ楯として即位。専制政治を始める。その失政を非難し,カスティリャの干渉に抗議する民衆反乱が発生.リスボンやポルトのブルジョアジーに支持されたアヴィス騎士団のドン・ジョアンが権力を掌握.

1384 ポルトガルの併合を狙うカスティリャ軍が侵入.リスボンを4ケ月にわたり包囲するが攻略に失敗.

1385 カスティリャ軍,ふたたびポルトガルに侵入.コインブラでコルテス(身分制議会)が開かれる。前国王の異母弟でアヴィス騎士団長のドン・ジョアンがジョアン1世に選定される。

1385 英国ランカスター公の支援を受けたポルトガルの騎士団は,アルジュバロタ(Aljubarrota)の闘いでカスティリャ軍を撃退.その後,ジョアン1世が即位しアヴィス王朝を開く.

1386 ポルトガルと英国,永久同盟を内容とするウィンザー条約締結.ジョアン一世はランカスター家のフィリッパと結婚.

1391 セビリヤで反ユダヤ暴動(ポグロム)勃発,ユダヤ人4000人が殺害される.ユダヤ教徒は集団でキリスト教徒に改宗.

1393 カスティリャ軍がカナリア諸島の調査に入る。このころ、イベリア半島で最初の快速小型帆船(caravels)が建造される。

 

1400

1409 アラゴン連合王国、サルディニアとシチリアの支配権を獲得。

1410 アラゴン王国のマルティン一世が死去。後継者がいなかったことから王位が空白となる。

1411 南方進出を目指すポルトガル,ドン・エンリケ(航海王子ヘンリ)に管理を委ねる.エンリケはジョアン一世の三男。実際にはドン・エンリケは,航海よりもモロッコ進出に執着していたという.

1412 カスペでアラゴン王位継承者選定会議の開催.トラスタマラ朝が開始される.フェルナンド・デ・アンテケラ一世が即位。

1415.8 ポルトガルのジョアン一世,200隻、兵士5万人という大艦隊を送り,北アフリカの商業都市セウタ(Ceuta)を占領.戦闘に際しては、エンリケが勇名をとどろかせる。

1416 アラゴンのフェルナンド一世が死去。フアン二世が即位。

1419 ポルトガルの遠征隊(ジョアン・ゴンサルベス・サルコ,トリスタン・テイシェイラ,バルトロメウ・ペレストレロ),カスティリャからマディラ諸島を奪取.

1419  ポルトガル人がマデイラに入植。サトウキビがシシリア島からマデイラ島に移植される.

1420 エンリケ、クリスト騎士団の団長となる.莫大な権益を手に入れる。

1420 カスティーリャでドン・アルバロ・デ・ルナが執政となる。

1424 ポルトガル人、カナリア諸島に進出。

1427 ポルトガル人、アゾレス諸島を発見し領有を宣言。

1433 マデイラ諸島がエンリケに譲渡される。エンリケは殖民を奨励。

1434 航海王ドン・エンリケの派遣したジル・エアネス,アフリカ西海岸を南下して,ボジャドル岬を越える.

1435 ジル・エアネス,北回帰線を通過しリオ・デ・オーロに到達.金を入手することに成功.

1435 アラゴン王国,ナポリの王位継承問題に干渉.アンジュー家(フランス)と争う.

1436 ローマ教皇,カスティリャにカナリア諸島の領有権を認める.ポルトガルはこの裁断を拒絶.

1437 ポルトガル,モロッコのタンジールに遠征,大敗北を喫する.

1438 タンジールの敗北をめぐり主戦派と撤退派の内戦.サンチアゴ騎士団のドン・ペドロが摂政として実権を握る.

1439 モーリタニアに遠征したアンタン・ゴンサルヴェス,最初の黒人奴隷を連れ帰る.奴隷はリスボンの市場で取引される.このほか金,スパイスなどの海運業が始まる.

1440

40 ポルトガル,アゾレス諸島を発見.大西洋上の諸島での砂糖栽培が始まる.

40 この頃ガレオン船に代わる新式の外洋船としてカラベル船が登場.大きな三角帆と複数のマスト,船尾固定式の舵を持つ比較的小型のスマートな船で,風上に向かって斜めに進むことができ,安定性がよく速力も速くて,外洋探検航海に適していた.

41 ヌノ・トリスタン,北緯21度のブランコ岬(現モーリタニア領)に達する.

41 リスボンとマドリードに最初の奴隷が持ち込まれる.

42 航海王エンリケ,アンタン・ゴンサルベスの連れ帰ったムーア人をアフリカに戻す.ムーア人は砂金と引き換えにアフリカ人奴隷10人を獲得.

43 アラゴン王国,フランスとの七年にわたる闘いの末,ナポリの支配権を獲得.アラゴン王がナポリ王国の王位を兼任することとなる.

43 ボジャドール岬以南の海上交易の独占権が、エンリケに譲渡される。

44 ポルトガル,アフリカ大陸最西端ベルデ岬に達する.アルガルヴェで奴隷輸入会社を創立.6隻の船でモーリタニアに上陸.現地人との取り引きで235人の黒人奴隷を獲得.

45 ポルトガル人、アゾーレス諸島に進出。本格的な植民は69年代以降といわれる。

48 アフォンソ5世,ドン・ペドロを放逐し,親政を開始.ドン・ペドロは翌年闘いに敗れ死亡.

1450

50 マデイラで砂糖生産が盛んとなる.このころ住民は800家族を数えたといわれる.

53 コンスタンチノープル陥落.ビザンチン帝国は崩壊.オスマントルコはバルカン半島を支配し,さらに西方進出を狙う.ヨーロッパ諸国はオスマントルコを経由しないアジアとの交易路をもとめる.

54 エンリケ四世,カスティリャ国王に即位.優柔不断な性格から「不能王」というあだ名を与えられる.

55 大勅書ロマネス・ポンティフェクス発表.法王ニコラス五世,ポルトガルに対し,バジャドル岬以南のサラセン人と戦い,これを奴隷とする許可を与える.アフリカでの発見と征服の権利をポルトガルが独占することとなる.

55年 エンリケ、アルガルヴェのラゴスにアフリカ交易所を設置する。

55 現モーリタニアのアルギン島にサハラ以南のアフリカで、最初のポルトガル商館が設立される。

56 マデイラ産の砂糖が英国のブリストルに到着.英国人は砂糖の味を始めて体験する.エリザベス女王の歯は砂糖の取りすぎでぼろぼろになったといわれる.

56年 リオのフランシスコ会司祭アンドレ・テヴェ,ヨーロッパにタバコを持ち込む.スペイン,ポルトガルで観葉植物兼「医薬品」としてタバコの栽培が盛んとなる.

57 ポルトガル、アフリカから得た金を元にクルザド金貨の鋳造を開始。

57 ポルトガルのアルヴィーゼ・カダモト探検隊,カボ・ヴェルデ諸島を発見.

1460

60 ポルトガル,シエラレオネに達する.

62 カタルーニャでレメンサ農民組合を中心とする農村部の反乱.

67 ガリシアでイルマンディーニョスの反乱.

68 ポルトガル王室,アフリカ海岸の探検をリスボンの商人フェルナン・ゴメスに委ねる.

68年 カスティリャ王国の王位継承権をめぐり紛争。国王エンリケ四世は娘のフアナ王女を継承者と主張。これに対しトレド大司教ら反国王派は、異母妹イサベルを王位継承者に指名。フアナ王女は,王妃の不義により生まれた娘とされる.不義の相手としてベルトラン・デ・ラ・クエバとうわさされ、娘には「ラ・ベルトラネッハ」のあだ名がつけられる。

68年9月 カスティリャの王位継承権をめぐる紛争が終結。エンリケは和平の条件としてイサベルの継承権を受け入れる。

1469

3.05 イサベル,アラゴンのフェルナンドとの結婚を決断。セルベーラで婚約文書に調印。フェルナンドに第二位の序列をあて、カスティリャでの居住を義務付ける。国内の親仏派や親ポルトガル派はいっせいに反発。

10月 イサベル,マドリガルの居宅を脱出。反対派の本拠地バリャドリッドに入る.

69.10.19 カスティーリャ王国のイサベル王女(18)とアラゴン王国のフェルナンド皇太子(17)が、バリャドリッドで挙式.

1470

71 ポルトガル,10年余りの戦闘の末,タンジールの確保に成功.

71 ジョアン・デ・サンタレンの探検隊,ガーナ(黄金海岸)のアクラに到達.サンジョルジェ・ダ・ミナ(エルミナ)城塞を建設.スーダンの金を取引することに成功。

71 フェルナンド・ゴーメスは奴隷海岸のサン・ジョアン・バティスタ・デ・アジアュダに商館を置いて、小麦、織物、衣類、毛布などと交換して金、奴隷や象牙、マラゲタ胡椒(唐辛子)を取得する。ギニア湾岸はその交易品から、胡椒海岸(現リベリア)、象牙海岸、黄金海岸(現ガーナ)、奴隷海岸(現トーゴとダホメ)などと名づけられることとなる。

73 ポルトガルのゴンサルベス,赤道を越えて南方アフリカに進出.

74.12.11 カスティリャ国王エンリケ4世が死去。イサベルがカスティリャ女王に即位.宮廷内の反アラゴン派はフアナにつきイサベル追い落としを図る。

74 フィレンツェ人医師パオロ・ダル・ポッツォ・トスカネリ,地球の大きさを過少に計算.西回り航路が希望峯経由より短い距離でアジアに到達できると主張.これに影響を受けたリスボン大聖堂のフェルディナント・マルティンス司教は,ポルトガル王アフォンソ五世に西回り航海を進言.コロンブスもこのトスカネリ説に影響を受ける.

74 バレンシアに印刷術が持ち込まれる。

75.5 エンリケ前国王の娘フアナ、ポルトガルのアフォンソ5世の支持を受け王位を要求。新カスティリャ地方とアンダルシア地方、さらに旧カスティリャの一部もフアナにつく。

75 アフォンソ5世,イサベルの王位継承に反対し干渉.2万の軍を投入し5年間にわたり軍事干渉を続ける.一時レオン地方を支配下におさめる.イサベル側はフェルナンドが陣頭指揮し、アラゴン軍を総動員して対抗。

75 ポルトガルの開拓最前線,シエラ・レオネに達する.カポ・ベルデとフェルナンド・ポー,サントメに前進基地が建設される.

1476年

3 トロでポルトガルとカスティリャ=アラゴン連合軍の衝突.フェルナンドの指揮する連合軍の勝利に終る.

5 コロンブスの乗っていたジュノアの船が,ポルトガル南部のサン・バンサン岬沖で海賊Guillaume de Casenoveに襲われ難破.コロンブスはポルトガルに漂着.

9 コロンブス,陸路ラゴスからリスボンに移動.当地在住の弟バーソロミューらジュノア商人と大西洋交易のビジネスを始める.

12末 コロンブス,ふたたび英国,オランダへの航海を開始.

78 異端審問所がカスティーリャに創設される。

78−79 コロンブス,ジェノバ人商人の依頼でマディラまで砂糖買付けの航海.

79.9 アルカソバス停戦合意成立.カスティーリャの王位継承をめぐるポルトガルとの抗争解決.ポルトガルはカスティリャの王位に対するすべての権利を放棄.その代償として,アゾレス諸島、 Cape Verdes、マデイラを確保。またヴェルテ岬以南のアフリカ大陸に将来征服される陸地や島の領有権がポルトガル国王に属することが定められる.

79年 アラゴン国王フアン二世が死去。フェルナンド,アラゴン連合王国の国王フェルナンド2世に即位.カスティリャ=アラゴン連合がエスパーニャ王国として合同.この年をもって一般的にはスペイン統一の年とする.ただし両国は,その後も別々の統治機関,議会,税制,貨幣などを維持.

1480年

3.06 トレド平和条約調印.両国の国際的権利確定.ポルトガルはアソーレス,マディラ,ベルデ岬,ギネアの権利を獲得.カスティリャ王国はカナリア諸島を確保.アフォンソ5世は、西アフリカ事業を王室の独占とすることを宣言。権益をジョアン王子に譲渡。

9.17  セビリヤに異端審問所設置.初代所長はトルケマーダ.その後セゴビア,アラゴンにも設置.

81 レコンキスタノ最後となるグラナダ戦役開始.イサベルが資金・軍隊の調達に当たり,フェルナンドが前線に立つ.

81 アフォンソ五世死去.ジョアン2世即位.ポルトガルはレコンキスタに背を向け海外進出に邁進.

81 スペインで最初の異端審問がおこなわれる.

81 ポルトガル人ディオゴ・デ・アサンブハが率いるポルトガル艦隊カラベル船10隻、ナウ船2隻に兵士約500人、建築工約100人を動員し、黄金海岸のミナ・ド・オウロに進出。奴隷交易の基地としてサンホルヘ・ダ・ミナ要塞を建設.後に奴隷交易基地エルミナ(のちのベニン)として悪名を残す.

82年 ジョアン2世、金の取引を国王独占とする。これに伴いアフリカ交易所もリスボンに移され、インド・ミナ商務院と改称される。

82 ディオゴ・カンの探検隊,アンゴラ・ナミビアまで到達.別の探検隊はコンゴに達し,バコンゴ王国と接触.

82 ポンセ・デ・レオン,グラナダ近郊アルアナの砦を攻略.

83 王位についたジョアン二世,最大のライバルであるブラガンサ公とヴィゼウ公を殺害,下級貴族を官職に登用し,絶対王政の実現を図る.

83 異端審問所を設立.初代所長にトルケマーダ.

83 クリストファ・コロンブス、ジョアン2世に航海への援助を要請。提案は却下され、コロンブスはスペインに去る。

84 ポルトガル,アンゴラのクロス岬に到達.

84年 バルトロメ・デ・ラスカサス、セビリアに生まれる。

85 ポルトガル,コンゴ王国のマニコンゴ王と国交を樹立.

86 アフリカのベニン王国,ポルトガルとの通商を開始.奴隷の狩集めに精を出す.

86 ポルトガル王室,リスボン奴隷局を設置.奴隷商人に貿易許可証を発行する.

86 インドのガウル王国で黒人奴隷が反乱.自らの指導者を王位につける.

87 ペロ・ダ・コビリャンら,陸路アデンに到達.さらにインドまで足を伸ばす.詳細な報告を本国に送る.アフォンソ・デ・パイヴァはアデンから東アフリカを探検.

1488年

2 バルトロメウ・ディアスのひきいるポルトガル船団,喜望峰を越えて東方に進出.インド洋岸のクワイフックに到達.

12 ディアスの船団,希望峯を越えた後帰国.コロンブスはポルトガルに西回り航路開拓の意思がないことを知り,ジョアン二世の慰留を振りきり,スペインに移る.

90 サントメで砂糖栽培が開始される.労働力はベニン王国からの黒人奴隷でまかなわれる.

91.11.25 グラナダのナスル朝(モーロ人),エスパーニャに降服.

91 スペイン人,カナリア諸島で砂糖栽培を開始.

コロンブスのアメリカ発見

1492年

1.02 グラナダ,無血開城.イスラム教徒最後の拠点が陥落しスペイン統一達成.

3.31 ユダヤ人追放令.カスティーリャとアラゴン,4ヶ月以内に領内から異教徒ユダヤ人を追放すると宣言.その後,16万人以上のユダヤ人がポルトガルや新大陸に逃避.全ユダヤ人の3分の2〜4分の3といわれる.さらに5万人がキリスト教徒に改宗.

4.17 コロンブスとカトリック両王のあいだにサンタフェ協定.コロンブスは大洋提督に任命され,発見された陸地における副王,総督の地位を獲得.発見された利益の十分の一の取得権を得る.

10.12 アラゴン王フェルナンドとカスティージャ女王イサベル一世が,エスパーニャ両王となる.

1493年

5.4 ローマ法王アレクサンデル6世は,キリスト教の布教と引き換えに,スペインが発見した陸地と島々をスペインに永久に贈与し,譲渡するとする「贈与(インテル・ケテラ)大勅書」を発布.アゾレス諸島とベルデ岬諸島西方100レグアの子午線をスペインとの境界線と定める.

9 法王,「ドゥドゥム・シクイエム」教書を発布.スペインにインドへの航海権を認めるなど,全面的にスペインを支持する立場を明らかにする.

9.25 コロンブス,17隻千5百名の船団をひきいカディスを出港.第2回航海開始.ラスカサスの父も遠征に参加.コロンブスはこのとき,砂糖ときゅうりをサントドミンゴに持ち込む.

1494年

6.7 スペイン両王がスペイン北西部の町トルデシーリアスで会談.スペイン・ポルトガル間に条約締結.アゾレス諸島およびケープ諸島西方370レグア(西経50度)に線を引き,以東をポルトガルへ以西をスペインへ分割することで合意.イサベラとフェルナンドは教皇から「カトリック両王」の称号を授けられ,新大陸と北アフリカへの布教の任を委ねられる.

94 フランス,ナポリの宗主権を要求しイタリア侵入.以後65年にわたる闘いとなる.

1495年

10 故国に戻ったマルガリートらはコロンブスを誹謗.スペイン政府は元植民者ホアン・デ・アグアトを,行政視察官としてエスパニョーラ島に派遣.

1496年

96年 スペイン,カナリア諸島を占領.新大陸への中継基地となる.カナリア諸島はアルカソバス条約の例外となっていた.

96 ポルトガルでユダヤ人の追放.のちに強制改宗政策に変更.

1497年

5.10 フアン・ディアス・デ・ソリスの船隊,カディス港を出発.東洋への出口を求め,コスタリカ付近に到達.北上してチェサピーク湾にいたる.

7.07 バスコ・ダ・ガマ,3隻の船でリスボンを出港.

11 バスコ・ダ・ガマ,喜望峰を越える.

12.25 ポルトガルのマヌエル一世,十ヶ月以内にユダヤ教徒を追放する勅令.ポルトガル・ユダヤ教徒の大部分がカトリックに改宗.改宗を拒んだユダヤ人は,オランダ,ブラジル,カリブ諸島などへ移住.

12.25 バスコ・ダ・ガマ,喜望峰を越えナタールに到達.

97 ポルトガル,セウタ東方の町メリーリャを占領.

1498年

4 バスコ・ダ・ガマの船団,ケニアのモンバサ近郊マリンディに到達.キリスト教徒のアラビア人水先案内人アーメッド・イブン・マージドを雇う.

5.30 コロンブス,第三次航海に出発.ラスカサス,第三次航海に参加し新世界に渡る.

5.20 バスコ・ダ・ガマ,インドのカリカットに到達.99年9月に帰国.

1499年

5 コロンブスの原住民虐待を憂慮するイサベル女王,フランシスコ・デ・ボバディーリャをインディアス総督(コメンダドール・マヨール)に任命.

5.16 アロンソ・デ・オヘダ,独自の探検隊組織を申請.宮廷はコロンブスとの契約を裏切り,オヘダに勅許を与える.アメリゴ・ベスプッチを水先案内人とする船団を編成したオヘダは,ティエラ・フィルメを進み,マラカイボ湖畔を小ベニス(ベネズエラ)と命名.この航海で大量の真珠を入手する.

99 フランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロス,グラナダで苛酷なカトリック押しつけ政策を強行.これに反対するモーロ人は「アルプハラスの暴動」を引き起こす.

 

1500

1500年

6.20 イサベラ女王,「エスパニョーラ島のインディオがエスパーニャ王の自由な臣下である」と宣言.金鉱での採掘のため先住民を酷使することを禁止.

8 カブラル,インドに到着.

00年 カルロス一世誕生.グラナダ条約締結.スペインとフランスがナポリ分割に関する合意.

1501年

01 スペイン,ローマ法王より十分の一税の受益権と聖職者任命権を与えられる.

6 カブラル,リスボンに帰還.

1502年

2.02 スペイン国内のイスラム教徒ムーア人に対して,改宗か追放を強要する王令.これによりカトリックによる国内の宗教的統一が達成される.

1503年

1.20 セビリアに通商院設置(貿易移民庁)を設置.移住,関税,輸送船団の派遣,海洋研究,植民地の商業関係の法廷,税の回収など広範な機能を付託される.

5.14 スペイン軍,フランス軍を破ってナポリに進む.

12.29 スペイン,ナポリ王国を制圧.

03年 インディアスから金の流入始まる.

1504年

2.5 新大陸の植民者に5分の1税を課する王室令発布.

6.18 アメリゴ・ベスプッチ,「4回の航海においてあらたに発見せる陸地に関する書簡」と題する詳細な報告を作成.ヴァルトゼーミュレルの紹介により世界的な反響を呼ぶ.

11.7 コロンブス,失意の連続のうちに第4回航海より帰国.以後国から出ることなく死亡.

04年 イサベルが死去.フランドルの宮廷に嫁いでいた次女フアナが継承者フアナ一世となる.アラゴン王フェルナンドは後見として権限を掌握.ただしフアナは精神疾患のため統治能力を欠いていた.

04年 スペイン,ナポリを中心とする南イタリア地方を征服.オスマントルコと対峙.

05年 フランシスコ・アルメイダ、インディアの初代副王となる。駐留艦隊の司令官を兼ね、役人や軍隊に対する支配権が与えられる。

05 フェルナンド王,エスパニョーラ島のオバンド総督に鉱山労働者として黒人奴隷17人をおくる.

1506年

5.20 コロンブス,バリャドリで死亡(54歳).弟バルトロメと息子のディエゴ,スペイン王室がコロンブスの持つ権限を縮小したことに異議を申立てる.

1507年

4.27 "Cosmographiae Introductio"が発行される.新世界に対して初めてアメリカの呼称が用いられる.

07年 アルブケルケ、インドの第2代総督に任命される。(副王と総督の区別は任命される者の身分による呼称で、その権限は同じとされる)

07年 ポルトガル,モロッコのザフィを占領.捕らえたムーア人,ベルベル人,ユダヤ人を奴隷として売買を開始.アフリカ人奴隷と区別し「白色奴隷」と呼ぶ.

1508年

08 スペイン,法王よりインディアスにおけるすべての教会の建設権を与えられる.フェルナンド国王,ブルゴスに会議を召集.西回りの香料諸島への航路探索を決定.

08 イサベル女王の聴罪師でトレドの枢機卿フランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロス,フランシスコ会の改革をめざしアルカラ・デ・エナレス大学を創設.

1509年

09 スペイン,北アフリカのオランとブヒアを征服.

09 インドのディウ沖でポルトガルとイスラム連合の艦隊戦.闘いに勝利したポルトガルが,紅海とペルシャ湾、インド洋の覇権を獲得.

1510年

11 ドミニコ派,エスパニョーラ島に上陸,原住民の救済運動を開始.この頃原住民は,苦役と伝染病でつぎつぎに絶滅.

10年 ポルトガル,インドのゴアを占領.インド副王領を開く。胡椒の産地・集散地ゴアとマラッカに相次いで商館を建設。毎年6-7隻の船が喜望峰を経由してインドに渡り、年間1500-2000トン前後の香料を、ヨーロッパに持ち帰る。リスボンは空前の繁栄、ヴェネツィアは香辛料の流入が止って大きな打撃を被る。

1511年

11年 ラスカサス,原住民に重労働は不可能とし,アフリカ黒人を奴隷として輸入するよう進言.

11年 ポルトガル,マラッカ(現マレーシア)に要塞を建設.ジャワ,スマトラに進出し、インドシナおよび香料諸島へのルートを開く

1512年

12.27 植民地の統治を定める30条からなるブルゴス法公布,原住民に勧降状(レケリミエント)を認めさせ,キリスト教への帰依を義務付ける.

12 フェルナンド,ナバラ王国を占領しカスティリャ王国に併合.ポルトガルを除くイベリア半島の「スペイン王国」領域が一体化.

12 法王と組んだスペインが,北イタリアからフランス軍を駆逐.

13 ポルトガル王室,アフリカとブラジルとの奴隷貿易に最初の許可証を発行.

13 ポルトガルのジョルジェ・アルバレス,海路,中国に達する.

14 ポルトガル,モロッコ沿岸のアガディル,モガドル,サフィン,アザモル,マザガンなどを次々に制圧.モロッコ海岸の支配権を獲得.

15年 ポルトガル、ホルムズ湾を制圧。

カルロス一世の時代

1516年

1.23 カスティーリャ=アラゴン両王フェルナンド五世死去.シスネーロスが摂政として国政を司どる.ラスカサスの要望を容れ,原住民虐待の実態調査団を派遣.

5.30 フェルナンド五世の外孫にあたるハプスブルク家のカールが,スペイン国王カルロス1世として王位を継承.ブリュッセルで即位宣言.カルロスはフランドルの出身で,オランダにも広大な領地.

1517年

3.11 西仏間に相互不可侵条約締結.イタリアの支配権を巡り合意成立(ノワイヨン条約).スペインはナポリを,フランスはミラノを支配することととなる.

18年 ポルトガルの国運が最高潮を迎える。国家財政の6割が海外からの収入となる。アジアの香料とミナの金だけで全歳入の51パーセントを占める。

16世紀前半のインド洋交易船の航程: 毎年3月か4月、約7隻の船から成るインド船団がリスボンのレステロを出港。8月後半から9月前半にインド西海岸に到達する。香料を満載した船は1月ころコーチンを離れ、6月中旬から9月上旬までにテージョ川河口に入港した。往復1年半を要する長い航海であった。本国を出航した船の約20パーセントすなわち5隻のうち1隻が難破したとされる。

1519年

6.28 スペイン国王カルロス1世,関係国の一致した推挙により神聖ローマ帝国皇帝カルル五世に選出される.ネーデルランドはスペインの支配下に入る.

8.10 ポルトガル人マゼラン(フェルナン・デ・マガリャンエス),カルロス1世の後援を得て世界一周航海を開始.5隻の船団265名でサンルーカルを出港.トロ・デ・オロの下を通ってセビリアを後にする.

19年 バレンシアでヘルマニーアスの反乱が発生.まもなくセゴビア,トレド,レオン,ブルゴスなど15主要都市に拡大。コムネロスの反乱と呼ばれる.3年にわたり続く.

1520年

7 コムネロスの反乱、ユダヤ系の都市ブルジョアジー(コムニーダス)を中心に次第に急進化.反外国人主義から次第に反専制主義の性格をもつようになり.貴族をも攻撃するに至る.カタロニアではギルド同盟の反乱が発生.

10.23 カルロス1世,神聖ローマ皇帝に即位しカルロス5世と称する.財政のバックは西南ドイツの巨商,とくにフッガー家にゆだねられる.フッガー家は新大陸(ベネズエラ)に投資する.

1521年

4.23 ビジャラール・デ・ロス・コムネロスのたたかい.国王軍に敗北したコムネーロスは四散していく(戦いは22年まで続く).この結果都市住民の自治は弱まり,国王の絶対主義支配確立.

7 フランスとスペイン(ハプスブルク),北部イタリアとフランドルの支配をめぐり戦争状態に入る(イタリア戦争).闘いは20年以上に及ぶ.

21年 ウォルムスで神聖ローマ帝国議会,マルチン・ルターを召喚.新教に対する弾圧の開始.

1522年

1.30 ブリュッセル協定スペインとオーストリアのハプスブルク家が分離.

22年 ポルトガル、丁字や肉豆蒄の産地であるマルク(モルッカ)諸島のテルナテ島に進出。

23.7 カルロス1世,バリャドリ議会を召集.コルテスの覇権に対する警戒がひろがる.

24.8.1 インディアス会議,国王直属下のインディアス枢機会議(コンセホ・デ・インディオス)に昇格.以後3百年にわたり植民地経営を一手に集中,LA統治の最高機関となる.

24 ドイツ農民戦争勃発.西欧旧体制の動揺.

25 フランス軍とスペイン軍,パビアで激突.フランス軍は大敗を喫し,フランソワ一世が捕虜となる.

26.1.14 フランソア一世,ミラノ,ジェノヴァ,ブルゴーニュを放棄するマドリード条約を締結したうえで解放される.

26年  キリスト教徒のコンゴ王ムベンバ・ヌジンガ(Mbemba Nzinga),ポルトガル王ジョアン3世に抗議.「奴隷商人が毎日わが国民を連れ去っている.貴人の息子であろうと,私の親類・縁者であろうとお構いなしだ.このままではわが国が無人の地になってしまう」

29 スペインとフランス,カンブレー和約.スペインがイタリアでの覇権を確立.

29年 ヌーノ・ダ・クーニヤがインディア総督に就任。総督府がコチンからゴアに移設される。アウディエンシア、カビルド、大司教府、異端審問所などが置かれる。

29 オスマントルコ軍,ウィーンを包囲.

30 シュマルカルデン同盟.新教徒諸侯がカトリックに対抗して結束.

31 皇帝,ネーデルランドにおける新教を禁止.新教諸侯の反抗を招く.

32 インディアスからの銀の輸入激増.ヨーロッパの価格体系が破壊される.

34 イグナチウス・ロヨラら,宗教改革に抗してイエズス会を創設.

36 ポルトガルに異端審問所(Inquisition)が創設される。

37 ローマ法王,インディアンも人間であり,カトリック信仰を理解する能力を持つと宣言.

38年 オスマン帝国がアデンを征服。紅海交易ルートは再開され、香辛料は地中海に再び流れ込むようになり、ポルトガルの独占が崩れる。

39 カルロスの子フェリペ,スペインの摂政に命ぜられ,わずか一二歳で政務に就く.

40 再びペストが猛威を振るう.各地で労働者の不足から飢饉が発生.激しいインフレが進む.

41 ポルトガル,農業労働者として黒人奴隷の使用を許可する.以後ポルトガル農業は急激に衰退.

42.11 カルロス1世,インディオの人口激減に憂慮しインド新法公布.征服者のエンコミエンダ所有を厳しく制限.

42 ポルトガル船が日本に到達。

43 セビリャに新大陸貿易の商人ギルド(コンスラード)創立.

43 フェリペ皇太子,ポルトガル王室の娘でいとこのマリアと結婚.2年後にマリアは死亡.マリアを含めフェリペは4人の妻を娶るが,いずれも早世.

43 難破したポルトガル船,種子島に漂着.鉄砲が日本に伝えられる.

45 トリエントの公会議開催.

46 神聖同盟とドイツ新教諸侯のシュマルカルデン同盟とのあいだの戦争勃発.

47.7 ミュールベルクのたたかい.シュマルカルデン軍はアルバ公率いる皇帝軍に敗北.

48 フェリペ皇太子,3年間にわたりイタリア,ドイツ,オランダを歴訪.

1549年

49 イエズス会のフランシスコ・ザビエル,鹿児島に上陸.日本にキリスト教を伝える.

49 フランドルのブルッヘに置いたポルトガル商館、アジアの産品が地中海経由で流入し始めたことから破産。

50 ポルトガル,モロッコ人の反撃を受け,海岸沿いの植民地から次々に撤退.セウタ,タンジール,マザガンのみを確保.

50.8.15 ラスカサスと神学者デ・セプルベダとのあいだに「バリャドリー大論戦」.

50 この頃,リスボン人口の1割を黒人奴隷がしめる.

50年 この頃イベリア半島に喫煙の習慣が持ち込まれる.

53 メキシコにサンパウロ大学創立.72年にはリマにもサンマルコス大学.

53 テューダー家のメアリ1世,英国王に即位.カトリック再興をはかり新教徒多数を虐殺したことから「血まみれメアリ」と呼ばれる.

55 スペインのフェリペ王子,英国のメアリ1世と結婚(二回目).フェリペは130隻の無敵艦隊を従えサザンプトンに上陸.

55 アウグスブルクの和議成立.ルター派に限り新教が公認される.カルバン派(ユグノー)にはこのあとも弾圧が続く.

1556年

1.16 カルロス一世,スペインに戻った後,退位(58年死去).息子のフェリペ王子が王位継承しフェリペ2世を名乗る.妻はイギリス女王メアリ1世.神聖ローマ皇帝には叔父でオーストリア・ハプスブルクのフェルディナンド一世が就任.フェリペはイギリスを離れ,スペインにも戻らず,フランドルの統治に専念.

56 スペイン,フィリピンを征服.

57.1 スペイン王室,銀行に対する支払い停止.実質上の破産.植民地に対する収奪強化に乗り出す.

57年 サン・カンタンの戦い.スペインがフランス軍をうち破る.

58.11 メアリ1世死去.新教徒に同情的なエリザベス女王が即位.カトリックに代わり国教会の復興に力を入れる.封建貴族に代わり登用されたジェントリーたちは,積極的な海外発展策をとり毛織物輸出に力を注ぐ.ロンドンの「冒険商人団」が急速に台頭.

1558 フェリーペ二世,外国からの書物の輸入,外国への留学を禁じる.禁書目録を作成.

59.4.03 フランスとのあいだのイタリア戦争に勝利.カトー・カンブレジ条約,フランスに対して,イタリアの権益を全面的に放棄させる.フランスはシャルル8世以来の征服地の大部分を失う.フェリペ二世,休戦協定に基づき,アンリ二世の娘エリザベスと結婚(3回目).ネーデルランドからスペインに戻る.

61 スペイン国王フェリペU世が宮廷をマドリードに移す.始めてスペインの首都が確定.

62 フランスでギーズ公フランソワによるバシーの虐殺.半世紀にわたるユグノー戦争始まる.35年にわたり続く.新教徒は本国を逃れ海外進出をはかる.ジャン・リボーのひきいるユグノー教徒の一団,サウスカロライナに入植.

63 エル・エスコリアル宮が着工される.

64.10.18 スペイン,新大陸貿易のための定期護送船団制度を確立.

オランダ独立運動の開始

65 スペイン、フィリピンを支配下に置く。

65 ネーデルランドの貴族・商人らがブリュッセルで貴族同盟結成.

66.8 ネーデルランド北部七州によるブレダ協約.アントワープを中心に宗教裁判に反対するカルヴァン派民衆が聖像破壊暴動.ホールン伯エグモントにひきいられネーデルランド各地にひろがる.フェリペはアルバ公爵を派遣し対策にあたらせる.

67.8 アルバ新総督,2万の兵を動員しネーデルランドの暴動を鎮圧.「血の審問所」をもうけプロテスタント8千人を処刑するなど恐怖政治を敷く.10万人にのぼる人がイギリスやドイツに亡命し,抵抗運動を開始.

1568年

11 グラナダ地方の改宗ムーア人=モリスコが抑圧政策に抗議して反乱.

68 オラニエ公ウィレム,スペインからの独立をめざし反乱.オランダ独立戦争開始.1648年の講和まで80年にわたるたたかいとなる.海賊がスペインの財宝船をつぎつぎと襲撃.

68 王妃エリザベス死亡.

1570年

2 ローマ法王ピウス5世,英国のエリザベス女王を「不義によって生まれた私生児」と呼び破門. 

5.16 メハエル・デ・レガスピの遠征隊,マニラに上陸.6年をかけてフィリピンを支配下に置く.

9 スペインによるエリザベス女王暗殺計画発覚.

70 モリスコの反乱が敗北に終わる。フェリペ2世は徹底的な弾圧を指示.

70 フェリペ二世,オーストリアのマキシミリアン二世の娘アンナと結婚(4回目).アンナも80年に死亡.

1571年

10 キプロス島を攻略したオスマントルコ艦隊,ギリシャに迫る.スペイン,ベネチア連合艦隊はこれを迎え撃ち,コリント湾口のレパント沖で大勝.

71 スペイン,フィリピンを征服.マニラを首都とする.

71 モリスコの反乱,鎮圧される.改宗イスラム教徒(モリスコ)に対しては,彼らの実質的なキリスト教徒化を目指して,アラビア語やイスラム的風俗・習慣を禁圧する措置に反発したもの.

72.8.23 サン・バルテレミーの虐殺.婚礼に集まったコリニー提督らユグノー派貴族が殺害される.第4次ユグノー戦争開始.

72 オラニエ公ウィレム一世が七州連合長官となる.

73 オランダの海賊船,ゾイテル海海戦でスペイン艦隊を撃破.スペインはアルバ公を更迭.

75 スペイン,債務増大のため二回目の国庫破産.支払停止令を発す.彼の治世中,国庫支払停止措置は4回にわたり,公債(フロ)の額は一三倍に膨れ上がる.

75 アンゴラにサンパウロ・デ・ルアンダが建設される.

76 ホラント・ゼーラント二州がガン盟約を締結.連邦を結成.ネーデルランド南部住民はアラス同盟を結成.カトリック信仰とスペイン支配を確認.

78.8 モーロ人,モロッコ奪回を狙い各地で反乱.ポルトガル,国力をあげ北アフリカ遠征.アルカサル・エル・キビールの戦闘で惨敗.国王ドン・セバスチアンは戦死.叔父にあたるフェリペ二世が後継者を主張.

79 ネーデルラント北部7州,フェリペ2世の新教弾圧に反抗しユトレヒト同盟(低地州連合)結成.

80 フェリペ二世,ポルトガルを実力で併合.フランス,イギリスはスペインの勢力増大に警戒心を強める.

81 ネーデルラント北部七州が,ウィレムを統領とし独立を宣言.連邦共和制をとることで合意.

84 ウィレム,暗殺される.

85 スペイン,オランダに討伐軍を送る.英国はオランダと同盟を結び支援.

無敵艦隊の敗北

1587年

2 幽閉中の前スコットランド女王メアリ・スチュアート側近による,エリザベス女王暗殺計画発覚.エリザベスはメアリを処刑.英西関係は断絶.フェリペ2世はネーデルランド討伐司令官パルマ公にイギリスに上陸するよう命令.さらにフランスに対してはアンリ・ナバラとユグノー教徒に反対するカトリック派に財政支援.

4.29 ドレイクの率いる26隻の艦隊がスペインのカディス港を急襲.

1588年

5.28 132隻,兵員2万4千からなるスペインの無敵艦隊,メディナ・シドニア公に率いられリスボンを出港.

7.31 ドーバー海峡に無敵艦隊を迎え撃った英蘭連合艦隊はプリマス沖で撃破.

8.08 無敵艦隊はグランブリーヌ海戦でも惨敗.約半数の船を失いスペインに帰還.

89 フランス王アンリ三世殺害される.ナバル王アンリ四世,ブルボン王朝を創設.フェリペ二世は娘イサベラ・クララ・エウヘニアの王位継承権を主張.フランスのカトリック派もフェリペの膨張主義に警戒を強める.

90 フェリペ,ミリョネス税と呼ばれる消費税を導入.いくつかの都市でミリョネス税反対の暴動.

91 アラゴンでアントニオ・ペレスの反乱発生.

93 ポルトガル,アフリカ東岸のモンバサに要塞を建設.北インド洋支配の拠点とする.

95.06.05 フランス,スペインに対し宣戦布告.フォンテーヌ・フランセーズの戦いでスペイン軍を撃破.

96.6 英仏,オランダ独立を承認.スペインに対する三国同盟締結.英軍,カディスを襲撃.スペイン王室は三回目の破産.

98.9.13 フェリーペ2世,エスコリアルでガンのため死亡(71歳).フェリーペ3世が即位.

98 ベルビンス(ヴェルヴァン)和平協定調印.ナバラ公アンリがカトリックに改宗した上フランス王アンリ四世として即位.スペインはフランスに対する干渉を停止.

99 最初の銅貨鋳造

 

1600

01 五回目の無敵艦隊侵攻,アイルランドを攻撃するも失敗.スペインはイギリス侵攻を断念.

04 スペイン,ロンドン条約で英国と講和.インディアスの独占的領有を断念.

05 『ドン・キホーテ』刊行.

07 王室財政,4回目の破産.

09.4.19 スペインとネーデルランドが12年間の休戦協定を結ぶ.オランダは実質的な独立を達成.

09年 モリスコ(旧イスラム教徒)の国外追放.

13 支倉常長の一行,メキシコに到着.

18 オレンジ公ウィレムの息子で,ともに独立戦争を指導したマウリツがオランダ総督に就任.

三十年戦争

18 神聖ローマ帝国を舞台に30年戦争開始.30年の間に13の戦争が戦われ,10の平和条約が結ばれる.この戦争を通じてスペインとハプスブルグ家は弱体化し,フランスが西ヨーロッパの主導権を握る.

21.3.31 フェリペ三世没.息子がフェリペ4世として即位する.実権はオンバレス伯公爵が握る.これを機にオランダ独立戦争が再開される.

21 オランダ,西インド会社を設立.アフリカや新大陸のポルトガル権益への介入を図る.

25.7.02 スペイン,オランダ攻撃を再開.オランダ重要拠点のブレダが陥落.

27 王室財政,五回目の破産.

34.5 スペイン(ハプスブルク家)にフランスが宣戦を布告.30年戦争の最後の局面となるフランス戦争が開始される.フランスは,スウェーデンやドイツのプロテスタント諸侯と同盟を締結.

34年 ポルトガルで独立を求める反乱が発生.

36 スペイン軍,フランスへ侵入.

37 フランス軍,領内に侵入していたスペイン軍を駆逐.

39 ダウンズの海戦.スペインがオランダ海軍に敗れる.

1640年 ポルトガルの独立

6.07 バルセロナで国王軍と市民が戦闘となり,副王が殺害される.その後反乱は12年にわたり続く.

12.01 リスボンで,ブラガンサ王朝の流れを引く貴族が反スペイン蜂起.30年戦争においてハプスブルグと対立するフランスの支援の下にスペインより分離.ブラガンサ公がジョアン2世として即位.

43.5.18 フランス領内ロクロアでフランス軍とスペイン軍の対決.スペインは大敗を喫する.これを機に宰相オリバーレスは失脚.

43 ルイ14世,フランス国王に即位.以後72年の長期にわたりフランスを支配.

44.8 フランス軍,フライブルクの決戦でバイエルン軍に完勝

44 ポルトガル,モンティホの戦いでスペインに勝利.

45.3 ネルトリンゲン近郊で決戦.フランス軍がオーストリア・バイエルン軍を撃破.

46 度重なる敗北にもかかわらず,神聖ローマ皇帝フェルディナント3世は降伏を拒否.和平協議は不調に終わる.

47 ナポリでスペイン支配に反対する反乱が発生.

1648年

8.20 ランスの決戦.この戦いでフランス軍が大勝したことから,フェルディナントは講和の条件に同意.

10.24 30年戦争終結.この戦争により神聖ローマ帝国の人口が15〜20%減少.ミュンスターでウェストファリア条約締結.オランダ連邦共和国の分離独立のほか,ドイツ諸侯の領土主権,スイス連邦の独立が確定.神聖ローマ帝国は事実上解体.アウクスブルクの和議の原則がカルバン派にも拡大される.

12 6年にわたる内戦の末,清教徒革命成立.チャールズ1世処刑.

50 オマーン,ポルトガルを破りマスカトを奪回.以後,両者のインド洋覇権をめぐる争いが続く.

1650年 英国とオランダの覇権争い

51 英国,航海条例を制定.英国が輸入する商品の輸送は英国の船舶のみとする.オランダの仲介貿易進出をおさえることが目的.

52 第一次英蘭戦争開始.オランダはイギリスの航海条例を不満とし開戦するが,三年後に敗れ講和.

55 カスティリャのコルテスが公式に廃止.

56 オランダ,セイロン島からポルトガルを駆逐.以後,アジアのポルトガル植民地のほとんどがオランダ領となる.

58 砂丘地帯の戦い.スペインは英仏連合軍に敗れる.

59.11.17 24年にわたる西仏戦争,スペインの敗北に終わる.フランス私兵団,エスパニョーラ島の西部(現ハイチ)を占拠,ピレネー条約が結ばれ,スペインはルシヨンとセルダーニュを割譲.国境がピレネー山脈に確定.

1660

61 フランスでルイ14世による親政が始まる.

61 英国のチャールズ2世とポルトガルのカタリナ王女が結婚.ポルトガル,タンジールとボンベイを英国に譲渡.

64 第二次蘭英戦争開始.

65.9.17 フェリペ4世没.子のカルロス2世が4歳で即位.

65 第二次英蘭戦争と並行してネーデルランド戦争開始.フランスがオランダに干渉し,戦争となる.

67 フランス,オランダが支配していたスペイン領ネーデルランドに侵攻開始.オランダはブレダ条約を締結し第二次英蘭戦争を終結させる.チャールス二世はニュー・アムステルダムを弟のヨーク公に与える.

68 アーヘン条約.フランスはネーデルランドの一部獲得を条件に撤退.フランスはこれをスペインの手に戻す.

68 リスボン条約でポルトガルの独立を承認.

1670

70 マドリッド条約締結.スペインは英国のジャマイカ領有を認める.

72 第三次蘭英戦争開始.イギリスとの密約により,ルイ14世はふたたびオランダ出兵.オラニエ公ウィレム三世がオランダ統領となり防衛戦争を指導.

73 英仏連合軍はオランダへの上陸を試みるが,ロイテル提督率いるオランダ艦隊に撃退される.スペインとオーストリアのハプスブルグ家は,反フランスの立場からオランダ支援に乗り出す.

74 第三次蘭英戦争終結.ウェストミンスター条約で講和が成立.フランスの進出を警戒する英国は,ハプスブルグと手を結びフランスと対抗するようになる.

75.08 フランス艦隊がオランダ・スペイン艦隊を破ってシチリアを占領.

77 オランダ統領ウィレム,英王室のメアリーと結婚.

78 フランス・オランダ戦争終結.ネイメーヘンの和約でフランスにフランシュ・コンテを割譲.英仏両国を相手にした戦争でオランダは消耗.海上覇権を失う.

1680

83.12 フランス軍がスペイン領ネーデルランドに侵入.

83 オスマントルコ軍,ウィーンを包囲.オーストリア軍は苦戦の末撃退.

85 フランス,黒人奴隷法を制定.奴隷の制度化をはかる.

86.07.09 神聖ローマ帝国,スペイン,オランダ,スウェーデンがアウグスブルク同盟を結成,フランスに対抗.

88 英国で名誉革命成立.ジェームズ二世は亡命.

89 オランダのウィレム公がウィリアム3世として英国王に即位.権利の章典を承認.

89 ルイ14世,英国の王位継承問題に介入.北米を舞台にウィリアム王戦争開始.9年間にわたりつづく.新大陸でも植民地争奪戦を展開.

89 ルイ14世,プファルツ(Pfalz)の相続問題に干渉.アウクスブルク同盟(イギリス・ドイツ・オランダ・スペイン・スウェーデン等)と戦争に入る.

1690年

90 オランダ,コーヒーをアラビアからインドネシアに移植することに成功.

92 プファルツ地方に進出したフランス軍,同盟軍に大敗.以後戦いは同盟軍有利に進む.

92 ラ・ホーグ岬の海戦.英蘭連合軍がフランス艦隊を撃破.

97.9.30 プファルツ戦争およびウィリアム王戦争終結.ハーグ近郊のライスワイク(Rijswijk)で停戦条約.フランスはイギリスに対して,ウィリアム3世の王位,相続者アンの王位継承権を認め,ドイツ(ハプスブルグ家)に対してはストラスブールなどを除く占領地を還付してライン右岸から撤兵.

98 ポルトガルのインド洋における拠点モンバサ,オマーンの手により陥落.

 

1700

王位継承戦争

00.11.01 スペイン・ハプスブルグ家最後の王カルロス2世死去(38歳).生前,ルイ14世の孫アンジェー伯フィリップを王位継承者と定める.フィリップはフェリペ5世としてスペイン王位を継ぐ.

02.05.04 フランスとスペインとの合体を恐れたイギリス,オランダ,オーストリアは,オーストリア・ハプスブルグ家への継承を主張.カール大公を王位請求者と主張し,フランスとスペインに宣戦布告する(スペイン継承戦争)

03 ポルトガルと英国がミシュエン条約を結ぶ.ポルトガルは対仏同盟に参加.その後,英国がポルトガル市場を独占.

04 イギリスがジブラルタルを占領.

04 ブレンハイムの闘い.ハプスブルグ=イギリス連合軍がフランス軍を破る.

05 カタルーニャ,ハプスブルク家のカール大公を国王として承認,バレンシアとアラゴンもこれに続く.

06 英国と同盟したポルトガル軍,マドリードまで侵入.

07 フェリペ五世,バレンシアとアラゴンを占領し,自治を定めた特別法(フエロ)を廃する.

09 マルブラケの闘い.英国とサヴォイの連合軍がフランス軍を破る.

1710

12.07.24 ドナンの戦い.フランスのヴィラール元帥が,サヴォア公オイゲン率いる同盟軍を破る.スペイン継承戦争の最大の戦いが終結.

13.4.11 ユトレヒト条約締結.王位継承戦争およびアン女王戦争終了.フェリペ5世の王位継承権は認められたが,フランス・スペインは領土の一部を失い,イギリスはニューファウンドランド,ノバスコシア,ハドソン湾岸地帯を獲得し,海上覇権を確立.同時に締結されたアシエント条約で,イギリスはスペイン植民地への黒人奴隷輸出を独占することとなる.オーストリアのハプスブルグは条約に不参加.

14 オーストリアとフランスが講和.ラシュタット条約締結.フェリペはスペイン本国とアメリカ植民地のみを相続する事となり,ミラノ,ナポリ,シチリア,サルディーニャ,南ネーデルラント(ベルギー)を失う.シチリアはサヴォイ王の手に.またジブラルタルのイギリスへの割譲を迫られる.

15 ルイ14世没.

16 フェリーペ五世,国内再編を開始.カタルーニャに新国家基本令が制定され,自治権が廃止される.旧アラゴン連合王国の地方特権は全て廃止され,バスク地方とナバラを除くスペインの政治的一元化が実現する.

17.8.22 失地回復をねらう宰相フリオ・アルベローニ,サルデーニャを占領し,さらにシチリア奪回を画策.フランスがスペインに宣戦布告.

19.12.15 スペイン,シチリア奪回に失敗.,宰相アルベローニが失脚.

1720

24 フェリペ五世,いったん譲位するが,後継者ルイスの死により再び王位に着く.

27 三年間にわたる英西戦争開始.

35 ポーランド継承戦争終結.スペインはオーストリアからナポリ,シチリアを獲得.スペイン王子ドン・カルロスがシチリア王となる.

39 カリブを舞台に英国とスペインの10年にわたる戦争.

1740

40 オーストリアのマリア・テレジアがオーストリアの王位とハプスブルク家の全領土を継承.これに反発したスペイン,バイエルン,ザクセンとのあいだに戦争となる.これにプロイセン,フランス,イギリスも介入

43 アメリカで英仏間のジョージ王戦争始まる.五年間にわたる.

46 フェルナンド六世の即位.

48.10.18 アーヘン条約締結.オーストリア王位継承戦争終結.敗れたオーストリアはシレジアをプロイセンなどに割譲.同盟側はマリア・テレジアの帝位相続権を承認.

1750

50 ポルトガルでジョゼ1世が即位.セバスティアン・ジョゼ・デ・カルバリョ・イ・メーロが外相につく.カルバリョはボンバール侯爵(Marquis de Pombal)となり宰相に就任,大貴族や教会の特権をおさえ25年にわたり絶対主義強化をめざし近代化を実施.

55.11.01 リスボン大震災.死者2万人(一説に5万人)を出す.ボンバールはリスボンの復興に精力的に取り組む.

カルロス三世の改革

56 七年戦争開始.オーストリアのマリア・テレジア女王,王位継承戦争の失地回復を図り,プロイセン・イギリスとたたかう.オーストリアをロシア・フランスが援助.新大陸では並行して英仏間のフレンチ・インディアン戦争が闘われる.スペインは中立の立場をとる.

58 ブラジルを含め,ポルトガル国内よりイエズス会追放.

59 フェルディナンド6世が死去。ナポリ国王として財政再建に成功したカルロス3世がスペイン国王に迎えられ即位.疲弊した経済建て直しのため,各種の改革を断行.

59 ポルトガル、通商局を立ち上げ、パラ、マラニョン、ペルナンブコ、パライバに次々に国策会社を創設。

1760

61.8.15 カルロス三世,フランス王室との「家門協約」(フォンテーヌブロー条約).フランスは条約締結のためルイジアナをスペインに譲渡.

62.01.02 スペイン,フォンテーヌブロー条約にもとづき対英宣戦布告.七年戦争に参入.ジェンキンス戦争の失地回復を狙う.

63.2 7年戦争終結,パリ条約締結.またしてもフランス=スペイン軍の敗北に終わる.カナダとミシシッピ以東のフランス領,およびスペイン領フロリダが,英国の植民地となる.

65.5 米国植民地議会,印紙条例に反対するバージニア決議を採択.

65 カルロス3世即位.「啓蒙主義的専制主義」政治を開始.ロドリゲス・カンポマーネスを中心に,旧ハプスブルグ体制を一掃し,国力を回復し英国の進出を阻止しようと図る.ホセ・デル・カンピーリョのたてた行政改革案(コレヒドール,アルカルデ・マヨール制の廃止とインテンデンシア行政区の設置),財政改革案(大商人の独占排除,自由交易制の導入,専売品の拡大,直接徴税制への転換)などをつぎつぎに政策化.

67 カルロス三世,国内のイエズス会を追放.イエズス会所有の学校120を公立化.約1万人のイエズス会士がスペインと新大陸を離れ,イタリアに向かう.

1770

73.7.21 ローマ法王クレメンテ14世,ブルボン家の圧力によりイエズス会の解散を宣言.

78 スペイン,植民地における自由貿易を認める勅令.

78 ポルトガル,赤道ギネアの権益をスペインに割譲.(アフリカ中部の小国.カメルーンとガボンに囲まれた土地といくつかの島からなる)

79.06.16 スペイン,米西同盟および西仏秘密同盟(アランフェスの密約)にもとづき対英参戦.ジブラルタル包囲作戦を開始.

88.12.14 カルロス3世没.息子のカルロス4世が即位.カルロス4世は精神薄弱のため,王妃の愛人マヌエル・ゴドイが実権を握る.

 

1790

92.9 フランス,オーストリアとプロイセンに対し開戦.革命戦争開始.ヴァルミの闘い.フランス軍がプロイセン・オーストリア連合軍を破る.

93 スペイン,オランダ,プロイセン,オーストリアなどが第1次対仏大同盟を結成.フランス革命に干渉.フランス軍に大敗北を喫する.

94.7 テルミドールの反動.ロベスピエールが処刑される.

94年 オランダ東インド会社,破産宣告を受ける.4年後に解散.

1795年

7月 フランス軍、ピレネーを越えてカタルーニャ、バスク地方に侵入。スペインは対仏大同盟から脱落し単独講和。バーゼル条約を結びフランスに降伏。

10月 ナポレオン,総裁府の要請でバンデミエールの反乱を鎮圧.頭角を現わす.

95年 英国,オランダのケープ植民地を占領.2,700名の部隊を駐屯させる.

96 スペイン,フランスと軍事同盟を結ぶ.この結果英国と敵対することになり,新大陸との交易は打撃を受ける.

96 ナポレオン,イタリア遠征.オーストリア軍を撃破し.翌年末凱旋.

97.2.14 ジャーヴィス提督とネルソン提督のイギリス艦隊が,セント・ヴィンセント(サン・ヴィセンテ)岬沖の戦いでスペイン艦隊を破る.

97 スペイン,新大陸に対し中立国との貿易を許可.これを機に新興国の米国との交易が一気に増加する.

99.1 ブリュメール18日のクーデター.ナポレオンが統領政府を樹立,自ら第一統領となる

 

 イベリアおよびヨーロッパ その2

 

ナポレオンのスペイン支配  カルリスタ戦争  第一共和制  悲劇の1週間  プリモ・リベーラの独裁

 

1800

00 ナポレオン,領土の割譲とフランスへの従属を強要.ポルトガルはこれを拒否.

01年 オレンジ戦争

3.02 スペインがポルトガルに宣戦布告(オレンジ戦争).

4 フランス軍,海路ポルトガルに到着.海上にて威嚇.

5.20 ナポレオンを支援するスペイン軍,マヌエル・デ・ゴドイの指揮下にポルトガル領内に侵入.オリベンサの町でポルトガル軍を撃破.エルバスの農園でオレンジを摘み,「リスボンまで進撃する」というメッセージとともにスペイン女王に送る.この逸話から,オレンジ戦争と呼ばれるようになる.

6 Olivenzaの後,ポルトガルはフランス,スペインとのあいだにBadajoz和平協定を結ぶ.英国船の寄港禁止,フランスへの通商特許状,オリベンサのスペインへの割譲,北部ブラジル(現仏領ギアナ)のフランスへの割譲をみとめる.

01年 英国,ポルトガル政府に対しリオへの移転を勧告.移転に際しての保護,援助を与えると約束.

02年 英国,フランスとのあいだにアミアン和約.フランスに対する海上封鎖を解く.英国はケープタウンを撤退.

03年 英仏間の緊張激化.ポルトガル政府はリオ移転の議論を開始.

1804年

10.05 イギリスが,スペインに駐留するフランス軍を攻撃.スペインはイギリスに宣戦布告.

12.2 ナポレオン,帝位につき第一帝政を開く.

ナポレオンのスペイン支配

1805年

3 仏西艦隊,英国の封鎖を破りツーロンを出港.英国攻撃を目指す.

7.18 イギリス艦隊が,ド・ヴィルヌーヴのフランス艦隊をスペインのカディス港に封鎖.

10.21 ジブラルタル海峡北西のトラファルガ(Trafalgar)岬沖において,ホレイショ・ネルソン提督指揮下のイギリス艦隊27隻(旗艦ヴィクトリー,ハーディ艦長)とフランス・スペイン連合艦隊33隻(指揮官ド・ヴィルヌーブ,旗艦ビュサントール,フランス艦18隻,スペイン艦17隻)が対決.仏西艦隊は壊滅し,ヴィルヌーヴ提督が捕虜となる.

12 アウステルリッツの闘い.ナポレオンがオーストリアとロシアの連合軍を撃破.

1806年 ふたたび英仏戦争勃発.ナポレオン,大陸封鎖令を公布.全ヨーロッパ市場からイギリス商品を追放。英国による第二次ケープ占領.

1807年

10.27 西仏間で,親英派の立場をとるポルトガルの分割占領を決めたフォンテーヌブロー条約締結.これを知ったポルトガル宮廷は、ナポレオン侵入の場合にはリスボンを去ると決定.準備に入る.

10 ポルトガルと英国の秘密会談.フランス軍侵入への対応を協議.ポルトガル保護と引き換えに,海外植民地の英国への開放で合意.

10月 フェルナンド、ナポレオンに接近を図る。

11 ナポレオンの部下ジュノー将軍,フランス・スペイン連合軍5万5000人をひきいポルトガルに侵入.

11.29 ポルトガル王室はイギリスの艦隊に頼り,1万五千名がブラジルに脱出,

11.30 ジュノー軍,リスボンに入る.

1808年 半島戦争

1.22 ポルトガル宮廷,バイアに到着。(以下ドン・ジョアン帰国までのブラジル国内の動きについてはブラジル年表へ)

2.16 モンセイ元帥・デュポン将軍の率いるフランス軍4万がスペインに入り、カタロニアを支配下に置く。

3.03 ミューラー元帥の率いるフランス軍がマドリードを占領.ミューラーはナポレオンの義弟(妹婿)。長子のフェルナンド王子は徹底抗戦を叫ぶ.

半島戦争に関しては、基本的には山川出版の「スペイン史」に準拠していますが、「元老院議員」さんのホームページでは、フェルナンドの態度はまったく逆に描かれています。
反国王=ゴドイ派に立つフェルナンドは、ひそかにナポレオンと通じ、07年10月にはゴドイにより一時逮捕されています。ミューラー元帥がマドリード入りした当初はフランスを支持していたとされます。ところが、ナポレオンが両者の抗争を利用して王位乗っ取りを図ったことから、国内保守派の反発を招くようになったとされます。
この「異説」は、いかにもありそうな話で、なかなか説得力がありますが、「教科書」の記載を否定するほどの論拠もなさそうです。とりあえず、1ポイント小さな字で挿入しておきます。

3.17 アランフェスでフェルディナンド派の暴動が発生.王室内の反仏派,フェルナンド親王を押し立て宮廷革命に成功.カルロス4世とゴドイ宰相はアメリカ亡命を試みるが捕えられ譲位.

3.19 フェルナンド7世即位.

3月22日 フランス軍がマドリードに入城。市民は当初、フランス軍を歓迎。

4.30 フランス国内のバイヨンヌでスペイン王位の継承をめぐる会議.ナポレオンはスペイン王室の分裂に乗じ,カルロス4世とフェルナンド7世の退位を要求.フェルナンドから王位をとりあげる.

5.02 カルロス前国王の末の王子がフランスに連行される。これに抗議するマドリード市民が蜂起.一部正規軍も参加してフランス軍を襲撃。市民500人、フランス軍も150人の死者を出す。その後1ヵ月間にわたり蜂起あいつぐ.

5.05 フェルナンド7世,ナポレオンに王位を譲渡.そのままバイヨンヌに幽閉される.

5月 全国に反乱が拡大。フランス革命の思想を嫌う保守的貴族・聖職者・地主が、農民に対し反抗をあおる。ナポレオンは指導者を即時処刑するなど強権で臨む.

6.06 ナポレオン,実兄のナポリ王ジョセフ・ボナパルトをスペイン王ホセ一世として即位させる.

6月7日 デュポン将軍率いるフランス軍2万が、南部のコルドバを制圧。

6.17 ジョセフ王,バヨーナ憲法を公布.カトリックを従来どおり国教として認めるとともに、司法の独立、拷問の禁止、異端審問所・封建的諸税の縮小、修道院の削減等の進歩的諸政策を施行。

6.21 スペイン軍2万8000が、デュポン将軍の占領するコルドバを包囲。

6月 アストリアスに反乱各派が集まり、臨時政務委員会(フンタ)が結成される。フンタは、フランス軍駆逐のためイギリスに援助を求める。

6月 ベネズエラでフェルナンド派現地人が臨時政府を結成。英政府は,ベネズエラへの支援派兵を決定.アーサー・ウェルズリー将軍麾下1万人の部隊がアイルランドで編成される.ウェルズリー将軍は後のウェリントン公爵。

7月14日 リオセッコの戦い。ベシエール元帥率いるフランス軍がスペイン軍を破る。スペイン軍は約2万の損害を出し撤退。

7.19 コルドバ近郊バイレンの戦い.包囲を突破しようとしたデュポン将軍のフランス軍を、フランシスコ・カスターニョス将軍のスペイン軍が打ち破る.デュポンは降伏。東北部のサラゴサ攻撃中のルフェーブル元帥、デュポン軍の敗北を聞き攻略を断念。国王ジョセフは、首都マドリードから北のビトリアに後退。

8.07 ウェルズリー将軍率いるイギリス軍1万8000、ベネズエラ行きの予定を変更し、ポルトガルのモンデコ河口に上陸。

8月17日 ウェルズリー、ロリカでフランス軍と最初の衝突。イギリス軍の勝利に終わる。

8月20日 ヴィメロンの戦い。イギリス軍がふたたび勝利。

8月30日 ポルトガル駐留のフランス軍、休戦交渉に応じ海路本国へと退去する。戦闘継続を主張したウェルズリーは、本国に帰還。

9.25 アフェルナンド7世に忠誠を誓う各地のフンタがランフェスに結集,スペイン・インディアス中央最高政府(中央フンタ)結成.本国人4人とインディアス代表1名(リマのビセンテ・モラレス)で構成される摂政委員会を選出.LAのクリオージョはほとんどが王政派につくが,本国人(ペニンスラール)は旗幟を明確にせず.

11月初め ナポレオン,イベリア半島全域の制圧を目指し自ら作戦の先頭に立つ。歴戦の精鋭をふくむ総勢24万のフランス軍主力がピレネーを越える。エスピノサ、ブルゴスの戦闘にも連勝。フンタ派は劣勢に追い込まれアランフェスを撤退、アンダルシアのセビリアに居を移す.

11.30 フランス軍主力、マドリード前面のソモシエラ峠に到達。サン・ジュアン将軍率いる1万2000のスペイン軍を撃破。

12月2日 フランス軍の先遣隊、マドリード北西の高地に到達。フンタ派のカステラス将軍らは市内を撤退しゲリラ戦に移る。

12.04 マドリードがナポレオン軍の攻撃で陥落.ジョセフがスペイン王に復位する。

12月20日 ジョン・ムーア将軍の率いるイギリス軍、ナポレオン自ら率いる5万の軍の掃討作戦を受け、カリオンからスペイン西北端のラ・コルニア港まで退却。

12月27日 ランヌ元帥の率いるフランス軍、サラゴサ包囲戦を開始。

1808 英国でウィルバーフォースらの努力により奴隷貿易禁止法が成立.

1809年

1.01 イギリス軍殲滅を目前にしたナポレオン、東部戦線があわただしくなったことからバリャドリド地方の占領を断念、フランス本国に戻る。その後さらにオーストリア方面へ出陣。

1.02 フランス軍,マドリッドから南部へ進出。アンダルシア地方を制圧.フランス軍に追われたフンタは,半島南端のカディスに移転.

1.16 ジョン・ムーア将軍の率いるイギリス軍部隊をラ・コルーニャに追い込んだフランス軍が総攻撃。ムーア将軍は戦死。イギリス軍はフランス軍の攻撃をかわし、軍主力が本国への脱出に成功。

2.20 サラゴサが52日間の包囲戦の末陥落。反乱軍はフランス軍総督のジャン・ランヌに降伏.スペイン側の死者は5万4000、そのうち3万が非戦闘員。フランス軍も死者6000を出す。

3月 ポルトガルに進出したナポレオン軍のスルト元帥、「ポルトガル王ニコラス1世」を名乗る。彼は1万の民衆を虐殺し、各地で略奪を重ねたといわれる。ポルトガル方面に配備されたフランス軍は、オポルトのスルト軍2万のほか、メデリンにヴィクトル軍2万5000、シウダード・ロドリゴにラピス軍6000など。

4月22日 8月にポルトガル反撃作戦で戦功をあげたウェルズリー将軍が、ふたたびイギリス軍の指揮を執り、兵2万とともにリスボンに上陸。

5月12日 オポルトのスルト軍、ウェルズリーの急襲を受け大敗。

7.28 タラヴェラ・デ・ラ・レイナの戦い。ウェルズリーの率いる英・西・ポルトガルの反乱軍がスルト軍を壊滅.ウェルズリーは戦功によりウェリントン子爵の爵位を授かる(以後ウェリントンと記載)。フランス軍各部隊はスルトに対する反感から戦闘に参加せず。スペイン王ジョセフは総攻撃のチャンスを自ら放棄したといわれる。

9.24 摂政府,植民地代表63名も参加した国民議会を開催.憲法制定委員に任命.スペイン王国における本国人と植民地人の対等の資格を認める.

10月 ナポレオンがみずから率いるフランス軍主力、オーストリアを制圧。

11月 オカーニャの戦い。スペイン領内に侵入した英国・スペイン合同軍は,態勢を立て直したスルト軍に撃破される。その後フランス軍の増援部隊により,ふたたびポルトガル領内に押し込められる.

1810年

1 フンタ派は英海軍に守られたカディス港のみを残し,すべての支配地を失う.

2.01 フランス軍,スペイン南部のセビリャを占領.アンダルシアの王党派を駆逐.

2.05 フランス軍,マラガを占領.フンタの残党はレオン島へ避難.戦闘の主力は英国軍となる.

5 レオン島の中央フンタ解散.全権を摂政委員会に依託.

7月 10万のフランス軍、再占領をめざしポルトガルに進出。シウダード・ロドリゴを占領。

9月27日 ポルトガルのブサコでイギリス・ポルトガル軍とフランス軍が対峙。ウェリントンは後方のトーレスベドラスの要塞に退却し防御に専念。

1811年

3月 フランス軍、半年にわたるトーレスベドラス要塞の攻略作戦に失敗し撤退。兵力は当初の10万から5万に半減。

4月 英軍,ポルトガル各地で反撃を開始.ウェリントン軍はスルトの支配するシウダード・ロドリゴを包囲。

4月 スルトが支配するアンダルシア沿岸部にイギリス軍が上陸。遊撃戦を展開しウエリントン軍を側面支援。

5月3日 フェンテス・デ・オニョーロの戦い。シウダード・ロドリゴを包囲したイギリス軍に対し、ポルトガル方面軍司令官マッセナ元帥の率いるフランス軍が攻撃。3日間に5回の総攻撃が行われたが、イギリス軍を撃破できないまま後退。

5.16 ウェリントン軍,スペインのアルブエラに進出しフランス軍の進撃を迎え撃つ.

6.28 フランス軍が,スペインのタラゴナのイギリス軍要塞を攻略.

8.06 レオン島のカディス議会(コルテス)内において自由主義者が優勢となり,領有裁判権,封建的特権,人格的隷属などを廃棄する決議.

1812年

1.19 ウェリントン軍が,9ヶ月にわたる包囲戦の末シウダド・ロドリゴを占領.

1.26 フランス,カタルニャ地方を併合.

3.19 カディスのコルテス,立憲君主制のもとに言論・出版の自由,異端裁判所の廃止などをうたった自由主義的憲法(カディス憲法)を採択.

3月 ウェリントン、バダジョスを制圧。

7.22 ウェリントン軍がスペインのサラマンカでフランス軍を破り制圧.さらに迎撃に出たマルモン軍を大破する。

8.12 イギリス軍、首都マドリードに入城、市民の熱狂的歓迎を受ける。スペイン王ジョセフは逃走し、各地のフランス軍は統制を失い分断される。

9.19 スペインのフランス軍が,ブルゴスから撤退.

10月 フランス本国から援軍15万が到着する。ウェリントンの軍勢は6万に過ぎなかった。

11.02 フランス軍がマドリードを再び占拠.ジョゼフ・ボナパルトが国王に返り咲く。ブルゴスで敗北を喫したウェリントン軍はポルトガルへとひきあげる。

1813年

1月 フランス軍主力がロシアで崩壊。形勢不利とみたスペイン王ジョセフはマドリードを放棄し、北のバリャドリーに退く。

6.21 ビトリアの戦い.ゲリラの協力を受けたウェリントン軍がフランス軍を破る.イギリス・スペイン・ポルトガル連合軍9万対フランス軍6万。

8.31 サン・マルシアルのたたかい.これに敗れたフランス軍はスペインより全面撤退.

10.06 イギリス軍は敗走するフランス軍を追い,ピレネー山脈を越えてフランス領内まで進出.ベイヨンとボルドーを制圧.

11.11 ナポレオン,フェルナンド七世をスペイン国王として承認.

12.11 ヴァランセー条約締結.幽閉されていたフェルナンド7世が,再びスペイン王位に就く.

1814年

3月 フェルナンド7世、祖国に帰還。国内を実効支配していたカディスのフンタ共和派とのあいだに緊張が高まる。

4.17 エリオ将軍のクーデター.12年憲法を無効としフェルナンドを王位に就ける.

5.04 フェルナンド7世,カディス憲法を無効と宣言.

14年 ポルトガル,英国の事実上の占領下に入る.

14年 英国,ケープ植民地の領有を正式に宣言.オランダ時代に定められた諸制度の改編に乗り出す.

15.6.18 ワーテルローの戦い.ナポレオンの百日天下終結.第二次パリ条約締結.フランスは国境を1790年当時のものに縮小され,賠償金支払の義務を課される.ルイ18世が王位復帰.

16.5.31 スペイン,神聖同盟に加盟.反動体制を強化.

19.2.02 スペイン,米国にフロリダを譲渡.

 

スペインとポルトガルの自由主義革命

1820年

1.01 カディス近郊の基地カベサス・デ・サン・フアンに集結した新大陸遠征軍の一部が蜂起.背景に,軍兵士の劣悪な待遇.ラファエル・リェーゴ・イ・ヌニェス(Riego y Nunez)少佐が指導.1812年憲法の施行を要求.反乱は全軍に広がり,各地の自由主義者も呼応し,護憲革命が成立.

3.07 フェルナンド7世,「国民の一般意志にしたがい,1812年憲法を守ることを決意する」ことを宣言.新憲法に基づく議会開催.

8.24 ベレスフォード将軍の不在を狙い,ポルトで独立を目指す反乱.

9.01 ポルトガルの進歩派が,全国コルテス会議を招集.「スペイン1812年風憲法」を決議.ベレスフォードの帰還を拒否し,王室に帰国を要請.

9.15 ポルトに臨時政府が樹立される.

12.11 永代所有財産制廃止.

1822年

1 リスボンに全国コルテスが招集される.

6.30 マドリードの軍部隊が反乱開始.内戦はカスティリャ,トレド,アンダルシアに拡大.共和派はフェルナンドを捕らえ幽閉.

9 全国コルテス,スペインの1812年憲法を範とした1822年憲法を採択.

10 ベロナで四国同盟(英国,フランス,オランダ,オーストリア)が会議.フランスのスペイン介入と君主制復活を決議.

12 ペドロ1世,ブラジル皇帝を宣言.

1823年

2 ドン・ミゲルのクーデター.22年憲法を停止.

4.17 Angouleme公ルイ・アントワン・ブルボン(Louis Antoine de Bourbon)の率いるフランス軍,ピレネー山脈を声スペイン領内に侵入.マドリード攻撃に向かう.別隊がサンセバスティアン包囲作戦を開始.バスク,カタロニアの王党派は,これを支援.

5 共和派政府はフェルナンドを連れセビリアに撤退.マドリード防衛軍司令官はひそかに降伏して,フランスへ逃亡.マドリード軍はまもなく降伏.ルイ・アントワヌは摂政をおき,フェルナンド復位に備える.

8.31 革命軍,カディス近郊トロカデロで最後の戦い.フランス軍により壊滅.自由主義政権は干渉により倒壊.

9.23 Cadiz,フランスの手に落ちる.フェルディナントが解放され復位.フェルナンドは12年憲法を廃棄.共和派幹部を次々に処刑.フランス軍はこれに対し批判的立場をとりつつ,傍観を続ける.

11.07 リエゴ・イ・ヌニュスが処刑される.

23年 ジョアン六世の子でブラジル皇帝ペドロの弟,ドン・ミゲル,政府の実権を握る.反英勢力を結集し,「九月憲法」を廃止.極端な反動政治を敷き,反対派にはテロによる弾圧.

 

カルリスタ戦争

1825年

25 英国で鉄道開通.28年には仏,米でも開通.

25 ポルトガルのジョアン六世,ドン・ミゲルを退陣させ,海外留学に送り出す.

26.4 ジョアン六世が死去.第一継承権を持つブラジル皇帝のペドロは,権力の集中を批判する世論を考慮し,権利を放棄.娘のマリア・ダ・グロリア(当時7歳)を国王に推挙.ペドロの弟ミゲルと結婚することを条件とすることで,ポルトガル側も合意.ペドロはポルトガルに新しい憲法(26年憲章)を定め,ミゲルを摂政にすえた後,ブラジルに戻る.

26 フェルナンドの近代化路線に不満を持つ極右派,純粋王党派連盟を結成.フェルナンドを「われわれの不幸な祖国にとっての禍」と非難.フェルナンドの弟カルロスの擁立に動く.

27 カタロニアで封建的諸権利の復活を目指す保守派の反乱.これを機にフェルナンドは自由派へ接近.

1828年 ドン・ミゲルのクーデター

2 ドン・ミゲル,宮廷内クーデターによりポルトガルの支配権を奪取.

3 ドン・ミゲル,上下両院を解散.

5 ミゲル,三地方の代表からなるコルテスを招集し,ペドロ憲章の破棄と絶対王政の復活を宣言.

5.18 ポルトの部隊,グロリア皇女とペドロ憲章への忠誠を宣言.内戦はミゲル側の勝利に終わる.その後の反動政治により,数十人が処刑され,数千人が捕らえられ,数千人が海外に亡命.

29 フェルナンド,ナポリのマリア・クリスティーナと結婚(4回目).

30 フェルナンドとマリア・クリスティーナのあいだに女児イサベル誕生.フェルナンドはサリカ法典を発し,イサベルを王位継承者に指名.

31 ペドロ,ブラジル皇帝を退位.英国に出航.

31.3 ペドロ,自由主義者の手にあったアゾーレス諸島にわたり,亡命政権を樹立.

32.7 ペドロ軍,ポルトに上陸・占領.ミゲル軍は直ちに包囲戦に入る.

1833年 第一次カルリスタ戦争

3 ドン・カルロス,ポルトガルに行き,義理の兄弟ドン・ミゲルと行動をともにする.スペイン政府はドン・カルロスの入国を禁止する.

6 ペドロ軍,アルガルヴェに新たな戦線を開く.司令官はテルセイラ公.

6 カボ・サンビセンチで両派の海戦.ペドロ軍が勝利を収める.

7.24 Terceira軍,ファロに上陸.Alentejoを陥落.さらにリスボンに向け進軍.

9 テルセイラ軍,リスボンを落とす.その後も,上流階級,農民を基盤とする絶対主義者は農村地帯を支配.リスボンとポルトは孤立.

9.02 フェルナンド七世没(48歳).妻のマリア・クリスティーナが摂政となる.

9.29 保守派の支持を受けたフェルナンドの弟カルロスが,カルロス5世として王位就任を宣言.フェルナンドの子イザベルを支持する勢力はこれに抵抗.

10.21 トレードでドン・カルロスを支持する反乱.これを機に北部諸州で保守派の反乱発生.カルリスタ戦争開始.イザベル側はマドリッドを中心とする自由主義派,カルロス側は農園主を中心とする旧体制維持派が支持.

10.23 イサベル2世,女王即位.

33 英国,全領土で奴隷制度を廃止.

1834年

4.10 摂政マリア・クリスティーナ,34年憲法を公布.

4 ポルトのミゲル軍,リスボン奪回のため進軍開始.ノvora-モンテの戦いで惨敗を喫する.

5 ミゲル軍降伏.ミゲルは年金をもらうことで退位に合意.海外亡命に入る.マリア2世が即位.このあとドン・ミゲル派は没落し,「9月憲法」と産業保護を主張する「9月党」と,「26年憲章」を擁護する親英派「憲章党」との対立になる.

7 バスクの王党派,ドン・カルロスをカルロス五世と宣言し,反乱開始.

35 反乱軍,バスクの中心地ビルバオを攻撃するも失敗.最高司令官トマス・Zumalac疵regui ・イ・デ・イマスの死.

1836年

2.03 メンディサバル蔵相,永代所有財産解放令を布告.

9.08 ポルトガルで22年憲法の復活を要求する九月党のクーデター.

12 ルチャナのたたかい.エスパルテーロ将軍の率いる政府軍がカルリスタに勝利.第一次カルリスタ戦争は実質的に終結に向かう.

1837年

6.28 主要都市のブルジョアジーが王権に反対してフンタを結成.制限選挙,二院制,国王拒否権などを定めた37年憲法を制定.国内は三つどもえの闘いとなる.

7.12 ポルトガルで,テルセイラとサルダーニャがひきいる憲章党の反乱.

9.20 憲章党の反乱,敗北に終わる.

37年 ドンカルロス,戦況を打開しようとしてマドリード進撃を試みるが,政府軍の反撃により敗退.

38 カタロニアのモレラで,ラモン・カブレラの率いるカルリスタ軍が政府軍を打ち破る.

39.8.31 ベルガラで停戦会議.カルリスタ戦争終結.カルリスタ将軍ラファエル・マロト,ドンカルロスの反対を押し切り,ベルガラ協定に調印.バスクの自治権が認められる.これによりバスク地方での戦争は終結に向かう.ドンカルロスは国外亡命.

1840年

40 イサベル王女が正式に王位継承者に,母のマリア・クリスティーナが摂政の座につく.マリア・クリスティナ摂政,中央集権制を強化するため,各都市の大幅な自治を認めた37年憲法の廃止を計る.各都市からの抵抗が強く,逆に12年憲法の復活を認めさせられる.しかし12年憲法に対しては地方から強い反発.

9.01 カルリスタ戦争の英雄で自由派のエスパルテロ将軍,マリア・クリスティナ摂政指令を拒否.みずから首相となり改革を開始.

10.12 マリア・クリスティナ,エスパルテーロの改革に対する不満から,摂政の地位を辞退.女王とともにフランスに亡命.保守派に反乱を訴える.エスパルテロが宰相に就任.カルリスタを押さえ込み,三年間にわたる専制政治.

40年 カタロニアのカブレラ軍,ベルガラ合意に反対し戦闘を継続.その後1万の兵士がフランス領側に追い出される.

1841年

5 Espartero,議会の任命により,自ら摂政となる.

10 クリスティナの訴えに呼応して,パンプローナで反乱.まもなく鎮圧される.

1842年

2.10 憲章党のテルセイラとコスタ・カブラルによるクーデターが成功.親英路線をとる.

12 バルセロナでクリスティナ派の反乱.南部でファンPrim y Prats大佐の反乱.

42 バルセロナで労働者急進派の武装蜂起.エスパルテロはこれを武力によって鎮圧したため,民衆の支持を失う.

1843年

7.23 中道派レーモン・マライア・ナルバエス将軍に率いられる反乱,バレンシアで発生.

7.30 ナルバエス将軍の部隊,マドリードを占領.エスパルテロは英国に亡命.

11.08 イサベラ2世(13)は成人を宣言し,親政を開始.ナルバエスが首相に就任する.

1844年

1 パリの労働者,国民議会に奴隷制の即時廃止を要求.

3.28 スペインで治安警察隊創設.

5.04 ナルバエス,各地の反乱を平定.実権を掌握.

45.05.23 スペイン,超保守的な憲法を制定.

45 ドン・カルロス,国王僭称を断念.Count de Molinaのタイトルを受ける.

1846年

3.04 農婦マリア・ダ・フォンテに率いられた反憲章党(九月党)の反乱.

10.06 パトゥレイアで農民の反乱が始まる.ポルトガルの自立を恐れる英西の軍事干渉により鎮圧される.実権を握る憲章党のサルダーニャは独裁政治を開始.

46 ドンカルロの息子モンテモリン,カタロニアでパルチザン戦争を開始.第二次カルリスタ戦争.48年には敗退.

1848年

2 フランス,2月革命.「共産党宣言」発表.

3.26 マドリードでナルバエス独裁に反対する蜂起.

10.28 スペイン最初の鉄道が,バルセロナ=マタロ間に開設される.

48 フランス,全植民地において奴隷制度を廃止.

49 サルダーニャに代わりコスタ・カブラルが政権を掌握.

1850年

1851年

5 ポルトガルでサルダーニャ元帥によるクーデター.サルダーニャはボンバル宰相の孫でドンミゲルとの内戦で戦功を挙げる.経済相に就任したフォンテス・ペレイラ・デ・メロは産業インフラの整備に力を注ぐ.革新党(旧憲章党)と歴史党(旧9月党)の二大政党制に移行.

12 ルイ・ボナパルト,クーデターにより権力掌握.10年任期の大統領となる.

51年 ナルバエス,教会と妥協.宗教協約締結.カトリックを国教とし,教会に教育の管轄権を与え,教会所有の土地・財産の売却を停止.

52.12 ルイ・ボナパルト,国民投票により皇帝に就く.

1854年

7.17 マドリードでエスパルテロ派の反乱.各地でプロヌンシアミエントと都市蜂起があいつぐ.

7.31 現体制に不満を持つレオポルド・オドンネル将軍ら,エスパルテロ派と手を結び,ナルバエス打倒に成功.エスパルテロをふたたび政権に就ける.エスパルテロは外国資本の導入を推進,産業近代化が一気に進む.

54 ロシアがトルコに対しルーマニアの割譲を要求.クリミア戦争となる.英国,フランスはトルコを支持して戦争に介入.

55 カタロニアで最初の労働者によるゼネスト.アンダルシアやカスティリャでも農民のデモが激化.その後も政局の混乱が続く.

1856年

7.14 オドンネル将軍,政局混乱を非難しエスパルテロに退陣を要求.

7.24 オドンネル自身がプロヌンシアミエントの推薦によって政権につく.エスパルテロ派のデモを弾圧し,全国民兵隊を解散させ,全面的に権力を掌握.

10.13 ナルバエス,政権の混乱に乗じふたたび権力を獲得.45年憲法を再公布.

58.6.30 オドンネル,ふたたび権力を獲得.自由主義中道を標榜し「自由主義連合」を結成.議会選挙に勝利し政権を獲得.自由放任主義の下,積極的に海外資本を受け入れ,鉄道網の整備に当たる.さらにアフリカへの進出を積極的に図る.しかしカタロニア,バスク以外の地域では目立った経済成長は見られず.農業改革の約束も無視される.

59.10.22 モロッコのアラウィー朝アブドル・ラーマン国王死去.セウタとモロッコとの境界を巡り,スペインは宣戦布告.モロッコ戦争開始.オドンネルが自ら遠征隊を指揮.

59 イタリア統一戦争が始まる.

1860年

4月 スペイン軍,T騁ouanを確保.モロッコ戦争終了.スペインは2000万ドルの賠償,Ceutaのフロンティアの拡大,もう一つの飛び地(Ifni)を獲得.オドンネルは戦功により公爵に序せられる.

60 モンテモリン,反乱を企てるが敗北.王位に関する要求を放棄し,国外追放となる.まもなくモンテモリンは病死,弟のドンフアンが後継者となる.

60 ガリバルディ,赤シャツ千人隊を組織し,両シチリア王国を征服.サルデニャ国王ビットリオ・エマヌエレ2世に献上.

61.6.28 グラナダのロハで,共和制と土地分割を求めて農民が蜂起.

61 イタリア王国成立.国王にサルディニア王エマヌエレが即位.

63 土地相続法公布.永代所有財産は最終的に廃棄される.

64.9.16 議会選挙で保守派の勝利.オドンネルに代わり,ナルバエス政権が4度目の復活.

64 国際労働者協会(第1インター)創立.

1865年

4.10 市民や学生の反政府運動が高揚.主力部隊となったバルセロナの労働者協会連合センターは,のちに2万五千の会員を擁するまでに発展.ナルバエス政権は武力により弾圧.

6 ファン・プリム・イ・プラッツら進歩党系の軍人,軍事クーデターを試みるが失敗.この後二年間にわたり,各地で反乱あいつぐ.

67.9 ローザンヌでインタナショナル大会.スペイン労働者代表も参加.

67 明治維新.

1868年  9月革命

7 イサベラ二世,独裁傾向を強める.軍の一部が反乱を起こすが失敗.指導者はカナリア諸島に追放される.

9.18 イザベラ,ナポレオン3世との同盟に署名するためフランスに赴く.カディスのファン・バウティスタ・トペテ・イ・カルバリョ海軍提督,革命宣言を発表.反乱はマドリードその他の都市に拡大.

9.28 フランシスコ・セラノ将軍の率いる反乱軍,コルドバ近郊アルコレアの戦いで,マニュエル・パビア・イ・レイシー将軍指揮の政府軍を撃滅.

9.30 イサベラはフランスに亡命.反乱軍はイサベラ追放を宣言.9月革命が成功.

10.01 反乱軍,セラーノとプリムを首班とする臨時政府の樹立を宣言.反動的法律を廃止しイエズス会などの命令を廃止,普通選挙権,出版の自由を確認.

10.10 キューバで第一次独立戦争が始まる.

10.19 通貨の基本単位がペセタに変更.

68年 連邦主義者と共和主義者の党として連邦民主共和党Partido Republicano Democratico Federalが結成されフランススコ・ピ・イ・マルガルが中心人物となる。

1869年

6.06 スペイン議会が立憲王政を宣言.立憲君主制と普通選挙制,議会内閣制,国家と教会の分離,信仰の自由などを定めた憲法が制定.セラーノ将軍が摂政に,プリム将軍が暫定内閣を組閣.

69 スペイン東部の都市で共和主義者の蜂起.

69 バクーニンの弟子で,イタリア人のファネリ,アンダルシア地方の農民に無政府主義を紹介.神秘主義的傾向を強める.

1870年

6.19 バルセロナで第一回スペイン労働者大会開催.バクーニン主義者が主流を占める.インターナショナルへの加盟を決議.

6.25 パリに亡命中のスペイン女王イサベル2世が退位の説得に応じ,長子レオポルド(アルフォンソ12世)に譲位.

9.02 普仏戦争.セダンの戦いで捕らえられたルイ・ボナパルトは降伏し,退位.パリ・コミューン成立.

11.16 レオポルドが即位を辞退したため,イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエーレの息子サボア伯アマデオがスペイン国王に即位.アマデオ1世を名乗る.

70年 サルダーニャの汎イベリア主義クーデター,失敗に終わる.

71 ドイツ帝国成立.ビスマルクが宰相に就任.

71 マルクスの娘婿ラファルグ,コミューン敗北後スペインに逃れる.このあとマルクス主義が労働者のあいだに広まる.

1872年

1.20 フィリピンのカビテ(Cavite)弾薬庫で兵士労働者200名が反乱を起こす.本国政府とイスキエルド総督はこれを口実に独立運動家の一斉摘発に乗り出す.現地の聖職者三人(ホセ・ブルゴス,ハシント・サモラ,マリアノ・ゴメス)が死刑に処せられる.

4.26 アマデオ一世の王位を不満とする旧王室一派は,ドン・カルロス(ドン・フアンの息子)をカルロス7世と名乗らせ,王位を主張.

6 マドリードで労働運動の主導権を巡り,バクーニン派とマルクス派の衝突.

9.02 ハーグのインタナショナル大会,バクーニン派の除名を決議.

12 第3次カルリスタ戦争が起こる.

1873年 第一共和制

2.11 プリム首相の暗殺により後ろ盾を失ったアマデオ一世は退位.議会主流を掌握した共和派が共和制を宣言.第一共和制に移行.フィゲーラスが初代暫定大統領に就任.

6.11 共和派のピ・イ・マルガルが大統領に就任し,連邦共和国を宣言.

7.12 カルタヘナで,カントナリスタ(地方分離主義者)の蜂起.インターナショナル派を中心とした市民,アルコイで蜂起.

7.18 ピ・イ・マルガル大統領が辞任.後任のサルメロン大統領は,単一国家主義を採り,カントナリスタを弾圧.その後政局の混乱が続く.

1874年

1.02 マドリードで,王政復古を目指すマヌエル・パビア将軍が蜂起.スペイン議会は解散し第1共和政が終る.イザベラは退位し,息子アルフォンソXIIが王位につくこととなる.セラーノが王政復古までの暫定大統領に就任.その後も76年まで内戦が続く.

1.11 新政権,第1インターナショナルを非合法化.

2.26 フランシスコ・セラーノが退き,サバーラが内閣を組織.

9.03 サバーラ退陣.自由党のサバーラを首班とする立憲派内閣が成立.保守派はカノバスを中心に保守党を組織.二大政党制へ移行.

12.31 立憲派内閣崩壊.アントニオ・カノバス・デル・カスティリョの保守党内閣が成立.

1875年

1.14 アルフォンソ二世,マドリードに入る.王政復古.

12 英資本によるスペイン最大の鉱山会社リオ・ティント創立.

1876年

7.02 第三次カルリスタ戦争終結.76年憲法が制定される.

10.29 「自由教育教会」創立.その後多くの知識層を輩出.

1876 バスクの地方特別法が全面廃止される.バスクは完全にスペイン中央政府の1行政単位となる.

1878年

2.10 サンホン条約締結.第一次キューバ独立戦争終了.

79.5.02 サラゴサでスペイン労働者大会.無政府主義者とマルクス主義者が激しく対立し,まもなく分裂.

79年 パブロ・イグレシアスらがマドリードでスペイン社会主義労働者党(PSOE)を創立.マルクス主義を標榜しアストリアス地方の鉱山労働者層を中心に影響力を拡大する。

79年 無政府主義者は全国労働総連合(CNT)を結成.「イベリア無政府主義者同盟」はカタロニアやアンダルシアに勢力を拡大する.

 

1880年

1881年

2.08 自由党のサガスタ,首相に復帰.労働結社法が制定され,結社の自由が承認.

9 南部の農村部を中心にスペイン地方労働者連盟結成.CNTとともに無政府主義者の土台となる.

82.12.03 「黒い手」が活動を開始.

84年 ポルトガルに「赤色地図」運動.アンゴラとモザンビクを地続きにする計画.

85.11.25 アルフォンソ12世没.王妃マリア・クリスティーナが摂政となる.

86.5.17 アルフォンソ13世誕生.ひきつづきマリア・クリスティーナが摂政を務める.

88.8.12 社会労働党の影響下にバルセロナで労働総同盟(UGT)結成.その後マドリードやアストゥリアス鉱山地帯、バスク工業地帯に活動の中心を移す.

1890年

1.11 英国のソールズベリー首相,ポルトガルの赤色地図計画を非難.最後通牒を送る.ポルトガルは計画の断念に追い込まれる.

12.30 スペインで男子普通選挙法が制定.選挙の管理にあたったのが地方ボス(カシーケ)だったため,有名無実に終わる.

1891年

1.31 ポルトで共和主義者による反乱.失敗に終わる.

12.31 スペインで新しい関税率を定めた政令が公布され,保護関税策が強化される.

92.5.25 カタルーニャ主義同盟第1回会議が,自治構想を発表.

93.10 スペイン領モロッコのリフ族,ヒバラ族がスペインに対する反乱.リフ戦争(またはメリジャ戦争)勃発.

94 サビノ・アラナ,バスク人民センターを創設.民族独立を目指す.

1895年

2.24 第二次キューバ独立戦争が始まる.

7.31 バスク・ナショナリスト党が創立.

95 バスク人民センターを中核にバスク民族主義党(PNV)が創立される.

1896年

3 フィリピン臨時革命政府が樹立される.

8.21 フィリピンで独立派の反乱が開始される.

1898年

4.18 米西戦争開始.

8.30 ポルトガル植民地への投資に関する英独協定.

12.10 パリ講和条約.米西戦争終結.フィリピン,プエルトリコは米国に割譲される.

1899年

2 スペイン,ドイツにカロリン諸島を割譲.

9 ジョン・ヘイ国務長官,列国にむけ中国の独立保全と貿易上の機会均等を内容とする「門戸解放政策」をよびかける.

10.14 ポルトガル,アフリカ植民地の維持につきイギリスとの間に秘密条約締結.

99年 UGT,本部をバルセロナからマドリードに移転.

 

1900

1900年

3.13 婦女子労働禁止法公布.10時間以上,10歳以下の子供の労働禁止.

00年 軍事予算が大幅に削減される.将校の減員に手を付けなかったため,軍事予算の6割が,500人の将軍と580人の大佐と2,300人の将校の給与に充てられることとなる.

01年 カタロニアに「リュイーガ」が結成される.新興資本家をバックとする政党.

1902年

2.17 バルセロナでゼネストが発生する.軍隊の出動で40人が死亡.

5.17 アルフォンソ13世による親政開始.

03年 カタロニアを基盤とする共和連合Union Republicana が結成され、ニコラス・サルメロン、アレハンドロ・レルーが指導。

1904年

10.03 モロッコの分割支配を狙うフランスとスペインが共同統治協定を結ぶ.

04年 ビルバオの民族派,サビノ・アラナの思想を受け継いでバスク青年団を結成.地下活動を続ける.

1905年

3.31 第1次モロッコ事件発生.ドイツ軍がモロッコ上陸.

05年 ペテルブルグで「血の日曜日」事件発生.これを機に日露戦争終結.

1906年

1.16 第一次モロッコ事件終了.アルヘシラスで停戦会議開催.

2.11 「ソリダリダート・カタラナ」結成.カタロニア分離派の組織.

4.07 アルヘシラス議定書締結.モロッコは名目上は独立国となるが,警察権を西仏両国に握られることになる.

5月 ポルトガル国王カルロス一世,ジュアン・フランコを首相に任命.議会解散.

5.31 アルフォンソ13世,英国のビクトリア女王の孫と結婚.祝賀パレードにアナーキストが爆弾.20名以上が死亡.

1907年

1.15 保守党のマウラが首相に就任.

4.12 ポルトガルで労働運動興隆.ジュアン・フランコ首相は独裁体制を確立.強権姿勢で臨む.

4 スペイン総選挙.カタロニア分離派が躍進.

5.16 英・仏・西間のカルタヘナ協定成立.

8 ソリダリダート・オブレラ(労働者自決)が結成される.

1908年

1.06 レルーら,カタロニア中心の共和連合に反発し、サンタンデルで急進共和党を結成.

1.21 ポルトガルで共和主義者による軍事反乱.

2.01 カルボナリ党,カルロス一世とルイ・フェリペ王子を暗殺.

08年 ジョアン・フランコ首相,テロリストの手により暗殺される.

1909年 悲劇の1週間

2 北アフリカのメリーリャで鉱山労働者のストライキ.スペイン軍が出兵,モロッコ戦争が激化する.

7.09 モロッコのリフ山地(鉱山地帯)でスペイン軍と地元住民が衝突.

7.10 アントニオ・マウラ政権は,モロッコ戦争のため予備役召集.労働者は戦争反対のキャンペーンを開始.

7.19 バルセロナ,マドリードで反戦運動が高揚.全国的ストライキ委員会結成.

7.26 バルセロナで自然発生的なゼネスト.市内の至る所にバリケードが築かれる.闘争は反教会運動へと流し込まれ,各所でカトリックの施設に対する焼打ち事件.

8.01 政府,バルセロナに戒厳令を布告.軍の手により暴動は鎮圧される.市民百名が死亡,2千人が逮捕され,処刑される.「悲劇の1週間」と呼ばれるようになる.

9.16 スペイン新聞編集者会議が,新聞検閲廃止と憲法擁護保証の復活を国王に要求.

10.13 フランシスコ・フェレール(アナキストの教育運動家),「悲劇の1週間」を扇動した疑いで銃殺刑に処せられる.世界各地で抗議行動.

10月 マウラ保守党政権崩壊.

11.07 共和主義者と社会党との連携協定が成立.

1910年

2.09 自由党内閣が成立.カナレハスが首相に就任.

5.08 総選挙.社会党の初の代議士パブロ・イグレシアスが誕生.

10.04 リスボンで軍内共和派の反乱.

10.05 ポルトガルで共和革命成立.マヌエル二世は国外亡命.テオフィロ・ブラガが臨時大統領に就任.法相に就任した民主党のアフォンソ・コスタが政教分離政策を進める.このあと,26年のサラザール就任まで,26回のクーデターが繰り返され,9人の大統領が入れ替わる.ゼネストは158回に及ぶ.

10 バルセロナでアナーキストの総会.「カタロニア地方労働者連合」を拡充して全国組織とする決議.

1911年

4 第2次モロッコ事件(アガディール事件)発生.スペイン軍,現地でモーロ人を雇い部隊を編成.これらの部隊の訓練にはフランコやサンフルホ将軍らがあたる.

5 ポルトガル制憲議会選挙.共和主義者がほぼ全議席をしめる.

8.01 軍艦マヌンシア号の反乱.

8 議会の選挙でマヌエル・デ・アリアガが初代ポルトガル大統領に選出される.議会で1911年憲法成立.

9.10 バルセロナで労働者全国連合(CNT)が創立.議会政治との絶縁,労働組合による革命を目指す.各地でモロッコ出兵に対して反戦ストを組織.

11月 第二次モロッコ事件終結.フェス協定調印.

1911年 ポルトガルで共和制に反対するコーセイロら王党派の反乱.

1912年

7 コーセイロ二度目の反乱を試みる.ミゲル派もこれに加わるが,結局敗北に終わる.

9 鉄道労働者による全国ストが1ヶ月に渡り続く.

11.12 カナレハス首相,暗殺される.

11.27 モロッコ分割に関する西仏協定調印.スペインはメリージャ,セウタ周辺の山岳地帯を獲得.これらの地帯は,不便なうえに,アルセマス(Alhucemas)湾によって隔てられ,発展困難な地域.いっぽうモロッコ主要部はフランスの保護下にはいる.

12年 二次にわたるバルカン戦争勃発.第1次戦争でトルコから領地を獲得したバルカン諸国が,第二次戦争で分け前を争う.バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるようになる.

1913年

4 スペイン農民全国連合(FNAE)が結成される.CNT系農民組合の結集したもの.

10.27 保守党内閣が成立.ダートが首相に就任.

13年 ポルトガル臨時政府で法相を務めたコスタが首相に就任.ストに参加した労働者3千人を逮捕するなど労働運動を弾圧.新選挙法で文盲の選挙権を取り消す.有権者の数は半減.

1914年第一次世界大戦

4.06 「マンコムニダート」成立.カタロニア地方4県が自治連合を組む.

6.28 ボスニアの首都サラエボ(Sarajevo)を訪問中のオーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公と大公妃ゾフィア夫妻がセルビア人ガブリロ・プリンチップに暗殺される.

7.28 オーストリア,セルビアに宣戦布告.第1次世界大戦勃発.スペイン,ポルトガルは相次いで中立宣言.スペイン社会党は反戦宣言を発表.

8.3 ドイツはロシア,フランスに宣戦布告.

8.4 英国がドイツに宣戦布告.米国は中立を宣言.日本は日英同盟に従い,ドイツに宣戦布告.

8 ドイツ社会民主党が戦争協力を決定.各国社会民主党は祖国擁護路線をとる.第2インター崩壊.

9.5 マルヌの戦い.このあと西部戦線は膠着化.

14年 ポルトガル全国労働総同盟が結成される.「ルシタニア統合主義」運動が発足.反共和派勢力を結集.

1915年

1.23 ポルトガル首相にピメンタ・デ・カストロが就任.

1 リープクネヒト,ローザ・ルクセンブルクが社会民主党左派を結集し,スパルタクス団を結成.

3 カストロ,議会を閉鎖.独裁制に移行.

4 ドイツ,毒ガスの使用を開始,潜水艦による無差別攻撃など,戦術をエスカレート.

5.14 カストロ独裁に反対する共和派軍人の反乱.カストロを放逐.

5.23 イタリア,連合軍側(英,仏,露など)の一員としてとして参戦.

5.31 ユトランド沖海戦,ドイツの勝利に終わる.

10.25 ヴェルダンで最大の激戦.

12.09 スペインでロマノネスを首班とする自由党内閣が成立.

1916年

3.09 ドイツ軍,アンゴラとモザンビークに侵入.ポルトガル,ドイツに宣戦布告.イギリスの要請を受け独仏国境の前線に参加.

7.17 UGTとCNT,ゼネスト共闘で合意.

1917年 ゼネラル・ストライキと左傾化

3.12 ロシア二月革命勃発.ケレンスキーを首班とする臨時政府樹立.

3.27 UGTとCNT,反政府闘争を共同で行うとの宣言を発表.

4.6 米国,ドイツに対し宣戦布告.

6.01 軍隊の改革を唱える軍事防衛フンタの宣言.

6.07 社会党,物価騰貴に抗議するゼネストを呼びかける宣言.パブロ・イゲレシアスとともにラルゴ・カバリェロとフリアン・ベステイロらが指導。

6.11 ロマノネス政権は政情不安に対処できず退陣.保守党のダートがふたたび政権に就く.

7.16 バルセロナで反政府派の議員会議が開催される.

7.20 バレンシアで4日間にわたるゼネスト.その後,アンダルシアでも農村労働者のゼネストが行われるなど国内各地に拡大.

8.13 UGTとCNT,共同で「革命的ゼネスト」を展開.ストは王政廃止をスローガンに掲げるようになる.

11.03 自由党左派のガルシア・プリェトが首班となり新内閣を組む.内閣にはカタロニアの政治組織「リュイーガ」も参加.

11.6 ロシア10月革命成立.ボルシェビキ新政権は「平和に関する布告」を発表し,ドイツとの休戦交渉に入る.

12.05 リスボンでシドニオ・パイスらによるクーデター.パイスは元ドイツ大使館付き武官を務めた人物.

12.08 シドニオ・パイス,全権を掌握.議会を解散.

1918年 パイスの1年

1.8 ウィルソン大統領,「平和のための14の原則」を発表.

3.3 ソ連とドイツのあいだでブレスト・リトフスク講和条約成立.

3.22 マウラ挙党一致内閣が成立.

4.09 北フランスの西部戦線に参加したポルトガル軍,ドイツ軍に集中攻撃され,8千人以上の戦死者を出し敗退.

4 ポルトガル新憲法の下で国会選挙.パイスが大統領に選出され,議会の多数もパイス派がしめる.パイスはカトリックとの関係を修復,王党派に接近するようになる.

8.2 米国と日本,反革命派支持のためシベリア出兵.

8.8 ドイツの防備線,英軍により突破される.ウィルヘルム2世は和平交渉を指示.

10 自由主義派軍人がコインブラで反乱.一時市内を制圧するが,その後敗れる.

11 AFLの主導で,汎アメリカ労働総同盟(COPA)結成.中米,カリブ海諸国を中心とする反共労働組織.

11.3 キール軍港で水兵の反乱起こる.

11.8 社会民主党のエーベルトが権力を掌握.カイゼルは退位しオランダに亡命.第一次世界大戦終結.

11.09 ガルシア・プリェト内閣がふたたび成立.リュイーガは新内閣には加わらず.カタロニアで分離主義者の闘争が激化する.

12.14 パイス,リスボンで暗殺される.後任大統領にカント・エ・カストロ提督が就任.北部で王党派の反乱が続く.

18年 アンダルシアで農民運動拡大.「ボルシェビキの三年間」が始まる.

18年 総選挙。社会労働党は6議席を獲得。

1919年

1.5 スパルタクス団(社会民主党左派)によるベルリン蜂起発生.

1.10 リスボンとサンタレムで共和主義者が反乱.

1.19 コーセイロ,王党派を率いポルトで反乱.

2.04 カナダ系電力会社「カナディエンセ」でストライキが開始.

2月 モロッコ戦争激化.

3.02 コミンテルン第1回大会,モスクワで開催.

4.03 8時間労働法が公布される.

4 カナディエンセのストライキ,CNTの指導により勝利を収める.

9 バルセロナの警視総監,アナーキストにより暗殺.経営者はピストレーロを雇い対抗.

9 ポルトガルで労働総同盟(CGT)創立.

10 バレンシアでストライキ拡大.2ヶ月にわたる.

12.09 社会党臨時大会.僅少差で第二インターにとどまる決議採択.

12.10 CNT大会,UGTの共闘申し入れを拒否.代議員の大半はコミンテルン加盟に賛意.

1920年

1 ジュネーブを本部に国際連盟発足.アメリカ・ソ連は非加盟.

6.19 社会党大会,コミンテルン加入賛成派が多数を占める.

6.23 UGT大会,第二インター系労連に残留する決定.

7 青年社会主義同盟(社会労働党青年部),全国大会を開催.コミンテルン加盟を決定.

20年 スペイン領モロッコの知事,ダマソ・ベレンゲル将軍,東部のヒバラ族居留地を支配地に付け加えようとする.さらにマニュエル・フェルナンデス・シルベストル将軍に命じ,リフ族の住む西部にも侵攻.モロッコ北部リフ山地のベルベル人首長アブデル・カリーム,西仏両国のモロッコ支配に抗議し反乱.

1921年

3.06 ポルトガル共産党設立.

3.08 ダート首相,暗殺される.

3月 スペイン共産党(PCE),第一回大会を開催.青年社会主義同盟が中心となる.

4.09 社会党大会,コミンテルン加入反対派が多数を占める.賛成派は脱党.

4.13 社会党左派,スペイン労働者共産党(PCOE)を創設.

7.21 リフ軍部隊,地中海岸のアヌアル(Annoual)で,シルベストレ将軍指揮下のスペイン軍1万2千と決戦.この闘いでシルベストレ自身をふくむ8千人が戦死.スペイン軍部隊は壊滅し,メリージャの領土内に押し返される.カリームはリフ部族連合共和国を宣言.大統領に選出される.コミンテルンもこれを支持.スペイン本国では,敗戦責任を問う激しい論争により,寡頭的二大政党政治は危機に陥る.

8.14 保守党によりマウラを首班とする挙党内閣が成立.

10.19 ポルトガルで,クエリョ大佐によるクーデター.グランジョ首相を殺害.その後列強海軍の圧力により敗退.

21 戦後不況が襲来.バルセロナ銀行やビルバオ銀行があいついで倒産.

21 コインブラ大学の助教授アントニオ・デ・オリベイラ・サラザール,キリスト教民主主義学生センター(CADC)をバックに国会議員に当選.

1922年

3.14 PCEとPCOEが合併し,スペイン共産党が創立される.社会民主党の大部分と社会党の一部を糾合.アントニオ・ガルシア・ケヒドが最初の書記となる。

7月 モロッコの独立軍とアヌアルで戦闘。スペン軍は惨敗し兵士9千人を失う。

9.13 カタロニア地方司令官ミゲル・プリモ・デ・リベラ将軍,バルセロナに戒厳令を敷き,軍を配置.テロと共産主義を排し,モロッコ問題を解決するため軍事政権を樹立する移行を明らかにする.

9.15 アルフォンソ13世,プリモをマドリードに呼び首相に任命.プリモはただちに軍人のみからなる内閣を編成.社会党や自由党も反テロの立場からプリモを支持.

10.28 ムッソリーニ,ローマ進軍で威嚇.三日後に首相に就任.ファシズム政治が開始.

10 アヌアル敗北の責任を問う議会調査委員会,77名の将校が敗北に責任ありと判定.さらにアルフォンソ13世がシルベストレ将軍に無謀な指示をしたと言及.

11 アルフォンソ13世,プリモ首相を伴いイタリア訪問.イタリア首脳に「これが私のムソリーニです」とプリモを紹介したという.

 

プリモ・リベーラの独裁

1923年

1 カタロニアで小作農組合「ウニオ・デ・ラバッサイレス」が結成される.

3.10 CNT穏健派のサルバドル・セギ,逮捕・虐殺される.CNTは報復としてサラゴサ枢機卿を暗殺.この後CNTの中心はテロリストが握るようになる.

5 バルセロナ市内にストライキが広がる.

9.13 高まるモロッコ干渉戦争反対の声を抑えこむため,プリモ・デ・リベーラ将軍が軍事クーデター.

9.15 プリモ,国王アルフォンソ13世の同意の下に戒厳令を布告し,議会を解散して憲法を停止し,軍事独裁政権を樹立する.

9月 共産党とCNTは独裁を批判し非合法化され弾圧された。一方PSOEとUGTはフリアン・ベステイロと ラルゴ・カバリェロの指導の下で政権に協力。UGTはスペイン最大の労働組合連合となった。

23年 セサール・ロドリゲス・ゴンサレスがケヒドに次ぐ共産党書記長となるが、まもなく逮捕される。オスカル・ペレス・ロペスが総書記に就任。

11 ポルトガル共産党,第1回大会を開催.ベント・ゴンサルベスが書記長に選出される.ペドロ・ソアレス,ジョゼ・マグロ,アントニオ・ディアス・ロレンソらが指導部を構成.このときの党員数は5百名.労働運動ではアナーキストに圧倒されるが,海軍の中に支持者を拡大.

23年 ヒトラーのミュンヘン蜂起,失敗に終わる.

1924年

3.08 自治体憲章制定.

4.14 プリモ・デ・リベラ,ファシストを真似た単一の翼賛政党「愛国同盟」を結成.「宗教・祖国・王政」のスローガンを掲げる.社会党幹部のラルゴ・カバリェロを労働問題顧問に起用し仲裁機関を設立.

7 カリームの攻勢開始.スペイン軍を追い詰める.プリモはメリーリャからの撤退を考えたが,フランコらの猛反対にあい,戦線維持に方針転換.

24年 オスカル・ペレス・ロペスが、共産党総書記のままコミンテルン執行委員を兼任。

1925年

4.18 ポルトガルで王党派の反乱.

4 Wargha谷のたたかい.エル・クリム供給基地に侵入したフランス軍を撃退.さらにFesの古都近郊にまで追撃.

6.20 リフで敗北を重ねたフランスとスペイン,共同作戦協定締結.

7.21 カリーム軍は西仏協定に対抗し,フランスとのあいだにも戦線を開く.結果的にはこの二正面作戦が命取りとなる.

9.08 スペイン軍,アルセマス湾からモロッコに上陸.補給線を絶たれたカリーム軍は徐々に追いつめられる.

12 ソ連でスターリンが全権を掌握.共産党第14回大会で「一国社会主義」を目指し工業化計画を決定.

25年 社会労働党のイグレシアス書記長が死亡。フリアン・ベステイロが指導者となる。インダレシオ・プレイトはプリモ・リベラとの協力路線を批判。

25年 オスカル・ペレス・ロペスが逮捕される。コミンテルンのスペイン担当者ヘンリク・ワレツキはホセ・ブリェホスを総書記に指名する。ホセ・ブリェホスは32年まで責任者を務める。

25年 マラガでアルトゥロ・カベリョらのもと共産党の強力な組織が建設される。

1926年

3 スペイン軍9万が,アジディール近郊のアルセマスに上陸.フィリップ・ペテン元帥の率いるフランス軍16万が南方より侵攻.

5.27 アブデル・カリーム軍,最後の決戦に出るが惨敗.総勢25万人の連合勢力を前に降伏.レユニオン島に流される.

5.28 ポルトガル,国庫破産状態となる.ゴメス・ダ・コスタ将軍,当面の秩序維持を目的とし,クーデター計画を発動.

6.03 ゴメス・ダ・コスタ将軍,リスボンに進軍.政権を掌握.サラザールは蔵相に指名されるが,5日後に辞職.

7.09 ダ・コスタ将軍,わずか1ヶ月で追放される.引き続きカルモナ将軍が権力を掌握.

11 カルモナが大統領に就任し,新政府発足.共和派弾圧を目的とした特別警察(PE)が創設される.後に改組され国家治安警察(PIDE)となる.

26 フランコ,ヨーロッパ最年少の将軍(准将)となる.当時33才.

1927年

2 共和主義者,カルモナ独裁に反対しリスボンとポルトで反乱を起こす.

3 カルモナ大統領,国民投票により信任される.新政府は国際連盟に1,200万ポンドの借款を要請する.国際連盟は借款と引き換えに財政管理権を要求.

7.11 モロッコ戦争,最終的に終結.

7 CNT内過激派がバレンシアで「イベリア無政府主義者連合」(FAI)を結成.テロ活動を推進.セビリアのアナーキスト(アントニオ・ミヘ、マヌエル・デリカド、マヌエル・アダメら)も合流。

1928年

28 アフリカで武功を挙げ,将軍となったフランコ,サラゴサ総合士官学校長に任命される.秩序,義務,規律,献身を基調として,「祖国と国王を愛すること」を第一の目標とする教育.

28 スペインの神父ホセマリア・エスクリバ,カトリック教会のなかに「神の御業」を意味するオプス・デイ(Opus Dei)という秘密結社を組織.

28年 オスカル・ペレス・ロペス前共産党総書記が、獄中転向し共産主義放棄。

28.4.27 サラザール,カルモナ大統領の要請を受け,二度目の蔵相に就任.財政上の全権を委託され,国際連盟との借款交渉を打ち切り.自力更生路線をとる.

1929年

1. 29 元首相・陸相のサンチェス・ゲラを中心とするクーデター,未遂に終わる.自由主義者や社会党はプリモと離反.カタロニアもプリモに対し反抗.

5 セビリアとバルセロナであいついで博覧会.巨額の出資が経済破綻の引き金となる.

1930年

1.28 プリモ・デ・リベーラ首相,大恐慌と財政破綻のなかで辞任.パリへ亡命.後任には元侍従官長のベレンゲル将軍.この政変で共和主義勢力が復活.

4 UGT系の農民運動全国組織「全国農民連盟」(FNTT)が結成される.

7.04 サラザール,臨時植民地相として植民地法公布.

7.30 サラザールが,財政の建て直しに成功する中で政治の全権を掌握.自らの翼賛団体として「国民同盟」を創立.唯一の合法政党として,カトリック教会,ルシタニア統合主義者,ファシストなど雑多な右翼が結集.広報官のアントニオ・フェロが新国家の宣伝キャンペーンを展開.

8.17 サン・セバスチャン協定。バスクのサン・セバスティアンに,共和党・急進党・カタロニア党左派などのブルジョア共和派諸党が集結.王政を打倒し共和制を樹立するための革命委員会を設立.共産党,社会党,労働総同盟なども加え,共和政権樹立のためたたかうことで合意.

サンセバスティアン協定と社会党: 社会党のフリアン・ベステイロ書記長ら主流派は会議に参加せず。インダレシオ・プレイトら社会党左派の幹部12人が参加した。

12.12 アラゴンの町ハカで,フェルミン・ガラン大尉らと市民による反乱.共和制を宣言する.政府は全土に戒厳令.

12.15 ハカの反乱が敗北.ガランは銃殺される.

30年 総選挙。社会党114議席、急進共和党89議席、社会主義急進共和党55議席、共和中央派50議席、 カタロニア左翼共和36議席、共和主義行動30議席、独立ガリシア共和組織19議席(全470議席)