第五章 マングース作戦とミサイル危機

 

A.プルータスからマングースへ

(1)ケネディのイニシアチブ確保

・ランスデール准将とマングース作戦

 ケネディはCIAの失敗に怒っていただけで直接侵攻作戦を放棄したわけではありません.かれはもっとしっかりした責任のある計画の立案を望みます.そして正規の軍事作戦として「堂々と」米軍を上陸させるべく周辺を固めていたのです.

 失点の回復をねらうCIAはカストロ暗殺と国内撹乱に的をしぼって計画を建てなおします.これがマングース作戦と呼ばれるものです.作戦はグリーン委員会にも知らさず密かに展開されます.9月にはミサの行列にまぎれこんだ反革命分子が挑発を仕掛け警察と衝突します.事件の背後にカトリック教会が関与と見た政府は130名の神父を国外追放,ハバナ・カトリック大学をはじめ多くの宗教立学校を閉鎖します.キューバ最高の位階にあったアルテアガ枢機卿はアルゼンチン大使館に避難します.1

 61年11月ケネディはダレスCIA長官を突如解任,同時にNSCに対し新キューバ作戦の策定を指示します.これを受けNSC内に「特殊拡大グループ」が編成されました.グループを統括するのは弟のロバート・ケネディと統合参謀本部のテイラー議長です.こうして対キューバ作戦はCIAの手を離れペンタゴンの手に移りました.

 実際の計画策定にあたったのはテイラーの推薦を受けたランスデール空軍准将です.彼はベトナムにおいて「戦略村」構想を立案した人物で,その有効性がテイラーにより評価され今回の抜擢となったのです.国防省からCIAに派遣されたランスデールはこれまでの作戦を根本的に検討します.翌年1月,ランスデールは結合した32の作戦からなる「プロジェクト・キューバ」を特殊拡大グループに提出しました.この案は専門家たちに送付され意見が求められます.そして2月には従来の計画を大幅にエスカレートさせたあらたな計画が完成することになりました.2

 その柱はまず系統的なゲリラ活動を展開,ついで政府要人を亡命させその「内部告発」により世界の世論を味方につけるというものです.そして最後に「革命が起こり共産主義体制を転覆する」手筈となっています.エックスデーは10月のある日と定められました.

 プルータス計画との相違は,国内の反カストロ派活動のしめる比重が大幅に低下していることです.そしてなによりも重大な変更はペンタゴンそのものが作戦に関与することであり,作戦の最終局面において米軍が直接介入することも否定されていないことです,というより暗黙の前提となっています.

 テイラー議長は「革命の開始には何よりも国内の蜂起が必要だが,最終決着は米軍の直接参戦を要するだろう」と評します.つまりマングース作戦は最終的には米玖戦争のシナリオとして承認されたわけです.そしてそれはケネディによっても認められます.

 この計画をかぎつけたキューバは「米国がピッグス湾事件に次ぐ第二の侵攻計画を立てている」とし,緊急安保理の開催を要求しますが拒否されます.

 

・キューバ侵攻計画の再開

 4月にはいるとはやくも計画が発動していきます.まずプエルトリコで史上最大規模の海軍演習が開始されました.演習の中核となったのは空母フォレスタルに守られた海兵隊4千による強襲上陸訓練でした.

 演習のさ中ケネディはミロ・カルドナと会見します.そして「米軍を直接キューバに対して用いる用意がある」と表明します.これを受けた革命評議会は亡命者に米軍への志願をよびかけます.狙いはやがて国軍となるべきキューバ人部隊の創設です.

 亡命者武装集団も再び勢いづきます.フロリダ・キーズ諸島ではスタージスとディアス・ランスに指導された国際反共旅団がゲリラ戦の訓練を,マイアミ西南の沼沢地帯では反革命ゲリラ数百名が秘密通信,爆破などに関する訓練をそれぞれ開始します.革命評議会は「経済悪化にともなってキューバ国民の不満は急速に高まっている.いまや解放のときが来た」と声明します.

 キューバへの侵入事件も続発します.5月には重武装した旧モンテクリスティ派の舟艇がキューバ領海内に侵入,停戦を命じた掃海艇が奇襲を受け乗員3人が死亡,5人が負傷するという事件が起こります.アルファ66はピナルデルリオで上陸作戦をかけます.この攻撃で政府軍75人を殺傷し甘庶畑数千エーカーを焼き払ったといいます.かなり大がかりなものであったことがうかがえます.

 反革命の大義名分を得るためには国内の組織再建が必要でした.すでにMRPは壊滅していました.61年10月G2がアベニーダ街のアジトを摘発,そこからの情報でハバナ郊外の農場に潜んでいた残党を一斉逮捕したのです.カトリック系組織も武装ミサ事件以来大きな打撃を受けていました.

 もうフィリップスも入国は不可能でした.CIAは組織再建の任をMRRのギヨーに託します.CIAの手引きで国内潜入に成功したギヨーはMRR傘下のカソリック青年同盟,カソリック学生同盟,カソリック青年労働者同盟との連絡に成功,さらにMRP,11月30日運動,キリスト教民主運動,DR反対派などとも連絡をつけます.

 無事大任を果たしてフロリダに戻ったギヨーは亡命者団体の統一を図りますが,MRRのヘゲモニーを受け入れようとしない連中が抵抗するため挫折します.ギヨーはCIAに反対分子の排除を求めますが,もう利権がらみになっている幹部たちは特定の分子の排除を認めようとしませんでした.

 5月はじめギヨーは統一司令部を結成するため再びキューバに潜入します.しかし今度はダメでした.1カ月後には当局により摘発されてしまいます.こうして米国は国内に有力な受け皿を持たないままマングース作戦を遂行するほかなくなりました.

(2)マングース作戦の進展

・キューバ,核ミサイルを受け入れ

 キューバ政府は緊張を強めます.ソ連の戦略ロケット軍司令官ビリューゾフ元帥らが招かれキューバを訪問しました.彼は中距離ミサイルのキューバ配備を提案します.中距離となればもはや純粋に防衛的なものとはいえません.カストロは「米国の侵略を未然に防ぐための措置が社会主義陣営全体を強化することにもなる」と考え,受け入れを決断したといわれます.3

 今度はラウル国防相を団長とする軍事使節団がソ連を訪問しました.フルシチョフらと会談を重ねた上,準中距離弾道弾42基の配備が正式に決まります.このミサイルは広島型の数十倍の威力に相当する核弾頭を持つソ連の最新秘密兵器でした.その射程距離はワシントン,セントルイス,ダラスまで含まれます.この範囲内の大都市はアトランタ,マイアミ,ニューオリンズ,ヒューストンなど約20を数えます.いったん発射されれば犠牲者は少なくとも百万,最大二千万に達する可能性があります.4

ソ連はこの計画をアナディール作戦と名付けました.漁船や調査船を偽装した輸送船で2カ月半のあいだにミサイル配備を完了しようとする超スピードの超機密作戦です.その上でフルシチョフが訪問し,ミサイルを含む軍事協定に正式調印するという段取りとなりました.

ラウルの報告を受けたカストロはモンカダ記念集会で次のように演説します.「いまや米軍の直接侵攻のときが迫っている.すべての人民はこれに備えなければならない.ソ連はキューバを支援してくれる.間もなくマリエル港にロケット兵器を積んだソ連船を迎えるだろう」

その言葉通り8月10日を皮切りに百隻にのぼるソ連船がマリエル,およびマタンサス港に入港,その後1カ月余りのあいだに総勢2千人からなるソ連軍事専門家が各地に配置されます.

・プラスB計画の発動

 7月下旬特殊拡大グループはCIAから進行状況の報告を受けます.報告はすでに多くの要員や武器弾薬が島内に送り込まれ,8月30日の蜂起に向かって着々と準備が進んでいるとするものでした.8月はじめ開かれた特別グループ拡大委員会はマングース作戦の第一段階(情報収集)は完了したと合意し,第2段階(国内不安定化)への移行を決定します.ランスデールはこの報告を受け四つのオプションについて発動を提示しました.四つのオプションとは・情報工作,・政治工作(指導者の抹殺を含む),・経済工作(サボタージュ,限定撹乱),・準軍事行動を指します.

 しかし国内のサボタージュ活動は思いの外進みません.8月30日を間近に控えてグループの議長テイラーは,もはや国内の反政府運動に期待することはできないと判断します.そうなれば米国本土から直接武力により干渉する以外に方法はありません.

 彼は国内不安定化状態の成熟を待たず第三段階(内戦状態)の発動をもとめるメモをNSCあてに提出します.NSCもこの判断を支持,キューバ国内での破壊活動強化を内容とする「プラスB計画」を実行に移すよう決定をくだします.行動開始は可能な限りすみやかに,そしてエックス・デーは10月と定められました.

 決定の翌日早くもDRE(旧DR右派)の高速艇がハバナ沖合に接近,シエラマエストラ・ホテル,チャプリン劇場,ミラマール地区にロケット砲で攻撃を加えます.MRR主導の評議会に反感を持つアルファ66,DRE,MRPの三者は反共解放軍(FAL)を編成,「一斉蜂起」のプランを練ります.具体的行動としてはまずハバナ近郊に密かに上陸,国内の反乱分子の援助を受けながらハバナ市内の軍・警察関係拠点を占拠して気勢を上げる.その後エスカンブライのゲリラと合流して島の中央部を確保するというものでした.彼らはこのプランを提示し他のグループにも一斉蜂起に加わるよう呼びかけます.これをめぐりMRRは混乱します.ニューオリンズのボッシュらは革命再生反乱運動(MIRR)を名乗り,アルファ66と行動をともにするようになります.

・米国内における反キューバキャンペーン

 米国内にもにわかにキューバ侵攻論が台頭します.政府筋の世論操作によるものです.はやくもニューヨーク・タイムスは「カストロ打倒のため三軍が大攻撃をおこなう」ことを示唆する発言を報じました.NBCテレビはフロリダとグアテマラで訓練にはげむキューバ人亡命者部隊の実態を放映します.

 29日米国の違法偵察機U2がキューバに建設中の地対空ミサイル基地を探知します.ケネディはさっそく記者会見を開きソ連の干渉を非難します.その根拠がすばらしく自分勝手です.いわく「モンロー・ドクトリンは西半球に対する対外干渉の拒否」を規定しており「今日とりわけキューバにそれが当てはまることは明白である」というのです.

 

B.マングース作戦からミサイル危機へ

(1)米ソ挑発競争

・中距離ミサイル,キューバへ

 9月5日,ソ連の大型貨物船オムスク号とポルタヴァ号があいついで入港します.北極海に面する軍港ムルマンスクからはるばるとやってきたこの船に,問題の中距離ミサイルが積載されていたのです.これを容れる発射基地もピナルデルリオの山中に急ピッチで建設が進められていました.

 これと相前後してゲバラを代表とする「経済使節団」が緊急にモスクワを訪問します.ゲバラが産業相のためしかたなく「経済」と名付けたのでしょうが,訪問の目的は紛れもなく「軍事」そのものでした.

 核ミサイルの運用スタッフについて集中的に交渉されたものと思われます.共同声明によれば「キューバ政府は,侵略的帝国主義者の脅威に関連して,武器供給および訓練のための技術専門家を主体とする軍事顧問団の派遣を求め」ました.

 はじめは単なる経済援助から武器供与まで踏み込んできたソ連ですが,軍事顧問まで送るとなるとさすがに大変です.いわば軍事同盟の締結に等しい行為です.しかしミサイルの供与まで踏み込んでおきながら,これを操作できるスタッフを送らないのでは意味がありません.声明によれば「ソ連政府はこの要請を注意深く検討した結果,キューバの安全と独立を守るあらゆる必要な措置をとる」ことを決断します.こうして武器援助協定が核ミサイルに関する秘密協定をふくめ締結されました.

 共同声明にあたってソ連政府は独自の声明を発表し,・ソ連のミサイルは極めて強力でありキューバなど他国に据え付ける必要はない,・キューバに送った兵器と軍事資材はまったく防禦的なもので米国に危害を与えることはない,と強調します.これが真っ赤な嘘であったことはまもなく判明します.

 交渉をまとめさせたのはフルシチョフの意志です.代表団を迎えたフルシチョフは,米国に対し「キューバを攻撃すれば戦争」になると警告する声明を発表します.さらに彼はカストロあて親書で「世界の社会主義の名において,ソ連はキューバをみずからの領土であるように考え防衛する」から「ソ連の態度についてはすこしも疑念を持つ必要はない」と大ミエを切ります.

・火に油注いだフルシチョフ発言

 フルシチョフの発言は,ピッグス湾の失敗によって傷ついた米国内保守派のプライドに塩を擦り込むようなものです.折から中間選挙を控え,キューバをどう扱うかが最大の争点となってきました.キューバ懲罰の声が高まっていきます.

 保守派を代表する雑誌「タイム」は「ケネディの対キューバ政策は生ぬるい.国民はモンロー主義に基づく外交を求めている」とし,武力干渉をふくむ強硬姿勢を要求します.共和党のブッシュ上院議員(後の大統領)は「米国はキューバの共産主義支配を終わらせる権利と義務を持っている.米国の行動のみがモンロー主義が滅びていないことをソ連に思い知らせることが出来る」と主張.ゴールドウォーターなどは「ただちに直接侵攻を」とあおり立てます.議会でも戦争決議採択への動きが出てきます.

 ケネディはただちに記者会見をおこないフルシチョフ発言に反応します.その中で彼は「キューバがソ連にとって相当な能力を持つ攻撃的軍事基地になり,その軍備増強がどのようなかたちにせよ米国の安全を脅かすことになるなら,米国はあらゆる必要な手段をとる」と,対キューバ攻撃の条件を明らかにします.そして攻撃に必要な15万の予備役軍人を召集する権利をあたえるよう議会に要請すると声明します.同時に議会の一部に戦争決議採択への動きがあることに対しては「一方的な軍事行動は必要ない.無責任な発言は慎んでもらいたい」と発言,大統領のフリーハンドの確保につとめます.

 ケネディの要請を受けた議会は26日上下両院合同決議を採択します.これにより「もし米国に脅威が与えられるなら」キューバに軍事干渉する権限が大統領に付与されました.

 19日になると,五つのキューバ向け謀略放送が開始されました.テレビは,軍事訓練にはげむキューバ人亡命者の実態を放映します.カストロを批判する漫画5百万部が印刷され,宣伝ビラとチューインガムを詰めた1万のビニール袋が海上に流されました.ピーターパン作戦で連れ去られた子供たちのキャンプも大々的に報道されます.

 このあたりは,おそらく「マングース作戦」発動へ向けての筋書通りだったのでしょう.火を焚付けておいて表向きは消しに回るというのは,ことを起こすにあたってのもっともオーソドックスな政治手法です.米軍の直接侵攻を実現するにはフィデルの「横暴」ぶりや人権侵害などだけでは説得力にかけます.ソ連の脅威を口実にモンロー・ドクトリンという「国是」を持ち出すことで,キューバ本土に対する上陸作戦を合理化できるわけです.ただこの時点ではフルシチョフの「警告」はたんなるブラフに過ぎず,実際に手を出すことはないと踏んでいたのではないでしょうか?

・海上封鎖の開始

 10月2日米政府は禁輸強化策を発表しました.これによりキューバ貿易を継続する国への経済援助が停止されただけではありません.一度でも社会主義国に寄港した船はすべてブラック・リストにあげられ米国寄港を禁止されることになったのです.勇敢にもアルジェリアのベンベラ首相はケネディとの会談後キューバに向かいますが,米国はただちにアルジェリアへの経済援助停止で応えます.

 同じ日ワシントンでOAS非公式外相会議が開かれました.会議は「米州に対する攻撃的武器がキューバに集まらないよう個別的集団的監視を強化する」との共同声明を発表します.

 キューバに対する政治的包囲が完了したのを見た統合参謀本部は,10月6日大西洋艦隊に対し侵攻計画第一段階の発動を指令します.これは海上での臨検をふくむ封鎖であり事実上の戦闘行為開始にあたります.大西洋艦隊はバハマの英海軍基地をキューバ侵攻基地として陣容をととのえます.

 

(2)「ミサイル危機」の発生

・中距離ミサイル基地の発見

 まさにこのとき中距離ミサイルの基地が発見されたのです.これからあとの話はキューバ通でなくてもよく知っていると思います.10月14日U2偵察機が撮影した写真をCIAが解読したところ,大型ミサイルの発射台が発見されたのです.まずピナルデルリオ州サンクリストバルにR・12中距離ミサイルの発射台が設置されていることが確認されました.その後の調査で全土に6ヶ所のMRBMミサイル基地,さらに建設中のIRBM基地3ヶ所も確認されました.

 海上封鎖が開始された10月6日の時点で中距離ミサイルは確認されていないことになっています.ただし9月26日にキューバ上空を査察していたU2機(他国の領空内を査察すること事態が重大な主権侵害ですが)が,4日前に異常を認めなかったサンクリストバル付近に不審な動きがあることをキャッチしたとの情報を報告しています.また国内に潜んだエージェントからはSAM(地対空ミサイル)の2倍,18メートルの大きさのミサイルが搬入されたとの報告があったそうです.これらはいずれも9月末までにCIAに集中されていたとのことですが,6日の時点ではいずれも未確認です.

 もしこのミサイルがなかったらそのまま侵攻作戦は実行されていたかもしれません.そうなればキューバ全土が血の海と化していたことでしょう.だからといって核兵器を是認するわけではありませんが….

・米ソにらみ合いの開始

 CIAはミサイル基地の写真をただちにケネディ宛に送付しました.この報告を受け第1回目の国防会議特別執行委員会(エクス・コム)が開かれます.(1)10月16日のことです.いまやワシントンは大恐慌です.「フルシチョフの態度がいやに自信に溢れてみえたのはそのためだったのか,ただのハッタリではなかったんだ」といったところでしょう.

 会議ではマングース作戦を続行すべきか否かが最大の議論になります.軍部は空爆か直接侵攻を主張しますが,ケネディと大統領スタッフはこれには同意せず,侵攻準備の進行を指示するにとどまりました.そのうえで当面は海上封鎖の強化でソ連の出方をうかがうということになります.あとは出たとこ勝負です.ケネディは全員に危機管理計画の策定を指示,「直ちに第一段階の措置をとるよう」命じました.(2)

 国防省は空挺,歩兵,戦車5個師団に動員令を発しました.海軍は空母8隻を含む183隻の艦艇を動員,4万5千名の海兵隊員が上陸侵攻の待機姿勢にはいります.さらにB47爆撃機800機,B52爆撃機550機,B58爆撃機70機,水爆を搭載したB52爆撃機90機,弾道弾アトラス100基,タイタン50基,ミニットマン12基がスクランブル体制に入りました.まさに総動員態勢です.

 22日午後7時,ケネディは全国テレビ放送で有名な演説をおこないます.彼はサンクリストバルのミサイル基地の写真を示し,「世界は核戦争の瀬戸際にある」と聴衆に衝撃を与えます.そしてソ連に対しキューバにあるすべてのミサイル基地の即時撤去を要求します.それとともに「この攻撃的な軍備強化を中止させるために,キューバに向けて送られているすべての攻撃用の軍事装備に厳重な封鎖・隔離措置を始める」ことを明らかにします.

 ここまではよく知られています.しかし演説の内容はもうひとつあります.かれはキューバの「囚われの民」にみずからの政府を打ち倒すよう呼びかけます.例のエックスデー宣言です.しかしこの発言はあまりにも衝撃的な核戦争の恐怖の前にかき消されてしまいました.

(1) エックスコムのメンバーはジョンソン副大統領,ラスク国務長官,マクナマラ国防長官,マッコーンCIA長官,ジロン財務長官,ボブ・ケネディ司法長官,バンディ安全保障担当補佐官,ソレンセン特別補佐官,ボール国務次官,ニッツ国防次官,テーラー統合参謀本部議長など.

(2) 会議は20日までの五日間,4回に分けて行われました.会議録の全文がインターネットで閲覧できます.録音テープの一部を聞くこともできます.

 

C.「世界を危機に陥れた10日間」

(1)米,キューバ,ソ連三国の我慢比べ

・玉砕の決意を固めるキューバ

 キューバは「その国土上におけるいかなる査察もゆるさない」と宣言し戒厳令ならびに総動員令を発します.この時点でキューバにはすでに42基のミサイルが設置され,4万3千名のソ連兵が発射に関わる任務に配備を完了し,うち30基が発射可能な状態となっていました.

 フルシチョフはキューバからのミサイル撤去もキューバに向かって航行中の25隻の船の引き揚げも認めないと声明,大陸間弾道弾に核弾頭の装着を命じました.マリノフスキー国防相は全軍に警戒体制を発令し「キューバ防衛のため大陸間ミサイルがいつでも発動の準備がある」との声明を発表します.ワルシャワ条約加盟国も同様に警戒態勢に入りました.まさしく一触即発の状況です.

 23日,エクスコム会議が再開されました.海上封鎖を開始した場合,どんなときに次の段階,すなわち空爆開始へ移行するかが問題となります.そして空爆を限定されたものにするか,全面空爆に踏み切るかも大きな問題です.全面空爆となれば,必然的に地上侵攻を伴わざるを得なくなります.その場合,キューバ側が中距離弾道弾を発射することも当然考えなければなりません.

 統合参謀本部は「決定的な打撃を与えるような空爆は軍事的に不可能である.移動式発射台の90%は破壊できるが,残りの10%がミサイルを発射する可能性は否定できない」との判断を示しました.それにも関わらず,軍部は全面空爆を主張したのです.もはや半ば狂気の世界です.

 24日ケネディは対キューバ攻撃用兵器搬入阻止宣言を発表しました.米海軍はバハマ諸島沖合いに封鎖線を張ります.駆逐艦16隻,巡洋艦3隻,対潜空母1隻などが封鎖線に配置され実力行動を開始しました.(1)キューバ領内には地対空ミサイルの射程内に侵入する低空偵察飛行が開始されました.「やれるものならやって見ろ」という挑発です.米国内には全面核戦争直前を意味するDEFCONー2が発令されます.(2)

・ウ・タント国連事務総長の仲裁

 事態を憂慮したウタント国連事務総長は,25日の安保理で,三国に対し即時交渉開始をよびかけます.提案の条件は,米政府が海上封鎖を解除しソ連が対キューバ武器輸送を中止するというものでした.理屈からいえば対決直前の状況に戻すということで合理的ですが,米国にしてみればこれでは振り上げたコブシの下ろしどころがありません.ケネディはミサイル基地撤去が含まれない交渉は無意味とし交渉拒否と封鎖続行を声明します.

 逆にソ連にしてみればこの提案は「一手寄せ劫」みたいなものですから少し気楽です.ただちにウ・タント提案を受諾,キューバ行き船舶に現場待機を指示します.中距離弾道弾登載を積んだ船は原潜に守られスペイン沖を航行中でしたが,この船舶には帰国が命じられました.

 もう一人の当事者カストロは,ウタント国連事務総長宛書簡で「米国が脅威除けば基地建設中止」と言明します.そして平和解決のための5原則を提唱します.(1)経済封鎖の解除,(2)グアンタナモ返還,(3)キューバ領内に侵入しての空中・海上査察の中止,(4)亡命者による海賊行為の停止,(5)国内での破壊活動の中止がその柱です.「ミサイル危機」の回避だけを取り出してみればこの要求は過大なように見えるかも知れませんが,侵攻作戦の経過から見ればカストロの提案こそがもっとも筋が通っていることは明らかです.

 ミサイル危機のさなかOAS緊急理事会が開催されます.会議は(1)キューバからミサイルを撤去せよ,(2)リオ条約にしたがって武力行使をふくむあらゆる個別的集団的措置を加盟国がとるよう勧告する,との決議を全会一致で採択します.要するに「ソ連が攻めてきたら米州諸国が一体となって戦闘を開始せよ」という内容です.会議はキューバ除名を再確認しましたが,またもやメキシコだけは賛成しませんでした.

・米軍機撃墜事件

 日一日と息詰まるような我慢くらべが続きますが,27日ついに最終決断をもとめられる事態が発生します.U2機撃墜事件です.

 頻繁となった米軍機の領空侵犯とスパイ活動にたまりかね,領空を侵犯する飛行機への攻撃許可が下ります.ミサイル基地防衛のため派遣されたソ連軍防空部隊にも,独自の判断で地対空ミサイルを発射すべしとの指令が発せられました.その直後,オリエンテ州北部を偵察中のU2機がソ連軍の対空ミサイルにより撃墜されたのです.これはエクスコムで定めた空爆開始の条件に該当します.

 カストロはU2機撃墜を認めるとともに,「米国が脅威除けば基地建設中止」とする緊急声明を発表します.彼はフルシチョフ宛てに電報を送りました.

「知り得る限りの情報を総合すると,アメリカの攻撃は24時間から72時間のうちに起りうる。攻撃には二つの可能性がある。第一に特定の目標を破壊するための限定的な攻撃,今一つは直接侵攻である。後者は米軍にとって多大な戦力を必要とし,我々にとっても最も忌まわしい形態だ。しかし我々はいかなる形の侵略にも決然として戦う。キューバ国民の志気はますます高まっており,侵略者に対して英雄的に戦うであろう」

 撃墜の事実が確認された以上,ケネディにとってはもはや宣戦布告を下すときです.米軍は偵察を断固続ける意志を明らかにするとともに,偵察機へ戦闘機の護衛をつけ「必要な場合」には適切な反撃行動をとることを許可します.米ソ両国のすべての兵力が戦闘態勢に入ります.核弾頭を積んだB52戦略爆撃機は,15分以内にソ連国内の基地を爆撃できる位置にまで進出することになりました.第三次(そして最後の)世界大戦の危機が絶頂に達します.

(1) この艦隊はもともとキューバ侵攻作戦(0プラン)の実行部隊として編成されたもので,空母エンタープライズ,インデペンデンスを中心とした128隻の大艦隊.ウォードはこの艦隊の司令官でもあった.

(2) DEFCON(Defense Condition)とは防衛態勢のランクで,5つに分けられ,デフコン1が戦闘状態.全戦闘要員は24時間非常待機態勢に入り,B52の8分の1とB47爆撃機,あわせて672機と空中給油機381機が空中周回待機もしくは24時間出撃態勢に入った。搭載された核兵器は合計1627基に上った.

 

(2)米国,マングース作戦を断念

・統合参謀本部の暴走とケネディの決断

 もはやウ・タントの調停案で交渉が成立するとは誰も思いませんでした.それほど米政府の基地撤去の要求は強硬でした.今度はソ連が札を切る番になります.ソ連は基地の撤去に交換条件を出すことで「名誉ある撤退」を図ろうとします.

 ウ・タントもソ連も何が中心的問題なのか読み違えたようです.米国にとって基地の撤去はなんらの交換条件もつけることのできない絶対的なものでした.26日の夜9時,フルシチョフは米政府宛「公式書簡」で,キューバのソ連ミサイル基地とトルコの米ミサイル基地の相互撤去を提案しました.同時に送付されたケネディ宛の「書簡」では,キューバの安全保障と引き換えに国連監視の下でソ連ミサイルの撤去に応ずるとまで譲歩します.

 しかしケネディはこれらの提案を断固拒否します.そして「まず無条件にキューバ基地撤去を実現せよ,すべての交渉はそのあと」と突っぱねるのです.

 ケネディの強硬姿勢には理由がありました.フルシチョフ提案を受けて,ただちに米政府スタッフと統合参謀本部の合同会議が持たれます.この歴史的な合同会議で激しい議論が展開されたことはよく知られています.

 統合参謀本部はマングース作戦を断固実行すべきと主張します.そして29日早朝に空襲を開始し,その後直接侵攻に移る案を提示します.つまりミサイル基地があろうと,そこから核ミサイルが発射されようと,それによって米国市民が百万人死のうと,軍部にとってはどうでも良いことだったのです.少なくとも最初の議論はキューバ侵攻を断行するか否かにありました.

 さすがにメンバーの大多数は直接侵攻作戦の発動には躊躇します.会議の主流は限定空爆の線で相手の出方をうかがうという方向で決着しようとします.これはおそらく軍部の一番の狙いだったと思われます.直接上陸という極論を出しておいて,限定空爆という段階に進むのを合意してもらうというのは一つのテクニックです.

 議論のなかでケネディはこれを見抜いたのでしょう.「心配なのは第一段階ではない.双方が第四段階,第五段階へとエスカレートしていくのが心配なのだ」とし,限定空爆案を拒否します.

 彼は最終的にフルシチョフの26日書簡の線でまとめることを決断,ロバートがドブルイニン大使と会見し「国連の査察によりミサイル撤去が確認されれば,海上封鎖とキューバ侵攻計画を中止する」と提案します.さいごにロバートはドスを利かせます.「われわれはこれらのミサイル基地が撤去されるとの確約を明日までに得なければならない.これは最後通告ではなく事実を述べているのである」

 ケネディは最終的にフルシチョフとの妥協を決断したのです.だからこそその妥協を妥協と知られることは絶対に避けなければなりません.タフな政治家としての評価を守らなくてはなりません.基地撤去の要求については一歩といえども引き下がることはできません.そしてソ連の無謀な挑発行為を外交的「屈辱」によってあがなってもらわなくてはなりません.

 フルシチョフはその「屈辱」を甘んじて受けました.「ソ連政府は兵器建設場におけるこれ以上の作業は中止すべきであるとの指示をすでに発した.さらに貴下が攻撃用といわれる兵器を解体し,ソ連に送り返すよう新たな命令を発した」とケネディに通告します.モスクワ放送はフルシチョフとケネディとのあいだに合意が成立したと発表.ケネディはフルシチョフの決定を歓迎すると声明します.これでさしもの「人類生存の危機」も一段落です.

 あとで冷静に考えれば,キューバ侵攻をとりあえず中止することとミサイル基地の撤去とは米国にとって十分すぎる交換条件だと思います.しかしその瞬間は熱くなっていますから,なかなかまっとうな判断はできなくなっていたのでしょう.とくに軍人さんはプラヤ・ヒロンに続いて二度までもキューバを攻め落とせなかったことで,怒り心頭に達したことと思います.こういうときの頭には,原爆1発でワシントンの街が百万市民もろとも地球上から消失してしまう姿を思い浮べるのは困難だったでしょう.

 とにかく妥協は成立しました.30日統合参謀本部はマングース作戦の一時中止を指令します.

・ミコヤン,ハバナにわたる

 この「世紀の妥協」でいちばん割りを食ったのはキューバです.フィデルが米国の「脅威」としてあげたものは経済封鎖であり,キューバ国内での破壊活動であり,米軍によるキューバ領空および領海の侵犯であり,亡命者の侵入攻撃であり,グアンタナモ基地の存在でした.今回の妥協ではこれらの「脅威」のただひとつとして解除されませんでした.ただひとつエックスデーが先延ばしされたこと,「キューバ人ここにありき」の墓碑銘が荒野に立つ,その日がすこし遅れたことだけでした.

 カストロはフルシチョフ宛てに電報を送ります.「キューバ国民が祖国と人類に対するおのれの責務を,どのように果たそうとしていたか,貴殿にはおそらくわからないだろう」

 ただ力関係からいえばそれが精一杯のところだったのかも知れません.キューバのような小国が「本土決戦,全員玉砕」の危機を逃れただけでよしとすべきかもしれません.スペイン人民戦線に対するスターリンの態度とくらべれば,フルシチョフはよくやったといえるでしょう.

 フィデルも米軍首脳とおなじようにいささかバランス感覚を失っていました.彼はソ連軍撤退完了の日がマングース作戦発動の日,米軍侵攻の日となり,キューバ人民玉砕の日となると決め込んでいたようです.11月1日カストロはフルシチョフとケネディの妥協を激しく非難,革命キューバは最後の一兵まで戦い抜くと演説します.

 そんな状況の中,ハバナの空港に降り立ったのが,キューバにとってもっとも親しい友人,ミコヤン副首相でした.彼の滞在は延べ24日にも及びました.その間に妻が亡くなっていますが,彼は踏みとどまりました.壮烈な24日間だったと思います.その記録がインターネット上で公開されています.

 まず3日,ミコヤン=カストロ会談が持たれました.さすがに頭の回りの早いカストロは,状況を察知します.そして「ソ連は自分の武器をキューバから持ち帰る権利をもっている.賛成はできないがその権利は尊重する」と述べました.かつて理非曲直は脇においてプリオとさえ妥協したフィデルですから,このくらいのことは平気です.

 しかしキューバとソ連の関係はプリオとの関係とは全く次元が違います.理非曲直も含めて合意が必要です.4日,トップ集団を集めて激しい議論が開始されました.議論に参加したのはフィデルのほかラウル,ゲバラ,C.R.ロドリゲス,ドルティコスといった面々です.(1)

 ミコヤンは山のような質問に答え,ソ連側の評価を展開していきます.

1.今回の解決は,核戦争に突入せずにキューバ侵攻を防止できたという点で,ソ連=キューバ側の勝利だ

2.ソ連の基地を作ることは本来の目的ではなく,キューバを侵攻から守るためのものである.撤去は本質的な敗北ではない.

3.事前通告を行わなかったのは,暗号化と解読の作業が間に合わなかったこと,侵攻阻止という目標においてキューバも意見が一致するだろうと判断したからである.

4.米国の権力内バランスを考えれば,ケネディをこれ以上追いつめると,タカ派が主導権を握ることになる.キューバ側の5項目要求は,現時点で固執することはできない.

 討議の雰囲気を見ると,1,2,3については一応受けとめられたようです.しかしそれからが難問,査察問題です.ミコヤンはウタント提案に沿って国際中立組織による査察を行うよう提案しますが,フィデル・エル・カバーリョはこれを断固として拒否し,「体調不良」を理由に4回目の会議をさぼります.

 11月4日夜,第5回目の会談に入りました.会議はミコヤンとゲバラの対決です.冒頭ゲバラは「ラテンアメリカの革命家たちはソ連の態度に極めて困惑している」と一発かまします.これに対しミコヤンは,なんと,ブレスト・リトフスク条約にかかわるレーニンとブハーリンの論争を引き合いにしながら,ゲバラを説得にかかりました.あまりゲバラは古典を勉強していないと踏んだのでしょうか.しかしレーニンを引き合いに出したことについては,30年来の古参党員C.R.ロドリゲスが反批判します.

 しかしレーニンの引用は,ゲバラには結構応えたようです.この日の議論は結局不完全燃焼で終わっています.このあと,ミコヤンは「洋上査察」でいけると見切ったようです.

(1)もう一人,エミリオ・アラゴネスという人物が参加していますが,私にはまったく知識がありません.どなたかご存じの方はご教示ください.

 

・洋上のストリップ・ショー

 ソ連船に搭載されたミサイルを米軍の偵察機が空中査察するという方法で基地撤去が確認されます.飛行機が近づくと甲板にかけられたカバーがまくられてミサイルが姿をあらわします.御本尊の御開帳です.まくる方にしてみれば場末のストリッパーになったような悔しくも情けない気分です.

 米国はミサイル撤去だけでは満足しません.「カストロは依然戦争を望んでいる」とし,本土攻撃が可能な爆撃機イリューシン28の撤去も要求します.ソ連は「どうせ一度は捨てたミサオだもの」とばかりにこの要求にも応じます.米国は今度はキューバ基地の国際査察を要求します.キューバは「米国内の亡命者訓練基地を公開するなら査察に応じる」と反論し,この要求をはねつけます.

 ここらが潮時と見たか米国はやっとキューバ海上封鎖を解除します.こうしてミグ戦闘機とソ連軍事顧問のキューバ残留は黙認というかたちで,「世界を震撼させた10日間」がおさまります.この間ミコヤンは,必死にカストロを説得しつづけました.「フルシチョフとケネディの相互理解こそがキューバの生き延びるための不可欠の条件だ」とみたからです.

 ケネディは「すべての攻撃用兵器が撤去されたとしても,対キューバ敵視政策と経済封鎖をやめるつもりはない」と捨てゼリフを残し「ミサイル危機」の幕引きをします.

・CIAの恨み

 ケネディ暗殺事件に関してはCIA犯人説が常識になっていますが,その場合「何故?」ということが問題になります.動機については謎として残りますが,その一端はミサイル危機の真相のなかにあるのではないでしょうか.

 これまでの定説では,ケネディの脅しに対しフルシチョフが一方的に妥協したことになっていますが,よく考えてみれば米国もマングース作戦の中止という犠牲を払っています.そもそも危機の最大の原因がマングース作戦にあったわけですから,結果としては米国の一方的な「譲歩」ともいえます.ケネディによる「ミサイル危機」の訴えは,対ソ連というだけでなく,軍部や右翼の主戦論に対してこれを抑え込むための口実になっている関係にもあります.

 ピッグス湾で「自由の戦士」を見殺しにしたこと,CIAのトップを一方的に切り捨てたこと,キューバ直接侵攻計画をぎりぎりまで推進しながら直前になって逃亡したこと,これらの不信感が折り重なって沈殿しながら「暗殺」の決断につながっていったのではないでしょうか.

 

1 なお,注意しておかなければならないのは,カトリックの評価は当時と現在ではまったく異なるということです.当時のカトリック教会はもっとも右翼的な政治的セクトでした.とくに米国内のカトリックはイタリア人やアイルランド人の中に影響力を持っていたためか,マフィアと切っても切れない関係にありました.マフィアの隠れ蓑になったり,密輸や「金の洗濯」に関わってはそのお裾分けに預かるなど芳しくないうわさが絶えません.
 その典型がシカゴの枢機卿からバチカン法王庁の財政顧問にのしあがったラツィンガーです.彼こそは史上名高いアンブロジアン銀行疑獄の立て役者です.その財政基盤はシカゴ・マフィアにあるといわれています.

2 このプランは,その暗号名をとってマングース作戦と呼ばれるのが一般的です.その全容は最近になって機密文書の解禁により徐々に明らかになってきています.しかしマングース作戦はもともとプラヤ・ヒロン直後にCIAがあらたな破壊活動計画として立案したものであり,CIA首脳部の更迭により事実上凍結されています.62年2月以降の作戦計画はそれまでとはまったく異なる目標とシステムで構成されています.

3 「ミサイル危機」に関する多くの書物が10月14日から始まるのは不思議なことです.それはソ連が米国の眼を盗んでミサイルを運び込んだことに原因があるのではなく,米国の政府,軍部,CIAが一体となったキューバ侵攻作戦の延長線上に発生した結果としての「危機」だったのです.「キューバ危機」に1章を割くのはこのような思いがあってのことです.

4 112SS4型という記載もありますが,R12型中距離弾道弾ともいわれます.著者は分かりませんが,この時代のソ連の技術で巡航ミサイルが可能だったのでしょうか.