最近の増補と新規掲載

 


09 Sep. 1999
ボリーバル
死後のコロンビア年表がだいぶ重くなり,二つに分離しました.この国の最大の欠陥は,地主層の前近代的な無知,無関心,無慈悲さです.ブルジョアの情けないほどの思想的退廃と奴隷根性です.この状況を打破してゲリラが勝利するためには道義が必要です.しかしFARCは,麻薬に染まり人質誘拐のうまみを覚えて.道義などというものを捨て去ってしまったようです.


11月29日 キトーのインカ帝国を征服したベナルカサルというのはなかなか面白い人物です.征服のための手練手管を知り抜いている感じです.でも勝者にはなれなかった.おそらくツキと人徳が不足していたのでしょう.


2002年1月03日 ロバート・デ・ニーロの赤狩りを扱った映画(題名は当然憶えていない)は,オスカー授賞式のときエリア・カザンを讃えた彼の記憶と矛盾します.


2002.2.02 バーチェットの「ポルトガル革命」を読みました.バーチェットによれば,いちばん正確な方針を保ち続けたのがアントゥネスで,共産党は特に極左に対する警戒心が不足していたということになります.ポルトガル革命は,国際的に見れば,その半年前に敗北に終わったチリ革命の,第二幕という側面を持っており,もっともっと研究が必要なテーマでしょう.


 2002.2.16 グアテマラのアルベンス時代が増補されました.亡命後のアルベンス一家の生活はかなり悲惨だったようですが,年表に起こすほどのものではありません.
ユナイテッド・フルーツ社の歴史は,中米近・現代史を貫く,一本の赤い糸と言えます.中米諸国がいかにちっぽけなものであるかが,改めて実感させられます.今までUF社というとマイナー・キースというイメージだったのですが,ゼムレーという稀代の悪漢もなかなかに魅力的です.


 2002.3.03 最近,いろいろなところでコスタリカが「軍隊のない国,永世中立の国」ともてはやされているようです.私のところまで問い合わせが来たりします.
私のように歴史ばかり追っていますと,これらの中身は「ひょうたんから駒」とか,「ものの弾み」とかいう感じで捕らえてしまうのですが,「これは大事なことなんだよ」といわれると,「なるほどそうなんだなぁ」と,あらためて教えられる気がします.世界史の積み重ねというのは,そんなものかもしれません.
ただし,アリアス元大統領のような海千山千に,たいそうな御託を並べられると,いささか鼻白む思いではあります.


2002.3.24 イラン・コントラゲート事件を年表にしました.最近になって分かってきたことがたくさんあるようです.陰謀の中心人物がブッシュだったことも確定されてきました.レーガンが当選直後からすでにアルツハイマーになってたこと,政府の主導権を巡りヘイグ国務長官派とブッシュ副大統領派の激突があったこと,これに勝利した元CIA長官ブッシュが,NSCとCIAを一手に握り,陰謀的手段を駆使したことなどが,事件の背景にあります.


2002年6月10日
「釧路に来た以上は行かなくては」ということで,昨日は矢臼別まで行ってきました.道路が一変していて入り口に迷ってしまいました.なんと川瀬さんの家に入る道が立体交差になるのです.この工事による受益農家はたったの二軒です.川瀬さんと浦さんも一応関係はしますが,二軒目の農家から先,川瀬さんの家までは,あいかわらずの砂利道ですから,そんなことは念頭にないに違いありません.
ここをふくめて立体交差が三箇所,道路は高速道路並みの片側二車線.これぞまさしく「ムネオ・ロード」です.川瀬さんの話では,演習場周囲の農家数十戸が,長者番付に載るほどの莫大な補償料をもらって立ち退いたとのこと.また「ただいま演習中」の電光掲示板があちこちに立てられ,そのための配線工事までふくめて一台あたり1千万を超えたとのこと.
いずれにせよ米軍の演習開始に伴なって莫大な金が動きました.そのすべてにムネオが絡んでいたことはいうまでもありません.
日曜日というのに,連中は気持ち良さそうにぶっ放しています.川瀬さんの家にいると,轟音ばかりでなく振動まで伝わってきます.家からは少し南側を砲弾が飛んで着弾するのですが,このあいだも誤射があったばかりです.憲法を盾に体をはって抗議を続ける川瀬さん,最近血圧が高くなり心配です.


2002年7月01日
実感するのは60年から90年にかけて,ラテンアメリカの民主勢力を襲った傷跡の深さです.20世紀の初めから50年かけて培った民主勢力の指導者が,弾圧やゲリラ戦やテロで根こそぎにされて,正確な方針を出す力も,それを国民のあいだに広げる力も失ってしまったことです.


2002年7月13日

インターネットでベネズエラ在住の日本人のページを見ると,どうも反チャベスの雰囲気が蔓延しているようです.コロンビアでも反FARCが圧倒的です.日本人は先住民と同じような顔をしているのに,白人の目を通して情勢と向き合っているのではないか.近代民主政治の諸原則ではなく,国民の圧倒的多数を占める「色付き」の人たちにとってどんな意味を持つかを基準に,時々の情況を判断することも大事なのではないかと,感じる今日この頃です.
コロンビアの新大統領は,どう考えてもパラミリタリーの代表です.それをテロとたたかう闘士のように描き出す特派員もいるから,困ったものです.さまざまな問題があるとはいえ,FARCをAUCと同列に置くことは,私にはどうしてもできません.さらに言えば,コロンビアの現状は,立憲政府と反政府ゲリラの対立というレベルではなく,まごうことなき内戦状態です.国土の過半は左翼ゲリラの実効支配の下にあります.


2003年1月14日
反アパというヒューマニズムの視点から南アを見ることが多かったのですが,それは紛れもなく革命だったということです.世界でもっとも野蛮で頑固で狡猾な政権を相手に,議会制度もいかなる合法活動も保証されていない条件の下で,「平和的に」権力の移動を実現した過程は,十分注意深く分析する必要があるでしょう.もうひとつは,多数者革命が成功した場合,国際経済への柔軟な対応が不可欠だということです.その際,逆に問題になるのは「譲れない原則」をどこにおくかという問題です.
ブラジル,エクアドル新政権の対応を見ても分かるように,グローバル化反対やIMF路線反対などというのは,今日もはや,それだけで単独の原則にすべき論点ではありません.それでは何が経済政策の原則となるのでしょうか? 私は,なんとなく,「公開:Disclosure」という言葉に手がかりがあるような気がしますが…


2003年2月10日
ベネズエラの「la Nacion」紙のサイトを見てみました.この1年間の経過と評価が,私の書いた文章とはまったくさかさまです.どちらが正しいかは読んだ人の評価にゆだねるしかありませんが,私の情報源はほぼすべて英語のページで,米国内のリベラル系サイトやキューバのグランマ・インタナショナルからの引用ですから,そこに違いがあるのだろうと思います.
スペイン語もできないくせにあまり偉そうには言えませんが,ラテンアメリカのメディアは,たとえクオリティー・ペーパーであろうと,ほとんどが右翼系のようです.リベラルといえば,メキシコの「ホルナダ」紙とニカラグアの「ヌエボ・ディアリオ」くらいしか知りません.チリの「エル・メルクリオ」が,アジェンデ政権の全時期を通じてクーデターをあおり続けたことは,消すことのできない事実です.


2003年7月01日
共産党の綱領改正案は,これまでの積み上げの総決算ともいうべき内容ですが,60年綱領を読み返してみるとずいぶん変わったものだと改めて痛感します.私個人としては,コペンハーゲンの国連開発サミット,ハーグ国際会議の宣言,非同盟首脳会議のダーバン宣言がミレニアム三点セットとして記憶に残っています.
ただ物足りないのは,日本を始め中国,イタリア,南ア,ベトナム,キューバあたりの先進的部隊が共同綱領的なものを打ち出せないでいる現状です.今度の改正綱領が国際的な反核・反戦争屋・反一極支配・反国際独占資本の統一戦線作りのための,契機のひとつとなることを願います.


2003年8月01日
いまはリッジウエイ将軍の回想録「朝鮮戦争」を読んでいます.マッカーサーの後任司令官として朝鮮戦争の指導にあたった軍人で,細菌兵器を使用したと中国・北朝鮮から非難され,「細菌将軍」の異名を賜った人物です.マッカーサーに対する批判は正鵠を得ていますが,かなり屈折した人格のようにも思えます.冷酷であることを軍人の誇りとする「合理主義」的信条の持ち主のようです.彼が作成し命名し推進した作戦は,殺人者作戦であり,切り裂き魔作戦でした.そのネーミングのセンスには,米国内でも眉をひそめる人が多かったようです.
しかし合理主義の精神の持ち主だけに,文章には誇張のない真実性があり,資料としての重要度は大きいと思います.またこの本に豊富に添えられた地図集は,これだけでもお金を払う価値があります.


2003年12月25日

プエルトリコの歴史を入力したのですが,20世紀以降の膨大な作業が,ボタンのひと押しでパッと消えてしまいました.ペドロ・アルビス・カンポスという人物は,「遅れてきた青年」,ホセ・マルティになり損ねた人だったようです.ただし器はだいぶ小さい.


2004年2月09日
1月ムンバイまで行ってきました.世界社会フォーラムの現状を一言で言うと,去年世界で一千万人を組織した反戦運動がどっと流れ込んだ組織のひとつだということです.発想としては非常に面白いものがあり,将来は有望だと思いますが,先進国側と途上国側のいずれがイニシアチブをとるかによってかなり変わってきそうです.私としては非同盟運動のもっと幅の広いものを期待しているのですが,それには先進国側の積極的関与がどれだけ獲得できるかが焦点となるでしょう.この点では両者を結ぶ結節点となる日本・韓国・中国などがカギを握っていると思います.


2004年2月19日
ムンバイから1ヶ月,どうもまたグローバリゼーション反対に流し込もうとするWSFの路線が気になり始めました.これは一世を風靡した従属論の焼き直しではないかと.
従属論は,元々アルゼンチンのプレビッシュら国連エコノミストが,輸入代替工業の発展を柱とする途上国の経済的自立を唱えた理論で,経済発展を自然の流れに任せれば途上国は衛星国化し,先進国に収奪される一方だという認識を基礎としています.これを左翼用語を使って書きなおし、資本主義の中心がますます中心化し,途上国は周辺化するだけだ.途上国が団結して先進国と対決しなければならない」と主張したのがメキシコのガンダー・フランクです.
この従属論が世界的な反響を呼び,エジプトのサミール・アミン,ブラジルのドスサントスらがつぎつぎと従属論の論陣を張りました.アメリカのウォーラステインも文化人類学の立場から独特な世界システム論を主張しました.クーデター前のチリ・サンチアゴ大学は従属論のメッカとなりました.のちにニカラグアのサンディニスタ政府の農相を務めるウィーロックもチリ亡命中に従属論の洗礼を受けます.
市場が生産を規定するという理論的逆立ちは,オーソドックスなマルクス経済学者から強い批判を浴びました.メキシコのデ・ラ・クエバによる批判(書名失念、大月書店)は,従属論批判の古典といえます.キューバは当初,従属論への共感を示しましたが,のちに従属論批判の立場に立ちます.キューバで従属論批判を展開したバンビーノは,たしかドスサントスの奥さんだったと思います.そしてラクラウの一言,「従属論批判は資本論の第三部ですでに書き尽くされている」という批判で,70年代の従属論論争はひとまず幕を下ろしたと見ていました.
しかし80年代から90年代におけるIMFの無法ぶりは,従属論に再び火をつけたようです.
何せ20年も前の話ですから,こちらもかなりうろ憶えです.しかし国際的な反戦・平和勢力の結集の場として,これからますますWSFが重要な役割を果たしていくとするならば,こちらもグローバリゼーション反対というスローガンに対して,正確な認識を対置させていかなければならないでしょう.
私のインド人の友人がサミール・アミンの大フアン,というより信者なのです.どうすれば角を立てずにサミール・アミン批判ができるか,思案のしどころです.とりあえず共産党の「新綱領」のレジメでも送ろうかと思います.


2004年3月06日
 作業していて暗澹とした気分にされるのは,ハイチ人の当事者能力の欠如もさることながら,ハイチを見る周囲の目の冷たさです.これが例えばキューバであったりベネズエラであったりすれば,例えばOASにしても,フランス・カナダにしても,好悪の感情は別にしてここまで投げやりにはならないでしょう.ハイチを見る目は,好きとか嫌いというのではなく「ネグレクト」です.
 私もそれに倣って,突き放して言えば,ハイチ人はいじめられるのに慣れているから,この位のことでへこたれるような玉ではないと思います.古本屋に行くと50円均一の棚にジ・エス・アレクシの小説「太陽将軍」が見つかるかもしれません.彼らはトルヒーヨの大虐殺を逃れたその朝から,「さぁ明日はどうしよう」と動き始めるのです.


2004.3.22 ベネズエラ論文の「重要な訂正」に関連して
「革命はテレビでは映らない」というドキュメンタリー映画は,世界中で相当の反響を呼んでいるようです.NHKでも放映されて,その感想がインターネットでもたくさんとりあげられています.やっかみで言うのではありませんが,「日本ではこれまでまったく知られていなかった」などといわれると,いささか憮然とした気分です.
21世紀初頭におけるベネズエラの特殊性は,①エクアドルといい勝負をするくらいの地方の後進性.②石油におんぶに抱っこの寄生性,③南アフリカも顔負けの白人優位思想と人種差別、④星条旗を振りまくる対米従属,⑤一方においてララサバール⇒FALN以来の革命的伝統,という5つの顔をどう評価するかにあります.


2004.3.30 
アリスティドのその後の動きが分ってきました.チャベスと同じく,辞任を拒否したまま強制連行されたようです.違うのは米軍が直接手を下したこと.やはり米国は黒人に対しては遠慮会釈ないようです.パウエルやライスの家には鏡がないのでしょうかねぇ.


2004.4.16 
イラクの人質解放万歳!これが逆だったらどうなっただろうかと思うと,恐怖を感じます.私たちは戦争の瀬戸際に立っていて,辛うじてこらえているのだと痛感します.


2004.4.26 ハイチ年表の重大な訂正
下記の文章は,ハイチ年表の2004年1月1日の記載についての注釈です.
「1月1日の記載は極めて不正確であることが明らかになりました.二段目は「針小棒大」,三段目に至っては,まったくのでっち上げです.ポルトープランスでは,大晦日の晩からお祭騒ぎで,花火やパレードが展開され,当日は政府宮殿前の広場が数万の人で埋まりました.当日の式典には大統領夫妻,ネプチューン首相,ムベキ南ア大統領を筆頭とする海外来賓などがそろい,滞りなく式典を終了しました.式典終了後,反政府派の挑発が一部でありましたが,数千人規模の抗議集会などは存在しませんでした.
式典終了後,アリスティドはヘリでゴナイーブに飛びましたが,ムベキはそのままポルトープランスに残りました.「ムベキに随行していた南アフリカの兵士がスナイパーに応戦した」というのは,見てきたようなウソです.
この情報は,反アリスティド系の放送局が流した「ニュース」を国際通信社がそのまま配信したことから生じました.ベネズエラのクーデターのときと同じです.
この後,米国によるアリスティドの誘拐に至る一連の報道は,一つ一つ検証を加える必要がありそうです.とりあえず,こういう情報が流れたということ自体はひとつの事実なので,そのまま訂正せずに置きます.もし明らかな間違いが解明されれば,これと同じ枠を作って付け加えていきたいと思います」


2004.5.30
 
ハイチ年表が200kbを超えたため二部に分かれました.最初の国際報道が極めて誤りに満ちたものである事がわかり,その背景を探るうちに米国の干渉の手法がわかり闇の世界が見えてきました.分れば分るほど,ひどいものだと妙に感心してしまいます.米国にとって他のラテンアメリカ諸国が召し使いだとすれば,ハイチ人は奴隷であり人間以下です.
1983年,米国疾病管理センター(CDC)はエイズの危険なグループとして「4H」を挙げ,警告を発しました.すなわちhomosexuals(ホモ),heroin addicts(ヘロイン), hemophiliacs(血友病), Haitians(ハイチ人)です.これには一瞬言葉を失ってしまいます.もともとハイチにエイズを持ち込んだのは米国とカナダの「不良」外人なのです.


2004.5.31
 
良い文章があったので紹介します.
軍国主義国家体制からほんの少しでもはみ出せば,たちどころに非国民といわれ迫害された.この愚劣・野蛮な非国民呼ばわり体制がもたらした惨憺たる結末は,わずか60年前のことに過ぎない.イラク日本人拘束事件に際し,青年たちと家族に非難・中傷の波が押し寄せた現象を前に,非国民呼ばわり体制の再来を直感したのは,私だけではあるまい.いつから日本人はこのようなおぞましい心性を持つに至ったのか….
国家ごときに貶められてたまるか,怒るべきことに怒って行こうではないか.せめて一人一人が,彼等の望む理想像とは最も遠い「非国民」となって考え,行動し,今度こそ本当に,平和と平等を追求する社会を目指そうではないか. 斎藤貴男「非国民のすすめ」ちくま書房.


2004.7.20
 
ハイチ革命は,本国政府・現地の白人・カラードと自由黒人・黒人奴隷という四つの階層が,フランス革命の是非・独立の是非・奴隷制度の是非という三つの争点をめぐって覇権を争ったという点できわめて複雑で,やればやるほど面白いテーマです.
白人も地主層と第三身分層に分かれ,カラードもエスタブリッシュメントと肩を並べる大富豪から,社会の底辺に呻吟する極貧層までさまざまです.人口の9割を占める黒人も,解放奴隷・召使奴隷・農場奴隷・逃亡奴隷と分かれ,奴隷解放では一致するものの,固有文化の尊重かフランス文化の賛美かというあたりから違っています.
これにイギリス・アメリカ・スペインの思惑が絡んで,敵になったり味方になったりと大忙しです.合従連衡・面従腹背・呉越同舟など四文字熟語のオンパレードです.一言で言えば「血は水よりも濃い」のか,「土台が上部構造を決定する」のか,真っ向勝負といったところでしょうか.
CLRジェームズの「ブラック・ジャコバン」はあまりにも良い本なので,読者はすべてを納得してしまいます.しかしそれでは応用が利かない.今のハイチが読めなくなってしまうところがあります.トゥーサンを実際以上に美化すればペションが読めなくなり,ペションを美化すればクリストフやボワイエが読めなくなり,アリスティドを賛美すれば…
いまも三つの争点は貫徹しています.それは「自決・民主・発展」として表現されるでしょう.その時々でどれが前面に立つかは流動的ですが,これらが「三すくみ状態」にならないようにするには何が決定的なのか,それを判断する知恵と経験が,なによりも求められることになるでしょう.


2004.9.23
 
中国に行ってきました.IPPNWの総会に参加したのですが,そちらのほうは「それなりに」という感想です.それより北京の大都会ぶりにびっくりしました.文革が終焉した79年を,太平洋戦争が終わった昭和20年に考えると分りやすいと思います.それから25年,つまり日本の昭和45年頃にあたるのでしょう.
韓国に行った時,この国は2倍のスピードで日本を追いかけていると思いましたが,中国は4倍のスピードです.ガイドさんが面白いことを言っていました.日本では歩行者優先,中国では何が優先するでしょう?答えは「勇気優先」だそうです.
ただし貧富の差,農村との較差はあの頃の日本よりはるかにひどいです.朱鎔基の憂いをまさに実感します.「市場経済」は医療まで及んでいます.医院の窓口に検査の定価表が貼り出されているのには,思わず息を呑みました.
子どもが少ないことにも驚きました.あと20年もすると,この国は日本以上の高齢化社会で悩まされることになるでしょう.「小皇帝」たちの行く末がどんなものかは,私たち自身の子どもたちを見れば明らかです.着いた日,霞がかかっていましたが,それは黄沙でした.砂漠も結構近くに迫っています.中国は小康を得たかもしれませんが,人々の心は決して平安ではないようです.


2004.10.04 
今週は「反核医師の会」全国集会で追われています.とりあえず「反核用語集」をアップロードしました.反核という息の長い作業をやってみると,ブッシュだけではなくクリントンを改めて問題にしないわけには行かなくなります.クリントンというとモニカ・ルウィンスキーとなりますが,日本人にとっては,エノラゲイによる原爆投下を正面切って正当化した初めての大統領として記憶にとどめるべきだと思います.
歴史は常にシニカルです.オッペンハイマーは強烈な反ファシストであるが故に原爆の開発者となり,佐藤栄作は苦し紛れの非核三原則故にノーベル賞を受賞しました.
歴史が皮肉屋であり得るのは.歴史という学問が,所詮は傲慢かつ臆病なインタープリターでしかなくて,「逆巻く怒涛」の辺縁しか捉えられない,解釈好きな評論家でしかないという本質的限界に由来しているのかも知れません.だとすれば,私のような年表作り職人は,謙虚であるというただ一点において,罪一等を減じられる可能性があります.だとしてもあまり慰めにはなりませんが….
論理が行きつ戻りつしているのは,北京じこみのラオチュウのせいです.


2004.10.14
 今はパストラーナ時代のコロンビア年表を補充しています.べらぼうな情報量で,しかもガルシア・マルケス流の錯綜ぶりです.時の流れや方向感覚が膨大な犠牲者の渦の中で見失われてしまいそうです.おそらく年表を見た方もめまいを感じるでしょう.
 とにかく事件が多すぎます.誘拐事件も住民虐殺事件も….とても書ききれないし,書いたとしたら年表が年表でなくなってしまうし….でもこの年表は歴史の中の犠牲者にとっての墓碑銘でもあるべきだし…
 カスターニョ兄弟とAUCについては,最近いろいろ文献が出てきています.いづれ根本的な年表の手直しが必要になるでしょう.ただ,虐殺事件というとこの連中が表に出てきていますが,所詮は軍部のエージェントのひとつに過ぎないという気がします.


2004.10.24 
 出発点はイラクであります.それでイラク問題をどうしようかといえば,ブッシュ政権をどうみるかということになります.ところがケリーが当選しても,よりマシどころか,せいぜいより少ない悪ということになってしまいそうです.アメリカの悪者ぶりは大統領が変わったからといってそう変わるものではなさそうです.
 そうすると問題は,アメリカの今の世界支配システムやその思想をどう変えていくのか,そのために何が必要かを考えることになります.それは「戦争のない世界」をめざし,平和の国際秩序をどうして築いていくかという課題につながっていきますです.少し長いスパンの課題です.
 そういう目で世界を見渡すと,アセアンをふくめた東アジアこそが最大の足がかりとなっていることが明らかです.東アジアの「平和的台頭」は,21世紀に平和と繁栄の持続する「もうひとつの世界」への入り口となる可能性を秘めています.東アジア諸国はそのような「歴史的責務」を担っています.中国はかなりその役割を自覚しているように見えます.かなり持って回ったいい方になってしまいましたが,いま中国外交を学ぶ最大の意義はそこにあります.


2004.11.04
 
アメリカ大統領選挙が終わりました.一番印象的なのはアメリカの地図がくっきりと二色に塗り分けられたことです.まるで南北戦争の地図を見ているようです.ジョンソン,カーター,クリントンとつながる南部デモクラートの消滅と読むこともできます.北部エスタブリッシュメント内のリパブリカンの消滅かもしれません.アメリカ国内で金持ち階級とケリー言うところの中産階級との対立が,二大政党制の枠を乗り越え,抜き差しならないところに進んできているとも読める気がします.
 考えてみると3年前,アメリカの地図はブッシュ一色に染まっていたのです.それを世界の世論が3年かけて,偏狭なユニラテラリズムをアメリカ南部と内陸部に押しこんだとも読めます.これが今度の選挙および現在の国際的戦況の正しい見方かも知れません.


2004.12.30
 
調べてみて,まず農村の悲惨な状況に唖然としました.なにせ「人民中国」ですから,貧しいとはいってももう少しがんばっているかと思っていたのがうかつでした.
 その背景にある「三農問題」も深刻で,いまさらながらに毛沢東の文化大革命の深い傷跡を感じます.それでもって都市は本当に「小康」状態なのかというと,必ずしもそうではなさそうです.
 中国の社会保険制度は医療保険・年金・失業保険が一体化しています.歴史的経過を見ると,改革・開放以降に国有企業が苦境に陥り,それらの制度が事実上崩壊してしまうという流れになっています.そしてそれを90年代後半から再建していくのですが,その目的が人民のためというより国有企業のリストラにあり,くびになった人間のセーフティ・ネットとして失業保険,最低生活保障制度が成立して行くことになります.要するに目的が純粋でないのです.
 その辺の動きは,医療保険制度の解説の文章にはそぐわないのですが,そのことを明らかにしておくことも医療制度の理解のためには必要です.ということで失業と貧困問題に絞った文章をもう一つ別建てにする必要に迫られました.
 中国外交史ノートを作る過程で,朱鎔基=全人代を中心とする国内問題については出来るだけ避けて通ってきたのですが,結局そこにも踏み込むことになりました.ただ外交史ノートをまとめておいたおかげで,政治全体の流れ,対外関係を踏まえながら理解できたのはよかったと思います.また中国外交の構えの基本となる国内事実を把握できたことは,今後力になっていくものと確信しています.


2005.01.08
 くどいようですが,それでも,韓流ブームがあったからこそ,朝鮮問題がこのくらいで食い止められているという現実も直視する必要があるでしょう.日本の世論操作に卓越した米国大使館も,さすがにここまでは読みきれなかったと思います.韓流ブームとそれを支えた我がおばちゃんたちが,TVメディアの扇動から日本を救ったといっても過言ではありません.それがなかったら,もっと恐ろしい対朝鮮パニックが広がっていたかもしれません.


2005.03.10
 コンピュータが壊れたあいだ、久しぶりに本を読みました。ウィトゲンシュタインは哲学者とはいえません。語るべき哲学がありません。マックス・ウェーバーに似ています。ヴェブレンはもてはやすほどのものではありません。アドラーには学ぶべきものがあります。マズローより上品です。ルソーはところどころ、うならせるものがありますが、全体としてはよくわかりません。ただカントをヘーゲル・マルクスの系譜の上で読み取るには、スピノザよりもルソーがわからないとだめかな、と感じます。ヘーゲルの新訳「精神現象学」を読んでいて思ったのですが、ヘーゲルは意外とリアリストで、批判の相手を「チャンチャラおかしい」と切って捨てるところは痛快です。それとまったく意味不明な文章は、おそらく本人も意味不明なまま書きまくっていることがわかりました。そんなことまでわかるように訳した訳者もえらい! こういうのを立ち読み批評というのかな?


2005.06.18
 北海道にドクちゃんをお迎えしました。各地での歓迎行事を及ばずながらお手伝いさせていただきました。ベトナム枯葉作戦についての紹介もさせていただきました。それは貴重な一種の哲学的体験でもありました。
 ドクちゃんがいまや成長してグエン・ドクさんになりました。背はいまだに小さいですが、背骨が曲がっていて脚が変な付きかたをしているのですから仕方ありません。考えてみればこの脚だってドクさんの思うままに動くというだけでもすごいことなのです。いまは植物人間となってしまったベトちゃんに残した、もうひとつの脚のことは、私たち一人一人の胸の中で考えて見るしかありません。
 ドクさんは体は奇形でも心はまっすぐです。ベトちゃん・ドクちゃんではなく、一個の人間として立派に独立しています。でも独立した一個の人間としてベトちゃん・ドクちゃんなのです。ドクさんにとってそれ以外の生き方はありえません。たとえ物理的に分離したとしても、人間的存在としてはそのままです。この絶対性はきついです。


2005.07.19
 連日というのはちょっとしつこいのですが、「アマゾンの戦争」というシコ・メンデスのことを書いた本を読んでいて、面白い記載がありました。シコは70年代後半、地方労働運動に参加するようになってまもなく、ブラジル共産党(PCB)に入りました。79年に労働党が結成されると、現場の労動者から入党を求められ、共産党の反対を押し切って入党します。
 その理由として「私はPCBのやり方が不満でした。大土地所有者に反対して団結していたのに、何か圧力をかけられると、私がその結果に直面しなくてはならないでいるのに、彼らは姿を消してしまうんです。私は怒りと不信感を抱き始めました。そこで私はPCBを離れ、PTに入ったのです」と述べています。
 何かしら、PCB崩壊の理由の一端が分かるような文章です。逆にJCPの強さ(そして伸び悩み)の理由のわかる感じもします。絶対に、日本はこれでは終わらないはずです。


2005.07.25
 「88年・朝鮮半島を読む」(前田康博、87年、教育社)という本を読んでいまして、面白いところがあったので紹介します。8月15日は日本でいうと終戦記念日になりますが、韓国では(北朝鮮も)光復節といわれます。「光は再び差してきたが、勝利したわけではない」という、いかにも当時の気分を言い表した言葉です。86年の光復節では、当時の独裁者全斗煥が演説しています。
 「36年にわたる亡国の歴史を考えるとき、今も過去の日本帝国主義の野蛮な侵略に対する憤怒を拭い去ることができない。異民族の圧制は、わが同胞にこれ以上ない苦痛と恥辱をもたらしただけでなく、結局は民族分断の根源になっている。祖国統一は未完の光復を真の光復として完成するための民族の悲願である」
 ここで大事なことは、日帝の占領という歴史的事実は過去の問題ではなく、これから実現しようとする祖国統一のためのアクチュアルなイデオロギー的土台なのです。我々にとっては「そこまで責任とるべきか?」という思いもありますが、南北朝鮮の人々や在日の人々にとっては、スッと入ってくる論理立てでしょう。朝鮮民族にとっては、過去の問題といって済ませられないことなのです。
 実はこのときも、演説の直後に藤尾文相が「日韓併合については韓国側にも若干の責任がある」と述べ、大問題になりました。当時の中曾根首相は辞任を拒否した藤尾文相を解任することまでしています。タカ派のボス中曾根は心中では藤尾に共感していたことでしょうが、さすがにこれが単なる過去の問題ではないことも理解していました。たとえ右翼といえども、同じ右翼仲間に対してこのくらいの国際感覚は持ってほしいものです。今の問題である南北朝鮮の分断の原因を、日帝支配の過去とは別に整理して考えるためにも、日本の侵した過去の誤りへのきっぱりとした対応が求められています。これは拉致事件にも共通するものです。


2005.07.26
 7月16日の「ランセット」誌で、パキスタンのスラムでの児童の臨床研究が発表されています。石鹸による手洗いを励行したグループでは、そうでないグループに比べ、肺炎で50%、下痢で53%の発症率の低下が見られたとのことです。しかし貧困家庭の収入では週に1個の石鹸を買うのも困難だと付け加えられています(赤旗16日)。ところであなた手を洗いましたか?


2005.08.08
 小学生のころ、給食袋と貯金通帳は、誇張ではなく命よりだいじなものでした。修学旅行と卒業アルバムの積み立てのために、親が血のにじむような苦労をして50円の金を持たしてくれたのです。
 戦後の日本を支えてきたのは、国際的には平和憲法です。しかしそれ以上に経済的に支えてきたのは「貯蓄」です。「貯蓄」こそは日本経済の屋台骨です。日本国民はゼロ金利に耐え、貴重なお金がアメリカ国債というジャンク債まがいに注ぎ込まれるのをじっと耐えてきました。長銀が何兆円の血税をつけてアメリカの食い物にされることにも耐えてきました。しかしそのアメリカが我々の懐に手を突っ込もうとすることには、さすがに耐えられません。
 行革そのものについても言いたいことはたくさんありますが、郵政民営化はたんなる行革ではありません。郵便貯金という膨大なマネーを民間(すなわちアメリカ)の手に渡すか否かという、貯蓄のあり方の根本にかかわる問題だと思います。


2005.09.01
 1972年、カエターノとジルはブラジルに戻っています。その前後、ブラジル共産党(doB)のコルデイロ書記長が5日間の拷問のあと虐殺されています。都市ゲリラだけではなく、いささかでも反政府的であれば、身の回りに官憲がつきまとい、いつかは連れ去られ、そのまま行方不明となる運命が待っていたのです。どうして戻ったのでしょう。
 チリと較べると、この違いはいっそう際立ちます。チリの活動家には三つの選択肢がありました。決死の覚悟で国内に戻るか、国外で反政府活動を続けるか、国外でうまくやっていくかです。アンヘル・パラの生き方と、インティ・イジマニやキラパジュンの生き方を対比するのは、口で言うほどカンタンではありません。はっきりしているのは、チリの人々にはカエターノやジルのような生き方は不可能だったことです。カエターノとジルが頑張ったことはいうまでもありませんが、チリににおいてそのような生き方ができたとは思えません。
 そうすると、はぐらかしたような答えになりますが、「彼らがどうして戻ったか」という質問に対する答えは、「戻れたから」ということになるのかもしれません。


2005.10.06
 ドイツの総選挙はなかなか面白い結果になり、ちょっと勉強して見ました。ひとつはいわゆる「ライン資本主義」の評価です。まごうことなき国家独占資本主義なのですが、この国家独占資本主義というのを、どうももう一度検討しなおす必要があるのではないかと思います。昔のソ連の「経済学教科書」は、独占資本主義のもっとすごいのが国家独占資本主義だと書いていたのですが、そう単純なものでもなくて、むしろネオケインズ学派の修正資本主義みたいなニュアンスも持っていたのかもしれません。
 もうひとつは旧西独部での得票率が5%足切り条項まであと一歩に迫る4.8%に達したことです。これがラフォンテーヌ派の頑張りによるものなのか、PDSへの反感が弱まったためなのか、今のところ判断できません。いずれにせよ、ヨーロッパで米国の一国支配に対する政治的反感だけでなく、ネオリベラリズムの押し付けに対する経済的な反感も強まっていることが示されたといえるでしょう。ヨーロッパ民主勢力のあいだでは、ソ連・東欧の崩壊以後の守勢に、どうやら歯止めがかかったと見てよいのではないでしょうか。


2005.12.04
 モロッコからの留学生と話すことが出来、とても面白かったです。彼は「アラブ・ナショナリズムはだめでイスラミズムこそが大事だ」と主張していました。イスラミズムの具体的内容は良く分からなかったのですが、もちろんイスラム原理主義とは違います。
 なぜそういう話が出てきたかというと、私が「中東情勢をしっかり捕らえるためには、50年代から60年代にかけてのアラブ・ナショナリズムをきっちりと評価しないとだめだ」とエラソーに言ったのがきっかけです。彼はナセルをエジプトによるアラブ覇権の確立を狙った人物と酷評します。そして彼の「アラブ民族主義」の名の下での「大エジプト主義」がフセインの「大イラク主義」を生み、今日の中東の混迷をもたらしたと考えます。シリアのバース党も、南イエメンもカダフィもその点では同罪だということになります。それではベンベラやブーメディエンはどうなのか聞いてみたかったのですが、とりあえず遠慮しました。
 彼の話を聞いて、逆にアラブ民族主義の評価の重要性を改めて痛感しています。たしかにナセルにはさまざまな側面があり、とくに晩年の矛盾する行動はその評価を難しいものにしています。フセインはアラブ民族主義右派として、そのネガティブな側面を代表する人物だったといえます。しかしアラブ・ナショナリズムにはイランのモサデク政権やイラクのカセム政権など民族主義左派の政権もあります。元気だった頃のPFLP(パレスチナ民族解放戦線)やアルジェリアの民族解放戦線もアラブ民族主義の流れを汲むものでした。
 アラブ民族主義は、封建的な支配に反対し世俗主義を主張し近代化を推し進めようとしました。少なくともその点に関して言えばサウジや首長国連邦、ヨルダンやモロッコなどの王国に比べればはるかに進歩的だったとおもいます。後知恵的発想から彼らを批判するのはどうなのでしょうか。


2006.2.15
 ベネズエラ代表団を歓迎する第一回目の全道実行委員会があって、そこで30分ほど話をしました。なにせそれぞれが大変に忙しい団体ですから、代表団を歓迎する意義を訴えても、心の琴線にまで触れるのはなかなか難しいところがあります。とりあえず考えたキャッチフレーズは「南米革命の前衛」、「憲法にのっとった多数者革命」、「チリの挫折をどう乗り越えるか、ここにひとつの解答がある」、「こうすれば、我々はネオリベラリズムを打倒できるかも知れない」、「自信と勇気が沸いてくる革命」、「ベネズエラ革命を知らずして、目の前の激動世界の行方も知ることは出来ない」などなど…


2006.3.09
 情勢分析には、現実の動きと傾向をもとにするsituation分析と、もう少し長い目で時代を見るtrend分析があります。時代の基本が少子高齢化社会であることは間違いないでしょう。それは単純に考えればGDPの低下であり、総体としての貧困化です。社会心理学的に見れば意欲や欲望の低下です。
 しかしそればかりでは困るわけで、高齢化社会なりに社会的活力を維持しなければなりません。これは若い人たちにとっての問題ではなく、実はこれから高齢者の仲間入りをする我々の問題なのです。
 日本の社会における強者たちは、「国際競争力を維持し企業活力を高めるためには、いっそうの富と資源の集中が必要だ」と考えています。それが「格差は当然」の発言を呼び、社会保障の改悪に次ぐ改悪をもたらしています。しかし、この考えには無理があります。それは一時的に企業の意欲を強めたとしても、国内需要の裾野をさらに冷え込ませ、社会全体の活力を弱める結果にしかならないからです。
 あるべき日本型高齢社会の基本目標として「国際競争力と企業活力の維持」を掲げるのには、そもそも無理があるのです。身の丈にあわせて「持続可能な発展」を追求していくべきです。そのことを国民的理解としなければなりません。
 目指すべき「日本型少子高齢化社会」の基本は、バランスのとれた貿易・財政と、均等社会の維持にあります。GDP成長率ゼロ、貿易黒字ゼロ、資本黒字ゼロ、財政赤字ゼロが数字目標となります。そのために大企業に対する社会的規制と裾野型産業の育成、行政による再分配機能の強化を強めなければなりません。
 同時にこの時代には終わりがあること、やがて出生と死亡のバランスが回復し、着実な増勢に向かう時期が来ることも理解しなければなりません。それまでの数十年にわたる「移行の時代」をいかに作り上げていくのか、いかなる「日本型少子高齢化社会」を実現するのか、それこそが時代の要請する課題です。
 それはなによりも、自らが高齢者となって行く「われらが世代」の課題でもあります。「情勢負け」せず、当事者世代として旗印も掲げ声も上げ、自らの社会活動のあり方を提示していくことがだいじです。


2006.3.18
 今はコロンビアにおける枯葉剤作戦について勉強しています。モンサント社のラウンドアップという枯葉剤が問題になっています。かなりの健康被害が出ているようですが、なかなか真相が伝わってきません。
 ところで
モンサント社は、遺伝子操作によりラウンドアップに強い一連の作物を開発しています。いわば二足のわらじをはいているカッコウです。ラウンドアップ抵抗性の作物は、いくらラウンドアップを吹き付けられようと平気です。その一方で、土の中の成分と栄養分をとるべく樹木と競争しているすべての生命が、根こそぎにされます。いわば自然界の多様性の否定です。
 私をふくめほとんどの臨床医は、このような発想には強烈な違和感を覚えるでしょう。いまやMRSAをはじめとする多剤耐性菌の問題は深刻であり、抗生物質の節度ある使用がもとめられています。しかしそれにもかかわらず、このいたちごっこは続くでしょう。
 このいたちごっこは人間の智恵と自然の摂理との対話という側面を持っています。いっぽうモンサント社は、すべてを防ぐ盾とすべてをつらぬく矛を、ともに我が手に収めようとしています。それは神にとって代わろうとするサタンの思想であり、到底共感できるものではありません。神は多様性の中にあるのであり、多様性を貫いてその真理を表すのです。
 現実にはラウンドアップ耐性の
Fusariumという真菌が早くも出現しているようです。グライフォセートで前処置された小麦は、同じくグライフォセート耐性のFusariumがもたらす「頭葉枯れ病」におかされバタバタと倒れています。ラウンドアップ神話ははやくも崩れ去りつつあるようです。
 このFusariumという真菌、ラウンドアップ小麦をやっつけるだけなら良いのですが、人間にもアフラトキシン並みの相当強烈な毒性を持っているようです。モンサントはフサリウムをやっつける農薬を作って、それに耐えられる小麦を作ってまたぼろもうけするのでしょう。浮かばれませんな!


2007.03.10
 前にも述べたように構造学派の理論が全面的に正しいとも思えませんが、ネオリベラリズムからの批判はあまりにも一方的で、感情的とすら思えます。問題は三つありそうです。ひとつは完全なレッセ・フェールなのか、政府の介入が必要なのかという問題です。新自由主義者はこの点をあいまいにしか触れないのですが、この答えははっきりしていて、必要に決まっています。乏しい資源を使いながら先進諸国にキャッチアップするためには産業の保護と統制が不可欠です。ふたつ目は、工業化は発展にとって必須なのかどうかという問題です。これもはっきりしていて、必須です。食料への需要には一定のプラトーがあります。農業は等差級数の世界であり、工業はそれ自身が「新たな欲望を生産する」等比級数の世界です。新自由主義者は、かつての「輸入代替工業化」の失敗をことさらにあげつらうことによって、工業化の問題を歴史的に決着済みの問題であるかのようにすり替えていますが、フェアーではありません。
 みっつ目は、工業化は輸出志向でなければならないかどうかという問題です。これは構造学派への批判となりますが、輸出志向でなければなりません。そもそも輸入代替というのは国内レベルの問題であって、分配・消費のフェーズでの議論です。極言すれば「国産品愛用運動」とか「倹約キャンペーン」に過ぎないのであって、世界の生産システムにかかわる議論ではありません。この誤りは構造学派が、生産システムではなく市場システムを視点に、世界を捉えることから来る誤りです。それに対するマルクスの呪いです。
 「失われた10年」の時代に多くの左翼系活動家がネオリベラリズムに飲み込まれていきましたが、その多くは三つ目の問題で参ってしまって、第一、第二の問題にまで確信を失っていったのではないでしょうか。世界のグローバルな物質的富の生産ネットワークの中で、それぞれの国はしかるべき地位と役割を担っていくべきです。これはグローバリゼーションを考える上での最も本質的な立場です。そのために一定の工業製品での比較優位性の確立は避けて通れません。60年代の中米共同市場の失敗も総括しつつ、また現在メルコスールに現れている域内矛盾を受け止めつつ、この問題は真剣に考えるべきです。
 債務危機と金融・財政再建、インフレ・貧困・失業問題の克服という焦眉の問題があり、中長期の視点がともすればかすみがちですが、上に上げたような基本的立場をしっかりと確保していきたいものです。


2007.05.01
 誰か面白いことを言っていました。ローマ帝国は「あの水道のために滅びたのだ」と。いったん作った水道を維持補修するのは、作ったときの何倍も手間がかかるのに、経済効果は良くてもゼロにしかならない。そのコストが重荷となってローマを滅亡に追い込んだのだといいます。
 生産とか建設という作業は、富を生み出すとともに「負の富」をも作り出しているのかもしれません。資本主義の生産システムは富とともに「貧困」も作り出しています。資本主義は富とともに「貧困」をも存立の基本条件としています。相対的過剰人口、産業予備軍という形で具現化された「貧困」がなければ、そのシステムは成り立ちえません。
 かといって、我々がペシミスティックなエコロジスト的発想に陥る必要もないのですが…


2007.07.23
 本日はテレビを見ていて結構カッカと来ましたので、書きます。久間発言をめぐるテレビタックルです。核兵器はゲオポリティクスとか戦略論一般に取り込めるような代物ではありません。核兵器は究極の大量破壊兵器であり、いかなる理由があろうとも使ってはならない兵器です。「ヒロシマ・ナガサキ」は人類にとって、ひとつの“先取りされた”最悪な未来像なのです。司会者の右に並んでいる人はともかく、左側の人まで、原爆の恐ろしさについては通り一遍です。
 キューバのミサイル危機があって、「渚にて」という映画が公開され、しばらくしてから「核の冬」という概念が提出され、「ザ・デイ・アフター」という映画が公開され、そのたびに私たちは学んできました。しかしいまだに、知る者と知らざるものとの落差は圧倒的に大きいと感じました。そして知らざるものが奇妙にのさばる時代がやってきたのか、と背筋に寒さを感じました。
 もうひとつ、これは核兵器廃絶の運動にとっては主要な問題ではないのですが、
第二次世界大戦の評価の問題です。日本では常にうやむやにされていますが、第二次大戦はファシズムに対する正義の戦争でした。そしてファシズムに対する世界の勝利を基礎として戦後世界が構築されているのです。
 アメリカの「原爆投下は正しかった」という議論は、戦いの「正義性」に関連しています。「原爆投下という行動は戦いの正義性から明らかに逸脱しているのではないか」、という疑問に対する回答として意味を持っています。日本をやっつけることが正義であるについては、全人民的な合意があります。だからこそ、その方法が適切だったかどうかが問われるという文脈になっているわけです。
 ここが分からないで議論していると、てんで話がすれ違ってしまいます。中にはアメリカの言い分にも一理あるなどということになってしまうのです。もちろん、戦争そのものが殺し合いという人道に背く行いであるわけですから、「正義の戦争」という言葉には多くの留保をつけなければなりません。しかし日本が「不正義」の側にいたことは、紛れもない歴史的現実なのです。その反省を踏まえてこそ、原爆投下が正しかったか否かという議論が国際的な真実性を帯びてくるのです。それは東京大空襲やドレスデン大空襲の評価についても共通しています。


2007.08.07
 7月23日の発言は、意外な問題を孕んでいるようです。本の題名を付けるとすれば「原爆と正義」ということになるでしょう。三題話にするためにもうひとつ付け加えるなら「原爆と正義と未来」ということになります。「未来」という言葉があまりに漠然としているなら、「原爆と正義と21世紀」と置き換えても良いかもしれません。
 我々は歴史を整理するために第一次世界大戦、第二次世界大戦という名称を付けていますが、それはややもすれば第三次世界大戦、あるいは(人類が生き残っていたとして)第4次世界大戦etcを前提として受け止められかねません。
 第二次世界大戦は、初めて大国間の戦争に正義というものが問われた戦争でした。帝国主義のトップと人民勢力の代表が手を結び、ヒューマニズムを共通の思想として、ファシズムと向き合った闘いでした。クラウゼビッツの言葉を借りるなら、政治の延長として戦争があり、その手段として兵器があり、その究極に大量破壊兵器があり、さらにその究極に原爆があるという構造です。
 兵器が人を殺すことを目的に存在する以上、それは本質的にアンチヒューマンなものです。まさに「仕方がない」存在です。しかしそれがヒューマンな目的に使用されるなら、その限りにおいて、武器はアンチヒューマニティーをチャラにできるのです。問題はその論理の延長線上に核兵器が位置づけられうるのか、位置づけられえないとすれば、その根拠は何なのか、ということです。
 核の問題を絶対平和主義の立場から論じるのは非生産的です。菜食主義者も草木の命を絶ち、その亡骸を引き裂き、むさぼっていることでは原罪を免れることは出来ません。植物プランクトンのみが善で、それを捕食する動物性プランクトン、オキアミから鯨まですべてが悪となります。人間は死ぬことが唯一の善行となります。とすれば原爆は善の象徴ということになります。
 話がわき道にそれましたが、原爆はまさに歴史的に具体的なものであり、在来の論理を当てはめて類推することは不可能なのだということです。「仕方ない」論はまさにその誤りを犯しています。
 「非核」の論理はまずもって広島・長崎あわせて20万人の死者と、生き残った被爆者の具体的な実相を元に作り上げられています。そして朝鮮戦争での核使用発言、それに反対するストックホルム・アピール、ビキニでの第五福竜丸事件と原水禁運動の高揚、キューバのミサイル危機など、さまざまな事件と世界の反核世論の高まりを元に形成されてきたものです。それは第二次大戦を機に生み出された正義と人道の論理の発展過程の反映にほかなりません。その原点にヒロシマ・ナガサキは位置づけられているのです。「仕方ない」論は、戦後60年にわたる「非核」の論理の形成過程にまったく無関心としかいいようがありません。


2007.10.19
 ベネズエラのイシカワ大使が札幌に来るというので、目下その準備に大忙しです、と言いたいところですが、まったく作業ははかどっていません。「21世紀型社会主義」の課題、そしてそれを担うべき統一社会党の結成と、素直に首を縦には触れないような提起が突きつけられているからです。
 政治革新は常に摩擦を伴う作業です。対決の論理が大なり小なり前面に出ざるを得ません。しかし対決の論理の根本には統一の論理があるべきです。「多数者革命」という言葉は、たんなる数の問題ではありません。理論的優越性を基礎にし、政治的反対派をも抱合し、国民的合意の形成者となることを目指しながら革命を進めていくところに、その核心があります。
 現在の政治的勝利は、一面ではリコールの動きを跳ね返し国民の多数を結集したための勝利ですが、一面ではこれまでの寡頭支配層が選挙をボイコットしたなかで転がり込んできた勝利でもあります。与党の全議席独占という状況は民主主義システムの危機の反映でもあります。
 国民和解をどう進めるか、政治的見解の多様性をどう維持するか、これがまず最優先課題として語られるべきでしょう。政治は政敵の存在を前提として成立しています。民主主義政治は政治的権利の保障という手段でこれをシステム化しています。反政府派=反革命派に追いやることなく、政治システムの中にどう取り込んでいくのか。ベネズエラがこれからさらに社会主義を目指していくとするなら、これからが正念場でしょう。


2007.10.24
 いろいろ世界を見ていると、どうも最近、日本の経済的地位が相対的に沈下しているような気がします。大企業はいいのでしょうけれど、民衆レベルでは、以前のように肩で風切ってドルをばら撒くようなご時世ではなくなりつつあるようです。じつは私はそれでよいのだと思っています。
 悪い風習というのはたちまちに広がるもので、アジア人を目下に見てえばり散らす風習はこの30年で急速に一般化しました。その前は日本人は外国人に対してもっと謙虚で親切だったのですが、阿部首相を先頭とする若い世代は、経済大国に酔いしれてすっかり傲慢になってしまいました。彼らの一部は、中国人をシナ人とかチャンコロとか呼んでいた戦前の軍国主義者や、それにつながる右翼と気分をともにしています。彼らの「愚民」を見るまなざしは、やがて「貧民」となるべき大多数の日本国民にも向けられているのでしょう。


2007.11.15
 教育テレビのN響アワーを見ていたら、芸大の奏楽堂保存運動の話をしていました。運動を率いた教授が「保存運動の三原則」という理論を展開していました。①使えること、②清潔なこと、③価値があること、というのです。運動から導き出された教訓だけに、とてもリアルで面白く、ためになる話です。話のミソは、老朽化した建造物が一般的・抽象的に価値がある、というその前に、クリアしなければならない条件が二つあるということです。「使えること」というのはきわめて即物的で分かりやすいのですが、「清潔なこと」という言葉には多くのニュアンスが含まれています。
 これが例えば「老人保護運動の三原則」というのだったら、どう展開されるのでしょうか。「保清」(下の世話など)を抜きに老人保護は存在し得ない、「老人は汚ない、臭い」という偏見を打破すること抜きに、老人保護運動は存在し得ない、と言われるとウムウムとうなずいてしまうところもあります。現実に、大家さんは年寄りが3K(+危険)だといって敬遠する状況がありますから…。


2007.11.28
 ベネズエラ大使の講演会が無事終わりました。180人もの参加で、集会は大成功でした。司会を担当しながらとても勉強になりました。
 私がまとめさせてもらったベネズエラを学ぶ意義は次の三つです。①日本では今憲法を守ろうとがんばっている。ところがベネズエラでは世界でも一番民主的な憲法である98年憲法をさらに変えようといっている。その違いは何なのか? ということです。これは相次ぐ国家転覆の陰謀に抗して、憲法と民主主義を支えてきた民衆の力を、どう憲法に反映させていくのかという問題に帰着します。②「スラムに入ろう」運動や識字化運動を突破口とする教育改革、「人民の店」運動から展開された流通改革などを、もっと大本から考えぬいていくとどうなるのか? ということです。これは、政治的側面だけではなく、経済的・社会的に「国民が主人公」の仕組みを、どのように法体系の中に根付かせていくのか、という問題に帰着します。③キューバとの交流から始まったALBAの精神を発展させ、IMFの主唱するようなネオリベラリズムに基づく世界秩序ではない、「もうひとつの世界」を作り上げていく展望は本当に可能なのか? ということです。これを日本国憲法に結び付けて言えば、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」という文言の内実化です。
 どれをとっても、とても難しい問題で、きれいな結論が出るような問題ではありませんが、私たちにとってもゆるがせにできない問題でもあります。第一、考えるだけでもとても楽しい課題ではないでしょうか? だからこんなに多くの人が一生懸命聞き入ったのだろうと思います。


2007.12.02
 昼は小森陽一先生の講演を聞きました。北大出身で「憲法9条の会」の事務局長、私とは入れ違いの方のようです。文学の講義というのはこうだったな、と思い出しました。面白かったのは、「草枕」を引用して、世の中は大きな渦巻きと小さな渦巻きがあって、小さな渦巻きは大きな渦巻きによって規定されており、「相同」を形成しているのだという「テーゼ」を提案していたことです。「漱石がそう考えていたのだ」ということで、参考に原文も配布されましたが、そこまで言っているようには思えず、これは小森さんの「仮託」も含まれているなと感じました。
 といいつつもなかなか面白い発想で、「使えそうな」論理モデルです。ところでまったく蛇足ですが、以前、風呂の水を流したときに最後に渦巻きができるが、その渦巻きは右巻きか左巻きかという議論がありました。台風は北半球では左巻きですから、統計的には日本の風呂の排泄口にできる渦巻きも左巻きになるはずだ、と調べてみたが、どうも有意差は出なかった、というのが結論だったように記憶しています。いずれにしても一つ一つ起こる事象を何かのパラダイムで即決することなく、じっくり観察することでその個別性、普遍性、特殊性を導き出すこと、なによりもその対象化=実践の結果をあいまいにせず、しっかりと総括し積み上げていくことが一番でしょう。


2007.12.19
 映画「日本の青空」を見ました。率直に言って、微妙な映画です。コスタリカを論じるときにも似た思いを持ちます。
 鈴木安蔵らの憲法私案がそのまま尊重されたのか、それを下敷きにした日本社会党の私案がどの程度取り込まれたのか、私には良くわかりません。しかしそれをもって、現憲法が押し付けではなく日本人民の手に成るものだったかのように主張するならば、やや牽強付会の感無きにしも非ずです。
 「非核の思想」のときにも述べたのですが、憲法を考える上での根本は第二次世界大戦の評価です。この戦争はファシストを反ファシストが抑えつける戦いでした。その戦いのひとつの最終結論としてポツダム宣言があり、世界の人民はそれを日本の旧支配階級=軍国主義者に「押し付けた」のです。そして日本の「人民」は喜んでそれを受け入れたのです。
 ポツダム宣言の思想は、天皇制の解体であり、侵略的日本軍の解体でした。それは財閥解体や農地改革とひとかたまりの思想となって、戦前の日本を支えた封建的地主制度と独占資本主義、軍国主義、そしてその頂点に立つ絶対主義天皇制をその根元から断とうとするものでした。
 問題は二つあります。ひとつは改革が中途半端に終わる場合、日本人民にとっても「押し付け」となる可能性があることであり、ひとつはそれが「解体」に重きを置くあまりに、新生日本の建設のイメージが希薄なことです。
 憲法の成立過程からすれば、第9条はその中途半端さを象徴する条項です。国家と民族の尊厳という観点からすれば、まさにそれを放棄する宣言に他ならないのですから。ベアテ・シロタ・ゴードンらが日本国憲法の精華として強調するのも、9条ではなく男女平等などの市民権です。
 しかし、戦後日本の民主運動は、第9条を日本民族の尊厳の放棄としてではなく、「国際社会に名誉ある地位を占めたいと思う」という憲法前文と結びつけることによって、「普通の国」の「普通の憲法」ではなく、まさに日本民族の尊厳を生かす象徴として「鍛えなおして来た」のです。
 「ポツダム宣言」が発せられたとき、すでに世界は事実上の冷戦に突入していました。したがって「ポツダム宣言」は階級的に読み解かれなければなりません。大事なのは「ポツダム宣言」に反映された、ファシズムと軍国主義を憎み、平和を愛する世界人民の精神であり、それをどう体現していくかです。そういう闘いを背景にして、初めて憲法9条が意味を持つようになったのであり、世界に燦然と輝くようになったのです。
 繰り返すようですが、憲法9条はアプリオリーに進歩的な条項であったわけではなく、日本と世界人民の宝であったわけでもありません。むしろ「中途半端な」押し付け条項であった可能性もあります。それを「世界の宝」にしたのは日本の民衆の闘いです。


2008.02.03
 いまニム・ウェールズの「アリランの歌・ある朝鮮人革命家の生涯」を読み直しています。主人公というか、語り手の金山(キム・サン)の言葉で、うれしくなるようなフレーズがありました。
 私は東京で知り合ったたくさんの日本人が好きだ。1919年の日本では革命階級が育ちつつあった。日本人はよき同志である。日本の共産主義者は誠実で強く、犠牲を恐れず、彼らの大義に情熱的に献身する。これまで会った人が、私はみんな好きだ。中国では反植民地闘争が行われているために、共産主義運動ですら民族主義的傾向が非常に強いが、日本の共産主義運動にはこの傾向がまったくない。中国人がするように朝鮮人その他外国の同志を差別することがなくて、実に国際的な気質を持っている。リベラルな日本人と朝鮮人は良い関係にあり、極東地域インターナショナルの精神は、これら日本人の指導の下に生まれつつあった。
 日本人ほど「世界地図」が大好きな国民はいないでしょう。よく「島国根性」などといいますが、実は資源の乏しい島国だからこそ、むしろ国際的な視点が豊富な国民なのではないかと最近思うようになっています。
 ところで、韓国の人々は「アリランの歌」を読んでいるのでしょうか。国定教科書が抵抗の歴史の一側面を描いているとすれば、この本も、まちがいなく韓国民主運動のひとつのルーツだと思うのですが、共産主義者の本だから発禁でしょうか? 今月の末にはソウルに行くので、聞いてみたいと思います。


2008.02.04
 朝鮮共産主義者の苦闘の歴史は、決して金日成の専売特許であってよいものではありません。
 もうひとつ、金山(キム・サン)の言葉。…朝鮮では幅広い民主主義をもとめる心が実に強かった。これは我々が強力な中央集権的政党組織を作り出さなかった理由のひとつである。各派が自分の生存権と自由な発言権を守ったし、各個人が己の信念の自由を守ってとことん争った。我々の間に民主主義はたっぷりあった。-が、規律は実に乏しかった。…
 「アリランの歌」を読む読者の大半は、そのヒューマニズムと戦闘性に感動するのでしょうが、その世界の半分を共有する私にとっては、むしろ彼のリアリズムに感動します。決してナイーブではない、戦いの中で鍛えられたリアルでしたたかなヒューマニズムです。
 ただこのヒューマニズムは「後ろからの攻め」には弱い、これだけの困難を生き抜いた金山が、ソ連帰りの康生という若造の前にコロッとやられてしまうのは,あまりにも無惨で無念です。だからといってこの「アキレス腱」を鍛える気にもなれませんが…。


2008.02.08
 いま韓国では民主労働党の大会が開かれ、その党としての命運が決せられようとしています。この論争が、失礼ながら、大変面白い。年表4の「朝鮮戦争後の韓国史」に組み込んでいます。
 日本では朝鮮戦争前夜の弾圧で産別から総評が飛び出し、さらに第二組合系が同盟に結集するという経過をとりましたが、韓国では御用組合系の韓国労総から民主労総が左に飛び出すという逆の方向をとっています。この民主労総が民主労働党という革新政党を結成し、そこにPDと呼ばれる革新派や社会民主主義者が流れ込み、さらに北朝鮮系のNLももぐりこみました。
 党は「何でもいらっしゃい」の立場で、選挙で前進すればよいと鷹揚に対処しました。言ってみれば旧社会党のようなものです。民主労総の前議長はPD派の人物と大統領選の候補を争い、勝つためにNLの力を借りました。PDの方も泡みたいなタレント候補で、党は踏み台にしか過ぎません。
 おかげで「庇を貸して母屋を取られる」形になり、今では「NL派」と呼ばれる北朝鮮支持者が党の多数派となってしまいました。革マルに乗っ取られた動労のようなものです。彼らは統一問題や核問題で北朝鮮側の主張を鸚鵡返しに繰り返したことから、国民の支持をすっかり失い、いまや党そのものが存亡の危機に立つことになりました。
 幹部の中から「北朝鮮スパイ団」が摘発されたこともあって、NLは今のところ低姿勢ですが、彼らがいったん握った党の指導権を譲り渡す可能性は低いと思われます。NL派のトップといわれる前事務総長のインタビューを読むと、「蛙の面にションベン」というか、「ああ言えば上祐」というか、「あぁ、これはもうだめだ!」と感じます。情けないことながら、これが今の韓国民主勢力の到達の限界なのです。要するに真ん中が薄いんですね。日本も人のことは言えないけれど…


2008.04.24
 エクアドルの記事を探してて、面白い文章に当たりました。シェブロン社の子会社に当たるオキシデンタル石油という会社が、エクアドルの石油を採掘しているのですが、環境破壊がひどいようです。アマゾンのジャングルに汚染物質を垂れ流し、これにより先住民の間に重大な健康被害が出ているという話しです。
 ここまではよくある話ですが、レポーターが石油会社の弁護士と会見したとき、弁護士の語ったせりふが面白い。
「それで、それは世界で唯一の癌の事例なのですか? 米国でどれだけの小児癌の事例があるのでしょう?」
 このセリフ、劣化ウランでも枯葉剤でも、いやというほど聞かされてきました。そう、まさにこれが企業側の論理なのです。企業の論理が「無害説」で、ネットで有害説を批判する「反・有害説」は企業の論理とは別だというのは、「反・有害説」論者の勝手な思い込みにしか過ぎません。だから「反・有害説」を唱える人たちは、「有害説」を批判する前に、まずみずからが企業側、あるいは「戦争をする側」のダミーではないことを明らかにする必要があります。
 そもそも、まともな議論をしようとするには、インターネット社会にはびこる「匿名性」は大きな障害です。イラク戦争の頃、インターネットでは随分反戦運動が高揚しました。加藤哲郎さんなどは、「ネチズン社会が到来した」と持ち上げました。しかしイラクの人質事件を機に、ネットは「掲示板アラシ」の支配する荒野と化しました。
 昔の時代劇ではないが、「何者だ、名を名乗れ」と叫びたくなります。まともなネット社会は、出版社会と同じく、もっと実名性を大事にしなければなりません。故あって実名を出せない人もたくさんいると思いますが、そういう人は、実名でサイトを開設している人を闇討ちすることなく、もっと謙虚であるべきです。


2008.04.28
 久しぶりに北海道民医連の総会に出席しました。各地での深刻な医療実態と、社会的弱者の置かれた悲惨な状況が浮き彫りにされましたが、それ以上に実感したのは、これらの状況に立ち向かう職員の元気振りです。現場で状況と向き合っている人たちが、「まっすぐな人権意識」を鍛え、みずからの活動に確信を深めている「まっすぐな流れ」です。
 「まっすぐな人権意識」という言葉は、2月に行われた全日本民医連総会の議論を踏まえて打ち出された考えですが、これには三つの意味があります。ひとつは民医連運動が築き上げてきた医療と人権に対する「目と構え」を「まっすぐ」に受け継ぎ、いま目の前で行われている実践から「まっすぐ」に教訓を導き出すことです。
 二つ目には、医療を受ける権利を人間の「生きる権利」と、「まっすぐ」に結びつけることです。病める人の苦しみはその何倍もの「生きる苦しみ」の一部にしか過ぎません。そしてその「生きる苦しみ」は、私たちもふくめた国民共通の苦しみと結びついています。そして国民共通の闘いと結びついています。これを心から理解することが「まっすぐな人権意識」につながるのです。
 みっつめは、未来につながるもの、人権が本当に尊重されるような世の中に向かい、「まっすぐ」に伸びてゆく人権意識を鍛えることです。現に、民医連がさまざまな方面から、かつてないほどの注目を浴びているのも、私たちが「未来」を固く握り締め、決して手放さなかったからです。よく「闘いと対応」といわれますが、「対応」自身も、未来を見据えた「闘い」の一部でなければなりません。未来を語ってこそ「対応」は共感を呼び、闘いの一部としてとらえ直されるのです。
 まっすぐに伝統を引き継ぎ、まっすぐに未来を見据え、まっすぐに国民と共同し、依拠し、連帯する人権意識が、いまもとめられています。それをたんなる「人権感覚」ではなく、主体的意識として集団的に鍛え、構築していく営みが、民医連運動の核心をなしているのです。


2008.05.20
 洞爺湖サミットに対抗して、北海道AALAも「平和サミット」の一環として、講座を受け持つことになりました。題して「世界経済と新自由主義」、えらく大きく振りかぶったものです。といっても人のふんどしで相撲をとるようなもので、今回は北大経済学部の気鋭の研究者、橋本努さんに講師をお願いしています。
 橋本さんの「新自由主義論」は、いわゆるマルクス主義系の言葉ではなく、なじみの薄い用語が続きます。論旨はきわめて広範にわたり、とてもすべてを理解することは出来ませんが、私の理解した範囲では、次の三つが挙げられると思います。
 第一に、新自由主義は福祉国家論にもとづく政策の破綻にもとづいて打ち出されたものであり、政策の流れから見れば必然的な要素をふくんでいること。したがって「拝金主義」や「市場原理主義」と同じように見ることは出来ず、全面否定するのは行き過ぎであること。
 第二に、新自由主義を乗り越える現実的な可能性はないこと。もし乗り越えたとしても、その先には「中央集権的で孤立した国家」(例えばビルマ、北朝鮮?)という選択しかないこと。第三に、発展途上国に対する経済政策にも新自由主義=ネオリベラリズムという言葉が使われるが、そもそも新自由主義はポスト福祉国家論であり、発展途上国には当てはまらない。それはたんなる「経済的自由主義」でしかないこと。
 ということなので、のっけから議論が成り立たない恐れもあります。とりあえずスコラ論争を避けるためには、「ワシントン・コンセンサス」あたりを、「途上国に対する新自由主義の押し付け」として論じる議論の枠組みで始めることになりそうです。
 しかし橋本さんの思いは、いわゆる「ネオリベラリズム批判」論に掉さすことにあるのではなく、新自由主義をどう克服していくかというところにあるので、この思いを共有していくことが大事です。良く分かりませんが、それはトービン税などあれこれのアイデア・コンテストではないでしょう。
 「グローバリゼーション」を迫られつつある世界の民衆は、不可避的に、それと向き合いつつ「もうひとつのグローバリゼーション」を作り上げるでしょう。そのプロセスを、連帯の立場から一所懸命観察し、その成果を理論化していくことが、何よりもとめられているのではないでしょうか。


2008.05.22
 洞爺湖サミットに対抗して、引き続き橋本さんの文章と取っ組み合っています。どうやら、橋本さんが書いている内容とは別に、現在の「ネオリベラリズム論」との関係で橋本さんが何を言わんとしているかが見えてきました。
 それは、橋本さんの考える「新自由主義」が、基本的には内向きの理論だということです。まずはグローバリゼーションという歴史のトレンドがあり、この大波のなかで「福祉国家」を中心とするこれまでの政策体系が崩壊した。これに対し、先進国経済と社会を守るための枠組みが模索され、保守層の延命策としての「新自由主義」という枠組みが提示されているとの理解です。
 したがって、先進国の市民たち(我々)も、いまの暮らしと社会を守るための枠組みを模索する中で、この「新自由主義」と取り組まなくてはならないし、“部分的には”受け入れなければならないところもある、と論立てが進みます。この“部分的”というところが橋本さんのミソで、「なぜ?」から始まって、「どこを?」「いかに?」というような論点が延々と続くことになります。なかにはマルクスとハイエクの組み合わせという、硫化水素が発生しそうなものすごいレシピもあります。
 ここから先は、橋本さんの主張ではなく、私が勝手に敷衍するのですが、グローバリゼーションが歴史のトレンドとして必然だとすれば、その先に見えてくるのは「世界資本主義」あるいは「超帝国主義」です。そこでは少数のワールド・チャンピオン資本がユニバーサルに支配を及ぼし、その下で先進国であろうと途上国人民であろうと、ひとし並の搾取・収奪を受けることになります。先進国の市民にとっては絶対的な貧困化と同時に比較的な貧困化も加重されることになりますから、その精神的苦痛は大変なものです。
 それを受容した上で初めて「もうひとつの世界」が開けるのだという主張は、きわめてリアルです。リアルではありますが…それは第三次世界大戦をも織り込んだヴァーチャル・リアリティーに過ぎないのではないかという思いもあります。


2008.05.23
 ベーム・パヴェルクというマルクス批判で名を売った学者がいます。オーストリアが没落し、第一次大戦へとなだれ込む最後の時代に生き、日露戦争の頃にオーストリアの大蔵大臣まで勤めた男です。彼のマルクス批判はかなり説得力があり、マルクス経済学者がしゃかりきになって反論していた記憶があります。
 かつてフランス革命の時代に、カント・フィヒテ・ヘーゲルがその最高の解釈者となったのと同様、「独占資本主義」に成長しつつある巨大な資本主義を解釈する最高の担い手は、イギリス人ではなくドイツ=オーストリア人でした。レーニンの「帝国主義論」の底本の一つとなった「金融資本論」を書いたのは、ベーム・パヴェルクの教え子であったヒルファーディングでした。
 橋本さんが究極的に依拠するのはハイエクのようですが、ベーム・パヴェルクとの関係はどうなっているのでしょうか。「マルクスの呪詛」との格闘の中で「新自由主義」が生まれているとするならば、「経験批判論」にせよ、ポパーにせよ、人民解放闘争への「対抗理論」として位置づけられます。彼らの議論の持つ独特の晦渋さは、「曳かれ者の小唄」のふくむ隠喩の反映でしょうか。
 困るのは、勉強すればするほど、橋本さんと共振できる余地が減っていくことです。かつてポパーを読んだときと同じようなイライラ感がうまく解消できればよいのですが。


2008.05.27
 整理すればこういうことだと思います。
 まず具体的な政策論としては、ドメスティックには日本でもおなじみの「構造改革」論があり、グローバルには「ワシントン・コンセンサス」としてまとめられた10か条の御誓文がある。
 これを補強する経済理論として「マネタリズム」がある。人によってはこれをフリードマンら正統シカゴ学派と、米政府系エコノミストの「俗流マネタリズム」に分ける人もいる。マネタリズムというのはマネー・サプライ(通貨発行)が経済規模と成長を規定するという考えで、有効需要が成長を規定するというケインズ経済学に対抗する理論でもあり、ケインズ以前のいわゆる「古典経済学」の復活でもある。
 さらにポスト・モダン理論として、ケインズ経済学とマルクス経済学を串刺しにして「福祉国家」の終焉を打ち出し、ワイルドな世界の復活を説くネオリベラリズムの思想があるという三段重ねの構造です。そのほか議論の中では「リバタリアニズム」(自由意志論)という言葉も出てきますが、中身はほとんど無規定な床屋談義です。
 そして橋本さんが主張するのは、「ネオリベラリズム批判ということで三つをゴッタにしてはいけないぞ」ということだろうと思います。
 ということで、とりあえず議論の一つは整理できましたが、残された問題ははるかに大きい。
 第一に、世界資本主義は可能か否か? という問題です。グローバリゼーションは資本主義の世界資本主義=超帝国主義への衝動であって、イコール歴史の必然というわけではありません。現にこの世に帝国主義が出現してすでに100年以上を経過しているのに、二度の世界大戦を通じてもそれは実現できていません。
 第二に、資本(総資本)が本質的にもとめているのは利潤ではなく、利潤の生み出し手である労働です。そして労働とその果実である所得によって生み出される需要、そしてひとびとの欲望です。企業(個別資本)がもとめられる競争は、利潤第一主義をもたらします。それは、あるときは労働の発掘に拍車をかけますが、あるときは労働の担い手を破壊する自滅的な行動にも手を出します。この、資本が労働と利潤に対して持つ関係が、グローバリズムの展開でどう変容するのか、あるいは貫徹するのかが問われます。
 第三に、市場という「神の手」も相対的過剰人口の増大をもたらさずにはいられません。労働市場はより多くの労働力を市場に持ち込みます。そしてそれ以上のテンポで相対的過剰人口という労働力プールを作り出します。したがって、世界資本主義が「神の手」に導かれて発展する場合、その勝利者にとって、真の敵は隣の国のあれこれの企業ではなく、労働者階級だということです。もちろん、世界資本主義が限りなくバーチャルなものだとすれば、世界革命も夢想家のたわごとにしか過ぎませんが。
 というわけで、橋本さんは、反グローバリズムの運動には「新自由主義」という呪いがかけられていることを強調されていますが、当の新自由主義には「マルクスの呪い」がかけられていることになりそうです。この二重の呪いの構造を把握しながら経済諸政策を個別に吟味していくことが議論の鍵となりそうです。
 黄熱病ワクチンの副作用なのか、倦怠感と筋肉痛・脱力感・皮膚のひりひり感が続いています。かれこれ三日になります。注射部位は結構腫れて熱を持っています。これも経験ですね。


2008.06.02
 若手の医者で「共産党は嫌いだ」という人がいるそうです。こういう場合どう反論するか、いままでとは随分違っています。「貧乏」が随分はびこっていますから、「貧乏は嫌いか?」と聞きます。「そうだ」といったら、「貧乏な人は嫌いか?」と聞きます。答えが詰まったときに、こう畳みこみます。「貧乏が嫌いだから、貧乏人が嫌いだから、貧乏人の味方も嫌いなのか?」
 誰でも「貧乏」は嫌いです。でも「貧乏な人」を嫌ってはいけません。まして「貧乏な人の味方」になろうとしている人を嫌ってはなりません。それは「貧しさ」を見つめる側の感受性の欠如の表現であり、人間としてもっとも恥ずかしい行いです。
 「貧しい人」は貧しいから苦しんでいるのではありません。貧しいから差別され、嫌われるから辛いのです。あなたが「共産党は嫌いだ」というのが、「貧乏は嫌いだ」というのと同じだとしたら、それはとても無慈悲に聞こえます。貧しいがゆえに蔑まれ、嫌われてきた人間が、差別を拒否して立ち上がり、声を上げようとするときに、「お前らは嫌いだ」といわれることがどれほどの打撃か、そこを良く考えてください。
 「貧乏な人の味方」になろうという態度は、決して難しいものではありません。弱者を見つめる目線を自らの生きる目線に重ね合わせて、その目線の命じるままに姿勢を保てばよいのです。それほどの哲学的営為を要するものではなく、私のようなぐうたらにも十分可能です。


2008.06.29
 新自由主義をめぐる戦いは、実際には一つ一つのローカルな、あるいはドメスティックな戦いの集合体です。その中で「環」となっている二つの戦いについて報告することは大事な義務だと考えています。


2008.07.12
 4日の講演会は、案の定というか、混乱のうちに終わりました。でも橋本さんに5日のデモに参加してもらえ、良かったです。気持ちは分からないのではないのですが、やはり「洗練されたネオリベラリズム」という言葉をポジティブな意味で使うのは、普通の人にとっては神経を逆なでされる感をぬぐえません。もう少し実践的に「立ち位置」を固める中で、言葉に説得力がついてくるのではないでしょうか。


2008.07.18
 橋本さんのネタが分かりました。アントニオ・ネグりという元極左テロリスト(日本で言えば滝沢某のような人物)の書いた「帝国」という本です。この本で「グローバリゼーションは受容されなければならない」というところを「ネオリベラリズムは受容されなければならない」と読み替えているのです。ただネグりはそれを苦渋に満ちた選択ととらえ、その克服と次の時代への道を模索するという立場ですが、橋本さんには必ずしもこの観点は明確ではありません。
 ネグりは私と同時代を生きてきた人間ですから、問題意識は似通っています。5月27日の項に書いた三つの問題意識と共通するところがあります。ただ違うのは、彼は元テロリストらしく人民の反撃能力に対して悲観的であり、私たちは人民の戦いの歴史を踏まえてもっと楽観的、弁証法的であることです。


2008.08.01
 JICAのホームページを見ていて、面白い一節に出会いました。
 …
財政の基本的な機能として、(1)開発に必要なインフラ整備などの公共財を供給する「資源配分」機能、(2)累進課税や社会保障給付を通じた所得「再分配」機能、(3)景気変動を緩和する「安定化」機能、に着目します。
 工業化の過程では、産業インフラ(工業団地など)輸送インフラ(道路、港湾)、電源インフラ(発電所、送変電設備)などが重要な役割を果たしますが、これらをどのように供給するか、ということと同時に、そのために必要な資金をどのように調達するか、ということも重要な財政課題です…
 これを私流に読み替えると、人間の共同体機能として、生産・分配・防衛の機能があり、その「高次における否定」としての国家共同体においては、資本の再配分、所得の再配分、社会の安定化がもとめられるという構造になります。共同体構造の上に国家共同体が君臨するためには、それを強制する権力機構が必要であり、それを合理化するイデオロギーが必要です。現代世界では、それは立法・行政・司法の三権であり、民主主義の思想です。ただしこれは場面によっては独裁となることもあります。


2008.08.03
 今週は、赤旗のまとめ読みです。まずは6中総の報告からです。(あまりに長くなったので一本のファイルにしました)
 7月発表の通商白書によれば、①世界GDP合計と金融資産残高の比率が、1980年の1:1から、90年に1:2、06年には1:3.5となった。②「市場型金融」は景気の拡大にも後退にもそれを増幅する働きをする。③アメリカ家計の債務残高は返済原資の10倍だったが、08年のサブプライム問題以降は84倍に膨れ上がった。
 保守派シンクタンクのブルッキングス研究所、市場原理を最優先するレーガン以来の新自由主義理論の基礎が崩れつつあると述べる。①規制緩和、②所得再分配ではなく投資刺激、③自由貿易が経済成長を促す、の3原則について、重大な批判が加えられつつある。それは「資本が支配する時代」への終止符となるかもしれない。
 米政府、「年央財政見直し」を発表。財政赤字が4800億ドルになると発表。当初見積もりより800億ドル増加し過去最高。①イラク・アフガン戦費が一部しか計上されず、②経済成長率見通しを民間予測より大幅に上乗せするなど、「ブッシュは米国史上最も財政無責任の大統領」との批判。
 日本:失業率が4.1%に増加。新規求人数は1年前に比べ18%減少。消費支出は一世帯28万2千円で、実質2%の低下。
 IMF,世界の金融機関がサブプライム絡みで出した損失計上が合計4千億ドルに達したと報告。総額は約一兆ドルを越えると推定。米大手のシティー・コープとメリル・リンチだけで900億ドルの損失。野村証券は25億。
 坂寄さんのコラム: 今日の資本主義では、大企業中心の新自由主義的な資本蓄積が推し進められています。この結果、富がますます大企業、大金持ちに集中しています。その巨額な金融資産は、過剰な貨幣資本となり、金融危機を起こし、また投機マネーとなって原油や穀物を暴騰させています。 
 一方に膨大なワーキングプアと貧困、他方に法外な富の蓄積という異常な資本蓄積のあり方…ここに現代の新自由主義的資本主義の矛盾の根源があります。(「根源」ではなく結果だと思うが…)


2008.08.04
 グローバリゼーションの最大の目的は、諸国家の「開発と発展」です。それは世界のすべての人々を「飢餓と貧困」から救うためのものでなければなりません。ところが実際には、グローバリゼーションの名の下に「飢餓と貧困」が開発され、発展しています。従属論の言い分は気持ちとしてはもっともです。
 しかし、市場原理論者も、途上国を貧困に陥れるためにグローバリゼーションを唱導しているわけではありませんから(少なくとも公には)、これでは感情のぶつかり合いにしかなりません。農民連の白石会長はこう言っています。「WTOは、世界は十分な食料を生産しているという前提に立って、その効率性を追求してきた」が、その前提は崩壊しつつある。そしてWTOが打倒すべき対象としてきた「食料主権」を復活させることの必要性が証明されつつある。
 東大農学部の鈴木宣弘教授は、「WTOの単純な国際分業論が明白に限界を示した」と表現しています。そして「単純な継続的な関税削減に一定の歯止めをかけるルールの見直し」を提起しています。このあたりが議論の落としどころでしょう。


2008.08.07
 8月2日の赤旗国際面には注目すべき記事が載っています。「ニューズウィーク国際版」のファリード・ザカリア(Zakaria)論文の紹介です。原文を読んでいないので正確かどうかはわかりませんが、紹介の紹介です。
 ザカリアは、世界の無極化を「マイナス」とみるハースとは対照的に、「かつてない平和と繁栄ムードに満ちた国際社会」として評価します。その根拠として、①この20年のあいだに戦争と組織的暴力は減少している。②世界の人口の8割を占める国々で、貧困が減少しつつある。③この15年間で、世界経済の規模は二倍以上に拡大した、と評価します。
 その上で、「アメリカ後の世界」では、「新興国がその理念や利害を強く主張するのは避けられない。必然的にアメリカが影響力を行使できる範囲は狭まる」と予想します。そして結論では「これまでアメリカは世界で二枚舌を演じてきた。国際ルールを作る当事国でありながら、自らルールを破りもした」が、これからはそうは行かないだろうと主張します。
 このザカリアという人は「フォーリン・アフェアーズ」の副編集長からニューズウィークに引き抜かれた人で、いわばハースの教え子です。インタネットで見ると、その筋ではわりとキワ物好きのゲスっぽい人物と評価されているようです。それでも、ネグリにつくかザカリアを支持するか、勝負は、後出しじゃんけんみたいなもので、おのずから明らかでしょう。もちろんザカリアほどには“ノーてんき”にはなれませんが。
 この記事の右肩には、国連貿易開発会議(UNCTAD)の2008年度統計が紹介されています。ここでも工業国の世界支配が続いているとしながらも、途上国がそれを上回る速度で経済が発展していると指摘しています。ただ、この報告はザカリアとは違って、途上国の経済構成が工業国の都合により歪められており、これが貧困国の脆弱性となっていることに懸念を表明、経済の多様化を促す必要性を強調しています。これらを世銀の「いつでもばら色」の年次報告と併せ読むことで、ミレニアム最初の10年のグローバルな状況を浮き上がらせることが可能となるかもしれません。
 とにかくはっきりしていることはネオリベはもはや完全に息の根を絶たれたということです。あの竹中平蔵氏も、もう一流雑誌には載せられず、創価学会の月刊誌にっせと駄文を送っているようです。


2008.08.12
 小泉=竹中の構造改革論で中核をなすのが、「国際競争力」論と「トリックルダウン」論です。要は国民が我慢して大企業優先の経済政策を受け入れなければ、日本は国際構想に負けてしまう。そのかわり大企業の業績が改善して景気が良くなれば、それは国民にも跳ね返ってきて、おこぼれをいただけることになる、という論立てです。
 これに国民はすっかりまいってしまった。小泉の支持率は50%を超え、国民は小泉構造改革に期待を託した。その結果がいまの日本の状況です。よく「マスコミが悪い」というが、この件に関してはマスコミではなく、だまされた国民が悪いと、私は思います。
 「純チャーン!」と叫んだ軽薄おばさんがたくさんいたことを、私は憶えています。拉致問題が浮上すれば突然、容赦ない正義漢になり、靖国や従軍慰安婦問題では中国人や朝鮮人を分からず屋の野蛮人扱いしたり… 要するに日本が落ち目になればなるほど、むきになってショウヴィニズムをむき出しにする集団ヒステリーです。
 その彼らが結局一番頼りにしていたのは、トリックルダウン。いつかは進軍ラッパとともに騎兵隊が助けに来てくれるだろうという期待でした。その期待を背にした「トラの威を借るキツネ」でした。しかしトリックルダウンは幻でした。進軍ラッパを鳴らしながらやってきたのは、自分たちを助ける軍隊ではなく、ますます国民を苦境へとせきたてる軍隊でした。まさに多喜二の描く「蟹工船」のクライマックスです。
 いま国民のあいだに広がる怒りは、本当の怒りではありません。もちろん派遣/パート社員や「名ばかり店長」など腹の底から怒っている人もいますが、多くは「だまされた」というバーチァル・レベルでの怒りです。この人たちの「怒り」の嘘っぽさを指摘しつつ、それを当面の損得や「好き嫌い」ではない本当の怒りに変えていかなければなりません。


2008.08.25
 世銀は、2000年頃からIMFと一線を画し、「貧困削減志向の成長」(Pro―Poor Growth)という考えを打ち出すようになりました。世銀によれば、「途上国の成長過程で、トリックル・ダウン(trickle-down)理論が実現されないという事実が明らかになった」ためだとされます。(かといって世銀がにわかに善人になったというわけでもなさそうですが)
 レーガノミックスに代表されるネオリベラリズム理論は、トリックル・ダウンのセオリーをこそ錦の御旗にしていたのに、事実はその逆になってしまいました。現実には、途上国における経済成長は、貧困層の生活改善に対してほとんどプラスの影響を与えなかったばかりか、場合によってはマイナスの影響を与えてきました。これはどうしてなのでしょうか。
 そこから得られる結論は、「たしかに経済成長は必要であるが、どんな経済成長でも貧困削減に有効であるわけではない」ということです。経済成長のパターンには、貧困層に対して有益なものとそうでないものがあるということです。したがって計画立案者は、その内容を分析したうえで、「貧困削減志向の成長」戦略を定立しなければなりません。
 いずれにしても、ネオリベラリズム路線は「貧困削減志向の成長」の戦略とはなりえません。このことはいまや疑問の余地なく明らかとなっています。
 しかし、そもそもネオリベラリズム路線の前提であるトリックル・ダウンの仮説は正しかったのしょうか。むしろ、ネオリベラリズムのオーセンティックな適用により、トリックル・ダウンなどというものは存在しないことが証明された結果になったのではないのでしょうか。


2008.09.30
 エボ・モラレス政権は、その存在自体がいまだもってミラクルです。ボリビアに行く前は、何気なしに「そういうこともありだよね」と思っていましたが、むしろ帰ってきてからその「常識外れ」ぶりに戸惑うようになりました。報告会でみんなに説明しようと思ってもどうも伝え切れない、ということは、「やっぱり分かってない」のです。
 我々の目の前で大皿に盛ったコカの葉を口一杯にほおばりながら、女性の権利について自説を展開する「インディオのおばさん」、それが国家のナンバー3だか4だか、というのはまさに想像を絶する世界です。こちらは「不思議の国のアリス」状態です。
 この文章は、ボリビアがいかに「不思議の国」になったのかを跡付ける上で、いろいろヒントを与えてくれます。
まず第一に、先住民運動の高揚は1990年に始まったということ、そして95年の住民参加法の施行とそれにもとづく地方選挙で、政治への参加が加速されたこと。第二には運動の高揚のなかで、先住民運動の主導権が左翼と結びついた高地アイマラ族から、コカ栽培農民を中核とするコチャバンバに移ったこと。第三に、それは一面では、高地先住民運動と既成左翼運動の混迷の結果としてもたらされたこと。第四に、その新たな運動はアメリカの干渉、ネオリベラリスムの支配との対決姿勢を鮮明にしたことによって急速に支持を拡大したこと、などが浮かび上がってきます。
 それらの傾向が10年後のモラレス政権の誕生へと結びついていったことが、かなりの説得力を持って了解されます。


2008.12.14
 教育テレビで加藤周一の追悼番組をやっていました。追悼番組というより加藤周一に名を借りた全共闘賛美番組ですが、1968年という時点で加藤周一の持っていた弱点が見事に抉り出されていることは認めざるを得ません。それだけに極めて不愉快な番組で、途中でスイッチを切りました。
 主体形成論としての姿勢がない評論は、それが研ぎ澄まされるほどにペシミスティックな容貌を帯びることになります。そして最後には「灰とダイアモンド」になり、それを語る人間のノンシャランとのあいだにあからさまな乖離を生じ、見事な「口先人間」の出来上がりとして結果することになります。
 我々の視野にふたたび加藤周一の姿が見えるようになったのはいつごろからでしょうか? 「九条の会」の発起人に名を連ね、運動家としての、主体形成者としての真摯な人生を送り始めたのは、最晩年の10年くらいなのではないでしょうか。
 私も天邪鬼なので、言わせてもらえば、68年がもし決定的な年だったとすれば、その年に決定的な影響力を持ったのは「極左日和見主義者の中傷と挑発」という評論員論文です。これがいまもなお私にとっての「綱領」的文書です。そこで提起された極めて能動的・主体的な「敵の出方論」は、団塊世代の多くの活動家にとってもベトナム人民にとっても、いまだに「真理」だろうと思います。


2009.01.12
 もう前回の更新から1ヶ月が過ぎてしまいました。あけましておめでとうございます。丸々2ヶ月、ベトナムに没頭していました。340キロにまで膨らみました。だんだん記述の訂正や追加が多くなり、時間の割に作業ははかどらなくなってきました。書く時間より考える時間のほうが長くなっています。
 こんなに没頭してしまったのも、元はといえば日本語版ウィキペディアの「ベトナム戦争」に関する記述があまりにも軽評論家的であるからです。田母神も真っ青の危険なまでの「軽さ」は、二つの大戦・朝鮮戦争と並ぶ20世紀の4大戦争から何を学び、平和な世界を構築するための教訓をどう引き出していくかという根本的な視点に欠けています。要するに書く資格がないのです。しかしウィキペディアのご威光はあらたかなもので、ベトナム観光の案内ページには、しばしば引用されています。
 とりあえずボリュームで稼いで、グーグルの検索ページでウィキペディアに近いところに私のページが載るようにすることが、当面の目標です。それにしても、2週後のホーチミン旅行を前に、もう行って来たような気分です。


2009.02.01
 ベトナムに行ってきました。といってもホーチミン市(旧サイゴン)だけですが。行った日にテトが始まりました。飛行機が遅れて11時過ぎにタンソンニャット空港に到着。タクシーはホテルまで行く途中、身動きが取れなくなり、オートバイのあいだをすり抜けながら歩くこと約20分、ようやくマジェスティック・ホテルにたどりつきました。その瞬間、花火がドカーンと上がり、ハッピー・ニュー・イヤーです。こっちはハッピーどころではない。
 サイゴンは南シナ海からサイゴン河に入った船着場を中心に扇状に広がっていった町です。その船着場のまん前に作られた由緒あるホテルがマジェスティックです。ベトナム戦争時、開高建が常宿としたことでも有名です。花火もこの船着場から打ち上げられるので、800万市民がこの瞬間を待ちわびて殺到するのです。つまり、とんでもないときに、とんでもないところに飛び込んだのが私たちということになります。
 それから丸々4日間をホーチミンで過ごしたわけですが、テトのお休みも4日間、早い話がテトのオートバイ・ラッシュを見に行ったようなものです。それが良かったのか悪かったのかはいまだに分かりません。まぁ、前向きに評価するほかないでしょうが。
 今回の旅行の基本的性格は買い物ツァーであり、嫁さん孝行です。そのあいだに観光会社のオプションでミトとクチの見学がありました。博物館も4ヶ所を見て回りました。クチの地下トンネルはさすがに迫力がありました。胴回りがだいぶ太くなっていますから、両腕を上げて穴の中に滑り込んだときは、このまま戻れなくなるのではないかと思いました。わずか60メートルの地下道を屈みながら走って、地上に出たときは、狭心症で倒れるのではないかと不安になるほどひどい動悸でした。暗いのと、狭いのと、空気が薄いのと三拍子揃っていて、これに殺されるかも知れない恐怖がおっかぶさってくるのですから、これはほとんど地獄(inferno)です。
 当時クチ付近に展開していた1万数千の革命戦士のうち8割が戦死したそうです。ほとんどが生き埋めになって死んだのでしょう。とりあえず、ベトナム戦争年表の中に、地下壕で生活した女性戦士の手記の一部を載せておきますので、一度見ておいてください。
 ベトナムにはもう一度行かなければならないと思います。行くとすればフエでしょう。そこにベトナム戦争の鍵が隠されているように思えます。


2009.03.01
 教育テレビで多摩川河川敷のホームレスを描いたドキュメンタリーをやっていまして、考えさせられました。時節柄こういう人たちに光が当てられるようになったのは悪いことではないでしょう。「人間とは何か」ということを考えるときに、抽象的に考えるのではなく、自分とこのようなホームレスが「人間」という共通項でくくられるとしたら、その最大公約数はなんだろうかという視点が必要です。昨今は随分、哲学が分かりやすくなりましたね。


2009.03.08
 未だベトナムをやっています。面白い文章があって、1950年、中国がベトミンに対する援助を開始した頃の話です。中国の軍事顧問がベトミン軍を視察して、その欠陥をメッタ切りにしています。(1) 政治工作が重視されておらず、政治工作制度もない。幹部と兵士の政治意識が低く、階級観念も希薄である。 (2) 統一的編制も統一的規律もなければ、明確な制度もない。組織が不適当なほど肥大し、しかも複雑に入り組んでいる。非戦闘員もやたら多すぎる。 (3) 部隊の軍事能力もそれほど優秀とはいえない。幹部には正規作戟を組織し指揮する能力が欠落している。 (4) 部隊の戦闘方法は、あまりに形式にこだわっており、それでいてゲリラ戦の悪習にひどく毒されている。民主的な気風に乏しく、管理教育も不十分で、幹部と兵卒の関係も冷え冷えとしている。
 よくもこれだけ言ったものだと思いますが、実はこれと似たことを15年後に、北からの正規兵が南のゲリラ部隊について言っているのです。つまりこれはベトミンについてというより、ダメな運動・経営組織にそっくり当てはまる批評なのです。なにか、我が道東勤医協について言われているような気がしてきました。


2009.04.25
 東京大学の大串和雄教授からメールでお褒めのお言葉をいただきました。ありがたいことです。長生きしてよかったと思います。ペルー年表についていくつか訂正のご指摘をいただき、早速治しました。 これを機会にベラスコ軍政時代の情報を少し集めようと思いましたが、今でもネット上での情報は増えていないようです。


2009.05.25
 故レ・カオダイ先生の著書を入手しました。食欲を失わせる厚さです。札幌でカオダイと一緒に飲んだとき、本を書いたといっていました。ぜひ訳したいといったときに言葉を濁していたのは、すでに翻訳出版が決まっていたからかもしれません。それから10年経って、忘れた頃に本が出版されました。あらためてご冥福をお祈りいたします。
 ご冥福ついでにといっては失礼ですが、矢臼別の川瀬さんがなくなりました。お別れ会に参加しましたが、ウルルと来たのは隣人の浦さんの挨拶で、「週に一回、二人だけの支部会議を開いていた。赤旗で他の支部が拡大をやっているのを読むと、二人でため息をついていた」というセリフです。「あぁ、ここにこうやって党があるんだ」とシミジミ実感しました。「私たちは、平和とか憲法を通じてではなく、少なくともそれだけではなく、私たちは、党を通じて川瀬さんたちにつながっているのだ」と感じました。それは私に医療の現場を守るという任務への確信を与えてくれました。連帯の精神の中核となるものをあらためて確認した思いです。


2009.05.31
 NHKで任那の日本府を中心とした古代史の特集をやっていました。はっきりしたことは「任那の日本府」などというものはなかったということです。もう一つはっきりしたことは、日本は好太王の時代には新羅の傭兵として登場し、その後は百済と関係を結んでいたことです。これは地理的に見て不自然なので、なぜもっとも近い新羅との関係が疎遠になったのかが分かりません。中国ー百済ー日本というルートで考えると、百済を介してその下流に新羅と日本、伽耶が並列されていたのかもしれません。新羅と日本は先輩・後輩の関係から、百済という先輩を持つ同輩関係に移行したのかもしれません。
 私はどちらかというと唯武器論者ですから、まずは鉄製武器の保有がその国の強さを決めたと思っています。被抑圧国のほうが戦意は旺盛ですから、鉄製武器が潤沢に行き渡れば、力関係はひっくり返ります。新羅のような田舎王朝が先進国の百済を打倒できたのはこのためだと思います。同時に、新羅に鉄製武器を供給した高句麗の勝利だったといえます。後に新羅が高句麗を打倒することになりますが、それも高句麗を上回る鉄製武器の自給体制が整ったからでしょう。
 日本の敗北はこの変化に対応できなかったからだと思います。日米同盟論に固執するいまの日本政府を見る思いです。全部終わってしまってからのこのこ出かけて行って白村江で惨敗を喫するのは歴史上の話だけに止めておいてほしいものです。
 筑紫の君が親新羅派であったという証拠はありません。ただ、高句麗風の北方系墳墓を建てたことからも分かるように、新羅のバックに高句麗がいることは認識していました。彼は十字軍のようなコチコチの大和原理主義者に対して、「もう時代は変わったよ」と諌めただけだったのではないでしょうか? 


2009.06.12
 朝鮮戦前史の項が大幅に拡充されました。初期コミンテルン、とくにイルクーツクの極東書記局の成立過程がかなり研究されており、インターネットでもたくさんの論文が参照できます。これらは直接朝鮮とは関係ないのですが、上海派とイルクーツク派の確執や、「自由市惨変」、朝鮮共産党の成立などに微妙に絡んでくるので、かかわらざるを得ません。
 ものすごく経過は複雑ですが、シベリアの赤軍を主体とした「シベリア・ビューロー」という現地組織があって、コルチャック軍や日米干渉軍と戦っていましたが、戦況は一進一退でした。そこでレーニンの指示により、バイカル湖の東方沿海州までの地域に「極東共和国」という「緩衝国家」を作り、日米との交渉を有利にしようという計画が作られました。
 ここでは「ブルジョア民主主義」政治体制がとられ、メンシェビキやエスエルも参加することになりました。この方針は、ソヴェート方式でシベリア全土を解放しようとしていた「シベリア・ビューロー」に辛い選択を迫ることになりました。そして現場でも「極東共和国」と「シベリア・ビューロー」のあいだに幾度となく摩擦が生じました。
 西部戦線が一段落すると、モスクワは本格的にアジア戦略の構築に乗り出し、一方ではコミンテルンを通じて各国への働きかけを強め、他方では東部シベリアの緩衝国家戦略から武力解放=全土ソヴェート化へとカジを切り替えます。この過程の中で韓人社会党、高麗共産党は翻弄され、間島の独立勢力は大きな打撃を受けることになるのです。
 逆に言うと、中国と日本の共産主義運動はまだ発達していなかったので、それほどの打撃は受けていないのです。日本や中国の共産主義者が、朝鮮共産主義者の確執を批判するのは、この点に関しては筋違いです。


2009.06.30 一歩を踏み出すやせ我慢
 レ・カオダイ先生の本(岩波書店)を読みました。「ホーチミン・ルート従軍 記:ある医師のベトナム戦争・1965~1973年」という題名です。400ページ近い 大部だが、土日の連休で一気に読んでしまいました。老眼が進んでいて、暗く なってくると辛くなってきて、いつの間にか居眠りしています。若いときなら一 晩で読んだでしょう。
 どんな本なのかというと、表面さらり、一皮向くと重い“ファクト”がぎっしり 詰まった本です。私は「象のように重い本」だと思いました。だからといって別に難しい本ではありません。あえて単純化すれば、外科医の手術記録でしょう。 一つの状況があり、それをどう思ったかではなくどう判断したか、の記録であり、その判断と行動がどういう結果をもたらしたかの観察と記述です。とりわけ外科の先生にはぜひ読んでもらいたいと思います。
 状況はきわめて特殊です。彼がベトナムのジャングルの中で過ごした8年間は戦争がもっとも熾烈な時代でした。とりわけ68年のテト攻勢の後はひたすら雌伏の時代が続きます(私のホームページの「ベトナム年表」をお読みください)。 絶え間なくB52の爆撃におびえ、枯葉剤を浴び、飢えとあらゆる欠乏に苦しみながらの生活は、しかし彼にとってまさに「普通の営み」でもあったのです。
 文中、珍しく彼が感情をあらわにした部分があります。戦場に到着したばかりの内科医たちが「ここの医師は苦労を引き受けすぎている」と批判したとき、彼は大要こう言っています。「ここではこれが普通なのだ。医師は看護士であり、下働きであり、農民でもあり、大工でもあり、戦士ですらあるのだ。戦場にいる私たちの至上の責任は、負傷兵や罹病兵に必要なことは何でもやることだ」 (1972年6月)
 ご存知の方もいると思いますが、10年ほど前、レ・カオダイ先生はベトナム赤十字の総裁として札幌まで「枯葉剤」のキャンペーンにやってきました。中病にも来られて講演しています。というより医局幹事長の水尾先生に頼んで押しかけ講演させてもらったのですが。
 私は一日有給休暇をもらい、運転手兼ガイドとしてお付き合いさせてもらいました。当時彼は要職を退き、ハノイ市内で「民衆診療所」の建設に取り掛かっていました。それが長年の夢だったんですね。勤医協の無床診を見せてくれという ので、札幌診療所を案内したら、テレビ・レントゲンにいたく御執心でした。何とか支援の方法はないかと考えたのですが、このときはアイデアは浮かびません でした。300人くらいの外来をやるつもりだといったので「すげぇ!」と感心し たことを憶えています。
 木研会での講演も終わり、遅めの晩飯をとっているとき、老カオダイ先生が 「ベトナム戦争の最中にホーチミンルートの野戦病院に勤めていて、そのときの思い出を本にしているんだ」と話されました。英語版のゲラ刷りをちょっと見せていただきましたら、えらく面白そうで、「僕らに訳させてください」と頼みま したが、そのときは返事を濁していました。たぶん先約があったのだと思います。やっと今年になってそれが本になりました。おそらく最初の翻訳者は挫折したのでしょう。プロでなければとても出来ません。私もできあがった分厚い本を見て、「翻訳などしなくて良かった」と胸をなでおろしています。
 序でといってはなんですが、ここで書かれている野戦病院とは、まさに民医連病院なのだと思います。戦いというのはまさに営みであり、日々の苦闘なので す。苦闘といっても苦しみばかりではなく、時には喜びもあり楽しみもあります。変わらないのは常に財政ピンチ、人材ピンチだということです。それは一面ではアメリカ帝国主義がそうさせているのですが、一面では我々が良い医療のために、常に、あえてリスクを侵さざるを得ないからです。「こちらが苦しいときは向こうも苦しいのだ」と、“一歩を踏み出すやせ我慢”、意地の張り合いにこそ、 “闘う医療”の真骨頂があるのではないでしょうか。


2009.07.04
 Sさんへのメールをちょっと省略して転載します。
 …感想的に言わせてもらうと、当時のカストロは「反共」ではないにしても、決して「親共」であったとは思えません。しかし弟のラウルは間違いなく「共産主義者」でした。モスコウ・ライナーというほうが正確かもしれません。
 …確かゲバラはラウルを介してカストロに近づいたと思います。きっかけは、モンカダ襲撃に参加した人とグアテマラで知り合いになって、その人脈でラウルに知られるようになったという経過だと思います。しかしそれはただのきっかけに過ぎないでしょう。
 ラウルとチェの関係はどうも分かりにくいところがあって、二人が仲良しだったという証言はほとんどありませんが、二人がつるんでキューバ革命の「左翼化」を進行させたのは間違いのないところです。
 …チェはドンキホーテであり、スペイン人は日本人が長嶋茂雄を好きなようにドンキホーテが好きなのでしょう。しかしラウルにはドンキホーテをこなす力はなく、フィデルだけがこのじゃじゃ馬を乗りこなせたのだろうと思います(乗りこなせたかどうか分かりませんが…そういえばベニー・モレはフィデルのことをカバジョ=馬といってたなぁ、カバジェーロ=騎士ではなくて)
 …カストロのインタビューについてですが、彼の言いぬけのうまさには、いつも泣かされます。カストロの高潔な人格は折り紙つきですが、煮ても焼いても食えない「ああいえば上祐」並みの狡猾さも折り紙をつけられるでしょう。理屈ぬきにすばらしいなと思うところは間違いなく真実ですが、「なるほど、そういう考え方もあるな」と、変に納得させられるところは後から考えると、たいてい大嘘です。そのどちらも含め、歴史としてはまさにリアルです。
 …ご質問は、「ハンガリー事件」とフルシチョフ秘密報告に対する ラテンアメリカ共産主義者の受容ですね。 とくにトロツキスト関連ですね。一言で言えば、共産党は丸呑みし、トロツキストはネグレクトしたということではないでしょうか。トロツキストにしてみれば「それ見たことか」という以上のものではありません。
 ラテンアメリカにおけるトロツキストの動きとして代表的なものに、60年代初頭のペルーの農民運動、ボリビアのPOR、グアテマラのFARヨン・ソサ派があげられますが、それらは現実に起きている闘争に対してソヴェトとか二重権力とかの定規を当てはめただけに終わったような気がします。
 私は、ラテンアメリカにおけるトロツキズムには未来を感じていません。 もちろんスターリニズムは、すでに過去のものとなってしまいました。 それと同時に、反スタ・カテキストとしてのトロツキズムも終わりました。 肝心なのは「事大主義」が終わったことです。 それはそれでよかったのでしょう。
 ただ、スターリニストであれ、反スターリニストであれ、 時代を担い、変革を目指していたことは間違いありません。 私たちの今なすべき仕事は、それを有意義な動きとして、歴史にとどめることでしょう。 同時に、解放運動にもたらした功罪をリアルに描き出すべきでしょう。スターリニズムというより、ソ連の覇権主義と各国共産党の追随主義・事大主義とに分けて分析しなければなりません。
 …共産主義の最大の功績は、各国の解放運動を、相互に理解しあえる 共通の言語で表現したところにあります。 いわばエスペラント運動です。 この土台があったからこそ、トロツキズムも成立しえたのです。 アナーキズムの分かりにくさと比べると、この差は歴然としています。 この言語学的「土台構造」は、ハンガリー事件どころか、ソ連が崩壊した今でさえも 確固として残り、むしろますます発展しようとしています。 かくいう私もその恩恵を受けているのではないかと思います。
 それは例えば、大英帝国の没落後も、イギリス語がますます「世界語」としての地位を 強固にしているのと似ています。 「資本主義は死して英語とマルクス主義を残した」といわれるようになるのかもしれません。
 ずいぶん前置きが長くなりました。 私は、ある国民にとってマルクス主義の受容というのは、資本主義の受容と同じ意義を持つと思っています。 資本主義は、まず資本主義・英語文化・マルクス主義がセットになって入ってくるのだと思います。それが帝国主義という名のグローバリズムです。 それに対して即自的に対応するのが攘夷的な民族主義ですが、 それはやがてマルクス主義を取り込むことによって変容してゆきます。 最初はマルクス主義の衣をまとった「真正民族主義」であり、それがマルクス主義と反マルクス主義に分裂していきます。
 今夜もいささか酔いが回っておりまして 大変失礼をいたします。


2009.07.07
 テレビの話ばかりで、いかに怠惰な生活を送っているかということでしょうが、北海道放送の製作した「小林多喜二」という番組を見ました。
 10年ちょっと前に小樽で二年間暮らしました。そのときは周りに多喜二を知っている人もいましたし、お母さんや三吾さんのほうはみんな知っているという環境でした。タキさんが横浜から多喜二忌に来たという話も聞いています。「療養権の考察」のあとがきに「多喜二のイメージは私の中で不思議に伸び縮みする」と書いたのはそういう事情があったからです。
 ただ東京で同棲したという女性については、「党生活者」に出てくるいわゆるハウスキーパーの関連があって、あまり触れたくないエピソードとして見ていました。たしか平野謙はこのことを取り上げて多喜二を切り捨てていたと憶えています。その背景には党分裂の時期に武闘派が多喜二を天まで持ち上げたことに対する「新日本文学」派の反発があったと思いますが、6全協から8大会を経ても、なんとなくよそよそしい雰囲気は残っていました。宮本百合子の立派な全集は出ても、多喜二は相変わらず青木文庫のみという感じです。
 番組は製作者の独特な思い入れが強く、いささか胃もたれのする内容でしたが、「妻」の伊藤ふじ子が写真とともに紹介されたのは驚きました。なかなかの美人だったのにも驚きました。ふじ子の書いた未完の覚え書きというのがあって、何でも都内での伝単貼り行動で知り合ったということで、そのあと多喜二が新宿角筈のすき焼き屋に連れて行って「食べれ、食べれ」とせかしたそうです。字も書けないような女性ばかり見てきた多喜二にとって、さぞかし目のくらむ思いだったことでしょう。
 このふじ子の覚え書きの文章がとても知的で快活で魅力的なのに驚きました。情景の掬い方がとてもうまいのです。この2、3行だけで、多喜二がふじ子に一目ぼれして、金もないのに気前良くおごった上に、方言丸出しで押しまくっていった情景が目に浮かびます。ふじ子が「あら、この人、気があるのかしら」と腹の中でクスクス笑いしている思いも、そこはかとなく伝わってきます。美彌子から見た三四郎でしょうか。とにかくこちらのほうがよほど小説らしい。澤地久恵がこの女性のことを詳しく書いているとのこと、読んでみたいものです。


2009.07.14
 ホンジュラスで政変がありました。これがラテンアメリカの暗黒時代への復帰となるのか、何とかふみ止まるのか、かなり真っ向力勝負になりそうです。私は過去10年間の民主化運動の卒業試験となることを望んでいますが…


2009.07.16
 「嘘でもよい、愛していると言って!」という歌がありました。確かジャズのスタンダード・ナンバーではなかったかしら? ネオリベラリズムといわれた90年代から2千年代の初めにかけて、この歌は世界を風靡しました。世界中がアメリカとドルを愛したのです。愛したふりをしたのです。なかには本気になってしまった国もいました。ケインズ経済にもとづく過剰生産、過剰消費は結局アメリカにすべてをつぎ込むことによってつかの間のバランスを得ていたのです。ネオリベはケインズ型経済の否定ではなく、その上に咲いた仇花だったのです。
 アメリカがこけた今、もうこの歌は歌えなくなりました。今の「底」は本当の底ではありません。「とりあえず、愛しているふりを続けようじゃないか」と、お互いが偽りの同棲に合意しているだけです。いつかは本当の破局がやってくるでしょう。その日を、みんなが固唾を呑んで見守っています。いつの日か紙屑になるに違いない札束を握り締めながら。
 だからといって、中南米の「21世紀型社会主義」が本当に大量生産・大量消費型経済システムを乗り越えているのか。これは分かりません。日本=アジアかEUか、そのどちらかで現在のシステムを乗り越える動きが出てこない限り、その真正性は確認できません。解答は分配のシステムではなく、社会化された生産システムに適合する“社会化された所有(領有)のシステム”のなかに隠されているのでしょう。言うところの「所有の第二の否定」です。「ルールある資本主義」という旗印の内には、その発想が内包されています。


2009.07.22
 人間性というのに二つの段階がありそうです。一つは野獣ではなく、サルでもなくヒトであるという意味での人間性(ヒト性)です。もう一つは、サルからヒトを分けたところの諸特性について、それを人類の野獣性として退け、そこに新たな人間というものの概念を作り上げていこうとする傾向です。
 言葉が飛び交っています。言葉で伝えきれないもどかしさの表現でしょう。アイデンティティ、あるいはパーソナリティーというのがもっともスタンダードな表現でしょう。ただこれは「本能」とか「イド」のように、むしろ野獣性の表現として暴発する傾向があります。逆にスターリニズムやファシズムのようにアンチ・ヒューマンなかたちで表現されることもあります。さらに、それに対抗するものとしての、ノンセクト・ラジカルやリバタリアニズムのような屈折した表現をとることもあります。
 肝心なことは人間の個性が、フォイエルバッハ的に言えば「類的存在」としての人間の諸活動を通じて析出したものであるという発生学的な重層性を認識することです。その人その人の「個性」には何々県何々郡という所番地がついていて、個性の共通性は所属の差異性を前提としないと、ほんとうには理解できないということです。「血液型人間学」のような還元的思考パターンに陥らずに、薄皮一枚の個性をお互いに大事にして育てていくこと、そのことによって「人倫的社会」を形成していくこと、この精神的・社会的実践過程がだいじです。


2009.09.14
 久し振りに全日本民医連の集会に参加しました。「中小病院」交流集会とはよくも名づけたものです。厚生省の基準から言えばたしかに「中小病院」ですが、民医連にとっては主力病院であり、日本の労働者階級にとっては宝物のような病院群です。選挙直後の準備不足は致し方ないにしても、参加率の低さも気になりました。民医連の中核となる部隊が分散傾向に陥っていなければ良いのですが。
 会場は「ポジショニング」という言葉が席巻していました。実践的には、大病院の患者を下取りすることで生き残りを図るサバイバル戦略のことを指しているようです。それは厚生省のすすめている「中小病院」政策への「たたかいと対応」ということでしょう。しかし、それだけでは、当面を生き残ることは出来ても、若手の医者にはそっぽを向かれてしまわないかと心配です。
 とにかく病院にとって一番大事なのは外来です。外来のために病棟があるのであり、外来を出発点として在宅や往診が成立するのです。また私たちが実践の主たる対象とすべき社会的弱者にとっても、医療機関へのアクセスはまず外来受診という方法で可能となるのです。サバイバルの基本は外来強化にこそあるのだと思います。
 それにしても、私たちが若い頃真剣になって議論した、「第一線医療」とか「技術建設」という課題はもはや死語になったのでしょうか。いまそれが不可能になりつつあるとするなら、どうすれば、ふたたびそれが生き生きとした現実的な課題になるのでしょうか。困難ではありますが、「第一線医療の復権」こそまさに「綱領的」な課題ではないでしょうか。
 もうひとつ気になったのは、ビビッドな政治感覚が弱まっているのではないかという不安です。戦後60年にわたる保守系長期政権の根底的崩壊という現在の時期を受けて、国民的立場からどのような要求を掲げ、新政権に突きつけていくか、いままさに思案のしどころです。
 構造改革路線と新自由主義が医療と病院経営に如何なる困難をもたらしてきたか、それを回復するためにいま何が求められているのか、それを例えば「緊急五項目要求」とかいう形にまとめ、それを国民的に問うていく、これが緊急かつもっとも切実な実践課題ではないでしょうか。 
 こういった「目と構え」がすっきり提示されたうえであれば、さまざまな当面の対応策は、もっとみんなの胸にストンと落ちるのだろうと思います。


2009.09.20

 「総院長からの一言」をトップページに置いたのですが、さすがにうっとうしいので消します。とりあえずここにおいておきます。
……
 
皆様に道東勤医協の紹介をさせていただく機会を得ましたことを、心より喜んでいます。私、そして他の医師スタッフに共通するであろう心情を一言で言えば、それは、むかし歌われた「幸せの歌」の一節です。
 「幸せは私の願い、あまい思いや夢でなく、いまのいまをより美しく、つらぬき通して生きること」 
 道東の医療体制はたいへんきびしい。毎年毎年、クシの歯が抜けるようにして医師がいなくなってゆきます。それどころか、この数年はクシを入れるのが恐ろしくなるくらい、ゴソッと抜け落ちてゆきます。道東地方は今や日本最大の医療過疎地となりました。町立病院は次々と閉鎖され、患者さんは釧路へと押し寄せています。その釧路でも救急を担っていた医師会病院が、医師不足から経営破たんし閉鎖に追い込まれました。残された病院も、年毎にスタッフが減り、診療科の閉鎖が相次いでいます。
 そんな中で患者さんの要求は切実です。医師の仕事も楽ではありません。でも、疲労感はあっても徒労感はありません。なぜなら、私たちはその要求に応えながら、「今日も働いたぞ」という充実感と、元気をもらえるからです。
 私たちはただ道東の医療を守るだけではなく、ひとつの目標を持っています。道東に、自らの力で後期研修が出来る病院を作り上げ、それを守り発展させることです。設備の整った公的病院でもそれは可能でしょうが、私たちは自らの集団の手でそれを実現したいのです。この小さな病院で外科や整形外科までふくめて診療体制を組むのは、あらゆる面から見てきわめて困難です。救急・急性疾患から慢性疾患、三つの診療所、往診・在宅まで総合的に取り組むのは大変なことです。しかしそれらを縦割りではなく、持ち場主義ではなく、密集陣形で取り組めば、不可能ではないと信じています。
 密集陣形を作るには、医師一人ひとりと医療スタッフのあいだに相互信頼と友愛の精神が不可欠です。そして「現場第一」をモットーとして、医師集団内で、あるいは職種を超えた相互乗り入れの構えが不可欠です。それらの精神は、患者さんとの触れあいのなかで生まれるさまざまな感動がはぐくむものです。私たちはその風土を瞳のように大事に守り育てようと思っています。
 私たちの病院は100床あまりの小さな病院です。医師数もいまは10人ちょっとです。身の丈にあまる医療を志しているから、経営も決して楽ではありません。私たちの病院は、医療統計上の分類から言えばただの民間病院です。しかし志を持った医師と医療スタッフが支える病院です。私立病院ではなく、「志立」病院です。
 私たちの病院は、数千もの、豊かではないが、心ある方たちの拠金によって設立され、いまも支えられています。だから文字通り「協立」病院なのです。私的病院ではなく素敵な病院です。私たちは自らの責任として、この素敵な病院を守りぬきたいと思っています。

2009.10.21

 ベネズエラ関連の翻訳が8割ほど片付いたところ、すでに別訳が出ていることに気づきました。最近は相当量の情報が日本語で発信されています。すごい世の中になったものです。それでそのサイトを眺めているうちに、以下の一文を見つけました(少し編集してありますが)
 89年以来、新自由主義的政策が導入され、電信、港湾、石油、鉄鋼そして航空分野での部分的あるいは全面的な民営化が進行した。それは、有効でないばかりか貧困層を増大させる結果になった。資産は外国資本へと移転され、下請化と外部受注化がさらに問題を深刻化した。戦略的部門での雇用が縮減し、経済的不平等と失業が拡大した。実質賃金が大きく低下し、失業率は15.4%に増大した。労働組合は、労働者の17%を組織しているだけで、もはや民衆を代表するものではなくなった。産業労働者階級も減少したが、主に影響をこうむったのは農民だった。たった3年間で、60万人が都市へと流入した。農民の労働力は10%までに減少した。インフォーマルセクターで働く労働者が、極度に増大した(1980年の34.5%が1999年には53%に)。経済危機が政治的危機を準備した。汚職が蔓延していた。政治と政治家に対する不信が増大した。無関心が社会を支配した。脱出口は見えなかった。民衆は汚職に倦み、政治を取り仕切っていた伝統的な政党に不信を強めていた。
 
マルタ・アルネッケルという人が書いたものですが、チャベス登場の前夜の状況を見事に描ききっています。しかもちょっと言葉を変えると、いまの日本の状況をリアルに切り取っている文章にもなります。チャベス革命は他人事ではない、という感じがひたひたと迫ってきます。

2009.11.06

 健康という言葉はきわめて多義的でそのとき、その人の思いによってニュアンスが随分変わって来ます。最大公約数で言えば、健康とは「不健康」でないという意味の形容詞です.「正常」とか「健常」と読み変えることも出来ます。
 「健康診断書」を書くときにいつも困るのですが、一通りの問診や診察、若干の検査結果を見て、「健康である」と診断するのは躊躇します。診断書では「健康である」とはせず、「異常を認めない」と記載することが多いのですが、世間では「それを健康である」と書いてほしいといってくるのです。「それで良いじゃん」ということです。「無病息災」ということですね。
 これが健康に対する日本人の通念ですが、英語のヘルスというのはかなりニュアンスが違っていて、ヘルスというのはかなり意識的に作り出すものという感覚があります。風土の違いがあるのでしょうか、人間というのは放っとけば不健康になってしまうので、絶えず健康でいられるように努力しなければならないという考えがあるようです。
 戦後教育の一環として「保健・体育」という教科がアメリカから持ち込まれました。体育の先生といえば暴力団風の感じのいかついおっさんで、それが週1回、ジャージー姿で教室にやってきて、いかにも窮屈そうに「からだの仕組み」とかの授業をやるのですが、まじめに聞いている生徒などあまりいませんでした。でも高校入試のときは受験科目の一つなので、それなりに参考書に赤線を引いた記憶があります。昨今はどうなっているのでしょうか?
 余談はさておき、アメリカ人の心の中では、保健という活動と、体育という活動は一本線で結ばれているのです。健康という状況は自らが主体的に作り上げるべきものととらえられているのです。
 これに対し、日本では健康は一つの生得的な所与と考えられています。人間は放っとけば健康なのであって、それを不健康な生活をして壊してしまうから不健康になってしまうという風に考えます。これは水に対する考えと似ていて、日本では「水は天からもらい水」なのに、他の多くの国では「水は苦労の末に獲得すべき貴重な社会的資源」なのです。
 もっと話を膨らませると、結局健康に対する考え方は水に対する考え方によって規定されているのかもしれません。人間の体の90%は水からできているわけですから、その水をどこからどのように獲得して来るかというのは、人間が自己を物理的に維持する上で決定的な条件となります。水を獲得するのが困難なほどそれは社会組織の発達を促します。したがってその延長上にある健康・保健のとらえ方も社会的ニュアンスを帯びてきます。
 

2009.11.11
  問題は15兆円。年間15兆円という数字にどのくらいの根拠があるかは知らないが、それだけの金があれば、医療や社会保障が改善するのは間違いない。その財源をどこに求めるか。
 「元本を取り崩せ」ば良いのである。日本は圧倒的な貿易黒字国であり、海外に膨大な債権と資金がある。高齢化、高齢化というなら、高齢化にふさわしい国にまで、身の丈を縮小すればよい。私達が子供の頃、日本の目標は世界と肩をならべる中級国家だった。そこまでしたのは先代の功績だから、その水準は維持しなければ次の世代に申し訳ない。しかしそこからGDP世界二位の経済大国にしたのは、我々の世代なのだから、それをどうしようと我々の勝手である。
 さしあたり15兆円分、アメリカ国債を解約しようではないか。自分の金だ、アメリカに四の五の言われる筋合いはない。それで日本製自動車の売れ行きが多少悪くなったところで、我々の知ったことではない。それでダメなような産業なら、所詮はダメなのだ。トヨタ自動車のためにイノチをささげる義理はまったくない。それほどのことをしてもらった覚えもない。民主党よもっと怒れ! 札びらでほっぺた叩かれた仕返しに、国民に奥田の写真を配って、毎日スリッパで引っ叩かせよ!
 昔のフロッピー・ディスクの大掃除をやっていたら、こんな一文が出てきました。とりあえずここに貼って、虫干しです。「ワロン/身体・自我・社会」(浜田寿美男訳)の26ページへの書き込みです。
 病者はまず苦しみ悩む混乱した人間として,情動的存在として登場する.ときには自我そのものも傷つき不完全となり,他者による補完を必要とする存在となることがある.そして救いをもとめる存在として周囲と情緒的に共鳴することによって解け合う.それを擁護する人間との関係が成立して初めて彼は病者となる.すなわち社会的存在としての病者は他者に規定された存在である.
 なかなか噛み応えのある良いフレーズですが、結局「療養権」の本にするときには使わなかったようです。きっとどこにしまったのか、分からなくなってしまったのだろうと思います。


2009.11.17
 日曜の午後に空港の待合室のテレビでひどい番組をやっていた。「言っていいん会?」という題名である。良い訳ないでしょう。社会の公器を用いた「憲法9条をなくせ」という大合唱は、明らかに憲法に違反しており、立憲主義に対するあからさまな挑戦であり、反社会的行為である。そのくらいの常識がない番組は「放送倫理コード」に照らして放映禁止すべきだろう。
 議論は相変わらずの「戸締り論」である。しかしはるかに非論理的であり、情緒的であり、危険なものだ。戸締り論はかつて「安保条約」の合理化論として用いられた。それは一定の説得力を持っていた。しかし安保における「戸締り論」は国家の自衛権にかかわる問題である。日本の再武装論の根拠にはなりえない。本来の「戸締り」論は、日本が武力行使を放棄し、そのための軍備を否定した以上、他国から攻撃を受けた場合にどう守るのかという議論である。あくまでも憲法9条が前提となっている。憲法9条は「戸締り理論」を否定していないのである。
 しかし昨今の議論ははるかに低級である。それはもはやたとえ話ではなく、「そのまんま」の話であり、錠前がそのまんま自衛隊と直接的に自己同一化されている。でもそれは嘘でしょう。錠前も火の用心も庶民の生活防衛機能であり、本来は警察や消防署と結びつく話であって、国家の防衛とは別物である。軍隊はそこまで面倒見れない。軍隊は国民一人一人のセキュリティーとは別の論理で動いているのである。
 おまけに「錠前では不十分だから、銃を持ちましょう」という話であるから、通常人の常識のレベルを飛び越えたきわめて過激な発想である。これでは街を歩くにも二挺拳銃をぶら下げなければならない。(二挺拳銃を否定するわけではない。「真昼の決闘」を持ち出すまでもなく、かつては二挺拳銃を必要とする時と場所があったかもしれない。しかし今それを持ち出すのはあからさまな時代錯誤である)
 憲法9条は「戸締りをするかしないかの議論」ではない。「ケンカをするな」という議論でもない。ケンカのルールを定めた規定なのである。まさに今上天皇の言うごとく「過ぐる大戦への深い反省」の上に立って,「ケンカはしても手は出すな」との決意を込めた規定なのである。そして「手に武器を持っていないことを相手に示せ」というルールなのである。「左の頬を殴られたら右の頬を出せ」という人もいる。それはそれで一つの考え方である。私は「殴られたら殴り返せ」と母親に教えられた。怖い母親である。
 いろいろ歴史に学んできたが、暴力に抵抗するには及ばずながらでも反撃することが大事である。いじめる人間は一般的にいじめられる人間の気持ちには鈍感である。反抗することによって初めて、相手が怒っていることがわかるのだ。無抵抗でいればいじめは際限なく拡大してくる。抵抗すればより手ひどいしっぺ返しを食うことになるかもしれないが、抵抗しないよりははるかにましだ。
 しかし武器を持ってはダメである。際限がない。武器というのは人間の思いとか、ためらいとかに関係なしに、あれよあれよとエスカレートしていく。しかもそれには独特の抗い難い論理があって、それがいつの間にか人を巻き込んで、武器の固有の論理の下に人を支配するようになっていく。アメリカ人が銃砲所持を禁止できないのもそのためだ。
 だから人は、「身に寸鉄を帯びない」気迫をもって闘いに臨まなくてはいけないのである。これが「名誉ある地位を占めたい」と思う人間のとるべき態度である。もちろん例外はある。むしろ例外だらけになるだろう。なにせ、こんな国家原理を掲げている国は、他にはないのだから。
 思いを込めて言おう! 政治は志である。サンチョ・パンサにドン・キホーテを批判する資格はない。ましてユダ三宅やユダ筆坂にキリストを批判する資格はない!


2009.11.23

 テロの根っこには耳目蠢動主義がある。たいていは「てんで、分かっちゃぁいねぇ」外人部隊の仕業だ。闘う課題が法律がらみで長ったらしくて辛気臭い、でも重要な課題だったりすると往々にして短絡派がのさばってくる。がんばっている部隊も、大衆が一人二人と欠けるようになるとあせっちゃったりするから、結構話がややこしくなってきて、いっそそっちに行っちまったり、跳ね上がりに批判されるのが嫌になって運動圏から離れてしまったりしていく。
 以下の一文は、70年代アメリカ・インディアンの闘争について評論したものです。
 “デモンストレーション一般であれば大いに結構です。法廷闘争を展開するうえで、法廷外での多様な闘争形態と結合させることは勝利のための鉄則です。また訴訟の意味を自らが問い直し続けていくためにも、裁判を核としながら市民的連帯と共同精神を涵養していくことは不可欠の課題です。
 個人的には、このような行動(ウーンデッド・ニーやアルカトラス島の占拠闘争)がアクチュアルな意味を持っているとは思えません。もっと地道で大事な活動があると思うし、そのような活動にとって、これらの行動が積極的な意義を持つとも思えません。大方、耳目蠢動主義者による外部からの扇動でしょう。あくまで現場感覚ですが…”


2009.11.26
 「インディアン」という言葉は、先住民諸勢力をじゅっぱ一からげにした呼称であり、そこに形成されていた個々の共同体をネグレクトした概念です。インディアンの一人一人は元はシャイアンやスーやコマンチの一員であったのが、共同体が崩壊させられてしまった結果、ノッペラボーの“インディアン”にさせられてしまったのです。日本人が東洋人といわれるのと同じことです。(日本人が自らを東洋人と呼ぶのなら、それはそれで積極的な意味があるでしょうが…)
 南北アメリカではすでに死語になっており、使いたくないのですが、歴史用語として使用することにします。


2009.12.01
 万歳事件(マンセー闘争)は、朝鮮史に残る大闘争でした。しかしそれは民族抵抗闘争の一大高揚であったと同時に、古い勢力による抵抗闘争の終焉でもあったといえます。マンセー闘争の指導者が国外に離脱し、あるいは挫折し、変節していく中で、学生・労働者を基盤とする民族解放運動の新たな担い手が登場していきます。マンセー闘争までの闘いは、日本による植民地化に反対する闘いでした。それからの闘いは、日本による植民地化を「所与」として、そこからの脱却を目指す戦いとなりました。
 戦前史は、ある意味ではここから始めても良かったのかと考えています。青山里の戦闘から自由市惨変までの満州での武装闘争、上海での金九らのテロ活動も、基本的には旧エリートによる古いタイプの闘いでした。ベトナムの歴史を学びつつ感じたのですが、これらは朝鮮王朝末期の改革運動からの流れと結びつけて、「解放運動前史」として語られるべきかもしれません。 
 韓国人の書く歴史には、この視点が不足しているようです。在日コリアンの見解ではこの点ははっきりしています。しかし、金日成に引きずられて変な歴史の接木が行われるので、趣旨一貫しないところがあります。
 話が脱線しましたが、だとすれば、戦後の朝鮮共産党こそ民族解放運動の嫡流であり、それは朴憲永書記長の北に向けての戦線離脱をもって終了したということになるのでしょう。朴憲永は南から脱走した時点で負け犬であり、金日成の軍門に下った時点で二重に負け犬でした。それがソ連の指示によるものであったとしたら、まさに「スターリンの陰謀」によって朝鮮の民族解放運動は崩壊したことになります。坂本竜馬ではないが、「投げたらあかんぜよ」ということです。
 おそらく遠くない将来に韓国にも科学的社会主義の潮流が発生してくると思いますが、そのときに朝鮮民族解放運動の伝統を引き継ぐとすれば、この戦後わずか3年のあいだに燃え尽きた党が先達となるのではないでしょうか。もちろんスターリン批判の観点をしっかり保ちながらですが。


2009.12.20
 夜の日程がないので古本屋に行って、田中吉六「わが哲学論争史」という本を買いました。日雇いで土木作業員をしていたんですね。よほど世渡りが下手だったんですね。とにかく「経済学・哲学草稿」を眼光紙背に徹するまでに読み込んでいたことは間違いない。
 それで、読後感としては二つあります。一つは人間の身体性を受苦から情熱への転化のカギとして読み取ったアイデア、これはきわめてまともで、当時としては先駆的で、素晴らしいと思います。ただ受苦・情熱系列だけでなく、もっと人間にとって本質的な駆動力として「享受→欲望の生産」系列があることを指摘しておかなければなりません。
 ここから先は我田引水になりますが、私の「闘病過程論」はまさに「受苦→情熱」から出発しています。私は、自己が病気をきっかけに自己意識と自己の身体に分裂すること、自己意識は身体が自然の一部に過ぎないことを承認し受容しながら、反抗することで自らの同一性を再獲得していく過程としてとらえました。そして、ひるがえって考えて見れば、この反逆の過程は自己・自己の身体・自然というトリアードとして人間的生活のすべての過程を貫徹しているのだということ、人間は折に触れそのことを理解し、その過程を通じて自己イメージを形成していくていくのだということを強調しています。
 もうひとつは武谷三男の驥尾に付して、技術論を実践論にすり替え単純化したいわゆる「主体的唯物論」です。これは当時の議論の限界であり、必ずしも非難の対象ではありませんが、「場」の概念を持たないと議論が不毛になるという一つの典型です。物理学のフィールドでは坂田昌一が「三段階理論」というのを提唱して、とくに「実体論段階」という考えを打ち出しました。毛沢東の「矛盾論」も、「対立物の闘争が絶対的であり、統一は相対的である」てなことを言って“Sache”の一時性・相対性を強調しています。
 要するに「場」というマーケットのようなものがあり、そこに西から東へ向かうラクダの隊商、南から北へ向かう船団が交錯し、そこをめがけて近郷近在の農民・漁民が集い、一つの塊を形成するわけです。そうすると隊商の過程、船団の過程などとは独立して、一つの求心力を持った「市場」の自立的過程が形成されることになります。羽仁五郎風に言えば「都市の論理」が成立するわけです。これは非常に目に見えやすくとっつきやすいのですが、その割には儚いうたかたの論理で、ぎゅっとつかもうとすると指のあいだからこぼれてしまうことになります。
 「場の論理」を医療に引きつけて言えば、隊商の旅は患者の療養過程であり、船団の旅は医師の診療過程です。これに医療経営の過程、看護の過程その他独自の目標を持ったもろもろの過程が複合して、複合体としての医療の過程を構成しているのです。これを建築学的な視点からのみ分析していたのでは、本質は消し飛んでしまいます。
 技術というのも似たようなところがあります。「技術って何さ?」と聞かれると意外に返答に詰まってしまいます。ゴリゴリの実体としてではなく、異なったベクトルを持つ実践過程の特殊な集合形態として見て行くべきでしょう。それを技術者の実践とのみとらえるのは、医療を医者の実践だという割り切るのと同じくらい一面的です。かつて日本医師会のドン武見太郎が「医療は医学の社会的適応である」と喝破しました。まさに武谷理論そのままです。それは武谷理論がまさに小ブルジョアの心情吐露以外の何ものでもないことを鮮やかに示しています。もちろん「技術者の実践のみが孤立して論じられるなら」という前提つきですが。
 全共闘に持ち上げられて“復活”した後の田中の生き様は、それまでの生き方が魅力的であるだけ余計に無惨です。かつてはもっとも毛嫌いしたはずの「知ったかぶり」と「独りよがり」の世界に見事にはまり込んでいます。


2010.4.30
 
4年の間、大変お世話になりました。道半ばの思いがありますが、お許しください。道東勤医協は小所帯です。持ち場主義でやっていたら持ちません。みんなが主人公です。ソセゴン事件のときも言いましたが、友の会の皆さんは職員一人一人を「道東勤医協」として見ています。
 衆議一決という言葉があります。方針がすっきりしていて、みんなが寄り合って任務を割り振れば、たいていは一発で決まるものです。この過程があいまいだと、必ずその後の展開が難しくなります。決め所は決めてください。
 私たちは良く「たたかい」という言葉を使いますが、これは自分とのたたかいを意味しています。私たちは自らの信念にしたがって、ご時世に逆らって、お上にたてついて運動していますから、苦しいのは当たり前です。しかし状況が厳しくなると「対応」という名の後退と妥協に陥りがちです。「苦しいときほど一歩を踏み出すやせ我慢」がもとめられます。私たちはそうやって危機を乗り越えてきました。
 今前途にほのかに光が差しかけています。今年中に仕込みがかけられ、来年が不抜の道東勤医協を目指す「勝負の年」となるでしょう。皆さんのご奮闘に期待しています。


2010.5.23
 
いま、読んだ文章からベネズエラ年表に書き込んだのに、「保存せず終了」のボタンを押してしまいました。6時間分の作業が無駄になりました。もったいないので、いま覚えていることをメモに残しておきます。03年2月、ベネズエラ石油ゼネストに敗れたCTVのオルテガ議長に逮捕状が発行されます。罪名は国家反逆罪です。オルテガはコスタリカ大使館に逃げ込んだ後亡命を認められます。しかしオルテガは亡命後もおとなしくはしていませんでした。反チャベス運動のトップに居続けようと望んでいました。度重なる警告の末、コスタリカ政府は1年後に国外退去を「勧告」します。
 オルテガは姿を変えベネズエラ国内に潜入しました。あのチャベスに対するリコール投票の1週間前のことです。しかし国民投票は反チャベス派の惨敗に終わり、オルテガの出番はなくなりました。その後オルテガは夜な夜なカラカスの歓楽街に出入りし、「夜の帝王」になりました。05年3月初め、「ハワイ」というなじみのクラブでよろしくやっているところに警察が踏み込みます。「オルテガ逮捕」のニュースはたちまちのうちに広がりました。その写真を見ると、なんとあのサダム・フセインに瓜二つです。 DNA鑑定その他によりオルテガその人であることが確認されましたが、いまでも「あれは別人だ」という人が後を絶ちません。


2010.6.26
 NPTは基本的には2000年の着地点まで戻って再出発ということですが、弁証法的にはまさに否定の否定で、見かけ上は同じでもそれを支える国際平和世論の底上げは決定的に異なります。賽の河原に石を積み上げているわけではありません。ストックホルム・アピール以来の60年にわたる国際反核運動の積み上げの到達点として確認することが必要です。
 もう一つ、あまり触れられていませんが、これは平和5原則以来の民族解放運動の国際連帯の積み上げ=非同盟運動の成果としてみることが大事です。非同盟運動の“魂”は大きく言って三つです。まずは民族の自立と尊厳、第二は平等互恵の経済関係を基礎とする国際経済秩序、そして大国の干渉を受けることなく「平和に生きる権利」です。国連などの国際機関で反核の流れを支え続けてきたのは非同盟諸国です。大国の押し付けに過ぎなかった核兵器拡散防止条約を、核の廃絶に向けての大事な足がかりに変えてきたのも、大国の手を縛る形で比較地帯宣言を拡張してきたのも、非同盟諸国の強い、粘り強い意志があったからです。
 日本や西ドイツには核兵器の保持が禁止されました。そしてそのかわりに「核の傘」が与えられました。しかし非同盟諸国にはそのような傘は与えられません。それどころか核の矛先はまさに非同盟諸国に突きつけられているのです。
 私の知る限り、アメリカが核の使用を真剣に考えたことが4回あります。1回目は有名です。朝鮮戦争の際、マッカーサーが中朝国境地帯への核兵器投下を公然と主張しました。これに反対する国際運動がストックホルム・アピールです。2回目は第一次インドシナ戦争の終盤、ディエンビエンフーの闘いをめぐってアメリカ国防省が提案しました。3回目は有名なキューバ・ミサイル危機です。4回目はテト攻勢のとき、ケサンの海兵隊基地が陥落寸前になり、米軍参謀本部が核の使用を進言しました。この他にもエル・ロコ・ニクソンが北爆さなかに1ヶ月近くにわたりデフコン(発射準備体制)を発動しています。
 核兵器は実際には、もはや大国同士の闘いには使えない兵器です。にもかかわらず彼らが核兵器を手放そうとしないのは、途上国相手には未だ使える可能性があると踏んでいるからです。途上国と民族解放運動は、様々な紆余曲折のあと、これらの核脅迫に素手で立ち向かうことを決意しました。これが国際反核運動の大きな転換点になっています。そしてNPTが「核拡散防止条約」から「核不拡散条約」へと主体を変えていく転換点になっています。


2010.6.29
 
「キューバの医療について語れ」と言われて困っています。「コスタリカについて語れ」と言われた時と似た心境です。理由は二つあります。自分は3回キューバに行って、そのたびに病院を見せられましたが、医者のくせにあまり医療には興味なかったせいか、あまり感心もしませんでした。もうひとつは一般的社会環境や医療システムがあまりにも違いすぎて、「すばらしい!」と褒めまくるには躊躇せざるを得ないからです。
 少なくとも「日本もキューバのようになれば良い」という感想はとうてい持てません。むしろ「あのようにはなりたくないな」というのが率直な感想です。基本的には「貧しさを分かち合う」医療ですから、「安上がりの医療システム」を目指す人々には一考の価値はあるかもしれませんが…。しかし経済封鎖による筆舌を尽くしがたいような困苦の中で、医療を守ってきたことには深い敬意を払いますし、そのことでますますキューバが好きになっていることも間違いありません。
 戦前の日本でも昭和大恐慌を機に「健兵健民政策」が実施されました。健康保険制度や一定の労働者保護策が制定されるなどの成果はありましたが、あくまでもそれは社会防衛と戦争遂行のためのものでした(そう言い切るのは語弊がありますが…)
 キューバの医療・公衆衛生政策も形の上では「健兵健民政策」と似ています。しかしその発想は根本的に異なっています。解放直後に新政府は文盲一掃の大キャンペーンを行ないました。1年間にわたったこの作戦のために、多くの知識人・教師・学生が動員されました。経済学者やエコノミストたちは生産発展に影響が及ぶとして難色を示しました。このときカストロは「生産を犠牲にしてもキャンペーンは遂行する」と宣言します。つまり場合によっては生産と社会実践は矛盾することもありうるという認識です。「健兵健民政策」は「富国強兵」の一環ですから、そもそも社会政策と矛盾することなどありえません。あくまでもその枠内の話です。


2010.7.22
 メキシコのカルテルのものすごさは、ある意味でとてもラテンアメリカです。それはある意味で米国に反省を迫っているようです。国外への干渉にうつつを抜かすよりは国内での取り締まり強化が一番の良策であると。このままでは米国の最大の「よき友」であるメキシコも、コロンビアも、「ソマリア化」してしまいます。「ソマリア化」というのは、市民の不寛容化です。持って回った言い方をすれば「不寛容に対する寛容化」です。5年前にAMLOを押し出して、「あと一歩で勝利」というところまで行ったメキシコ革新勢力の勢いは今はありません。世論はひたすら右へ右へとシフトしています。
 ところで、ネットサーフィンしていたら面白い記事に出会いました。
 …タバコに対する社会的批判とタバコの値上がりに比例するように、アメリカでは相対的に安価になった大麻とコカインの消費量が激増した。こういう場合、一番重要なのは市場そのものをなくしてしまうこと。そのためには麻薬と競合する嗜好品であるタバコの消費を促進すれば良い! 安価で手軽な嗜好品としてのタバコはすみやかに社会から麻薬を駆逐するだろう…
 今はまだ“暴論”ですが、そのうち冗談ではなくなるかも知れません。


2010.7.26
 
上の“暴論”をもっと上品に書いた論文がありました。「非伝統的脅威の認識―米国におけるコカイン密貿易とその脅威」という題名で、福海さやかさんの文章です。アジア大学の国際関係紀要 第18 巻 第1・2 合併号に掲載された論文ですが、インターネットで閲覧できます。抜粋して紹介させて頂きます

 過去20年の間にコカイン価格は70%下落した。いっぽうコカインの質は向上した.80年代初め10–20%程度の純度だったのが,80年代末には70%程度になった。さらに90年代後半にはほとんどピュアなコカインがグラムあたり100ドル程度にまで低下した。最も廉価な物では、0.1–0.5 g のパッケージが3ドルで手に入るようになった。
 大衆の手が届くようになっただけでなく,高純度のコカインを手に入れれば、それを「カット」して再販売できる。コカイン取引は少ない元手で始められる効率の良いビジネスとなった。インナーシティに住む貧しいマイノリティグループは、折あらばコカイン産業に参入しようと画策している
 コカイン取引で成功した者は「クラックハウス」を開店し,より組織化されたビジネスを展開してゆく.組織化に伴いコカインビジネスは複雑,危険かつ競争の激しい産業となった.麻薬産業の拡大は犯罪者を街にはびこらせ,その影響力を強める.
 とはいえ,麻薬産業で作り出した資産は,そのままでは合法経済活動に使用することはできない。現金から犯罪の痕跡を抹消し合法金融システムに乗せなければならない.一般的なマネーロンダリング(資金洗浄)は、合法会社を買収してフロントカンパニーとして使う方法である.
 頻繁に高額な送金を行うドラッグ・トラフィッカーは銀行にとっても良い顧客である。送金1件ごとに最高3%の手数料が手に入る。銀行によっては、違法と知りつつナルコ・ダラーを洗う手助けをし続けた。例えば,バンク・オブ・クレジット・アンド・コマース・インターナショナル(BCCI)は、コロンビアのコカイン・カルテルやパナマのノリエガ将軍のために、数千万ドルを洗浄していた。このようにして犯罪の痕跡をぬぐいさった資金は、事業や不動産の購入に充てられる。80年代のマイアミでは不動産の約20%が麻薬産業によって所有されていた。
 …連邦法と州法は法執行機関が没収品・押収品から利益を得ることを許可している。米国司法省によれば総押収額40億ドルの約3分の1が法執行機関に分配されている。例えばフロリダでは,没収したナルコ・ダラーで刑務所を建てた。ロサンジェルスのエリート警察部隊の元隊員は、部署のために、より押収額の多い事件をターゲットにしたと告白している。米国の麻薬規制システムは、麻薬組織から押収された資金の上に成り立っているのである.
 また刑務所建築は「ビッグ・ビジネス」となっている.カリフォルニアでは5年の間に20の刑務所が建設され、カリフォルニアの一番規模の大きな「公共事業」となった。ナルコ・ダラーは取り締まる者と取り締まられる者の双方の共益となり,国の政策もまた麻薬産業の上に成り立っている。言うなれば,国家の麻薬依存である.


2010.7.28 森山公夫「統合失調症:精神分裂病を解く」 ちくま新書

一言で言って、ものすごく変な本である。むかし一時期、青医連の連中が「分裂病などない。みんな躁うつ病だ」といっていたが、その震源が森山であったのかもしれない。この本ではさすがにそこまでは言っていないが、かなり異端の説であることは間違いがない。その論理立てはかなり強引で牽強付会である。しかしそれだけにかなり刺激的でもある。

以下は私の「妄想」

 分裂病の本質的特徴は幻聴である。これは北大のときに教えていただいた諏訪先生の持論でもある。私もそう思う。海中深く潜った分裂病という怪獣が唯一、海面に現れ、明白な存在を形として示すのが幻聴だと思う。いわば鯨の汐吹である。病気の本質規定にはならないが、万人共通の手がかりである。「鯨とは潮を吹く生き物だ」という定義になる。
 幻聴には特徴がある。第一に、はっきりした日本語で明瞭に言葉が発せられる。これは信号の発生源が日常に用いられている新皮質の聴覚言語関連の連合野内にあることを示している。つまり連合野の一部に逸脱行動があり、それが繰り返されるための常習的な拠点を形成しているということである。第二には、言語野内の拠点が存在したとして、その自立的逸脱活動を抑制する機構が働いていないということである。つまり抑制系からの命令を拒否する機転が働いているということである。さらに第三に、逸脱的な活動が言語野に向け発射され放散するのを阻止する防衛機構が破綻していることを意味する。

 大脳生理学的に見れば、幻聴の発生には、これら三つの破綻が同時に起こることが必要である。それを発生させる原動力となるのが持続性のパニック状態である。継続する強い精神的ストレス状況に対する適応として、おそらく脳内には新たな適応のためのネットワークが形成されるであろうが、その適応が異常な適応に陥るところにこれらの破綻が照応しているのであろう。それは古皮質の浮上ではなく、新たに形成されたものであろう。
 そして誤った信号を言語連合野内に「紛れ込ませる」異常伝達が幻聴を繰り返すうちに「学習」を強め、「刺激-応答ユニット」として構築され、幻聴が常習化していく。そうするとこの情報を「正常」なものとして受け止め、それに対応するために一つの構えとしての脳内世界が形成される。独立した「王国の誕生」となる。患者の精神世界の中ではすべてが了解可能となり、それなりに心安らかに暮らしていけることになる。

 したがって、治療のストラテジーとしては、1、抑制系の強化 2、異所自動能の抑制 3、伝達系の遮断 ということになる。メジャー・トランキライザーがそれらのいずれに効いているのかはわからない。うまく実験系を作れるなら、その鑑別は可能だろうし、新薬の開発戦略も立てやすくなる。例えばクライシスの際には即効性の伝導系抑制剤、長期にはフォーカスの自動能を押さえる薬剤という風に。

ただ動物で分裂病のモデルは作れないと思うので、臨床の場での実験系作りが重要と思う。


2010.7.28
 
いま、変に読書に凝っています。きっかけは待ち合わせのついでに入った、田舎の本屋さん。なんとそこにカントの純粋理性批判があったのです。光文社文庫で第一分冊と第二分冊、一冊がなんと900円という値段。衝動買いしました。「敬意を払ってカンパ」のつもりだったのですが、訳がこなれていて読みやすい。中山元さんという方が訳しています。といってもカントですから小難しいのは同じです。
 分かったのは、言葉が不適当な概念が多いということです。カント自身は手探りしながら論理を構築していくのですが、新たにつかみ出した概念にそれにふさわしい言葉がなければ自分で造るしかないのです。その言葉作りがへたくそだから、話している中身が分からなくなるのです。ヘーゲルはなまじ文学の素養があるからか、もっとひどい。すこし「言い換え辞書」を作ってみたいと思います。
 それも読みかけですが、そのほかにも読みかけの本がデスクや机や枕元に散乱しています。同時並行です。古在由重と丸山真男の対談「一哲学徒の苦難の道」(岩波現代文庫)と不破哲三「マルクスは生きている」は読み終えました。武田趙二郎「若きヘーゲルの地平」と森山公夫「統合失調症」、養老孟司「唯脳論」は読みかけ進行中、涌井秀行「戦後資本主義の根本問題」と高峻石の「南朝鮮学生闘争史」は読みかけ中断状態です。
 カントとヘーゲルと養老と森山がクロスオーバーして頭の中はグツグツ煮え立っています。習いたての言葉で言えば、視覚言語構造のクライシスでしょうか。いまのところはっきりしたのは、①問題の発端は「個」とは何かということ、「一人の人間が何故一人でも人間なのか」というある意味どうでも良いことだということ、②カントの主張はヒュームとバークリイの不可知論の克服を目的としていたこと、そして物質世界と意識の世界(養老風に言えば脳内の世界)を分離することで、問題の整理に成功したということ。しかし不可知論そのものの否定には失敗したこと、③カントの哲学的な言葉は、かなり自然科学の言葉で置き換え可能だということ、④認識とか意識とか精神とかいう概念は、言語構造、とくに聴覚言語と視覚言語の階層性を基盤として、実体的な存在=場と照応させなければ、訳がわからなくなるということ(その典型が森山)、などです。


2010.7.28
 
赤旗に面白い記事があった。7月29日に、ガザの海岸で子供たちによる凧揚げ大会があって、7200枚の凧が同時に揚がったという。これは去年の同大会の3710枚を上回り、ギネスの新記録になるという。しかし危険地帯であるため、ギネスの公式記録員が立ち会えず、認定はお預けになった。
 主催は国連パレスチナ難民事業機関(UNRWA)だそうだ。来年のことを言っても鬼に笑われるが、日本からも参加団を出せないだろうか? 危険は承知の上で「一肌脱ごう」という人がいればよいが。(
報道では、7月からイスラエルによる経済封鎖が“緩和”されたようだが)

 これも赤旗の記事。厚労省が2010年版の「労働経済白書」を発表。驚いたのは、現金給与総額が31万5千円、去年が33万円だから、1万5千円下がったことになる。10年前は35万円だったから1割減った計算だ。
 いっぽうで高額所得者の取りすぎはひどい。予算委員会での共産党議員の質問によれば、大企業重役は、
減税分だけで! 平均2368万円儲けている。従業員1600人分のピンはねだ。これがどうして“国際競争力の強化”につながるというのか。
 もし企業が競争力を強化したいのなら、重役連中はこの金返上すべきではないか。すかんぴんの従業員はたちまちにしてそれらを使い切るだろうし、そのほとんどが生活関連の消費となるだろうから、単純に考えて三廻りはする。そうすれば億近い経済効果を生み出すに違いない。
 逆に重役連中が金を持てば、彼らは、多少の自社株は買い足したとしても、余り金の運用をもとめて海外投資するに決まっている。それは回りまわって日本の国際的競争力を相対的に弱めるに違いない。それは日本の資本取引残高を押し上げ、円高傾向を固定するだろう。

 昔はときどき、公正取引委員会というのが登場して、ヤミカルテルを摘発したりしていたが、最近はトンと聞かない。また自動車通勤をするようになってガソリン価格が気になり始めた。原油高騰のうわさも静まっている(NYMEXで80ドル)というのに、ガソリンが140円もする。ドル換算でいえば2年前の1.5倍は優に超えていると思う。
 どうも変だと思ったら、大手商社の決算が出てきて、ものすごい儲けぶりだ。理由は原油や鉄鉱石などの価格上昇とあるが、おそらく便乗だろう。価格が上昇したからといって利ざやがそのまま増えるわけではあるまい。またも「千載一遇の好機」をやったのだろうか。

 ヘッジ(カラ売り)と並んでバクチ相場の手段となっているのがFX取引。正式には外国為替証拠金取引というそうです。こちらは為替相場が相手だからもっとやばい。しかも証拠金の50倍まで金を動かせるというのが怖いところ。赤旗の用語解説によると、一定額の現金を証拠金として預けると、その25ないし50倍の金額を出し入れする権利が与えられるのだそうです。100万円という現金を払うと、5千万円というチップに交換できるわけです。
 この比率をレバレッジ(梃子)というのだそうです。例えるとパチンコ屋で100円出すと、玉が50個もらえて1個2円の価値を持つわけですが、この玉が1個100円の価値を持つことになるのです。頭がおかしくなるような交換比率ですが、これで5千万円分のドルを買うと、1円下がっただけで50万円の儲け、2円上がったところで手を引けば、100万円があっという間に200万円になる仕組みです。逆に2円下がればすってんてんです。


2010.8.05
 
志位委員長の党創立88周年記念講演ですが、記念講演にしては少々意気が上がらないものです。参院選敗北直後だから仕方ないでしょう。聞きとおしてみて感じたのですが、日本国民をがんじがらめにしている二つの呪縛があり、この二つをどう解き放っていくかが今回の選挙で問われ、それにこたえきれなかったのが敗因との自己批判です。
 それは一つは「財政破たん」の呪縛であり、もう一つは「抑止力」の呪縛です。講演ではかなり説得力のある提起がなされていましたが、志位さん自ら言うように、それはまだ「スローガン」といえるほど凝縮されていません。
 もう一つ、これは私の感想ですが、敗北の原因は日本国民の政治的成熟に関する評価が不足していたことです。今回の選挙で鮮やかに示された国民の声は、第一に「消費税ノー」であり、第二に「それでも自民党ノー」です。国民は二つの呪縛からはまだ逃れ得ていないものの、依然として政治の変革をもとめ、真のオルタナティブを求めています。もちろん、知性も品性も持たない民主党議員への批判は大いにやるべきですが、変化を求めて民主党に投票した多くの国民を批判するようなやり方は、絶対にいけません。
 とりわけ財政危機を国民的立場から打破していく課題は、国民からもとめられているもっとも緊急かつ重要な課題です。志位さんの話を聞いていると、また昔ながらの「公共事業と軍事費を減らせ」に戻ってしまったような気がします。


2010.8.12
 
ボリビアの駐日大使マサカツ・ハイメ・アシミネさん(石嶺か?)の講演が大変良いものです。琉球大学のサイトにあるので読んでみてください。沖縄からの移民の二世で、軍事独裁政権の時代に官憲にパクられて拷問を受けたそうです。日本人はインディオ顔だから思いっきり手加減せずにやられるでしょうね。二世の中にはゲバラのゲリラ闘争に加わって「戦死」した人もいるそうです。これはどうしても一度札幌に呼ばなければなりませんね。
 それで、突如(アルコールが効いてきたせいもあって)思いついたのですが、90年代にネオリベラリズムがラテンアメリカを席巻した時、伝統的左翼その中のかなりの部分がこれにやられてしまったのです。それ以前からの闘士だったアシミネさんがこの流れについてどう思うか、大変興味のあるところです。
 思いつくままに挙げてみても、エルサルバドルのビジャロボスとシエンフエゴス、ニカラグアのセルヒオ・ラミレスとウィーロック、ベネズエラのテオドロ・ペトコフら名だたる連中がネオリベラリズムに屈していきました。彼らは自らを「レノバシオニスタ」(改革主義者)と名乗っていましたが、実のところは「レビシオニスタ」(修正主義者)にすぎませんでした。モスクワに代わりワシントンに盲従するようになった共産党は、多くの国で影も形もなくなってしまいました。21世紀のラテンアメリカにおける民族主義左翼の復活は、科学的社会主義の復活を目指す運動とどのように交差しているのでしょうか。また新たに復活した科学的社会主義はどのような様相を帯びているのでしょうか。


2010.8.13
 
また昔ながらの「公共事業と軍事費」に戻ってしまった…との感想について、意見をもらいました。少し舌足らずでしたので修正します。財政危機の最大の原因が過大な公共投資にあることは間違いありません。現在の争点は、「だからどうするか」なのです。話はそんなに難しくないと思います。
 とりあえずの穴をふさぐには、日米貿易交渉で毅然とした態度を取ること、企業に対する種々の不当な優遇措置を停止すること、労働法制を強化し社会保険への企業の支出を確保することの三つでしょう。一文の金もかかりません。外国ファンドへの規制も有効でしょう。
 リーマンショック後の経過で、日本はアメリカなしでもそこそこやっていけることがわかりました。裏返すと、これからはアジア抜きではやっていけないということです。これはリーマンショックの最大の教訓です。アジアに軸足を置いた経済システムをどう作っていくのか、まず、その構えを作らなければなりません。「脱欧入亜」です。そのためにも日本をアジア最大の消費市場として拡大すること、すなわち内需拡大がもとめられます。
 中期的には社会資本を中心に公的保証による資金投下を強化し、「回るお金」を創出することです。これも金融業界への指導強化で、塩漬けになった手持ちを吐き出させればよいでしょう。日本の国債残高は、対外債務ではなく“市中銀行の中銀に対する預金残高”ですから、内需拡大で金が回り始めれば、少なくとも国債のGDP比率を減らすことはさほど困難ではないでしょう。
 政治的には豪腕を要するでしょうが…
 逆にこれをすばやくやらないと、いずれ「不況下の資産バブル」が出現します。アルゼンチン崩壊の前夜がまさにこれでした。


2010.8.21
 
富士通総研のコラムで「賃金の下落がデフレの原因」と指摘したという。8月20日付の赤旗一面に報道されている。報道によると、コラムはアメリカと日本のデフレの原因を比較検討し、日本は賃金デフレと評価。さらにその原因を分析し、①終身雇用制の壁、②最低賃金制度の欠如、③非正規労働の大幅増、があるとしている。
 現物を一度見ておこうと思いホームページを明けてみた。確かにそう言ってはいるが、少しニュアンスが違って、①が強く意識されています。富士通お得意の「契約制」へのニュアンスが感じられなくもありません。要は終身雇用制を廃棄して、年俸制とかにして、労働力の流動性を高め、一方で最賃制でセーフティ・ネットを張って行くという雇用スタイルへの転換を主張しているようです。
 ところで、このコラムへのネット右翼の書き込みが面白い。「このコラムを紹介して鬼の首でもとったように言っているが、このコラムの著者は天下りの代表で、日ごろお前らが非難の対象としているやからではないか」というものです。どういう思考回路の回り方をしているのかわからないけれど、「そういう人ですら、こう言っているんですよ」というのが紹介の趣旨ですから、悪い人なほどこの論理が生きてくるのです。難癖をつけたつもりが、自らの知能程度を暴露する結果になったというお粗末。
 岩波の本を買ったらしおりが入っていて、「孫の手」という言葉の説明があった。「まご」は「麻姑(まこ)」という中国伝説の仙女の名前なのだそうだ。この仙女、「爪は長く鳥の爪に似、掻いてもらうと愉快この上ない」のだそうだ。この年で勉強になりました。


2010.8.23
 
21日の土曜日に「韓国併合100年」の事前学習会をやりました。私がチューターを勤めましたが、結局乙巳条約から義兵闘争までで終わってしまいました。3.1独立闘争は駆け足の紹介にとどまりました。朝鮮史をやっていてつらいのは双方の数字があまりにもかけ離れていることです。たとえば「3.1独立闘争」、いわゆるマンセー事件についても、総督府の発表が死者553名となっていますが
韓国国定教科書によれば7509人となっています。実に13倍もの開きがあるのです。
 しかも、一般的には当局発表は意識的に少なく抑えるのが普通ですが、少なくとも「3.1独立闘争」については、韓国側の数字に相当疑問があるのです。たとえば「3月8日に平安北道の定州で官憲がデモ隊に無差別発砲し、市民120名余りが殺害される」という記載があります。
 戦闘で120人死ぬのは理解できますが、丸腰のデモ隊に対する発砲で三桁を超す死者が出るという状況は異常です。何よりもまず、現場の指揮官に「120人は殺すぞ」という決意がなければ話は始まりません。デモの参加者だって死にたくはないから当然逃げるでしょう、小銃での一斉射撃でも、致命傷を負うのはせいぜい10人程度でしょう。120人というのは、たとえば機関銃を打ちっ放しにするか(老斤里のように)、罠にかけて袋小路に追い込んでからなぶり殺しにする(ソンミ村のように)とかの方法をとらなければ達成不可能な数です。しかしネットで定州の紹介ページを見ても、そのような大量虐殺事件があったとの記録はない。一事が万事この調子だとすれば、韓国側の言う犠牲者数そのものがかなり怪しいといわざるを得ないのです
 青山里の戦闘を中心とするいわゆる「間島パルチザン」の戦いについてはほとんど執筆不可能です。客観的に見れば、全滅はまぬがれたものの、日本軍に蹴散らされたというのが正直なところでしょう。ただその際に、遅滞攻撃をかけながら追討部隊に少なからぬ出血を強いた可能性はありますし、これだけの大規模部隊の包囲作戦をかいくぐって脱出に成功したことはゲリラとしては勝利といってもいいのかもしれません。 強調したいのはゲリラにとって「戦闘は戦闘という形態をとった政治作戦である」ということです。それを唯軍事論的に評価すれば過ちの元となり、歴史をゆがめる結果につながりかねません。
 もうひとつ、日本側資料のもっと旺盛な発掘作業が必要でしょう。「共通歴史認識のための最大の課題は、日本側の
全面的な資料公開だ」と言われますが、まだ非公開のままとなっているものもたくさんあるようです。
 朝鮮人民の独立を目指す不屈の努力から日朝両国の人々が学ぶべきものは、もっともっと多いはずです。過去の行きがかりにとらわれず、研究がより実証的で説得的な方向に進むことを期待します。


2010.9.05
 
赤旗から一挙転載。9月1日、フランス政府が国際通貨取引課税を提案。国連の「ミレニアム開発サミット」に提出する予定。提案国には日本、フランス、イギリスを含む60カ国が加わる。
 提案の内容は、1千ユーロにつき5セントを課税し、これにより年間350億ドルの開発援助資金を生み出そうというもの。課税対象となる通貨は米ドル、円、ユーロ、英ポンドの4種類。日本も提案国に加わっているようだが、まったく報道されていないのはなぜだろう?
 同じ日の紙面から
いつもながらの数字だが、一応最新版ということで、何かのときに使うかもしれないので…
 国連広報局の発表(8月末)で、①10億人が食料不足状態に置かれている、②26億人が適切な衛生設備を利用できない、③農村部では10人に8人が安全な飲用水を利用できない、④毎年5歳未満児900万人が死亡している、⑤毎年妊婦34万人が周産期に死亡している。
 同じ日の紙面から
 日本企業の利益の43%が海外部門による。2000年には国内8割、海外2割だった。08年には海外利益が53%に達し国内利益を上回ったが、今年はリーマン・ショック後の国内売り上げが多少回復したもの。
 これだと、基本的に上場企業の為替損はゼロということになる。泣くのは中小・零細のみということだ。トヨタ(奥田)栄えて国滅ぶ、これが「国際競争力」論の行き着くところだ。
 さらに、地域別に見ると、南北アメリカは10年前の15%から9%台に低下。これに対しアジア・大洋州は6%から24%に4倍化している。日米同盟基軸論は、経済・通商を見る限りもはや時代遅れ、過去の遺物となっている。中国敵視論にしがみつくのは、百害あって一利なし。
 それにしてもわずか10年でこれだけの変化とは、想像以上のスピードですね。


2010.9.07
 
引き続き赤旗から転載。9月6日 赤旗一面トップに調査記事。大企業の内部留保が昨年度11兆円増。総額は244兆円という。財務省の法人企業統計から赤旗が算出したもの。
 売上高は13%減となるが、従業員給与の減少と設備投資の36%抑制により、純利益を4兆円から7兆円に増大させた。11兆円の積み増しは年収500万円の労働者220万人分の給与に当たる。
 大企業が生産活動への投資を控え、過剰な内部留保を溜め込んでいることが、経済の停滞を招いていることが証明された。


2010.9.13
 
大木氏による“知、情、意のトリアード論”を紹介する(大木幸介「脳を操る分子言語」講談社ブルーバックス 1979年)
 「生命の衝動」は大脳辺縁系を経由することにより「意欲」、大脳新皮質を経由することにより「意志」として昇華される。
 視床下部・無髄神経系の活動は覚醒・睡眠・快感などの自律神経徴候を導く。これが大脳辺縁系を経由することで情動となり、新皮質を経由することで感情として流露される。
 大脳は知能を発現する装置である。それは感情の海の中に浮かび、意欲の駆動によって活動している。
 このトリアード論の発生学的・解剖学的基礎となっているのが“人間の脳の三段階進化論”である。

 

第一段階進化=神経化

当初生物は刺激に対し反応するために、情報伝達系として内分泌系を発達させた。さまざまなペプタイド・ホルモンが役割を分担した。
しかし筋肉をすばやく協働して収縮させるために、高速系の伝達システムを要したために中間に神経線維の伝達系を加えた。
この神経線維の起源はホルモン産生細胞である。そして神経線維の末端では、ホルモンが分泌され標的臓器を刺激するという、当初の内分泌支配の方式が踏襲されている。ただしその役割は、神経ホルモンに特化したカテコールアミンがもっぱら担うことになる。
人間の脳では、視床下部・脳下垂体を中枢とする神経内分泌系がこれに相当する。

第二段階進化=髄鞘化

脳幹を微調整する小脳と大脳の発達。有髄神経の発生と発達により処理スピードの飛躍的向上がもたらされ、末梢での刺激伝導物質もアセチルコリンに代わり、オン・オフの信号にデジタル化された。
これにより、逆にオン・オフだけでない標的臓器のすばやい微妙な調整が可能となった。

第三段階進化=大脳の巨大化

第二段階の大脳は原皮質(大木の言う旧皮質)と呼ばれ、大脳辺縁系を形成。この上に哺乳類では古皮質、人類ではさらに新皮質が形成される。
新皮質では情報の有機化=固定化と視覚化、およびデジタル化=言語・記号化とシンボル化が行われる。この作業により情報を圧縮した後、データベースとしてインデックス化され、記憶として収納される。

最近は大脳皮質を新皮質・古皮質・原皮質(原始皮質)に分けるようだ。ほかに中間皮質(海馬など)があり、記憶をつかさどる。「大脳辺縁系」という概念は便利ではあるが、発生解剖学的にはあいまいで、辺縁系=原皮質説は否定的となっている。


2010.9.20
 赤旗から。為替介入についての解説。財務省の指示を受けた日本銀行が実施する。財務省は「外国為替資金特別会計」(外為特会)から政府短期証券(通称為券)を発行し、市場から円を調達し、それを外国為替市場で売却し外貨(ドル)を買う。
 外為市場には巨額の円が出回るが、これは回収されないままとなる。外為特別会計の為券債務は「発行残高」として積み残されたままとなる。その額は10年度末時点で104兆円となる。また購入されたドルも外為特会に外貨準備として積み上げられる。外為特会の外貨準備高は09年度末時点で1兆4千億ドル(現在の相場で88兆円相当)となる。
 その差額の16兆円が介入コストとなる。03年の介入の際は35兆円が費やされたが、円高是正には成功しなかった。

 別の経済ニュース。海外現地法人の設備投資が前年比8.2%増加した。特にアジア地域では前年比29.9%と驚異的な伸びを示した。特徴的なのは、海外現地法人が日本向け製品のアウトソーシング基地から、現地の市場を見通した戦略拠点へと変化しつつあることだ。現地法人の「現地化」が進めば、日本経済の空洞化と「配当国家」家の過程は一気に進むことになる。
企業は国内設備投資は行わず、海外投資により日本の国際競争力を弱めている。永浜(第一生命経済研)によれば、海外生産の増大で08年度には35兆6千億円の生産が国内から減少し、96万人の雇用が下押しされた。

 別のニュース。法人の外貨預金残高が5兆4千億円に達した。前年同月比8千億円(15%)の増加となる。金利の低下で円調達が容易な今、外貨を円に買える動機は低い。この外貨は生産には結びつかない投機マネーとなる可能性が高い。

 直接的な原因は米国、欧州の景気低迷による投機資金の「雨宿り」と、海外投資した円資金の円高にともなう還流。より根本的な原因は、日本企業の行き過ぎた国際競争力(高利益率)が、日本の円高「体質」を招いている。


2010.9.22
 赤旗から。優遇税制の問題: 「日本の法人税は40%で、世界の平均は30%から25%だ。このままでは産業は海外に逃避する」というのが財界の言い分。
 反論①日本の企業の実際の税率はソニー12.9%、パナソニック17.6%、ホンダ24.5%、トヨタ30.1%である。(決算データからの試算)。これは研究開発減税などの優遇策がとられているからである。すなわちすでに5%を超える減税は行われていることになる。
 反論②日本企業は海外に逃避したのではなく、進出したのである。いわば「海外雄飛」だ。その目的は最初は労働力、次いで市場となった。このことは各種の企業アンケートでも明らかである。したがって会社を減税によって保護しても、バクチに手を染めた道楽息子に遊び金を渡すようなもので、互いのためにならない。
 反論③日本政府の対応は、企業を引き止めるのではなく、むしろ海外進出をあおるものだ。「外国税額控除」は外国で課税された法人税分を日本国内の法人税から差し引いている。検討中の「海外子会社配当益不参入制度」は、海外子会社からの配当利益の95%を非課税にしようとしている。
 反論④減税しても企業は溜め込むだけだ。大企業の内部留保は09年度だけで11兆円も増えた。総額は244兆円となった。減税すればするほど国内生産は落ち込み、空前の金余りの中で国民生活に回る金は減り続けることになる。


2010.9.28
 共産党の第2回中央委員会総会が行われた。この日の赤旗がやたらと重い。なんと8ページビッシリ志位報告! その分量の多さにびっくりした。変な話だが、その重さが共産党の抱える危機の重さを改めて実感させた。それは日本の「良識の危機」の重大さとつながる。
 どうするかだが、まずは
小熊秀雄の詩ではないが、「しゃべろ、しゃべろ、口の角に泡を溜めてしゃべりまくれ」ということがひとつ。もうひとつは日刊「赤旗」をどうやっても読ませることだ。この更新記録をお読みの方は、赤旗の経済面だけは目を通そう。日経よりははるかに良い。ついでに国際面も目を通してくれるとなお良い。読書欄も面白いぞ。文化欄にはときどきサプライズがある。ネットで購読するとはるかに便利だが、「赤ペン片手に新聞に目を通して、ところどころは熟読する」という習慣は残したほうが良い。1日百円だ。タバコ5本だ(もうとっくに吸ってしまったが)。
 まずはリーマンショック後の評価。大企業はV字回復で空前の金余り: 純利益は4兆円から7兆円に。内部留保は11兆円の増加(244兆円)。手元資金は52兆円に達する。そのしわ寄せは労働者と中小企業に。完全失業率は5.2%のまま、雇用者報酬は09年初めの最低水準をさらに下回る。その結果、大企業は余剰資金を抱えたまま投資先を失っている。日銀の白川総裁は共産党議員の質問に以下のごとく答弁している。
 …大手企業の手元資金は今は非常に潤沢である。この資金を使う場所がないことを、金融機関の経営者からも、企業の経営者からもしょっちゅう聞いている…」


2010.10.15
 嫁さんと二人でスペイン旅行してきました。安いので有名な旅行会社のパックです。宿が悪い、ツァー飯がまずい、バスばっかりの強行日程と三拍子揃っていると脅されていましたが、毛布一枚で雑魚寝とか、小さなソファーの肘掛の間に海老寝したこともある私には別になんともなかったです。
  嫁さんの脊髄小脳変性症がだんだん進行して来ていて、これが最後のチャンスだということで嫁さん孝行しました。いつも腕を組んで歩いているので、傍目には仲のよい夫婦に見えたかもしれませんが、こちらもいささかアルコール性小脳失調のケがあり、障害者同士の二人三脚でした。
 長年ラテンアメリカにかかわってきた私としては、①征服者(コンキスタドーレス)のすさまじい情熱をかきたてた原動力はなんだったのか、②征服した後のあきれるばかりの無為徒食ぶりは何に起因するのか、③これらの征服者の心性はスペイン人の多くに共通するものなのか、④略奪した富は本当にまったく失われたのか、⑤スペイン内戦の「正の遺産」は多少なりとも存在するのか、などでした。
 観光地めぐりの団体旅行で、このような問いかけに答えが出せるわけはありませんが、とにかく行かないよりは行ったほうがヒントが得られるだろうということで、バス移動中も一睡もせず、ひたすら神経を研ぎ澄ませていました。
 話としては、まずコルドバの大聖堂(モスク)から始めるべきでしょう。実にすばらしい、今回の旅行の中では最高のものでした。この大聖堂、建物そのものが4つの時代の積み重ねで構成されています。まずローマ帝国領の時代、これが建物の基層です。その上に西ゴート王国の建物が乗っかっていますが、いかにも粗末で薄っぺらい。そしてその上にサラセンのアラベスク、これが事実上建物の基本骨格を形成しています。そしてその上に威圧するかのようなゴシックの大聖堂が睥睨しています。
 西洋史の教科書では、サラセン帝国に奪われた土地をカスティーリャが奪い返すという風に描かれていますが、この教会を見ると、どうもそうではない。ローマとサラセン帝国という二つの環地中海文明がイベリアまで波及し、それを北方ないし土着の蛮族が武力で奪取するという二度のシーソー・ゲームが展開されたと見るべきではないでしょうか。
以下
@Spainというページから引用させていただきます。
ローマ時代には他の諸都市と同様にローマの植民地とされ、6世紀には 西ゴートの王によってカトリックの南スペインの拠点となる。711年のイスラム教徒の侵入後はイスラム・スペインの首都とされてダマスカスの属国となる が、8世紀にはアブデラマン1世によって独立。13世紀の初めにキリスト教徒の手に陥ちるまでは、100万近い人口を有する世界でも有数の大都市に発展した。
 現在の人口が32万人といいますから、基本的には終わっている町です。それはレコンキスタ(奪還)が崇高なキリスト教の教義をまとった略奪でしかなかったことを示唆しています。
ついでにもうひとつ
ニッケイ・ネットから引用
 西暦1000年ごろのコルドバは、イスラム王朝の後ウマイヤ朝がユダヤ、キリスト教徒との共存政策を打ち出し、多様な価値観を持つ地球人たちが集まる開放都市として輝いた。


2010.10.25
 そういえば更新記録にはまだ報告していませんでした。スペインに行く前に北九州の爪剥がし事件について少し調べて書きました。北海道民医連新聞にも一部を載せてもらいました。しかし総論部分だけを読むと自分で読んでもよくわからない。やはり全文を読んだ上で判断していただくしかなさそうです。
 誤解を恐れずに書きます。メキシコ麻薬戦争は“面白い”のです。
 3万人が殺され、今も殺されているメキシコ麻薬戦争。シュワルネッガーも顔向けの対ゲリラ近代兵器、残忍な殺し方もさることながら、その影に動く金の額のものすごさ、政府や警察の底知れぬ腐敗ぶりなど、率直に言ってこれほど面白いピカレスク・ロマンはない。登場人物はすべて悪漢、しかも強烈な個性をたぎらせている。
 日本のネット世界での反応はあきれるほどに貧弱だ。誰が死んだ、何人死んだ、どうやって死んだという記事を転載しては、「わぁすごい!」と驚いているばかりだ。もっと食いつけよ! と思わず言いたくなる。
 こうなれば「乃公出でずんば」ということになるが、とにかくすごい情報だ。視点を定めなければならない。それにはやはり群像列伝だろう。誰を中心に描くかということになると、まずはメキシコ麻薬カルテルの生みの親であるミゲル・アンヘル・フェリクス・ガジャルド、フォーブス誌の長者番付にも登場した最強のカルテルの最強の男ホアキン・グスマン、カルテルと政界トップを結びつけ影の権力を握ろうとしたラウル・サリナス、シナロア・カルテルに正面からけんかを売るベルトラン・レイバ、ファレスでの市街戦を果敢に戦うビセンテ・カリージョ・フエンテス、個人というより殺人テクノクラート集団として個性を発揮するロス・セタス。それに新興暴力集団としてめきめき頭角を現したラ・バービー(バービーちゃん人形)などは、名前からして欠かせない人物だ。
 もうひとつは、この乱世を生み出したものは何らかの形での「権力の空白」であるはずだ、ということである。ショート、レフト、センターの真ん中にボールが飛んだからこそ空白が生まれたのである。それはどういう空白なのか。
 その背後には過去80年にわたり事実上の独裁政権を率いてきた制度革命党(PRI)と、この10年近く政権の座にある国民行動党(PAN)の対立がある。さらに最終被害国としての米国の差し迫った要請があるからこそ、シナロアの一人勝ちという安易な決着が許されなくなっているのであろう。


2010.10.30
 赤旗10月25日付の、志位さんのインタビューはかなりすっきりしていて説得力がある。
 まず円高、デフレ、経済・財政危機が取り留めなく語られている現在の状況を批判し、その基本がデフレであること、デフレをもたらしたものが賃金デフレであり、低賃金構造をもたらした政策デフレだとする。
 その上で円高状況に切り込む。志位さんは円高の理由を国際投機資本に帰す議論は本筋ではないとする。円高の理由はまず第一に“一部の輸出大企業”が持つ国際競争力の異常な強さにあると指摘する。その強さの源は労働者や中小企業を犠牲にした徹底的なコスト削減にある。
 次に円高の副次的な要因として、①賃下げに連動して物価が下がり、②物価の下落により「通貨の価値が見かけ上は上がる」現象が起こり、③「通貨の価値が見かけ上は上がる」ために実質金利が上がる現象を指摘する。そして最後に、こうした傾向に着目した世界の投機マネーが円買いを行い円高を加速している、という論立てを行っている。
 これまでの円高をドル安からの逃避と見る“雨宿り論”とは大きく様相を異にしている。円高は外圧によるものではなく、内発的かつ構造的なトレンドであるとの分析である。だとすれば、為替相場への介入などほとんど意味がないことが分かる。それだけに統計的な数字で裏打ちしていかないと、素直に飲み込める議論ではないが、マクロ経済や金融マクロをやっている専門家には説得力のある議論なのだろう。
 志位さんは、論立ての証明としていくつかの数字を挙げている。
 まずデフレが世界に類を見ないものだということでは、名目GDPが97年515兆円から09年474兆円(マイナス7.9%)に低下したこと。一過性の景気停滞というのではなく、12年という単位で見てGDPが衰退している国は他にないとし、「構造改革」論にもとづくこの間の経済政策の失敗を指摘する。
 つぎに同じ12年間で、民間給与が平均で467万円から406万円(マイナス13.1%)へと下落していることを示す。これは月収にして5万円の減少となる。賃金の下落率はGDP低下率をはるかに凌駕しており、賃金の下落による国民購買力の低下がGDP押し下げの駆動力となったことが示唆される。
 そして同じ12年間で物価指数を比較すると、物価は12%低下していることが示される。これは国民の富裕化の証明ではなく、低賃金構造への適応の結果であり、貧困化を示す指標であるが、これにより円の見かけ上の価値は上がる結果となる。
 すなわち円高は国民の貧困化の帰結としても、もたらされているということになる。ただしこれは副次的な要因であり、主要には“一部の輸出大企業”の国際競争力に着目した「日本買い行動」が円高をもたらしている。
 残念ながら、今回のインタビューではこの点への数字を挙げた論及はなされていない。しかし海外投資残高や輸出企業の経営実績を持ち出すことは容易であろう。


2010.10.31
 
不破さんのAALA連帯委員会での記念講演「異なる体制と文明の共存の時代へ」です。題名には若干の違和感を感じますが、この中の「社会主義を目指す国は未来社会の探求者としての行動が問われている」というパートは、まったく新しい視点からまったく新しい提起を行っている点で、括目に値します。
 これまでの数年間、不破さんは中国共産党やベトナム共産党とのそれぞれ数回にわたる理論会談を積み重ねてきました。その成果がまさにこの一文に示されているのだろうと思います。
 講演はまず最初、ソ連の失敗を例に挙げながら、社会主義を目指す道の厳しさを聴衆に突きつけます。「不断の模索と探求が避けられず、大きな誤りを犯せば道を踏み外す可能性さえ排除されてはいない」と戒めます。そして「誤り」のレベルを、①模索と探求の過程での誤り、②道を誤りかねない大きな誤り、③ソ連で犯されたような致命的な誤りに分け、対内的には人間抑圧、対外的には拡張主義をその基準としてあげています。
 同時に、「これらの国が道を踏み外さないようにすることは私たちの願いでもある」ことを指摘しています。そして「私たちもこの国々と、そのことに役立つような付き合い方をしたいと考えています」と結んでいます。
 この指摘はきわめて重要だと思います。いつの間にか私たちが社会主義を目指す国のあれこれの失敗について、評論家的な、冷笑的な立場に陥ってはいないだろうか、そういう立場は社会主義を目指す組織の一員である私たちの、「志」そのものをも貶めてはいないだろうか。よく考えて見ると、グさっと突き刺さるような言葉です。いまの時代にふさわしい重い提起なのかも知れません。
 私たちは60年代後半から90年代にいたる30年間、「ソ連や中国のようにはならない。社会主義への道は他にある」と考えてきました。「そういう時代」だったのです。なぜ変わったのか、それについての詳しい説明は講演の中にはありませんが、ある意味でそれは私たちが考えるべき課題なのでしょう。
 つぎに不破さんはマルクスの言葉を引用して、「世界政治での社会主義の目標」を提起しています。
 「私人の関係を規制すべき道徳と正義の単純な法則を、諸国民の交際の至高の原則として確立する」というものです。記事を読んだだけでは出典は分かりませんが、意外に単純な言葉を引っ張ってきたものです。
 要は、「手練手管は使うな、世間の常識を外交にも貫け」というものでしょうか。これは当然、中国のこの間の一連の動きを念頭に置いたものでしょうから、なかなか意味深な表現で、ぼんやりはしていますが、ふくむ内容は多いと思います。どう膨らますかはこれからの経過次第、といったところでしょうか。
 最後に、不破さんは未来社会論との関係で「社会主義を目指す国」の世界史的役割を論じています。未来社会論というのは、突き詰めて言うと「社会主義の社会が資本主義に取って代わる資格と能力を持っている」か否かを問うている議論です。不破さんは、その議論が試されるのはこれらの国の行動を通じてであると考えます。そして「社会主義を目指す国」を「人類の未来社会の探求者」と位置づけます。「そういう時代が到来している」というのが不破さんの認識です。


2010.11.07
 赤旗に宇宙物理学の佐藤勝彦氏の談話が載っていて、面白い一節があったので紹介します。宇宙論の中に「人間原理」という概念があって、人間の認識には、認識主体(=人間)が生まれる宇宙のみが認識される傾向が、必然的に付きまとうということです。これに安易に引きずられると、認識される宇宙は、あたかも認識主体を生むように調整されたように思われてしまいます。これが人間原理と言われるものです。亀が甲羅に似せて穴を掘るようなものでしょうか。これに対して佐藤氏は次のように述べています。「私の立場は、人間原理を安易に受け入れるべきではないということです。論理を尽くす営みを怠ってはいけないと思っています」
 主体というのは一つの過程から他の過程に移行するときに必ず顔を出すし、避けて通れないものであり、むしろそれなくして次の過程に移行できないものと考えてよいでしょう。問題はそれが不完全で一面的で利己的なものにならざるを得ないということです。それを知った上で、人間原理を「安易に受け入れない」という立場を貫くのが唯物論の立場なのでしょう。ずしんと響く言葉です。


2010.11.08
 アエラに載った「尖閣」密約はきわめて説得的です。尖閣帰属問題は留保する。中国は挑発行動を抑制する。日本は多少の侵害があっても追い返すだけで拿捕はしない。というのが両政府間で合意されていたというのです。文書では残らず口頭合意だけだったかもしれません。 とすれば、今回の事態の基本は日本右翼による「密約」体制打破であり、海保の一部がそれに乗っているという絵柄になります。
 中国側に胡錦湯と軍部の対立があるとか、いろいろ観測もあるようですが、事件の発端を見る限り、中国漁船員の拿捕・拘留という形でイニシアチブをとったのは間違いなく日本側です。
 拿捕という行動そのものが密約違反であり、だからこそ延々とビデオ撮影したのであり、時機を見て「漏洩」したのです。そして武力行使やむなし、あるいは安保・沖縄容認へと世論を誘導するのが狙いです。
 尖閣の領有権そのものの議論は残りますが、この際は漏洩者の摘発にとどまらず、そのバックまでふくめて明らかにする必要があります。そうしないと漏洩者が英雄視されるだけです。
 そもそも論から言えば、このような密約は行うべきではありません。密約漏洩が本格的な衝突の火花となることは歴史が証明しています。国際的係争地として認識した上で、日本側の道理を堂々と主張すべきです。その上で日本の実効支配を貫徹すべきでしょう。それについて中国側も配慮すべきでしょう。


2010.11.12
 ついに更新記録がアップロードできなくなりました。630キロバイトが1ページの分量としては限界のようです。とりあえず、省略できるものは省略してスリム化を図ることにします。これまでの更新記録はアーカイブとして参照可能にしておきます。


2010.11.15
 やっとメキシコ麻薬戦争をアップしました。10日間以上かかりました。とりかかるまでが難しく、数回は途中まで書いて挫折しました。何とか書き上げられた最大の理由は、時系列を時には無視し、重複もいとわず「列伝」のスタイルを貫いたことです。全10章が一応読みきりの形になっていますから、その中での流れは分かり易いと思います。かなり「絵」も取り入れました。残酷趣味は避けたつもりですが、ベルトラン・レイバの最後だけはどうしても入れたくて。
 今月末には道AALAの総会です。「今年の国際情勢はどうしゃべろうか」などと考えているうちに、あっというまに期日が迫ってくるのはいつもの慣わしです。
 


2010.11.19
 学生時代、酒を飲むことを知らない孤独な若者にとって、土曜の夜、とくに冬の寒さは応えました。下宿から2,3丁のところにオリオン座という二番館があって、オールナイト東映映画三本立てが120円だったと思います。座席の下にスチーム管が走っていて、館内が寒くなってくると誰かが叫ぶのです。そうすると蒸気の栓を開くカンカンという金槌の音が響いて、そのうちにお尻のあたりからホンワカと暖かくなってきます。あたかもスクリーンでは、着流し雪駄履きの高倉健が桜吹雪の下を懐手に歩いてゆくんですね。なぜ懐手かというと、いざというときに片肌脱ぐんです。そうすると脱いだ肩にも桜吹雪という按配。
 そんなヤクザ映画に革命をもたらしたのが「仁義なき闘い」でした。もともと週刊誌に飯干某という作家が連載していて、それを愛読した記憶はあるのですが、映画館で見た記憶はありません。読んでいたときのイメージでは主役は鶴田浩二でした。菅原文太にしたのは主人公をも突き放して第三者の立場を貫こうとする佐藤純弥監督の思い入れでしょう。…思い違いをしていました。「仁義なき闘い」は最初から深作欣二でした。「組織暴力」と混同していたようです。 ひどいもので、深作の映画だと思っていた「私が棄てた女」は浦山桐郎でした。“捨てた”ではなく“棄てた”というのが原作者遠藤周作の思いです。
 すごい映画です。遠藤にとっては「棄てる」ことが棄教にも似た哲学的・宗教的課題でした。しかし浦山にとっては女を棄てることがナイフで身を削ぎ落とすようなリアルな課題としてとらえられたのです。今なら“棄てる”という“シン”ではなく、かつて女性だった物体を不法投棄する“クライム”映画かも知れません。二度と見たいとは思いませんが…。
 浦山に関するウィキペディアは思いっきりトリビアルで面白いものです。
 
松竹助監督応募に募集しおとされる。この時、大島渚は合格し、山田洋次はおちる。その時の試験官だった鈴木清順に誘われ、日活の入社試験を山田と共に受け、不合格となり、山田は合格する。しかし、山田が松竹に補欠合格したため、日活に補欠合格することができ、1954年に助監督として入社。…石堂淑朗は葬儀委員長・今村昌平から、生前の浦山の女性遍歴の豊かさから、「今日、どんな女が来るかわからないから、しっかり見張れ」と命じられたとも言われた。
 とにかく「仁義なき闘い」には一応すべての闘いの類型が提示されています。メキシコ麻薬戦争を知ろうと思ったら、まず「仁義なき闘い」全5部を見ておくべきでしょう。それから見るとメキシコ麻薬戦争のスケールの大きさがあらためて分かるでしょう。
 私にはまず誰よりも、27機のボーイング727を駆使し、天上に夢を見た貴公子アマド・カリージョ・フエンテスがイメージとして膨らみます。「仁義なき闘い」には決して出てこないキャラクターです。いっぽうで、一歩間違えれば「サパティスタ農民ゲリラ」になっても少しもおかしくないミチョアカンの泥臭いカルテルがあります。これら乱世に生きる「悪者」たちの生々しい生き様は、誰が、何人、どのように殺されたかという毎日のニュースからは伺うことができません。それは歴史を学ぶものの特権です。


2010.11.21
 溜めた赤旗の一気読み。赤旗のTPPに関する見開き特集。
日本でTPP参加を強く求めているのは日本経団連、中でも自動車、電機などの輸出大企業だ。加盟による工業製品の輸出増がもたらすGDP押し上げ効果は政府試算でも0.5%程度しかない。一部輸出大企業の利益のために、農林水産業も、地域社会もめちゃめちゃになる。
 農水省試算では、国内農水産物の生産額は4兆5千億円減少する。農業の多面的機能(国土の保全、水源の涵養、自然環境の保全、景観・文化など)の損失は4兆円。関連産業への影響は8兆円。350万人の就業機会の減少。日本の食料自給率は40%から13%に低下する、なお農業の多面的機能の損失は学術会議試算では8兆円に達する。
 北海道庁の試算: 北海道経済に2兆円の損失をもたらす。内訳は農業生産が5千億(50%強)、関連産業が5千億、地域経済が1兆円と見積もられる。雇用は17万人減少し、農家戸数は3万戸減少(70%)と予想。
 経済通産省試算の嘘: 「TPPに参加しなければ10兆円のGDPと80万人の雇用が失われる」と宣伝。
これは①自動車、電気電子、機械産業の3業種だけを対象としたもの、②韓国はTPPへの参加を表明していない、FTAもまだ批准されていない、③“80万人雇用減”は労働法を無視した解雇の脅しに過ぎない。
 自動車、電気電子はすでに成熟産業である。かつての繊維産業、造船業、鉄鋼産業などと同様、国際的優位を保てない産業は淘汰されるしかない。そもそも韓国は同一品目を同一品質で生産する限り、後発国としての比較優位を持っており、技術優位なしに価格競争を行うことは経済的自殺行為に等しい。日本の輸出大企業は国際競争力を掲げるが、そのために産業を空洞化し、日本経済を痛めつけている。これがTPPにより加速されることは間違いない。
 自由貿易というが、関税0%は世界のどこにもない。日本の農産物関税率は12%。EUは20%、ブラジルは35%なので、すでに十分低い。農業は世代交代ができず、高齢化が進み、何もしなくても後10年で崩壊する。いま必要なのは、農民、農家と農村、地方の保護策ではないか。


2010.11.23
 前原外相の発言。「第一次産業の1.5%を守るために98.5%が犠牲になるのはおかしい」
 しかし98.5%がTPPで恩恵をこうむるわけではない。たとえば対米輸出で見ると自動車など輸送用機器が35%、複写機やコンピュータなど一般機械が20%、16%が映像機器など電気機器で、これだけで7割を占めている。自由化で恩恵をこうむる人はこれらの産業の関連者だけである。
 同じ言い方で切り返すなら「一握りの斜陽輸出産業を守るために、国土が荒廃し大量の農民・勤労者が犠牲になるのはおかしい」

 アイルランド財政危機の解説。ここでの問題は法人税率の引き下げに尽きるようだ。アイルランドは法人税率を40%から12.5%に引き下げて外資の呼び込みを図った。GDPは10年間、5%以上の伸びを続けた。しかし当初はIT関連企業など危険性は高いものの産業資本であったものが、ITバブルの崩壊により後半には投機マネーが主流となり、投資先は住宅に集中した。市場の「カジノ化」である。
 リーマン・ショックで外資がいっせいに逃避した。この結果、GDPはマイナス7%に、失業率は4%から14%に跳ね上がった。金融機関は相次いで破綻の危機を迎えた。アイルランド政府は銀行救済のため、500億ユーロをつぎ込んだ。これはGDPの3割に当たり、その結果財政赤字もGDPの32%に達した。フランスを先頭とするEU諸国は、財政支援の条件として法人税率の引き上げを求めている。
 日本においても法人税率の引き下げが求められているが、その性格は異なるとはいえ、法人税率変更のさまざまな波及効果について多面的な検討が必要であろう。少なくとも経団連の言い分を鵜呑みにするのは危険である。


2010.11.25

「人は石垣、人は城」 は 「風林火山」 で有名な武田信玄の一節です。 武田信玄の戦略・戦術を記した軍学書「甲陽軍鑑」では、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」 と書かれています。後段は、人には情理を尽くすこと、逆に相手を恨めば反発され、敵意を抱くようになる、ということだそうです。こちらは処世訓っぽいので省略されるようです。

2010.12.05
 沖縄県知事選挙、すごかったですね。33万対30万。尖閣のフレームアップ、北朝鮮の攻撃、終盤の強烈な反共攻撃を跳ね返した沖縄県民の力には敬服します。
 欠損金の繰越控除という減税があるのだそうだ。聞いたこともない制度だが、現在は控除前所得でほぼ全額が控除になるようである。これを50%までに制限するだけで5千億円の税収になるそうだ。これは政府税調が言っていることだから間違いないだろう。すぐにでも実施してほしいものである。もうひとつは研究開発減税で、現在は研究開発と名をつければすべて減税の対象になっているが、これを総額型でなく選択型に移行することで5千億円が捻出できるという。両方あわせて1兆円、消費税1%分に当たる。
 いつも思うのだが、大企業が海外逃避しないように減税せよと言うが、その前に、海外逃避する大企業にペナルティーを課すべきではないだろうか。日本に籍を置くさまざまな恩典を享受しながら、外国に拠点を移す企業は一種の“食い逃げ”をしていることになる。盗人に追い銭する必要はまったくない。
 財源問題は研究開発減税とナフサ免税に絞られてきたようだ。財務省試算で2兆円強、消費税2,3%に相当する。撤廃すればこれよりはるかに大きい。それでも大企業の内部留保に比べれば微々たるものだ。
 11月はじめの政府税調全体会合で、峰崎直樹・内閣官房参与がこう発言した(赤旗)。「企業にキャッシュフローが入ってきても、実は投資をしないで内部に留保してずっとたまっていく。これが200兆のある。ここに日本経済の置かれている状況がある」。だから、減税すれば投資に向かうという話は「非常に疑問に思う」。まことに正論です。
政府税調の資料(経産省調査)によれば、今後の海外移転の大きな理由は、「消費地に近いから」が最も多く、「安価な人件費」、「安価な部品・原材料」、「為替」と続き、「税負担」を上げた企業は圧倒的な少数派だという。


2010.12.08
 メキシコ政府は①国民の主食であるトウモロコシも自由貿易の対象とした。②打撃が予想される農業への支援・投資をまったく行わなかった。③輸入割り当てには上限が定められたが、これを一度も適用しなかった。
 米国は研究補助などの名目で巧妙にカモフラージュされたダンピング輸出攻勢をかけた。
 その結果、国内消費への輸入割合いがトウモロコシで33%、大豆では90%に達した。国内消費全体における米国からの輸入依存率は5%から40%に高まった。この傾向が続けば、20年後には依存率は80%に達すると推計されている。
 メキシコでは農民の4割に当たる250万人が離農し、アメリカへの移民は年間20万から60万人へと急増した。94年からの通算で約1千万人が出国下ことになる。
 国内トウモロコシ価格はいったん低下したが、国内生産の崩壊により国際価格の変動をまともに受けることになり、石油価格の高等、穀物騰貴、気候変動などで乱高下を繰り返しながら、全体として上昇している。


2010.12.10
 キューバのハイチ医療支援に連帯しようというアピールを北海道民医連新聞に載せてもらうことにしました。ただ背景説明しないとなぜキューバなのか分からないので、ハイチに置けるキューバ医療団の位置づけについて、もうひとつ文章を起こしました。ハイチのコレラ流行については、さらに別枠での支援活動が必要だと思います。このまま放置するのは、21世紀という時代の恥です。何年ぶりかでまたハイチに手をつけなければならないでしょう。
 セシリア・トッドの歌をアップしました。前からやろうとは思っていたのですが、良い音源がなくて延び延びになっていました。毎月やるといいながら①アダ・ファルコン、②パガニーニのアダージオ、③Zbigniew Preisnerのホテルの朝、④キューバのレオ・ブラウアーの11月のある日、⑤シルビオ・ロドリゲスの一角獣、⑥セルソ・フォンセカの幸せの源、にとどまっています。これからまた馬力を入れたいと思います。いずれアップした曲をまとめてディスクにしたいと思いますので(あくまでも個人的な目的で)リクエストがあったらご連絡ください。


2010.12.25

赤旗に米倉経団連会長の語録が掲載されている。
 9月 法人税が高いと外資などがどんどん逃げていく。日本には投資しなくなっている。
 11月 課税ベースの拡大と引き換えの法人税引き下げなどやらなくて結構。
 12月6日 2,3%の引き下げなど、それこそ「何をやっているのか」といいたい。
 12月13日 雇用・国内内投資拡大の約束など、資本主義でない考え方を導入されては困る。
 12月14日 5%引き下げが決まったことは歓迎するが、消費税を引き上げなくては抜本改正にならない。経済同友会の桜井代表幹事は「消費税増税抜きにやるなら、いずれ予算編成さえ不可能になる」と発言。
 12月14日 菅首相の雇用・設備投資拡大の要請はお約束するわけには行かない。
 12月20日 法人税率引き下げが賃上げの原資になるとの考えは本末転倒。


2010.12.27
 
Port-au-prince in the 1940's に大変良い映像があります。ハイチのベル・エポックです。出てくるのは白人ばかりですが…。ハイチ年表を見てもわかるとおり、このころはリベラルな潮流が巻き起こ
り、文化の華が開きつつありました。そこからデュバリエ親子の時代を通じてアメリカ大陸で最悪の国に転落していくのです。


2011.1.02
 
明けましておめでとうございます。今月の名曲を入れ替えました。ちょっと早すぎたかもしれません。
 正月かけてページを整理してファイルを移動したり、リンク切れを修復したり、コメントやキーワードをつけるなどしました。10年前の「孤島発見器」ソフトがいまだに最高現役なのに驚きました。これでヒット率が上がるとうれしいのですが。
 Frieve Audio という再生ソフトを評判につられて導入しましたが、音の良いのにびっくりしました。音の忠実な再生というより、厚化粧を施すソフトです。イモねぇちゃんが叶姉妹に変身という仕掛けですが、強音時の折り返しや高音時のビビリがきれいにカバーされて、プリメイン・アンプを通して大音量で再生しても立派に通用します。臨場感がものすごい。目の前で演奏しているみたいです。音飛びがしますが、ASIOのバッファーサイズを上げると飛ばなくなります。
 ただしAACファイルが再生できません。いくつかプログラムを追加すれば再生可能と書いてありますが、説明通りにやっても音が出ません。誰か分かるように説明してくれないかなぁ。


2011.1.04
 
今年はひょっとすると政治が大きく動く年になるかもしれません。経団連を政治本部とする大企業への国民のまなざしが日を追うごとに強まっています。社会保障、農業、労働・雇用問題とすべての問題の根源が大企業のモラルハザードに起因しています。
 ネットでは奥田元会長や米倉現会長を「売国奴」とか「守銭奴」と非難しています。右翼までもが怒っています。まさにファシズム前夜です。情勢が大きく右にふれる危険性もふくめた激変期です。もちろん財界・官界の中にもこのままではだめだと考えている人がたくさんいると思いますが、それでも変えられないとすると、それは復元力の消失と統治能力の喪失につながっていくでしょう。
 小泉・奥田行革はバブル後の長い停滞期に対する、政財官の「このままではやっていけない」という危機感の表れでした。確かにそのままではやっていけなかったのでしょうし、行革以前のところまで振り出しに戻せばそれで済むという話ではありません。しかし「このままではやっていけない」状況をもたらした原因の追究が浅かったから、行革でさらに事態がこじれたのではないでしょうか。
 問題は景気の落ち込みではなく「戦後経済成長路線の危機」だったのです。アメリカからの外圧が「危機」の直接のきっかけでした。しかしそれは長い目で見れば、日米関係の変化の結果として表れたのだろうと思います。アメリカからの外圧がなぜ強まったのか、その原因の分析如何で対処法は変わっていたでしょう。
 とくにオイルショック後、日本は「集中豪雨」的な対米輸出の強化により経済の回復を図りました。貿易不均衡は米国の許容範囲を超えて一気に拡大しました。レーガン・ブッシュの共和党政権と内政重視の民主党政権では許容範囲には多少の差があり、それがレーガノミックスによる放漫財政のツケをしょわされたクリントン政権にあって劇的に現れたことがひとつです。
 しかしより大きい理由は冷戦体制の終結によって、アジアにおける反共の防波堤としての日本のバーゲニング・ポイントが消失したことです。したがって米国の側に日本との貿易不均衡を許容する理由がなくなったことです。
 それ以来、日本は輸出維持のために、さまざまなものが取引材料にされてきました。プラサ合意に始まる円高誘導、金融自由化、WTO丸呑み、600兆円の公共投資など数え上げればキリがありません。いったいどのくらいの富がアメリカに流出したのでしょう。そのおかげで米国は空前の繁栄を遂げることになったのです。
「冷戦構造」型経済システムは時代遅れとなり、それを維持することは大変な犠牲を伴うこととなり、しかもその苦労の先には出口はありません。
 しかしリーマン・ショックを機に、明らかに潮目が変わり始めました。アジアの経済成長がリーマンショックにあえぐ日本を救ったのです。注目すべきはこれがアジアだけの現象ではないということです。かつてアメリカが風邪を引けば肺炎になるといわれたラテンアメリカ諸国も、リーマン・ショックから立ち直り堅調な動きを示しています。もっと広く見れば、金貸しどもの狂気の世界に物づくりの世界が拮抗し始めたのです。
 アジアとの付き合い方は米国と同じにはいきません。アジア諸国は米国のように国際通貨を発行できる国でもないし、赤字を垂れ流せる国でもないし、軍事と経済をバーターするような風習はありません。だから原則は「平等互恵」です。
 国際競争力を旗印に掲げ、かつて米国で展開したような「集中豪雨」型の貿易展開を狙うなら、かつての15年戦争の再現です。その先に未来はありません。しかし経団連の米倉会長はその道をさらに突っ走ろうとしています。通産省サイドはどう見ているのでしょうか。
 「このままではやっていけない」最大のポイントは、まさに大企業の身勝手な行動とモラル・ハザードです。本来なら企業内部からそういう声が上がってもよさそうですが、今の大企業にはそんな動きは見えません。


2011.1.14
 
3日間連続の大雪で、除雪に追われています。ホンジュラス、グアテマラ、ベネズエラの年表を増補しました。ホンジュラスの1524年はメキシコからの動き、パナマからの動き、ヒル・ゴンサレスの動きが錯綜して年表が分かりにくくなっています。そのうち「ホンジュラス1524年」として文章化し、歴史のフォルダーにアップしたいと思います。また、日本ではほとんど注目されていない中米連邦の悲劇の英雄モラサンの記載も日本語では極めて少ないので文章にしたいと思います。前からの懸案ですが、ボリーバルの解放闘争も別年表化しないとなりません。


2011.1.16
 
ホンジュラスの年表を増補しました。フランシスコ・モラサンと中米連邦戦争について増補しています。この経過はグアテマラ、エルサルバドルにもかかわるので、いずれ別年表にする予定です。嫁さんの買い物狂いに拍車がかかってきました。週末は雪はねと買い物のお付き合いで手一杯です。
 経済同友会が「2020年の日本創生」を発表した。消費税率を17%にすることと法人税を25%に引き下げることをもとめる。消費税増税分を年金財源にするといっているが、それで企業負担を減らそうという魂胆だ。国民の貧血は進んでいる。どこまでやれば気が済むのだろう。輸血をしなければならないときにさらに血を抜こうというのだから、国がつぶれてしまう。寄生虫と同じで、宿主が死んでも、その結果自らが死んでもかまわないという思想だ。たぶんそのときには自分の世代ではないだろう、わが亡き後に洪水来たれと考えているのだろう。
 JPモルガン証券のアナリスト、北野一氏が「赤旗」の分析は正しいと評価している。大企業の実質税負担についての数字だ。「赤旗」がソニー13%、住友化学17%、パナソニック18%という数字を出したが、北野氏は「自分でも計算しましたが、同じ結果でした」と述べている。
 同じ紙面で元第一勧銀総研専務理事の山家悠紀夫氏は、円高の最大の原因は賃金の低下だという。年収200万以下の給与所得者、いわゆるワーキング・プアが10年前の800万から1100万人に増えている。同じ時期に非正規雇用者は400万人増えている。賃金の低下が物価を押し下げ、それによって円の実質価値が上がる。これが為替市場に反映されたのが円高だ、ということである。もうこの考えは世間の常識になりつつあるようだ。もうひとつ山家氏のポイント、資本金10億円以上の大企業はこの10年で投資有価証券を100兆円増やしている。(財務省法人企業統計) 国全体の富は減っているが、法人企業だけがひたすら富を増やしている(内閣府国民所得統計)
 労働法専門の西谷氏は「グローバル化の名の下に労働条件の切り下げが行われているが、労働条件の低い国との競争を労働条件の低下でしのごうとすれば、結局は世界中が最低水準に下がるしかない。発想として貧困だ」と喝破しています。


2011.1.18
私なりに日本の行くべき道、「メガ・トレンド」が見えてきたような気がします。
経済・貿易の構造を「冷戦型システム」から、「アジア指向型システム」に転換することです。その際のキーワードとなるのが「多国間主義」(Multilateralism)です。とりわけ日・中・韓の戦略的パートナーシップの強化です。
日本から東南アジア、インドへとつながる三日月地帯は、世界最強の経済活動をになう円弧(Arc)となるでしょう。それがどのような形でインテグレートされシステム化されるのかは、すでにアセアンがかなりイメージ化して来ています。
問題、というより、目下の課題は「冷戦型システム」というのがどんな構造を持っているのか、それからどう脱却するのか、ということがいまだ解明されず、コンセンサスが形成されていないことです。私は歴史的分析が何よりも必要だと考えています。
明治維新以来の「輸出志向」という伝統は、日米同盟以前からのものであり、ほとんど日本人の心性(マインド)と化しています。それに「帝国主義」の侵略的傾向が乗っかり、さらに戦後には「冷戦型システム」としての日米同盟が乗っかるという歴史的構造があります。
ただし戦後、とくにベトナム戦争後のアジア進出は、安保体制の下とはいえ、まったく軍事力の背景なしに成し遂げられました。この点は、これからの日本経済発展の内在的契機として、大いに評価する必要があるでしょう。


2011.1.23
 
今までずっと気になっていながら手がつけられなかった中米連邦史に着手しました。インターネットの情報がこの1,2年で飛躍的に増えており、かなり既存の文章の訂正も必要になっています。1820年からわずか20年余りの歴史ですが、いまでも中米問題を分析する上では重要な意義を持っています。1週間でデータの付けあわせを終わり、これから文章化に着手します。相当分量が膨大なので途中で挫折するかもしれません。除雪で体力が消耗しているようでなかなか根気が続きません。
 「立起」という言葉が北海道弁だということを初めて知りました。わざわざIMEに「立起=りっき」と単語登録していました。たしかに「立起」でグーグル検索すると北海道しか出てきません。北海道新聞ああたりが作った言葉なんでしょうね。「立候補する」と即物的にいうより、一気に決意したような気迫が伝わって、選挙用語としては傑作だと思います。ついでに言うと「ご注文よろしかったでしょうか」の表現はきわめて日本語的には素直です。Do you を Will you にすればより丁寧だし、Would you と過去未来にすればもっと丁寧です。この表現がおかしいとすれば、それは「よろしゅうございます」、あるいは「よろしいであります」を「よろしいです」に簡略化した先人の責任です。「です」というのはいかにも切り口上ですから。何か柔らかくしたいと思うのは日本人の素直な心性でしょう。
 昼は嫁さんに付き合って卓球の中継を見ていました。夜はアジアカップのサッカーです。テレビを見ながら、「国際競争力とは何だ」と考えていました。基本は技術です。もっといえば技術開発です。そこには高い技術レベルの裾野が必要です。日本卓球の復活は良い夢を見させてくれました。
 経団連はボタンを掛け違えている。賃下げ競争路線とコスト削減、ハングリー精神の称揚は、裾野の縮小と破滅への道です。いま日本が最も競争力が強いのは「安全な食品」であり、「低公害の工業プラント」であり、「乱開発をまぬがれた美しい自然」です。それは大企業の儲け主義とのせめぎ合いの中で生まれた技術です。
会長さん、お願いします。現場には夢が必要なのです。


2011.1.27
お宝映像を紹介します。
Nostalgia Cubana - Moraima Secada - Si me comprendieras モライマ・セカダという歌手は知りませんでしたが、クァルテート・ダイダの一人でした。さすがにフィーリンのうまさは本物です。途中からエレーナ・ブルケとオマーラ・ポルトゥオンドが絡んできます。このトリオは日本で言うと美空ひばり、江里チエミ、雪村いずみの三人娘に相当します。エレーナは札幌に来たときはすでに病気が進行していたのでしょうか、この映像とは比べ物にならないほどしぼんで小さくなっていました。「ノスタルヒアが大好きだ」といったら笑っていましたが、歌ってはくれませんでした。この Nostalgia Cubana というサイトには無数の映像がちりばめられています。アクセスに時間がかかるのでダウンロード・ソフトで落としておいて、後で一気に見るのが良いでしょう。
書いていてなんとなく気になって調べてみました。ダイダ(d'Aida)というのは、1952年にAida
Diestroというバンドリーダーがショーの色物として組織したからということです。カストロがモンカダ兵営を襲撃した年です。もう一人のメンバーはポルトゥオンドの姉で、この人は革命を嫌って米国に移住したようです。


2011.1.31
今月の名曲: 心の花
(Flores Del Alma) ちょいと長い解説になります。この歌は昔からの歌で、男声のデュエット(結構キモイ)が売り物のアルフレード・デ・アンヘリス楽団が十八番にしていました。しかしそれが爆発的にヒットしたのは、98年の映画「タンゴ」で挿入歌として使われてからのようです。Viviana Vigil & Hector Pilatti という男女のデュエットで良い味を出しています。
あちらでは「銀恋」同様カラオケの定番のようですが、そんなに生やさしい曲ではありません。曲の前奏がかかったら直ちにトイレに立つようお勧めします。もうひとつ、この曲を再生するときはぜひFrieve Audioというソフトを使うことをお勧めします。私は普段はfoobar2000というプレーヤーで聞いているのですが、この曲をFrieve Audioで聴くと目の前で歌っているような気分になります。
というのが先月の名曲で、今度はまたキューバの歌です。私のとっときの一曲で、15年前にハバナで買ったCDです。
肝腎な「中米連邦史」はまったくはかどっていません。書くたびに分からないことが出てきてそのたびに調べて、を繰り返すうちにどんどん膨大になって、こちらのあごが上がってきました。歳ですね。


2011.2.02
赤旗(2月1日)に「
徳富蘆花の演説から百年」という記事が載っている。関口安義氏の文章だ。この演説が明治44年、幸徳秋水の処刑からわずか一週間後に行われたということ、しかも旧制第一高等学校で学生を相手に行われたということに驚く。朝鮮では併合に抗議する人々が何万人と虐殺されている。謀反論演説の半年前には啄木の「地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ秋風を聞く」が詠まれる。啄木も蘆花も、リベラルはみな世間から孤立していた。
「謀反を恐れてはならぬ。謀反人を恐れてはならぬ。自ら謀反人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀反である。…我らは生きねばならぬ。生きるために謀叛しなければならぬ。生きるために常に謀叛しなければならぬ、自己に対して、また周囲に対して…」


2011.2.03
音とびが直りました。インターネットのあるページを見て、コントロールパネルの電源オプションで「バランス」を「高フォーマンス」にすればよいと書いてあり、そのとおりにしたら、見事に改善しました。ただし100%ではないというのが問題ですが。Core i7を買っても音飛びするので4ギガのメモリーをさらに増設しなくてはと考えていた矢先の吉報です。それにしてもマイクロソフトはどうしてだんまりを決め込んでいるんでしょうね。 
 田沼武能さんの写真集「笑顔大好き、地球の子」が発売された。この中の「心臓の音にびっくり、グアテマラ」は大好きな写真で、十年前に赤旗日曜版に載ったときは切り抜いて机の前に張っていた。やっと平和が取り戻せた、あの当時のグアテマラの状況を考えると、この子の表情は涙が出るくらい素敵だった。きっとグアテマラの人たちが見ても感激するだろう。


2011.2.05
 
TPPをめぐる議論で「国益か農業か」という問題の立て方があるようです。「農業」の代わりに「環境」を入れても良いし、「国民生活」を入れても良いのですが、以前前原外相が言った「1%の農民のために99%の国民が犠牲にならなければならないのか」のと同じ論理です。
 この問題設定からすれば答えはいうまでもなく国益です。問題は、こういう議論立てを設定した人たちが言う「国益」とは何かがはっきりしていないことです。今のところは日本の輸出を担う大企業の利益としか受け止められません。「99%の国民」にとっての利益になるという説得力ある根拠が見出せません。たとえば大企業の利益があまねく国民にトリクルダウンするという前提があれば、この理屈は成り立つのですが、この間の構造改革は逆の事実を示しています
 第二に、これも前原外相の言葉ですが、「TPPはアジア志向の政策である。それはアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)に向けた道筋である」という論理があります。前にも述べたように、日本経済の将来のグランドデザインとして、対米従属の冷戦型モデルからの脱却とアジアとの共生という流れがあって、これは保守層も含めかなり支持されると思うが、前原外相はTPPがその流れに沿ったものであるかのように主張しています。
 TPPがアジアの経済発展の方向に根ざした内発的な構想なのか? これは事実と違います。構想の発信元はアメリカであり、アジアの多くの国はすでに不参加を表明しています。少なくとも現状ではアジア経済の総合的発展に向けたアジェンダとはいえません。議論することは大いに結構すが、アジア諸国自体の発信情報を踏まえたコンセンサス議論に一度戻る必要があるのではないでしょうか。

 当面の問題はもっと深刻です。アジア諸国が背を向けたまま日本が強引にTPPの道を進むなら、TTPは事実上「米日TTP」となってしまうことです。ここで見切り発車すれば「アジア志向」どころか「日米同盟の更なる強化」となるほかないのです。深読みすれば、政府・財界はそれを承知の上で、「アジア志向」をダシに使って日米同盟の更なる強化=日米FTAを狙っているようにも思われます。
 志位さんは予算委員会の質問でここをはっきりと衝いています。「韓国、中国は参加していない。ASEAN随一のインドネシアも参加しない。まずは地域貿易の枠組みに力を入れる、といっている。今のままで見切り発車すれば、参加国GDP合計の91%を日米が占めることになる。これはまさに事実上の日米FTAだ。アジアの成長の取り込みどころか、アメリカの対日経済戦略に日本が組み込まれるというのがTPPの真実の姿だ」


2011.2.07
 
息子の買ったDVDが面白いから見ろといわれて今日見ました。「セイブ・ザ・ワールド」というチンケな題名の映画です。主演はマイケル・ダグラス。おそらく10年くらい前のものでしょう。たしかに面白いといわれれば面白いのですが、何が言いたいのかは良くわからない映画です。話はメキシコのティフアナ・カルテルが潰されて、壊滅に追い込んだ連邦警察の将軍がメキシコ政府の麻薬取り締まり局のボスに昇進するのですが、それがなんとフアレスカルテルの回し者だったりするのです。そしてそのボスは美容整形に失敗して死んだことになっているのが、実は生きていて麻薬業界を仕切っているという筋立てです。(今聞いたらそれはセイブ・ザ・ワールドではなく「トラフィック」という題名だそうです)
 俄然私も動揺して、ティフアナをやったのはシナロアのサンバダだろう。フアレスのカリージョ・フエンテスは間違いなく死んだはずだ、と反論したのですが、ハリウッドはそういう細かいことにはこだわっていないようです。Benicio del Toro という役者がトロっぽくてよいですね。


2011.2.09
赤旗で大妻女子大の田代教授がTPPの沿革について語っている。
もともとTPPは、環太平洋の4カ国(ニュージーランド、チリ、シンガポール、ブルネイ)あわせて人口2400万人の小さな国同士が通商国家として関税をゼロにしましょうと始めました。それはそれらの国にとってひとつの道だと思います。しかしそれに超大国のアメリカが帝国として参加交渉に乗り出してきて、TPPを「超大国のFTA」に変えてしまいました。
中国はASEAN+3(日中韓)の自由貿易圏を目指していますが、アメリカはアメリカ抜きで中国のイニシアチブでアジアがまとまっていいこうという構想を絶対に許したくない。アメリカが参加してアメリカに都合のいいものにしたいわけです。
TPP参加というのが重大な選択であることが良く分かる。そしてそれはアジア志向という流れに、むしろ棹差す役割を果たすツールとして位置づけられていることも分かる。

本日の赤旗国際面は情報てんこ盛りだ。
まず最初は南スーダン独立の経過、重要事項だけ箇条書きに入れておく。
①住民投票の結果:投票率98.6%、独立支持は98.8%。
②83年のシャリア(イスラム法)の全土導入以来、200万人が死亡、400万人が難民化。
③2005年1月の包括和平が合意された。その後も南北間格差は拡大。石油権益は積出港をもつ北部が独占。
④スーダン人民解放運動(SPLM)は北部との統一を追求して来たが、10年12月に独立支持に転換。
⑤北部政府のタハ副大統領は投票結果の受け入れを言明。

ついでコソボ首相の衝撃のスキャンダル
コソボのサチ首相が欧州会議(12月)とNATO秘密報告(1月)で告発された。罪状は次のとおり。
①内戦中にセルビア人住民、兵士捕虜をアルバニアのティラナ空港近くの6ヶ所の秘密施設に収容。頭部への銃撃後、腎臓など新鮮な臓器を摘出し闇市場に売却。②ヘロインのコネクションを組織し、欧州各地に密輸。③NATO秘密報告はサチらKLA幹部が武器や麻薬取引、売春に携わっていたと認める。…サチ子のサチはどこにある…


2011.2.11
 
本日は我が家の前の道路が排雪作業のため、晴天・温暖・祝日にもかかわらず外出せず、テレビを見る。民放で腹の立つ報道。大阪の生保受給者がパチンコして酒食らって遊んでいるとの報道。まず第一に連中は失業者なんやでぇ。仕事与えたりぃや。アホの竹中がゆうとったやろ、生保はセーフティネットなんやでぇ。失業保険みたいなもんや。労働者の権利なんやで。それがろくなネット作らんから、みんな生保になってしもうとるだけやねん。失業保険の給付受けてそれをどう使おうとわしの勝手やろう。それで1ヶ月暮らしていくのが自己責任というもんやで。
 第二に、わしは犯罪者か? 悪いことしてへんのに生活できなくなったから生保もろおとるんとちやうのか? わしは生保もらったら刑務所に入っているみたいにおとなしゅうしとらなあかんのか? 第三に、ええか、明日はわが身なんやでぇ。会社からもう来んでええといわれたら、あんたもわしらの仲間入りや。そしたら怒る相手違うやろ。わしらのほうが、あんたよりよほどまっとうや。
 その番組から2時間もたつと、今度はNHKで「無縁社会」だ。こちらは辛い。他人事ではない。一人で見ていたら涙ぼろぼろだ。あらためて人間の尊厳を踏みにじり、「漂流世代」を生み出した構造改革路線への怒りがこみ上げる。彼らが内部留保として積み上げた300兆円は「漂流世代」の膏血を搾り取ったものだ。


2011.2.14
 
ジネット・ヌヴーというフランス人のバイオリン弾きがいる。というより、いたというべきだろう。若くして飛行機事故で死んだ。戦後間もない頃だ。だから録音は数少なく、音も悪い。しかしブラームスのバイオリン協奏曲は今でも最高だと思う。youtubeで聞ける(
Ginette Neveu, Brahms Violin Concerto, Live, Baden-Baden, 1948)。
 話は変わるが、最近はパソコン用の音楽プレーヤーが素晴らしくなって、CDやFMを聞くよりハードディスクに落としたMP3などを聞くことのほうがはるかに多い。なかでもFrieve Audio というフリーソフトの音は抜群だ。いままでfooberという再生ソフトで聞いていたのだが、このヌヴーの演奏をFrieve Audio であらためて聞くと、バイオリンの音が笛のように聞こえていたのが、しっかりバイオリンの音として聞こえる。とくに第一楽章のカデンツァのところは、もちろん演奏が良いからだろうが、最新録音のようにも聞こえる。ぜひ一度聞いてみてください。


2011.2.15
 
トヨタ自動車の2010年の四半期決算が発表された。売り上げは5%増、営業利益は前年同期の約8倍に達した。内部留保の大半を占める利益剰余金は10年末現在で11兆8千億円、9ヶ月で2400億円増やしている。
 「一将功なりて万骨枯る」の前の一節「君にたのむ。語るなかれ国際競争力のこと」が思い浮かぶが、日本の消費税のまるまる2年分が、死に金となってトヨタの金庫に納まっている計算だ。エコカー減税で公費を吐き出しても、これでは何の意味もない。
 銀行も、そこそこもうけているようだ。6大銀行の合計で2010年の利益は2兆円に達している。貸出残高はむしろ減少しており、これは銀行の本来業務である実需による利益ではない。


2011.2.16
 
小泉親司さんの執筆になる赤旗連載「講座・日米安保ってなに?」はときどき面白い。
日米安保条約の第2条は経済条項と呼ばれている。両国は「国際経済政策における食い違いを除く」ことに努めなければならないとされる。この条項は日米間の経済関係を根本において規定するものとなっている。
 元農林省経済局長の吉岡裕氏は、「私はうかつにもそれまで、日米経済関係にとって安保条約第2条が持つ致命的な重要性をはっきりとは認識していなかった。牛肉摩擦などの根がこの条約にあることに気がついた私は、そのとき愕然とした」と述べ、貿易摩擦が発生すれば、すべてアメリカの要求に沿わなければならないことを明らかにしている。


2011.2.17
 
南スーダンの独立の記事で、アフリカで54番目の独立国と書かれている。53カ国が言えるかと指折りしてみた。1エジプト、2リビア、3チュニジア、4アルジェリア、5モロッコ、6西サハラ、7モーリタニア、8マリ(今もマリだったかな)、9セネガル、10ギニアビサウ、11ガンビア、12ギニア、13シェラレオネ、14リベリア、15トーゴ、16ガーナ、17ナイジェリア、18カメルーン、19中央アフリカ(これは元ニジェールだっけ?)、20スタンレービル・コンゴ、21コンゴ、22ウガンダ、23ルワンダ、24ブルンジ、25ケニア、26タンザニア、27ソマリア、28ジブチ(これって国だっけ?)、29エリトリア、30エチオピア、31スーダン、32マダガスカル(国名は違ったかな?)、33モザンビーク、34マラウィ、35ザンビア、36ジンバブエ、37アンゴラ、38南西アフリカ(国名は何だっけ?)、39南アフリカ…
 これでは14カ国も足りない。レソトも国扱いなんだろうか?ガーナの隣の昔の「奴隷海岸」はなんていったかな。この間大統領選挙があって、負けた大統領が居直っている国、そうだ40コートジボアール。「象牙海岸」はトーゴでよかったんだっけ? ナポレオンが流されたセントヘレナはアフリカだっけ?

 ネットで調べた。抜けている国は、1カボベルデ、2ブルキナファソ、3ベナン、4ガボン、5サントメプリンシペ、5赤道ギニア、6チャド(これは度忘れ)、7ニジェールと中央アフリカは別だった、8コモロ、9スワジランド、10ボツワナ、11モーリシャス、12レソトも国だった。南西アフリカはナミビアだった。13セーシェルとこれで53になる。

 赤道ギニアなどという国があることすら知らなかった。カメルーン沖の島を中心とする国で、親キューバの独裁国家。「戦争の犬たち」の舞台となった国。石油が出ることからひとりあたりGDPは1万ドルを超える豊かな国である。ラス・イハス・デル・ソル(太陽の娘たち)というグループが、スペイン本国で有名なようだ。かなり白っぽいムラータだ。曲は正直言ってたいしたものではない…と思ったら、こちらは名前は同じでも南米の別グループだった。本家はこちら。なんと日本語の歌詞字幕が着いている。


2011.2.19
 
健忘症が激しい。民主党政権が誕生したとき、鳩山首相は「東アジア共同体構想」を唱えていた。そのことを赤旗の評論で輝峻衆三氏が指摘している。小沢幹事長は「駐留なき安保」を主張した。小沢氏の主張は「日本型ファシズム」につながりかねない危うさを内包しているが、とにもかくにも冷戦体制からの脱却、「脱米入亜」への志向はあった。現在もその流れは伏流となって基層を流れている。だからアメリカにつながる政財界の主流派はTPPを焦るのであろう。


2011.2.20
 
大木一訓氏が「経団連経労委報告を読む」と題して連載批判を行っているが、ちょっとパンチ力が乏しい。「総人件費」論は「非正規の賃金を引き上げれば正規労働者を賃下げしないと総人件費があがる。企業のパフォーマンスの悪化」になる、というものです。しかしこれは非正規労働を大量導入してうまい汁を吸っている人間に、元に戻せといっているのですから、盗人猛々しいというものです。
 「非正規労働者の賃金改善は雇用の減少をもたらす」というのは、非正規の大量導入を行いながら雇用を減少させた人間が語るべき言葉ではないでしょう。
 大木氏の最後の一言はパンチが効いています。経団連は、「低賃金と不安定就業が蔓延していればいるほど、経済は健全な発展を遂げる、といっているに過ぎない」
むかし「低賃金」しか売り物のない植民地国のやった「靴紐産業」あるいは「飢餓輸出」と同じ発想です。

 16日の赤旗。TPP特集で、昨年11月の米倉経団連会長の記者会見が引用されています。米倉会長は移民労働者の受け入れを主張し、「日本に忠誠を誓う外国からの移住者はどんどん奨励すべきだ」と言い放った。つまりはさらに「総人件費」を切り下げようというのが魂胆である。
 これを受けた菅首相は1月の施政方針演説で、「開国の具体化は貿易・投資の自由化、人材交流の円滑化で踏み出す」と言明し、「国内改革を先行的に推進する」ことを明らかにする。菅内閣が経団連の送り込んだ刺客であることが良く分かる。


2011.2.21
 
国際面にじつに愉快な記事。落語に「転失気」というのがあります。“てんしき”と読むのですが、おならのこと。これを禁止する法律ができたのです。アフリカ南部のマラウィという国で、大気汚染を禁止する法案が議会に提案されたのですが、元々はタイヤや廃材を燃やしたりするのを規制する法律だったのに、審議の途中で法務大臣が「おならも禁止する」と答弁したから大変。国民は「誰もがおならをする権利がある」と激怒したそうです。与党幹部の中からも反対が相次ぎました。
 しかしこのチャポンダという法務大臣は「政府には公共の秩序を維持する権利がある。おならはコントロールできる。公共の場所でおならをせず、トイレに行くべきだ」と主張を曲げず。結局、議会もこれを採択したとのこと。たしかに「禁煙」の論理を敷衍すれば、こういう議論も成り立ちますね。

 ネットで何気なく探していたら、ギュンター・ワントのインタビューがあって面白かった。本人はそう思っていないかもしれないが、相当の「へそ曲がり」である。トップスターになれなかったことに忸怩たる思いを抱いていたのが、死ぬ間際になってから突然もてはやされて、悪い気はしていない。そんな気分を素直に表している。(ギュンター・ワントはドイツの指揮者でカラヤンと同い年。死ぬ直前に日本で演奏した未完成交響曲は語り草)


2011.2.28
 
反貧困ネットワークの湯浅さんが首相の諮問機関「一人ひとりを包摂する社会」特命チームの座長代理に就任した。初会合で湯浅さんは現状報告を行った。①非正規雇用者数は毎年増加し、09年には1700万人、雇用者の1/3に達している。②相対的貧困率も上昇し、07年には16%に達している。③過去1年に食料が買えなかったことがある世帯が16%、④国保料滞納世帯は09年に21%、⑤誰にも引き取られない遺体年間3万2千人… これには菅首相も「こんなにも状況が厳しいのかと改めて感じた」と述べたという。

経団連の経労委報告が大きく書き換えられていたことが発覚しました。「内部留保は必ずしも現金や預金として保有されているわけではない」、現金や預金も「仕入れ代金や給与などの運転資金として確保する必要がある」という記述が削除されたのです。日銀が昨年12月に発表した資金循環統計によれば、民間法人が保有する金融資産のうち「現金・預金」は206兆円で過去最高となっています。今回の措置は、もはやこの種の詭弁が事実と食い違うことを取り繕えなくなったための変更でしょう。

日弁連が「非正規労働者の権利実現とその課題」と題するシンポを行った。運動の二つの柱として有期雇用の入り口規制、均等待遇の実現が上げられた。シンポでは「有期労働契約研究会」にも批判が集まった。解雇規制緩和を平行して主張していることがとくに問題とされた。

私が思うに、これは雇用関係法の改正、当面規制緩和以前の状況への復帰を求める全国的な請願署名運動が必要ではないか。1千万人の署名を目指してはどうか。若者は飛びつくのではないだろうか。いま正規雇用に引き上げておかないと、こんどは外国人労働者と競争させられることになる。

共産党が予算組み替え提案を提出した。「大企業・大資産家向けの大減税をやめ、くらし応援の予算へ」と題されている。最初の数字は整理されて、より分かりやすくインパクトの強いものとなった。①民間賃金は10年あまりで61万円下がった。総額では31兆円も減った。②年収200万円以下の「働く貧困層」は1100万人に達した。③大企業の内部留保は244兆円、預貯金など手元資金だけでも64兆円に達した。これは過去最高である。今年度予算案は「新成長戦略」の名の下に法人税減税を行い、証券優遇税制の延長とあわせ2兆円の減税を行おうとしている。


2011.2.22
 
ユンディ・リーという中国人ピアニストがいる。どうも好きになれない。どうしてショパンコンクールで優勝したのか分からない。04年に中国に行ったとき買ったCDにこの人の演奏したのがありました。このときの更新記録に、「ショパン・コンクールで優勝したという中国人ピアニストのCDはひどいものでした.まるで中国雑技団です」と書いています。これがランランだと思っていましたが、ユンディ・リーだということに最近気づきました。やっぱりその頃からそう感じていたのですね。とにかく音をだいじにしない。ペダルを踏みっぱなしで音がにごっても気にならない、勝手なアゴーギグを入れる、しかもそれがすべて逆効果というから始末が悪い。この傾向は今回優勝したロシア人の女性ピアニストにもあるような気がします。ランランは悪くありません。まだこれからよくなると思います。


2011.3.02
 
予算委員会の公聴会で野村総合研究所の佐々木雅也主任エコノミストが陳述。「日本の民間企業はリーマンショック以降貯蓄を増やし、この2年間で17兆円も手元資金が増加している」と述べた。法人税減税についても、「単純な減税でなく企業に前向きな行動を促す措置が必要」と強調した。これが常識というものであろう。
 時事通信では以下のように報道している。政府が取り組む財政健全化について、野村総合研究所の佐々木雅也主任エコノミストは「単純な財政均衡を目指すべきではない。景気が悪化して税収が減り、財政赤字を逆に増やす結果になりかねない」と述べ、消費税を含む税制抜本改革より景気回復を優先させるよう求めた。内需拡大を目的とする積極財政論は、ボスのリチャード・クーの持論でもあり、ますます妥当性を強めている。赤旗がここを取り上げないのは不思議。
 「食料危機」がすぐそこまでやってきている。FAOが発表した1月の食料価格指数は90年の統計開始以来の最高を更新した。08年6月の投機マネーによる価格高騰をすでに上回っている。ただ食料は長期的には増産可能であり、FAOの試算でも今後40年の間に1.7倍の増産を行えば約100億と推計される人口を養える見込みがあるとしている。そのために障害となるのが農産物貿易の自由化であり、途上国が先進国の食料基地として強化されれば、さらに「飢餓輸出」のシステムが拡大し、途上国に土地の非効率的利用と住民の飢餓が広がる可能性がある。さらに生産流通を握る穀物メジャーの投機的動きがますます深刻な影響をもたらすことになる。…とにかく食用油だけは買っておこう。


2011.3.27
 
3週間以上も間隔があきました。この間関東・東北大震災があり、15日には母がみまかりました。ようやく日常生活に復帰し疲労感も軽減してきました。といっても重い文書には手がつかず、アメリカ年表の公民権運動のところだけちょっと増補した程度です。
 何といっても原発事故が現在進行形であり、これに一定の見通しがつかないと、まったく将来像が描けません。①仮にGDPが10%減少したとして、それが相当長期にわたり続くとして、どのようにダウン・レギュレーションしていくのか、厳しく問われることになるでしょう。②首都機能が(その規模を問わず)移動せざるを得なくなれば、関東周辺に1千万人を越える膨大な経済難民が発生することになります。③原発から火発への復帰は原油供給の不安定さを考えると相当のコストとリスクを伴うことになり、コストインフレの発生は必至です。④アジアのエマージング・パワーへの依存が一気に強化されることになるでしょう。今後東アジア諸国から何を求められているのかを分析し、その枠組みにいかに適応していくかの判断が決定的になります。自動車・重機に傾斜した日米同盟の枠組みは少なくとも主役にはなりえません。「量は少なくとも質の良いものを」が合言葉になるでしょう。
 三馬鹿トリオというのがあって、一人は「天罰」の石原慎太郎都知事、一人はいまだに「原発推進」を叫ぶ米倉経団連会長、もう一人がセリーグ単独開幕のナベツネです。基本はKYですが、それだけではすまない過去の言動があっての馬鹿野郎たちです。とくに石原は「東京湾に原発を」と叫んできた確信犯です。築地市場移転に際しても汚染隠しを貫いてきました。「“天罰”知事に“民罰”を!」を合言葉に都知事選挙をがんばりましょう。


2011.4.01
 雨の降る品川駅: 解放新書「民族としての在日朝鮮人」(間宮茂輔)という本がある。古本屋で入手した本で、いま読むと相当荒っぽい文章だが、その中に「雨の降る品川駅」という詩が引用されている。作者の名もないものだが、日本国内で検挙され朝鮮に送還される朝鮮人活動家をおくるうたである。1930年前後のものであろう。以下紹介する(ひとこと、“さようなら 女の李”がたまらず良い)
辛よ さようなら/金よ さようなら/君らは雨の降る品川駅から乗車する//李よ さようなら/もひとりの李よ さようなら/君らは君らの父母の国に帰る//君らの国の河は寒い冬に凍る/君らの叛逆する心は別れの一瞬に凍る//海は夕暮れの中に海鳴りの声を高める/鳩は海に濡れて車庫の屋根から舞い降りる/君らは雨に濡れて 君らを逐う日本天皇を思い出す/君らは雨に濡れて 髭、眼鏡、猫背の彼を思い出す//降りしぶく雨のなかに緑のシグナルは上がる/降りしぶく雨のなかに君らの瞳は尖る//雨は敷石にそそぎ 暗い海面に落ちかかる/雨は君らのあつい頬に消える//君らの黒い影は改札口をよぎる/君らの白いもすそは歩廊の闇にひるがえる//シグナルは色を変える/君らは乗り込む//君は出発する/君らは去る//さようなら 金/さようなら 辛/さようなら 李/さようなら 女の李//行って あのかたい 厚い 滑らかな氷を叩き割れ/長く堰かれていた水をして迸らしめよ//日本プロレタリアートの後ろだて 前だて/さようなら/報復の歓喜に泣き笑う日まで


2011.4.07
 
震災報道がなければトップニュースになっていたかも知れない記事。「中南米カリブ海の18カ国/貧困層6年で11ポイント減」というタイ トルだ。ちょっと解説が必要だが、ECLACという国連の地域機構が行った調査で、貧困層と極貧層の年次経過を見たもの。表にするとこうなる。
アリシア・バルセナECLAC事務局長/IMFの機関誌「F&D」より

全人口に対する割合

2002年

2008年

減少率

貧困層

44%

33%

25%

極貧層

19%

13%

32%

貧困層+極貧層

63%

46%

27%

バルセナ事務局長は、これについて以下のように説明している。
 02年経済危機の後の年月は、中南米カリブ諸国にとって繁栄のときだった。1.貧困層が顕著に減り、収入格差はやや縮小した。2.その背景には「経済成長と政府の社会政策の相互作用」があった。3.90年に貧困層救済のための予算はGDPの12%だったが、08年には18%に増えている。4.労働者保護が推進され、非正規労働者の減少と正規雇用の増加が進んだ。
これに加え記者の解説にはこうある。
 調査対象国の多くは革新政権で、貧困者対策や就学手当てなどを充実させてきた。

私がこの表から読み取ることは
1.2002年における中南米のすさまじい貧困。人口の2/3が貧困層という数字はただものではない。
2.この貧困をもたらした80年代の「失われた10年」と90年代「絶望の10年」における、先進国のすさまじい収奪。
3.左翼ナショナリズムの「チャベス・モデル」、そして左翼リベラルの新自由主義との決別、その相乗効果がもたらした大成功。
4.対米依存型開発モデルの破綻と影響力喪失。ただしこれは読みすぎかもしれない。
 いっぽうで、メキシコなど対米依存型開発をさらに強化せざるを得ない状況に置かれた国も存在する。また経済制裁下にあるとはいえ、中南米各国の支援を受けたキューバの経済改革の動きも注目される。もちろん日本との比較はできないし、チャベス・モデルを引き写しににすることもできない。しかし、その気になればわずか6年でもこれだけのことができるということは、心にとどめておくべきだろう。
 それにしても2002年という年、中南米の歴史的転換にとって決定的な年のようだ。少し「2002年」をテーマに振り返ってみる必要がありそうだ。


2011.4.10
 
「石原当選」を聞いて戦術的勝利と感じた。いま選挙をやれば現職有利に決まっている。だからやったのだろうが、勝ったと思う人は誰もいないだろう。選挙を強行した人間への不信感が募るだけだ。そういう人間どもを乗り越えて現実は進んでいくだろう。選挙の票数とは違う民衆の力が、はるかに速いテンポで津波のように現実の政治、統治の現場を動かしている。政治にはそういうフェーズ(局面)があると思う。
 原発事故の直後、東大教授が大挙してテレビに出演した。ほとんどデマに近いような情報を垂れ流していた。レントゲンやCTの被曝に比べれば微々たるものだというのだが、そもそも単位が違う。片方は1回の検査につき何ぼというもので、原発の被曝は1時間ごとに何ぼというものだ。1日の通算被曝量は24をかけなければならないし、10日たてば240をかけなければならない。しかもその間に細胞分裂のフェーズを迎える細胞は桁違いだ。CT検査が1分とすれば、感受性の高い細胞数はさらに60をかけなければならない。
 一番の傑作はフリップにメルトダウンと書いて、その横に日本語で「
炉心溶融」という日本語をつけていた某若手教授だった。米国のエネルギー長官がすでに13日に、「部分的なメルトダウンが生じている」と発言したことを知らなかったのだろうか。「真っ黒でなければシロ」という推定無罪の論理は、ここでは物笑いの種でしかない。東大というのは東京大学ではなく、東電大学のことらしい。
 パニックを避けたい気持ちは分かるが、そのために必要なのは事実を正確に伝えることであって、うその情報を流すことではない。避難命令が拡大されたときも「大丈夫論」が足かせになって、逆デマや不安・不信を招いたことは明白だ。スリーマイルよりグレードが下だと強弁するに至っては何をかいわんや、恥を知れ、である。追伸。いまや
藤波心ちゃんのブログが最高だ。まことに小気味よい。誰かゴーストライターがいるような気もするが…


2011.4.12
 といいつつ音楽を聴いている。ジュリアードSQのシューベルトの断章だ。昔のモノの録音だが、迫力はすごい。それにしてもジュリアードSQの音源が少なすぎる。アマデウスSQなど早くお払い箱にしてほしいものだ。
 タカーチSQのシューベルトがド迫力だ。「死と乙女」はイタリアSQを完全に上回っている。ロザムンデ、15番もほかの演奏を寄せ付けない。消される可能性あり、急げ!
 ツィマーマンがドビュッシーの前奏曲を録音している。期待にたがわぬ名演だ。ただあまりに立派過ぎる気がしないでもない。ドビュッシーっていうのはも少しポップス系の人だと思う。


2010.4.17
 といいつつ音楽を聴いている。モーツァルトのピアノ四重奏曲一番と二番。ワルター・クリーンとアマデウスSQの演奏だが音質が素晴らしい。おそらく60年代前半の録音だろう。1番がモノで、2番がステレオ録音。かすかな針音と時々プチという雑音が入る。ふつうアマデウスをyoutubeで聞くときは音質の悪さは覚悟しなければならないが、これは別格。
 バドゥラ・スコダ、イエルク・デームス、グルダがウィーンの若手三羽烏といわれたのは戦後まもなくのことだ。それにきびすを接する世代がブレンデルとクリーンということになろう。名前だけあって、クリーンが一番クリーンな演奏をする。たしか愛するパツァークの「水車小屋の娘」で伴奏をしていた。ブレンデルはリスト弾きで、安売りレコードの常連。けっこう荒っぽい演奏だったように憶えている。
 といいつつ、パツァークが気になってグーグル検索したら、とおくのおと出張版というトンでもページにつきあたった。「女子肛校生放課後アナルクラブ~私のお尻を好きにして♪~ 」とか、結構すさまじい文字が躍るサイトである。ここのうp主がお勧めの
youtubeでブルーノ・プラティコの歌をリンクしている。この映像が実に良い。一聴をお勧めする。


2011.4.18
 といいつつ音楽を聴いている。テレビでカルロス・クライバーの特集をやっていた。1年前まではクライバーはミーハーだと思っていた。顔からしてハリウッドの戦争映画に出てくるナチのスケベ・悪役大佐だ。ところがyoutubeでカルメンを聴いて仰天した。誰だこいつは?と思ったらクライバーだった。Jシュトラウスのこうもりやカルメンをこんなにまじめに演奏するやつってみたことない、と思ったらベートーベンもすごい。ただオーケストラを楽器としてしか見ないことには納得が行かない。野球で言えば星野型だ。私は巨人嫌いだが、原監督は大好きだ。音楽が好きだというのは作曲者と譜面を通じて向き合う作業と、楽団員とともに曲をつむぎ出す作業と両方とも好きにならないといけない。やはり熟練とか、年の功とかが必要なのである。
 受験時代11時半からの第二放送で、エドウィン・フィッシャーの半音階的幻想曲とフーガを聴いて雷に打たれたような感動を受けた憶えがある。いまそれがyoutubeで聴けるのだが、ピアノを聴いているのか針の音を聴いているのか分からないほどのひどい音だ。夜中に洋間で兄貴がかけているレコードの音を、布団をかぶってふすまに耳をあてて聞いている風情である。木枯らしの音と混ざって、たぶんそれが良かったのだろう。


2011.4.22
 といいつつ音楽を聴いている。Joan Baptista Plaという作曲家の「二本のフルートの協奏曲」というのが良い。Two Flute Concerto in D Majorで検索すれば引っかかると思います。ランパルの演奏です。といいつつ自分でやってみたら引っかかりません。CDから落としたのかな?プラという変な名前はカタロニア人だそうです。モーツァルトと同じ頃、ヨーロッパ各地を流していた音楽師だったようです。その頃のスペインといえばドメニコ・スカルラッティ。もっとも彼もイタリア生まれの流れ者です。ソナタ1,3,9,27,87,141…ととにかく短調の曲が良い。
 フルトベングラーのシューマン4番。フルトベングラーは好きな方ではないが、さすが誉れ高き名演・名録音。三楽章中間部のベ分かルリンフィルのおそるべき弦の合わせ、第4楽章開始部から展開部にかけての圧倒的迫力はすごい。管楽器の咆哮する場面ではさすがに音割れするが、それを除けばとても50年代前半の録音とは思えない高音質。
 不思議にホロヴィッツのモーツァルトが良い。K333のソナタ、K450のアダージオが納得の演奏だ。男っぽい、やさしいけど骨のあるモーツァルトだ。勝手ばかりするホロヴィッツだが、モーツァルトに限っては素直だ。


2011.4.25
 といいつつ音楽を聴いている。室内楽のYOUTUBE音質が俄然良くなって来た。ヤナチェクのクロイツェルソナタが良い。演奏者はウラッハSQ。かつてのウィーンのクラリネット吹きの名をとったのだろうか。

「想定外」という言葉への検討が行われている。何の想定だったのか、それは「安全性」のラインだ。原発というものは原理的にはきわめて単純な構造で、したがって極めて安上がりな設備である。
原発の建設に関して技術というものがあるとすれば、それはほとんどが安全性に関する技術となる。安全性のラインはいかようにでも引ける。これを厳密に引けばコストは上昇する。最低ラインにすればほとんどただに近いものになる。だからどのようにでも値段は決められるものなのだ。
もしも原発賛成論に立ったとして、それではいくらのコストを甘受するか、ここで立ち場の違いを超えた人間性が問われてくる。なぜならそこにはスリーマイルやチェルノブイリの(そしてこれからは福島原発の)先例があるからだ。つまり事故の起きた際の破壊的影響を鑑みて、原発の安全性に関する技術はいまだ完成していないという認識の共有がある。
したがって一般的コスト論(安ければ安いほど良い)のではなく、一種の"必要悪"として、代替エネルギー源として、たとえば火発並みの、あるいは水力発電並みのコストを想定して、それを「安全性」のラインの最低線とする。それで安全性が担保できなければ断念する、という「逆立ちした」発想も必要になるだろう。これはあくまで原発賛成論に立ったうえでの議論であるが。
安全性の議論というのはフェイル・セーフ装置の構造化である。今回の事故はそもそもフェイル・セーフ論が存在していなかったことを明らかにしている。地震が来ても安全、津波が来ても安全、停電になっても安全ということではない(実際にはそれすらも守れなかったのであるが)。炉心溶解があったらこうする、水素爆発があったらこうする、放射性物質の漏洩があったらこうするという論理的バリアが存在して、初めて安全性が議論できるのである。
きわめて単純なことだが、今回のような大規模な地震と津波は想定外だったかもしれない。しかしスリーマイルやチェルノブイリは想定できないはずはなかったのである。


2011.5.02
 といいつつ音楽を聴いている。タルティーニにはまってYOUTUBEアサリをした。ここには書ききれないので別項に起こした。

 連休前半でたまった赤旗のまとめ読み。メーデー集会の報告で、民医連の派遣した医療従事者が延べ1万1千人に達したという。すごい数だ。現場からの集約意見として「助かった命を政治が切り捨てるのは許せない」として闘いを呼びかけている。ここが目下の最大のポイントだろう。
 志位さんの挨拶では、「自己責任を基調とする構造改革路線ではやっていけない」ことが強調された。そして「災害に強い国づくり、社会作り」の方向が打ち出された。ポイントは三つ。ひとつは人としての尊厳の尊重、もうひとつが権利を守るルール、そしてそれを支えるネットワークである。私流に言えば「自治と共同と博愛」ということになるだろうか。いずれも自己責任原理に対する対抗軸だ。
 もうひとつ農協の全国連合「全中」会長のメッセージが紹介された。震災の教訓として①身近に食糧基地を持つことの大切さ、②地域で自立した産業・雇用を作ることの重要性、の二点を強調しているが、共感を覚える。ただもう少し国内外の経済情勢を見つつ普遍化する必要があると考える。

俳優の加藤剛が語っている。「亡くなった方たちは、裏切ることはない。生きているものたちが、裏切ってはいけない」 なかなか味のあるせりふだ。

4月末に、大震災の経済への影響を知る3月度の各種統計がいっせいに発表された。経済産業省の鉱工業生産指数速報では前月比15.3%減となった。自動車工業会の国内生産・輸出実績では前年同月比57.3%減となっている。総務省の家計調査では、一世帯あたり消費支出は8.5%減、とくに東北・関東地域では10.6%の減少となっている。
ただこれをどう読むのかはむずかしい。自粛もあるし、東北現地の数字が正確には反映されていない可能性がある。さらに原発被害は現在進行形のままだが、少なくとも経済活動の10%近くの落ち込みがあったことは間違いない。


2011.5.06
 といいつつ音楽を聴いている。タルティーニにはまってYOUTUBEアサリをした。ここには書ききれないので別項に起こした。

財源問題が避けて通れない問題となってきている。というより、財界が「痛みを分かち合う」立場に立つことが迫られてきた。膨大な復興のための経費を考えれば、そこにしか財源はないことが誰の目にも明らかとなってきている。
経済同友会の長谷川代表幹事は、いまだに社会保障削減と消費税増税を叫んでいる。同時に大企業減税を狙っているのだろうが、さすがにそこまでは言えなくなった。「一体改革」の旗振り役である「集中検討会議」の論調も変わってきたようだ。赤旗によれば「税は消費税だけではない。あるところから出してもらうのが税の基本だ」という意見が出ているという。
当面の解決策は無利子・十年据え置きの復興債である。としてもいずれ償還が必要になるわけだから償還計画が必要であり、税収の増加が見込まれなければならない。それには経済成長が前提となるが、経済成長の成果をきちんと税収として取り込む手立てがなければ、「大企業栄えて国滅ぶ」の図式が一段と進行するだけである。

 岩手県宮古市の田老町漁協組合長の談話がなかなか良い。「組合員で編成する"養殖班"で共同経営を行う。漁協が施設の整備、種苗の無償提供、水揚げ予定額を前払いを行う。津波ですべてを失った今は所得を分配して、何年か後には個人経営を目指します」
 復興のカギは「共同経営を通じて個人経営へ」という路線です。共同経営の基礎は①貧しさを分かち合う連帯、②協同組合のイニシアチブと債務責任、③資金の計画的集中的運用にあります。そしてまず単位漁協が自立した上で、政府・地方行政がそれを財政的・金融的にバックアップするという方式です。
 組合長を動かしているのは、消費者とのつながりと信頼、ご先祖様への申し訳です。ご先祖様というのは面としての共同体でなく、時系列を積み上げた"敬うべきものとしての共同体"ということでしょう。
 共産党の穀田議員が国会の代表質問で「計画は住民合意で、実施は市町村が主体に、財源は国が責任を持つ」という原則として定式化しているのが注目されます。
石巻商工会議所の副会頭の談話は、前向きに検討すべき内容をふくんでいる。「銀行には企業を助けて地域を豊かにする使命があります。しかし金融機関はむやみにリスクのある貸し出しをしません。…国が信用を補完するべきです」。さらに多くの企業は運用債務が残ったままなので、旧債務を再編成し多重債務化を救済するシステムを創出すべきだと提唱している。
 これについても穀田議員が「マイナスではなくゼロからのスタートを」とスローガン化しています。そして被災農地の国家買い上げと再生、漁船の建造・再建に対する全面補助、地域金融機関の焦付き債権の買取などを提唱しています。

 労働運動総合研究所の財源提案が発表されている。提案によれば復興に必要な財源は15兆円。これに対し資本金1億円以上の3万3千社が持つ内部留保は317兆円となっている。このうち4.7%を国債引き受けに当てれば15兆円はまかなえる。藤田事務局次長は「中堅・大企業が復興国債を引き受けても経営に影響はない。大企業は長年にわたり税制優遇策を受けてきており、国難に当たって社会的責任を果たすべきである」と述べた。
 内部留保の活用で復興を進めた場合、国内生産誘発額が26兆円、付加価値誘発額は13兆円となり、これは経済成長率にしてプラス2.6%の効果になる。元本が維持された上で経済成長の恩恵に浴せるのであれば損はないといえる。


2011.5.09
 K君、やはり看護学生K君の落第は許すべきではない。闘うべきだ。K君を説得すべきだ。
落第のレッテルは一生ついて回る焼印だ。問題は人間としての名誉だ。本来、大学は一人の落第者も出すべきではない。人間に一生ついて回るような焼印を押して恥じないあこぎな商売は教育の名に値しない。
もちろん合否の判定は優れて教育の根幹にかかわる問題だから、判断には慎重を期すべきだし、うかつに手を出して失敗すれば敗者をさらに鞭打つことになる。しかしこのままでは毎年一定の数の学生が泣きを見続けることになる。
これまでのデータを見れば入学者数と落第者数の間に一定の傾向が見られることは明らかだし、疑いが強ければ文部省当局が調査に入ることも明らかである。ある程度の関係者の証言さえあれば、勝てることは間違いない。肝腎なことは当事者である学生が騒ぎを起こすことである。ビラをまいて大学にデモをかければいちころである。しかしA大学の学生自身が立ち上がらないとこの勝利は永続的な勝利にはならない。クラスの同級生の中に「K君を救え、泣き寝入りはしないぞ!」の声を起こし、クラス討論を呼びかけることである。
 あとは大学本部前で座り込み集会をやって一人くらいパクられれば話は大きくなる。良く話し合ってくれ。がんばれ。
といいつつ音楽を聴いている。スメタナのピアノトリオが良い。ザグレブ音楽祭の録画で、例によって音は割れているが曲そのものの持つ熱気が伝わってくる。