某月日:[0001〜0010] [0011〜0020] [0021〜0030] [0031〜0040] [0041〜0050]  《TOP》
   某月日― 0021 ―
  夏休みが終わり、卒研で配属した研究室を訪れた。配属した学生のうち二人一組ずつで特別実験を行うというのだ。今日は私と田中の番だ。
「よし、二人そろったところで始めるぞ。今月はクロマトグラフィーを一通りやるからな。今日はガスクロマトグラフィーだ」
  教授が二人をその装置のそばに立たせた。
「この細い注射器に微量の試料が入っている。これをこのように装置に入れるとクロマトグラムが出てくる。このクロマトグラムを見て入れた試料を分析してもらいたい。以上だ。ただし答えのみは不可で、レポート用紙5枚程度で提出。もちろん不正解の時は別の試料でやり直しだ」
「えー、それだけですか」
  田中がおもわずもらした。
「そうだ、私は忙しいのだ。研究室の文献は自由に利用してかまわないぞ。では健闘を祈る」
  二人はクロマトグラムの用紙を手に呆然となった。
  とりあえず私と田中は、研究室にあった電話帳のように分厚いガスクロマトグラフィーのデータ集をもち、研究室の近くの開いてる教室に入った。
「ところで話は違うけど、近代文学の徳田秋声という作家は知ってる?」
  私は田中にきいてみた。
「なんだよ、いきなり。そんなの知るわけないだろ」
「やっぱりな」


   某月日― 0022 ―
  中央公論社版『日本の文学9/徳田秋声(一)』を開く。最初の右の頁に編集委員の、谷崎潤一郎・川端康成・伊藤整・高見順・大岡昇平・三島由紀夫・D.キーンの名が並び、左の頁に、森川町の自宅でくつろぐ大正十四年ごろの秋声の写真がある。その写真を眺めながらふと、この日本文学全集で徳田秋声の巻をあえて「二巻本」にしたのはどの編集委 員かと考えたのであるが、川端康成あたりがあやしいか。あるいは秋声の代表作品を選ぶのに意見が分かれ、どれもはずせないということで結局二巻本になったのかもしれない。などとつまらないことを考える。次の頁は木村荘八が画く「爛」の口絵である。
本郷森川町の自宅にて 「爛」 木村荘八画   目次をみる。


   新世帯
   足迹
   黴
   爛
   あらくれ


   解説(川端康成)


  このうち「新世帯」と「あらくれ」は読んだので、加藤周一が秋声の代表作として選び、正宗白鳥が客観的で良い作品だという「足迹」をまず読む。


   某月日― 0023 ―
  「足迹」は、まだ十一二のお庄が一家で田舎から東京に移住して、世間の波にもまれながら成長していくという、淡々とした物語である。女性登場人物の描写や会話の密度が高く、男性登場人物はどちらかというと脇役である。作者の意見や批判がほとんどなく、時間の流れも過去に戻るわけでもなく素直である。そのため何か物足りないという印象が残るが、お庄がどのように成長していくかという淡い期待をもたせるところに好感がある。正宗白鳥はたぶんその点を言いたかったのだろうが、加藤周一がこの作品を選んだ理由はわからない。
  「足迹」を読んでいる途中気づいたのであるが、秋声の文章は朗読しやすい文である。「新世帯」や「あらくれ」もそうだが、秋声は文にメリハリがつくように意識的に言葉を選んでいるのだろうか。あるいは無意識で天性なのかもしれない。小説を読むときは活字を黙読し、言葉や意味のつながりに引っかからなければ、とくに問題はないのであるが、やはり読みやすいに越したことはない。文体に芸術性や文学性や個性を持たせるために、ヘタに読みづらい文を書いたり、それを読まされる方としては何かつらいものがある。


   某月日― 0024 ―
  野口冨士男の『徳田秋声伝』をなんとか読み終えた。熟読とか流し読みとかできるような基本知識を持ち合わせていないので、とりあえず普通に読んだ。まず読む前に、目次の各章のタイトルをながめる。


         第一章 川と土塀の町 (明治 4年―明治25年)
         第二章 青春放浪   (明治25年―明治27年)
         第三章 軟らかい石  (明治28年―明治34年)
         第四章 暗きめざめ  (明治35年―明治40年)
         第五章 銀の鎖     (明治41年―大正 4年)
         第六章 波また波    (大正 5年―昭和 8年)
         第七章 菊かおる    (昭和 8年―昭和18年)


  野口冨士男がどういう作家なのかよく知らないが、このタイトルがあまりにもくすぐったく思い入れたっぷりなのが、すこし気になる。ただ目次のタイトルに比べて内容の密度はかなり高く、著者が執筆中に手の腱鞘炎を起こしたり(多分)、半狂乱気味になったり(多分)した様子が目に浮かぶほどの超労大作である。また伝記ものには、調べた事柄をただ述べていく方法と、その人物の業績や作者の調査過程を推理仕立てに述べていく方法があるが、もちろん読者にとっては後者のほうがわくわく感や期待感があり当然面白い。『徳田秋声伝』は後者のほうだったので、かなり分厚い本だったにもかかわらず途中飽きもせず面白く読めてなかなか良かった。近代文学の専門家でないので詳しい感想を述べることはできないが、全体の印象としては、やや独断と偏りがあるような雰囲気である。まあこのような視点は作家や文学者にはありがちなのでとくに気にしないが、素人の私の目から見て明らかにおかしいというか、気になった部分が2ヶ所あった。


   某月日― 0025 ―
  まず一つ目。


 ・・・林芙美子『晩菊』のヒロイン、相沢きんの出身地が《秋田の本庄の小砂川》とされているのは山田順子の生誕地――秋田県本荘の子吉川からの着想かと推測されるが・・・


  というところである。『晩菊』の文中では《秋田の本庄の小砂川》でなく《秋田の本庄近くの小砂川》と、「近く」が入っている。この「近く」が入るのと入らないのとでは地理的にかなり違ってくる。林芙美子の立場から考えると、子吉川という川の名前からあえて本荘市内にはない小砂川という土地の名をはたして着想するだろうか。少し無理があるような気がする。実際は本荘市の近くに小砂川という土地は存在するのだが。野口冨士男が「近く」を見落としてしまい、子吉川と強引に結び付けてしまったのだったらしょうがないのであるが、その前に地図なり地名事典で確認してもらいたかったものである。その小砂川という土地は、本荘市の地元民の間で、砂浜や海水がきれいで岩場がある海水浴場として近くの象潟とともに有名で、山田順子も子供のころからよく遊びに行っていたはずである。竹久夢二の自伝日記には、山田順子の田舎へ行ったとき本荘駅の手前の小砂川駅に順子と途中下車し、そこを散歩したことが書かれている。また『仮装人物』にも、庸三が葉子と汽車で一二時間の美しい海岸に遊んだことが書かれている。この「美しい海岸」はおそらく象潟ではなく小砂川であろう。そして、林芙美子は山田順子とよく食事や茶飲み話をしていたので、郷里のことを話すのが好きな順子の口から小砂川のことも聞いていたはずである。それで林芙美子は「小砂川」という地名を小説の中で使ったのである。(《小砂川アルバム》)


   某月日― 0026 ―
  次に二つ目。


・・・『我子の家』を一応常識にしたがって私小説とみるとき、これら登場人物の周囲を取巻いている現実の一つ一つがあまりにも事実に即しすぎているので、私には、これは私小説ではない、一切が虚構だといわれても俄かには信じられない。秋声の私小説には事実をあるがままに写し取ったものと、私小説の形態だけを藉りて虚構の上に成立したものとの二種類があるということになると、われわれが通常日本的私小説と呼んでいる文学ジャンルへの既成概念を根底から考えあらためねばならぬという厄介至極な事態が生じて来てしまうのだ。・・・


 まず、「常識にしたがって私小説とみるとき」と書いてあるが、私小説の常識というのはどういうものをいうのだろうか。読者側からみれば、作家の経験した事実を全て知ったうえでその小説を読むのは不可能であり、ましてそれが事実に即しているかどうかの判断はできるわけがない、というかそのような小説の読み方自体が無駄で意味が無い。たとえ「私」が主語であっても作家の体験をそのまま書いていると信じている読者はいったいいるのだろうか。事実をそのまま書いていくとだいたい小説はつまらなくなるので、作家は面白くしたり何かしら読者に感動を与えようとするため、小説を「操作」するはずである。その時点で、それは「私小説」であろうとすでにフィクションであり虚構になってしまうのである。野口冨士男は小説に対して何か勘違いをしているのだろうか。あるいは、生前の秋声の生活を同時代で知っていて、さらに秋声のことを詳しく調べていくうちに事実と小説の感覚が麻痺し、秋声の小説を冷静に客観的に読むことができなくなってしまったのだろうか。それに「われわれ」というのはいったい誰のことをさすのだろうか。私小説を読むのに、その作品から作家の事実を想像したり、知っている事実と参照したりして楽しむのは勝手であるが、それを常識にされては一般読者としては困りものである。とにかく秋声の小説が傑作なのと、小説の内容が事実に即しているかどうかとは全く関係ないのは確かである。


   某月日― 0027 ―


   <<準備中>>


   某月日― 0028 ―


   某月日― 0029 ―


   某月日― 0030 ―

  某月日:[0001〜0010] [0011〜0020] [0021〜0030] [0031〜0040] [0041〜0050]  《TOP》