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   某月日― 0011 ―
  近くの区立図書館に行き、レファレンスコーナーに向かった。めったに利用したことはないが、そこにはいろいろな事典類・検索本や区内の図書館の蔵書を検索する端末が置いてある。2台ある端末は先客がいるので、席が空くまで文学関係の事典を取り出し徳田秋声の項目をながめる。
  『作家別参考文献事典』というなかなか頼りになりそうな事典がある。しかし、開いてみると徳田秋声のところに150件のリストはあるが、発表年が昭和40年までと古く、文学全集の解説か『講談社版』の全集に載っていたのとほとんど同じである。記憶にないのは
   徳田秋声「自画像・或る秋声論」(「新潮」昭和3年3月)
   O.P.Q「スナップ・ショット 徳田秋声」(「新潮」昭和5年6月)
   秋声・藤村「(座談会)人生と文芸を語る」(「新潮」昭和7年5月)
  ぐらいである。内容は面白そうなのであるが、残念ながら私にとっては簡単に読むことはできない。
 続いて、『現代文学大事典』『研究資料現代日本文学』『近代作家研究事典』『日本近代文学大事典』をざっと読み通す。内容はそれほど差は無い。秋声の簡単な年譜と代表作のモデルとその成立や内容紹介・作品評価である。私が知りたいのは作品自体の評価なのであるが、批評家が論じたがる自然主義・主観・客観がどうの、秋声の私生活・モデルがこうのというのは、私にとってどうでもいいことである。
  研究の指針として下山嬢子が、「文学史上、秋声をどのように位置付けるかについては、初期から晩年に至る膨大な量の作品年表を整備し、それらの作品を一つ一つ丹念に分析し積み重ねていく作業が不可欠であろう。」と述べているが、分析方法が問題であろう。
  参考文献として、
   野口冨士男『徳田秋声伝』(筑摩書房)
   饗庭孝男「虚構化された『私』」(「文学界」昭和53年1月)
   篠田一士「徳田秋声」(「すばる」昭和47年12月)
   小島信夫『私の作家評伝』(新潮社)
  が目新しい。一つ気になったのが、野口冨士男の「冨」の誤植(富)があまりにも多いことである。誤植しやすい文字なので筆者が原稿を編集者に渡すときにかなり注意するはずなのであるが、それにしても事典編集のプライドが無さ過ぎる。


   某月日― 0012 ―
  端末の席が空いたので早速座り、キーワードの「徳田秋声」を入力し検索する。
  システムが古いのかかなり時間がかかる。しばらくして、
   野口冨士男『徳田秋声伝』
   徳田秋声『日本の文学9・10』(中央公論社)
   徳田秋声『現代日本文学館8』(文藝春秋)
   徳田秋声『日本文学全集8』(集英社)
   徳田秋声『明治文学全集68』(筑摩書房)
   徳田秋声『現代日本文学全集10・63』(筑摩書房)[閉架書庫]
   徳田秋声『日本近代文学大系21』(角川書店)[閉架書庫]
  がリストアップされる。予想通り、戦前の秋声の単行本などは区立図書館にはない。閉架書庫は貸し出しできないので、それ以外の本をさがしにとりあえず日本文学の書架に行く。


   某月日― 0013 ―
  一つ目の通路の左には岩波書店の『日本古典文学大系』がずらりと並んでいる。右には別の出版社の古典シリーズ物が並んでいるが、その一番下の段に『国歌大観』という分厚い本が目にとまる。和歌集や日記・随筆から歌だけを集成したデータベースであるが、こういうものがあることを知ったのも、また見るのも今がはじめてである。索引編も同じ厚さであるが、ふと自分の田舎の近くの象潟(きさかた)というところが歌枕になっているのを思い出し、ためしに調べてみた。たくさんあったらどうしようかと思ったが、それほど多くなく二十数首程度である。源重之・能因・西行・西明寺などは現地で歌ったとおもわれるが、その他の歌人は歌枕として詠んでいるようである。
  ついでに反対側の岩波古典文学大系の索引で象潟を調べてみた。
  井原西鶴「名残りの友」、松尾芭蕉「おくの細道」、不玉編「継尾集」、服部土芳「三冊子」、建部綾足「紀行文」、上田秋成「雨月物語」、小林一茶「俳句集」などが、象潟のでてくる古典である。このなかで、他は想像できるのであるが「雨月物語」だけは一度目を通したことがあるはずなのに、まったく分からない。棚から「雨月物語」を取り出しページをめくると、


      白峰
  あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉見過ごしがたく、濱千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽の高嶺の煙、浮嶋がはら、清見が関、大磯小いその浦浦。むらさき艶ふ武蔵野の原塩竈の和たる朝げしき、象潟の蜑が笘や、佐野の舟梁、木曾の桟橋、心のとどまらぬかたぞなきに、猶西の国の歌枕見まほしとて、仁安三年の秋は、葭がちる難波を経て、須磨明石の浦ふく風を身にしめつも、行く行く讃岐の真尾坂の林といふにしばらくつゑを植む。草枕はるけき旅路の労にもあらで、観念修行の便せし庵なりけり。


  と、確かに最初の歌枕を並べているところに象潟がでてくる。高校の古文の授業のときだったので、私は居眠りでもしていたのかもしれない。それにしても、小学校の遠足の定番で行く、たくさんの小島が浮かぶ田圃や遠浅の海岸で夕日の奇麗な象潟が、千年数百年の時を隔てて古人に詠われ、こうして残っているということに、なにか感慨深いものを感じる。(《象潟と文学》)


   某月日― 0014 ―
  日本文学の二つ目の通路の棚には文学論・文学史・評伝関係の本が並んでいる。以前これといった目的もなく、加藤周一の『日本文学史序説』を読んだことはあるが、最後の近代文学あたりを軽く流しているというか、何か尻切れとんぼのような印象が残っている。そのせいでもないが、近代文学史は少し疎いので、近代文学の詳しい他の本を後で借りて 読むことにする。今はとりあえず『徳田秋声伝』をみつけるため、評伝の本が並んでいる棚を五十音順にながめているのだが、タ行のところにはない。誰かが借りているのか、あるいは別のところにあるのか、と棚の最上段からさがそうとしたら、なぜか『徳田秋声伝』は最上段の右端に、人目を避け目立たず、暗くいかにも重そうで、棚にしっかりと固定さ れている。しょうがないなあと思いながら、踏み台にのりそれを手に取ると、たしかに重い。ページをみると六百ページを超える大冊である。まあこれは借りて家でゆっくり読むことにしよう。三つ目の通路の文学全集の棚に、中央公論社版『日本の文学』の秋声の巻が二巻ともあったので、これも借りる。


   某月日― 0015 ―
  あと何か近代文学史の本を一冊借りるため、前の棚を眺める。一度読んだことのある加藤周一の『日本近代文学史序説』の下巻をぱらぱらと立ち読みをする。索引をみると徳田秋声は二ヶ所で取り上げられている。文学を通じて日本の土着世界観の構造を知ろうとする加藤周一は、国家社会の批判性が希薄で《naturalisme》の極めて狭い部分しか小説に取り入れなかった日本の「自然主義作家」たちに冷たい。小説内の出来事はレベルの高い社会組織とは何らのつながりもなく、登場人物の意思的または知的な活動の面は無視され、鮮やかな決断力や緻密な思考力を示すことはほとんど全くないと裁断し、その代表作として、花袋の『蒲団』、藤村の『新生』、泡鳴の『発展』に並んで秋声の『仮装人物』をあ げているが、活々と描かれている、といっているのがせめてもの救いか。別のところでは、藤村(『春』)や花袋(『田舎教師』)や秋声(『足迹』)や白鳥(『泥人形』)には、鴎外や漱石の場合とは異り、明治国家と自己を同定する傾向がなかった。しかし彼らには、国家、あるいは時代の社会の全体に対する「組織的考察」も批判も、なかった。いわゆる「自然 主義」の小説家たちは、彼らの知識人を代表していたのではなく、その世代の知的活動からの脱落者であったにすぎない。と手厳しい。
  ここで一つ気になることがある。『縮図』が全く無視されていることである。作品として詳しく述べているのは、漱石の『明暗』、有島武郎の『或る女』、荷風の『墨東綺譚』、谷崎の『細雪』、志賀直哉の『暗夜行路』、長塚節の『土』、中里介山の『大菩薩峠』、野上弥生子の『迷路』などであるが、『縮図』は全く触れられていない。軍国主義不在が そのまま軍国主義批判となって陸軍省から発禁処分を受けたのであれば、何かしら国家社会への批判性が存在するのではないかと思うのであるが、代表作にすらあげられていないというのは不思議である。


   某月日― 0016 ―
  タイトルにひかれて中村光夫の『近代の文学と文学者』を手に取る。目次をみて「文学とは何か」「自然科学と自然主義」「進化論の影響」など面白そうな題目があるので、かるく流し読みしてみるが、少し期待してしまった。表面的な事実や結果をデスマス調で説明しているだけでつまらない。文学作品に描かれた内容と社会を関連付けるのはいいのだが、文学の本質的な面白さは何も書かれていない。内容は忘れたが昔の文の方がましな気がする。この退屈さは本人も自覚しているようで、あとがきに見苦しい言い訳をかいている。徳田秋声を引用しているところをさがすと、四ヶ所のうち三ヶ所が「自然主義の主要な作家は、徳田秋声を例外として、みな詩人出身です」と、まったく同じ文である。普通こういう文のくり返しはしつこくなるので避けるのであるが、よほど秋声が詩人出身でないことにこだわりをもっているのだろう。ただ秋声ははじめのころに俳句は作っていたはずだが。もし自然主義作家と詩人にこだわりをもつのであれば、詩をかいた経験の有無で小説作品にどう影響するかきちんと論じてもらいたいものであるが、あるいは別なところですでに書いているのかもしれない。


   某月日― 0017 ―
  サイデンステッカーの『現代日本作家論』を見つける。サイデンステッカーはドナルド・キーンと並ぶ(かどうかわからない)日本文学研究者であるが、これまで彼の著作は読んだことがない。この本で取り上げられている九人の作家に秋声の名はないが、林芙美子の名があるので、この部分だけ読んでみる。ここでサイデンステッカーは、「戦後に活躍した 作家の中で、彼女ほど数多くの溌剌たる場面や生きた$l間の描写を私の記憶に残しているのは、他に見当たりそうもない」とかなり高い賛辞を延々とあれこれ書いていくが、最後の方になって、「といえども、不満の点がないわけではない。晩年の林芙美子には、又それなりの欠点があり、日本の女流作家のおちいり易いわな≠ノ導く底の欠点とは類 を異にするものながら、誇大な賛辞に走らぬためにも、これを無視するわけにはゆかない」と反省し、「林芙美子には、多くの点で、いい才能の持ち主が、たまたま師匠を選び損ねた、といった趣きがある」ともったいぶる。それで、ふむふむなになにと読みすすむと、「それは、すなわち、徳田秋声によせる親近感と尊敬の念だ」と断言する。つまり彼は、 「林芙美子の高い水準に達しない晩年の短篇(例として『水仙』)には、無意味で邪魔になりがちな過去の説明や要約的な描写の部分があり、その存在がより良い傑作への妨げになっている。この要約的な説明の箇所を読むと、おのずと徳田秋声からの影響が思い浮かぶ。たとえば秋声の『勲章』は全体がこの調子なのである」と欠点を指摘し、「林芙美子が、 日本の現代作家中、最高の模範として秋声をえらんだのは、いかにも残念だ。秋声も、見事な長所をもつ作家ではあろうが、何分重大な欠点があり、林芙美子は、まさに彼の欠点に影響されたらしく思われるのである」と不満をもらしている。それではと、サイデンステッカーの詳しい徳田秋声論≠読みたいと思うわけなのだが、ここで彼に「いまは、秋声の長所、欠点に立ちいって批評すべき場合ではない」といわれてしまう。ではいつになったら徳田秋声論≠書いてくれるのだろうか。たしか調べた参考文献のリストにサイデンステッカーの名はまだなかったはずだが。


   某月日― 0018 ―
  平野謙の『昭和文学史』がある。平野謙というとなんとなくマルクス主義的という印象があるのだが、と思いながらページをめくると確かに巻頭の写真や目次がマルクス主義的である。内容もほとんどプロレタリア文学が中心で、文学の本質を追求する記述がなく文学史としては偏りがあるような気がする。平野謙にとってはマルクス主義が文学の本質な のかもしれず、それはそれで一つの文学史であろう。とりあえず秋声に関して記述しているところをさがす。「暫定的な文芸復興期というエポックをこえた日本の近代小説全体の一達成点を示すもの」として、『暗夜行路』『夜明け前』『仮装人物』の三長篇について、前後のプロレタリア文学論の間で肩身のせまいおもいをしながら、すこし詳しく触れてい る部分がある。これが平野謙の純粋な文学に対しての一つの本音であろう。加藤周一は藤村について『新生』『春』を取り上げたのに対し、平野謙は『夜明け前』である。
  平野謙は『仮装人物』について、小林秀雄の批評を引用したあとに、菊池寛の『藤十郎の恋』と並べて「これは芸のための実験恋愛かもしれない」と述べ、「警戒心のなさから、つい落込んだ恋愛陥穽のやうな感じがない事もなかつた」「私が高く買つてゐた志賀直哉の『痴情』に対し、秋声は、不道徳だと非難し、君などは女に対する潔癖がないからこの 作に共鳴するのだ、と烈しい物の云ひで叱責された」という広津和郎の言葉をならべ、この作品は、老作家が、文壇にデビューするため彼をたよってきた文学少女と情痴的恋愛をすることにより、文学的にも若返りたい、という不自然な恋愛事件にほかならない、という。それに続いて伊藤整の『仮装人物』演技説に対し、「演技」を文学化した作品に人の心を打つリアリティなど生じようはずもない、と断言する。平野謙は、ここでマルクス主義とは離れて、『仮装人物』の作品を読むことにより、どのレベルまでの恋愛共感を覚えるのかを確認している。つまり、小林秀雄や菊池寛は秋声と同じような恋愛経験はしているが、志賀直哉や広津和郎および伊藤整はたぶんしていないだろう。そして自分自身はといえば、そのような真剣に没入した自己の激情の肯定から否定にまで至った恋愛経験をしているので、『仮装人物』を読んでふと感動してしまったと。ただ『縮図』については、体験と創造との微妙な相関関係を、『仮装人物』ほどよく表象している作品はめずらしい、と述べたあと、この自由無礙な作家的視点の定立が、最後の作、『縮図』の「荘厳な自然主義」にまで秋声を導いていったのである、とたった一行だけである。


   某月日― 0019 ―
  立ち読みをしていたら、図書館の閉館時間が近づいてきたので面倒くさくなり、なにか軽い画集か写真集を借りようとその棚に移動した。『太陽』の「『おくのほそ道』特集」が目に付いたので、それを借りて図書館を出た。


   某月日― 0020 ―
  アパートに戻り、とりあえず借りてきた『太陽』をぱらぱらとめくる。「おくのほそ道」の特集は、加藤楸邨が中尊寺を中心に松島から酒田・象潟までの「おくのほそ道」を吟行するというものである。写真を見てたらかなり古い雑誌のせいかページがぬけ落ちてきた。ちょうど見開きになっている「おくのほそ道」の行程の一部を絵図にした2ページ分である。誰かがこの絵図をコピーするため無理にはがしたのかもしれない。この絵図を見てふと高校のときを思い出した。友人が夏休みを利用し自転車で東北を一周したのであるが、「おくのほそ道」も少し回るぞとか言っていたので、たぶんこの絵図と同じ道を走ったのであろう。そのとき私は「おくのほそ道」より自転車によるツーリングのほうに興味があり参加したかったのであるが、準備不足などで行けなかった。結局友人は夏休みが過ぎても帰ってこず予定をオーバーして先生に怒られたのであるが、今の私だったら自転車よりバイクで行こうかなと思う。問題は二三週間の連続した休みと、バイクの購入資金である。大学最終学年の夏休みはもう終わったし、アルバイトの収入は学費に飛んでいくので、どちら にしろ実現は夢である。それよりも「おくのほそ道」に対しての興味がふつふつとわいてきてしまった。秋声についてわきはじめたばかりだというのに。

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