平成14年12月18日(水)〜
続短断長 平成14年 | |
11 月 |
19:45 2002/11/30 年末ジャンボ宝くじ、買ってきました。 仮に億が当たったとして、あんたんとこは危なそうだから別の銀行に預ける、と、人として言えるんでしょうか。 杞憂ですか (笑) 0:38 2002/11/25 ぐちを言うばかりでもと思い対案を考えてみました。 とにもかくにも借金漬け体質をまずなんとかしたい。景気もどうにかしなければならない。借金を返すには国家の儲けを多くするしかないわけでつまり税金というのが国家の稼ぎ口です。増税、しかも、景気浮揚。これを両立させる妙案があります。 消費税を持続的に上げていく、という方策です。 物価が低迷しているのがデフレですから、こうして疑似インフレを演出するのです。 半年ごとに1%ずつ上昇させる。いわゆる「ニッパチ」が商売がヒマになる時期ということから、三月頭、九月頭あたりがいいでしょうか。今は待てば待つほど商品の値段が下がるかもしれないので誰も急いでものを買おうとはしませんが、三月になったら、九月になったら確実に支払い負担が増えるとなれば、買いたいものは急いで買ってしまうという行動が期待できます。いわゆる「駆け込み需要」を恒例化する。 仮に景気が過熱してきたら次期消費税は据え置くまたは下げると予告して買い控えを促すという手もあります。つまり消費税率を公定歩合の如く使う。 景気とは心理戦です。常識とは逆のようで理外の理があるのでは。 その上、しだいに国庫もうるおうという一石二鳥。 借金体質は民選公務員である政治家と官選公務員である官僚が悪いわけですが、ということは、国民がいけないということとイコールです。政治家、官僚、そして国家にたかる、甘える、あるいは誘惑したり強請ったり脅したりまでする。払いたくないけどたくさん寄こせ。こうして財政を疲弊させてきたわけですし、こういうことを容認してきたという意味では、何もしなかった、政治に無関心というのも明らかに有罪です。 文字通り、国つまり私たちみんなの家のことなのですから。 【平静常民党 公約とスローガン】 ◎景気 のぼりゆく消費税が消費を喚起。→ デフレ脱却。 父母の過ちをつぐなおう。 ◎新税 所得税と宝くじの合体。 納税にささやかな夢もある。 ◎公務員改革 労働基本権を認める。→ 適正配置(リストラ)。 寄生虫は去れ。 ◎教育 金太郎飴はいらない。 やおよろずの子どもたち。 ◎安全保障 憲法改正。→ テロ国家と死を賭して対峙。 歴史にやり直しはない。 政権をとれるでしょうか (笑) もう少し練る必要はありそうですけどね。 すでに乱世。滅びようとしているのかもしれないのですから、このぐらいのことは当然だと思います。平和を愛する気持ちは大切と信じます、しかし、現実から目をそむけて夢想世界にすがるだけというのも悲惨ですよ。 12:51 2002/11/21 ああ、したい。したい。 PCゲームが。 しかしこれ、着手するとすぐ二三時間、もう少しと思うと六時間、ふらふらしてきたなと気がつくと十二時間はたってるという代物だから、平日はできない。 耐えて耐えて週末を待つ。 今月の家計簿で経常費以外に遣ったのは、水性ボールペン十本1575円のみ。 ほんと無駄金を遣わない体質になってきてるな。 不況というのもわかるような。 見栄や付き合いだけの出費をしたり、予定したものを見ただけの遠出をしたり、酒色というより要は愛想笑いに散財したり、すぐ要るというわけでもないものを買い溜めたり、上面だけ綺麗な新品に替えたがったり、果てはうまい話にほいほい乗ったり、そういうことに皆が染まっていくのが世の中の景気がよくなることだとしたら、本当にそれを望むべきなんだろうか。 「不況」という呼び方よりも、「平静」のほうが正しいのでは。 ああ、なるほど・・ 16:54 2002/11/15 人間て不思議ですよね。 七不思議の一つが言葉。 禽獣の鳴き声のようなものを元にして、口で発し、耳で受け、手で書いて、目で読むようになった。共通の決まり事があって初めて機能を十全に果たすから言葉で族ができる。 鼻で嗅いで、舌で舐めて、肌で感じる。こういう近接系のセンサーは言葉とはならなかった。だから族のような区分けはなくて根っこの辺りで繋がることができる。 族と族が遭遇して、理解しあえなくて気持ち悪くて、殺し合いになる。 根っこの辺りで繋がって、仲良くなれるのは、どちらかがどちらかを支配したあと。 言葉が戦争をする。 人が言葉をもつ限りは、絶えない。 だから、戦争を回避できるような人の叡智といわれるものへは、言葉からだけでは至ることができない。 よって、近接系が疎んじられ、退化していくなら、諍いは激化していく。 諍いをやり尽くして、族を統一すればいい。欧米人に顕著な、というか、近現代を貫くこういう行動原理がますます加速し圧倒する勢いで流域を広げていると感じます。 としても、統一は分裂を内包する。肥大は支えきれず崩壊拡散する。繰り返しであって、終わりではないはず。 言葉からだけでは至ることができない場所で折り合いをつけていく、という道筋は、人間でありすぎるうちは私たちは選べないのでしょう。ただ遠ざかっていく、それとも、いつかは歩めるのでしょうか。 輪廻と解脱、という把握はこういうことかも。 根っこの辺りが夢みている。 5:18 2002/11/10 真人間になろう、と数日思ったのです。 が、真人間にだけはなるまいと数十年生きてきたような節が振り返ると私の航跡にはあって、針路変更というのは今さら無理だな、と思い直しました。打った手を無駄にしない、という格言が将棋にもあり、さまざまな堕落群をいっときの気分で全否定することもないか、と。 ということで、変わりばえのしない毎日を続けそうです。 真人間の夢を見ている最中、マンションを買うことを考えまして、なにが一番大切かと考えを進めていくと、嫁さんよりも通信環境でした。高い買い物なのだから光通信が備わっていないマンションなどクズだな、と思いました。逆に言えば、安定して強力な素晴らしい通信環境さえととのうなら、少々狭くても汚くても満足できそうです。 真人間の夢を見ている最中、ついでに嫁さんのことも考えたんですけどね、楽しいことは少ししか浮かばず、あとはあまりに面倒が多すぎて、スーパーで売ったり買ったりできないものかと願いました。 生まれてくるのが二三百年早かったようです。 ということで、真人間は想像だけで疲れてしまいました。 2:54 2002/11/05 コンビニの店内に流れていたピアノ曲、そのある瞬間に、秘孔を突かれ、なにかなつかしさのようなもので涙ぐみそうになりました。 仕事は言うに及ばず、主にHTMLいじりである移転準備、PCゲームは休戦協定など口だけの殺るかやられるかの果てしない応酬、こういうことばかりだったので、乾ききっていたのか、と思いました。 やけに寒いですね。 炬燵を設営しました。 夏場は座卓としているこの炬燵、思えば長いつきあいです。実家で親が私の部屋にもってきたとき以来でしょうから、三十年にはなります。炬燵ヒューズは二年に一度は交換し、禿げたコードもどこかで買い直し、それでも機能としては元気です。 現在初号機ディスプレイの載っている卓袱台もその辺り。中学生か高校生のころ踏み台に使って脚を折ってしまい、自分でヒゴを埋め込んで修理したりしました。 初号機本体の載っている文机は子供のころの勉強机で、大正時代に祖母が親に買ってもらったという言い伝えです。わが一族に加わって八十年でしょうか。 たしかに堕落はしているもようです。 私なりに努力を積み重ねてはきたんですが、世間的には苦労知らずの部類かもしれません。 子供のころの夢は、不老不死とやすらぎです。 道半ば。 |
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続短断長 平成14年 |