平成10年2月10日(火)〜

缺けてゆく夜空 その一 間宮

8 荻原佳子



 
 それは、荻原佳子といい、二課に在籍する女子アルバイトだった。
 普通の不良ナオ君が言うところの、相当な不良、かどうか知らないが、荻原さんはやはりどこかしら変だった。異様な発言、挙動があるという意味とは違う。むしろそれがなさ過ぎるところが並ではない娘だった。たぶんみめかたちでもない。しいて言えば「在り様」が特異だった。
 まず出てくる時間が遅い。もう遅刻とは言えない。二課も工場全体も八時に鐘が鳴る。アルバイトやパートは人によっては一時間遅れの九時始まりの契約もある。が、荻原さんは早くても十時半か十一時、たいていは昼過ぎに出てくる。もともとそういう約束だったとは思えない。荻原さんには時間に遅れるとかチコクとかの意識がきれいになくて、会社の時間に合わせるという習性もなく、自分の起きた時間から出社時間が導かれるらしく見えた。そして、毎日出てくるわけではない。三日に一度は休む何曜日は休むなどの規則性もない。何日も続けて出てきたり、ずっと来なかったり、週二三回程度を維持したり、つまりでたらめだった。
 間宮は当初、なんという不真面目な女だ、すぐ辞めてしまうだろう、と思った。職場のおまけでしかない。むしろなんで辞めさせないのか不可解だった。ダジャレ上司の愛人なのかとまで疑った。アルバイトが大幅な遅刻をすることはままある。でも、さすがに頭ぐらい下げるだろう。彼女が今日出てくるか、何時に出てくるか、社員にも誰にもわからない。間違いないのは、朝から出ることがないというだけで、あとは「ふい」に出勤してくる。荻原さんはこの域に達していた。だからこれは意欲の炎が消えつつあるときの終末的現象、と間宮は解釈した。的外れだった。
 いつのまにか出てくる。というのも、挨拶をしない。おはようございますにしろ、おつかれさまにしろ、彼女のそういう言葉を聞いたことがない(昼過ぎに出てきてなんと言うべきか間宮も悩むけれど)。おそろしく無口だった。背中の方で、作業室のドアロックが開錠され、何かがすっと動く気配がして、一つ間をおき、がちゃんとタイムカードが鳴る。ああ、荻原さんだ、と思う。それから彼女は、ダジャレ好きの上司のときも計良班長になってもとにかくバイトを統括することになっている人の近くへ行き、何をしましょうかという「ようす」をするのだ。そして、言いつけられた仕事をそのまま始める。職場に対する挨拶がないと同様、間宮や他のアルバイトに対する二言三言のことばや、目のしぐさによるそれもない。つまり、人の目を見ない。朝からいた人がトイレから帰ってきただけのふうに何らとまどいも無く仕事を始める。
 女子アルバイトや櫛田みさとはいくらかなら気脈の通ずるところはあるようだし、休み時間は話の輪の外れあたりに座っていることもあったようだ。が、一般社員でもアルバイトでも男たちとは、ずっと、一切を無視し合う形だった。作業と作業にはざかいができると机につっぷして眠っている。少なくともそういう姿勢をしている。二人でする仕事の一方となって、言葉を交わす必要のあるとき(間宮などはあやすように「です調」を使うのだが)、荻原さんは低い声で「はい」と「ええ」を短く答え、余計な文句も語尾も加えない。「いいえ」または「わからない」を言いたいときはどうやら首を斜め前に少し倒してそれに代える。はじめこれが分からなくて行き違いになり、きつい語で怒ってしまったことがあった。人とそういう最小限のやり取りをするときも、目は机の上やあらぬ方を向いている。例えばあの上司がしようのないダジャレを言って、室内が笑うときでも、荻原さんは声だけはもらさない。笑ったのかなという口もとが見えるだけだ。何を考えているのか、どういう育ちなのか、得体の知れない娘だった。どうしても忙しく、猫の手でもいいと、彼女の家へ課長が電話をしたことがあった。が、課長が言うには、母親らしい人が出て昨日から帰っていませんと答えた。
 細かい作業や誤りの許されない大切な記入は荻原さんに任せられない、人がいなくて彼女がしているときは、大丈夫かな、言いつけたのは俺じゃないから知らないけど、そういう空気があった。確かに、たまに、やっぱり荻原さんだと思わせる大間違いをやらかす。社員やアルバイトが大あわてでやり直したり、ひっくり返したりしているとき、彼女は真っ赤になって、すみませんという「ようす」をしている。が、普段は可もなく不可もなく、出ている間は、与えられた仕事を普通に済ましていたはずで、課の空気ほどは不出来ではないのが本当のところだと、間宮は、いつからかしだいに気付いた。
 荻原さんの字は、漢字もかなも数字も子供じみていて、きりっとしたところがなかった。が、誤字や計算違いというのは思っているほど多くないのが、やはり本当のところだった。
 もしかしたら、まともに出社し、やる気さえあれば、十分普通だ、とまでは、皆は思い始めていたのではないか。荻原さんから近づいてこないから、自然冷遇するふうができたが、いいかげんさではやはり並ではないところだったので、たいていは許してしまう社員、アルバイトが多かったので(間宮みたいなのばかりでは無理だっただろうが)、何かきっかけさえあればよく、仲間にしてあげないという不動の理由などない、そういうことにいつからか気付き始めたのではないか。間宮がそう気付くくらいなら。
 「すぐ辞めてしまう」ことはなかった。荻原さんはこういう在り様でずうっと続いていた。実際、どのくらいか知らないが間宮よりも前からいたのだ。そして、彼女の側に辞めたくない何か理由や目的があるにせよないにせよ、それとは別に、まわりが彼女を本当には辞めさせようとはしなかった。公の場という建前からすれば彼女は不真面目で不出来で協調性がなく課や職場のひいては社会の落ちこぼれということになっていた。無力なアルバイトはこういう場合首を切られるのが道理だ。が、無視するとか叱るとかいうあらわれでにしろ、二課は彼女の在り様を受け入れていた。そういうようになってしまっていた。職場のおまけとして。いつのまにか、彼女は二課に欠くことのできない、受け入れてあげたい個性的な登場人物になっていた。年配の社員の中でも「今日は荻原さん出てくるかな」「昼になっても来ないから今日は来ないだろうよ」という会話が気がつくと成立していた。日々におけるこのお姫さまの出現を、男たちは内心期待していた、のかもしれない。繰り返し言うけれど、彼女の容姿ではない、以上のような在り様がお姫さまなのだ。
 これは間宮の入る前からだったのか。こういう風に変化したので間宮が気がついたのか。どうもはっきりしない。それほど間宮の意識から落ちている人だった、荻原さんは。
 社風というものがある。間宮の前の会社は前述の如く中規模法経出版社でありそれなりを集めたつもりで少数精鋭などが言われた。所属した営業内務部門で言えば、一円の不一致、一パーセントの回収率も曖昧にされなかった。遅刻などすれば同部門三四十名用の古文書みたいな事故簿に署名するのだが、三年で頁の片面すら埋まらない。無断欠勤は懲戒免職。どっぷり染まっていた間宮には、新しい職場がしばらく理解できなかった。荻原さんだったら三日の在籍も許されはしない。つまり間宮にとっては、存在しない娘、ということになる。一方、このバイト先はかなり大手のメーカーであり、多くの部分に余裕も遊びもあり、頭使いより物作りの人たちの会社であって、比べればおおらかなところがあった。間宮はいいかげんと言うけれど。朝一番の社歌やラジオ体操はよしてくれないかなという感じだけれど。
 初めから溶け込める人は少ない。荻原さんはきっと、それが普通以上に長いというだけの人だった。この職場だったから、性急に排除されることもなかった。それは、洗脳されておりかつ鈍感な間宮が目覚めるまで以上に、長く、ということにもなる。
 うまいたとえとは言いがたいが、書くと、いつもそばを歩いていたり時には座ったすぐ隣にあったのに気づかなかった雑草に、ある日地味だけど花が咲いている。気づいた誰かが別の誰かにほらと指さして、いつか、何人もの間で認知された。でも雑草は、それだけで、地味な花はまたしぼむだろうし、薔薇や牡丹にはなれない。きっちり掃除をしましょうということになったら真っ先に引っこ抜かれてしまう。でもそれまでなら、雑草でもいいか、好きにさせといてあげようか、と住人は見守ることにした。見たことのない草だから、ちゃんとした実を付けないとは、言えないわけだし。
 だから、間宮が遅れて気付いたときにはもうそういうことになっていた、が真相でいいかもしれない。間宮が「課の空気」と思ったのは、間宮の頭の中だけのカスミであった、ということだってありそうだ。しかし、これは話し合ったことではないので、間宮がそうなったので、皆も気付いていたのだと間宮が勘違いした、−−という可能性も残しておこう。
 ナオ君が不良云々と言ったのは、その姿かたちからの思い込みではないのか。
 荻原さんの、多目で肩よりも下に垂れさがる髪は、ぽさっとしていて、光沢は全くなかった。下の方三分の一を染めてか脱色してか薄茶色にしていた。この髪型は不変だった。
 顔は、髪の陰であることが多いためよく見えないが、日焼けしてるか地黒かで、彫りの深くない、地蔵さまのおもむきがあった。口が少し横に長く、ひとえの目と目立たない鼻。つまり化粧はまるでしていないどこか眠たそうな素顔。これでいつも出てきた。
 黒のロングスカートをはいてくると排他的な冷厳なこれはまさにスケ番の参謀という感じにも見え、白いチノパン風のときはほっそりとしてりりしくあるいは敏捷性があるかに思える。暑い日で、極端に短いフレアスカートのときは、その尻やももに、目をやるたび胸が脈打つまるみもあった(この日は間宮もちょっと驚いた、覚醒はこれか)。アルバイト女子は黄色い上着に黄色い丸い名札で、ここは没個性でしょうがない。それなりに似合っていた。サイズも合っていた。胸が大きい、という特徴はない。
 もの言わぬ人でも、おしゃれなどのセンスは、人並みかそれ以上はあったのではないか。女性の場合、口よりも服や装飾品で何かを言いたがっているときがあるのではないか。自分は発言していると思っているときが。残念ながら、間宮はそれまでそういうことにからっきしと言っていいぐらい、うとい男だった。荻原さん自体を見ることにも気づいていなかったのだから、そういうメッセージもどういう人だったかも、これ以前は(夏になる前は)ほとんどわからない。ただ、かろうじて言えるのは、スカートなどいつも違えるかと思えば、いつでも同じだということもあったこと。春にしては冷え込んだなと思う日に突然ミニに素脚の寒そうな格好でしばらくぶりにやってきたり、急に光りもので賑やかにめかしこんだり、洗濯してないかぞうきんの一歩手前みたいのを着けてきたり。だけれどどのときも、ひとりで、浮いていて、結局は黙々、早いということもない手を動かしていたこと。そして、ずいぶんと波長の狂ってる娘だ、というおぼろな印象か。
 腕は細い。指輪やブレスレットをつけてくることがある。荻原さんの桜色のマニキュアはよく目に入った。そこだけを見れば、他の女子より派手なのだけれど。
 こういうことをふまえて簡単に弁護して、大きな心で見てあげれば、意外といい子なのではないか、最近は笑顔も見かけるし、とほめたが、ナオ君はいこじなナマコみたいに首を振っていた。

 現在の話になる。
 公園に新聞を読みにいった。学校は春休みだった。バトミントンをしていた。何人かでボールを追いかけていた。脚の細い長い都会の少年少女たちが、筆者の座るベンチの前の広場で跳ね回っていた。相手は弟らしいがバトミントンをしてる三つ編みの少女など、もう恥じらいを知るころで、なかなか美人でまぶしかった。花はまだで、依然冬の名残りのある薄日の日だった。
 手頃なベンチを見つけそこに向かうときにはもう気付いていた。おかっぱでまぶたのはれぼったい細い目の幼女が、小学二三年生ぐらいだろうが、しゃがんでいる。一人で、にぶいもっさりした動きで、お菓子をつぶし無表情に鳩に餌をやっていた。余裕のある家の子ではなさそうだった。オレンジのダウンベストはひどく褪色してなのかほこりっぽいのか、ほとんど古くさいちゃんちゃんこだった。何十羽と集まる鳩たちに、心では何か話していたかもしれないが、筆者には聞こえなかった。新聞紙を少しよけて、何度も目をやった。
 その子だけが、不思議なぐらい、いたいけに見えた。ベンチにすわり空を見て、鳩に食べさせているものを自分でもぐもぐしている。いつまでも餌をやっていたのではない。両脇の支えをつかんで足で樽を回すという遊具がある。オレンジを着ていたから遠目でもすぐその子とわかったのだが、この上でとんとんしながら広場をただ見ていた。知った顔、友だちでも来ないかなと、当てなく待っている、そういう哀切な景色だった。
 男はこういうときに人さらいになる、そんな気がして怖かった。
(彼女は私だった。自分の孤独の投影をまのあたりにしたため、ということで納得してみようか。これもつらいが、まだ何か足りないという気がする)。
 目もとぱっちり、歯が白く、きびきびしている、清潔である、そういうカレーのCMに出てくるみたいな子供がマルである。どこかが足りない子供はバツである。どこもだめなら重い重いバツである。−−私たちは、小さい頃から、テレビや漫画に刷り込まれ、いじめや大人の態度やらで鍛えられ、こういう美醜の常識を身に付ける。そしてもう心が容易に変異しなくなる頃には、立派な偏見に満ち満ちた成熟人間となって、この女はマル、この男はバツと選別し、次の幼い命を育てることになる。
 わたしは基準に達していない、うちの子はこことここが不備だ、それだけでもう世界が終わりと感じ病院に行ったり刃物を振り回したりする。あなたのことですよ。筆者のことでもある。
 だけれども、それだけでないことを、実はだれもが知っている。正確に言えば、知っていたことを思い出させられる。オレンジのダウンベストの子を見たときの筆者のように。
 科学的ではないとは思うが、テレビや漫画にしっかり刷り込まれるよりも前に、消しがたい思い出をもう持っていたのではないか。初めて見た隣の家の女の子に似ていたとか。筆者の場合ならあの子はちびの頃の上の妹に似ていた。もっと前かもしれない。父や母の記憶、それ以前の記憶。祖父の祖父の祖父あたりはもう間違いなく地面に頭をこすりつけていたはずで、汗みどろで喉をひりつかせながらすじばったからだを酷使していただろう。畦道では、ぼろやよくてちゃんちゃんこ、たいていは裸同然のガキ共が垢だらけで洟垂らしてのろのろ遊んでいる。風が吹けば乾いた髪が一緒に飛び散ろうとし、えへえへ笑う。いいことがあると、みんなでわらべ歌でも唱えただろうか。子供はたくさんいたけれど育たない。ちゃんちゃんこを着せられるぐらいまで行っても、はやり病や、食べさせられないとかで、死なせてしまう。おじいさんは、働き詰めで死ぬとき、ばあさんやどうにか育ち上がった息子の将来よりも、何十年も前に死なせてしまったそういう幼い子供に逢えると思うと、なんだかうれしうなって目をつむったのではないか。
 私たちは、百点満点の子供かそれに近いと、このカレーは悪くなさそうだと感じ、元気に公園で遊んでいれば幸福の情景を写真に撮りたいとか思う。が、その程度だ。
 おじいさんの遠い孫であり、記憶の断片の継承者が、死なせた子の生まれ代わりとついに、再会すると、手を引いていきたくなる。

 




[8 荻原佳子 了]




戻る

次へ

目次へ

扉へ