平成10年3月28日(土)〜

缺けてゆく夜空 その二 佳子さん

10 八月三日(1)



 
 午前零時と一時の間あたり、間宮の部屋に三人が到着した。
 ふだん机にしている裸の炬燵と炬燵板を六畳に据え、つまみ飲み物類をその上に広げた。
 佳子さんとナオ君はそれぞれ一辺につき、畳に敷いてある薄べりに後ろ手をついたりして、くつろいだ。
「間宮さんの部屋って、……なんて言うか、必要なものしかないのね」
 南西の角の大正生まれの座机は小さなものなので上には本立、辞書と電話だけ。秋葉原で買ったばかりのテレビはそれを梱包していた箱に載せてあった。卓袱台の方は、冊子カレンダーやヘアトニックや小物、本で、山盛りではないが面は埋まっていた。卓袱台の隣にキャスター(車輪付きチェスト。中身は工具、文具、家計簿関連、金など)がある。また隣、北西の角には、大きな段ボール箱があり、原稿類と本の保管庫という位置づけだが中はまだほとんど空洞だった。この上は本立。この大きな段ボール箱の対角の位置になるが、ワイシャツ靴下下着類は引っ越しに持ってきた段ボール箱をそのまま入れ物にしていて隅で口を開けていた。夜の電灯だから気づかないだろうが、壁際は綿ぼこりだらけである。
 平面図で言えば、路地に向く西の窓、西の壁に沿って南から、座机、隙間があってテレビ、卓袱台、キャスター、大きな段ボール箱という並びで、反対側、窓のない東の壁の南隅に衣類箱ということになる。窓は南にもあり、これは大家さんの家の中庭に面している。窓はともに薄桃色のカーテンだった(衣服持ち物に黒、青、緑が多い。色のバランスをとる意味と、ピンクは精神を落ち着かせると聞きかじっての選択)。風を通すため窓は六畳と台所のをどれも少しずつあけた。テレビが来てから、その正面に炬燵机を出すので、それは六畳の真ん中より南寄りになる。
 壁には黒ビニール覆いのままの背広などが二三さがっていた。椅子の背には冬のジャンパー。佳子さんが言うように、装飾的なもの、記念品とも言えるものは皆無に近い。本は趣味的なものとみなすのが公平だろうが、そうは見ない人が彼女に限らず多いらしい。
 間宮は話が一段落すると、どうせまだ寝る気ないんだろ、と言い、ページワンをやろうと提案した。二人ともルールを知らなかったから、手ほどきをしながら、始めた。
 好評だった。
 四時近くまで続いた。
 佳子さんは、よくトイレへ行く。膀胱炎を一週間前やった、と自分で言っていた。
 彼らのはしゃぎ声が高く、間宮はひやひやした。おさえておさえて、と両手で示した。それでもまだ、アパートの住人に迷惑だったかもしれないが、半年に一度くらいはと心中頭を下げた。
 ナオ君が眠りそうになった。横になってそのまま行くと思われたので、間宮は佳子さんに手伝ってもらい、上のものを片付け、炬燵板、炬燵を台所に移動して立てかけた。
 ナオ君には茶の毛布を放り、佳子さんには赤だいだいの毛布を渡した。
 三人でざこ寝をした。間宮は草色の袖つきの毛布を腹にかけた。当初の並びは台所に近い北側から間宮、ナオ君、佳子さんだった。互いに寝かせまいとちょっかいを出し合い、またはじゃれ合う。
 ナオ君は上半身裸で、佳子さんを叩いたりつねったりしており、彼ら、ややまずい気がして、間宮は眠れなかった。けものに近い嫉妬だろう。寝てしまってはいけない。起きていることを相手に教えるため、そして相手が寝てしまったか確かめたいため、つついたり話しかけたりし、相手も眠れない。一つとしては、自分の部屋でそれもすぐ隣で、目つけた女と友とはいえナオ君がいたすのは断じて許せぬ、ということもあったが、寝たふりをして好きなことさせ、それも僕の経験の一つ、という思惑も疲れていた意識をよぎっていた。どちらにしろ眠れない。
 佳子さんの甘えるふうのしだいに喉をよじるふうの声、かわいらしく、色っぽく、耳に染みて残った。
 そのうちおとなしくなったのでナオ君は少し眠ったかもしれない。間宮、佳子さんは眠らず、その時はもう三角形みたいな並びに乱れていたので、頭と頭を近づけ、まぶた閉じて二人静かに話をしていた。
 間宮はお化けの話をした。天井を突然走るネズミの足音を怖がる。あれはなんかの幽霊なんだ、と教えた。螢光灯は豆球にしてあるので、壁にかけてあるレインコートの長い影も気味悪がる。二階でばたばたいう足音、という実にこわい怪談を一つ(旅館のおかみは顔面蒼白になり、去年あの部屋で、若い母親がおさな子の首を絞めたのですと打ち明ける結末)、上出来の語りでできて、やめてもうやめてと言わせた。
 と、ナオ君がとぼけた評をはさむ。
 いつか雀たちが鳴いていた。それからも、誰も熟睡はできなかったはずだ。薄ぼんやりした浅い眠りのまま、外は明るくなっていった。
 朝、佳子さんが家へ電話をした。五時十五分歯医者の予定があるというのだけ聞こえた。はじめは「電話かける暇なくて」と言い訳するため、公衆電話が好都合なんだけどと間宮に相談したが、結局、そうした。電話の向こうから怒られている様子はなかった。
 その後も三四本掛けて、四日の海行き(御宿)のことなどを友だちと決めている。
 たいして区切り目もなく三人転がっていたけれど、ナオ君が朝の散歩に行くと言って部屋を出た。戻ってくると、また寝る。
 佳子さんがテレビをつけ、そのあとつけっぱなしで彼女は目つぶり横になった。赤だいだいの毛布にくるまり、音だけ聞いていた。
 間宮もそうしていた。
 佳子さんが顔を洗う。持参のブラシで歯を磨く。間宮も洗い、磨いた。毛布を押入に片付けた。佳子さんが皆の毛布を畳むので、いいからと言ったが、そうさせた。誰がどの毛布、どのタオルという振り分けができていったが、これはその最初の日だった。
 ここにある唯一の鏡である、縦長の吊り下げてあるやつを柱からはずして、ちょっと磨き、佳子さんに渡した。丁寧に場所をあけた卓袱台の上で、これを壁に立てかけて、少しの間だけ、使っていた。
 炬燵机を出し、間宮は渋ーい茶を用意した。
 佳子さんと話していたが、ナオ君を起こし、ページワンの第二ラウンドを始めた。八時か九時頃から十二時ぐらいまで。
 昨夜のボーリングの三回目もそうだったが、この第二ラウンドも、佳子さんがどうしてもしたいと言って始まった。とにかく、こういう体力はある娘だった。間宮はからだはもう降参状態だった。
 何も食べない昼過ぎから、主に佳子さんと間宮で、心中、殺人、自殺、死、大学、そんなことを軸に、つながるにまかせた広い話題で話した。地元のこと、二人の過去のことなども。
 間宮とナオ君が両側から、暑い暑いと言う佳子さんをうちわであおぎ、
「佳子さんはフツウじゃない」
 とか、
「仏様か観音様に似てる」(間宮)
「ハニワに似てる」(ナオ君)
 とか言った。
 途中、佳子さんがお漏らしをした。
「これおしっこじゃないよ。間宮さん、濡れてるけど汗だからね」
「いいよ、気にすんな」
 トイレへ行った。
 不眠でお腹すいてて、でも、元気に話しているとき、佳子さんはとりわけきれいだし、生き生きとしていた。ひとみも表情も、しぐさも。キクキクした女性らしさ、あるいは若さそのもの、あるいは独立した情念そのまま。

 好きな人と心中したい。
 好きな人に殺されるなら、幸せ。
 一番やすまるのは好きな人のそば。
 忘れたら、カラッと忘れる。(間宮は、忘れきれず重なっていくと言う)
 好きになったときに覚悟する。(間宮は好きになってから覚悟する、と言う)
 失恋のとき、けじめをつけなければだめ。喧嘩別れしないと、別れた気しない。
 重いのはいや、軽いのが好き。重さには耐えられない。(と、これは何度も)
 刺激が欲しいとも言った。(もしかしたら、これはナオ君の言葉)
 何日か前に、首のつぼを押さえて深呼吸を二十回するという自殺法を、友だちに押さえてもらってやったけど死ねなかった。死にたい理由はなくて。
 やっぱり手加減、するのかしらね。

 ページワンというのは、トランプの遊び方の一種である。以下説明するが、興味のない方は読みとばしていただいて構わない。何度も皆さんを悩ましている余分な無駄話がまた一つ加わるのみで、本筋とはからまない、と思う。−−もし興味のある方なら、以下を理解してくれれば筆者が直接手ほどきしなくとも遊ぶことができるだろう。以下の通りでなくても応用して、変化させたり別のルールを加えても面白いと思う。自分の前から知っているルールでしかする気がしないという方はせんかたないけれど。
 使用札はジョーカーを含む五十三枚。よくシャッフルして各人に同じ枚数の手札を配る。普通四枚ずつ配るが、三枚でも五枚でもあまり関係がない。また人数も二人以上なら七八人いても大丈夫である。手札は人に見せない。残った札は積み重ね裏を上にして山札とし、場に置く。最初の人が(一番最初の回はじゃんけんなどで決めればいいが、あとは前回の勝者が)山札の最上の一枚を隣に、表に返して置く。ここまでで準備が終わる。
 最初に表に返された一枚を台札と言うが、台札はルールによって次々替わっていく。
 つまり、最初の人は、自分の手札を見て、台札と同じスート(標別。スペードハートダイヤクラブのこと)か、または、同じ数字の札があれば、このうち一枚だけ出して台札の上に表向きに重ね、これが新たな台札となる。もし、同じスートも数字もなければ山札から人に見えないよう一枚引いて手に加えなければならない。
 次の人(基本は時計の反対回り)も同様に、同じスートか同じ数字があれば手札から一枚出し、なければ山札から一枚引く。こうして各人が同一原則で繰り返して、順に巡っていくが、常に一番上の札が最新の台札として意味を持ち、重ねられた時点で古い台札は意味を失う(後述する例外はあり)。普通、同じ数字で重ねられるまでは、同じスートを皆が出していくという展開になる。
 勝ち負けは、最初に出し切って手札がなくなった者が勝ちであり、誰かがなくなった時点で他は皆負けとなる。−−ただし、手札が二枚の者が、そのうち一枚を出し、手札があと一枚になった瞬間、その人は「ページワン」と宣言しなければならない。これはこのゲームの名前にもなっている大切な取り決めである。
 「ページワン」発声を忘れる、次の人が引くか捨てるかしてから発声する、などは反則となり、罰として、すぐ山札から一枚引かなければならない。その他、スートを間違える、数字を間違える、順番を間違える、他人の正しい行為を間違いと指摘するなど、みな反則扱いで、罰札一枚を引く。手札から出せるのに、わざと出さず、山札を引くのは反則ではない。戦術として少なからず行われる。
 もし山札全部を使い切っても勝者が出ないときは、最新の台札だけは残し、下の古い台札をシャッフルして新たな山札とする。
 手札が多いときは台札と連絡するものがある確率が高いので減りやすい。当然手札が少なくなってくれば、出せる確率は落ちる。これは増えやすくなるということと同じ。最初に配る枚数は、三枚でも五枚でもあまり関係がない、と述べたのはこの理屈による。二枚一枚になると台札に重ねられるつまり手札を減らせる機会は相当に少なく、もし幸運にもそうできるなら、それで勝てる、ほぼ勝てるということになるので、興奮、緊張は非常に高まって、そのために、つい「ページワン」発声を忘れたりつまらないミスが出て、チャンスは水の泡、というのがこの遊びの隠し味であるし、面白いところ。また、だからこそミスらないように、人のミスは逃さないようにと集中力が生まれ、飽きも来ないと言えそうだ。
 以上ここまでは、全国どこでもたいてい同じではないかと思う。(念のため百科事典を見てみたら、ここまででもう、だいぶ違う。よって、千葉あたりでは、と訂正しよう)。
 始めはこの段階で数回、実際にプレイしてみて基本を教えてから、やや複雑なルールの説明に進むとよい。−−つまり、いくつか役カードがある。あるけれども、何をどのような役カードとするかは、各地各所各人でまちまちと思う。以下は、千葉のそれも、間宮、五浪の友人、ブラジルフィアンセの友人の間だけのルールとなる。
 役カードは、J、8、4、2、A、スペードQジョーカーである。スペードQジョーカー以外は、どのスートでもいいので四枚ずつあることになる。
 【J(ジャック)】 一周回し。これは同じ人が二回続けてできるのと同じことになる。Jを捨てて、また自分の番となり、続くものがないので、山から引く、というように。が、お気づきと思うが、ハートJハート3と持っていれば、二枚一緒に捨てられるし、ハートJダイヤJスペードJクラブJクラブ6などと持っていれば五枚を一度に捨てられる。まだ先が長いと思わせ他を油断させるという作戦を取れるわけだし、なにより、五枚一度など、これができたときは胸がすく思いがする。ただ、Jがらみでいっぺんに上がってしまう場合も、全部まとめて放り出して「ページワンロン(ページワン、続けて上がり)」と発声すると反則で、最後の一枚だけは残してページワンを言ってから、出して、上がる。
 【8】 色替え。正確に言えば「スート替え」で、8が出せたらその人は次からのスートをどれでも指定する権利を持つ。スート変更をしなくてもいい。次の人は、指定されたスートか8しか出せない。8が出されたのに、スート指定が宣言されないうちに次の人が札を重ねると反則となる。が、指定されたスートがその早まって出された札に合致するなら反則は消えるから、よほどの理由がない限り別のスートを選んで意地悪をする。
 【4】 逆回り。最初は時計の反対回りから始まるが、4が出されると時計回りになり、これは次に4が出されるまで変わらない。一ゲームの間に、回り方がたびたび変わり、あとに述べるAなどで一人とばしなどもされるので、これをちゃんと把握していないと、非常に反則を犯しやすい。4が出て逆回りになった直後の順番の人はすぐ行為をせず、瞬間待つのが常識。逆回りにならなければ順番だった人が、誤って行為をしないか見るため。
 【2】 これを出せれば次の人に二枚引かせることができる。出された次の人は、原則として、たとえ手札に同じスートを持っていてもそれは出せず、山札から二枚引くことを強制される。
 【A(エース)】 一人とばしで、二枚引かせる。2と同様、後に述べる回避ができなければ引かなければならない。
 【スペードQ(スペードのクイーン)】 次の人に五枚引かせる。2、Aの強力版ということ。
 【ジョーカー(ババとか言う)】 2、A、スペードQの無効化。
 2、A、スペードQは強制力があるうちはすべて連動する。つまり原則から行けばハート2の次にクラブAは出せないが、これら強制カード(=何枚か引かせるという役カード)はみな同類とみなして役が生きているうちは重ねることができ、重ねられる札が出せるうちはそれが強制する枚数を引く必要はない(回避と言う)。そして、手札に強制カードがない人に順番が巡ってきたら、今まで回避されてきた強制数の合計を山札から引かなければならない。例えば、クラブ2ハート2クラブAダイヤ2スペードQと回避されてきたものがその人で回避できないなら、その人は十三枚引く義務がある。誰かがこれを引いて強制力が解消されたあとは(たらい回しの末の雪だるま債務を払わされたというのに似ている)、また通常の原則に戻る。おおむね、十三枚など引かされれば、そのゲームに勝つ望みはなくなるし、後述する点数計算の際など、悲しい数字を作るであろう。よって、強制力連動が始まったときこれを極力回避したいがため、2、A、スペードQなどを手札にためこむことになり、自然、叩き合いとなれば悲劇が拡大する。
 ジョーカーは、この強制力を回避するもう一つの方法となる。何枚の強制が積算されていようとこれを出せばすべて消え、回避できる。強制力連動も終わる。ただし、ジョーカーはこの強制力解消回避の場合にしか使えない。まさかのときのための大変たのもしい切り札であると同時に、お荷物にもなりえる。
 強制力が消えたあと、次の人は2とAにはまた同じスートか同じ数字で重ねることになるが(もちろん同じ数字が重なれば別の新たな強制力連動が始まる)、スペードQジョーカーの場合だけは、次の人(何枚も引かされた人かジョーカーを出した人の、次の人)は何を出してもいい。(そこで、この人がもうあと一枚しか手札に持っていない場合だと、一〇〇パーセント上がらせてしまうことになるので、出せるのにスペードQジョーカーを出さない、という選択もある)
 ……以上で、ほぼ大丈夫。誰か人を集めて、やってみたくなりませんか。
 数時間もやればその場の人がみな覚えてしまい、仲間はまた増えていく、ということになるし、少し工夫するだけで小気味いいテクニックの発見もできると思う。付け加えると、上のいくつかの情け容赦ない改良は、ブラジルフィアンセの友人の貢献が大きい。
 やらせてみると、ナオ君も佳子さんも覚えがよく本式ルールでも数回やったらもうほとんど間違えなくなったので、この宗派に属するものは全国で少なくとも五人となったことになる。
 ある人が勝った、あとは負けた、だけでもいい。
 負けた人の手札の残枚数が多いほど負けが大きいとみなし、順位をつけることもできる。
 点数をつける方法もある。勝者が〇点。負けた人は手札の枚数がそのまま点数。ただし手札の中に役カードが一枚あれば倍にし、二枚あればそのまた倍という具合に膨脹させる。最初に何回戦か決め、合計の最も少ない人が優勝。
 お金を賭けることもできる。順位でのやりとりでもいいが、点数からやるなら、一点いくらと決める。この場合は、負けた人の点数をすべてマイナス点、勝者は敗者全員のマイナス点の合計をそのまま自分のプラス点にできる、とすれば、計算がしやすい。
 一点十円としても、十三枚残り、うち役札五枚の敗者のマイナスは、四一六〇円になる。一ゲームは早ければ一分以内、かかっても十数分でたいていが終わる。一晩どこまで負けられるか知らないが、ほどほどをお勧めする。
 この夜は、五回戦で集計して、そのつど罰ゲームとした。上から三位、二位、一位の順で、中空でわずかに触れない距離で片手を重ねる。手のひらは下にして。……呼吸を見計らって、一番下の一位の人が素早くその手を抜き一瞬で上から打ちおろす。他の二人もすぐ反応するが、逃げ遅れれば痛い目に遭う、というやつだった。
 翌日の昼前のものは、もう罰ゲームなしで積算点を競った。ぶっ通し十回戦とか二十回戦の長期戦。佳子さんが一番乗り気で、間宮は先達者であったのに、ナオ君が連続して優勝だった。

 




[10 八月三日(1) 了]




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