平成10年4月13日(月)〜

缺けてゆく夜空 その二 佳子さん

11 八月三日(2)



 
 間宮は、何度も死に損なったことを、佳子さんに話した。
 会社員の頃、深夜、酔って、終点のプラットホームを歩いていたら、前方から駅員さんが二人来た。一人はゴミ籠を紐で引いていた。よけてあげるつもりがあったらしい。ホームから落ちた。気がつくとレールを枕に寝ていた。駅員さんがカンテラをかざし、大丈夫ですかと言った。押されてあとは自力で上がり、しゃがんだまま頭をなでていた。そこで動かないで待っていてくださいと駅員さんがどこかへ行ってしまってからすぐ、貨物列車が通過した。風圧がすごく、後頭部だったからやばいかもしれない、などと思い、戻ってくる前に逃げた。
 自転車に乗って気持ちよく右折しようとすると、それは横道ではなくてどこかの門だった。放り出されて、後続の車のナンバープレート辺が目前までやってくるのを見ていた。
 小学生のいつか、昼寝から醒め台所に行くと、物置の扉がくすぶっていた。家にはあと祖母だけがいてやはり昼寝していた。起こして燃えてると教え、父母にも燃えてるみたいと電話して、また昼寝していた部屋に戻った。祖母が水をかけていたが、ちらっと見ただけだった。(風呂のかまの灰を箱にとって扉の下に置いておいたものが、熱を持った。間宮の家には父方と母方の祖母が二人おり、これは父方のおっとりした祖母で、孫等の世話のため実家から呼ばれていた。このあと間宮は昼寝をしたのか、初めて見る祖母の必死の表情に事態を把握できたのか、よくわからない。しばらくしてかまはガスになった)
 かなり小さい時の記憶で、家族団欒のただ中で首つりしそうになった。これはやや誇張して二人に話した。
 小学一年頃、二つ上のお姉ちゃんと並んで書道塾の帰りだった。雨で、二人は傘をさしていた。大通りの十字路で信号が青になり、お姉ちゃんは一歩を踏み出した。段差の下に小さな水たまりがあり、お姉ちゃんは長靴を履いていた。間宮は運動靴なので、数秒躊躇した。左折してきた赤縞の路線バスが傘に当たり、お姉ちゃんは吹っ飛んだ。−−通りかかったタクシーが彼女を拾い上げ行ってしまった。間宮は涙ぐみながら家に帰った。(この間宮の姉は、長じて子を四人も産んだから、後遺症はなかったようだ)
 昨夏のアイスコーヒー死にかけ事件。
 夢想好きのため信号無視。
 夢想好きということに関連して、玄関に水の入っているバケツがあったのを見て、これを頭からかぶったことなど。風呂に入っているときを想像したから。
 間宮は、次の如き理屈を言った。
 人間いつもは十個ぐらいの引き出しすべてで考えているが、あるとき、そのうち三個ぐらいが取り残される。そういうとき、血の色はテレビのような色じゃないはずと他人か自分を刺してみたり、青信号を見ているつもりで渡ったりする。見えているのは赤なのに。
 そして、僕は、そういう危難のときに、とにかく立ち止まり、自分を殺そうとするものをただ見ていたりする。逃げようとせず。死のことをその時はあまり考えていない。そして、そういうあわてなさ過ぎのおかげでかえって死がすり抜けていったのかもしれない。
 パラレルワールドのことを話した。
 ここは間宮君の次元であって、僕は絶対に死なない。僕が死にそうになったとき、僕が本当に死んだのは、佳子さんやナオ君の次元で、間宮君の次元で間宮君は永久に不死だから、そしてそれは、何百年経つうちに、はっきりとわかるのだけれど、死は当然、間宮君をすり抜ける。よけていく。他人が死ぬのを見て、自分も死ぬと思うのは推測に過ぎない。
 こういうことも言った。
 将来、何になりたい、と先生に聞かれたとき、小学校低学年では「不老不死」、高学年では「安らぎ」と答えた。
 殺人のテーマで。
 酒飲んで、記憶なくしてるときに人殺したかもしれないが、僕は知らない。あるいは、いつか、殺しているかもしれないが、恐ろし過ぎることのために、自分で自分に忘れさせている、のかも。
 喧嘩は、だいぶ作った。
 カッターナイフ持ち出したこととか、間宮の覚えにあったような気もするが、とっさの作り話だった。ボクシング型、レスリング型、とか知ったようなことも言い、眼鏡かけてからしなくなったとありがちな事情。眼鏡壊されるのが怖い、眼鏡外したら相手が見えぬ、とか、相当、創作。
 ナオ君は、両手で持つぐらいの石を倒れている相手の頭に撃ちおろした経験を話した。
「僕は鼻を攻撃されるのが嫌です。とにかくさわられるのも嫌ですね、鼻は」
 それでは人殺しではないかと思ったが、間宮はナオ君の虚言をことさら指摘はしなかった。
 自殺の話題になると、(上にある通り)間宮は首つりの経験ありと半分嘘をついた。が、小さい頃あったことで、ただ、この紐に首をかけたらどうなるかなという、引き出し一個分ぐらいの考えでやり、紐は切れ、家族が驚いた、ということ。話は本当だが、彼らにはもっと大げさに聞こえたかもしれない。そういう計算あったにはあったが。
 許すまじき悪さをした上の妹をピンタして部屋のすみに追い詰めたこと。
 逃げる妹二人に冗談のつもりで石をいくつも投げて、ガラスが割れてやっと我に返ったこと。
 怖いのは良い人だということも話した。良い人は、良いのだが、悪い所が発散されていない。そこで、突然爆発したりする。爆発させるために引き出しをいくつかわざと取り残す、奥のものが。悪い人なら警戒するが、良い人は油断するのでかえって怖い。
 なぜ大学に行かなかったのか。家のこと、継ぐかどうか。自分で金出してまで、大学行くべきか。行きたいか。したくない勉強をせず、したいものをやるためには、一人で十分。
 勉強の仕方、を知ることが勉強。暗記したり試験問題を解いたりするのは、低次の勉強。要するに、テストの答えとなるべきものをいくら覚えていてもほとんど何の役にも立たない。学校とは、そういうかりそめの目的に向かって皆を競わせ、脳細胞の訓練をしているだけ。

 佳子さんに感激してるつもりで、どうやら、心の中の大きな過去のいくつかを次から次へぶちまけたようだ。それだったか。
 佳子さんという酵素に僕が反応し、化学反応したのか。どうか?

 と、この日の夕方間宮はノートに記している。
 三時頃、つまり八月三日の夏の陽ざしの、濃い影の中、間宮は地下鉄の駅まで二人を送っていた。佳子さんの歯医者の時間が近づいていた。だれかが見ていたら、三人の足取りはよたっていたかもしれない。
 間宮はいったん部屋に戻ってから、外に食いに行った。カツ丼六五〇円。
 戻ってきて、一連の家計簿をつけ、眠る前にとノートに記事を埋め始めた。
 夜七時前、やっとこの二日間のあらあらのメモを終えたとき、ナオ君が忘れた眼鏡を取りに来た。
 ナオ君はふだんは眼鏡ではないが、運転するときのために持っている。このときはボーリングだからと持ってきた。が、結局掛けてもすぐはずしてしまったはずだ。
 ナオ君が言うには、アパートに戻ったらちょうど、家から電話があって、北海道に帰れと言われた。たまには顔を出せというのではなく、ずっと戻れという意味で。ナオ君の実家にはお姉さんが一人、義理の父親が一人いるそうだ。お姉さんの写真というのを見せてくれた。
 佳子さんは僕を子供扱いする、と彼は不満だった。
 そういえば、佳子さんは「ナオ君好きよ」と何度か、自分のこわねをただ悦しんでるだけの口ぶりで言っていた。彼らだけの時の会話の雰囲気が間宮には想像できた。化け猫が野良犬をいたぶる、という具合ではないのか。ナオ君が二十歳としても、佳子さんの方が二つ上にもなるし。
 缶ビールを買ってきて二人で飲んだ。
「やっぱりいい子じゃないか」
「え、不良ですよォ。男何人もいるみたいじゃないですか。ああいうの、苦手ですよ、僕は」
「いちゃついてた奴がよく言うよ」
「間宮さんでしょ、それは。あんな仲良くお話して。僕なんか、ほとんどかやの外だったじゃないですか」
 この晩、男二人は熟睡した。間宮は敷布団に、ナオ君は冬の重い掛け布団を裏返しに敷いて眠った。
 佳子さんはとっくに房総の御宿海岸へ向かっていただろう時間、ようやく起きた。おそろしく爽快な目覚めだった。窓を開け放つとシーツ類が輝き、白い光が満ちた。ナオ君も正座して垂れた首を振り、ため息をついていた。
 身仕度を終え、ナオ君が爪切りを貸してくれと言った。彼は手も足も切っていた。
「お前、何やってんの、なんか新聞紙でも敷いたら」
「ええ? ここに入るから大丈夫でしょ。ほらこうして入るようになってるんですから」
 と、間宮所有の爪切りの構造を呈示した。
「そりゃそうだけどさ」
 間宮が手の爪を切るとする。ティッシュに落とす。切り終わったらちゃんと十個あるかを確認する。紙をひねってしまっておく。そして、思い出したときに近くの公園の植え込みに中身の爪だけ捨てに行く。というのは、親に、髪や爪は燃やしてはいけないとしつけられ、実家では庭に捨てていたからである。
 ついでに言えば、繕いをしたあとは必ず縫い針の数を数えた。
 この日八月四日土曜のノートには、こういうことを書いている。

 佳子さんに強烈な印象を受けたつもりだが、一日たった今、はっきりしない。女の子は思い出の中でこそ、本当に見え、本当が見え、感じられるのか。
 ではなく、思い出の中でこそ、自分に満足な美しさで(必要十分な美しさに増補され削られ)彼女を認識できるのか。
 あの夕方から(三日前からでもいい)きのうまでをすべて、文章にするとか映画にするとかできるなら、僕にとって最高のものになる。
 が、芸術とは、あるいは僕の現状の芸術とは、それをしない。また、できない、とも言える。思い出し、思い出し、ここ数ページのように記すことはできても、これはあまりに微小な部分だ。そして、あと一年間か、三年間をかけて、嘘の全くない記録として再現しようとしたとしても、それでも半分まで現わせるかどうかわからん。
 現実はすばらしい芸術だ。最高かもしれない。
 それを、僕の芸術に(ある言い方で)応用するとするなら、まず、同等同質のものは創れない。事実は十分の一、百分の一しか写しとれない。それは、しょうがないのだ。嘘がつきたいのではなく、本当の再現というのがあまりに難しいのだ。
 ならば、僕の芸術が現実に含まれる不完全で小さなコピーかと言えば、違う。
 僕の芸術には「嘘」あるいは「想像」もしくは「写像」というようなものが加味されて、独立する。できあがったものは、現実とはまた別の一個の生き物だ。現実より小さいかもしれない。しかし、大きいかもしれないのだ。
 現実をつくる「素子」は僕の芸術を形づくる「素子」よりはるかに多いようだが(無限倍ほど多い)、しかし、小説あるいは文章には素子と素子との間の「空」にも意識がある。その「空」をも作家が完璧にコントロールしているとは、今は言わないが。
 もっとも、「素子」すら、ちゃんとコントロールしていると言えるかどうか。作家とは、僕とは限らん。

 八月五日日曜、間宮はノートの上で、いたずら書き程度の会話劇を創作している。
 この中で、六法全書から民法第七百三十九条婚姻は戸籍法の云々、同じく憲法二十四条婚姻は両性の合意のみに云々を引用。婚姻届に使う二本の印鑑について、掛け合いがある。

 男の台詞。
「その印鑑は届け出にしか使わない。ただし別れるときはその印鑑を使う、絶対に。その二本がなくなってしまったら絶対に別れちゃあいけない。これだけは法律関係無しの僕たちだけの決まりにしよう」
「それでいいわ」
「それで、その二本は君が持っているんだ」
「そんなのずるい。互いに一本ずつ持ってるべきよ」
「自分のを? 相手のを?」
「あなたが、あなたの姓のを。結婚したら、私、あなたの姓になります。だから」
「だからって、あれ、どういうこと」
「きっと離婚する時ってその時の姓のが一本いるだけだと思うの」
 と女が言い、以下男と女(と間宮)で真相について紛糾、破綻中断という代物。

 同じ日付で、長い髪を一本、セロテープ三ヶ所でノートに留めている。ルーペで根元を見てみると、切れたのではなく抜けたものらしい。先端近くは、かぼそく薄茶色になっている。部屋に落ちていた佳子さんの髪である。
 前日、ナオ君が見つけて、
「間宮さん、とっといたらどうですか」
 と言い、間宮は、
「まさか、そんなこと」
 と言いながら、ひそかにノートに挟んでおいた。
 八月六日月曜、夏休み最後の日、五浪の友人と前から約束があって、間宮も海に出かけた。
 千葉まで電車、ここで落ち合ってからまず、デパートへ行き、間宮は、海パンを買った。
 五浪の友人の車で房総半島を横切り、九十九里海岸。海水に二三度つかり、水着美女に声をかける予定だったのだがこれはできずに半日肌を焼いて、また戻ってきた。
 同じデパートに寄ってもらい、下着、Tシャツ、Gパンを何着かずつ買いだめした。東京で買うのがまだ不案内ということもあった。ここはGパンの裾上げをただで短時間でしてくれるなど慣れていた。そして、五浪の友人が、合鍵を作るコーナーがあると教えてくれたため。部屋の鍵を頼んだ。いずれ、佳子さんに渡せるのでは、と思った。
 駅まで送ってくれた。
 間宮は、めんどくさいので実家には顔を出すつもりがなかった。
 駅で菜の花弁当と寿司を買い、東京の部屋で菜の花弁当の夕食。
 七日朝食に寿司。

 




[11 八月三日(2) 了]




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