十一月三日土曜、文化の日。五浪の友人からそのうち遊びに行くよという電話がこれ以前にあり、その電話では文化の日あたりかなということになっていたが、結局前日になっても電話はなかった。
たぶん昼近くまで待ち、今日は来ないと間宮は決めて、一人で新宿へ出かけた。映画『麻雀放浪記』を観る。
11/5(月) → 今週“ナチュラル”の予定 先輩よりTELあり! → 純で芯のしっかりした女性参加なら、切符返す 不参加なら、切符代、彼女へ返却!
と、すぐ前に引用したが、これはカレンダーの記載なので、この思慮深い先輩の電話も、この十一月五日にあったとは限らない。これ以前のいつか電話があり、その電話の理由が五日に始まる週のどこかで『ナチュラル』を皆で観よう、という誘いだったと思われる。前の週の日曜に埼玉産業フェアで会っているのだから、その次の日十月二十九日から十一月五日までの間だろう。電話の時点で実際につかわれた言葉は「来週」だったかもしれない。
十一月六日火曜、ノートに間宮は書いている。
佳子さんはモウチョウで今週始めから休み。
櫛田みさは、電車にのるのに耐えられず、胃腸が悪いらしく、医者はたいしたことないというのだが、本人は死ぬのを待つばかりのようにやせてしまった、と母親がいう。
と、朝令で課長が言ってた。
櫛田さん、なに頭の病気してんだろう。ひと声かけてくれれば生きるよろこび教えちゃるのに。
この時期に盲腸。
夏の清算?
と、筆者などは想像をめぐらしてしまう。これがいわゆる、ゲスノカングリ、というものか。
十月十九日金曜夜の同窓会で、昔よくやったように、品川プリンスのボーリング場で転がそうという話が出た。忘れないよう、十一月十一日の十一時に現地集合にしましょう、というところまで決まった。懐かしいね、面白そうだと間宮は賛同したが、彼自身については行けるかどうかは気分次第、と表明しておいた。
十一月十一日日曜、当日、カレンダーにこの予定が書いてあるので間宮は忘れようがなかったが、その気にならずにすっぽかした。
と、午後三時ごろか電話があり、ボーリング玉を存分に転がし終えた連中から部屋に遊びに行ってもいいかな、という提案だった。全員ではなく、遊び足りない何人からしい。
必ず出席すると約束していたわけではないので、表面的には負い目はないはずだが、ここで、
「ごめんよ。今日は特に気分がのらないから、不参加だったんだ。察してよ」
とは、断われなかった。間宮は朝から部屋でごろごろ転がっていた。
お菓子やジュース、インスタントの寄せ鍋など大量の差し入れとともにやって来たのは、四人だった。男は思慮深い先輩、巻毛青年の二人。女性の一人は間宮の先輩で、その昔、社員旅行で活け作りのハマチが動くのを見て涙を流した人。だいぶ前に辞め、奥さんだった。もう一人は、在社中は姐御肌の活躍だった人で、確か双子のお姉さんでもあった。間宮の同期で、やはり辞めてしばらくして奥さんになり、また独りに戻った。
彼らが帰ったあと、電源を入れていない炬燵で眠って、間宮は黒い子供の犬の夢を見た。
深夜に目覚めてみれば、四人が来たのは、夢のようだった。
翌日十一月十二日月曜のカレンダーには、
◎ワンスアポンナタイム 世話好きさんが、思慮深い先輩さそって、みたいって。
朝 ちこくしそうで、パン一枚。
夕 よせなべ(きのう皆がもってきてくれたインスタント)+いり玉子+パン+マーガリン
と、ある。世話好きで清明な女性がこの日に電話をくれたのか、例によって分からないけれど、いつ、という言及がないため逆に、当日の記録である気がする。彼女は早朝電話が好きなので、遅刻しそうになったのもうなずける。(とすれば、前夜の間宮の部屋でどういう会合になったのか探りたくて、だろうか。四人が行ったことまでは知らないで、なぜかボーリングに来なかった間宮を気づかって、かもしれない。その線で考えれば、あの四人も間宮を困らせたいのではなく、元気付けたいという理由で来たのかもしれない。長い付き合いなので、彼らにそういう勘が働くのはありえる)。この三人でこの映画(正しくは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』)を観た記録は、年末までの間に無い。
ちょっと戻るが、十一日深夜、間宮は九月以降この日までの間で一番長い文章をノートに残している。夢を書き留めるためなのだが、この通り覚えていたのかは信用できない。夢にしてはお話になりすぎているし長編すぎるのも疑問。原文をたがえず写す(ただしもちろん、訂正されている様子は省く)。
黒い子犬
いつごろからか、境内の隅には、犬小屋があって、昼間、黒い子犬がいた。私は、ときたま、その犬と遊ぶことがあった。この年(27)になってしまい、その上、そんなに犬好きというわけでもないのに。
犬は本当に赤ちゃんというわけではなく、十分に青年というわけでもない。足や口のあたりのほかは、つやのよい黒に近い近い灰色で、ばねのある動作だった。手ざわりは気持ち良いだろうと、感じていた。
犬は夕方になると持主の家に帰らなければいけなかった。神社のそばにある、二部屋がくっついた住宅、その奥の方へ。飼主は昼おらず、どういうわけか、昼は神主でめんどうをみる約束になっていたようだった。
そして、どういうわけか、境内の犬小屋に犬がいなくなり、無人の家のようにうちくずれ、放置されるようになった。私はあれだけいっしょに遊び喜びを感じたはずなのに、ああそうか、と思うだけで、せんさくもしなかった。
夕方が近かった。私は境内にいた。職人さんが、大きな石の上で背中をこちらにみせ、一服していた。犬小屋が新築されていた。
私はすぐ裏の鳥井(?)からとび出し、その住宅の敷地にはいった。へいの内側で水道の水を使い、前屈みになっていた男の人にたずねた。−−黒い、若い犬がここらへんにいませんか。左をはいった奥と私は知っていた。男の人は、めんどうくさそうに顔を上げ、えっ? という表情。さらに私は何かいった。彼は、いたかもしれないな、とだけぐらい答える。−−あ、こっちですね。と、承知している風に男の前を去る。知っていたのなら聞くな、という顔。
二部屋がくっついて一つの家となっている、手前の部屋。外から玄関、内の硝子戸を通して、今風の若い男女が七人ぐらいせまい中にあつまっているのが見えた。にしては、静か。
奥の部屋。一人の女性、−−目鏡をかけたおばさん−−が立っているのが見えた。ごめんください、と二度言う。彼女がでてくると早口で説明を始める。−−お宅に黒い犬がいますよね。ほら、前に神社で昼間あずかってた。先方、うなずきながら、ああこの子ですね、というそぶり。私、目のはしに子犬を入れる。今度、犬小屋新築したらしいんですが、またあずけるようならばと迎えに来たんです。あっ、どちらにしろもう夕方か。−−あら、そうなんですか。私はまだ聞いてないですよ。でも、そうなら助かる。
女の人とともかくも神社に行って事情を聞くことになった。黒い子犬と外の路地で遊んでいると、女の人着替えて出てきた。着物にはおり、目鏡をはずし、髪をまとめてみると、会社の事務員の老嬢みたいだったのが、小忰なお姐さんと言ってもいい風。
二人と一匹で歩きながら(といっても、ほんの少しの距離)彼女言う。最近、本中洲は週に一編でよくなって、また戻ってきたんですよ。お店(料理屋)のたぐいかと思う。私、言う。神社の従業員というわけでもないんですが。そばで子犬が息はずませている。あそこの息子です、と気休くなったお姐さんについ言いそうになった。が、言わず。
夕方の社務所の外で私また犬と遊ぶ。中にはあがらず、彼女だけ行く。もう仕事も終わり、暗くなった部屋の奥で後ろ向きの母が着物をととのえている。お姐さんはそばに行って「奥さん、どうして最近来てくれないんです」と話しかけ始めた。
もう夜の境内で、ぬくもりあるその友と旧交をあたためていた。大人の女たちが出てくる。たぶん境内のすみの犬小屋の方へと、皆で急いだ。
母と並んでゆくその途中の会話。
「どうしてこんなことに首をつっこんだんだい」
仕事疲れか気嫌よくない。いつものこと。それとも、姐さんと来たことで何か疑っているのか。
「人事のことはそれはそれで、勝手にするがいいさ。でも、犬には犬の事情もある」
我ながら、どうしてこんないい言いまわし、と思う。
母「ふざけるんじゃないよ」
電気の消えたコタツで、深夜、めざめる。きのうの晩、このアパートに友だちが四人来て(独身の三十過ぎ一人、三十、一人。以上男。奥さん一人。夫は知らぬ人。離婚した元奥さん一人。元夫も知らぬ人)まだ早いうちに奥さんが帰るといい、結局、皆も帰ることになった。駅まで送り、部屋に帰り、後片付けをしたあと、コタツでねてしまった。二時を過ぎていた。それを思い出して、四人が来たのは夢のようだな、と思う。
(筆者注。不安になる人がいるといけないので、念のため書くが、「小忰なお姐さんと」「一編でよくなって」「気休くなった」「気嫌よくない」みな間宮の誤字である。「小犬」「鳥居」「眼鏡」がふつうだろう)
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