平成11年6月11日(金)〜

缺けてゆく夜空 その四 ノート

30 回想(2)



 

 二人が朝間宮の部屋を後にし、午後は埼玉産業フェアだった日曜の翌日、十月二十九日月曜。繁忙は峠を越えており、五時半で終業、帰宅した。青い樹脂桶を抱え銭湯の前まで行くと臨時休業、帰ってきて十月の決算を始めた。
 毎月、家賃を払う日に、その月の「決算」をすると決めていた。大げさなものではなく、家賃を支出し手元金(雑費、食費。雑費には札入れと小銭入れがあり、食費用は別にあり、財布が三つ)の残額を家計簿(現金出納帳)に戻して締め、現在の現金を数字と突き合わせたのち、来月手元金の仮払いをする(定額を財布に入れる)、というだけだった。だから間宮の場合、雑費(本・雑誌・タバコ・ジュースなど、小遣いに相当)や食費(工場食堂と自炊分)の細かい使途は記録されない。月間の総額のみわかる仕組みだ。被服費、食べ物以外の生活用品、その他の出費(新聞、床屋、コインランドリー、銭湯入浴券、電気製品、文具、遊興費などなど)、収入(バイト代週給がほぼ唯一)はそのつど記帳する。公共料金は銀行の自動振込のため家計簿とは別。
 一旦路地に出て中庭から大家さん宅に回り、支払いを済ませて戻ってくるとすぐ、電話が鳴った。世話好きさんからで、飲みにこない? とのことだった。諾。間宮が早く帰れた日にちょうど連絡ができる、女の勘は不思議だ、と思った。
 その数分後だったが、ドアを誰かが小さく叩いた。どなたですか、と声をかけたが返事がなく、ま、いいか、と開けた。
 佳子さんが立っていた。「間宮さん、夕食たべさせて」と言う。間宮はすぐ出かけなければならないと話したけれど、もじもじしているので、とりあえず上がれよと許した。陰に隠れていたナオ君が続いて顔を見せたが、もうたいして驚かなかった。
 炬燵机の上にひろげた金や家計簿に取り組み、算盤をはじきながら、二人と少し話した。(この決算日そこに種類ごと並んだり重なっていたコインと札の総額は九二一七七円である)
 ナオ君に「喫茶店に泊まってるの?」と訊くと、まさか、それなりの友だちの所ですよ、という返事だった。
 鹿野君の三畳などにしばしば二人そろって泊まっているらしい。土曜のテレビ映画の後かまたはこの決算の晩部屋に上げてすぐ、声を揃えて「電気あかるーい」と言っていた。あっちに比べるとここは、という意味だそうだ。鹿野君の部屋で佳子さんがまたお漏らしして今度は畳に血痕がついてた、なんてナオ君が言ってたこともある。二人で知り合いを泊まり歩くというのも、その知り合いにとっては困りもんだろう。人柄のおっとりした鹿野君でもさすがにそう連夜とはいかなくなっているのかな、三畳だし、と間宮は想像できた。
 決算が終わり、とにかく出かけるからと彼らを追い立てて帰した。間宮は着替えたり戸締まりを慎重にしてから、浅草橋へ向かった。
 翌日十月三十日火曜。午後の三時二十分の休みのとき、佳子さんが、
「間宮さん、今日はどうしてもうちにいて」
 と言うので、また二人して泊まりに来る気だなと思い、間宮は、
「うーん、なんにしろだ、いきなりじゃなくてさ、来る前に電話してよ」
 そう条件を出した。
「きのうみたいこともあるしね」
 忘れてるだろうからと、再び電話番号を教えた。
「夕食たべさせて、お願い」
 と真意不明のことをまた言うので、
「ええへへ、お金がないわけじゃないだろう」
 と笑顔でいなしておいた。
 この日も五時半で終わり帰宅したが、一時間しないうちに電話があった。
 ナオ君だった。
「これから行きます」
 と言う。
「だめだ」
 と間宮。
「夕食たべさせろ」
「金がないのか。違うだろう」
 そして、こう続けた。
「お前は、この前これが間宮さんのところに泊まる最後と言いながら、泊まりに来たな。その上、佳子さんとの三人泊まりはもうやめようと約束していながら、二人で来たな。そういう約束破りは部屋に入れないのだ」
 この前というのは、ナオ君が北海道から戻ってきた十月二十三日の晩のことだった。
「まじな話、おれ、ここ二三日、まともに寝ていないんだ。今日寝ないと死んじまうよ」
 半分本当。土曜は二人泊まりに来たし、日曜は思慮深い先輩と遅くまでパチンコ、月曜、前夜は世話好きさんと飲み会。
 間宮は、硬軟理由を立てて拒みとおした。自分と女の巣ぐらいお前の力でどうにかしたらいい、男だろうが、よりによっておれを頼るな、という間違っているはずのない理屈が腹にあった。
 ナオ君はぐずっていたが、
「じゃあいいですよう」
 と言って、切れた。
 ナオ君は、それきり来ていない。
 それにたぶん、ナマの金を見せてしまったことで間宮の警戒心が高まっている。
 そして(十一月十二日深夜の)間宮は次のようにノートを続ける。これは原文通りで。能勢さんというのは二課の男性社員。

 ※ なぜ、ナオ君を信用しなくなったかというと、9/30日の日曜夕方彼来て、部屋に泊まる。僕の所へ来る途中、僕、夕飯買いに行く途中、道でバッタリ。夕飯シチューたべさせ、酒飲ませ、泊まらせて、バイトへ行く。
 が、彼、朝一時間やったぐらいで、中断、レントゲンとりに行くという。部屋の外から能勢さん使って僕をよび出し、金貸してくれ、という。レントゲン代がない、とのこと。彼、「翌日から実家に帰るので今週は休ませてくれ」と計良さんにその少し前に言っていた。あとできくと、バンドの練習のためのウソとのことだが、どちらにしろ、次の日からは来ない。が、その日、レントゲンとったあと午後は出てくるというので信用した。まず三千円だして、「これで足りるか?」ときくと、「間宮さんの好きなだけでいいから」という。で、五千円貸した。飯食わせ、酒のませ、泊まらせ、その上金まで貸した。
 昼、彼、佳子さんと前後して出社。レントゲンとやら、すべて亀戸の病院のはずで、佳子さんもそこにかかっている。
 すぐ、五千円、というとあとで、とのこと。すぐだよ、といっても、あとで、とのこと。五時に帰って、おろしますから、とかいう。が、5時に帰らずに、「今週出る、僕のバイト代、間宮さんがあずかってて」とかいう。「そういうことは、人に頼むな。頼まれてもしないものだよ。給料あずかるなんて」「僕の友だちは気軽にしてくれますよ、ケチ」「ケチじゃないよ。そんなことするやつはバカだ」
 彼、銀行からおろす、というが、手元にはもちろん、銀行にもあるか、あやしい。
 僕、今日は風呂に行かなきゃならないから、そのあと9時〜11時部屋で待ってる。持ってこいよ、と言う。(はじめは、7時以降、まっててください、というので、そんなのだめだ、風呂に行けない。人を待たせるときは、キチッと時間を決めなきゃ、待つ方の人の時間がムダになる)、そして、約束して人を待たせるんだから、必ずしろよ、と念を押す。
 しかし、彼、その夜来ず、TELもなし。僕の信用を完全になくす。
(彼、結局は、無断で練習を休むとかがたたって、バンドを首になり、一週間、やすむ必要もなく、おばあちゃんのうちとかに行って、水曜に出てくる。昼に彼来て、すぐ戸口の外で4500円回収。バイト代出てから500円回収。
 聞くところによると、「1週間ぐらい前、彼のバイク借りて、免許取得後一週間のいとこが、雨の晩事故り、意識不明。」というように聞いていたそのいとこ、死んだ、とのこと。彼のバイク仲間を入れると今年3人目。ナオ君自身も今年事故り、死にそうになり、そのバイクの修理代のため、あそこのバイト始めた、とのこと。ちなみに、佳子さんの友だちも一人、バイクで今年死んでるはず。)
 以上、ナオ君が、男でなくなった理由 ※

 上原文に関わる説明をしたいが、まず始めに、「9/30日の日曜夕方彼来て、部屋に泊まる。僕の所へ来る途中、僕、夕飯買いに行く途中、道でバッタリ」とある。ここに記載があった。一月半後の回想だけれど間違いないだろう。よって例の謎はほぼ解決と言っていい。知らないふりをしていたのではなく、ひとえに筆者の手落ち、目配りの足らなさです。丹念に読んでいなかったとこれでばれた。抜けていた。
 次に、後ろのナオ君のいとこの事件を、分かりやすく解釈すると、「免許取得後一週間のいとこが、一週間前の雨の晩事故り、意識不明」というところまでをたぶん、泊まった九月三十日または二十九日ナオ君と外食というあたりで間宮が聞いていた。それが死んでしまったというのは十月三日水曜に聞いた。そのいとこが心中したバイクは、ナオ君がこのバイトで稼いで修理したナオ君のマシンだった。ということだろう。であるなら、ナオ君が来なかった十月一日の夜、または翌二日あたり、おばあちゃんの家は葬式だったかもしれない。(そういう言い訳で許してもらったということか。作ったみたいで、とっさには眉に唾で間宮は聞いただろうが、事故のことまでは既に話があったのだし、信用するしかなかっただろう)
 三つ目。間宮が故意に触れていない事実がある。間宮が五千円を貸してから、「昼、彼、佳子さんと前後して出社。レントゲンとやら、すべて亀戸の病院のはずで、佳子さんもそこにかかっている」という運びになっているが、彼らが出てきたのは漠然と「昼」ではなく「昼過ぎ」だと思われる。昼休みが終わる間際か、午後の業務が始まってからだ。なぜかと言うと、以下の通り証拠があるのだ。
 以前覚えておいてほしいと申し上げていた二枚目の領収証に(筆者は奇跡的だと思うが)それが残っていたのだ。


 《領収証 その二》
   59年8月24日
   上様 ¥3750
          居酒屋むらさと


 ナオ君が例のシナリオを間宮に披露した晩のものだが、一枚目の領収証ともどもあれ以来ずっと間宮の財布の中にあった。
 この十月一日午前九時頃、まず間宮は、ナオ君がレントゲンに行ってしまってから、金を貸した事実をどこかにメモしておかねば、と思った。しかし仕事中であり、ノートはロッカーの中、Gパンのポケットは小さく浅くカレンダーを折り畳んだ日々予定表のメモ用紙も同じショルダーバッグの中だった。書きつけるものが手元になかった。作業中のため席を立ちづらく、といってこのまま休憩まで我慢したくなくて、映画の半券やらのクズ紙のたまっている財布(雑費札入れ。ユニホームの胸ポケットに通常入れていた)をあけて、裏が白い紙を見つけた。
(ついでに書くと、Gパンには四つポケットがあるが、右前には雑費小銭入れとハンカチ、左前には予備のハンカチかティッシュ、右後ろはタバコとライター、左後ろは食費財布、という配置ではないかと思う。ユニホームには胸ポケットしかなく、ここには雑費札入れとIDカードだろう。札入れが一番大きく、Gパンのポケットに入りはするが動きづらいと思う)
 この領収証裏面のメモは、油性ボールペンでかかれており、間宮個人の水性ボールペンではない。作業用のものと考えられ、これも再現している状況を保証してくれる。
 次に間宮は、ある不安に囚われた。これも書きつけねばと強く思って、またその財布を開き追加のメモをしたためた。
 こういうものが残ることになった。


 10/1 9:00〜11:00
 ナオ君、来る、

 ◎ナオ君より
  ¥5000戻してもらうこと!

 10/1、昼、
 必ず家へ
  火の始末
  合鍵


 問題は後半だ。
 前夜、ナオ君が泊まって、一緒に会社に来たので、朝あわただしく、ナオ君の吸ったタバコの火の始末などに不安がある。昼休みに戻ろうという意味だ。心配性に過ぎるだろうが、こういうことだけなら初めてのことではない。
 「 合鍵、」から、間宮が本当はどういう不安に囚われたのかが見える。合鍵とは、夏、五浪の友人と房総の海に行った帰り、佳子さんに渡せるかと思って作ったものだ。キャスターの、あるひきだしに印鑑と一緒に入れてある。金とは、キャスターの同じひきだしに収めてある間宮の現金(銀行や郵便局にある以外で、かつ、今手元の財布にある以外のすべて。家計簿のこの日で五二二八六円)そのもののことだ。
 ときどき訳のわからないことをする奴だ、という認識はあっただろうが、前触れなしのレントゲン外出、しかもそうならなぜ朝一番から行かない、などと考えているうちに、泊まった際、ナオ君があの合鍵をくすねていたとしたら、ということに間宮は気づいた。レントゲンはだからこしらえた嘘で、その足で間宮の部屋に向かったのではないのか。万一のことあったら対処するため、なるべく早く昼に帰れ。そういうメモなのだ。
 またはこのときすでにナオ君は金に困り、そういう話が何か前夜あったのかもしれない。二人でいた朝にはさすがに金の計算など確認はできなかった。気にかかっていたところ、レントゲン、金貸し、などが持ち上がり、疑惑の相貌が血を通わせ始めた。
 やるときは身ぐるみという原則がある。まず間宮の手持ちから引きだせるだけ出し、自分のロッカーから貴重品を選び、足が急がないよう注意しつつ、口笛など吹いて、間宮の部屋をめざす。(合鍵で侵入すると)目星をつけていたひきだしから現金を容易に入手。口を開け舌をぴたぴたさせ、ポケットにねじこみながらふと思いつく。だけでなく、通帳もあるのではと部屋をひっくりかえし捜し始める。だめでもともと、二度と会わない人の部屋などどうなってもいいし。夕方まで帰らないなら銀行からおろせる時間は十分だし。
 まさかと何度か否定したが、否定するたび想像は生々しくなっていく。
 さいなまれながら、正午の鐘までは耐えた。
 走って部屋に戻ると、暗い室内に電気を点け、見回し、キャスター内の金袋の札の枚数をざっと見、家計簿の現在高を見、印鑑を強くつまみ、念のためと、ある所とある所をひっくりかえして通帳を点検する。息をついた。元に戻して、苦笑しながらまた走り出たがすぐ引き返し、ひきだしの中の合鍵を別の場所にもぐり込ませ、電気を消し、何度かドアの開かないのを確かめてから、腕時計を見てあせって本式に走る。汗がにじんでくる。
 たぶん昼飯を抜いている。
 それから会社でなにくわぬ顔で、ナオ君、佳子さんらが出勤してくるのを迎えた。金を返せと言い、夜の約束が決まるとまた同じ領収証裏面に時間を書き込んだ。
 述べた通り、間宮が故意に触れなかった、と考えるのが残念ながら自然だ。
 一ヶ月半も経っており忘れてしまっただけ。仕事日前の夜、延々と書いているので覚えていたけど省略した、早く寝なければならなかった。などの理由も考えつくけれど、忘れたのも省略したのも書きたくなかったからとすれば同じことかという気がする。
(もう一点だけ、書いておこう。間宮ノート「9時〜11時」、領収証裏面「9:00〜11:00」、見事に一致している。間宮は一ヶ月半前のこういう細かいことを、苦しみながらも記憶から絞り出したのだろうか。理詰めで考えたら偶然そうなったのか。この時刻は、年末破棄されている日々計画表メモにはその日のうちに赤ペンで書き加えられ、残っていたのか。少なくともカレンダーにはない。むらさとの領収証は、昭和五十九年受信文書の束の中に他の領収証とともに挟まっていた。年末整理のときだろう。この十一月十二日時点ではまだ財布の中のはずだ。間宮ノートはこの領収証裏面をすでに発見参照してはいなかったか)

 鍵は掛けたか窓は閉めたかガスの元栓火の始末、こういうことを何度も確認しないと安心できない、という人がいる。出かけて何駅も離れてしまってから「ああ、あれをちゃんとしていないかもしれない」と気になってしょうがなくなる。日記帳が秘密の場所にあるかどうか確かめるためだけに学校を早退する。老いも若きも男でも女でも、あるらしい。病気とは言わないがある種の神経疲労なのだろう。
 間宮の上の妹がそうだった。間宮の父親も、ある冬ガス中毒未遂をしてからそうだ。遺伝性かもしれない。間宮にもそのケがあって、前の会社のチェックまみれの毎日ではぐくまれ、一人暮らしをしてから私生活でもはっきりした。
 特に部屋のドアの鍵が、確信できない。ノブを回数を数えて引っ張ってから歩き出すのに、ちょっと行ってから引っ返すことがあった。なにやら楽しいものおもいをしながら朝出かけたりすると、会社についてから「しまった、鍵を」と思い出す。なまじ自宅が近いものだから、いつになっても頭から去ってくれないときは、いっそのことと休憩時間なら走り詰めで往復し、昼休みなら歩いて帰ってみることがそれまでも何度かあった。このすべての場合、心配した通り鍵を掛け忘れていた、ということはなく、さらには間宮帰宅時のすべての場合、ドアが開いていたということはないのに、この癖は治ることがなかった。
(これとは別物と思うが、寝坊して布団を上げられなかった、食器を洗えなかった、または朝飯を食べられなかったなどの場合も、昼をつかい、布団を上げ、洗い、または昼飯として食べに戻るということを時々した)
 私見だが、心とは、特別なもの、目新しいものにはよく反応する性質を持っているのではないか。だから通常のもの、日常の平凡なものは、それがその時に見て触ったものか、昨日見て触ったものか、「通常」や「平凡」が重なれば重なるほど区別がつかなくなってくる。区別をつけるためには強く見て触るしかないが、昨日より強く昨日より強くと繰り返していけば、限界はすぐだ。限界でも何としても区別をつけなければならないなら異常に強くそうするだろうから、ときに紙を突き破りノブを引っこ抜く。当然と言えば当然。逃れるためには、悟りを得るしかないだろう。
 要するに、こうまでして守るほど大切なものか、と。または、おれは死ぬまでこの癖と暮らしていくことに決まった、と。儀式や韻律はこのために人類が発明したのだ、と。あるいは、あらゆる些細なことにいつでも新鮮な感動を覚えられる神になるのだ、と。工夫すれば億万の多様性を創造できる、このノブのガチャガチャにだって、と。

 




[30 回想(2) 了]




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