平成11年8月10日(火)〜

缺けてゆく夜空 その四 ノート

34 新年



 

 明けて昭和六十年。
 一月二日水曜の冊子カレンダーに、
 12時間ドラマ“ヤギュウブゲイチョウ”見る。
 とある。
 一月三日木曜の家計簿には、
 新宿→神保町→大手町→有楽町 パチンコと放浪。映画見れず。
 とあり、カレンダーには、
 新宿、有楽町ともに、あるところは人がいすぎて入れず、あるところは人が全くいなくて店、あいていない。パンコと放浪。本屋も適当なのなし。
 とある。
 一月五日土曜家計簿では、
 神保町へ本の買出、(12冊)
 となっている。
 仕事始めは一月七日月曜だった。
 一月九日水曜、七時で終わり、ロッカーで着替えているとき、おじいさん社員の依田さんが「実は来月で定年だよ」と間宮に小声で教えてくれた。「まだ、だれにもおおやけにしちゃだめだ」と言う。延長していた定年も期限切れになった、ということらしい。
 金曜、一月十一日の晩から計良班長、津久井さん、武藤さんの四人で飲んだときにも、班長が「これも秘密だが、おれ、二月一杯で辞めることになった」と打ち明けた。
 間宮は十四日月曜になってノートに書き留めている、
「以上二つは、あのバイト先での個人上のことだけど、(つまり、割り切ろうと思えば割り切れ、私の必要性が増すプラス要因とも言える)、もう一つ重大な秘密があった」
 それが、計良班長退職話の前段にあって「これも」につながる。
「同じ晩、計良さんが言うには、5月ぐらいで、工場(または二課)は、埼玉に移転するのだそうだ。間宮君、正社員になっちゃえ、埼玉にもおいでよ、とのことだが、どちらも無理、というよりヤダ。
 正社員になるのは、今、必要がない上に(十二分にバイトで幸せ、過ぎるくらい。扶養すべき家族は僕だけ)自由人の型をそこなわれると言える。そして、ここに住んでいることが主であり、だからこそあそこにバイト先を決めたのだから、バイト先が勝手に引越すなら、これで縁切れとなるしかない。
 まあ5月まで。短いような、長いような。しかし、1年もいられればと思っていたのを考えれば、そして、時間がなくて書けない、ない、と内心文句を言っていたのを考えれば、案外適当な時期なのかも知れないね」
 この飲み会は新宿で夜通しであり、最後は無愛想かつ不親切なウエィターの喫茶店で時間潰しをして、十二日土曜の始発に四人は乗った。間宮の帰着は、午前五時四十五分。そして午前八時から土曜出勤だったため、睡眠は一時間半程度だった。他の三人が出勤したのか遅刻したのかは記録がない。
 翌週、一月十九日の土曜出勤のあとに、二課でボーリング大会が予定されていた。間宮は参加するともしないとも言っていなかったが、世話好きさんから電話で全く同じ土曜六時ということで誘われたので、そちらを選んだ。
 この日は朝めずらしく遅刻した。五時まで仕事、そのあと浅草橋へ行き、四人で飲んだ。
 世話好きさん、巻毛青年、もう一人は純で芯のしっかりした女性から数えて三代目ぐらいの、現役経理担当嬢だった。彼女は、間宮とは一年だけ在籍が重なる。歌が抜群にうまく、ちゃらっとした身なりも得意で、遊び好きかと思いきや、初めてもらった年賀葉書を見てそのペン字の神々しいまでの端正さに、間宮は楽しくだまされていたことを知った。要するに、これほど美しく澄み切った自分の名前を見たことがなかった。可愛らしさの内側に才を隠している人だったのだ。
 この晩この娘が巻毛青年のとなりに座り、青年の膝上に手をついたりして、やけに仲がいいなとは思っていた。次に会ったときに世話好きさんが「え、気づかなかったの」と間宮に教えてくれたが、巻毛青年らは婚約するらしい、少なくとも付き合っている、とのことだった。支社に転勤している巻毛青年が元の勤務先のある浅草橋まで出向いたのは、間宮に会いたいがためではなかったのだ。そして事実、一年後にこの二人は結婚する。
 一月二十二日火曜、昨年夏ボーリング大会を企ててうまくいかなかった方の早川さんに、ないしょということで話しかけられた。
「松崎君、子供できたんだって。女の子は産みたい、松崎君はだめだと言って、今、ケンカしてるってよ」
 間宮は、そうなんですか、へえー、と驚いておいたが、それよりも詳しいことを聞きづらかった。佳子さんは週三回ぐらいのペースで(午後からだけど)ちゃんと出勤していた。あのおなかにいるの、と思ったが、早川さんは女の子が誰とは言わなかった。
 ナオ君は、早川さんとは連絡を取っているということらしい。が、早川さんがどこまで知っているのか、あるいは、間宮が知らないことがもうたくさんあるのか、間宮には分からなかった。「女の子」としか言わなかったのは、ナオ君も名を明かさなかったからか。つまりナオ君佳子さんの仲を知らないのか。早川さんは知っているが、間宮は知らないはずだと、伏せたのか。早川さんが知っているとしても、それは佳子さんなのか、別の本当に間宮の知らない子なのか。
 いや、二人の仲を間宮が当然知っていることを前提に、社内でもあり「女の子」で済ませたのかもしれない。それが佳子さんでないのなら「ないしょ」にする理由が弱い。
 または、間宮を含めた三人の関係がまだよく分からないため、忘年会で好きだとわめいた間宮に、早川さんが念のため遠慮して、実名を言わなかった、というあたりだろうか。
 一月三十日水曜、会いたくなって、絶対帰宅しているはずの夜十時、耳にやさしいさんの家へ電話した。お母さんらしいが帰っていないと言う。月末のためか、と考えたが、間宮は大きなお世話なのにと思いつつも少々おもしろくなかった。
 翌三十一日木曜、同じ時刻に電話をしたら本人と話せた。二月二日三日とスキーに行くんですよ、などと言う。二月は忙しくて後半の土曜は出勤になりそう、とも言う。ひまになったら私から電話します、と逃げられはしたけれど、二十九分間だべれたから、そうは嫌われていないのでは、と間宮はあとで自分を慰めた。昨夜は送別会だったのだそうだ(これはある転勤する女性のための会社の公式送別会のことで、三月一日になって仲間内での正式送別会兼同窓会の運びとなる)。
 二月二日土曜は、耳にやさしいさんと会えないならと女性と一日遊ぶぐらいをつぎこんで競馬。完敗。
 二月十一日月曜、建国記念の日は、新宿でパチンコと映画。一人。観たのは『アマデウス』で、一回目立ち見、次に座って、延々六時間以上。飽きなかった。
 二月十二日火曜のノートで、「創作」についていろいろ書いている。
「継続は力なり。確かにそうだ。しかし、ここ半年、平日に創ることができたか。平日に創っても、義務的なうすめられた文章しかできなかったのではないか」
「今日、創作とは集中力なり、と悟る」
 間宮が昨年夏から書いていたものは、年末で断念していた。この時期、そろそろ今年の投稿作を用意せねば、と気合いを入れ始めたということだろう。おそらくは前日の、モーツァルトの映画に感化を受けて。
「一昨年、継続力によって、いくつか作品つくれたため、そのままそれを求めていたが、今は状況がちがう。人間が違う。書くべきものは、投稿用の100枚という短編だ」
「5月頃、工場が移転し、バイト辞めることになるはず。それまでは、『集中力』で作品にあたる。それ以降は、すぐバイトしないなら、中二日、三日あるいは中一日ぐらい間をおいて、集中力で創作。すぐバイトするなら、やはり、土日にすべて集中させて、つくるべし」
 体脂肪を落とす、気になるチンポの元気具合、女性に対する執着は大事だが生きる目標ではないなどの考察を経て、主題に戻る。
「創作はスケジュールをたてれば出来上がるものじゃない。計画も大事だ。しかし、やはり、計画は全てではなかった」
「集中力。狂おしいほどの集中力。それが、私の力だ」
「したければ、いくらでも交尾すればよい。しかし、それは、集中力の、いや、『集中』の外だ」
「マンガも本も『集中』の外だ。『集中』するためにこそ、体力をつけ、頭をこなれさせておけ。キリキリしぼりこむような『集中』のために」
 そして、間宮ノートからは、現実の経緯や日々会っているはずの人々の様子が消えていく。「集中の外」であるためのようだ。残るのは、夢のメモ、丹念に読むのが苦痛なたわごと類、または新聞の切り抜きなどである。
 二月十八日月曜、カレンダーに「仕事、10時PMまで! まいった」とある。
 二月二十三日土曜、新宿で、計良さん、武藤さんと飲み会。
 二月二十四日日曜午後八時、世話好きさんから電話があり、一時間話す。三月一日送別会ということだけは決まったから、思慮深い先輩の所へもこの連絡を回してほしい。とのことだった。詳しいことは後日また電話します。
 終わってすぐ、間宮は言われた通り思慮深い先輩に電話し、こちらでも三十分話した。月末までかなり多忙、その詳しいことというのも、自宅にいないときは会社へ連絡してくれ。
 二月二十八日木曜(つまり前日)、電話がないので間宮からして、午後十時八分世話好きさんと連絡が取れる。場所や時間を確認。
 十時十分、先輩の自宅へ電話すると本人は不在、お姉さんと思われる女性に伝言を頼んだ。思慮深い先輩はお母さんとお姉さんとの三人暮らしのはず。
 十時十一分、先輩の会社へ電話すると、すでに帰った、とのことだった。
 直後、先輩より電話。缶詰になっていて、居ないことにしていた、とのこと。

 おじいさん社員依田さんが辞めたので、間宮が代わりに郵便局通いをするようになった。
 トラックに同乗し、別納手続きをするための、日ごと品種ごとに異なる局に着いたら、荷と間宮が降りて、トラックは帰るか次の他部署用の別件へと向かう。間宮は一畳はあるワゴンを引きエレベーターに乗ったりして受付場所まで転がす。帰りは電車。単純だが、ただ、郵便料金支払いのため高額の線引小切手を毎回持たせられた。それをどうこうするつもりはもちろんなかったが、どうこうされたらまずいとだいぶ気を遣った。ちゃんと済んで領収証をもらうといつも吐息。
 トラックに乗って郵便局へ行くようになってから佳子さんとはほとんど片言さえ話すことはなくなった。依然として彼女はときどきしか来ない上たいてい昼過ぎで、そのころ間宮は積み込み直前の数合わせで神経がいっぱいかすでに車の中だったし、帰ってきても終業が近く、早い日でも午後の休憩時間は過ぎている。それに、それでも何か話しかける事柄がとりあえず間宮にはなかったし。
 ある日を最後に佳子さんは来なくなるのだが、それがいつだったかせめて何月だったか、どこを調べても何も残っていない。新しい間宮の役目と、佳子さんの出勤状態では、いつから来なくなったという印象が残りにくいということはあるだろうけれど。
 彼女がたまたま午前中に来ていたか、珍しく局出しの無かった日なのか、こういうやりとりがあったと思う。
 前に人影があって顔を上げると、佳子さんが変ににこやかに見下ろしている。
「なに、どうしたの」
「別にィ……」
 屈んで、ささやき声で、
「ね、間宮さん、櫛田さんと付き合ってるんでしょ」
「え、そんなふうに見える?」
「見える」
「へっ、なんでもないよ」
 勘のいい娘かもしれないが、たまに出てくるだけだから見当違いを言ってるよ、と間宮は考えた。
 えみを浮かべていた佳子さんは、真顔になってから、背を向けた。

 




[34 新年 了]




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