平成11年8月12日(木)〜

缺けてゆく夜空 その四 ノート

35 再退職



 

 結局は、五階の一課二課だけが、埼玉の工場に移転という形らしい。
 課の移転の理由は知らない。普通の、業務の効率的配置、という上の意向だったのだろう。あるいは多少裏があって、わずかなと思え十分謝罪も尽くしたはずの我らの落ち度のどれか(一度か二度は少しだけひどいのがあった、それ)が、直接ではないけれど遠因となって関係するどこかを動かしており、懲罰的意味合いも込められている、などと間宮は感じたが、これは多分なかろう。
 ただ、ちゃんと話してはくれないが、計良班長がなにかしら釈然としない気持ちを抱いているらしくて、まあ、何かはあったのだろう。

 三月一日金曜、浅草橋で送別会兼同窓会。支社へ転勤となった女性は、耳にやさしいさんより半年遅れの中途入社。珠算の段持ちで銀行勤めをしていたが、筆跡がユニークすぎて転職しあの出版社に勤めた、という話だ。めざましいぐらい有能で(世辞ではない。あの会社にはそういう若い女性が異様に多かった。ある時期、ある場所に偶然集中したと思えるほど。実は客観的に見ると間宮は無能で、相対的に感心せざるをえなかったのかもしれない)、それに広めのおでこのかわいい娘だった。
 おおげさに言えば、もうほとんどよそ者と言っていい間宮だけが、酔い、ばかはしゃぎだった。
 三月二日土曜休日、午後七時半にまさか尊属殺の友人から呼び出しの電話があって、八時から喫茶店、二時間話した。
 三月十五日金曜朝、世話好きさんから電話で、あした映画に行こう。
 夜、待ち合わせ場所などの追加連絡。
 三月十六日土曜午前十時、有楽町駅、新橋よりの、そごうデパート方面改札口ということで四人が集合した。世話好きさん、ひな祭りに結婚さん、思慮深い先輩、と間宮。細身のひな祭りちゃんは妊娠しており、おなかの丸みがもう目立っていた。晩は彼女以外で飲み会。
 三月二十二日金曜、新宿で、計良班長、武藤さん、津久井さんとの四人で飲み会。
 三月二十四日日曜、永田町で、武藤流手品道場おさらい会というのがあった。社員武藤さんというのは、昨年入社の十九歳、からだのつくりがどこもぶっとく気は優しくて力持ちを絵にしたような好青年だったが、手品師の息子でもあった。彼も出演するそうで、よろしかったらどうですと招待券をもらった。彼の話では、手品師を継ぐつもりはないそうだ。
 そこそこ楽しめた。客席に計良班長もいた。班長に誘われ、タクシーで新宿へ行き、二人で飲んだ。
 ナオ君の話が出、中野の喫茶店で働いているはずですよと間宮が言うと、いい機会だから行ってみようぜと班長が言った。
 日曜の、日の落ちた時間帯だったが、聞いていた名前の店のものごし静かなウエィターは、ナオ君を知らなかった。もう辞めちゃったかもしんないけど、と間宮が助け船を言ったが、私は最近なので、ほかにも支店がありますしそっちかもしれませんね、など要領を得なかった。
 この店で、禁を破ることになるが興味に負けて、初めてウィンナコーヒーというのを頼んだ。お菓子かと思いシナモンをかじった。
 計良班長の退職は四月半ばまで延びた。
 後任として、と言うべきか、ダジャレ好きの上司(係長)が戻ってくることになった。
 アルバイトは、移転が本決まりになったであろう年明けからでも、新しく何人もが二課に配属され、そして辞めていった。
 サーフィンとバリ島の好きな、金太郎によく似た青年がいた。
 四月六日土曜、昼から井の頭公園でお花見をした。参加は五人で、計良班長、津久井さん、武藤さん、間宮、そして金太郎君である。津久井さんと金太郎君は後半行方不明になった。間宮は夜八時に部屋に帰りついたが、のたうちまわり、午前一時ごろ吐いた。ふらついて倒れ、寒気がし、たまらなく苦しかった。
 翌日日曜、心配になって計良さんの家に電話すると、健在だった。
 ここに来る前は芸能事務所に所属して、街頭でスカウトをしていたという青年もいた。
 彼は、
「間宮さん、すごいですよ」
 と、五階のトイレ窓から見える、新宿高層ビル群に沈む夕日を報告に来た。
 四月十日水曜、その夕日君と二人呼ばれ、課長に尋ねられた。埼玉に来られないならここの別部署を紹介する、心配しなくていいから、そういう話だった。間宮は、五月六月と私用があるんです。申し訳ありません、切りもいいので辞めさせて下さいと明言した。四月二十七日と日付も決めた。七月から働く気があるならまたおいでよ、と課長。
「一つだけお願いがあるんですが。……源泉徴収票が欲しいんです」
 と間宮は頼み、快諾を得た。
 夕日君はこのときの勧めに従い、他部署に引き取ってもらって東京で残ることになった。社員も二課全員が埼玉に行くのではないようだった。
 この日の夜、津久井さんと部屋で飲み会になり、彼はそのまま泊まった。津久井さんというのは二十一二歳で良く言えば飄々とした風があり、悪く言えばこせこせした感じのする男だった。酒の肴も間宮の好みと合わなかった。飲んでいるとき、大家さんの家のお手伝いさんが来て網戸を入れますがいいですかの確認をしていった。また、しつこいセールスの電話がかかってきて間宮は癇癪を起こした。
 食べない習慣と言うので、つきあいで翌朝は飯を抜いた。
 この四月十一日木曜帰ってくると、南と西の窓に網戸が入っていた。
 四月十二日金曜、内輪のということで、計良班長の送別会があった。班長、津久井さん、武藤さん、間宮と、配属されたばかりの新入社員が一人、味噌会社に就職できそうというバイト娘、計六人だった。
 流れで、この夜も間宮の部屋に、津久井さんが泊まった。
 四月十三日は土曜出勤。夜、上の妹から一時間を越える長電話があった。内容は実生活からは遊離したもの。
 四月十六日火曜、午前零時まで残業。つまりこの日は十五時間労働。津久井さん、泊まる。津久井さんの好きな女性は、背が彼の肩ぐらい、ショートカットのパーマというところまで話があった。
 四月十七日水曜は、午後十一時まで残業。
 四月十九日金曜、新宿、計良送別会内輪その二。計良班長、早川さん、津久井さん、武藤さん、新人君、間宮。
 津久井さんが好きな女の名前を言わないという理由で、班長が胸倉をつかむといういさかいが起こった。冗談でと思っていたら班長が殴り始め、津久井さんが外へ逃げ出した。早川さんはすでに帰っており、間宮が仲裁に入った。津久井さん、泊まる。
 四月二十日土曜昼過ぎ、まさか尊属殺の友人から電話が入り、喫茶店、続いて新宿で映画。
 四月二十二日月曜、計良さんの公式送別会となった。アルバイトは参加費不要。
 ちらし(手書きをコピーしたもの)が残っている。


歓 送 迎 会

 4月行列の新入社員の歓迎会を7時より行います。又同時に計良氏が残念ながら退職しその送別会と後任の□□係長の歓迎会も兼ねて行いますので、宜しくお願い致します。
  日   4月22日(月)
  時間   7時
  場所  □□□

   (TEL付き地図、略)

幹事 早川 


 なお、四月十九日飲み会、四月二十二日ちらしの幹事、ともに老若どちらの早川さんであったか、はっきりしない。
 四月の終わり、二課移転の直前、間宮は辞めたので、それ以降のことはわからない。
 四月二十五日木曜、間宮は風邪気味だったが、世話好きさんより、飲み会あした、という電話があった。
 四月二十六日金曜、症状が悪化し、喉の腫れ、頭痛のため、昼で早引けした。午後五時四十五分まで部屋で寝ていた。それから出かけ、七時から浅草橋の寿司屋で、世話好きさん、思慮深い先輩と飲んだ。
 四月二十七日土曜、午後八時まで残業し、このアルバイトは終わった。
 四月二十九日月曜、天皇誕生日、喘息様の症状に終日苦しむ。
 四月三十日火曜、工場総務課へ電話のあと訪問した。ロッカーの鍵、洗濯してボタンも繕ったユニホーム二着、IDカード、身分証、黄色い丸い名札を返納した。先週分、最後の給料をもらった。源泉徴収票は連休明けまでには作っておくという話だった。
 その連休明け、五月七日火曜、総務課に電話すると「今日中に作るので明日午後取りに来てくれ」とのことだった。聞いたわけではないが、源泉徴収票(税の還付を受ける証拠となる)を欲しがる退職アルバイトはあまりいないらしい。
 五月八日水曜、これを受け取る。

 芝君は前年の秋には退職していた。
 何人もいて何人も辞めていった女子のバイトとは再会することはなかった。街ですれ違っているかもしれないが、互いに気付くこともないのだろう。
 若い方の早川さんと櫛田みさがどうしたのか記録は何もない。二人は結ばれたのか、そういうことはなく、別部署に移ったり埼玉に行ったりそれぞれの処し方をしたのか。櫛田みさなどはやはりこれを機に辞めてしまったのだったか。
 他の社員、アルバイトについてもほぼ同様である。
 これから二年ぐらい後だが、間宮は渋谷の図書館に向かう路上でばったり鹿野君に出会った。彼は大学生をしていた。互いに近況などしばらく話して、その場で「元気で」と別れた、けれど、鹿野君は最初から「間宮さん」と言ってくれたのに、間宮は最後まで相手の名が出てこなかった。
 計良班長は奥さんの実家のある群馬で再就職した。夏休み、年始などに呼ばれて三度か四度は飲みに行ったことがあるし(半ば旅行になるが断わり切れない)、賀状のやり取りも続いた。最初の一二回は、どこもぶっとい武藤さんと連れ立って行った。この手品師の息子は、埼玉に行った組だが現役だったので、社員ならたいていの人の消息は知っていたはずで、長い電車の中ではきっとその話も出ていたはずだ。計良さんちでの飲み会でも話が咲いたりしただろう。それなのに、間宮は一切何も書き留めていない。飲みすぎたためでもなさそうだ。よって確かなことは今はもう何も書けない。
 にしても間宮の忘れっぽさ、もっとはっきり言えば薄情ぶりは、ひどいと言える。それとも「それで普通」と言うべきなのだろうか。

(もう少し付け足すと、間宮は全く職種の異なる部署にだが、数年してから、歩いて通えるこのバイト先に再び勤めている。夕日君と思いがけず再会した。彼は委託社員に出世しており、電算室所属で颯爽としていた。ある社員に、昔の彼はこういう青年だったという話をした。その社員が夕日君に話したそうだが、夕日君はトイレ窓から見た夕焼けのことは覚えていないと言っていたという。東京に復帰したらしく食堂で課長も見かけたが、頭を下げてもかつての部下と気づいてくれなかった。埼玉に行ったまま、またはちりぢりになったのだろう、他の人とは会えなかった)

 佳子さんは、実は辞めるつもりはなかったのかもしれない。佳子さんはだれの子も宿していなかった、なにかしら遊んだり夜の副業で忙しかったりして、久しぶりに出てきたら自分の職場はもう埼玉に移ってしまった後だった、ということまであったっていい。
 あまりにも間が抜けているみたいだが、佳子さんなら、こういうことがあったっていい。
 えー、と言って、誰か残っている顔見知りのそばに行って、しょざいなげに困っている様子でもするのだろうか。少なくとも男なら、誰も、あれに応えないということはできないのでは、と想像できる。

 




[35 再退職 了]




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