平成11年8月15日(日)〜
缺けてゆく夜空 その四 ノート
六月二十九日土曜、まさか尊属殺の友人宛に、間宮は葉書を書いた。
黴天の候、いかがお過ごしでしょうか。とはいえ、夜明け前、忘れたころに落ちる軒溜の音というのもなかなかのものです。
文にある通り、早朝にこれをしたため、間宮はひとねむりした。
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《昭和五十九年 大まかな体重変動》 |
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《昭和六十年 大まかな体重変動》 | ||
2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 |
56.3 〜 58.0 55.4 〜 56.6 55.0 〜 56.6 54.8 〜 56.1 54.3 〜 55.0 54.2 〜 56.0 53.4 〜 56.5 54.5 〜 56.5 55.3 〜 57.0 56.0 〜 57.4 56.4 〜 58.0 |
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 |
57.8 〜 58.3 57.8 〜 59.0 57.7 〜 59.0 58.4 〜 59.6 58.8 〜 60.2 59.2 〜 60.0 59.4 〜 60.9 60.2 〜 61.7 59.9 〜 62.1 60.6 〜 62.6 62.3 〜 64.0 62.9 〜 64.2 |
仕事先がありそれなりに規則的で体調も安定していたと思う昭和五十九年の数値からいくと、間宮は暑いときに痩せ寒いときに多少太る人であるらしい。昭和六十年四月一杯でそのバイト先を辞める。ところが、その後痩せるはずの夏場になって逆に増え、ご覧の通り、次の冬期には前年よりも相当重くなっている。(60、61kg 辺のときにしばしば数字に添えて「ショック!」とか「NANTOYUUKOTODA」という文字が見えるので、これを望まず、減らそうと努めていたに違いない。それでもこれである)。机にかじりついていたためだろうか。バイトの仕事があまりにきつかったという証明だろうか。こういう一面的な数字から言うのは危険だと思うけれども、昭和六十年五月からの、文芸至上、修行専心の日々とは、かくも肥え太るものだったのか、という気がどうしてもする。
11/25 一項のみ
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[36 専心 了]