平成12年4月4日(火)〜
ふーちゃんはイラストのうまい子だった。
回覧メモの隅に自分の似顔絵なんか、これが似てるんだが、添えていた。
あとは、なんだかおっとりした、という印象しかなかった。最初は。
わたしは、たぶん、ふつうではないのだろう。
あのことははたち前だったけど、いい想い出ではなかった。
上司が、どうせ噂がでちゃったんだから、いっそ、と言う。
どうせですから、何もしなければ良いんじゃない。面倒なことは・・・ なんて含み笑いで答えた。
トレンドをつかむ。先頭をつっぱしるしか生き残れない。
口癖だった。
だから目立ったし、打たれる杭でもあったけど、負けないといつも歯を食いしばっていた。
わたしが切り回していた。表向きはその上司がしきっていたのだけれど、実質はこちらだったと思うよ。
お客とトラブったとき、どうせセクハラおやじだから行くのがいやだった。お好みでいいかもなんて気軽に、あの子を選んだ。
買いたくない人にまで買わせてしまうテクがなきゃあ、営業じゃないんだよ。
そう教えて送り出した。
意外だったけど、丸くまとめて帰ってきた。そんなに色っぽい子だったかって、あらためて顔や姿を見回しちゃった。
普通に話していたら、納得してくれたんだという。特別なことは何もらしい。なるほどね、よっぽどお気に入りのタイプだったか、と思った。この時は。
でもそれがフロックではないことが、何ヶ月もしないうちにはっきりしてきた。
不思議なくらい説得力のある子だったんだ。口がうまい訳じゃない。とつとつと当たり前のことを話すだけ。でも、まなざしが、それとも姿勢が、なんかわたしにはよく分からないけど、安心感や信頼を相手に抱かせるらしいんだ。終わりにほんのり笑んで、「いかがです」とうながされると、いやとは言えなくなっているらしい、誰でも。
わたしが散らかした案件の後始末係にした。
どんどん進む。細かい調整やらクレームやら、枝葉の面倒なことはこの子にまかせてわたしはただ切り開いていけばよかった。便利遣いに反発するような子でもなかった。「せんぱい」ってなついてくれた。たのもしくて、かわいらしかった。
でも、信じ込むと、てこでも動かない。
わたしがきついことを言っても首を縦にしなかった。
この子が首を縦にしないのなら、それは、縦にすべきことではないのだということが分かってきた。つまり、うちのほうに落ち度があるということ。
二人して再訪して頭を下げた。
わたしは、ひとに頭を下げると落ち込む。帰り道、いつになくおしゃべりになるのは、わたしを励ましたいからなんだろう。優しい子でもあるんだ。
快調。向かうところ敵なし。・・気分だけはこれだったし、もう、取締役あたりからも覚えめでたくて、二つ三つ飛び越えたところとラインを張って仕事していた。実質に形が追いつくのも時間の問題だったはず。
話があるという。
深刻そうだったから、恋愛関係だって勘がした。
「せんぱい。・・独立ってこと考えたことありませんか」
「ええ? ここ辞めるってこと」
「そういうこともあるかな。でも、意気込んで辞めてしまわなくてもいいとおもいますけど。お仕事の話です」
「どういう」
「ネット書店って知りませんか」
「知ってる。インターネットで注文して宅配便で届けてくれるってやつでしょ」
「あれ、しませんか」
「うーん、面白そうだけど、儲かってないんでしょ。日本じゃ」
「だから、辞めてしまわないで、ここで実験するんですよ。企画は通ると思う」
「通るだろうけど、利潤は上がらないリサーチって位置づけでしょう。万一うまくいくにしてもずっと先だから、それまで日陰の身だよ」
「実験だけ済んだら、辞めて、独立すればいいじゃないですか。それまでに十分儲かる感触をつかんでおけば」
「言うねえ、あんたも。そんな大胆なこと。めずらしい。会社への裏切りって言われそう。あはは」
「冗談ではないですよ。・・せんぱいにはこの会社、狭すぎます。もうずいぶん貢献したんですから、そろそろ踏み台にしても良いと思うな、あたしは」
具体的には、と彼女は続ける。
今は、書籍という現物を宅配便で顧客の手元に届けるという形が前提となっている。これからは、電子文字であるデータを通信で配布すればよい。コストはほとんどかからないから、作品さえ揃えば、利益率は高い。ネックはその作品の質と量、著作権関係だけれど、対策はある。
お客さんがお金を払ってもと思う著者を集めることが第一。
今だって本の貸し借りや図書館があるのだから、セキュリティに神経質になりすぎてはかえってお客が逃げる。きっぱりと、でも縛り付けないで、著作権を主張する。
「出版社を探してみたんです」
と二三の社名と概要を書いた紙をみせた。
「あんまり聞かない名ね」
「もうすぐ潰れそうな所ばかりですから」
「ええ、どうしてそんなところ」
「そのかわり、実績はあって、大家や書き盛りの人たちが昔、お世話になっています。おじいさんに近いけど、骨っぽい編集者たちも残っているみたい」
「そうか。その筋さえ押さえれば、コンテンツを持ってくることが可能なんだ」
「さすが、せんぱい。本って、著者名で売れるブランド品なんですよ。まずはここから入りましょう」
「でも、あれじゃない。紙の本に書いてきた人たちって、ネットの、重さのない、データだけの本なんて、毛嫌いすると思うよ」
「あたしもそう思います。でも、これからはそういうのが本になって行くんです。必ず。・・あたしが説得して回ります」
「・・あんたなら、うん、できるかもしれない」
「ありがとうございます。それに、データ通信なんですから、絵も音楽も付いた本が簡単にできますよ。工夫しだいでかわいらしいのがたくさん。そういうこれからの、生え抜きの創り手は、軌道に乗ってからゆっくりじっくり育てていけばいいと思います」
「・・そうかあ。本やマンガ、映画やCDやそういうのが融合していく感じか」
「でも、今説明したのは本番用ですから、ここで実験するときはまだあんまり出さないでくださいね」
「ふむふむ。・・おまえもワルじゃのう」
二人で声たてて笑った。
なんかいけそうな気がしてきた。この子を怖いとも感じた。
「もう一つ。お話が・・」
「なによ。まだあるの。儲け話?」
「結婚することにしました」
「えー、いつのまに」
「自分でも驚いてるくらいです。だから、ひと足先に、あたしは辞めます」
※
その、彼女の結婚退職の置きみやげで、走ってきた。
取りこぼしもあったし、競争相手も出てきた。
でも、先頭集団にいる。
年賀葉書に書いた。
《あんたと組めば天下が取れる。早く復帰しなよう》
あっちからの年賀葉書のイラストには、年々、子供の数が増えた。
《夢を語るのはきっと、誰でもできることなんですよ。一番大切な実行していくチカラが、せんぱいにはあるって信じてます》
とうとう子供が大小四人並んでるのが届いた。
《いくらなんでももう増えません。戦争の焼け野原みたいな毎日ですけど、そろそろあたしもって考えてますから》
よし、ということで、下ごしらえの済んでいた材料を鍋にかけた。待ちに待っていたから、つまり、勢いでもうわたしの会社を作っちゃったんだ。
あわただしい年が明けて、年賀葉書を見たら、にぎやかな彼女のイラストの自分のおなかの中になんかがいる。
《いやー、なんかできちゃったんだな、これが》
ふーちゃん。 ああ、もう・・
(了)
※ 注記 ※ 投稿時は、「出版者を探してみたんです」でしたが、 本稿では、「出版社を探してみたんです」と訂正しました。 |