上の人間て、そんなものですよ。
私はもうなれっこ。
自分の経験している(orしていた)業態を、守秘義務と折り合いをつけながら書く。これは、迫力でると思いますよ〜
それにほかの人たちには案外珍しくて、面白かったりするし。
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現代小説、または、現実小説と言ってもいいけれどそういうのは、背景については、作者も読者も百も承知なことばかり。そこで、いちいち書かなくて済む、あるものをそのまま借りればいい、というメリットはあると思います。
でも、現実がそうであるように、面白い話というのは、そうそう転がってはいないから、つらいですよね。上でいうメリットも、誰もが知っているからこそチェックが厳しいということと裏腹だし。
ただし、後世の人たちから見れば(または遠い国の人たちから見れば)、私たちのありふれた日常も異世界だから、興味わくとは思うのですけれど。
千年後でも読める小説、というより、時間が経てば経つほど味のでてくる世界。本当にきっちり創り上げられれば。
逆に、SF的世界は、背景から創らなければいけない。これは大変。だけど、この背景自体を楽しめるので、やりがいがあるとも言えそう。ほんと、よくできたSFは、設定だけでもう十分満足できてしまう。
でも、私が不安なのは、そういう、この世界の自由度。
あまりに好き勝手ができるので、糸の切れた凧みたいに妄想が飛んでいって、おなじみの虚無に至る、というような、あやうさがある感じ。
土台のはかなさが見えているだけに(読む方はだまされたいと思ってるだろうからまだいいけれど)、よっぽどしっかりしていないと、作者の方は、うつろ〜 という袋小路に陥りやすい気がします。
# tauさんは、ここら辺の手綱の取り方、もう十分心得ているみたいですね。
あと問題は、時間に対する耐性でしょうか。
(前回も書いたけど、現実界に夢を与えて、現実界をひっぱっていってしまうエネルギーというのは、貴重なんだけれど、−−現実に使い回されたあげく、作品自体は忘却のかなた、ということにもなりがち。光を失ってしまっても、使命は果たしたのだからそれはそれで幸福、とわりきってしまえばいいのかもしれないけど・・・)
つまり、むしろ、あまりに根拠薄弱で自分勝手で、相手にもされず、滅んでいってしまい、現実に見放されたようなテーマの方がむしろ長生きして、優秀で理論的で的を射ていて王道でそのまま現実に転用できるようなアイデアの方は古びていってしまうという、皮肉な宿命みたいものがあるかもしれない。
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新鮮だけど長持ち。
いつ読んでも新しい。
存分に楽しめて、読み終わったあとも余韻がいつまでも残る。
SFでも一般でも、こういうのが書けたらな・・・
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私が書きたい「SFっぽい」というのは、上でいう「あまりに根拠薄弱で自分勝手で、相手にもされず、滅んでいってしまい、現実に見放されたようなテーマ」あたり。でもしかし、まだ具体像は見えないですなあ。(↑ 見えてたらこんな表現にはならないよね)
科学の素養のない人間には、どうせこういうのしか書けないだろうから、ちょうどよさそうなんですが。 ← 泣き笑い
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私も、急に忙しくなっちゃった。
この発言も、迷いながら書いて、次の日になると削って、そんなふうにもう三日目。
それに、こういう根本的なところは、むずかしいですわ。