穂崎秋介さん。こんにちは!
> 文体についての質問です。
久しぶりに、「文学」という感じの話題ですね。うれしいです。
> 私は田中芳樹の文体に心酔していて、かのような文体を、一応目指しています。
> けど、あの文体は、そうそうまねできるものではなく、四苦八苦しています。
残念ながら、私は(たぶん)田中芳樹の小説を読んだことがないので、どういうものなのか知識がありません。
重厚で、難解な漢字を多用しているのでしょうか?
そういう表面的なこととは別なのかな、おっしゃっているのは。
もしそれが「難解な漢字を多用」ということでしたら、おおむね、漢文調ということでしょう。
この「調子」を身につけるには、現代の一作家ではなくて、漢文古典を学ぶのが正攻法だと思います。
中島敦や、夏目漱石の『吾輩は猫である』とか、あそこ辺りを私は今、イメージしてますけど。
> そこで質問ですが、他の作家の文体をまねるのは良いことなのでしょうか?
> 特に文体に癖のある作家をまねるのは。
悪いことではない、と思います。
が、あくまでも、トレーニングとしてなら、と思います。
完璧に真似することができたとしても、それは、真似ですから、「文芸」としては無価値です。
もう一人田中芳樹が誕生しても、しょうがないですもんね。
↑ ここら辺は、前にも書いたと思います。
#155 『 MUSTARD FLOWERS ROOM 』 を味わう
上記発言の後半、《小説について》も参照してくだされば、と思います。
私は若いころ、自分の文章の冗長さに嫌気がさして、『唐詩選』の原文を一年ぐらいほぼ毎日転写したことがありました。気のせいかもしれませんが、その後、文章の切れ味、無駄を厭う感覚、これらがかなり鋭くなったのでは、と自覚しました。
(例えそうだとしても、長い歳月が経っていますので、すでに相当なまくらになっちゃってますけど ^^;)
穂崎さんの文体は、穂崎さんの書きたい物語を次々産み落としていくうちに、総体としては穂崎さんの創造する心にふさわしく、個別的にはそのときどきの物語を生き生きと表わせる形、そういうものとして育っていくと思います。
それほど悩むことでもないかな、あるいは悩んでもしょうがないかな、と感じますが。
子曰く、学んで思わざればすなわちくらし。 思うて学ばざればすなわちあやうし。
『論語 為政』
これは、真理だと思います。
健闘を祈ります。