ねっとCafe/nc:小説工房談話室


タイトル  :RE:文体について
発言者   :和香
発言日付  :1998-12-26 13:26
発言番号  :837 ( 最大発言番号 :937 )
発言リンク:834 番へのコメント

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 穂崎秋介さん。こんにちは!

> 文体についての質問です。

 久しぶりに、「文学」という感じの話題ですね。うれしいです。



> 私は田中芳樹の文体に心酔していて、かのような文体を、一応目指しています。
> けど、あの文体は、そうそうまねできるものではなく、四苦八苦しています。

 残念ながら、私は(たぶん)田中芳樹の小説を読んだことがないので、どういうものなのか知識がありません。
 重厚で、難解な漢字を多用しているのでしょうか?
 そういう表面的なこととは別なのかな、おっしゃっているのは。

 もしそれが「難解な漢字を多用」ということでしたら、おおむね、漢文調ということでしょう。
 この「調子」を身につけるには、現代の一作家ではなくて、漢文古典を学ぶのが正攻法だと思います。
 中島敦や、夏目漱石の『吾輩は猫である』とか、あそこ辺りを私は今、イメージしてますけど。

> そこで質問ですが、他の作家の文体をまねるのは良いことなのでしょうか?
> 特に文体に癖のある作家をまねるのは。

 悪いことではない、と思います。
 が、あくまでも、トレーニングとしてなら、と思います。
 完璧に真似することができたとしても、それは、真似ですから、「文芸」としては無価値です。
 もう一人田中芳樹が誕生しても、しょうがないですもんね。

 ↑ ここら辺は、前にも書いたと思います。
  #155 『 MUSTARD FLOWERS ROOM 』 を味わう 
 上記発言の後半、《小説について》も参照してくだされば、と思います。


 私は若いころ、自分の文章の冗長さに嫌気がさして、『唐詩選』の原文を一年ぐらいほぼ毎日転写したことがありました。気のせいかもしれませんが、その後、文章の切れ味、無駄を厭う感覚、これらがかなり鋭くなったのでは、と自覚しました。
(例えそうだとしても、長い歳月が経っていますので、すでに相当なまくらになっちゃってますけど ^^;)

 穂崎さんの文体は、穂崎さんの書きたい物語を次々産み落としていくうちに、総体としては穂崎さんの創造する心にふさわしく、個別的にはそのときどきの物語を生き生きと表わせる形、そういうものとして育っていくと思います。
 それほど悩むことでもないかな、あるいは悩んでもしょうがないかな、と感じますが。




 子曰く、学んで思わざればすなわちくらし。 思うて学ばざればすなわちあやうし。

『論語 為政』

 これは、真理だと思います。
 健闘を祈ります。
 


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