当山はもと天台宗で、越前市(旧武生市)安養寺町に在りました。
文明5年(1473)、朝倉敏景(孝景)公が一乗谷に城を築いた際に武生から一乗谷へ移りました。
京都より浄土宗西山禅林寺派の顕要上人相忍大和尚を拝請し、浄土宗として相忍山 安養寺を開山いたしました。
永禄10年(1567)10月、足利義昭将軍が朝倉家を頼って一乗谷を訪れた際、安養寺に御所を建てられ滞在されました。
天台宗真盛派の真盛上人が一乗谷を訪れた際、当山において朝倉公に説法を行い、また天文16年(1547)、儒学者の清原宣賢が「大学」「中庸」等の講義を行いました。
天正元年(1573)8月20日、朝倉家滅亡のとき、一乗谷が焼き討ちにあい、当山も焼け落ちました。
天正3年(1575)、柴田勝家公が北ノ庄に城を築いた際、現在地に寺を移しました。
柴田氏滅亡の後は福井藩祖・結城秀康公が藩主となられたおり、帰依を受け、そのご母堂・お万の方(徳川家康公の側室)長松院様から、多くの寄進を受けました。
当山の門は安養寺の黒門と呼ばれ、安養寺が一乗谷焼失後も門だけは残り、移転され、幾度の火災や戦災に見舞われた際もこの門だけは無事でありました。
木鼻の竜が雨雲を呼び、また自らも水を吹いて、火を防いだと伝えられています。
しかし、昭和23年の福井大地震で惜しくも倒壊いたしました。長年、白い蛇がすみついていましたが、震災の前日に山へかえって行くところを先代住職がみかけたそうです。
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