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8月28日(水)

 目を覚ますと8時20分。「やばい!」とあわてて服を着ていると、部屋の電話が鳴った。出ると河野氏からで、今日案内できなくなったとのこと。しかたがないので、荷物をフロントに預けてから駅ビルへ行き、フィルムと広島のガイドブックを買い求める。
 この際だから広島の市電を乗りつぶそうと思い、まず駅前から宮島行きに乗る。原爆ドームは年寄りになっても見られるのであえてはずす。宮島行きは市内をのんびり(?)と走るが、広電西広島を出ると広島電鉄専用の軌道に入り態度を変えたようにぐんぐんスピードを上げる。この専用軌道のホームは、1つのホームに高低2つの部分があり、この市電は低いほうに停まる。広島駅前を出て1時間弱で広電宮島に着く。駅前はすぐ宮島行きのフェリー乗り場ではあるが、鳥居を見て気持ちが悪くなり折り返しの広島行きに乗る。
 広島駅前に戻ったところで面倒くさくなり、タクシーで市内をまわろうと昨日の「第一タクシー」に電話をする。昨日の運転手がよかったが、今日は休みとのこと。1時間3000円で商談がまとまり待っていたが、いつになってもそれらしきタクシーが来ない。しかたがないので、また市電を使うことにする。

 今度は広島地方気象台へ行くため江波行きに乗る。高校時代から地学部の気象班に出入りしていて、気象には興味があるのである。江波に着き、ガイドブックを頼りに歩く。かなり暑く、右側にお好み焼きの店を見つけ入る。適当にやってほしいと注文をしてからガイドブックを見ていると、「本を見てこの店に来たのですか?」と聞かれた。この店はガイドブックにも載っている店なのだそうだが、私の買ったガイドブックには載っていなかった。出来上がってくると店の人が「せっかく広島にきたのだから、広島風に食べてみれば」とヘラを出してきた。ヘラだと下にしいてあるキャベツが切りづらく悪戦苦闘していると、店の人が見かねて皿と箸を持ってきた。ここまできたらと私はヘラで食べきった。食後、店の人に気象台は見学できるか聞くと、見学勧誘らしきチラシが最近入っていたそうで、大丈夫であろうとのこと。
 店を出てしばらく歩くと、左手の丘の上に気象台らしき建物が見えてきた。しかし上がっていく道がわからない。この辺に住んでいそうなおばさんが親切に教えてくれたが、実際に行ってみるとはっきりしない。近くを通りかかったサラリーマン風のおじさんは地図を取り出して教えてくれた。これで大体わかり、かなり急な階段を登っていく。登りつめたら、もう息切れがし汗びっしょりである。
 気象台の中に入り、通りかかった人に見学したいと申し入れると「本当は見学できないんだけど、そんなに汗びっしょりで来てくれたんだから」と案内してくれた。まず気象台前にある庭で、いろいろな観測機器を説明されてから中に入れてくれた。建物はかなり古い。1階にある気圧をはかる部屋を見せてもらい、屋上にある太陽観測計(右上写真)、地震計、予報室のようにデータの集まるところなどをまわる。最後には応接室でコーラまでごちそうになってしまった。案内をしてくださったのはKさんという方で、お話をうかがうとこの気象台は2年後には移転し、ここは資料館になるとのことであった。お礼を言って気象台を出、隣りの江波山公園を歩く。このあたりは山の上なので眺めがよい。

 江波(左写真は江波車庫)から広島行きの市電に乗る。朝から3度原爆ドームの前を通ってきたが、この広島行きも原爆ドーム前を通る。どうしようかと思ううちに、中学生が下車のボタンを押した。私もつい下車してしまう。
 下車すると、すぐ目の前が広島市民球場。反対側が原爆ドームである。相生橋の中ほどから原爆ドームの写真を撮るが、どうも小さく見える(右下写真)。
 道路を渡り近くへ行ってみる。ドームの前には広島市の何かが書かれているものがあった。何が書いてあったかは忘れてしまったが、それを読んだときには胸にジーンと来るものがあって涙が出そうになった。ドームの下は当時の瓦礫がそのままで、原爆の破壊力の強さが多少はかりしれる。
 元安橋を渡り平和記念公園に入る。 原爆慰霊碑に書いてある「安らかに眠って下さい.過ちは繰り返しませぬから」の文字を読み、2度と戦争を起こしてはいけないとの思いが起こってくる。そのまま祈りの泉のそばを通り、資料館へ。

 公会堂前から広島駅行きのバスに乗車。しばらくは口がきけないほどのショックを受けたのであった。

 

 

 

翌日(8月29日)へ

 

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