七月の夢酔

言葉を発するとき、聴衆の数を意識するほど愚かなことはない。
海江田四郎(沈黙の艦隊/かわぐちかいじ)


物語の裏側(2005/7/1)
70年代の日本は、怒りの時代だった。と言う人がいる。その怒りも、個人や一企業に向けられた怒りではなく、社会そのものの歪み、ひずみに向けられた怒りだった。

そうした社会への怒りは、創作においては爆発力となる。そして、その怒りのエネルギーがそそがれた作品は、制作側の想定した、裏側の意図を感じさせることで、ただの娯楽番組にはない深さを持っていた。

レインボーマンに代表される川内康範作品は、現代なら子供番組でここまでやって良いのか。とPTAからクレームが来そうな程の内容だ。敵の組織の死ね死ね団にしても、かつて日本兵から虐待され、家族を殺された人たちの結社である。現代なら、もう、この段階からクレームが来そうだ。

圧巻は、22話「一億人を救え」。死ね死ね団の陰謀でハイパーインフレに陥った日本は、パンが一個数千円(70年代で)まで跳ね上がり、金はあるのに飢餓状態になり、食料品店への襲撃は後を絶たない。そこで、警官に逮捕される男のセリフがこうだ。「お巡りさんよ、家族も呼んできてくれよ。くさい飯でも、一家心中することはないからな」

子供番組で、ここまで、人間の裏側を出しても良いのか。とも思うが、さらにその裏には、家族のために、強奪を企てた。と言うこともわかり、決して飢餓から、獣になったわけではないことが伺える。人間のどす黒さと同時に、暖かさをも見せている。と言えなくもない。

ウルトラマンの実相寺監督の言葉を借りれば、「子供に分からなくたって良いんだ。子供が大人になったとき、あの時のシーンは、こういう意味だったのかと分かればいい」。この言葉も、ただの突き放しではなく、その裏側に、子供の時に見た作品が、大人になっても、脳裏に残る作品を作るのだ。と言う意気込みが感じられる。

現代のスタッフが、手を抜いているとは微塵も思わないが、力の入れ方が違う…と言うよりも、根底にあるエネルギーが違うのだろうか?。現代にあるのは、良かれ悪しかれ『自分を理解してくれ』と言う叫び。正確に理解される為に、一言一句、一挙手一投足、誤解されないような作りに走っているのだろうか?。

解釈に幅のない作品は、考えることを要求しない。考えなければ、読解力、想像力は鍛えられない。文科省の学力診断テストでも、次の文を要約せよとか、読解に関する問題は、無回答が多いと言うしなぁ。

60−80年代の作品を見るにつけ、そのパワーと深さの裏側を考えると、こういう結果に。一番分かりやすいのは、ボディスナッチャーですかね。56年、78年、93年と三作リメイクされています。どの版が面白いかで、自分の好みが分かるでしょう。私は、78年が一番面白かった。と言うか、怖かった。

まぁ、70年代と言うと、低予算なうえに、スポンサーの意向と、視聴率に負けた作品や、安易なコピー番組も少なくない年代ですが。レインボーマンも、興醒めな着ぐるみ…なら、まだしも、単なる全身タイツな怪人とかおりますデス。モノがない分、アイディアと技術でフォローという時代だったとも言えますけどね。脚本とか演出このままで、今の技術で作って欲しいなぁって作品が多々。しかし、微笑ましいほどの特撮だからこそ、良いのかも知れませんけど。

ちなみに、岩佐陽一著、70年代カルトTV図鑑に触発されて書きました。


学ぶ意識(2005/7/2)
群馬大学が、年齢を理由に不合格という、理不尽な行いをした。と言うニュースを見た。これね。

生涯学習が叫ばれて久しいが、結局現場レベルの意識は、こんなモノなのかと落胆せざるを得ない。本来ならば、大学以上の学府は、本人に意欲さえあれば、その門戸を開いておくものだ。少子化に向けて、社会人コースなど開いている大学も多い中、なんとも情け無いとしか言いようがない。

海外なんかだと、収入にゆとりができた初老の人が、講義を受ける姿ってのも、珍しいことではないのだが。群馬大学ってこたぁ、国公立なんでしょうかね。いやはや、全く情け無い。いや、本当に、なんの権限で不合格にしたんだか…国公立だとしたら、なんのかんの理由を付けて、うやむやにしそうだなぁ。

それにしても、55歳で、医学部合格とは。それこそ、血のにじむような試験勉強したんでしょうなぁ。受験勉強したことがあるならば、そんなことは、容易に推察できるだろうに。これもまた、想像力のなさ。なのかねぇ。


逃避先(2005/7/2)
高知の同級生への加害事件の犯人が、祖父の死語、「ナイフで人を刺したら、どんな感触だろう」とか、ホームページ上でつづっていたそうな。多くの人は、そこに狂気を見るのかも知れない。

けれども、私が感じたのは、弱さであり、逃避だ。

意志が弱いとか、理性が弱い。ではなく(とは言え、それらも弱いから事件を起こしたのだろうけど)、死に対する恐怖から、逃げ回っている。つまり、死を恐れる余り、死を与える側になることで、その恐怖を克服…は、できていないのだが、直面した死の恐怖から、逃げだそうとしていたに過ぎない。私は、そう感じた。

恐怖から逃れるために、恐怖を与える立場になる。そう考える人は少なくない。ホラー映画や小説を書いてる人で、本当は怖い話が嫌い。と言う人は、意外と多かったりする。

私の祖父が死んだとき、私は17だった。特に何かを感じたと言う記憶はない。本当に感じなかったのか、記憶を封印しているのか、まぁ、17と言えば、私がもっとも、自己から遊離していた時期で、無痛の時代だったからして、何とも言えない。

僅かに憶えているのは、骨壺に収める骨を拾うときに、最初は拒絶していたが、どうしてもと請われたために、最後になってしまい、頭蓋骨のてっぺんの骨を拾ったことだろうか。予想以上に軽かったのを憶えている。それぐらいだろうか。

それよりも、遺族の醜さの方が目についた。うちのような一般でそうなのだから、ン億もあるような、資産家の家ならば、そらぁ、骨肉の争いとなるだろうなぁ。とか思ったりしたことは、良く憶えている。

中学の時に同級生の葬儀に出かけたりもした。いつも、赤黒い顔色の子だなぁとは思っていたけれど、心臓に持病があったとは。それ以後、あの顔色の人を見るたびに、なんか病気なのだなぁと思うようにはなった。

って、話が逸れた。もしかしたら、少年犯罪と呼ばれるモノのほとんどに、近親者の死によって変化があるような気がする。もしかしたら、それらの多くは、死への恐怖に耐えかねて、死を与える側になることで、恐怖から逃げ出していただけなのかも知れない。まぁ、マスコミがそこを突破口にしか理解できなくて、無理矢理、近親者の死を探し出して居るのかも知れないけど。

それにしても、与える側にならなきゃ行けないほど、死は怖いものなのだろうか?。本来人間無一物。生まれるときに借り受けた、肉体と四苦八苦を、返却する。まぁ、こんなこと言ってる人間に限って、死に際は見苦しいんだよね。


70年代(2005/7/3)
確かに、絵は荒いけども、今でも鑑賞に耐えられる作品が多いのも事実だよなぁ。ストーリーとドラマがしっかりしていているからだろう。その裏で、設定を崩さない様にしながらも、社会批判というか、社会の歪みへの糾弾を、特撮ヒーローモノや、アニメで展開するのだから、もはや脱帽だ。

萌えの一言で、キャラクター性のみが売りの現代では、こういう作品はもう見れないのかなぁ。とか、妄想したり。

特にホラーモノにおいては、こうした裏側の設定や意味づけがないと、本当にお化け屋敷のような、特殊メイクや、おどろおどろしい怪物デザインで、きゃーきゃー言うだけになってしまう。

何も考えずに楽しめるのも良作だけど、何かを考えさせられるのもまた名作。そしてそれは、答えを押しつけるのではなく、考えさせる切っ掛けとなることが、望ましい。

やはり、裏がないと、厚みが足りないのかも知れない。と、最近しみじみ思う。厚みは、深さだ。深さは感慨に、感慨は感動に。なるのかなぁ。文芸って深いなぁ。と今さら思う


いろいろと(2005/7/4)
長嶋終身名誉監督:個人としては、病からの回復は素晴らしいことだ。と思う反面、いい加減に、マスコミもファンも、そして選手も、長嶋茂雄から、卒業しなければならないのではないかと思う。長嶋茂雄こそが、巨人一極支配の象徴であるのだから。

昨年のストライキを伴う野球改革がないまま、もし、長嶋茂雄という野球の象徴を失っていたら、野球界はどうなっていただろうか?。

もう、野球の象徴として、玉座に縛り付けるのは止め、一個人として、野球を楽しんで貰いたいと、切に願っています。北斗の拳のアサム王ではないけれど、野球の象徴としてではなく、本当に一個人として、ネット裏で野球を見たいのではないかと、1野球ファンに戻りたいのではなかと、私などは思っている。

学校:よく「いじめは認識していない」と言うが、認識してたら、事件まで発展しないよなぁ。まぁ、知ってても看過していたワケではない。と言う逃げなんだろうけど。知らないから、許される問題でもない。

と言うところで、カウンター回転激減っす。開設当初に戻ったぐらいのヒット数。言葉を発するときに聴衆の数を気にすることほど愚かなことはない。と言うけれど、私は凡夫なので。とは言いつつ、営業活動など一切しないのだから、減って当然とも言える。まぁ、夏の決算前だしねぇ。と言うことは、客層メインは社会人?。

まぁ、一念発起ではないけれど、なぜか、突如として、テーブルトークを憂う気持ちがこみ上げてきました。よって、品質は気にせず(ごめん、きにしてあの程度なの)、フリーシナリオの拡充を図ろうかと。そして、そのフリーシナリオを、ソロシナリオ化する。と。

その第一弾として、ヴァンパイア・ザ・マスカレード関連開始。ホントに、私って、機を見るに敏。と言う言葉から最も遠い位置に居る人間だよなぁ。まぁ、出足遅いけど、出発すると止まらないので。

しかしまぁ、実状として、対面でするTRPGってのは、もう無理かも知れない。一部では、やっているようだけど、チャットを使ったセッションってのが、普及すればいいなぁ。問題は、ダイス判定をどうするかだ。新世黙示録のDDSネットなんかでは、専用ツールで、ダイスを表示するシステムがあるようだけども。

オンラインダイスシステムとか、作ったら売れるかもなぁ。でも、手で振るから、乱数の奇跡が起こるんだよねぇ…


現象(2005/7/5)
どーでもいいが、話題が話題を呼ぶ、本当に祭り状態になってしまった電車男ですが、この現象を見聞するたびに『一杯のかけそば現象』を思い出すのは、年齢ゆえか。

内容云々と言うよりも、話題性というか、マスコミの宣伝工作というか、流行に乗らないと不安な人たちの心を掴んだようだ。一杯のかけそばのごとく、祭りが終わってみれば、アレはなんだったのか。と小首をかしげる人も出るのでは無かろうか。

2匹目のドジョウはことごとく失敗しているようですけどね。

クロ高。一部でカルト的な人気のある魁クロマティ高校ですが、高校名の由来となった元プロ野球選手が名前の使用にまったをかけたらしい。たしかに、今はもう懐かしい、80年代の不良がテーマ(と言うかメインキャラ)の不条理ギャグマンガなんですが、別に抗争に明け暮れてるワケじゃないけどなぁ。

たぶん、日本の球団に在籍していた頃の、不良マンガのイメージで告訴したんだろうけども。原作なり、アニメを見てから、告訴したのかしら?。メカ沢とか見て、本気で抗争に明け暮れると思ったのかしらん。作中にも、バース高もあるので、ランディ・バース氏はどう思っているのだろうか。と言うか、明らかに無断使用なんだから、出版社や配給元も、本人に確認すべきだったのかも知れない。

あら、ナイトフォールのリンク先間違ってたわ


あらら(2005/7/7)
リンクミスに引き続き失態を。クロ高の映画って、実写なんかぁっ。てっきり、アニメーションだとばかり思ってたわ。アニメ原作の実写となると、翻案というか、キャラと設定だけ借りてる場合が多いのでなんともー。


中国と北朝鮮(2005/7/8)
最近の中国のニュースを見ていると、やっぱり共産主義の独裁国家なんだなぁと痛感する。北朝鮮は、個人への尊崇で、人民を支配している訳だが、中国は、共産党という組織を神格化して、盲信と狂信を強要している。様に感じられる。抗日記念館で、インタビューに答える少年など、必死で暗記してきたようなしゃべり方だったし。内容も、戦中に戻ったかのようなセリフだった。

共産主義においては、宗教は人民のアヘンである。とまで言い切ったのに、その統治法は、宗教を感じさせるのは皮肉…と言うよりも、宗教と人心掌握法が、同一だったための敵視だろうか。

何はともあれ、上海の自由化、香港併合など、中国の自由化が進んでいると考えたのは、我々の妄想だったようだ。そういえば、天安門事件も、自由化が進んでいると周辺国が思い始めた頃に起こったよなぁ。最近の強硬な動きは、中国共産党の設立当初からいるような、爺さん連中の頑張りか。

まぁ、爺さんたちを頑張らせるほど、中国共産党の屋台骨が悲鳴を上げているとも取れるワケだが。もう、中国共産党の柱は、抗日しか残ってないんだよねぇ。経済は崩壊して資本主義化したし、対帝国主義と言っても、アメリカと張り合う国力も発言力も無し。どう見ても、沈む船なのだが、それに肩入れる日本の政治家は謎。と思ったら、共産主義の搦め手に捕らわれていたのね。

それから、台湾を妙に気にしているのは、やはり、国民党が決起して、中国本土で力を付けることを恐れている爺さん連中がいるのではないだろうか?。国共合作と言っても、所詮は、呉越同舟だったわけだし。戦後に、共産党が追い払った感じだしねぇ。南京大虐殺も、日中戦争初期の南京攻略戦よりも、中盤や終盤での事件に設定した方が無理がないはずなのに、あえて南京にした。と言うのも、国民党の拠点が南京だったから。ではないかと思うこの頃。


辛口に(2005/7/9)
少々ネタ切れ気味なので、ずいぶんと前に、学研のエソテリカ事典シリーズの世界の神々の事典。と言うのを購入した訳ですが、日本人が執筆した神話事典の中では、珠玉の出来。といっても良いでしょう。名前の羅列や、系譜の羅列、原典からの抜粋だけでなく、民俗・民族・宗教と言う視点からも、ちゃんと見ているし。複数著者の競作なので、著者によって内容にムラがあるのが難点と言えますが、すべて平均点は軽く超しているので問題はないです。

ただ、これはちょっと頂けない。と言う記述(コラムレベルのページ数ですが)があり、ケルピーの紹介に、プランシーの地獄の事典の挿絵を使用しているのですが、それは、地獄の事典のオロバスの挿絵。ゲティングスの悪魔の事典でも、あの図は、オロバス(地獄の事典より)と記載しているので、学研の事典が間違えていることは、間違いあるまい。

なにゆえ、オロバスを持ってきたのか、理解できないところだ。事典である以上、挿絵の事実確認とかにも、気を配って欲しいものだ。確実に、何人かの人間は、あの図をケルピーと思いこんだだろう。図表の選択が、文責者なのか、編集部なのか知らんけども。そこいらの研究者よりも、鈴木大司教のが詳しいと思うけどなぁ。一冊上梓してくれないかしら、大司教サマ。

20年近く…厳密には15年ぐらいまえかな。コンピューターRPGに端を発するファンタジーブームがあり、各誌こぞって、特集を組んだものだし、私もそれは楽しみだった。しかし、黎明期と言うこともあって、ヒドイ間違いをしたモノも多く(まぁ、元もとコンピューター雑誌だったのだから、仕方ないとも言えるが)、間違った知識を広めるのにも一役買ったのも事実。

有名なのは、リングメイルとバンディットメイルだろうか。一部の本では、リングメイルを、巨大な輪をたすき掛けにした、魔法の鎧としていたり、バンディットメイルの方は、バンデッド、つまり山賊と誤認して、山賊の付ける鎧。と書いてるモノもあった。知識レベルの底が上がった現代でも、認知度は低いかも知れないこの2点であるが。

ウィザードリィのKODか、3で、登場したバタフライナイフを蝶をもした華麗なナイフと紹介しているモノもあったなぁ。

そうそう、一番笑ったのは「日本では、エルフに高貴で清楚なイメージを持ちすぎている」と断じたものあったが、高貴で清楚なイメージを持ちだしたのは、トールキンじゃん。と、当時高校生の私は思ったものだ。現代の、と言うか、ファンタジーに登場する、エルフとドワーフ像は、まず間違いなく、トールキンに準拠している。長身痩躯で、尖った耳。と言うエルフのイメージそのものが、トールキン発と言っても過言ではないぐらいだし。本来の、神話や民話のエルフは、小人だからして。

地獄の事典によると、アイスランドのエルフ族は、人間サイズで、王制を引いているとか。光のエルフ、闇のエルフというのもこのあたりのエルフがモデルとかなんとか。トールキンも、ベンジョンソンの仮面劇に霊感を得たのかも知れない。


大河(2005/7/10)
BGMにテレビを付けると大河ドラマだった。なにやら、馬でなだらかな斜面を歩み降りていた。突撃の疾走感もなく、急斜面を降りていると言う緊迫もない。まぁ、傾斜はそれなりかも知れないが、所詮は丘を下っているに過ぎない。

映像に迫力全くなし。

何騎か脱落するシーンもあったが、どう見たって自分で落ちてるし。歩み程度の速度で下って、顔のアップで「ハァっ」とか意気込んでも、空転するのみで御座いますです。映像に迫力無く、劇的な印象もなくではねぇ。

この辺が、大河ドラマがつまらなくなったと言われるゆえんなんでしょうなぁ。一つ前の大河ドラマを訴えた方々がいましたが、カット割りにも版権認めたら、映画なんて撮れないよ。と思ったものですが…あまりに貧相な撮り方だったので怒ったのかしらん?。

それでもまぁ、インパクト映像集だけよりはマトモかも…と思わなくもないけど、脚本というか、セリフ回しもなんか…


楽だ(2005/7/12)
まぁ、昔プレイしたことあるからかも知れないけど、ファンタジーのシナリオって楽だなぁ。と言うか、現代物となると途端に手間が増えるのは、法治国家というのが、思いの外、制約が多いのだろうな。あとは、悪者退治して、スッキリ。と言うことに出来ないからだろう。

と言う訳で、遅々として進まない、マスカレードのソロシナリオの合間に、ソードワールドコーナー開催。ただ、ルールブック貸し出し中で、詳細データが載せられない。魔晶石って、精神点の結晶だったか、宝石に封入したのか忘れちゃった。


映画(2005/7/13)
仮面ライダー1号。いわゆる本郷ライダーを映画としてリメイクするようだ。このニュースを聞いて、ようやく日本の映画界も大人になったなぁと思ったりした訳です。ちゃんと、思想性とか、ドラマ作りをしっかりしていれば。ですが。

再三言ってますが、バットマンや、スパイダーマンってのは、コミックヒーローなんですよ。日本で言うなら、ドラえもんだったり、マジンガーZだったり、ドラゴンボールだったり、ワンピースだったり、その辺と同じ立ち位置なんですよ。私見を言わせて貰えれば、スターウォーズも、所詮は、ライトノベルのカテゴリー。似たようなポジションです。

なのに、海外ヒーローコミックの映画化となれば、騒ぎだし、日本のヒーローコミックだと、オタクとか子供向けなどと言われる始末。

何故、そうなってしまったかというと、やはり、子供向けだからと、東映マンガ祭りレベルの作りで良いや。と思っていたからではないかと。宣伝工作に載せられていると言うのもあるでしょうが、根っこにあるのは「子供向けだから」と、逃げているからでないかと。

NINNIN忍者ハットリ君(近年公開された香取慎吾主演のヤツ)あたりから、ようやく、ハリウッドが何をやっているか。と言うところに気がついた感じがしてます。イヤ、ホントに、Xメンとか、スパイダーマンとか、バットマンとか、日本でバカ騒ぎしているけど、コミックヒーローなのよ、あの人たち。

日本で言うなら、モロに仮面ライダーだし、サイボーグ009だし、北斗の拳だし。なのに、仮面ライダーの映画というと、オタクと子供とその母親むけ。と言われるのは…繰り返しになるので止めますが。

この初代ライダーのリメイクが、大人が見て、面白いと思える作り方、と言うよりも、本気で作っているのならば(イヤ、今までのが本気でないと言っている訳ではなくて、子供向けだからと思想性の部分をカットしたり、単純な図式に押し込んだり、スクールバスジャックしたりしていると言うコト)、をしているならば、日本の映画界の夜明けは近いと思います。

ときに、原作に寄せるのか、テレビシリーズに寄せるのか、ちょっと興味あります。原作だと、立花藤兵衛は、本郷家のじいやだからなぁ。


来るか、第三次ブーム(2005/7/14)
MSNのニュースサイトで、ホビージャパンがD&Dを再販するとの記事が。死者の里帰りのために、なにげにD&Dのルールを読み直していたりしていたので、シクロニシティってやつ?。

紹介文が、ぎこちないのは、やはり、説明が難しいゲームだからだろうなぁ。まぁ、何はともあれ、アメリカのインドアキッズのバイブルなので、知っておくと、世界が広がります。たとえば、映画ETの冒頭で、少年たちがプレイしているのもそうだし、アメリカのアニメでも、ちょいちょい登場する。例えば、デクスターズラボラトリーでは、M&M、モンスターアンドメイズとなっていたが、何のモチーフかは一目瞭然だ。

まぁ、それはともかく、MSNのような大手がテーブルトークを取り上げることにちょっとビックリ。かつての第二次ブームのときも、NHKが取り上げて、テレビで特集を組んだりしたほどなので、来るか第三次ブーム。

それはともかく、やはりD&Dの魅力は、莫大なモジュールにあると思うので、ルールだけの売り突っ放しだけは避けて欲しいものだ。と言うか、正味の話、現代では、ベーシックセットだけでは、何ともならんので、エキスパートの内容も含んで欲しいなぁ。そして、シナリオの書き方というのも、業界でベースライン決めてくんないかなぁ?。私が書いているのも、相当読みにくいと思んんだけど、他に良い方法思いつかない。

なにはともあれ、ソードワールド用とは言え、ファンタジーRPGコーナーを設置したのは、珍しく気を見るに敏だったのかっ。死者の里帰り、一番最初はD&Dでやったシナリオだしぃ。D&Dも内包するかの。黒田先生のD&Dがよく分かる本。は名著なんだけど、読み返してみると、黎明期ならではの歪みってのがちょっとあるし。カオティック=悪と言う解釈が見えるところがいくつか。まぁ、たぶん現代でも、アライメントに関しては、歪みが出るのだろうけども。

ともあれ、もう十年以上前から、RPGに関しては、倒立した状態が延々と続いている。RPGにかかわらず、映画やその他創作に関して、新たな視線が持てることは間違いないので、ゲーム業界だけでなく、映画とか、そう言う業界の人にもやってみて貰いたいモノだなぁ。

少なくとも、現代のコンピュータゲームが、プレイヤーを、どれほど蚊帳の外に置いているか、を体感できると思うので、ゲーム業界の方は特に…


レトロ(2005/7/18)
と言う訳で、D&Dに触れると、読みたくなるのが、清松みゆきさんの「AD&Dプールオブレディアンス冒険日誌」。これは、名著だと思ってます。まぁ、攻略本なんだけど、元がAD&Dなだけに、リプレイ方式で記述されている変わり種。そして、リプレイ形式が取れたのも、このプールが、一つの使命(テーブルトークで言う1シナリオ、今なら、クエストと言うべきか)の解法が一つではなく、様々な方策が取れる。と言うところにあるのだと思う。

普通攻略本というと、データブックで参照がメインになると思うのだけど、この「冒険日誌」、読んでると、無性に、プールオブレディアンスがやりたくなるんだよねぇ。んでまぁ、そのままプールを買うのはシャクなので、続編のカースオブアジュアボンドを買った訳ですが。後発のきつさに諦めていた訳ですよ。ワンダリングモンスターとの戦いが、キツすぎる…まぁ、マトモにマッピングしてなかったし。

と言う訳で、懐かしの98を引っ張り出して、プレイ。楽しいわ。プールにしろ、カースにしろ、テーブルトークらしさを出そうと追及しているのがよい。のですが、欠点もあり、メインのメッセージは、冒険者ジャーナルに書いてあって、まるで、ゲームブックのように、冒険の記録19番を読むこと。とか出るのですな。

まぁ、ハードディスクがまだまだ普及しておらず、フロッピィ数枚が限度だった時代に、タクティカルコンバットの敵の思考ロジックになるたけ裂いた結果のだろうけども。臨場感が、無くなるのね、冊子引っ張り出して読むという行為は。何年か前に、プールとともにリメイクされたんだけど、流行に乗ろうとして、リアルタイムバトルにしちゃったのよ。ベーシックなスタイルで作って欲しかったよ…

んで、98を引っ張り出したついでに、昔懐かし、DOSゲームに手が伸びるのは、人の宿命。今やると、昔のゲームだけあって、むちゃくちゃなフラグ立てを要求するゲーム多いわぁ、特にF&Cもの。そして、この時代から、主人公は人格があって、勝手なノリで喋りまくるんだけど、不思議と、蚊帳の外にいる感じはしない。単に、ノリの波長が合ってるだけなのか、他に何かあるのか、ちょっと考察してみたいところです。

そして、98Asの内蔵CDを認識させていないことを思い出す。まぁ、元々5インチ>3.5インチのコンバーターとして購入したAs(5インチモデル)だから、いらないと言えばいらないのだけども。それにしても、DOSコマンドをすっかり忘れていますな。Winなら、クリックポンっで済む、凍結ファイル解凍も、DOSの時代は、こんなに指定することがあったのだなぁ。しみじみ。


梅雨明け(2005/7/19)
梅雨明け宣言が出されて、いきなり、蝉が鳴き始め、いきなり夏になってしまいましたなぁ。岩に染みいると歌われたモノの、せわしない蝉の鳴き方は、暑さを助長させる気がする。と言う訳で、蝉はあまり好きではない。

と言う訳で、連休は、カースをやっていたのですが、マッピングって意外にはまる。と言うか、嗜好変わったのだろうか。昔は死ぬほど嫌いだったのだが。増えていく手書きの完成した地図と、書き始めたら、あらぬ方向に広がって、破棄を余儀なくされた書きかけの地図を見ると、ニヤニヤしてしまう。タッスルホフ・バーフットの気持ちがちょっと分かるよ、フィズバン。冒険日誌リスペクトで、カースの攻略記事でも書こうかしら。って、本当に今さらだよな。

ウィザードリィエクスも、チマチマとやってるんですが、素材が2つほど見つかりません。砕けた護符など、もう三つもあるのに。ひたすら、箱開け三昧。サマーディ。ダレもします。システムや、意気込みは良かったんだけど…システムは荒さが残ってるけども…クエストの出し方というか、設定がちょい淡泊。シナリオ関係が脆弱すぎると言う感じかなぁ。まぁ、久々の硬派なRPGではあったが。


欠陥(2005/7/20)
両手どころか、両足の指に他人の手足まで借りても、指折り数えられるか不安が残るほど、私の欠陥は多いですが、中でも致命的なのが、集中力の無さでしょうかね。

私の集中力は、深度は浅いわ、持続時間は短いわ。ちょっとしたことで途切れるわ、と最悪の部類でしょう。反面、マルチロックというか、2つ、3つなら同程度の注意力を向けることが出来るワケですが、世間では、複数同時進行よりも、一点集中のがよく働いていると思われておりますゆえに、長所にならんのですな。

私の場合、集中力がないと言うよりも、根気がないと言うべきか。と言っても、諦めるワケじゃないんだよねぇ。未だに「(某巨大掲示板で)さらすぞ」と、脅しをかけるのは、そこに権威を感じているからなのか?の考察は続いてます。クラスメートが「先生に言いつけてやる」と脅す場合、クラスという世界で、権力の頂点にいるのが担任教師だから通じるわけで、クラスメートに「三丁目の田中さんに言いつけてやる」といっても脅しにはならない。同じ三丁目に住んでいれば、効果あるかも知れないが。

巨大掲示板内で「さらす」と威嚇し合うのは理解できるのだが、それを全く無関係のところでも「さらす」と威嚇するのは、ロビンフッドに、三つ葉葵の印籠見せて「ひかえーい」と言うようなモノだよねぇ。とか。

って逸れた。興味の対象が移りやすいと言うべきか。他のことで、ひらめいたら、今やってること、ほっぽり投げちゃうんだよねぇ。調べ物してても、本来調べていたことから、脇へ逸れて、なんでこんなことを調べてんだ?。と思うこともしばしば。

…まてよ…サヴァンと言うか、そう言う症例の中に、こういうのあった気がするぞ…会社命令で研究開発の課題が出ているのに、他のことをひらめいたので、社命そっちのけで別のこと始めたりとか…良いように考えれば、もう少しで天才というカテゴリーに入れそうだけど入れない自閉症の症状がある人間なのだろうな、私も。

理化学系ならば、一発当てられたんだろうけど、思想哲学系では芽は出んだろうなぁ。そもそも、眼を見張るほどの鋭い考察をしている訳でも無し…切れ味良すぎて、相手が切られたことに気がついてないと言われたこともあるが…まぁ、あれだよ、知らないうちに指を切ってたコピー用紙ぐらいの鋭さ?


目の疲れに(2005/7/21)
眼の疲労から、頭痛肩こりに広がることも珍しくなく、意外とバカに出来ない目の疲れ。私の場合、不眠の原因だったりもする。

と言うのも、どうにも寝付けないときに、目もとひんやりシートを使うと熟睡できたからなんだよね。使い終わったシートを触ると、目の部分が、冬場にもかかわらず、暖かいと思うほど、熱を持っているのにもビックリした。

けれども、目もとひんやりシートは使い捨てで、効率が悪い上に、あまり売ってない。乳幼児用の熱さまシートに取って代われたのですな。あんまり売れなかったのだろう。濡れタオルを冷やしておいても良いけれど、後始末が面倒だしなぁ。そんなおりに見つけたのが、商品名忘れちゃったんだけど、アイマスクの部分に、冷却ジェルが入った商品。たぶん、目もとひんやりシートと同じ会社だったと思う。

布製の豪華なヤツではなく、塩化ビニールの安い方。布の方は、何かと汚れたり、温度差で水滴がつくと、黴びたりで、色々と面倒がありそうなので止めた。冷蔵庫で冷やせば、何度でも使用できるのが良い。

と言う訳で、目の疲れの自覚がある人で、最近どうも寝付きが悪い、熟睡できない。と言う人には、試して欲しい一品です。お勧めは、夜寝る前に、電気などを全て消してから装着し、数分間そのままでいる。寝相の悪くない人なら、そのまま寝ても良いと思う。

目の疲れが溜まっている人には、冷却マスクを軽く抑えるようにして、冷気を押し当てると効果的。それはもう、目の奥から、光のトゲトゲが抜け出てくるぐらいの心地よさ。

冷却マスクは、600円程度だと思ったので、気軽に試してみてくらっせ。大きめのドラッグストアならおいてあると思います。しかし、こう言うのも、新製品のうちに、宣伝しておけば、発売元から、何か貰えたかも知れないが…まぁ、利害関係ないところでの感想という訳で。つーか、それほどの集客力はねぇし。

あと、当然ながら、個人差があるので、効く人も、効かない人もいるかとは思いますが。まぶたの上から、目を軽く押さえてみて、熱を感じるようならば、効果はあると思う…んだけどなぁ。ああ、試しで1回ならば、固く絞った濡れタオルを冷やしておいて、目に乗せてみて試してみるというのもアリだな。


ふと真面目に(2005/7/22)
営業努力(有名どころの掲示板にアドレス残してみたりとか)しないのであれば、解析による集客努力をすべきではないかと、ふと思い立つ。と言うところで、各ネタのトップにアクセスログなどおいてみた。と言っても、何個設置出来るか分からなかったので、暫定です。今までは、総扉たるindexのみだったわけですが。

元々は、各ネタは、独立したサイトであっても良いぐらいの(まぁ、本当に独立させるためには、ボリューム不足ですが)、節操ない雑多の集合体で、どこに集客があるのか知りたいとは思っていたのですよ。と言うところで、一日…半日か、での集計段階で、コンピューターゲーム関係のトコ、総扉の倍は集客有るのね…やっぱ、第一はココかぁ。こんな、レゲーのレビューで、攻略記事も使えるのは、ガッツと愛しの言霊ぐらいだと言うのに…恐るべし、ゲーム人口。

と、感動する反面、ソロシナリオ的ゲームブックもどきの選択肢あり小説だましのカーマインに集客ゼロというシアーハートアタックを喰らう。ぐぬう。やはり、カーマイン丸パクリは、マズかったか…とは言え、骨の部分だけで、あとはガンダムワールドなんだけどねぇ。EXEAMと強化人間とバイオコンピューターの設定の隙を上手くついていると思うのだけどなぁ。

やはり、古代のゲームとは言え、屋台骨を丸ごと借りたことに問題があったか。ガンダムネタなら食い付きは計り知れないと思ったのだけどなぁ。

他のネタは、ほぼゼロに近い。これはまぁ、予想の範囲内。ここでまた、ふと思う。こうして解析したところで、客受けのために自分を歪める気など、毛頭無いので、なにも変わらないのでは無いかと。ゲームレビューも、数を増やすのは簡単だけど、なんにも感じなかったものから、レビュー書けって言われると、まぁ、書けるけど、もの凄い淡々とした内容になって、面白くないと思う。書くのも読むのも。


訃報(2005/7/26)
このところ、訃報ばかりが目につく。破壊王橋本真也選手の訃報に始まり、江戸風俗研究家杉浦日向子さん、つづいて、本日、吉本新喜劇の岡八郎さんの訃報をしる。

言葉としては、ご冥福をお祈りします。としか言えないのだけども、早すぎるよなぁ。

中高生の頃、ニュースなどで、ドラフトで騒がれた選手が、ベテランになり、引退の危機。とか報じられるのを見た時も、ちょっとショックだったけど…いや、お互い年取ったなぁと。子供の頃、学生の頃、好きだった芸人やスポーツ選手の訃報って、これから増えていくんだろうなぁ。老衰だけは止められないからねぇ。こう言うところで、自分が年を取ったと実感するのは、あまり気持ちの良いものではないなぁ。

でもちょっとだけ、新聞の訃報欄を収集する老人の気持ちが、なんとなくだけど、理解できた気がする。


調査結果(2005/7/27)
おおよそ、一週間(正味五日程度)、各ネタの扉にアクセスログをおいてみたワケですが、順位は
コンピューターゲームネタ>トップページ>>>>>ガンダムネタ>神話ネタ
と言う感じです。他のは、クリックミス?ぐらいの当たり方。

ここ二日ほどは、トップページのが三倍のゲインを誇ってますが、これはMSNの検索エンジンに登録した余波でしょう。ないしは、どっかで引用されたか?。総じて見てみると、神話ネタに当たりが有るのが意外でしたわ。ゲームと関連して調べているのでしょうかね。辞典的要素ゼロで、仮説と考察のみなので、素人さんはちょっと敷居が高いかも知れませんが。玄人さんには低すぎるでしょうけども。単語の知識量増やしても面白くないと思うんですけどね、歴史は。

レテ川、映画・文学論評にも意外と出入りがある。これは、Mrビーンのアニメ版発売のせいかねぇ。ビーンが好きな人には申し訳ないが。

そして、TRPGネタが冷え切っているのも意外。やっぱり、総人口少ないんだろうなぁ。もうちょっと当たりがあると思ったのだけども。ふむぅ、まぁ、ここは趣味のゾーンだし、地道にシナリオ増やして…って週一で一本書くってのもう破綻してるなオレ。いつか来るビッグウェーブを待とう。…発生源になろうという野心は無いのか、オレよ。

んでまぁ、ガンダムネタは、コンスタントな入り方。新作は、とことん無視してるからなぁ。新作を扱えば、入りは良くなるとは思うけども、どうにも、イマイチ入っていけないお年頃。


夏休み気分で(2005/7/27)
ちょっとした買い物の予定だったのですが、あまりに空が青かったので、街とは逆方向にバンクさせてました。突発的だったので、地図無し、目的無しの放浪。空の青と、山の蒼がとても懐かしい。山かげにはいると、打ち水されたような、冷えた空気が心地よくクールダウンさせてくれる。マイナスイオンの塊に飛び込んだ気分さー。懐かしき触覚を刺激する感覚。

旅のスタイルとしては、私は出足が重いタイプ。タイプ分類すると、2*2かな。出足の速い、遅い。と持続力のある、なし。ま、よーするに、思い立ったら、即、旅立つけど、日帰りが多い人とか、出発まで長いけど、出たら一週間は帰ってこないとか。そんな感じかなと。私は出足が遅くて、長いタイプでした。出発したら、地図なんか見ないクセに、入念にルートチェックしたりするタイプ。

そんなこんなで、県道の峠道、久々過ぎて、怖くてバンクさせられませーん(笑)。私の乗っているゼルビスは、クラッチのミート幅は尋常でなく広く、5速発進も出来たりするほど。反面、3速、4速の延びが無い。そのため、カーブを早く抜けるためには、突入時の加速と勢いをどれだけ殺さないようにするか。と言うコトを突き詰め、ほぼノーブレーキで突っ込むと言う戦法に。

クラッチのミート幅が広いのを利用して、シフトダウンとエンジンブレーキ、そして半クラッチで、速度調整して、カーブのピークを抜けて、車体の向きが変わると同時に、アクセル全開。下手すると、バンクしたまま、直線加速に入る。後続車に言わせると、殺人走法らしいですが。ブレーキランプが一切つかないので、緩いカーブなんだなぁと思いこむらしい。でもまぁ、速度は大したこと無いので、殺したことは有りません。対向車線にはみ出した人は、何人かいますが。

などと、ぼーっと考えながら走っていると、ノッキングの感触。路面が悪いのか、空気圧か、はたまた、ガソリン残量か。運行前点検なんか、何一つやってない。分かっているのは、バッテリーが死んでて、セルは回らないと言うこと。怖くなってそこでUターン。小一時間で、50qちょいのベリィショートツーリングでしたわ。ちなみに、帰宅して、タンク見たら、リザーブはいる直前で御座いました。

と気分良く帰還したら、ヤフオクに出品しているものに質問が。読むと意味不明。どうやら、修正再販された理由を「親切にも教えたった」と言うコトなんだろうなぁ。コッチとしては、音楽の盗作問題で販売停止になったシロモノだから、わざと濁して書いてんじゃぁ。つーか、質問欄なんだから、質問すれ。突っ込み欄じゃねーよ。夏休みだからなぁ…こういう手合い、増えるんだろうな。と思ったら、評価650っスか。しかも社会人か。やれやれだぜ。

なお、この手の手合いは、タチの悪い自縛霊と同じ。自縛霊が、自分を見える人間に執拗にちょっかい出してくるように、この手合いも、噛みついてくるのを待っていると思われるので、無視が一番ですよん。

20で成人ってのは、平均寿命60ぐらいの換算なんだよねぇ。もっと短かった江戸時代では、成人は15歳…13歳だっけ?。まぁ、その辺。平均寿命が80歳になりつつある日本において、本当の意味で、成人と呼ぶためには、何歳にするべきなのだろうか。


カース・オブ(2005/7/28)
と言う訳で、先ほど、カース・オブ・アジュア・ボンドクリア。マッピングのつもりでゴリゴリと進んでいたら、ボスと遭遇。事前の戦闘で、    僧侶がポイズンの魔法で死亡していたため、5人でのラスボス戦。適当にやったら、飼っちゃいました。まぁ、死者続出の強引な勝ちですが。最後に立っていたのは一人という乱戦。やっぱ、最後に物言うのは、ヘイストだよなぁ。

さて、感想としては、前々作プールの方が出来は良いと思われる。プールを未プレイなので、希望的な観測のせいかもしれないけれど、プールとカースの違いは、能動と受動の差。

プールは、役所から出される使命(クエスト・ミッション)を、自分の意志で選び、その目的達成のために知恵を絞ることが出来る数少ないゲームだったのですが、カースでは、物語は受動的に発生します。かけられた呪縛を解く。と言う、固定化された物語を追いかける、いわば従来型のスタイル。まぁ、どの呪縛から取りかかるかは自由。なんですが、それでも、呪縛から解放されるためには、敵を倒すしかない。

プールが、いわば単発シナリオを積み重ねることで、一つの物語となったのに対して、カースでは、最初から物語があり、それを追う形になっている。キャンペーンと、そうでないシナリオの違いと言えばそうなんでしょうけども。

まぁ、まだ読んでない冒険の記録が結構あるので、どこかにシナリオが潜んでいるのでしょうけど、カドルナ卿絡み見つからないのよ。とりあえず、書いた地図を忘れないうちに取り込もう。ちなみに、公開しているのは、筆ペンでフリーハンド書き。実際のマッピングは、方眼紙にしております。マッピングしたことある人なら分かると思いますが、フリーハンドで書く方がメンドイのよねぇ。

フリーハンドの方が、それっぽいかなぁと言うのと、あまりカッチリとマップ公開しても、楽しみ奪うかなぁと。まぁ、91年の発売の作品なんで、参考にする人がいるとは思えないけど。プロジェクトEGGで、プール・オブ・レディアンス出してくれ無いかねぇ。


半減期(2005/7/30)
急速な気力ダウン。スタジオゼウスの占いでも、乙女座は減退期らしい。一応、オカルトの知識が有るものとして、占いもちょくちょくチェックするのだが、一番的確なのは、スタジオゼウスのなんですわ。あー、こうして傾倒していって、身代潰すのね。

書かなきゃ〜と、思うのだけど、手は愚か、脳味噌が動かん。ぐぬぅ。しかし、この状況、体調、気力でも書けるか書けないかが、分かれ道。なんの道かは知らないけど。

と言うところで、強引に。昔のDOSゲーをちょろちょろとやってみた訳ですが、主人公の人格は、意外とキッチリ定まっているものが多い。カクテル、フェアリーテイル(現F&C)や、エルフの主人公など、顕著だ。だけど、物語全体から疎外されている感じは受けない。ONEやCASE266も、主人公が忘れているはずのない事件が、どんでん返しというミス(まぁ、ONEはバッドエンドで出るだけですが)をしているモノの、物語全体からの疎外感はない。

ぐぐっと時代は下って、テリオスのアンジェリウム。完全にプレイヤーは物語の外にいるよなぁ、コレ。

うぅむ…もしかしたら、単純に、画面にゼウスが居るからか?。一応、主人公はゼウスで、プレイヤーの視点もゼウスに…ないな。メッセージと言う名の解説も、完全に第三者、視聴者へのナレーションに近いし。いやぁ、主人公視点で画面を描いていれば、疎外感を感じないのかもと思ったけど、そうでもないらしい。

やっぱり、ゲーム性と言う言葉になるのだろうか。自分の選択が、物語の流れを作っていると言う感触が有れば、主人公の人格はどうでも良いのかなぁ?。うぅむ。前々まとまらない。難しい問題だからか、半減期だからか。


ゾーン(2005/7/31)
ジャンクスポーツをダラダラと見ていると、レスリングの吉田選手が「ゾーン」について語られ、他の競技の選手も、超集中空間の体験があるらしい。

ちなみに、恥ずかしながら私にも有ります。完全に入り込んだのは1回、入り口ぐらいのは数回有ります。完全にゾーンに入った時は、本当に時間が止まったと思いました。無音の白い空間で、相手が脱力状態で止まっているので、何も考えず、なんの躊躇もなく、さながら、打ち込みの練習のように、内股に入ると、なんの手応えもなく投げた。夢かと思うぐらい手応えがない。

んで、バンと相手が受け身を取る音が、催眠術を解く合図だったかのように、審判の「一本っ」と言う声がして、それでも、無音。ややあって大歓声が起こるというのが、完全にゾーンに入った時の記憶かなぁ。

歓声を消すのは、なかば故意に出来たので、とくに何とも追わなかったけど、投げるまでの感覚と、投げた後の間って言うのは、今でも思い出せる不思議感覚。ちなみにその試合はエキシビジョンというか、本試合でなく、中学生(私、中2)対高校生(三年生だったかな)の親善試合と言うほどぬるくはないけど、本試合ほど必死ではない試合。だからまぁ、向こうも手を抜いてたんだろうけども。

この時のあまりの綺麗な投げっぷりに、県の柔道協会会長に見初められたという話だったが。

呼び出されるまで、滅茶苦茶緊張して、後輩にも緊張しすぎと言われるほどだった訳ですが、場内と場外を分ける赤い畳を踏み越えた瞬間に、心拍は平常値に、思考もクリアー。調子が良いと、審判の「始めっ」のかけ声とともに、歓声が消え、観客さえも消え、白い空間に移送されるゾーンに入る訳ですが。

しかし、ゾーンか、良い表現だなぁ。私などは時間を止める(確かに観客の時間を止めたのだが…レイが飛翔白麗の動きの美しさで、ユダの時間を止めたようなもの?)などと言ってた訳ですが、それよりは、ゾーンの方が的確だ。ジャンクスポーツを見てて、とりあえず、思い出したので書いてみた。こうしてみると、まだスポーツに未練が有るみたい私。まぁ、腰痛で、選手生命でバッサリ切れたもんだからなぁ。魂が燃え尽きてないのかも知らん。



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