「ある青年の悟りの日」
2500年前・・・
苦しみに満ちた世界に希望の光を灯した青年がいました。
恵まれた環境に育ちながら・・・
心の叫びに素直にしたがって・・・
苦しみの源を知りたくて・・・
苦しみのない世界を知りたくて・・・
新しい世界に飛び出した青年がいました。
あそこにすごい人がいると聞けば・・・
すぐにその人を訪ね・・・
あそこには悟りを開いた人がいると聞けば・・・
すぐにその人の話を聞きに行く。
悟りのためには・・・
数々の苦行が必要と言われれば・・・
素直にその言葉に従って・・・
あらゆる苦行に身をさらけ出す。
でも・・・
その青年には・・・
満足できる平安は訪れませんでした。
身も心もぼろぼろになり・・・
川の中で聞いた歌は・・・
「弦を強くしても・・・いい音はならない」
「弦が弱くても・・・いい音はならない」
「強くもなく弱くもないそんなときに・・・いい音がなる」
それを聞いた青年は・・・
何かを感じて・・・
川から上がり・・・
菩提樹の前に座っていたところへ・・・
ある女性があたたかい乳粥を持ってきてくれた。
それをなんのためらいもなく素直に飲み干した青年は・・・
その女性に感謝をあらわして・・・
その後、その菩提樹の前で7日間の瞑想に入りました。
内なる対話を宇宙と重ねて・・・
七日目の朝・・・
その青年は・・・
この世界に悟りという花を咲かせてくれました。
その青年は・・・
以後ブッダとかお釈迦さまとか言われるようになりました。
彼の悟りの境地は誰にも分かりません。
ただ・・・
彼が苦しみの世界から・・・
その苦しみが何であるか・・・
その苦しみをなくすにはどうすればいいか・・・
それを彼の悟りの一部として・・・
わたしたちに残してくれたように思います。
それが・・・
般若心経のなかにすべて盛り込まれているのかもしれません。
この世界は苦に満ちているようにみえる・・・
しかるに・・・
その苦とは・・・
自分の思い通りにしたいことが・・・
思い通りにならないから苦しんでいる。
あ〜したい。
でも・・・
そうならない。
だから苦しい。
こ〜したいのに。
でも・・・
こうならない。
だから苦しい。
あの人に・・・
こうなってほしい。
でもならない。
だから苦しい。
自分の思い通りにしたい・・・
けどならない。
苦の始まりは・・・
自分の思い。
ならば・・・
自分の思いがなくなれば・・・
すべての苦は消えてしまいます。
自分の思いではなく・・・
宇宙にすべてをゆだねて・・・
起きることに感謝して・・・
淡々と目の前のことをこなしてゆけば・・・
いいのかもしれない!!!
そんなことを・・・
2500年前に菩提樹の前で朝日を見ながら・・・
お釈迦さまは感じていたのかもしれない。
そう・・・
12月8日という今日は・・・
お釈迦さまが悟りを開かれた日なんです。
35歳8ヶ月の12月8日の朝方・・・
358×358=128164
これは・・・
12月8日午前6時4分という解釈です。
宇宙のシナリオでは・・・
お釈迦さまは・・・
35歳8ヶ月になったときの12月8日の朝の6時頃に悟りを
開くことになっていたんです。
これから・・・
彼と同じようなことが・・・
みんなみんなに起きてきます!!!
それは特別なことじゃなくて・・・
あたりまえなこと・・・
そして・・・
自分がどんどん明るく幸せになることです。
楽しいよ〜〜〜
自分を・・・
愛してあげてね!!!
ルンルン・・・
ありがとうございます。