戊申戦役当時家中家族立ち退き状況の一節

 戊辰戦争で新庄藩は荘内軍に攻め込まれ、新庄の家中家族が一斉に友藩の秋田藩内に立退いた。これは小山家におけるその当時の状況を記した実話である。

この稿を草した可児友三は私の母方の祖父である。少年の頃、祖父がこの稿を読み聞かせてくれたのを覚えている。後年この原稿の存在が気になっていたが兄が持っていた。数年前こんなものが見つかったと筆写してくれた。友三は家中家族立退きの状況を記録したいと考え、最初私の曽祖母に話を聞きに行ったらしいが、多少ボケがきており話が断片的でまとまらなかったらしい。そこで瀬川夫人からの聞き取りになったが、さすがに瀬川夫人は記憶も確実でしっかりしたものに纏まっている。これを書いた時期は不明だが、愚推するに大正末期から昭和の初めではないかと思われる。その時期新庄には東大で史学を修めた峯金太郎による郷土機関誌「かつろく」の編集・発刊があり、全国の新庄最上出身者が競って投稿している。後年「かつろく」は新庄に咲いた大正デモクラシーの大輪と評され、その史料的価値は県内でも屈指といわれている。今風にいえば丁度「かつろく」は新庄最上をキーワードとしたメーリングリストのようにも感じられる。私の父方の祖父も当時積極的に投稿するかたわら一時期「かつろく」の編集にもたづさわり、別に郷土史の発刊もある。そのような環境の中で友三もそれらに刺激されたのではないかと思われる。しかし「かつろく」にこれが載っていないところをみるとこれも見当違いかもしれないが、今となっては確かめようもない。(nacca記)次ページ