ブラジル年表 その3

ブラジル年表 その1    ブラジル年表 その2     ブラジル年表 その4

 

軍事独裁の時代

1964年

64年4月

4.01 親グラール,反ブランコと目されていたサンパウロの第2軍司令官アマウリ・クルエルも反乱に参加.レシフェの第4軍も反乱に呼応.プリゾーラ上院議員(前知事),第3軍の動員を要請するが動かず.

4.01 リオの鉄鋼労働者,サンタカタリナの鉱山労働者が抗議のストに入る.レシフェでは抗議のデモに軍が発砲.学生二人が死亡.

4.02 アンドラーデ国会議長,ラビエリ・マジーリ(Pascoal Rabieri Mazzilli)下院議長を臨時大統領に任命.軍部によるクーデター成功.以後21年にわたり軍部独裁を敷く.クーデター作戦の実質的指導者は、ブランコの右腕といわれたコウト・エ・シルバ将軍。

4.02 第三軍,ポルトアレグレで外出禁止令を公布,ブリゾーラを軟禁状態に置く.

4.03 ジョンソン大統領はただちに新政府成立を祝うメッセージ.米政府が事前にクーデターを承知していたことが明らかになる.

4.03 グラール、南リオグランデからウルグアイに亡命.その他政府関係者など千名がウルグアイに亡命.

4.10 議会,軍司令部の提案になる暫定憲法を承認.大統領選挙を国会議員のみで行う間接選挙制が導入される.議会は軍司令部の推薦したブランコ統合参謀総長を大統領に選出。

4.11 「民主主義の敵」とみなされる人物の公民権剥奪,ならびに議員の院内特権の剥奪に関する諸権限,連邦および地方公務員の罷免権が与えられる.下院議員中の1割にあたる39人,上院議員一人が追放.ペルナンブコ州知事アラエスをふくめ一週間で約9千人が逮捕.

「民主主義の敵」 グラール,クアドロス,クビチェッキ,カルロス・プレステス,セレソ・フルタード,フランシスコ・ジュリアンなど著名人60人にたいして10年間の公民権剥奪が宣言される.大学総長2人,公務員3300人,将軍・提督34人が解職される.

4.13 ブラジリア大学に軍警察400人が侵入し制圧.

4.14 軍司令部,「軍最高指導部」(Alto-Comando das Forcas Armada - ACFA) を設置.この時点で、三軍兵力は20万人。さらに12万人が準軍事機構に所属していた。

4.15 ブランコが大統領に就任。議会の承認を得て就任.陸軍長官にはコスタ・エ・シルバが就任.軍政令第1号(戒厳令)を公布.アメリカ政府,ブラジルに3億ドルの「緊急援助」を決定。

コスタ・エ・シルバ: 22年のテネンテスの反乱に加わり逮捕された経歴を持つ。60年からレシフェの第4軍司令官を勤めたが、学生などの運動に激しい弾圧を加えたため、1年で解任される。

64年5月

5.04 プリゾーラ,国内での抵抗を断念しウルグアイに亡命.モンテビデオで記者会見し、4万人が投獄されたと声明.

5.09 共産党中央委員マリゲーラ,サンパウロの将校クラブを襲撃。警察によって撃たれ重傷を負うが、回復後に病院からの脱走に成功。(クーデターの後、彼は追跡され映画館に逃げ込んだ後、撃たれ逮捕されるが、大衆の圧力の下で自由を回復したという、日時不明の記述もある)

 

 

        マリゲーラ

5.13 キューバと断交

5 スト禁止法.ジュリアンらの農民同盟は弾圧により解体.ジュリアンも逮捕される。

5 ブランコ,来年に予定された大統領選を中止し,今後3年間ひきつづき大統領職にとどまると声明.本格的な政権運営に乗り出す.前駐米大使で高等軍事学校講師のロベルト・カンポスが経済企画相に就任.インフレの収束などの「経済安定化三か年計画(PAEG)」に着手.ほかにオタビオ・ブリョンエス蔵相など経済テクノクラートの影響強まる.

64年6月

6.13 ブラジル,大統領令により直属の国家情報局(SNI)創設.初代長官にコウト・エ・シルバ将軍が就任.コスタ・エ・シルバ陸軍総司令官ら軍内タカ派は軍情報部との競合を恐れる.

コウト・エ・シルバ将軍(Artur Golbery do Couto e Silva): 軍事クーデターの思想的指導者,「ブラジルの地政学」を発表.
世界は本質的に二つのブロックに分けられる.ひとつは資本主義とキリスト教の西側世界であり,もうひとつは共産主義と無神論の支配する東側世界である.両者の価値観はまったく異なっており,和解は不可能である.東西対立が国内に持ちこまれ,国家存立が危機におい込まれる状況にあっては,国家主権は人民に属するものではなく,国家の生き残りという大義に由来する.

6.13 クーデター政権,アマゾナス州知事プリニオ・コエリョを解任.

7.22 議会,大統領の任期を67年3月まで延長することを決定.

10.30 カステロ・ブランコ,軍が拷問を行っているとの報道を否定.

64年11月

11.09 スプリシ法(教育相スプリシ・ダ・ラセルダの提案したもの)が126対117で可決される.全学連(UNE)解散.各大学で教官の赤狩り始まる.パウロ・フレイレも75日間拘留され,その後ヨーロッパ亡命を余儀なくされる.

11.26 軍部,ゴイア州に干渉.マウロ・ボルジスを追放.

11.30 カステロ・ブランコ,土地法を発表.農地の有償譲渡を認める.実際の適応例は皆無.

11 ボリビアで反共クーデター.ブラジルからの亡命者はチリへ再亡命.

64年12月

12.02 軍事政府、ブラジル滞在中のペロンを国外追放。ペロンはスペインに亡命。

12.10 有名歌手のナラ・レオン,ゼー・ケティ,ジョアン・ド・ヴァレらが軍政非難の声をあげる.のちにマリア・ベターニャも加わる.

 

1965年

1.13 IMF,1億2千5百万ドルの特別融資を決定.経済3ヵ年計画発足.

1月 ブリゾーラのイニシアチブでモンテビデオ協定が結ばれる。人民行動(AP)のJose Guimaraes Neiva Moreira, Darcy Ribeiro(前教育相)、 Pablo Schilling、共産党(アルド・アランテス)、トロツキスト労働者革命党(PORT)、PCdoB(Claudio Antonio Vasconcelos Cavalcanti)が署名。@「反乱」により権力を奪取すること、A民族派ブルジョアジーの参加を拒まないこと、B五つの組織による解放人民戦線(FPL)と全国司令部(CN)の結成、などで合意。

65年3月 カルディンのトレスパソス作戦

3.11 学生活動家がリオのフンダオで集会.軍政反対宣言を発表.

3.12 モンテビデオのブリゾーラ邸でトレスパソス作戦が決定される。Jeferson Cardim de Alencar Osorio 元砲兵大佐ら17人がブラジル領内に潜入し、25日を期してトレスパソスの放送局を占拠。革命を訴える放送を流すという計画。これと同時にニコルの部隊がボリビアからマトグロッソに侵入することとなる。

3.13 自由を求める知識人宣言が発表される.

3.18 Cardim, Albery and Alcindor Airesらがタクシーでモンテビデオを出発。ブラジル領内の隠れ家に20名余りが結集。

3.22 クーデター後初の選挙.独裁政権拒否の声が多数を占める.ジャニオの後継者リマがサンパウロ市長に当選.

3.25 武装集団、トレスパソスで軍の駐屯所を襲撃し武器を奪った後、放送局から「民族解放武装勢力」(FALN)の結成宣言を放送。

3.26 カルディン、Itapirangaなどアルゼンチン国境ぞいの三つの町を一時占領.山間部に拠点形成を試みる。

3.26 カステロ・ブランコはこのときパラナ川にかかる友好橋の開通式に臨席するため、イグアスに滞在中だった。彼はただちに軍政転覆の陰謀を阻止するよう各将軍に指示するとともに、カルディン部隊鎮圧のため現地の陸・空部隊に出動を命じる.

3.27 カルディンのFALN部隊、掃討部隊に待ち伏せ攻撃。甚大な被害を与えるがまもなく空軍の爆撃にあい壊滅。その後パラシュート部隊に包囲され23人が死亡.カルディンら3名は捕えられる。

65年4月

4.21 ミゲル・アライス,1年の収監後国外追放となる.その後14年をアルジェリアで暮らす.

4 米州開発銀行,1億ドルの借款を供与.

5.22 アメリカの要請に応じ,ドミニカへ1,500名を派兵.

6.02 サンパウロ大学で学生の抗議スト.軍警察が学内に侵入し関係者を逮捕.

65年10月

10.03 ブランコ,軍内強硬派の反対を押切り11州の知事選を実施.非合法化を免れた社会民主党が,ミナス州やグアナバラ州など5州で軍政支持候補に勝つ.ほか2州でも野党の勝利.サンパウロ州知事となったアデマル・デ・バロスが民政復帰運動の先頭に立つ。

10.04 クビチェック元大統領,パリより帰国.市民多数が歓迎集会.

10.11 ミルトン・カンポス司法相, 軍政令第2号に抗議し辞任.

10.18 警察,ブラジリア大学に侵入し閉鎖.教授210名が抗議の辞職.

10.27 ブランコ大統領,軍政令第2号公布.残された13の政党すべてを2年間の活動禁止.最高裁判事を政府任命制とし,大統領および州知事の直接選挙制度を廃止.帰国したばかりのクビチェックを国外追放.

65年11月

11.17 リオでOAS総会.知識人が会場にデモ,軍事独裁反対を訴える.

11.24 既成政党に代わる官製政党を設置,与党のARENA(国家革新連盟)と公認野党のMDB(ブラジル民主運動)に限り政治活動を許可.

12 土地制定法公布.農地改革モデル地区を設定.

65年 人口の都市集中化が進む。この年、人口の70%以上は、大都市区域に住んでいた。

 

1966年

66年1月

1.22 国会、軍司令部提案の新憲法を承認。

1 軍内最右派のコスタ・エ・シルバ国防相,大統領選への出馬を表明.ブランコ大統領=ガイゼル参謀総長の民政復帰論を押しきる.

1月 ハバナで三大陸人民連帯会議。ブリゾーラは元CGT議長のアルイシオ・パリャノを派遣。会議はブリゾーラをブラジル革命の指導者と認定。ブリゾーラはこれを受けて民族革命運動(MNR)を結成。モンテビデオに組織本部を設置。リオに全国司令部を置く。

MNRの主要メンバー: モンテビデオではドゴベルト・ロドリゲス元大佐を中心にAlmino Alfonso, Pablo Schilling, Almir Olimpio de Melo ("Pablo Melo"), Jose Guimaraes Neiva Moreira and Moyses Kupperman.
リオはBayard Demaria Boiteauxを司令官とし、Amadeu de Almeida Rockが政治面を、Juarez Alberto de Souza Moreira元大尉が軍事面を指導する。ジャーナリストのFlavio Aristides de Freitas Tavaresがウルグアイとリオを結ぶ伝令となる。

1.11 リオデジャネイロにハリケーン襲来.ファベイラでは地すべりで550人が死亡,5万人が「家」を失う.

2.05 ブランコ大統領,軍政令第三号を公布.大統領と州知事,主要都市市長の直接選挙制を廃止,議会による間接選挙とする.大統領には,経済と軍事治安に関する布告や法を発令する権限,公務員を追放する権限,国会との相談なしに地方政治に介入する権限が与えられる.

3.31 レシフェの5月13日広場と第4軍司令部で同時爆弾テロ。市議会前に仕掛けられた三発目は不発に終わる。この後7月まで3回の爆弾テロ。Partido Comunista Revolucionario (PCR)とPCBRによるものとされる。

5.20 レシフェで二回目の爆弾テロ。ペルナンブコ州議会に三発の爆弾が仕掛けられる。

66年は爆弾テロの年であった。年初にポルト・アレグレで最初の爆弾テロがあった後、ペルナンブコのほか米国領事私邸、USISビルディング、三人の閣僚の私邸が爆弾テロの対象となった。

5 ARENA,シルバを党首に指名.選挙キャンペーンを開始.

66年6月

6.05 反軍政派の代表アデマル・デ・バロス,サンパウロ州知事を罷免され10年間の市民権停止処分を受ける.

6月 PCdoBの第6回大会。ミナス州のGuaracy Raniero(歯科医)は武装闘争を主張するが孤立。その後鉱山三角地帯のUberlandiaで武装グループの組織を開始。

7.25 レシフェで三回目の爆弾テロ。ペルナンブコ学生連合本部前、アメリカ情報サービスセンター、Guararapes国際空港で三発の爆弾が爆発。国際空港の爆弾では17名が犠牲となる。

7.28 UNEの第28回大会,非合法下にベロオリゾンテで開催.ホセ・ルイス・ゲジスを議長に選出.

8.24 3月に逮捕されて以来行方不明だったマノエル・ライムンド・ソアレス軍曹の遺体が,南リオ州の川に浮かんでいるのが発見される.遺体には無数の拷問のあとが残される.

66年9月

9.03 12の州の知事の間接選挙.政府支持者がポストを独占.

9.23 Praia Vermelha虐殺事件.軍警察がリオ大学医学部に乱入し学生を殺害.Praia Vermelhaは「赤い海岸」の意。リオ大学のキャンパスがある。

9 授業料値上げ反対に警察が弾圧.これに端を発し,全国軍事独裁反対デーを展開.18万の学生の半数が参加,2千人が逮捕,1千人が負傷.

66年10月

10.03 コスタ・エ・シルバ元帥,ARENA候補として大統領「選挙」に立起。国会での選挙で「選出」される.大統領に就任したシルバは国会を一時閉鎖,国会議員多数を公職追放処分.

10.28 リオで独裁に反対する拡大戦線が結成される.ラセルダ,ゴラール,クビチェックらも参加.

66年11月

11.15 国会選挙。ARENAが409議席中277議席の絶対過半数を確保。公認野党のMDPは150議席を獲得。

11.19 ジュセリーノとラセルダ,リスボンで軍事独裁反対の共同声明を発表.

11月 キューバとウルグアイで訓練を受けたMNR兵士がブラジル国内への潜入を開始。

当初は三ヶ所に拠点を形成する計画であった。@南リオグランデ(アマデウ・フィリップ元軍曹)、A中部(フラビオ・タバレス)、Bマトグロッソ(ダゴベルト・ロドリゲス)。その後中部戦線を先行することとなる。

12 55才の古参党員カルロス・マリゲラ,「ブラジルの危機」を発表。ブラジル共産党の合法主義路線、中流階級との同盟路線に反対し、平和的権力獲得は不可能とする。ブラジリアの近くにゲリラ拠点を作るとしつつも、当面、都市のゲリラを通して資金を確保することを目指す。

カルロス・マリゲイラ: 1911年、バイアの生まれ、27年、学生時代に入党。43年から中央委員。戦後はバイア選出の下院議員となる。その後、党中央執行委員権書記局員、「プロブレマ」誌の編集長。53年から1年間、党代表として中国に滞在したが、マオイストではなかった。63年からはプレステスの右翼日和見主義を批判するようになる。66年に「ブラジルの危機」を発表した後中央執行委員を辞任。合法主義と小ブルとの統一にこだわる党を批判、人民革命政府の樹立を目指す。

1967年

67年1月

1.08 ジャーナリストと芸術家,サンパウロのパラマウント劇場で集会.新出版法を非難.

1.24 議会,カステロ新憲法を承認,中央政府の権限が一段と強化される.MDBは条文の一部修正を要求.

1.25 国家安全保障会議が創設される.軍事独裁政権の中核となる.

2.09 カステロ大統領,新出版法(Lei Rolha )を承認.検閲制度が合法化される.

2月 MNRのフラビオ・タバレスがUberlandiaのグループと接触。MNRの傘下に入ることで合意、

67年3月

3.13 国家安全保障法が成立.

3.15 シルバ大統領就任.デノミをおこない緊縮政策をとる.サンパウロ大学教授でシカゴ学派のデルフィン・ネット,蔵相に就任.あらたに国防相に就任したアウレリオ・デ・リラ・タバレス将軍は,オルランド・ガイゼル参謀総長の反対を押しきり,陸軍内にSNIとは別にCIEを創設.

3月 MNR、ミナスジェライスとエスピリト・サント州の境界附近カパラオ(Caparaó )山脈に拠点を形成する。物資の欠乏に悩み、住民の食料を盗むなどして信頼を失う.

4.03 カパラオのMNR,第一軍の急襲を受け,8人が逮捕される.このとき隊員は、わずか11名を残すのみだったという。アマゾナス州でもゲリラが逮捕されるが、構成員はわずか5人だった。

4月 軍はマトグロッソ州でゲリラ摘発作戦を展開、170人を逮捕。

67年7月

7.18 カステロ・ブランコ前大統領,飛行機事故のため死亡.

7.19  Tribuna da Imprensaの記者Hélio Fernandes,カステロ批判の文章を書いたため,Fernando de Noronha監獄に収監される.

7月 Uberlandiaのグループも崩壊。メンバーのほとんどが逮捕される。サンパウロのMNR残党は、69年にVPRを結成。

67年8月

8.02 非合法下のブラジル全学連が,サンパウロ州Vineyardで 第29回大会を開催.「革命綱領」を採択.Luís Travassosを議長に選出.

8.03 サンパウロで,宗教者が抑圧体制を非難する声明が発表される.

8.03 亡命中のクワドロス,ふたたび拡大戦線の組織を開始すると声明.

8.30 クビチェック,ラセルダなど保守派の指導者,反政府派の「拡大戦線」結成.

8 ハバナでOLAS大会。PCBは代表派遣を見送るが、カルロス・マリゲラは党の許可を得ることなく、個人の資格で参加。武装抵抗を支持するハバナ宣言に署名。

67年9月

9.25 共産党第六回大会,マリゲラ,「党中央委員会への手紙」を発表.「民主主義の再生とか平和的手段などという幻想で革命を実現」できるというのは「反動路線」でしかないと批判.党中央はキューバ派による武装蜂起路線を拒否.

11.30 CNBB(ブラジル司教会議),聖職者に対する弾圧に抗議.

12月 PCB、マリゲイラとその同調者を正式に除名。マリゲイラは農村ゲリラへの移行過程としてサンパウロで都市ゲリラ部隊,民族解放行動(ALN)の組織を開始.ALNの頭文字は、35年の民族解放同盟(Allianza)にちなんだものといわれる。

1967年  ブラジル・プロテスタント系11教派の共同する社会活動組織ディアコニア,セルタォンと呼ばれるブラジル北東部の奥地で活動開始.

 

1968年

2月 ALN、サンパウロで都市ゲリラ活動を開始。学生、知識人の支持を結集し、最大組織員数は200人に達する。

3.20 非マルクス主義急進派の学生を中心に革命的人民前衛(Vanguarda Popular Revolucionara: VPR)結成.OLAS路線をとり,都市ゲリラ闘争を支持.軍内の左派若手将校と結びつく。VPR、サンパウロの米領事館に時限爆弾。

3 大学の民主化を求め,政府の教育部門軽視の傾向に抗議するデモ行進が相次ぐ.

3.28 軍警察の部隊が大学のレストラン「Calabouco」を襲撃。高校生のÉdson Luís de Lima Soutoが射殺される。

3.29 Édson Luísの葬儀には5万人が参加,「学生を殺した.彼の子供だったかもしれないのに」と抗議する.当局の弾圧により、リオとゴイアニアでさらに3人が死亡.

68年4月 反軍政運動の高揚

4.01 ブラジリア大学で学生が校舎を占拠。

4.01 リオで学生と軍警察が衝突.1人が死亡、30人が負傷.軍はリオ中心部を制圧下に置く.

4.04 リオのCandelária教会でエドソン・ルイスの初七日のミサ.軍警察,600人を逮捕する.聖職者は学生を守るために人間の鎖を組む。

4.04 Costa e Silva大統領,Portaria 177を公布.拡大戦線を禁止.関係する書籍・雑誌を発禁処分に.

4.05 Gama e Silva司法相,拡大戦線を非合法化.

4.16  労働者のスト広がる.ミナス州Contagemで金属労働者のストライキ.15千人が参加.

4.17 軍事政権,68の自治体における市長選挙を「治安上の理由で」一時中止させる.

4.20 「Estado de S.Paulo」紙にVPRの爆弾テロ.

4 マリゲラ派,「サンパウロ共産主義者グループの宣言」を発表.PCBやPCdoBとの対立を表明.「軍事・政治司令部」創設を打ちだす.

4 共産党左派グループ,党の対ソ盲従と改良主義路線に反対し革命派共産党(PCBR)結成.分派活動により党を除名されたアルベス・デ・ソウザ・ビエイラ,アポロニオ・ピント・デ・カルバリョが指導.キューバ路線をとる.学生に対し武装挑発行動を扇動.

4月 4 PCBR、「政治指針」(Linha política)を発表。ブラジル革命の基本目標を「ブルジョア国家における官僚装置の破壊および人民革命政府の樹立」と規定。

ゲリラ各派における革命の性格規定: PCdoBとその分派であるAla Vermelha and Partido Comunista Revolucionarioは、PCBの規定を引き継ぎ、反帝・反封建革命路線を維持。また民族派ゲリラ(Movimento Nacionalista Revolucionario and the Resistencia Armada Nacionalistaなど)もほぼ同様の規定を用いる。いっぽうVanguarda Popular Revolucionaria and the Comandos de Libertacao Nacionalの革命の性格規定はあいまいなままだった。VPRは「人民民主主義的改革」を掲げ、社会主義的特徴を打ち出していた。コマンドスには両者が混在していたといわれる。両者の合同したVanguarda Armada Revolucionaria-Palmares,またOrganizacao Revolucionaria Marxistaの流れを汲むPartido Revolucionario dos TrabalhadoresやMovimento Revolucionario 8 de Outubroにおいても事態は同様であった。

68年5月

5.02 サンパウロで激しい反米デモ.労働者がセー広場の政府ビルに投石.

5.03 Belo Horizonte大学医学部の学生が校舎を占拠する。2日後に警察が入り、学生117人を逮捕する。

5.05 サンパウロの共産主義労働者党(POLOP)グループ、ブリゾーラと決別し革命人民前衛(VPR)に合流.(この党の詳細は、目下不明)

68年6月

6.02 サンパウロのカトリック大学(PUC)が学生により占拠される。

6.12 サンパウロ大学(USP)で学生が哲学部校舎を占拠。

6 政府,拡大戦線を解散.

6.21 リオで「血の金曜日」(Sexta-Feira Sangrenta )事件.弾圧に抗議する学生4百人が国会に突入,米大使館を襲撃.8時間にわたる攻防で多数が死亡。

公式発表では警官一人をふくむ2人が死亡。数十人が負傷したとされるが、救急病院の当直医は28人の遺体を数えたと証言している。

6.22 サンパウロの陸軍病院をVPR活動家10人が襲撃。小銃などを奪う。

6.22 リオの知識人が,警察の弾圧に抗議するデモ.

6.23 サンパウロ大学で学生と教官との共闘委員会が設立される.

6.23 政府はサンパウロ大学を閉鎖.

6.24 サンパウロ大学の法学部が学生により占拠される。

6.26 リオデジャネイロで当日配付されたビラにこたえて十万人が結集.民主的自由の復活をもとめ自然発生的なデモ.クーデター以降最大の反政府集会となる.

6.26 VPR、サンパウロの第二軍本部に車爆弾攻撃。兵士一人が死亡、6人が負傷。

6.28 ポルトアレグレでの抗議デモが暴動に発展。

6月 ミナスとリオの活動家を中心に民族解放司令部(COLINA)が結成される。サンパウロのPOLOPがコマンド部隊VPRを創設したのに倣い、「パルマーレス革命軍」を組織。

6月 サンパウロ軍のラマルカ大尉、ひそかにVPRに加入。軍内に秘密細胞を組織。ラマルカは海外勤務の経験も持つ中堅将校。

68年7月

7.03 サンパウロで2千人が参加する抗議デモ。

7.04 リオで学生3万人が抗議デモ.SNI長官メディチ将軍,あらたなAct Institucionalの公布を示唆.

7.05 ガマ・エ・シルバ司法相,国内における集会・デモを禁止.

7.17 コスタ・エ・シルバ将軍,街頭での抗議行動を禁止.

7.17 サンパウロ大学法学部に機動隊が導入され、占拠学生を排除。カトリック大学でも封鎖が解除される。

7.17 サンパウロ州オサスコの金属労働者,コブラスマ工場を占拠しストライキを開始.パッサリーニョ労相,「労働者が立ち退かなければ,機関銃の的となるだろう」と警告.

7.18  サンパウロで民間極右組織「共産主義撲滅突撃団」(Comando de Caça aos Comunistas: CCC)がテレビ局に爆弾.シーコ・ブアルキ(Chico Buarque)とJosé Celso Martinezの出演する生番組を狙ったもの. これを皮切りに各地でテロあいつぐ.多くは陸軍諜報組織CIEによる謀略.

7.19 第9回CNBB総会.ブラジルにおける自由の不在に抗議.

7.20 サンパウロ州オサスコの金属労働者のスト,と機関銃の前に敗北に終わる.その後の

7.22 ブラジル新聞協会のビルで爆破未遂事件.

68年8月

8.01 VPR,サンパウロ商業銀行を襲撃し4万6千ドルを強奪。

8.02 リオの都学連(UME)委員長ウラディミル・パルメイラ(Vladimir Palmeira),軍警察により逮捕される.

8.06 委員長逮捕に抗議する都学連のデモ隊が,警察と衝突.

8.28 サンパウロでの抗議デモに弾圧。500人が逮捕される。

8.29  軍警察と連邦警察,ブラジリア大学に突入.学生指導者Honestino Guimarãesを逮捕.警察の発砲により多数の負傷者を出す。

8 ニテロイ大学の学生共産党員約30人を母体に,十月八日革命運動(Movimento Revolucionario do Outubro 8: MR8)結成.日系学生数十名をふくめ数百人を組織.ALNと共同歩調をとる.

リオの学生運動: リオは首都としてDC化されていた。周囲の地域はグアナバラ州に属し、州都はリオの対岸ニテロイに置かれていた。ニテロイ大学とはフルミネンセ連邦大学のことか。ニテロイはブラジル最高の文教都市として有名である。
学生党員は武装抵抗を主張し、「グアナバラ派」“Dissidencia da Guanabara” (DI-GB)を形成。まもなくゲバラの死を記念し「10月8日革命運動」(MR-8)を名乗るようになる。組織は高校生に拡大し、ペドロ二世カレッジ(日本で言えば日比谷高校)の生徒が大挙加入した。
まもなくサンパウロや南部のリオグランデ・ド・スルにも組織が拡大した。現在ブラジルの各分野でMR-8の元活動家が活躍している。その代表がルセフ大統領である。

8 マリゲーラ,中西部と北東部にゲリラ基地の建設を進めるよう秘密指令.

68年9月

9.02 MDBのマルシオ・モレイラ・アルベス下院議員,ブラジリア大学への官憲導入を非難.軍事政権とAI-5による弾圧・拷問を非難する国会演説.

9.07 ゴイアーナで学生の抗議行動が企画されるが,軍の弾圧により流産.

9.13 国防相,モレイラ・アルベスの政府「攻撃」は高いものにつくだろうと発言.

9.14 ブラジリアで反体制派の拠点となっていた「Civilização Brasileira 」書店が爆弾攻撃を受ける.

68年10月 全学連の弾圧

10.02 「マリア・アントニア通り」のたたかい.サンパウロ大学哲学部を占拠した学生と,マッケンジー大学の武装右翼が激突.

10.03 ふたたび「マリア・アントニア通り」のたたかい.高校生ホセ・ギマリャンエスが死亡.抗議デモは軍警察によって追い散らされ、学生34人が逮捕される。これを引き金に哲学部が閉鎖される.

10.04 サンパウロでホセ・ギマリャンエスの葬儀デモ。市民1万人が参加する。

10.09 サンパウロの抗議デモ、1人の聖職者をふくむ100人の逮捕をもって終息。

10.12 サンパウロの郊外イビウーナで,MR8の活動家が一斉逮捕される。

ルーラの下で大統領府長官を勤めたディルセウ(Jose Dirceu de Oliveira e Silva)も、このときの逮捕者の一人。彼は後にエルブリック米大使との交換で釈放されキューバに亡命。その後75年に整形手術で人相を変えたあとブラジルに潜入。85年の民主化まで偽名を用いて活動を続けた。

10.12 政府,議会に対しマルシオ・モレイラの追放を要求.モレイラは連邦最高裁に議員免責特権を申請。

10.12 サンパウロのVPR、米軍人チャールズ・チャンドラー大尉を機関銃で射殺.CIAエージェントとして処刑したと声明.

10.22 学生の一斉逮捕に抗議する行動が各地で展開される.

10.27 VPR、サンパウロ市内のシアーズ百貨店に爆弾。マクナマラ国防長官の訪問に抗議し、彼が大株主となっているシアーズを爆破するとの声明文を残す。

68年12月 軍政令5号の布告

12.02 CCC,リオのTeatro Opiniãoに爆弾テロ.

12.06 VPR、サンパウロ州立銀行を襲撃。8万ドルを強奪。

12.11 VPR,Diana銃砲店を襲い銃50丁を奪う。

12.12 アルベス議員,ふたたび激しい軍部批判演説.アルベス議員に対する不逮捕特権停止を要求する軍部に対し,国会は141対216票で否決.与党・国家革新同盟(ARENA)の一部も反対に回る.

12.13 議会の反乱の報を受けたシルバ大統領を先頭とする軍首脳タカ派,ただちに自主クーデターを実施.軍政令5号を布告して国会を閉鎖.

軍政令(Ato Institucional )第5号 軍,政府,議会からいっさいの非同調者を追放.報道機関を全面的統制下におき,人身保護法を一時停止し,裁判権を軍事法廷にうつす.クビチェツキ,ラセルダら政治家・ジャーナリスト2百名をただちに逮捕.市民社会および政治社会の主要な指導者の参政権剥奪,拘留をおこなう.学生運動家の多くが地下活動や亡命を余儀なくされる.

12.22 軍政批判の音楽家が逮捕.リオのBoate Sucata監獄に収監される. (翌年亡命)

12.30 AI−5による追放者リストが発表される.マルシオ・モレイラもふくまれる.

12月 SNI長官に就任したエミリオ・ガハスタズ・メジシは治安部隊を動員し系統的な拷問と抑圧.陸軍,各軍区に国内防衛作戦本部(CODI)を設置.さらにサンパウロなど大都市の作戦情報部隊(DOI)が民衆抑圧の前面にたつ.拷問により殺された人々のリストがこのページにあります。

68 ネット蔵相,カンポスの緊縮政策を改め,「新計画経済(PED)」に移行.インデクゼーション(小刻み平価切下げ)制を導入しインフレ抑制に成功.ブラジルで「奇跡の成長」始まる.オイルショックとなる74年まで毎年10%の成長率を確保.

 

ゲリラ組織一覧
ここにあげたものはその一部で、小さなグループがほかにもたくさんある。分かり次第追加していきたい。

組織名

構成主体および指導者

思想系列

活動開始

革命民族運動(MNR)

左派系軍人

民族派軍人

67年4月

民族解放行動(ALN)

マリゲラ

キューバ派共産党

67年8月

革命派共産党(PCBR)

アルベス・デ・ソウザ・ビエイラ

キューバ派共産党

68年4月

十月八日革命運動(MR8)

学生共産党員

キューバ派共産党

68年10月

革命的人民前衛(VPR)

カルロス・ラマルカ、ディオゲネス

民族派学生・軍人

69年1月

民族解放司令部(COLINA)

 

民族派

69年

VAR・パルマレス

フアレス・ギマラーエス・ブリト

VPRとCOLINAの合同部隊

69年7月

7月26日運動(MR26)

 ?

親キューバ無党派

69年

MRT(チラデンテス革命運動)

PCdoBの赤色派(Ala Vermelha)

70年

アラグアイア戦線

 

PCdoB

72年

 

http://www.brazzilbrief.com/viewtopic.php?t=1814に掲載されたゲリラ組織の一覧表です。これを見るとさすがに食欲がなくなるでしょう。数える気も起きません。

- AÇAO LIBERTADORA NACIONAL (ALN)
- ANTES: ALA MARIGHELA E AC/SP (AGRUPAMENTO COMUNISTA DE SAO PAULO)
- AÇAO POPULAR (AP)
- DEPOIS: AÇAO POPULAR MARXISTA LENINISTA (APML); AÇAO POPULAR MARXISTA LENINISTA DO BRASIL (APML do B)
- AÇAO POPULAR MARXISTA LENINISTA SOCIALISTA (APML SOC)
- AGRUPAMENTO COMUNISTA DE SAO PAULO (AC/SP)

- ALA MARIGHELA
- ALA PRESTES
- ALA VERMELHA (AV)
- ALIANÇA DE LIBERTAÇAO PROLETARIA (ALP)
- ALIANÇA NACIONAL LIBERTADORA (ANL)
- ALICERCE DA JUVENTUDE SOCIALISTA (AJS): DA CS
- COLETIVO AUTONOMISTA (CA)
- COLETIVO GREGORIO BEZERRA = VER PLP
- COMANDO DE LIBERTAÇAO NACIONAL (COLINA)
- COMITE LUIZ CARLOS PRESTES (CLCP)
- COMITE DE LIGAÇAO DOS TROTSKISTAS BRASILEIROS (CLTB)
- COMITE DE ORGANIZAÇAO PARA RECONSTRUÇAO DA QUARTA INTERNACIONAL (CORQI)
- CONVERGENCIA SOCIALISTA (CS)
- CORRENTE REVOLUCIONARIA NACIONAL (CORRENTE)
- DEMOCRACIA SOCIALISTA (DS)
- DISSIDENCIA DA DISSIDENCIA (DDD)
- DISSIDENCIA DA GUANABARA (DI/GB)
- DEPOIS: MOVIMENTO REVOLUCIONARIO OITO DE OUTUBRO (2º) (MR-
- DISSIDENCIA LENINISTA DO RIO GRANDE DO SUL (DL/RS)
- DISSIDENCIA DE NITEROI (DI/NIT)
- DEPOIS: MORELN; DEPOIS: MR-8 (1º)
- DISSIDENCIA DE SAO PAULO (DI/SP)
- DISSIDENCIA DA VAR-PALMARES (DVP)
- DEPOIS: LIGA OPERARIA (LO) = GRUPO UNIDADE (GU)
- FORÇA ARMADA DE LIBERTAÇAO NACIONAL (FALN)
- DE RIBEIRAO PRETO/SP
- FORÇA DE LIBERTAÇAO NACIONAL (FLN)
- FRENTE BRASILEIRA DE INFORMAÇOES (FBI)
- FRENTE REVOLUCIONARIA POPULAR (FREP)
- FRAÇAO BOLCHEVIQUE (FB)
- FRAÇAO BOLCHEVIQUE DA POLITICA OPERARIA (FB-PO) = GRUPO CAMPANHA
- FRAÇAO BOLCHEVIQUE TROTSKISTA (FBT)
- FRAÇAO LENINISTA PELA RECONSTRUÇAO DO PARTIDO (FLRP)
- FRAÇAO LENINISTA TROTSKISTA (FLT)
- FRAÇAO OPERARIA COMUNISTA (FOC)
- FRAÇAO OPERARIA TROTSKISTA (FOT)
- FRAÇAO QUARTA INTERNACIONAL (FQI)
- FRAÇAO UNITARIA PELA RECONSTRUÇAO DO PARTIDO (FURP)
- FRENTE DE AÇAO REVOLUCIONARIA BRASILEIRA (FARB)
- FRENTE DEMOCRATICA DE LIBERTAÇAO NACIONAL (FDLN)
- FRENTE DE MOBILIZAÇAO REVOLUCIONARIA (FMR)
- GRUPO BOLCHEVIQUE LENIN (GBL)
- GRUPO CAMPANHA = FB-PO
- GRUPO FRACIONISTA TROTSKISTA (GFT)
- GRUPO INDEPENDENCIA OU MORTE (GIM)
- DEPOIS: RESISTENCIA ARMADA NACIONAL (RAN)
- GRUPO POLITICO REVOLUCIONARIO (GPR)
- GRUPO TACAPE (DO PCDOB)
- JUNTA DE COORDENAÇAO REVOLUCIONARIA (JCR)
-- LIGA DE AÇAO REVOLUCIONARIA (LAR)
- LIGA COMUNISTA INTERNACIONALISTA (LCI)
- LIGA OPERARIA (LO)
- LIGA OPERARIA E CAMPONESA (LOC)
- LIGA SOCIALISTA INDEPENDENTE (LSI)
- LIGAS CAMPONESAS
- MOVIMENTO DE AÇAO REVOLUCIONARIA (MAR)
- MOVIMENTO DE AÇAO SOCIALISTA (MAS)
-MOVIMENTOCOMUNISTA INTERNACIONALISTA (MCI)
-MOVIMENTO COMUNISTA REVOLUCIONARIO (MCR)
-MOVIMENTO PELA EMANCIPAÇAO DO PROLETARIADO (MEP)
- MOVIMENTO DE LIBERTAÇAO POPULAR (MOLIPO)
-MOVIMENTO NACIONALISTA REVOLUCIONARIO (MNR)
- MOVIMENTO OPERARIO DE LIBERTAÇAO (MOL)
- MOVIMENTO POPULAR DE LIBERTAÇAO (MPL)
- MOVIMENTO POPULAR REVOLUCIONARIO (MPR)
- MOVIMENTO PELA REVOLUÇAO PROLETARIA (MRP)
- MOVIMENTO REVOLUCIONARIO DE LIBERTAÇAO NACIONAL (MORELN)
- ANTES: DISSIDENCIA DE NITEROI (DI/NIT); DEPOIS: MOVIMENTO REVOLUCIONARIO OITO DE OUTUBRO (1º) (MR-
- MOVIMENTO REVOLUCIONARIO MARXISTA (MRM)
- DEPOIS: ORGANIZAÇAO PARTIDARIA CLASSE OPERARIA REVOLUCIONARIA (OPCOR)
- MOVIMENTO REVOLUCIONARIO NACIONAL
- MOVIMENTO REVOLUCIONARIO OITO DE OUTUBRO (1º) (MR-
- ANTES: DISSIDENCIA DE NITEROI (DI/NIT) E MOVIMENTO REVOLUCIONARIO DE LIBERTAÇAO NACIONAL (MORELN)
- MOVIMENTO REVOLUCIONARIO OITO DE OUTUBRO (2º) (MR-
- ANTES: DISSIDENCIA DA GUANABARA (DI/GB)
- MOVIMENTO REVOLUCIONARIO 4 DE NOVEMBRO (MR-4)
- MOVIMENTO REVOLUCIONARIO VINTE E SEIS DE MARÇO (MR-26)
- MOVIMENTO REVOLUCIONARIO TIRADENTES (MRT)
- MTS
- MARX, MAO, MARIGHELA - GUEVARA (M3G)
- NUCLEO COMBATE BRASILEIRO (NCB)
- NUCLEO MARXISTA-LENINISTA (NML)
- ORGANIZAÇAO DE COMBATE MARXISTA LENINISTA - POLITICA OPERARIA (OCML-PO)
- ORGANIZAÇAO COMUNISTA DEMOCRACIA PROLETARIA (OCDP)
- ORGANIZAÇAO COMUNISTA PRIMEIRO DE MAIO (OC-1º MAIO)
- ORGANIZAÇAO COMUNISTA DO SUL (OCS)
- ORGANIZAÇAO MARXISTA BRASILEIRA (OMB)
- ORGANIZAÇAO DE MOBILIZAÇAO OPERARIA (OMO)
- ORGANIZAÇAO PARTIDARIA CLASSE OPERARIA REVOLUCIONARIA (OPCOR)
- ANTES: MOVIMENTO REVOLUCIONARIO MARXISTA (MRM)
- ORGANIZAÇAO QUARTA INTERNACIONAL (OQI)
- ORGANIZAÇAO REVOLUCIONARIA MARXISTA - DEMOCRACIA SOCIALISTA (ORM-DS)
- ORGANIZAÇAO REVOLUCIONARIA TROTSKISTA (ORT)
- ORGANIZAÇAO SOCIALISTA INTERNACIONALISTA (OSI)
- OUTUBRO
- PARTIDO COMUNISTA BRASILEIRO (PCB) (AGO 61)
- PARTIDO COMUNISTA - SEÇAO BRASILEIRA DA INTERNACIONAL COMUNISTA (PC-SBIC)
- 01 AGO 34: PARTIDO COMUNISTA DO BRASIL (PCB)
- PARTIDO COMUNISTA BRASILEIRO REVOLUCIONARIO (PCBR)
- PARTIDO COMUNISTA DO BRASIL (PCdoB)
- PARTIDO COMUNISTA MARXISTA LENINISTA (PCML)
- PARTIDO COMUNISTA NOVO (PCN)
- PARTIDO COMUNISTA REVOLUCIONARIO (PCR)
- PARTIDO DA LIBERTAÇAO PROLETARIA (PLP)
- 90: É O NOVO NOME DO COLETIVO GREGORIO BEZERRA (CGB)
- PARTIDO OPERARIO COMUNISTA (POC)
- DEPOIS: PARTIDO OPERARIO COMUNISTA - COMBATE (POC-C)
- PARTIDO OPERARIO INDEPENDENTE (POI)
- PARTIDO OPERARIO LENINISTA (POL)
- PARTIDO OPERARIO REVOLUCIONARIO TROTSKISTA (PORT)
- PARTIDO OPERARIO SOCIALISTA (POS)
- PARTIDO DA REVOLUÇAO OPERARIA (PRO)
- PARTIDO REVOLUCIONARIO COMUNISTA (PRC)
- PARTIDO REVOLUCIONARIO DO PROLETARIADO (PRP)
- PARTIDO REVOLUCIONARIO DOS TRABALHADORES (PRT)
- PARTIDO REVOLUCIONARIO TROTSKISTA (PRT)
- PARTIDO SOCIALISTA REVOLUCIONARIO (PSR)
- PARTIDO SOCIALISTA DOS TRABALHADORES (PST)
- PARTIDO UNIFICADO DO PROLETARIADO BRASILEIRO (PUPB)
- POLITICA OPERARIA (POLOP; PO)
- PONTO DE PARTIDA (PP)
- RECONSTRUÇAO DO PARTIDO COMUNISTA (RPC)
- RESISTENCIA ARMADA NACIONAL (RAN)
- ANTES: GRUPO INDEPENDENCIA OU MORTE (GIM)
- RESISTENCIA NACIONAL DEMOCRATICA POPULAR (REDE; RNDP)
- SECRETARIADO INTERNACIONAL (SI)
- SECRETARIADO UNIFICADO (SU)
- TENDENCIA BOLCHEVIQUE (TB)
- TENDENCIA LENINISTA DA AÇAO LIBERTADORA NACIONAL (TL/ALN)
- TENDENCIA LENINISTA TROTSKISTA (TLT)
- TENDENCIA MAJORITARIA INTERNACIONAL (TMI)
- TENDENCIA PROLETARIA DA DEMOCRACIA SOCIALISTA (TP/DS)
- TENDENCIA QUARTA INTERNACIONAL (TQI)
- TENDENCIA TROTSKISTA (TT)
- O TRABALHO NA LUTA PELO SOCIALISMO (OT-LPS)
- O TRABALHO PELA QUARTA INTERNACIONAL (OT-QI)
- UNIAO DOS COMUNISTAS BRASILEIROS (UCB)
- UNIAO MARXIMALISTA (UM)
- UNIAO MARXISTA LENINISTA (UML)
- UNIAO SOCIALISTA POPULAR (USP)
- UNIDADE COMUNISTA (UC)
- VANGUARDA ARMADA REVOLUCIONARIA - PALMARES (VAR; VAR-P; VAR-PAL)
- VANGUARDA POPULAR REVOLUCIONARIA (VPR)
- VANGUARDA SOCIALISTA (VS)
- VERTENTE SOCIALISTA (VERSO)

 

 

1969年

69年1月

1.16 Cardoso Alves議員, Mário Covas , Ivete Vargasら43人に対し,政治活動禁止の処分.

1.23 VPRのサンパウロ近郊キンタウナの第4歩兵連隊襲撃計画が暴露される。軍内のVPR細胞が摘発され、捜査により山間部Itapecericaのアジトが摘発され、活動家4人が逮捕される。軍用車に見せかけた襲撃用のトラックが押収される。

1.25 第4歩兵連隊所属のカルロス・ラマルカ大尉,奇策を用い軍の兵器庫からFAL63丁、機関銃三丁、ピストル45丁を持ち出す。ラマルカはサンパウロのVPR同志に武器を手渡した後、その足でキューバに亡命。

1 軍部,最高裁判事3名を解任.オリベイラ最高裁長官は抗議の辞職.

69年2月

2.26 独裁政権,政令477号を公布.反政府の陰謀に参加した学生は,3年間いかなる学校にも登校禁止となる.軍政令7号,すべての選挙の停止を指示.

2 内相,強硬派軍人に変更.知識人の大量逮捕始まる.あらたに70名の議員の資格を剥奪.当初、軍事政権支持を掲げたカトリック司教会議,公然と政府批判を開始.

3.02 VPRのディオゲネスが捕えられる。この後フアレス・ギマラーエス・ブリトが指導.

4月 サンパウロ州モンガグアでVPR幹部会が開かれる。ラマルカをふくむ5人からなる全国司令部が創設される。

69年5月

5.09 ラマルカの指揮するVPRコマンド、サンパウロの二つの銀行を同時襲撃。軍・警察はVPR活動家を大量検挙。

5.26 ペルナンブコでHenrique Pereira Neto(当時28歳)が暗殺される.ペレイラは,Olinda e Recifeの大司教Hélder Câmaraの秘書を務めていた.

5 マリゲーラ,「ブラジル革命の戦略的諸問題」を発表(いわゆる都市ゲリラ教程).ゲリラ闘争を「革命にむけた全体的な戦略・戦術的プログラムの一環である」と規定.「ブラジル革命の主戦場は農村である」としながらも当面の活動舞台を都市に設定.またゲリラの精神的支柱を,バクーニンやネチャーエフなどの無政府主義に求める.

5月 マリゲーラの「ミニ・マニュアル」は、その思想性よりも手っ取り早いハウツーものとして、地下出版組織を通じ急速に広まる。「都市ゲリラは恐怖を広げることを恐れてはならない。それが政府を不安定にするのなら」とか、「軍部の独裁、その殺人行為、拷問室に直面している今、我々はテロリストと呼ばれることを誇りにしなければならない」などの片言隻語が、「教理」として流布する。 

6月 政府、ゲリラに対する「バンデランテ作戦」を開始。バンデランテは植民地時代の奴隷狩りのこと。軍には「囚人はいらない。全員をその場で射殺せよ」との通達が出される。

69年7月

7.02 サンパウロで極右テロ組織としてバンデイランテス行動隊(Operanção Bandeirantes :OBAN) が結成される.構成メンバーの実体は軍・警察隊員で,「逮捕者ゼロ」をモットーに反対派の拷問と殺害をこととする.

7月初め 軍・警察の取締りで弱体化したVPRとCOLINA=パルマレスが合体。「パルマレス武装革命前衛」(VAR−P)を結成。ラマルカが最高司令官となる。都市での大衆行動を強化する方向を打出す.ラマルカは2ヵ月後に脱退し,キューバ革命にならいフォコの形成をめざしVPRを再建.

7.29 政令898号が公布される.国家の安全を脅かすものを「内部の敵」と規定する.

69年8月

8.15 ALN,最初の武装行動としてサンパウロのラジオ局を占拠.「反独裁国民宣言」を放送する.

8 軍,グアナバラ州で大規模なゲリラ掃討作戦.MR8指導者のジョルジュ・メディロスなどを逮捕するが,壊滅には至らず.

8.28 コスタ・エ・シルバ,執務中に脳出血で倒れ、ブラジリアからリオに緊急移送される.

8.31 軍部は副大統領(Pedro Aleixo )昇格の慣例を無視し,陸・海・空相からなる三頭政治に移行.三軍司令官による事実上の再クーデター.

69年9月 エルブリック米大使の誘拐

9.01 リオ州フローレス島のセニマル監獄に収監されたJean Marc Van der Weid全学連委員長ら,激しい拷問を受ける.

9.04 ALNとMR8の合同突撃隊,リオで白昼、チャールズ・バーク・エルブリック米大使を誘拐.軍事政権は米国からの圧力により政治犯15名を釈放,ALNのメッセージを放送.

9.05 軍事評議会,軍政令13号,14号を公布.13号では、釈放された15人に対し国家反逆罪を適用し、永久国外追放とする.また14号では、共和制発足後に廃止されていた死刑を復活し、国家反逆罪に対し極刑をもって臨むことを明らかにする。

9.18 新政権,国家安全保障法を修正.死刑をふくむこととなる.米国は軍事顧問団を二倍に増やし、対テロ担当者に対しパナマのFort Gulickで対ゲリラ活動の訓練。

9.29 米大使誘拐事件の主犯,ALNの Virgilio Gomes Da Silva,OBANに捕らえられ,拷問の末殺害される.

9.30 「軍最高指導部」,後任大統領に陸軍内極右派のエミリオ・メディシを指名.

9 陸軍秘密警察(DOI・CODI)のほかに、国防省内にテロ対策を専門とする社会政治保安局(DOPS)が創設され、ゲリラ組織への弾圧強化.この後1万5千名を逮捕・投獄.軍内穏健派を押えこむ.

69年10月

10.07 Emillo Garrastazu Medici将軍、軍事評議会により次期大統領に選出される。

10.14 軍政令16号,17号が公布される.

10.17 新憲法,軍事評議会の承認を得て発布(69年憲法).死刑制度を復活,大統領任期を4年から5年に延ばす.外国人法制定.これまで原則として自由だった外国人の移住を制限.軍政令第5号は,憲法182条として残される.

10.22 国会再開.メディシを大統領に選ぶための形式的なもの.

10.30 メディシ,ブラジル大統領に就任.強権乗切り策を選ぶ.この後経済は「ブラジルの奇跡」と呼ばれる高度成長を遂げる.日系のファビオ安田が商工相に就任.

69年11月 マリゲイラの死

11.04 都市ゲリラ掃討作戦により359名が逮捕,マリゲラは待伏せに会い射殺.かわってジョアキン・カマラ・フェレイラがALNの指揮をとる.MR8はほぼ壊滅.

マリゲイラはサンパウロ市内カサブランカの街路を一人で歩いていた。警察(Fleury) の部隊が突如襲い、二発の銃弾を浴びせた。マリゲイラは銃を持っていたが、反撃する余裕はなかった。警察は倒れたマリゲイラに致命傷を与え「処刑」した。58歳であった。彼は警察により埋葬された。機関銃を持った隊員15人により護衛されており、仲間が近づくことはできなかった。

11.10 メディシ大統領,死の部隊やゲリラ,先住民差別に関するすべての報道を禁止.

11.21 PCdoBのChael Schreirer,リオで捕らえられ,拷問の末殺害される.

11.29 VARIG機,左翼グループにより初のハイジャック.

12.06 いっさいの軍事政権批判を禁止する「検閲法」が実施される。

69 カストロ派,中国派,もと陸軍下士官などからなる七月二六日運動(MR26)もゲリラ戦を開始.民族解放部隊(COLINA)も独自に行動.南部ではグループ11の跡を継ぐ解放人民軍(EPL)が活動。

 

1970年

70年1月

1.13 議会で書籍・雑誌に対する検閲法が成立.

1.16 革命共産党(PCBR)党員一斉検挙.指導者のヴィエイラは拷問により死亡.ジャーナリストのマリオ・アルベス(47歳)もDOI-Codiにより虐殺される . カルバリョがかわって指導者となる.

70年3月

3.11 人民革命前衛(VPR),サンパウロ駐在大口信夫総領事を誘拐.

3.12 政府,ゲリラの要求を受け入れる.ディオゲネス、シズオ・オザワら政治犯4名が釈放され、メキシコに亡命.

3.15 サンパウロ領事館の大口総領事,5人の政治囚と引き換えに解放される.

4.18 軍は兵士5千人を動員し, サンパウロ南方レベイラ渓谷のVPR訓練キャンプを襲撃.周囲を非常線で包囲した後ナパーム弾を使用するなどの攻撃。レベイラは日本人移民が多く住む地域で、大口総領事の誘拐と関連して通報があったとされる。

4月 VPRはサンパウロでアメリカの領事を誘拐しようとして失敗。領事は傷ついたものの難を逃れる。

5.04 VPR,20日間の交戦の末に包囲を突破,脱出に成功.ラマルカ,ヨシタネ・フジモリらは,サンパウロ市内に潜伏.ブリトは戦死.

70年6月

6.11 VPR,ALNと協力し西独大使フォン・ホレーベンを誘拐,

6.13 政府,ゲリラの政治犯釈放の要求に同意.政治犯40名の釈放とアルジェリア亡命実現.釈放された政治犯は拷問の実態を暴露.

70年7月

7.24 ジュネーブの国際法律家協会 (ICJ),12,000人の政治犯の存在と拷問を非難.

7.31 ツパマロス,モンテビデオでブラジル領事Dias Gomide を誘拐.

7 リオーサンパウロ間でハイジャック.政治犯釈放などの要求は受入れられず,失敗に終る.

70年8月

8 銀行家ジョルジ・メデイロス・ド・バレ,PCBRおよびMR8に献金したとして逮捕.その後MR8指導者の一人とされ懲役10年の判決.

8 サンパウロのチラデンテス刑務所の政治犯を代表して,11人のジャーナリストが共同で「ブラジルでの政治犯への拷問の実態」を告発する文書を作成.国際的な反響を呼ぶ.

9 ALNのカマラ・フェレイラ(Joaquim Câmara Ferreira ),ゲリラ組織の統一が可能となったと発言.VPR,MRT(チラデンテス革命運動),ALNの共同作戦で現金輸送者襲撃,銀行強盗などを実行.

70年10月

10.09 アマゾン・ハイウエー建設開始.毎年数万平方キロの規模で森林破壊が進行し,アマゾンの環境が急速に破壊される.

10.23 ジョアキン・カマラ・フェレイラ,潜伏先のサンパウロ州フレウリで警察との遭遇戦の末捕らえられる.拷問され,数時間後に死亡(当局は銃撃戦で射殺されたと発表、次いで心臓発作で死亡と訂正).ジョアン・カルバリョが以後の指揮をとる.この時点でALNはほぼ消滅。VPRも最大時の150人から50人に減少。

11 国家開発計画発表.高度成長の陰で貧富の差が広がり,多国籍企業の支配が進む.

11.15 下院議会選挙。アレーナは310議席中220議席を確保。PMDBはイチジクの葉として90議席を獲得。

12.07 VPRとPCBR,リオでスイス大使ブシェルを誘拐.70人の囚人との交換を要求。翌月にド・バレら政治犯70名の釈放とチリ亡命を実現.工作員の消耗によりこれを最後に要人誘拐作戦は消滅.政府は犯人を捜すために8,000人以上の人々を逮捕。拷問が捜査の一般的手法となる。右翼の自警団員が「暗殺団」を作り、活動家少なくとも1千人を暗殺。

70年 このころからベネズエラの近くのYanomani保留地近くに金鉱掘りが入り込む。先住民の半数以上が、ガンガゼイロの持ち込んだ疫病により死亡。

 

1971年

71年1月

1.14 スイス大使と引き換えに解放された70人の政治囚,チリに到着.

1.21 ギブソン・バルボサ外相,米州機構司法委員会の人権抑圧批判を拒否.

1 Rubens Paiva 元議員,リオで警察に連行され,そのまま行方不明となる.96年に死亡が確認される.

71年2月

2.13 ブラジル司教会議(CNBB),議長にD. Aloisio,事務局長にIvo Lorsheiderを選出.いずれもカトリック左派を代表する人物.

2.24 ツパマロス,6ヶ月ぶりにブラジル領事Dias Gomideを解放.

3.19 サンパウロ市北部で地すべり。少なくとも160人が死亡。

4 ALN三代目の指導者カルバリョが殺害される.このあとALNはMOLIPO(人民解放運動)とTL(レーニン主義派)に分裂し、まもなく活動を停止。

5 米下院ブラジル援助小委員会,米国機関のブラジルでの拷問への関与疑惑につき討議.

5 OAS事務局,ブラジルにおける人権侵害についての調査を発表.「調査妨害により真相は明らかにできないが,ブラジルで囚われている人々に対し拷問,暴行,虐待がおこなわれているという推定は否定できない」とする.

71年7月

7.03 MDB,レシフェ文書を発表.立憲状態の回復を求める.

7.08 MDBのタンクレド・ネベス,死刑廃止を提案.議会の法務委員会で否決される.

9.14 MR8の活動家ステュアルト・アンヘル,リオ州ガレオンのシサ空軍基地で拷問により死亡.

9.17 VPR指導者のカルロス・ラマルカ,バイア州セルタン地方のイプピアラで警察に包囲され射殺.この戦闘でMR8のJosé Campos Barretoも殺される.

12.06 メディシ大統領,米国を公式訪問.

71年 PCdoB、アラグアイア川流域のXambiaでゲリラ基地の建設を開始。この基地はサンパウロから北へ300キロ、ゴイアス、マト・グロッソ、パラ州の境界近いジャングルの中に位置し、計画中のアマゾン横断道路にとって脅威となる可能性。

 

1972年

3.25 非合法下に PCdoB中央委員会が開催される.党創立50周年と党再建10周年を祝う「50年の闘争」報告を承認.

72年4月

4.03 憲法2条を改正.74年に間接方式で知事選挙が行われることになる.

4.12 陸軍,空軍,軍警察5千人が,パラ州南部 アラグアイア川流域で掃討作戦.現地のPCdoBはこれに武力で対抗することを決定.アラグアイア戦線を結成.3年間にわたり独裁政権と対決.

4.12 人権擁護委員会,MR8のアンヘルが拷問・虐殺された事件で政府を非難する報告.

4.26 ブラジルとコロンビアがアマゾニア共同開発計画を発表.

72年6月

6.16 アラグアイアのゲリラ戦士で,22歳の女性Maria Lúcia Petit,軍に捕らえられ,頭に銃弾を打ち込まれる. 彼女の兄弟ハイメとルシオもゲリラ戦で死亡.

6.27 法令5786号,さらに改悪され国家保安法に組み入れられる.

72年9月

9.01 アムネスティ・インタナショナル,「ブラジルにおける拷問の申立てに関する報告書」を発表.拷問を受けた1,081名と拷問実行者472名の名前を明らかにする.

9.05 ブラジル政府は,AI報告書の発表を禁止する検閲法の制定でこれに応える.

9.27 アマゾン横断道路の建設が開始される.

11.15 地方議会選挙。アレーナが得票率75%に達する。

72年12月

12.20 PCdoB書記長で元国会議員Lincoln Cordeiro Oest,リオでDOI-Codiにより逮捕され虐殺される.

コルデイロの略歴: 35年の武装蜂起に参加。46年に下院議員。翌年公職追放により失職。64年にPCdoB書記長となり地下活動に入る。68年にDOI-Codiに逮捕され拷問を受ける。72年ふたたび逮捕。拷問により5日後に虐殺される.当局は「逃亡を図り死亡」と発表。

12.29 PCBRに対する弾圧作戦.リオとレシフェで,合わせて7人が死亡.

12.31 サンパウロのPCdoB幹部Carlos Danieli(43),DOI-Codiの4日間にわたる拷問の末死亡.獄舎の壁に「この血を勝利のために」と書き残す.

72年 カエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジル、亡命先のロンドンからブラジルに戻り音楽活動を再開。

 

1973年

1.10 「Chácara S.Bentoの虐殺」事件.武装警察(Fleury)が,内通者アンセルモの手引きで,ペルナンブコ州パウリスタのVPR拠点を襲撃. 6人を拷問の末虐殺.その中の一人,Soledad Viedma(28歳)は7ヶ月の身重だった.

内通者アンセルモ: 64年の水兵の反乱を指導したカボ・アンセルモ。VPRの司令官として闘争を指導。70年に捕らえられた後はDOI/CODIのスパイとなる。
Soledad Barrett Viedma: パラグアイ出身の女性活動家。彼女の夫 Jose Maria Ferreira de Araujoはアンセルモと同じく水兵の出身。70年、キューバからブラジルに潜入するが捕らえられ、拷問の末に虐殺される。

1.20 ペルナンブコの官憲当局,政治囚でPCBRのAnatália de Melo Alvesが自殺したと発表.

3.15 サンパウロでALN活動家3人が殺害される.

3.17 サンパウロのDOI-Codi,22歳のサンパウロ大学学生Alexandre Vanuchi Lemeを逮捕.24時間にわたる拷問の末虐殺.

73年7月

7.13 サンパウロのDOI-Codi,23歳のALN活動家Luís José da Cunhaを拷問の末虐殺.

7.17 作曲家Geraldo Vandre,亡命先から帰国.ただちにガレオンの刑務所に収監される.

7.18 官憲当局,ALN幹部Helber Gomes Goulartの死亡を発表.

7.20 サンパウロのBosch de Campinas社,鉄鋼労働者1770名の解雇を発表.

73年8月

8.28 メディシ,ゴイア州アナポリス市を「保安地区」に指定.José Batista市長を更迭.

8.28 ローマ法王庁、ブラジル政府に対し人権尊重と経済的公正の保証を求める。

9.14 ブラジル,ピノチェト政権を承認した最初の国家となる.

10.10 UNE委員長Honestino Guimaraes,死刑の判決を受ける.リオの刑務所に収監され,行方不明となる.翌年,エドソン・ルイスと並んで埋葬される.

11 亡命中のプレステス書記長,「独裁の孤立と打倒の過程は大衆闘争と民主勢力の行動の展開である」とし武装闘争を否定.広範な反独裁統一戦線の形成を呼びかける.

12.25 アラグアイアのPCdoBゲリラに対する掃討作戦.三次にわたる攻防戦でMaurício Graboisが死亡. Ângelo Arroioは逃亡に成功.

73 ブラジル鉄鋼公社設立.鉄鋼業の直接,統一的運営をおこなうこととなる.

73 国立情報学校(EsNI),創設.NSIが管理・運営にあたる.NSIは三軍情報部を監督する地位を獲得.

73年 パラ州で司牧土地委員会に支えられた農業労働者の闘争が始まる。

 

1974年

1.15 大統領選挙人合同会議による選挙。次期大統領にペトロブラス総裁のエルネスト・ガイゼル将軍を選出.情報組織を統轄する強硬派の兄オルランド・ガイゼル陸相の推挙によるが,彼自身は軍内穏健派と目される.MDBはUlisses-Barbosaを対抗馬に立て,76票を獲得.大統領選挙人は上下両院議員と各州議会代表を含む503人より構成される。

74年3月 アベルトゥーラの開始

3.15 エルネスト・ガイゼル,オイル・ショックのさなかに大統領に就任.軍事政権による経済運営と情報機関の独走に批判が高まる.ガイゼルは「政治開放(アベルトゥーラ)」をかかげ一定の手直しを図る.政治顧問のゴルベリー・ド・コート・エ・シルバ将軍をして各階層との折衝にあたらせる.アーンズ枢機卿,ブラジル司教会議事務局長も,スタッフと秘密裏に会見.クビチェックら16名の追放解除,主要新聞の事前検閲の廃止,政治犯に対する拷問軽減などを実施.一方,チリ,ボリビア,ウルグアイとのあいだで軍事政権ブロック結成を協議.

3.15 フィゲイラード将軍がSNI長官に就任.

中田様からブラジルのFigueiredo大統領の発音についてご意見をいただきました.ブラジル語の綴りは以下のごとくです.Figueiredo, Joao Baptista de Oliveira.The Columbia Electronic Encyclopedia, 6th ed というページで調べると,発音はフィゲイラードということのようです.とりあえずそれに統一します.この人は1999年まで生きて,クリスマスの晩に死んだようです.brazzilという,これもまた変な綴りのインターネット・マガジン(英語です)があって,そこでかなり詳しい追悼記事が載せられています.一度ご覧になってください.ついでながら,このページではなかなか良いボサノバが聞けます.

3.18 収監中のDavi Capistrado (PCB),拷問により死亡.

5.20 ポルトガルで革新派将校によるクーデター.トマス前大統領,カエターノ前首相,マデイラ島からブラジルに政治亡命.

6.20 サンパウロ大学学生5人,政府批判のパンフレットを配ったとして逮捕される.

74年9月

9.06 サンパウロ州サンベルナルドで金属労働者の第一回会議.

9.09 政府のネストル・ジョストとMDBのパブロ・ブロッサールのあいだで,最初のテレビ討論.

9 ナイジェリアとの共同宣言.自決権と独立の尊重,アパルトヘイトおよびあらゆる形の植民地主義の拒否を骨子とする.第三世界外交へ一歩を踏みだす.

11.15 ブラジル国会および地方選挙,軍政令5号の解除を求めるMDBが躍進.国会議席ではARENA198議席に対し165議席を獲得。地方選では38%を得票しARENAの41%に迫る.21のうち15州の州議会では過半数を獲得.

11.17 全国司教会議(NCBB)、反対派に対する拷問とカトリック教会に対する迫害に関して、軍政府を公然と非難。

74 サンパウロの自動車産業労働者,金属労働者組合反対派宣言を発表.職場委員会や工場評議会を作り,スローダウン戦術,順法闘争,時間外労働拒否などの闘いを展開.

74年 サンタレンからクイアバにいたる国道BR-163が開通。1,097マイルの未舗装の道。

 

1975年

75年1月

1.29 ファルカン司法相,サンパウロとリオで共産党の文書を摘発したと報告.

1 不況の深刻化とともに,軍内右派の圧力強まる.ガイゼルは「漸進的民主化」政策を放棄.ブラジル共産党(PCB)に大弾圧,リオとサンパウロで党員千人が投獄.中央委員のうち10人が殺害もしくは行方不明、8人が投獄される。指導部は四年間にわたり海外亡命.

1月 PCdoB中央委員会,「ブラジル人民へのメッセージ」を採択.反独裁の闘いのスローガンとして,軍政令の全面破棄と立憲制への復帰,政治囚への恩赦を要求.

1 アンゴラ,MPLAの指導のもと独立.ガイゼル政府はただちに承認.西側諸国で最初にアンゴラ(MPLA)を承認した国となる.

75年2月

2.06 Armando Falcão司法相,失踪者27人について政府の責任を認める発言.

3.13 クーデター記念式典.ガイゼルはアラグアイアのゲリラについて初めて言及.

9 カトリック教会と弁護士協会,政府の人権抑圧に抗議.カトリック教会の土地審議会,みずから全国農業労働者連合(CONTAG)を組織,農民の組織に乗り出す.教会に潜入したPCdoBの活動家が運動の先頭に立つ.

75年10月

10 地方選挙を前に,共産党との協力を理由にMDB左派党員百名を逮捕.DOI・CODIによるジャーナリストらの逮捕あいつぐ.

10.25 サンパウロ教育テレビの報道ディレクター,ウラジミル・エルソグ( Wladimir Herzog ),DOI・CODIにより拘禁中に極めて不可解な環境の中で死亡.監察医ハリー・シバタは死体を見ることなく自殺と鑑定.

10月末 エルソグの死亡が軍による拷問・虐殺事件であったことが暴露される.ユダヤ教指導者ヘンリー・ソベルと枢機卿エバリスト・アルンスは、エルゾクが軍関係に暗殺されたと非難。

75年11月

11.06 カトリック,プロテスタント,ユダヤ教の共同によるエルソグの葬儀ミサ。アルンス枢機卿が執りおこない

11.10 アンゴラが独立.ブラジルは世界初の承認国となる.

11 ガイゼル,すべての国に平和核爆発の権利があると発言.

75年12月

12.02 第一次オイルショックにより貿易赤字が拡大.ガイゼルは輸入削減を指示.「代用アルコール」開発計画を開始。

75年 アクレ州でもCONTAGとドン・ジョコンド司教の指導の下に、ブラジレイア地方労働組合支部を結成.ゴム採取労働者を中心に組織を拡大。5年以内に州内すべての町に農業労動者組合が作られ、アクレ農民労動者組合同盟(FETACRE)を形成。ウィルソン・ピニェイロやシーコ・メンデスらが指導.

75年  イグナシオ・ルーラ,サンベルナルド・ド・カンポ市とジアデマ市(いずれもサンパウロ郊外の工業都市)の「金属,機械、電気産業労働組合」の組合長に抜擢される.

ルーラ: (miwさんのページから転載させていただきました)「ルーラ」というのは、子供の頃からのニックネームで、本名は「ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ」。ペルナンブコ州の田舎町で生まれた。彼がまだ幼い頃、父は妻と11人の子供を残して家を出、2度と戻らなかった。
母は子供を連れて、サンパウロに移り住んだが、生活はとても厳しく、バーの奥にある小さな部屋で、母と子全員で暮らしていた。ルーラは10歳で読み書きをおぼえ、小学校を5年でやめ、家計を助けるため12歳で働きに出た。冶金工として働き、19歳のときに仕事中、左手の小指を失った。
24歳で結婚するが、病院のミスで、第一子出産のとき妻と子を失ってしまう。後に彼は、全エネルギーを労働運動に注ぐこととなる。労働者のリーダとなって活躍し、軍事政権の時代には投獄もされた。
労働組合で知り合った現在の妻は、当時、彼女自身も夫を失い、未亡人だった。結婚をして彼女の子供を引きとり、その後、彼女との間に3人の子供を持った。

75年 黒人文化研究所設立.真の民主主義のため,疎外された人たちの発言力を強めることを目的とする.

 

1976年

1.17 DOI-Codi,サンパウロの金属工Manuel Fiel Filho(PCB党員)を拷問の上殺害.当局は「自殺」と発表。その後の抗議行動の中で,第二軍司令官エドゥアルド・ダビラ・メロ将軍を退陣に追い込む. ガイゼルはダビラにひきつづき,CIE所長コンフシオ・ダントン・デ・パウラ・アベリーノ将軍を更迭.アベルツーラ反対派の中心人物が一掃される.

3.29 ガイゼル,MDB所属の下院議員 Nadyr Rosseti とAmaury Mullerを解任.

76年4月

4.01 ガイゼル,「体制への攻撃」を理由に,リオ選出のMDB議員Lisaneas Macielを解任.

4.14 Suart Algel市長Zuzu Algel,拷問され死亡.当局は自動車事故による死亡と発表.

4.25 ガイゼル,西欧諸国を歴訪.米国の影響からの離脱を図る.

6 地下潜伏中のPCB党員に対し一斉摘発.

76年7月

7.04 「Movimento」誌,アメリカ独立宣言を掲載しようとして発刊禁止処分を受ける.

7.09 フィアット社,ミナス州ベティムで操業開始.

7.15 ボロロで先住民の土地防衛運動を指導していたRudolf Lukebein神父が暗殺される.

76年8月

8.19 ブラジル反共同盟(AAB),リオとサンパウロで同時多発爆弾テロ.

8.22 クビチェック,自動車事故で死亡.事故の状況は今も不明.葬儀デモには3万人が参加.

9.10 ガイゼル,マトグロッソとアクレ州に「治安維持」を指令.

76年10月

10.11 マトグロッソ州サン・フェリスで布教にあたっていたBurnier神父,警察軍により殺害される.

10.15 CNBB,あいつぐ聖職者の殺害について厳正な捜査を要求.

10.26 ガイゼル,Juiz de Fora大司教と会見.組織的な拷問の存在を認める.

76年12月

12.06 Editora Civilização Brasileira出版社にAABの爆弾テロ.

12.06 ゴラール,心臓発作により亡命先のアルゼンチンで死去.南リオグランデ州サンボルハでの葬儀には3万人が参列.

12.08 パラ州ベレンの神父Florentine Maboni,27日間にわたり拘留され拷問を受ける.CNBBは事件を強く非難.

12.16 「ラパの虐殺」事件.軍警察がサンパウロ州内のPCdoB拠点を急襲. アラグアイアからの逃走に成功した Pedro Pomar とÂngelo Arroioを殺害.PCdoB書記長の Batista Drumondも殺害する.

76 全国司教会議,解放の神学の影響を受けたボフ神父らを中心に,土地問題司教委員会を設置.農民擁護に乗り出す.パラナ州でダム建設と土地とりあげに反対する闘争,若手神父らの指導で高揚.

76 西独,米国の反対を押切り,ブラジルとの間に45億ドルに達する原子力協定.国営兵器製造会社を設立.このほか中東諸国への配慮からシオニズム反対,中国と国交回復する.

76年 MR-8、武装闘争について全面的に自己批判。ダニエル・テラのもと,「民主的自由」の獲得を主要目標とすえる。学生運動の主流を掌握し、合法野党MDBへの潜入戦術をとる。

 

1977年

77年1月

1.09 ガイゼル大統領,コーヒー価格の凍結を拒否.

1.25 知識人1046人が検閲の撤廃を求める共同声明.ファルコン司法相はこれを拒否する.

77年2月

2.07 ガイゼル,所有権に関する発言をしたグレニオ・ペレス,マルコス・クラスマン両議員 (いずれもポルトアレグレ選出のMDB党員)を解任.

2.08 Severo Gomes通産相,軍幹部による縁故主義(エントレギスモ)の横行に抗議し辞任.

2.08 サンパウロ州イタイシでCNBBの総会.独裁批判の文書を採択.

2.16 カトリック法律家国際委員会,ブラジルにおける拷問を非難.

2.16 南リオグランデのMDB青年部活動家Marcos Cardoso,警察から受けた拷問の体験を告白する.

2.18 政府与党アレーナ,「悪質な共産主義分子の浸透を受けている」とMDBを非難.

2 サンパウロ商業連盟のパパ・ジュニオール会長が政府批判.

77年3月

3.05 カーター人権外交を展開.対ブラジル軍事援助を削減.ブラジルはこれに反発し,52年軍事協定の破棄を通告.

3.24 MDB,ガイゼルが裁判権も議員の不逮捕特権も保証しなかったことから司法改革に反対する立場を明らかにする.

3.31 サンパウロ大学の学生が街頭デモ.警官隊に蹴散らされる.

77年4月

4.01 議会,ガイゼル政権の憲法改正案(司法制度の改変)を否決.ガイゼルは軍政令第5号を発動し国会を閉鎖.

4.14 ガイゼル,大統領任期の5年から6年への延長,州知事選の間接選挙化などからなる「4月のパッケージ」を発表。米国との軍事同盟の見直しも明らかにする。

4.28 サンパウロのDops,サンパウロのABC地帯で一斉捜査活動.メーデーに自由を訴えるパンフを配ろうとしていた6人を逮捕.

4 「兵舎にもどれ」のスローガンの下,若手将校の秘密組織結成.これに対する強硬派軍人のクーデター未遂事件など,支配層内部に分裂の兆し.

5.19 学生を中心に恩赦をもとめる「国民デー」行動.ブラジリア大学ではストライキも行われる.

77年6月

6.02 軍警察,パラナ州のロンドリーナ大学を包囲.授業を停止させる.

6.04 ベロオリゾンテで全国学生集会.官憲の弾圧で800人が逮捕される.

6.07 2,557人のジャーナリストが,情報の公開と批判の自由をもとめる共同宣言.

6.21 ブラジリア大学のジョゼ・カルロス・デ・アゼヴェド学長,学生の抗議が続くあいだ授業を停止すると発表.

6.27 テレビに出演したMDB議員団長のアレンカル・フルタード,検閲制度が続く限り独裁政権を批判し続けると述べる.

6.30 ガイゼル,アレンカル・フルタードを解任.

77年7月

7.25 ガイゼル,党派的放送を行ったとしてテレビ局にAI-5を適用.

7.25 軍警察,ブラジリア大学の学生200人を逮捕.

77年8月

8.03 サンパウロ大学学生,ブラジリア大学への弾圧に抗議するストを決行.

8.03 MDB,フルタードの後任議員団長にフレイタス・ノブレを選出.

8.08 Goffredo Da Silva Teles,サンパウロ大学の教授を代表し,「ブラジル国民への手紙」を発表.立憲体制への復帰と法による支配を求める.

8.18 サンパウロのペーニャで軍警察の横暴を非難し,人権擁護を求めるデモ.60人が拘束される.

8.23 学生が提起した「全国闘争デー」行動.

77年9月

9.14 MDB,体制建て直しのため臨時大会を開催.立憲政治と恩赦の実現を目指す.

9.15 軍警察,レシフェで学生デモを強制解散.

9.16 労働組合,「34.1%再調整」キャンペーンを開始.4年間でインフレのため失った賃金の回復を目指す.

9.20 MDB,「護憲キャンペーン」を開始.

9.20 サンパウロ軍警察,サンパウロ大学校舎を封鎖.全国学生集会の開催を阻止.

9.22 エラスモ・ディアスと軍警察,サンパウロのPUCに侵入.800人を逮捕,2人に重い火傷を負わせる.

9.25 エヴァリスト・アムス枢機卿,エラスモ・ディアスのPUC弾圧作戦に強硬に抗議する.

77年10月

10.12 ガイゼル,シルビオ・フロッタ(Sylvio Cueto Coelho da Frota)陸相を解任.フロッタは軍内タカ派の代表で,反ガイゼル派と手を結び自由化政策を批判し,情報機関を使い政府転覆をはかったとされる.

10.22 ペルナンブコで農業労働者の保護に当たってきた弁護士Eugenio Lira Da Silvaが暗殺される.

10.25 サンパウロとリオの政治囚9人が,獄内での拷問を暴露.第一軍はこれを否定.

10.30 69年以来海外亡命中だった詩人Thiago de Melo,帰国.ただちに収監される.

11.23 シルビオ・フロッタのグループ,「政府部内の共産主義者」97人の名簿を軍に提出.

77 CEPAL報告発表.「地主階級の比重は低下したが,テクノクラートと工業・金融大利益集団が権力を分有する傾向にあり,また多国籍企業の参加が増大している」

 

1978年

78年1月

1.05 ガイゼルは軍首脳部から極右派を排除し,ホアン・フィゲイレド情報局長官を後継大統領に指名.

1.14 メキシコを訪問したガイゼル,独裁反対のデモに迎えられる.

1.21 サンベルナルドで第一回女性金属労働者大会が開かれる.

2.27 サンパウロ警察の殺人鬼セルヒオ・フレウリ,「死の部隊」へ所属した疑いで拘留される.5日後に解放され,原職に復帰.

78年3月

3.12 のちに「家計費運動」に発展.

3.18 パラナ州クリティバで小学校教師11人が,マルクス主義者として逮捕される.

3.28 各地でエドゥソン・ルイス虐殺10周年の抗議行動が展開される.

4.05 テオトニオ・ヴィエラ上院議員,民主化を含む「ブラジル・プロジェクト」を提案.

4.19 ベロオリゾンテで極右派による爆弾テロ.恩赦運動を展開する婦人組織を狙ったもの.

78年5月 ABC地帯のストライキ

5.10 サンパウロ大学哲学部校舎で,恩赦をもとめる3千人の集会.

5.12 サンベルナルドのスエーデン系自動車工場サーブ=スカニア社で,労働者1600人が賃金の20%増を要求し,ストライキ開始.

5.13 軍警察,サルバドルで開かれたMDBの政治集会を弾圧.

5.16 ウーゴ・アブルー将軍を中心とする軍人・政治家が,「民主化を目指す国民戦線」(FNR)を結成.大統領選に対抗馬としてオイラー・ベンテス将軍を擁立.

5.16 サアブ社に続き,従業員4万6千を抱える

5.18 サンパウロ金属労組は、「34.1%」キャンペーンを開始。ABC地域でのゼネスト決行を決める.

34.1%キャンペーン: 軍事政権は労働者の不満に対応するため、インフレに対する賃金調整率を65・9%と定めた。しかし外資系企業が30%の賃上げにしか応じないため、その差額分34.1%を要求する闘いを起こした。既成の労働組合幹部が動かない中で、金属労組の闘いは労働者の共感を呼ぶ。

5.31 ABC地域の18の大企業労働者が、スト禁止のしめつけを破りストに入る.フィアット自動車工場の労働者は,機械の前に座り込みストライキを敢行.さらに,ほとんどの自動車工場で労働者がスト入り.またたくまにサンパウロ全域に拡大,さらに全国15の州ににひろがり、ブラジル史上最大のゼネストへと発展.

5.31 MDB,大統領選でオイラー・ベンテスを支持することを決定.

5 貿易赤字大幅に拡大.コストインフレの進行の中で平価切下げと「耐乏生活」の強制.

78年6月

6.07 サンパウロで「黒人統一運動」(MNU)が結成される.

6.08 新聞検閲制度が廃止される.

6.23 ガイゼル大統領,軍政令第5号撤廃をふくむ政治改革案を提示。言論自由化がすすむ.

6.30 軍内民政派のオイラー・ベンテス大統領候補がサンパウロで集会.3千人が参加.

78年7月

7.11 サンパウロの病院オスピタル・ダス・クリニカスで7千人が参加するストライキ.

7.13 中国とアルバニアが断交.

78年8月

8.04 ガイゼル,基幹産業におけるストライキを禁止.

8.27 サンパウロの「家計費運動」,130万の署名を集める.セー広場の集会には1万人が結集.

78年10月

10.03 新たなスト弾圧法が議会を通過.

10.15 選挙人会による大統領選挙が実施される.次期大統領にフィゲイラード(Joao Baptista de Oliveira Figueiredo)将軍を選出.MDBから軍人のモンテイロが立候補.軍内民政派のなかば公然とした反対表明となる.

10.15 議会選挙では与党ARENAの225議席に対し、公認野党のMDBが195議席と躍進。

78年11月

11.02 サンパウロで恩赦運動の代表者会議開催.「ブラジル恩赦実現委員会」(CBA)を結成.

11 新国家安全保障法が成立.死刑は廃止される.

12.22 レシフェのディアリオ・デ・ペルナンブコ紙,政治囚に拷問を加えた実行者78人の氏名を公表.

78年 「社会主義集合」(Convergencia Socialista)の機関紙「Versus」、労働者党の結成を提唱。党には労動者のみを結集するべきことを強調。

78年 MR-8、民主主義より民族解放を重視する路線を採択。トロツキストや小ブルジョア傾向(フェミニズム、環境主義者、同性愛者など)への攻撃を強める。ルーラらの労働運動に対しても、"社会民主主義者", "黄色組合主義者", "帝国主義の回し者"などと非難。MDB内に分裂を持ち込む。この結果大衆からの孤立を深め、極左挑発者としての役割を担うようになる。

 

 

1979年

79年1月

1.02 フランス人神父フランシスコ・ジェンテル,アラグアイアのサンフェリスで先住民と農民の保護活動を行う.懲役10年の刑を受け,のちに国外追放処分を受ける.

1.16 リオのバス従業員のストライキ.

1.24 サンパウロ州リンスで「サンパウロ州冶金・機械・電気労働者会議」の第9回大会。「サント・アンドレ冶金労働組合」が労働者党の結成を提唱。大会はこれを受け入れる。

1.25 サンパウロで民主主義をもとめる20万人の大集会。

1 憲法改正11号公布,これまで17号におよぶすべての軍政令が廃止,人身保護令の復効,立法権,司法権の保障が実現.同時に大統領に120日までの戒厳令公布の権限をあたえる.

2.07 ナチ強制収用所の医師として数々の生体実験を行い、「死の天使」と恐れられたJosef Mengele、遊泳中に脳卒中を起こし溺死する。遺体はひそかに他人の墓に埋葬される。(これらの事実は85年に明らかになる)

79年3月

3.13 ABC地区の金属労働者,ゼネストに入る.16万人が参加.

3.15 フィゲイラード,大統領に就任.検閲制の廃止,軍政令の廃止など開放(アベルツーラ)政策をとる.議会の調査によれば,ARENA議員の3/4,MDBの2/3が多数政党制を望んでいるとされる.

3.23 当局,ABCのゼネストに対する干渉を開始.

3.27 サンベルナルドの金属労働者,ビラ・エウクリデス競技場で集会.投票によりスト終結を決定.事後の交渉をルーラにゆだねる.

3 ミナスジェライスでMR8の組織摘発.

79年4月

4.22 首都区で教員のストライキ.

4.25 政府がリオ教員組合への攻撃を開始.

79年5月 労働者党(PT)の結成

5.01 PT、暫定全国委員会を開催。「原理憲章」(Chart of Principles)を採択。労動者が諸勢力とは独立して政治に参加することの意義を強調。

5.01 悪名高い殺人鬼フレウリ,海上事故により死亡.

5.18 サンパウロ選出のMDB上院議員モントロ,州知事の直接選挙制を提案.議会はこれを否決.

5.21 政令477号などの学生運動弾圧法が廃止される.

5.22 病院レジデントが,労働法の改正をもとめて全国スト.

5.23 サンパウロのジャーナリストがストに入る.

5.29 サルバドルで全学連の31回大会.68年のイビウナ大会以来,事実上のUNE再建大会となる.73年以来行方不明となっている,当時のギマリャンエス委員長を改めて委員長に指名.政府はこれを黙認.

79年6月

6.17 ブリゾーラら,リスボンで労働者民主党(PDT)を旗揚げ.ゴラールのブラジル労働党(PTB)の後継者を名乗る.設立総会にはソアレス大統領(ポルトガル)も出席,社会主義インターへの加盟を認められる.

6.17 フィゲイラード大統領,政治犯特赦法案を提出.軍事政権時代に逮捕,拘禁ないしは国外追放された政治犯の恩赦や市民権の回復がおこなわれる.

79年7月

7.22 制限つき恩赦に抗議する政治囚84人が,リオ・サンパウロ・レシフェ・コルタレサの刑務所でハンガーストに入る.ストは23日間続けられる.

7.30 ベロオリゾンテの建設労働者8万人がストライキ.官憲との衝突で1人が死亡,50人が負傷.

79年8月

8.06 バイアで教員ストが始まる.

8.08 MR-8,機関誌「民衆の時代」(Hora do Povo)を発刊.

8.14 リオで無条件・全面恩赦を要求する市民のデモ.2万人が参加.

8.19 Theodomiro Dos Santos,恩赦を目前に,サルバドルの監獄から脱走.

8.28 恩赦法制定.9月以降,海外亡命者7千名がつぎつぎと帰国.

79年9月

9.05 ポルトアレグレの銀行でストライキ.当局の干渉によりオリビオ・ドゥトラ委員長ほか4人が逮捕される.ドゥトラはのちに南リオグランデ州知事となる.

9.06 ブリゾーラ,15年ぶりに帰国.故郷サンボルハでは3千人が歓迎.

9.11 リオ州の9都市で金属労働者のストライキ.

9.13 サンパウロとリオの銀行従業員がストライキ.

9.15 Miguel Arraesがレシフェに帰還.2万人の歓迎を受ける.その後二度にわたってペルナンブコ州知事を務める.

9.29 Gregório Bezerra, Hércules CorreiaらPCB幹部がいっせいに帰国.

9 イタリア人神父ドメニコ・コルシオーネ・ドミンゴ,PCBR再建を試みるが失敗,逮捕される.VAPパルマーレスに対する一斉検挙.

79年10月

10.03 Tribuna da Imprensaのエリオ・フェルナンデス記者の車に極右が爆弾を仕掛ける.

10.18 PCdoB系の雑誌「Tribuna Operária」が発刊される.

10.19 フィゲイラード,議会に政党法改正案を提示. 政府の公認した二大政党制から多党制への移行を容認.ただし共産党は依然非合法下におかれる.

10.26 ミナス州の工業地帯で,金属労組のストライキ.

10.29 サンパウロの金属労働者,ふたたびストにたちあがる.グアルーリョスの金属労働者スト,スト規制法違反と判定される.ただちに軍警察が規制に入る.

10.30 軍警察,サンパウロ州シルビアナで,ピケを張っていたカトリック系労働組合の指導者 Santo Dias da Silvaを射殺.ストは敗北し, ルーラはいったん免職となるが,のちに闘いにより復職をかちとる.

10.30 年間77%に上るインフレに対応し,賃金再調整作業が始まる.

10月 ルーラと金属労働者組合のお膝元、サンベルナルドでPTの第一回全国総会。「すべての経済的・政治的権力を直接労動者の手に」という結党宣言を採択。同時に「独裁政権に反対する広範な統一戦線を、すべての民主勢力の結集で作り上げよう」と呼びかけ。

10 東北地方の砂糖労働者10万人がストライキ入り.軍により弾圧.

79年11月

11.20 政党法改正案が成立.共産党を除く政党を合法化する。ARENAは社会民主党(PDS)に,MDBはブラジル民主運動党(PMDB)に継承される.タンクレド・ネベスらMDB中道派とマガリャエス・ピントらARENAリベラル派は,人民党(PP)を結成し,フィゲイラード与党となる.

11.30 ノベンブラーダ事件発生.フロリアナポリスにおける学生の抗議行動に,軍警察が干渉.6時間にわたり衝突を繰り返す.この事件で学生5人が逮捕される.

79年12月

12.21 ブリゾーラ,ブラジル労働党(PTB)再建計画をまとめる.イヴェテ・ヴァルガスの一派と指導権をめぐる争いが浮上.

12.26 バイア州Brejo do Burgoの先住民指導者Ângelo Pankararé,ピストレイロにより殺される.

12.31 2人組の男がポルトアレグレでビセンチ・シェレル枢機卿を誘拐・暴行.裸にして置き去りにする.

79 PCBのプレステス書記長,マリゲーラの名誉回復を示唆する.PCdoB,パラ州のゲリラ闘争を指導したジョアン・アマゾナス元下院議員が書記長に就任.中国と絶縁.アルバニアとの関係を深める.

79 マット・グロソで土地占拠運動がはじまる。この運動を母体に土地無し運動(MST)が組織化されるようになる。

79 第二次オイル・ショックが襲来.原油価格は二倍化し,交易条件はさらに悪化.国際金利の上昇はブラジルの対外債務を一気に上昇させる.政府は対外借款をさらに増やすことで,金融危機を切り抜けようとする.IMFは厳しいコンディショニングを押しつける.

 

1980年

80年1月

1.02 ブリゾーラ派とイヴェテ・ヴァルガス派が同日に,ブラジル労働党の名前で政党登録を申請.裁判所はイヴェテ側に名称の継承権を認める.

1.27 PNDBの結党大会となったリオの会場付近に爆弾.

2.10 サンパウロのコレヒオ・シオンに千人の代表が結集.労働者党の結成宣言を採択.学者、労働組合リーダー、知識人のグループが結集。

2.13 収監中のR. Cavalcanti と L. Almeidaが釈放される. J. Oliveiraは引き続き獄中に残される.

80年3月

3.21 政府,UNE本部建物の解体を発表.学生は歴史的建造物の破壊に抗議.

3.22 首都区のコンタグ本部に爆弾.PCB指導者Gregório Bezerraの講演を妨害するための工作.

3.31 5万人の自動車産業労働者,三たびスト入り.サンパウロ州では,ABC三市のほか15の自治体で33万人がストに参加.6週間にわたり自動車産業の機能がストップ.教会は公然と労働者支持を表明し,地域の教会をストの集会や売店のために開放.

80年4月 ABC地区のゼネスト

4.17 労働相,サンベルナルドの金属労働者ストに介入を開始すると発表.政府は労組指導部を国家安全法違反の罪で告発。

4.20 ルーラら指導部、DOPSにより逮捕され,31日間(一説では42日)の監禁処分を受ける. この間、連日数万人規模の集会が続く。

4.26 ABCのスト指導者に対する第二次一斉逮捕.

80年5月

5.01 サンベルナルドのメーデーに10万人が参加.治安部隊が行進を妨害,数時間に渡るにらみ合いの後,軍警察は妨害を断念.

5.05 サンアンドレの金属労働者,ストライキを終結.

5.11 サンベルナルドの金属労働者,職場への復帰を決議.この2ヶ月間で、労働者党は2ヶ月で全国3万人の党員を拡大。

5.12 選挙管理委員会,ブラジル労働党(PTB)を合法化.バルガスの遠縁にあたるコルディーダ・イヴェチ・バルガス・ツチュが中心となって党を再建.ブリゾーラらと一線を画す.

5.17 旧PTB系の活動家がリオで会議.ブリゾーラ支持者はPTBを離れることで合意.

5.18 党名の継承を拒否されたブリゾーラは,新たに労働者民主党(PDT)を結成.旧PTB活動家のほとんどがPDTに移動.

5.19 PCB,プレステス議長を極左的偏向として解任.

5.22 フィゲイラード大統領のサンパウロ訪問に際し,黒人同盟が激しい抗議行動.学生80人が逮捕される.

5.29 アラグアイアで農民運動を指導してきた米国人神父ライムンド・フェレイラが暗殺される.抗議の葬儀デモに4千人が参加.(アラグアイアはかつてのPCdoBのゲリラ活動根拠地)

80年6月

6.30 サンパウロでローマ法王のミサ.百万人が参加.

7.21 アクレ州ブラジレイアの農民運動指導者ウィルソン・ソウザ・ピニェイロ,地主の雇った殺し屋に暗殺される.これに代わりシコ・メンデスがアクレ州農民運動を代表する指導者となる。

80年8月

8.01 ミナス州ベティムのフィアット社でストライキが始まる.

8.27 リオで ブラジル弁護士協会(OAB),議会,新聞社を狙った多発爆弾テロ.OABのLyda Monteiro da Silvaが手紙爆弾により死亡.

8 7つの左翼政党とグループが合体し労働党(PT)を結成.トロツキスト組織である第4インタナショナルに加盟。グラムシの理論を基礎とし,政治戦線で陣地を一歩づつ拡大する戦略を採用.政治的ヘゲモニーの獲得を目指す(要するに思想的にはゴッタ煮).

9.04 議会,この年予定されていた地方選挙を2年間延期する決議.

80年10月

10.04 最後の政治囚Jose Sales de Oliveiraが釈放される.

10.10 シーコ・ピント議員(PMDB),ピノチェト非難の演説を行い,禁固6ヶ月の刑を受ける.

10.15 政府,イタリア人神父Vito Miracapilloの活動を禁止.

80年11月

11.13 議会,州知事の直接選挙制の復活を決議.また勅選上院議員制度も廃止される.(実際に施行されたのは87年)

11.13 直接選挙によるUNE委員長選挙.アルド・レベロが38万票を獲得し当選.

11.22 レシフェで第一回目の「キロンボのためのミサ」が行われる. Pedro Casaldáligaの詩にミルトン・ナシメントが曲をつけたミサ曲が演奏される.

11.24 エスピリトサント州でトゥバラオ工場の労働者7千人がストライキ.

11.29 サルバドルの左翼指導者5人が,「反共コマンド」により暗殺される.

80年 労働党の影響下に全国民衆・労組運動連合(ANANPOS)が結成される。労働運動が主導的役割を果たしつつ市民運動を巻き込む。

80年 この年、工業人口は1077万人に達する。工業化が始まった60年には294万人に過ぎなかった。

 

1981年

81年1月

1.02 パラ州で先住民・農民活動家への襲撃が相次ぐ.Zé Piauí族の指導者 Jose Manuel de Sousa,農民運動指導者のSebastiao Mearimが相次いで暗殺される.

1.05 フォルクスワーゲン社,労働者3750人を解雇.

81年2月

2.19 アルゼンチンの人権活動家でノーベル賞受賞者のアドルフ・エスキーベル,サンパウロで連邦警察により拘留される.

2.20 サンパウロ州カンピナスで全国教員会議開催.「全国教員・研究者協会」(ANDES)の結成を宣言.

81年3月

3.14 リオで「名誉を守るための」殺人に反対する女性集会.

3.14 サルバドルで軍警察隊員1万名が職務ボイコット.一般軍人並みの給料を求める.

81年4月

4.28 医師6万人が,「国民抗議の日」に呼応してストライキ.

4.30 「リオセントロ事件」発生.メーデーの前日,リオデジャネイロの集会場リオセントロで,左翼の青年むけ音楽フェスティバル開催.会場外で乗用車にしかけられた爆弾が暴発,乗っていた陸軍情報部員二人が死亡した事件.当局は必死のモミケシ.

81年5月

5.02 ブラジル先住民ユニオン(UNI)が結成される.

5.04 フィアット社のリオ工場でストライキ.

6.02 PF長官モアシル・コエーリョ,「秘密共産党員と同調者」の名簿を発表.この中にはフェルナンド・エンリケ・カルドーソやシーコ・ブアルキもふくまれる.

81年7月

7.06 サンパウロのフォード社400人の解雇を発表.金属労組はただちにストライキを指示.

7.15 PMDB, PP, PT ,PTBの各党,反独裁で一致.それぞれの能力の10%を統一のために与えることで合意.

81年8月

8.07 サンベルナルドの金属労働組合と会社とのあいだに合意成立.15ヶ月間にわたる当局の干渉も終わる.組合はJair Menegueliを議長に選出.

8.10 メルセデス社,5200人を解雇.解雇者は暴動を起こす.

81年9月

9.19 フィゲイラード大統領,病気のため米国の病院に入院.心臓バイパス手術を受ける.シャベス副大統領を大統領代行に任命.

9.27 バベンコ監督の「ピショット」がサンセバスチャン映画祭ほか各地の映画賞を受賞.

81年10月

10.17 ピケ,ラスベガス・グランプリで優勝.F1チャンピオンとなる.

11.12 フィゲイラード大統領,病気が治り政務に復帰するが,政治的影響力を消失.

81年 第1回労働者階級総協議会(CONCLAT)が開かれる。ブラジル全土から5千人が結集。会議は「労働組合評議会」(CUT)の結成で合意するが、労働運動の権力からの独立を訴える「正統派」(アウテンティコ)と、御用組合もふくめた統一を主張する「統一労動組合派」(ウニダージ)のあいだに厳しい論戦。「正統派」はルーラの呼びかけをもとに、PTのほか教会左派、トロツキストなどが結集。これに対しウニダージには両派共産党、PMDBなどが結集。

81 GDP実質成長率は4.4%低下.海外資金の一斉引き揚げと,残された対外債務が経済の重石となる.

 

1982年

2.11 裁判所,労働者党の政党登録を正式に受理.PTが選挙綱領を発表。労働者階級を基礎とした新しい権力を作り上げること、この権力は搾取者も被搾取者もない社会を作り上げることにあると明らかにする。

2 フォード自動車,サンベルナルド金属労働者組合の組織する工場評議会を正式に承認.

4.27 ニテロイの海軍基地で港湾労働者がストライキ.

5.12 ゲリラ,グアテマラのブラジル大使館占拠,シルバ大使らを人質にとる.

7 複数政党制実現.労働党(PT),サンベルナルド金属労組委員長のルーラを党首に結成.PCBのプレステス書記長は、リオ知事選でのプリゾーラ支持をおしつけようとして失敗,中央委員を解任される.

10 SNIが関与したとみられるジャーナリスト,バウムガルテンの死体発見.

82年11月

11.05 ブラジルとパラグアイが国境に共同で建設したイタイプ水力発電所のダムが完成.

11.15 国会議員選.MDBは得票率を48%に伸ばし,与党ARENAを37%におさえる.同時におこなわれた州知事選では,改選22州のうち10州を野党がおさえる.リオではブラジル民主労働党(PDT)のプリゾーラ,ミナスジェライスではネベスが圧勝.サンパウロ州知事はPMDBのフランコ・モントロが当選.PTのルーラは4位で落選.厳しい選挙制限に抗議したPPは,与党を離れMDBと合併.

11月 国会選挙でのPTの得票率は3.5%、下院議員8人を獲得するにとどまる。マスコミはPT限界説を流す。

11 ブラジル,メキシコ危機のあおりを受け経済危機に陥る.債務問題でIMFに金融支援を要請.

82年12月

12.13 ブリゾーラのリオ州知事当選が確定.

12.13 地下のブラジル共産党(PCB),サンパウロで第7回大会を開催.サンパウロの連邦警察は参加者68名を全員逮捕し軍事裁判にかける.

12 政党法改正.共産党を除く政党の活動の自由実現.

12月 労働者党、党員数が全国で245,000人に達したと発表。

82 レオナルド・ボフ神父「教会…カリスマと権力」を発表.ローマ法王庁の批判を浴びる.

 

1983年

83年1月

1.03 南リオグランデ州で連邦職員4.8万人がスト.

1.31 サンベルナルドのメルセデス社,2900名の解雇を発表.

1 メキシコに始まった債務危機,ラテンアメリカ全体を覆う.ブラジル,IMFとの間に屈辱的な融資協定,国内に非難高まる.サンパウロ,リオデジャネイロであいついで,インフレと失業を不満とする大規模な暴動.緊縮計画反対のスト続発.

3.15 フィゲイラード大統領,就任4周年にあたり演説.85年の任期切れの時点で,民主化する公約を再確認.

4.17 民主労働党,ブリゾーラを大統領候補に擁立.

5.19 フィゲイラード大統領,次期大統領選へは出馬しないと表明.

6 MR8第4回総会開催,極左冒険主義を自己批判し組織を解散,PCBに復帰する.PCBは個人としての復党と党規約の遵守を条件にこれを認める.

7.21 サンパウロで政府の実施賃金引下げに反対する,軍政下初のゼネスト.産業・商業の6割がストップ.

83年8月

8.21 レシフェで,産業公害による大気汚染に抗議する1万のデモ.

8.26 サンベルナルドで3日間にわたり第2回全国労働者会議(CONCLAT)開催.全国民衆・労組運動連合(ANANPOS)の労働部門が独立した労働センターを目指す。5千人を越える代表が結集.サンベルナルド金属労組のJair Menegueliを議長に選出.

8.28 CONCLAT、労働中央組織として「全国労働者会議」(CUT)の結成を決議.共産党系労組と農業労働者総連合(コンタグ)はこれをボイコット.独自にコンクラートを名乗る。

83年9月

9.05 失業者の行動隊,サンパウロ州議会前を占拠.

9.20 マナウスでバス代引き上げに抗議する学生のデモ.警官の干渉により25人が負傷.

9.21 国会,賃金引下げないし凍結を内容とした大統領令を軍政下ではじめて否決.

83年10月

10.04 議会,国家元首を侮辱したとしてXavante Mário Juruna議員を懲罰にかける.Mário Jurunaは先住民代表として,連邦推薦の議員となっていた.

10.19 CUTのゼネストを控え,フィゲイラードは「経済再建のため」,首都区に限定して60日間の非常事態宣言.CUTのゼネスト計画は軍の弾圧により不発に終わる

83年11月

11.09 財政緊縮とインフレ阻止のため,賃金法2065号を強硬採決.サンパウロの自動車産業労働者はただちにゼネスト入り.

11 PCB系労組,全国労働者階級調整委員会を結成.PCdoBはPT=CUTとの共闘を強める.

12.17 非常事態令,解除される.

 

1984年

84年1月 MSTの結成

1.12  野党が統一して大統領選の直接選挙制への復帰を要求.クリティバで6万人が結集し,大統領直接選挙キャンペーンが始まる.スローガンは 「Diretas Ja!」,シンボルカラーは黄色に決まる.

1.18 マルーフ,64年体制の維持を訴え,大統領選出馬の意思を表明.

1.21 パラナ州Cascavelで,農業労働者の全国会議開催.地方労働者運動(Movimento dos Trabalhadores Rurais Sem-Terra:MST)を結成.土地占領運動を提起。その後20年間のあいだに、23州で150万人が組織され、25万家族が1600の定住地を確保した。ブラジルでは人口の3%が耕地の66%を所有している。

1.25 直接選挙運動(Campanha Diretas Já ),サンパウロのセー広場に30万人を動員.集会の模様はテレビ・グロボで中継される.

2.24 ベロオリゾンテで直接選挙運動の集会.25万人を動員.

2.25 サンパウロの貧民街クバタウンでガソリン爆発事故。500人が死亡。

3.21 リオデジャネイロで,大統領選挙の直接投票をもとめ30万人がデモ.

84年4月

4.02 S. José dos Campos, SPで金属労働者1万人がストライキ.

4.10 リオで直接選挙運動の集会.実に170万人を動員.史上最大の大衆集会となる.1月以来の延べ動員数は800万人に達する.

4.16 フィゲイラード大統領,野党案に対抗し大統領直接選挙制などをふくむ改憲案を議会に提出.

4.18 フィゲイラード,議会の討議を保障するため首都区に非常事態令を発動.ニュートン・クルース司令官によるクーデターの噂がひろがる.

4.26 直接選挙を求める野党の憲法改正案,22票差で2/3に達せず否決.賛成298,反対65,欠席112.

84年5月

5.02 フィゲイラード大統領,ブラジリアと周辺10都市の非常措置解除.

5 グアリーバ市でさとうきび農園の労働者による暴動.近隣農村に波及.

84年5月

6 ラテンアメリカの債務問題での団結を目指す,カルタヘナ・グループ結成.

6 PMDBのタンクレド・ネヴェス・ミナスジェライス州知事,大統領選出馬を表明.与党PDS,大統領候補をめぐり分裂.アウレリアノ・シャーベス副大統領,ジョゼ・サルネイ総裁らは自由戦線を結成し,タンクレド・ネベスを支持.

84年7月

7 サンパウロの教会で右翼による襲撃事件.20人が虐殺.

7.23 自由戦線とPMDBとのあいだに9項目合意が成立.大統領候補にネベス,副大統領候補にサルネイを選出.

84年8月

8.07 PMDBとPFL,選挙のための確認団体として 民主連合(AD)を結成.選挙管理委員会に届け出る.

8.20 サンパウロの失業者,公共職安のビルに乱入.

8 PDS大会.フィゲイラード大統領が推すアンドレアーザ内相を,パウロ・マルフ下院議員が破る.

8 タンクレド・ネベス,PMDB党大会で野党の大統領候補に指名.

84年9月

9.12 タンクレード,最初の選挙キャンペーンをゴイアニアで開始.30万人の動員に成功.

9 与党候補マルフをめぐる汚職スキャンダル発覚.東北部出身議員を中心につぎつぎと自由戦線へ移行.

9 軍部,野党の選挙運動を激しく非難.この頃クーデターの噂が頻発.

9 CGT,引締め政策に抗議し民政化以後初のゼネスト.

9 ローマ法王庁「解放の神学」を否定.ブラジルのボフ神父を査問.

84年10月

10.09 PDS出身のセアラ州知事ゴンサガ・モタ,ペルナンブコ州知事ロベルト・マガリャエスが,自党候補のマウアではなくタンクレードを支持すると発表.この後さらに11州のPDS系知事が,タンクレード支持を表明.

10.12 タンクレード,ベレンで選挙集会を開催.20万人を動員.

10.17 議会上院,ファルコン法をキャンセルし,テレビでの政策宣伝を自由化する.

10.26 当局,共産党の一斉取り締まり.SP, BA, GO and ParáでPCdoB党員50名,リオでPCB党員2人を拘束.

84年11月

11.01 官憲, S. Caetano, SPでAcos Villares工場占拠中の労働者を排除.

11.06 アウレリアノ・チャベス副大統領,与党を離党.PMDBに合流する.

11 タンクレード候補とピーレス陸相の秘密会談.軍部は後継大統領問題で法律を尊重するとの覚書発表.地方牧場主を中心とする極右派は軍部の民主化容認に反発.地方民主連合(UDR)を結成.

11 PCB系労働者,CUTとは別に全国労働者階級調整委員会を結成.

84年12月

12 3人の知事,10人の上院議員,60人の下院議員により,中道右翼の自由戦線党(PFL)を結成.議会内第2党となる.

12.07 ブラジル銀行,全国いっせいに24時間ゼネスト.

 

第三の共和制時代

1985年

1.15 間接選挙人団(国会議員)による大統領選でネベスが480票を獲得,180票のマルフに大差をつけ当選.間接選挙に反対する17人が棄権.

1 ローマ法王,中南米を歴訪,「解放の神学」を非難.

2.01 ネベス次期大統領,レーガン米大統領と会談.

85年3月

3 法王庁,ボフ神父に対し著作の発表と教育活動を無期限に禁止.

3.14 タンクレード,大統領就任12時間前に突然腎不全悪化のため入院,手術.結腸癌の進行による症状.

3.15 ブラジル民政移管.サルネイ副大統領が大統領職を代行.サルネイ側近のギマラエスとPMDB上院議員団長のフェルナンド・エンリケ・カルドーゾが非公式に首相の任務を遂行.

3.15 ブラジリアの政庁舎には“Bon Dia Deiocracia”のたれ幕が掲げられる。

3.28 サルネイ,31自治体で国家保安地区の指定を解除.

3.27 教育相,UNEを20年ぶりに公認.共産党(PCBおよびPCdoB)など合法化.

4.21 タンクレド,38日間に7回にわたる手術を受けたが回復せず死亡.サルネイがかわって大統領に就任.

85年5月

5.07 エメンドン・サルネイ,大統領に就任(国会の承認は10日). 政権基盤の弱いサルネイは政局運営を軍に頼る.国家情報局(SNI)のイヴァン・ソウザ・メンデス将軍が影響力を行使.

5.08 国会,正副大統領直接選挙制復活を盛り込んだ憲法修正案を可決.

5.08 PCBとPCdoB,合法化を勝ち取る。選挙裁判所に対し政党としての公式登録を要求.

5 ブラジル,「経済政策の総合指針」発表.高度成長路線を転換し,社会格差の減少を打出す.賃金の5%引上げ実施.経済成長は8%を記録するが,インフレに火がつく.

5.23 サルネイ,連邦区で開かれた全国農業労働者組合総連合(コンタグ)大会に出席.「社会正義」を基調とする国家農地改革計画を発表.43万平方キロの再分配を行うとする(日本の全面積は37万平方キロです)。7つの州を農地改革州に指定.

5.27 サンタカタリナ州西部で,土地なし農民1300家族が5つの農場を占拠.休閑地にたいする農民の占拠闘争がひろがる.

6.13 南リオグランデ州の150の町で,トラクター農民30万人が抗議行動.

6月 政府の提案した農地改革に反対して、大地主層が農業者民主連合(UDR)を結成。ゴイアス州(中西部)の牧畜業者ロナルド・カイアードが議長を務める。土地なし農民の占拠闘争に対して武力で抵抗。各地に死傷者続発.

85年7月

7.01 ネルソン・リベイロ農業改革相,大地主の圧力を受けベレンの土地占拠家族を排除.

7.22 サルネイ大統領,IMFの提示する過度の緊縮政策を拒否すると発言.

7.24 Aripuanã, MTで農民の立場に立って改革を進めたエゼキエル・ラミン神父,ならず者により暗殺される.

7.30 Palmeira das Missões: RSで土地なし農民1万2千人が農業改革を要求し立てこもり.

7月 「ブラジル:二度と許すな」(Brazil: Nunca Mais)が発売される。20万部が瞬く間に売り切れ。

Brazil: Nunca Mais サンパウロのアルンス枢機卿と長老派(新教)のハイメ・ライトが協力。「世界教会評議会」の資金を得て、軍政時代の人権侵害を明らかにする作業に取り組む。法律家集団が3年をかけて、軍事法廷の700におよぶ裁判資料(全100万ページ)を収集。その後、ジャーナリスト集団が、2年をかけてこれを編集する。ハイメ・ライトの弟Paulo Stuart Wrightも、「失踪者」の一人だった。

7 サルネイ大統領の私的諮問機関として,アリノスを長とする50名からなる憲法暫定委員会発足,草案起草にあたる.

85年8月

8.16 ベッチ・メンデスを拷問したウストラ大佐が,メンデス本人により発見される.ウストラは大使館つき駐在武官としてモンテビデオに駐在していた.サルネイ大統領はウストラ更迭を指示するが,レオニーダス・ピーレス陸相はこの指示を拒否する.

@ベッチ・メンデスは高名な舞台女優で,クーデター当時に下院議員を務めていた.64年のクーデターのあと,軍警察に捕らえられ,獄内で拷問を受けた.
Aベッチ・メンデスは,何らかの情報を受け,モンテビデオのブラジル大使館の駐在武官ウストラ大佐が,自らを拷問した下手人であることを確認した.
Bピーレス陸相は,以上の事実経過を認識し,かつ,大統領の命令を受けたにもかかわらず,「大佐はわれわれの信頼を得ており,通常の任期終了までこのポストにとどまる」と判断し,命令を拒否した.
Cこの結果,ウストラは拘束されず,現職に引き続きとどまり,大統領は部下である陸軍大臣の命令違反を黙認することとなった.
Dこの結果,軍部は共和国の法体制から超越することになった.また軍政時代の拷問は罰せられる可能性がなくなった.したがって拷問の下手人の法的処罰は不可能となった.
この理不尽な閉塞状況を変えられるのは,国民の力=世論しかない.そもそも,ここまで軍部を追い詰められたのも,百万人集会を成功させた世論の力である.

8月 UDRは武力でこれに対抗,UDRは全国4万人を動員したブラジリア行進に成功,農地改革法案を骨抜きにする.この闘争の過程でUDRは19の州に二百の支部と23万の会員を擁するにいたる.

85年9月

9.05 従属経済論の主導者テオドミロ・ドスサントス,亡命生活を終えブラジルに帰国.

9.17 パラ州パラゴミナスの組合活動家アルベス・ドスサントス,サルバドルでピストレイロに殺害される.

9 銀行労組のスト.SNI,警察軍は政労交渉に介入.

9 サルネイ,国連で演説.失業や飢餓を生んでまで対外債務を返済することは出来ないと表明.

85年10月

10.29 サランディ,RSで土地なし農民1万人がAnnoni農場を占拠.

10月 骨抜きにされた農地改革法が議会を通過。「社会正義」よりも「生産効率」を重視したものとなる。UDRはさらに議会への圧力を強化。

10 初めてのゴム採取人全国会議,ブラジリアで開催.シコ・メンデスらが指導。熱帯雨林との共生という方針が、エコロジストの注目を浴びる.

85年11月

11.05 サンパウロで46万人が参加するストライキ.これまでと違い中小企業労働者や専門家中心のストとなる.

11.15 全国約200の都市で直接市長選実施.サンパウロではクアドロス元大統領(ブラジル労働党)が僅差でカルドーゾを破る.その他リオデジャネイロなど大都市で野党市長が勝利.右派のPFLの得票率は8.8%にとどまる.

11.16 パラナ州で5農場を農民が占拠.各地で土地占拠闘争ひろがる.

11.19 経済不況の中で3つの民間銀行が倒産.中央銀行の管理下に.

11.21 サンパウロ大司教区,「Brasil: Nunca Mais」を発行.軍事政権時代の強権的手法が,人民のために何の役にも立たなかったことを,統計資料も含め明らかにする.さらに独裁時代に先頭に立って人民を苦しめた拷問者444人の名前も明らかにする.

パウロ・エバリスト・アーンズ枢機卿、債務問題について語る。
「過去2年間の大変な努力によって1ヶ月当たり10億ドルの輸出超過を実現した。しかしこの金は債務の利子返済に充てられるのみである。我々はすでに借りた金の2,3倍を返済した。このやり方を続けることは不可能である。すでに三分の二の民衆が飢えているにもかかわらず、我々は彼らが食べなければならないものまで取り上げてしまった。我々は民衆の血と困窮を第一世界のために捧げるのを辞めなければならない」

11.29 政府,財政均衡のための新緊縮措置発表.

85年12月

12.16 パラナ州の土地なし農民,5つの農場を占拠.

12.19 ピストレイロ,アラグアイアで農民運動代表ジョアン・カヌート・デ・オリベイラを射殺.

 

1986年

86年2月

2 サルネイ,ネベスから引き継いだ内閣を改造.右派のPFLに6つのポストが与えられる.

2.28 サルネイ政権,「クルザード計画」を開始.千クルゼイロを1クルサードに.賃金を含むすべての価格を凍結。国民に価格監視を呼びかけるキャンペーン。テレビでは価格を上げたスーパーマーケットが閉鎖され、店長が逮捕される様子が映し出される。

3.03 パラ州シングー(Xingu )河流域のSerra Peladaでガリンペイロ(金採掘労働者)5千人が鉱山主と対立.軍警察との衝突で3人が死亡.

86年4月

4.03 上院,「国民情報計画」(Plano Nacional de Informática)を承認. 固定相場制復帰.賃金,物価の1年凍結などIMFによらず,独自の経済再建を打ち出す.その後1年間,好況が続くが外貨は1年で底をつく.IMFは拡大信用供与を停止,民間銀行団支援もストップ.

4.23 PCdoBを扱った番組が,初めてテレビで放映される.

4 バチカン,「キリスト教の自由と解放に関する指針」を発表.ボフの活動制限を解く.

4 PCBRの残党,ニカラグア支援の財源調達と称し,サンサルバドルで銀行強盗.

86年5月

5.19 土地なし農民が農業改革を求めポルトアレグレでデモ行進.教会もこの運動を支持.

5.20 サンパウロ州の農業労働者300人が,モントロ知事に改革を求める.

5.27 南リオ州サランディ農場を占拠した250人の農民が,ポルトアレグレまで310キロを行進.

5 サルネイ,18の地域における農地改革計画を承認.植民・農地改革院(INCRA)長官に退役大佐を指名,軍を使ってでも実施するとの決意を示す.

5 アマゾンで農民の味方として献身的活動を続けていたジョゼ・モラエス・タバレス神父,地主の雇った殺し屋に射殺される.

86年6月

6.09 サルネイ政権,国営のGrande Hotel (Blumenau, SC)を売却.民営化路線の始まり.

6.10 セアラ州Trairiで土地紛争発生.4人が犠牲となる.

6.12 サルネイ政権,「プラン・ブレッセル」を開始.賃金の90日間凍結.

6.14 ブラジル,キューバとの国交を回復.

6 憲法研究暫定委員会,最初の憲法草案(アフォンソ・アリノス案)を公表.軍の内政干渉を禁じ,シビリアン・コントロールを明確にする.その後陸軍の強硬な反対により骨抜きになり,最終的には葬られる.

6 INCRA長官,農地改革相の指示にしたがわず.大統領により解任.サルネイは陸軍工兵部隊を農地改革地域に駐屯させると発表.

86年7月

7.11 「レメ(Leme )の虐殺」事件.6.23から始まったサンパウロ州レメのストに軍警察が介入.発砲により2人を殺害,23人を負傷させる.

7.11 PCB,合法化後初の大会.

7.31 リオで労動党系の労働センターCUTが第二回総会を開催.ウニダージ派は、別に労働者総本部(CGT)を結成。これは64年クーデター以前の労働センターの名前を引き継いだもの。

7 国家情報局(SNI),INCRA幹部職員の半数は元左翼であり,「左翼の浸透は深刻」とサルネイを脅迫.直後に15人の職員が解任され,農地改革は挫折.

8.17 バイア州イタカレで指導者Deraldo Souza Santosの虐殺に抗議する農業労働者のデモ.

86年9月

9.18 暫定委員会,5百条からなるアリノス草案をサルネイ大統領に提出.フランス第5共和制をモデルとする.

86年11月

11.15 ブラジル制憲議会選挙を兼ねた総選挙実施.与党PMDBは上下両院で議席の過半数を獲得,州知事選でも23州中22州を占めるなど,PMDBの圧勝におわる.「賃金凍結計画」の責任をとらされる形となったPFLは後退.

11.16 総選挙で労働党が得票率を6.5%と倍増。全国に影響力を広げる。ルーラはサンパウロ州から立候補し,全国一の投票率で選出される.PCBが3議席、PCdoBは4議席を獲得.エルブルック誘拐に参加した元学生運動の幹部フェルナンド・ガベイラは緑の党を結成。PTと密接な関係をとりつつ政界に進出.

11.20 サルネイ政権,国立住宅銀行を閉鎖.従業員は閉鎖に反対し本社ビルを占拠.

11月 選挙を終えた政府は、「クルザード・プラン2」を発表。企業は売り惜しみと高価格の「新製品」発売で対抗したため、物価はふたたび上昇。

86年12月

12.04 ブラジリアで,スラム街ロドビアリア(Rodoviária)の清掃作戦.住民と軍警察が衝突.

12.4 70年ぶりのゼネストを前に,陸軍は軍事介入.装甲車によりボルタ・ヘドンダ製鉄所を占拠,主要交通機関を監視下におく.

12.12 CUT=CGTの共闘で「クルザード・プラン2」に反対する全国ゼネスト.全国労組の42%が参加する空前の規模となる.

 

1987年

87年1月

1.15 パッツィアノット労相,労使の代表を招き「社会合意」を提案.CGTとUSIは賛意を示すが,CUTは提案を拒否.三回の会談の後,構想は流産.

1.26 カストロ首相とサルネイ大統領を結ぶホットラインが完成.

1 陸相,「憲法が危機にさらされているとき,共和国の運命に介入する軍部の特権が,手をつけられず維持されることを熱望する」と発言.反響をよぶ.

87年2月

2.06 PCdoB,サルネイ政権への支持を破棄.

2.09 サンパウロで住宅を求める市民のデモを地方警察が強制解散.

2.20 サルネイ,テレビに出演し,中期負債の利息支払にたいし一方的モラトリアムを発表.貿易収支の悪化による外貨準備高の減少から対外債務の返還が不能となる.

2.21 ペルナンブコ州の農村労働者運動の顧問弁護士 Evandro Cavalcanti,暗殺される.

2.27 マラニョン州カシアスで暴力に反対し農業改革を支持する行動.地主達はならず者を集めて,パラミリタリー組織「グルポ・ペルナンブカーノ」を結成.カシリンブ農場を占拠中の土地なし農民42家族を追い出しにかかる.

2 憲法制定議会発足.九つの小委員会に分かれあらためて起草作業を開始.議会の権限をめぐりPMDB内部の確執が生じ,作業は暗礁に.

87年3月

3.07 ストに対し,陸・海軍が出動.ゼネスト時を上回る動員でリオとサントスの石油精製所と港湾施設を占拠.

3.17 サンパウロ州警察,土地占拠農民を排除.このときAdão da Silvaを殺害.この時点で州東部地域には2万家族が土地占拠.

3.24 新経済企画相にアニバル・ティセシェイラを任命.

87年4月

4.23 サンパウロ州東部の土地占拠農民を一斉排除.50人が負傷し,48人が捕らえられる.

4 クルザード計画のシンボル,ジルソン・フナロ蔵相が辞任.ブレッセルが新たに蔵相に就任。

4 制憲議会,24の小委員会に分かれ具体的な作業に入る.

87年5月

5.01 パラ州パラゴミナスで初めてのメーデー集会.ジャグンコスが銃を乱射して集会を破壊.

5 インフレ,クルサード計画後の反発から年率千%に近づく.

87年6月

6.11 パウロ・フォンテレス(38),ピストレイロにより頭に5発の銃弾を打ち込まれ死亡.フォンテレスは,パラ州南部の弁護士.元PCdoB国会議員で,軍政時代は政治囚として捕らえられていた.

6.12 急激なインフレ抑制のため,(1)最長90日の賃金・物価凍結,(2)クルザードの対ドル相場9.5%切下げ,(3)公共事業の延期・縮小を柱とする「新クルザード計画」発表.蔵相の名をとりブレッセル・プランとも呼ばれる。

6.17 サルネイ大統領,民主化以来,対立関係にあったIMFとの関係修復を示唆.

87年7月

7.07 ブラジリアで,大統領直接選挙を要求する1万5,000人の大集会開催.

7.11 農民民主同盟(UDR),ブラジリアで3万人のデモ.憲法議論の中で農業改革が骨抜き化されることに抗議.

7.29 大統領府スポークスマン,2月以降中断している対外債務返済を10月末に再開すると発表.IMF路線にしたがい、オーソドックスな金融引き締め策への転換を示唆。

7月 PCBが当史上初の合法的大会を開催(第8回党大会)。「労働者の願望を実現する新しい経済を保障する、社会主義を展望した民主主義のための政治」を公約として掲げ、「mん主的な法治国家の獲得」を当面の課題とする。大会は党勢拡大運動を提起し、1万の党員が半年後には7万人に拡大。

7 アルゼンチンとブラジル,共同市場の形成をめざす取決めに調印.

87年8月

8.11 ポルトアレグレで小作農500人と軍警察100人が衝突.

8.25  サンパウロ郊外の産業都市ディアデマでフェルナンド・ラモス・ダ・シルバが警察により8発の銃弾を打ち込まれ死亡.彼は映画「ピショーテ」の主役で,死亡当時19歳.

8.20 CUT,CGTの統一スト,内部分裂により東北部を除き失敗.この後共産党(PCB)系のCGTは急速に力を失う.

8 制憲議会起草委員会,アリノス草案より遥かに後退したカブラル憲法草案をまとめる.

87年9月

9.08 アマゾン視察中の空軍機,謎の空中爆発.農地改革相のマルコス・フレイレをふくむ乗員9名が全員死亡.

9.28 イタイプー発電所でストライキ.軍が出動し工場を制圧下に置く.

9.28 アラゴアス州で5万人が参加するストライキ.1人が死亡.

87年10月

10.5 起草委員会最終案決定.大統領任期を6年から4年に短縮,軍への統制の強化,88年からの議員内閣制移行など左派の意向が大幅にとりいれられる.保守派はこの草案に反発し超党派の「セントロン」を結成,本会議での排除をめざす.

10.10 第38回UNE総会.PCdoBは,組織再建以来はじめて指導権を失うが,翌年には奪回.

10.13 南リオ州で106家族が休耕地への立ち入り行動.

87年11月

11.04 軍警察,サンタカタリナ州で土地占拠中の1200家族を排除.

11.06 サルネイ,8ヶ月ぶりにモラトリアムを解除.IMFに復帰.

11.13 サルネイ,米の報復関税措置に対し逆報復を検討と語る.

11.23 南リオ州ミショネイラ地方で土地なし農民2400家族が土地占拠.

11.27 Cristo Rei, Nova Catu, PRで,土地占拠農民と軍警察の衝突.

87年12月

12.11 サンパウロ=ハバナ間に定期航空便が就航.

12.11 空軍労働者15千人と空港労働者45千人が48時間ストを決行.

12.13 88年直接選挙委員会がサンパウロで集会.15千人が参加.

12.18 ブレセル蔵相,赤字削減策で大統領と対立し辞任.

12.27 セラ・ペラーダでガリンペーロ4千人が反乱.高速道路「パラ150号線」で軍警察と対峙.軍警察の発砲により133人が死亡.

 

1988年

88年1月

1.04 軍警察,Cidade de Deus, Rioで行われた暴力反対のデモに暴力.

1.11 連邦立大学の職員,50日間の全国ゼネストを決行. 

1.15 サルネイ政権,Plano Verãoを開始. 新クルザード(Cruzado Novo)を発行し,インフレ過熱をおさえようとする.

1.17 軍警察隊員,一般軍人並みの賃金を求めリオでデモ行進.12人が逮捕される.

2月 政府,中長期債務700億ドルの返還を停止.

88年3月

3.11 リオ市当局,拷問の協力者だったアミルカル・ロボ医師の免許を剥奪.

3.12 バイア州イタマラジュで,1300の農家家族が放置された農場を占拠.

3.22 本会議で草案の逐条審議.大統領制の維持が決まるが,権限の縮小など多くの制限が加えられ任期も4年と決定.

3.30 アマゾン奥地Solimões河の先住民 ティクナ族,木材業者との訴訟のため町にいく途中を殺し屋に襲われ14名が死亡,23人が負傷.

3月 ブラジルで新緊縮政策(ブレッサー計画)に反対するゼネスト,2千万人が参加.

4.06 ブラジリアで,サルネイ,アルフォンシン,サンギネティの南米三首脳が会談.南米南部地域経済統合計画を協議.アルゼンチンとのあいだに自動車・同部品・食糧など約120種の関税撤廃議定書.

88年5月

5.03 リオで12万人が参加する金属労働者のスト.

5.11 黄金法制定百年を記念し,リオで1万人が参加する黒人組織の集会.

5.30 リオのロシーニャ地区で軍警察がスラム撤去作戦.2時間にわたり住民と対決.

5 IMFとの関係修復.債務繰延べ,52億ドルの新規融資が実現.

88年6月

6.02 制憲議会,大統領の任期5年案を賛成多数で可決.サルネイの任期は1990年3月までとなる.

6 右傾化したPMDBを嫌い,左派がPSDBを結成.代表にサンパウロ選出で上院議員団長のカルドーゾを選出.進歩統一運動(MUP)に結集する方針を採択.議会内第3党となる.

88年7月

7.14 サンパウロで「平等を求める黒人同盟」の結成総会.

7.15 軍警察,グアナバラ宮殿に向かった教員組合のデモを襲撃.

7.28 フルタド社会福祉相ら3閣僚,新憲法草案でサルネイ大統領と意見対立して辞任.

8月 軍警察の騎馬部隊,教員組合のデモ4千人に催涙弾攻撃.

88年9月

9.28 二月以来停止していた中長期債務700億ドルの返還を開始.

9 パラ州のタパジョス川で,砂金採掘業者の垂れ流した水銀により百人以上が死亡.

10.5 18ヶ月の周知期間をおいた後,新憲法が公布される.環境保護の義務を規定.アマゾンの自然破壊に一定の歯止めをかける.先住民は「伝統的に居住してきた土地についての本来の権利者」として「その土地の所有者ではないが,居住権,用益権をもつ」と規定される.あいまいな規定により先住民と農場主の間の抗争が激化.

88年11月

11.9 ボルタ・レドンダ製鉄工場スト.労働者数千人の集会に対し軍・警察が発砲,5人が死亡.

11.10 タンカー関連従業員5万人がストライキ.7つの製油施設が麻痺する.

11.15 一斉地方選.インフレと汚職疑惑の中でサルネイ政権の人気低下.主要百都市の与党市長は77から20に激減.労働党を先頭とする革新勢力の躍進.サンパウロでは女性の労働党市長(ルイザ・エルンディナ)が誕生.ポルトアレグレでもPT左派(トロツキスト系)候補が勝利。共産党(PCB)は微増にとどまる.

11.23 政・労・使の三者会談が再開される.今回はCUTも交渉に参加する.

88年12月

12.06 ベレンでジョアン・カルロス・バティスタが暗殺される.バティスタは, PSB選出の州議会議員で,弁護士としてポッセイロスのために働いてきた.

12.22 シーコ・メンデス、自宅玄関で暗殺される.犯人は州内の地主たちに雇われた殺し屋といわれる。メンデスは,アマゾンのアクレ州で国や資本家の森林破壊とたたかった.米国を中心に全世界で糾弾の声,ブラジル各地にシーコ・メンデス委員会設立.

 

1989年

89年1月

1.14 PCB,ロベルト・フレイレを大統領候補に指名.

1.15 サルネイ,デノミ・物価・賃金凍結などを柱とする新インフレ抑制政策「ベラン(夏)計画」を発表.新クルザードは旧価を17%切り下げ,さらにゼロを3つ削ることとなる.

89年2月

2.04 イタキアリ,MSで5千の土地なし農民が1万4千ヘクタールの土地を占拠.この土地は14年間にわたり耕作されず放置されていた.

2.11 バイア州フェイラ・ジ・サンタナで土地なし農民1600家族が,二つの農場を占拠.

2.20 アマゾンの支流シングー川にダムを建設する計画すすむ.アルタミラ,PAで先住民 による反対集会.11部族から600人が参加.

2.21 バイアの土地占拠闘争の指導者オレガーリオ・ディアス・ビスポ,三人の暴漢により暗殺される.

89年3月

3.09 Salto do Jacuí, RSで,土地なし農民500家族が農場占拠.軍警察の出動により400人が負傷,22人が拘留される.

3.17 裁判所の職員が全国スト.

89年4月

4.06 政府,アマゾンの自然保護と乱開発防止のための「我らの自然」(ノサ・ナツレザ)計画を発表.乱伐,焼き畑の規制を始める.

4.30 ロヘリオ・マグリがCGT書記長に就任.闘争形態を過激化させるよう指導.

89年5月

5.01 ABC地区のPT,PCdoB,PSBの三党,ルーラを統一左翼の大統領候補とするよう推薦.

5.02 リオ州ボルタ・レドンダで右翼による爆破未遂事件.攻撃の対象となったのは,半年前に立てられた彫刻で,軍政時代に殺された労働者を記念して,オスカル・ニーマイヤーが製作したもの.

5.05 「ピラポリーニャの戦闘」事件.サンベルナルドでデモ行進していた労働者に軍警察が発砲.5人が病院に運ばれる.

5.06 リオに20ヘクタールのエコ・パーク「シコ・メンデス」が開園.

5.08 ブラジル,ベトナムとの国交を回復.

5.30 エスピリトサント州で土地なし農民がジョゼ・マチャドの農場を襲撃。銃撃戦でマチャドが死亡、不法占拠者4人が負傷。土地なし農民の指導者ジョゼ・ライニャ(Rainha)に懲役26年が宣告される。

5 ブラジルほか8ヵ国によるアマゾン・サミット開催.先進国の協力による熱帯雨林の保護を求めるアマゾニア宣言を採択.

6.25 民主労働党(PDT),総会を開催し,ブリゾーラを大統領候補に指名.

89年9月

9.04 サンタカタリナで,土地なし農民2500家族がパルマ・ソーラ農場を占拠.2週後に軍警察が追放.1人が死亡,72人が負傷.

9.16 南リオ州で土地なし農民3300家族がクルス・アルタ農園を占拠.

9.27 パラナ州マンゲリーニャで,軍警察1350名を動員し,土地占拠農民を追い出す.

10.24 サンパウロの新スラム地区「レプブリカ」で地滑りが発生.14人が犠牲となる.

89年11月 直接投票による大統領選

11 大統領選に立起したUDRのホナルド・カヤード委員長,「エコロジストは北米左翼帝国主義者の手先」であり「アマゾニアはわれらのもの」と訴える.

11.19 民政化後第二回目の大統領選.事実上30年ぶりの直接投票による大統領選となる.第一次投票では,フェルナンド・コーロル・ジ・メーリョ(Fernando Collor de Mello) が,28%を獲得し第一位となる.コーロルは中道右派の国家再建党(PRN)候補で前アラゴアス州知事.第二位は労働党のルーラが16%を獲得.労動民主党(PDT)のプリゾーラや社会民主党のコーバスを抑えすべりこむ.

11.19 地方選挙でサンパウロに革新市政誕生.PDTはブリゾーラを初め3人の知事を確保.五人の上院議員と47人の下院議員を擁し第3党に躍進.

11.23 ポルトアレグレの「アメリカショップ」で,80歳の黒人老人が馬鹿にされたとして暴動となる.1人が死亡,7人が負傷,64人が逮捕される.

11.27 ミナス州の市民警察,史上初めてのストライキを決行.

11.28 バイア州の軍警察がストライキ.サルバドル市内をデモ行進.参加者は軍から追放される.

11月 サンパウロ産業連盟(Fiesp)のマリオ・アマート会長,「ルーラが当選すれば80万人の企業家がブラジルから脱出して、ブラジル経済は疲弊のどん底に陥る」と攻撃.このほか労働党と対立する中央労動者連合(CGT)、地主階級のUDRもコロール支持に回る。いっぽうルーラを支持する人民戦線には、ブアルキ,ジル,カエターノなどの歌手や文化人が結集,教会の解放の神学派も支持を表明.

11月 PCBの大統領候補ロベルト・フレイレ副議長、「マルクス・レーニン主義とプロレタリア独裁の放棄、共産党の解党と、極左を除くすべての左翼の連合党結成」を主張。

89年12月

12.01 決選投票を前にルーラが猛烈な追い込み。金持ち階級は手持ちの財産をドルに代え始める。コロル陣営は「ルラは金持ちの代表、コロルこそ貧乏人の味方」と宣伝。さらにルラの元恋人に1万ドルを与え、テレビで「ルラは娘を妊娠したとき、中絶しろといった。ルラは黒人差別主義者だ」と語らせる。ルラはこれらの発言を「でっち上げ」と否定。

12.10 「フォーリャ・デ・サンパウロ」紙の世論調査。高所得者ではルラが48%、コロルが41%。高学歴層ではルラがコロルを圧倒。これに対し低所得者層ではルラが38%、コロルが53%と逆転。とくにノルヂスチの農村ではコロルが圧倒的人気。

12.17 大統領選の決選投票.コロルは35百万(43%),ルーラは追い上げ及ばず31百万(38%)にとどまる.

12.19 PT,PDT,PCdoB,左派PCB,左派PMDBが,リオで共同声明.コロールとのたたかいを強めることで合意.

12.22 レシフェとオリンダ大司教区に設置された「正義と平和のための委員会」が閉鎖される.三千人の市民は,カトリック教会進歩派への攻撃の現われとし,この措置に抗議してデモ.

12 サンパウロで革新市長の委嘱を受けたフレイレが教育長に就任.

12月 シャブリの裁判所で、シコ・メンデス殺害事件の裁判。検察はアルヴェス親子にブラジルで最高の30年を求刑。判決は19年の懲役。傍聴には世界中から5千人が押しかける。

89年 この年の物価上昇率,2千8百%と史上最悪.対外債務の利払いは,年間輸出額の3割におよぶ.12月にはサマー・プランが実施され価格凍結・国営企業の民営化・公務員の解雇を打ち出す。